Fate/Koha-ace 帝都聖杯奇譚-1920-   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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最終回「冬木遠景」

 

大正九年(一九二〇年) 十二月十七日

 

 染みる、凍える。

 マフラーをきつく巻き直しても、袂は増々冷えていく。夕暮れに赤く溶け込む雪雲は、白く、白く彼女の視界を閉ざそうとする。白い雪を手に吹きかけては、刀袋に積もる雪を振り落とした。

 手は赤くなり、彼女はぐっとその痛みを堪えた。

 あれから幾月を経たことだろう。

 彼女はあの濃密な、しかしあまりに早い十数日の日々を思い起こしては、雪の中でも目を凝らし、湿った足袋を一歩前へと動かしていく。

 この冬木村ももうすぐ年越し、師走の忙しさとは裏腹に人々の顔は快活そのものである。こうして足のつかぬよう駅から徒歩できたが、もう少し待合室に世話になればよかったとほんの少しばかり後悔した。

「なぁ」

 次の場所へ歩みながら、旅の記憶がいくつも重なる。

「お前さんが思っていたほど、俺たちに後悔する時間はなかった。時代は変わった。たとえワシにはどうしようもできなくても、生きることだけはできたのじゃ」

 暑い京の四条橋を一人の老人と歩みを進める。

「お前さんは男ではないが男勝りで、まさしく武士だった。尊敬していた。お前さんに何があったかは後で知った。今はともに戦えたことに誇りをもち、感謝している。ありがとう総司」

「でも、私は」

「今は生きていればいい、今までの事は後で嫌でも向き合わなくちゃあいけなくなる。大事なのは、その時に逃げずに、腹の下に力を入れて、どんと優しく迎えてやることだな」

 老人の姿は消え、涼しげな風が彼女の破り捨てた手紙と写真を川に流してしまった。

 そして手を合わせ、目を閉じた。

 その墓に向き合いながら、水をかけてやり手拭いで石肌を拭いてあげた。

「お父ちゃんと仲良くしているかい?私はねこうやって生き返ってしまったよ。なんでだろうね。でも、ひとつだけいいことがあったよ、あなたが生きて子供を産んでいたら、きっとあんなに元気のいい子たちだったのだろうなって」

 墓の前には団子と花が供えられている。

「ごめんなさいね、あなたの母親になりきれなくて、ごめんなさい」

 懐かしさを残した京を離れ、東京の榊原家に戻ってきたとき琥珀の姿は消えていた。

 代わりに土足で踏み荒らされた家具の合間から、父の八郎が姿を現した。

「八郎さん!お父さん!」

「おお総司さんか、おかえり」

 そう元気にして見せたが、頭から血が流れ脇下を抑えながら苦しそうに声を張っていた。

「琥珀が、琥珀が連れ去られた!美穂は先に追ったが後から出ようとした私が襲われてしまった」

「そんな…」

「でも、君は二日も早く戻ってきてくれた」

 八郎はポケットから封筒を取り出し、総司の手に固く握らせた。

「これは切符だ!私の代わりに琥珀と子供を」

「はい!助け出します!場所は」

「西の果て、冬木村だ!」

 八郎は無理に立ち上がり、総司に行くように促した。

「ワシはすぐに治る。だが時間が惜しい!行ってくれ!頼む!」

 洸と同じ、優しく強い瞳に押され、総司は玄関を走り出ていった。

自身の旅行道具を抱えて。

 

 それからだ、それから再び西に戻り、冬木村にやってきた。だが、洸の治療も効果がなくなり、持病が再発し始めていた。時間がない。

「総司…総司さん!」

 突然、正面から誰かに抱き着かれ、何が起こったのかと袂に目線を写した。治療でブロンドの髪は銀色になってしまったが、透き通るような瞳といかにも心配症という顔に涙があふれていた。

