Fate/Koha-ace 帝都聖杯奇譚-1920- 作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)
五月二十四日
実に慌しい一日が過ぎた。
「起きてください、洸さん」
開けられた窓から無理やり光が入ってきた。
布団に逃げ込もうとするが、すぐに奪い取られて無防備となった。
「あと少しだ」
「もう五つ時ですよ」
「五つ…五つと言ったら、8時か」
急ぎ着替えて、鞄に襟詰を持つとふと足を止めた。
「待て総司、なぜここに居るんだ」
「え、琥珀さんに頼まれましたので」
「いや、そうじゃない。俺が着替えているときどこにいた」
「ここに」
「ああ、そう」
彼は急ぎ階段を降りて行った。
「おはようございます、洸さん」
琥珀は何気ない笑顔を振りまいて見せた。
「昨日はよく眠れたかな」
「ええ、でも洸さんの方が無理をするのではありませんか、こういう時ほど」
「うん、悪かった」
こういう時の彼女ほど怖いものはない。
「それでセイ…市谷さんは」
「二階にまだいるかな、足が速いからもう茶の間にいるのかもな」
茶の間の様相は『異常』につきた。
洸は定位置に座り、右からセイバー、美穂、バーサーカーに琥珀といった態であった。
何より全員黙々と、一言も交わさず食事を続けているのが勘弁ならなかった。
米と汁を腹に流し込むと、鞄と学帽を手に玄関に向かった。
「洸さん、忘れ物」
そうして彼に弁当を手渡した。
「ありがとう」
「寄り道せずまっすぐ帰ってきてください。セイバーさんとは仲良くしますから」
「ああ、約束だ」
「お急ぎのところごめんくださいね、洸クン」
その玄関先には当たり前のように美琴が立っていた。
「おはようございます。琥珀さんお久しぶりです」
「おはようございます、美琴さん」
「突然こうして訪問したのだけれど、学校から連絡よ。今日は緊急で全授業が休み、生徒は自宅もしくは教室で自由学習だそうよ」
「またどうして」
「例の万世橋での事件、それに昨晩の集団昏睡事件に、公園の乞食が全員疾走する事件。
さすがに周辺地区の安全が保障できないということで、先生方が会議を始めてしまったためよ」
「なるほどな、そこまでひどいことになっていたのか」
あの結界の誤作動も公に言われてこそいないものの、間違いなく警察が注意を呼び掛けたのは間違いなかった。
ルーラーの仲裁によって、疑似サーヴァントとの戦いが終わるまで休戦ということで落ち着いた。バーサーカーは可もなく不可もなく、セイバーと相手したくないということで同意に至った。
ルーラー曰く、
「事態は確実に洸君と琥珀さん、そして周りの多くの人々を巻き込んでいきます。
それに対処するには、連帯して各方面に力を借りることが大事です」
何がともあれ、洸と琥珀の喧嘩に一区切りがついたことは確かである。
「それじゃ、他の生徒にも伝言しなくちゃいけないから、手伝ってちょうだい」
「だろうと思ったよ」
弁当をベルトに結び付け、帽子を深く被った。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
バーサーカーは縁側に腰をおろし、居間に座るセイバーを振り返った。
「着いていかなくていいのか」
「幸い、結界とやらが働いているそうなので」
「それでいいのか」
「何がです」
「昼間であろうが、刺す奴は刺すぞ」
「今は戦うことを止められている。それに、いざとなれば令呪があります」
「楽観的だな。俺は問答無用の回答をうけている。なんなら庭先でやるか」
「魔術なしのチャンバラなんぞ、私だけで十分ですよ」
「は」
セイバーは確かな面持ちで目を合わせた。
「ちっ、平和ボケか、許してくれ」
その謙虚さにセイバーは笑い出した。
「てめぇ」
ふくれっ面で立ち上がると、セイバーを立ったまま覗き込んだ。
「人に気を張れと、顔で言ったやつが笑うか」
「すいません、最初の頃とあまりにも印象が違うものだからつい」
「悪いか、どんな奴だって言葉遣いを分けるもんだ!親、友がいるなら尚更だ」
「甘いもの食べましょう」