「美穂です。榊原美穂ですよ!沖田総司!」

「元気になられたのですね」

「そうよ、この通り」

 再びきつく抱きしめられると、そのぬくもりが凍えた心を溶かしつくした。そして美穂の頭をそっと撫でた。

「寒いですから。中に入りましょう」

 年季はあるが、主人の手入れが行き届いた商人宿の小さな囲炉裏、総司は濡れた衣服を気にも留めず、ただ美穂を見つめ続けていた。

「あなたが倒れた時、洸さんと琥珀さんは本当に夫婦のようでしたよ」

「ええ、夢うつつに覚えているわ。私は二人を悲しませるような真似をしてしまった。もっと早く元気になっていれば間桐に連れ去られることを私は」

「では琥珀さんの居場所はわかるんですね」

「もちろんよ!今日が救出の決行日!あなたが間に合ってくれてよかった。それでお父様は」

「旅立つ寸前に襲われました。とにかく私を送り出しましたが心配です」

「お父様を信じたいけど、間桐の奴ら!どこまで卑怯な!」

「本当に琥珀さんを器にして」

「あいつら勝手に利用して、勝手に殺そうとしている。お腹に子供ができるまであの静香って女は待っていたのよ。聖杯を召喚するために」

 涙を拭い、美穂は鞄から洸の持っていた小物入れを取り出した。

「見覚えはない?」

「はい、私の夫が形見にくれたものです。もう見つからないと思っていました」

 美穂は箱を手渡し、総司はフタを開けると仕掛けを外して油紙に包まれた名刺判の写真が二枚出てきた。

「私と夫の大事な写真です。ずっと洸さんが持っていてくださったのですね」

「私の興味本位で、あなたの召喚の経緯を調べてたのです。あの学校のピアノには魔術式が書かれていて、それはシールダーのサーヴァントを呼び出せる術式だった。おにぃ様は生き残るために式に魔力を込め、魔術道具の宝石を入れていた小物入れを触媒に」

「私がサーヴァントとして召喚された」

「聖杯は本来存在しないクラスであったから、あなたを仮にセイバーとクラス分けをした。それでアーサー王なんて言う本当のセイバーが現れるきっかけにもなった」

 写真を仕舞い、箱を懐に収めた。

「なおさら、琥珀さんを救い出して洸さんとの約束を果たさなければなりません」

 そこに外人の男と背丈の低い黄金の瞳の少女が姿を現した。

「アドルフさんに、ニューさん」

「やぁ総司さん。間に合ったようだ」

「私たちも加勢する。アドルフの友人をまもるために」

 美穂はゆっくり頷いた。

「場所は円蔵山という山にある柳洞寺です」

 

美穂は山道を登りながら総司をじっと見つめた。

目的地へ向かう迷い無き眼、黒装束の袴、白地に黒抜きのダンダラ模様の羽織、黒いマフラーに白い拵えの大小二振。サーヴァントの時と変わらぬ姿がそこにあった。

「総司」

「はい、どうしましたか」

「この先に境内へ行ける階段があるわ、でも間桐が幻術の結界を張って、立ち入るものを夢に惑わすわ。正面を術で切り開くけど十秒ともたない。だからこれを」

 美穂は自身の赤いマフラーを差し出した。

「これは正気を失っても足だけは目的地に向かうようにしてくれる、まじないがかけてあります。必ず琥珀さんの元に辿り着けます」

「巻いてくれる」

「え、うん」

 自身の黒いマフラーを取り、美穂に赤いマフラーを巻いてもらうと、美穂の首にやさしくマフラーを巻きつけた。

「ふふふ」

「ふふ、ありがとう総司」

「いいえ、ふふ」

 嬉しそうな表情はすぐに真剣な顔に取って代わられた。

「行きましょう」

「はい!」

 手筈通りにニューは森を突き抜け敵を掃討、正面をセイバーが囮となり、美穂とアドルフが琥珀を保護する。

 美穂は小瓶を投げつけ、銀の液体が結界に入り口を作った。

「行ってきます」

 そういって総司は駆け出した。

 道をまっすぐ、鞘を握り、雪が舞う中を一段一段と踏みしめていく。

(今、行きます)

 彼女は急ぐ、だが何を生き急ぐのか彼女にはわからない。

「無理はいけないな、総司」

 京の街は複雑でまどろっこしい、すぐに道に迷う。

「何の不思議があって、生き返ったのかな」

 人込みの中をかき分けながら走り続ける。汗が目に染みるが気にしてはいけない。

「なぜ来てしまったんだ総司」

 自身を突き放そうとする山南をひどく愛おしく感じてしまった。もう武士でなくてもいい、だから、だから山南の女でいさせてほしい。そう素直に自分の願いに従った。

「私が山南の介錯をします」

 誰にも反対などさせない。反対するはずがない。あの人がそれで良くても、私は仲間を許せない。だから、私が斬ればみんなには深い傷が残る。

 私はそれでいい。

「お腹に赤ん坊がいますな、おめでとう」

 結局、身を焼いたのは私自身だった。頭が真っ白になってぽろぽろと涙が流れ落ちた。

「どうして!どうしてこの子まで連れていくの!あの人に飽き足らず、この子の命も奪っていくのね。神様、仏様なんて…嫌いだ!」

 冷たくなった我が子を抱きながら、二人への思いが溢れ流れていく、このまま何もかも忘れてしまいたい。

 そう思い、ひたすらに泣き叫んだ。

「大丈夫だ、俺たちは勝つ。だから治ったらすぐに追いついてこい。そしたら、のんびりとまた昼寝ができる」

 近藤と土方の背中が遠のく、私はまた何かを失った。

 だが体が言うことを効かない。これは、山南を斬った私が彼との絆を望んだ結果なのだろうか、それとも代償なのだろうか。

「お前は何様のつもりだ」

 私は声を振り絞って叫んだ。

 悠々とする黒猫は私に恐れを抱くことなくまっすぐ見つめてくる。力の入らぬ手がとうとう刀を落とし、膝をついた私は泣き出してしまった。

 そんな私に黒猫は静かに寄り添った。

「ごめんなさい…ごめんなさい…」

 そっと黒猫を抱き上げた。

「私、死にたくない」

 風景が交差する。

 待っているのか、歩いているのか、生きているのか死んでいるのかも分からなくなる。

(そうだ急がなきゃ!) 