開いた口に四角いものを放り込んだ。
「なんだ、この甘いものは」
「キャラメルという菓子です。琥珀さんがくれましたよ」
「ひどいくらいに甘ったるいな」
通りかかった琥珀に不満を満々とさせた顔で、彼女を見つめた。
「これが狂化なのか?バーサーカーとは名ばかり、どう見たってセイバーと被っているぞ」
「え、いや、あのね、それは深い事情があるのよ」
「まさか、狂化の唱令を唱え忘れたな」
「ば、バーサーカー、情報漏洩は厳禁よ」
「図星か、なにもかも台無しだな」
しばらく動けなかったが、一言、二言文句をつけて逃げるように奥に去っていった。
「あはは、ふふふ」
「また笑いやがったな!剣を持て、その鼻っ柱をへし折ってやる」
「いいでしょう、ちょうど体がなまっていたところです」
木刀を持って庭に出ると、二人は昨日のようにバーサーカーはやや下げ気味の八双の構えになり、セイバーは切っ先をやや左に寄せて正眼の構えをとった。
「昨日のケリはつけさせてもらいます」
「望むところ」
「ごめんください。榊原洸さんはいらっしゃいますでしょうか」
バーサーカーは玄関先から聞こえた声に木刀を下ろした、何事かと木刀の峰で首筋を二回たたいた。
「どうしたんですか、バーサーカー」
「すまない」
玄関先に振り返ると、そこにはバーサーカーの見知った、彼女によく似た眼鏡の少女が見つめ返していた。
「どなたですか」
戸を開けた琥珀に向かって丁寧に頭を下げた。
「私はアンジェリカ・クロイツェル。ドイツ魔術師協会の代理人として、榊原洸、古田琥珀の両名に話があり、まいりました。あなたは古田琥珀さんで間違いございませんか」
「ええ、そうです」
結界を通ったならば、琥珀は即座に反応していたはずであった。だが、結界をすり抜けて当たり前のように玄関先に立っている。
「それで、何のお話ですか」
「協会のあなた達への協力をお願いに参りました」
「待った」
寒々とした目線を向け続けていたバーサーカーが木刀を差し出した。
「その前にこいつとサシで戦わせろ」
「自分のマスターに口答えするか、モードレッド」
琥珀が口を開く前にアンジェリカは言い放った。
「この人…真名を」
琥珀はバーサーカーから漏れ出し始めた狂気を感じ、令呪の発動を覚悟した。
と、そこにセイバーが両者の前へ分け入った。
「ここでむやみに気を張るのは両者にとってよろしくない。サーヴァント・セイバーが二人に一つの提案をする。この木刀での一本勝負を行い、勝った方の意を汲み取ること、どの機会にせよ全力で相対する機会が必ず訪れよう。なら、焦る必要はないと小生は考えるが」
アンジェリカはセイバーに頷き、木刀を受け取った。
「セイバー」
「らしくないと、と言えばよろしいか、バーサーカー」
自身の胸に押し戻された木刀の握り返し、庭先へと入った。
それが当たり前のように間合いをとった。
「礼、構え」
モードレッドは右上段に、アンジェリカは正眼かつ、切っ先を上向きに構えた。
「はじめ」
バーサーカーが一切叫ばず、上段から渾身の一振りが落ち、二歩下がりつつ峰で流して左上段からの一撃をバーサーカーの肩に叩き落した。
木刀が手から離れ、その両膝を突いて小さく悶えた。
「勝負あり」
アンジェリカは自身を見上げるバーサーカーを見つめた。
「お前は変わらないな」
その優しい瞳から逃げるように視線を外した。
アンジェリカはセイバーに木刀を返すと、玄関から家の中へと案内された。
バーサーカーは強く地面を殴った。
「ちくしょう」
落とした木刀を拾い上げると、セイバーは玄関へ目を見やった。
「あの方と言い、あなたといい、お互い見知った関係のようですが」
「その通りだ。俺の大事な人だった。そして、裏切ったんだ」
「真剣であったら、いや、やめておきましょうか」
「ああ」
バーサーカーが落ち着いたらしいことは、彼女の目がはっきりと伝えていた。
「私に、洸さんに何の用ですか」
アンジェリカは出された茶を一口飲んだ。
「ドイツ魔術師協会はあなたと榊原洸殿に、我々の協力をしていただきたく参上しました。もちろん、この話はあなたが間桐のマスターであることも、前提としての話です」
「それで、どのように」
「はい、我々は聖杯戦争において、聖杯の魔力を増大させる計画を立て、それを実現させました。
五十一の概念に解体された聖杯は、新たな概念を加えることでより強大な魔力を得ました。
魔術師協会会長のジャベル・プフェファー・フォン・アインツベルン氏は、他家にもこの成果に対する協力を呼び掛けています」
「それなら、なぜ洸さんに偽物のサーヴァントを差し向けたのですか」
「あれは不可抗力というものです。新たな聖杯のためには必要な力です」
「増幅するためだけに大層なことをしますね」
「それを儀式の中心に据え、更に正規のマスターとサーヴァント一組が生き残れば、彼らは自動的に消滅するようにできています。疑似英霊と呼ばれる彼らはあくまで聖杯戦争の動きを監視しているに過ぎません」
「その疑似英霊が聖杯を統括するルーラーを呼んだのではありませんか」
「ルーラーは聖杯の改変を忌んだまでです。我々の大いなる目的の前では無駄です」
「そうですか、協力の見返りは」
「勿論、聖杯の強大な魔力を分配します。通常の聖杯から出る魔力と同等であることを約束します」
「分かりました。即答はしかねますが」
「よろしいでしょう。この旨を榊原洸さんにもお伝えの上、ご返答を頂きたく存じます。明日の夕刻、上野の大仏前で待ちますのでその時、その場所でお願いいたします。拒否されるのであれば、バーサーカーに本懐を遂げさせるのも良いでしょう」
アンジェリカは静かに立ち上がり、琥珀の見送りも構わず玄関を出た。
戸にもたれかかるバーサーカーがアンジェリカを見つめていた。
「良いマスターだな」
一切振り返ることもせず、通りの奥へと去っていった。
男は扉を開けると、後に続く少女に気を使いながら、帽子を取った。
「賽は投げられたか」
血糊のふき取られた祭壇前で、ステンドグラスに張られた十字架とイエスを見上げた。
失明した左前を守るようにフードをする少女もステンドグラスを見上げる。
「神父…いらっしゃいますか」
本郷の書生と思われる青年が教会内へと入ってきた。
「良い発音だ。この国の若者か」
「異人か、その癖からするにドイツ人か」
「その通りだ。学生君が教会に何の用かな」
「神父殿に教えを」
「ほう、それは殊勝だな。だが、神父は死んでしまった。君に聖書を教えるものは居なくなってしまったな」
「なぜ、なぜ神父は死んだのですか」
「神父は神を盾にして大罪を犯した。審判が下るのは当然だろう。『己が蒔きしもの、己が刈り取るべし』と、旧約聖書にある通り、神父は義務を果たしたまでだ」
「ドイツ人がそれを受けたようにか」
「そう思うのは当然だ。私もそのように考えた。失うというのは尚更つらかろうな、君の懐も寒かろうに」
「あなたのような御仁に心配されるいわれはない。忌憚なく言わせてもらえば、ドイツ人はドイツに受けた報いを己自身のものにする必要はない。その報いを相手に与えるのもドイツ人の役目ではないのか」
「君が本当にそう思っているのならば、世界はそのように動き、そして破滅を迎えることだろう。君のこれからは苦難に二重に囲って苦しみのみを味わう人生だ。私の国の心配をする必要はない。人は遅かれ、早かれ、自らの罪は、自らの肉体をもって受けるのだ。それを忘れぬことだ、青年よ」
「あんたのような古い人間と同じにするな」
「だが同じ人間だ」
「……」
「行こうかニュー、彼の言う通り、古き私が、新しき時代の彼に何を問いても始まらない。さらばだ、もう会うことはないだろう」
立ち去る二人をよそに、青年はただ立ち尽くしていた。
「そんなはずはない、老人の言葉がどうしたというのだ。俺は俺だ」
そして、青年は教会に踏み入ることはなかった。
魔術界に思想が入り乱れることは特段、珍しい話ではない。
ましてや現代世界と魔術世界は常に同一であり、ある程度の平行線を保つ。八百年以上の歴史を持つ魔術協会でさえ、内外のコネクトの派閥は複雑かつ難解を極め、協会内の人間関係は基本的には険悪そのものである。
1914年から始まった欧州大戦は、協会内にあった地域的・民族的な派閥が力をつける原因となり、ついにはドイツ派とイギリス派で分かれるという事態を引き起こした。