 がむしゃらに足をばたつかせ、ようやく足が雪を踏む感触がした。何でもいい、今を走っていたい。

 息がかすむ、この通りを曲がれば我が家だ。

 街灯の少ない住宅街の窓にはそれぞれ灯りがともっている。心地よいほどの雪模様、明日の除雪の事を考えれば頭が痛いが、みんなでやれば楽しい家族の一行事になる。

 ここは谷中桜木町の榊原宅。

 玄関を開けるとお茶の間から楽し気な会話が聞こえた。そしてお帰りなさいという返事が返ってきた。

(ちょっと帰りが遅かったんじゃないか)

「少し買い物に出ていたのです。目的のものがあったので」

(もしかして就職祝いか)

(洸さん、甘ったれたこと言っていると、すぐに痛い目を見ますよ)

(そうですよお兄様)

(ははは、二人には敵わんな)

 笑い声に耳を傾けながら、後ろを振り向いた。

「どうしたのです、バーサーカー」

 彼女は悲しげな表情で首元を指さした。

 無言で消えた彼女の姿より、首に巻かれた赤いマフラーが気になった。

「そうですね。気を遣わせてしまいましたね」

 茶の間に進むと、そこには誰もいなかった。楽し気な声は何だったのか、なぜバーサーカーがそこにいたのか、全てを理解した。

 あるはずのない雨戸をこじ開けると、一面は水平線を埋め尽くすような雪原。暗く、静かに吹き荒れる雪の中を一人の男が歩いていく。

「洸さん」

 裸足のまま家を飛び出し、吹雪を歩む黒い影を追いかけた。

病んで、疲れ、あの頃のような剣士の足ではない。

 それでもがむしゃらに雪を踏み分け、その喉を枯らす勢いで叫んだ。

「待って!待ってください!戻ってきて!」

 まったく近づけない。それでも雪原を歩み続ける。

「私も、琥珀も、美穂もあなたがいたからこそ、だから!行ってはダメなの!」

 と、柵に足を取られて体前へと投げ出された。

 すぐに立ち上がろうとするが、右足が思わぬ方向に曲がり立ち上がれない。

 それでも雪をかき分けるように地を這って進む。

 だが吹きつく風と積もりゆく雪が彼女の体温を奪う。

「そんな、嫌だよ。もう嫌だ」

 全ての記憶が走り抜ける。

 かすむ視界が、多くの人々の顔に変わり、そして瞬く間に消え去ってしまう。

 かすむ、涙を流しつくした彼女の顔はひどく荒れていた。

「助けたい!」

 視界は黒く、何も感じない。

 そのうち、何をしたいのかもわからなくなってきた。

「もうすぐだ!総司!」

 総司は石畳に這いつくばりながら、状況を整理した。

 そして耳に静香の笑い声が響いた。

「健気ね、でも沖田総司もサーヴァントでなくなったらただの人、真祖のホムンクルスは少し厄介だったけど、もうあなたには何もできないわ」

 どうも自分は隅に追いやられている。

 美穂は抑えられているが、自分は完全に死んだものと思われているらしい。

 ニューも倒れているがその目にはまだ闘争心が満ちている。

 手にはしっかりと刀が握られていた。

「ありがとう、洸」

 立ち上がった瞬間、目の前の二人の男を叩き斬り、続けざまに美穂を抑える二人を斬り落とした。

 総司は一瞬の隙を許さず、静香の前に立ちはだかった三人を三段突きで一気に地面に倒れ込ませた。

「そんな!幻覚から抜け出せなかったはず!」

「少しばかり、思いで参りをしてきましたよ間桐静香さん、でもそれよりもずっと大事なことがあるので帰ってきました!」

 静香は手のひらを構え、蟲を撃ちはなった。

 それは総司の左腹を大きくえぐり取ったが、それよりも早く静香の胸に一文字が背中を突き抜けた。

 二人は倒れ込み、あたりは静かになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

暗く、静かなる雪世の冬木。

 

まぶたは開くが、あまりはっきりと物が見えない。だが雪を朱に染める血の色ははっきりと見える。

 

そしてようやく刀が左胸に刺さった静香の姿が見えた。

 

息はなく、即死だったようだ。

 

そして総司は頭を支える温かな存在に気が付いた。

 

「大丈夫」

「うん、私も、お腹の子も大丈夫」

「よかった」

 

 そう言ったのを最後に、彼女は暗闇の中に意識が消し飛んだ。

 

 琥珀は瞼をとじてやり、いつまでも泣き続けた。

 

 

 

 

 春はもうすぐやってくる、だが冬はまだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

おわり

 

 

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