無論、このことは魔術の戦争協力や、協会内の抗争に油を注ぐ結果となる。そのため、四年余りの戦争が終結すると、派閥に分かれた人材を再統一する動きを見せた。
統一にあたっての協議はエジプトのアトラス院学長アクエン・アテン博士が取りまとめたが、ドイツ代表の攻撃的な主張を皮切りに、交渉は破たん。終いにはエジプトで抗争を起こす始末となり、対立状態は戦時中へと逆戻りした。
その一か月後、中立をなしたアテンは何者かによって暗殺され、軟着陸を望むに望めない事態となった。
上野に移ってきたイギリス派・時計塔、通称『英国魔術協会』の日本支部は、御徒町の一角にある小さな旅館に、一時的ではあるが拠点を置いている。建物は見た目こそ西洋づくりだが、中は純和風の二階建てであるため、そこに椅子と机を置くという奇妙な状況を呈していた。
「やはり、この畳というのは慣れぬな」
「仕方ありませんよ、我々のような人間が長い間借りられる安宿なんて、そうそうあるものではありませんからね。ここの主人には感謝です」
「ああ、英国帰りだそうだから、まったくありがたいものだ」
日本支部支部長である一級講師のリーゼル・ハミルトンは美穂の師であり、聖杯戦争と独魔術師協会の問題を解決すべく派遣された魔術師である。
「こんにちは、リーゼル師範。定期報告に参ったよ」
「おお、アドルフさんか、どうもこんにちは。ニューちゃんもごきげんよう」
ニューは逃げるようにアドルフの後ろに回った。
「少し来られるのが遅かったな」
「何、この国の青年と少しばかり会話をしていたまでだ」
「日本人が教会にか、以外だな」
「まぁ、その話がてら、協会の地下にあるものを確認できたぞ、同時にアインツベルンの動きと連動して別の何かが動いている」
「よし、お茶を淹れよう。ニューちゃんはホットココアでいいかな」
少女は嬉しそうに頷いた。
向かい合ったソファーに座る三人の前に飲み物が出ると、即座に本題に話が切り替わった。
「なるほど、教会の地下には無数の魔術反応が存在するのか」
「例の吸血事件であらかた生気、つまり普通の人間が持つわずかな魔力が吸い取られ、集められたとすれば地下からの反応に合点がいく」
「だが、アインツベルンが魔力不足を理由に魔力を集めているならば、なぜわざわざ疑似英霊なんぞを作り出したのだろうな。十四騎のサーヴァントが供給しうる魔力量は、改良されたとされる聖杯をしても収まりきらないのではないか、そもそも七騎で足りるものを」
赤い瞳の少女がココアをすする光景を見ながら、自身も紅茶を一口飲んだ。
「リーゼル師範、もしその器が二つあるとしたら、どうだ」
「そんな、まさか」
「これは私の推測だが、この一連の件はアインツベルンひいてはドイツ魔術師協会が関わっているに間違いない。そして、彼らの行動に賛同して協力する勢力の存在が、必ずいるはずだ。
アインツベルンはその協力者への見返りのために、わざわざ二つの聖杯を作っているのやもしれない。もしかしたら、私とこの子にとっても因縁の相手やも、しれないしな」
「なるほどな、よし、こちらも調査を続行する。焦点はアインツベルンと独魔術師協会、それに教会だな」
「ひとつ、こっちも聞きたいことがある」
「聖堂教会の後任の監督官だな、明日にも到着するらしい」
「何だって、早すぎないか」
「私も今朝聞いたばかりだ、諜報員の話では、阿部神父は仮の監督官で、本当の監督官は別に用意していたそうだ」
「どうも、嘘か真か分かりかねるな」
「聖堂教会は口が堅いからな、答えてはくれまい」
「では、引き続き調査を続行する。お互い目的を達して楽になりたいものだ」
「ありがとう、アドルフ、よろしく頼む」
固く握手を交わして、二人を見送り終えると、引き出しにしまっていた一通の手紙を取り出して、鞄の中にしまい込んだ。
「急ぎだが、遠坂のところへ行ってくる。例の提案を飲むことにするよ」
「後でに回ってばかりですね」
「もう我々は渦中の真っただ中だぞ」
リーゼルは帽子を被ると、急いで階段を駆け下りていった。