Fate/Koha-ace 帝都聖杯奇譚-1920- 作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)
五月二十五日
小さな本郷の教会から不忍方面に離れた、静かな邸宅街。この場所に小さいながらも遠坂も気を構えている。本来であれば本家のある冬木で事を構えなければならないが、政府に協力する関係上は帝都にも邸宅を構えざる負えなかった。
「協力者からアインツベルンの子息がルーラー側に付くことが決まったと報告に来ました。これで時計塔、マキリ家、それにアインツベルンの穏健派を味方にすることができました」
智子はホルストの手紙を取り出し、深い皺を浮かべる老人へと手渡した。その目は体躯の小ささとは裏腹に豪胆な落ち着きを持っている。
「その子息が父上様へ」
封を切り、手紙を流し読みすると傍らの長男・宗一へ文面を手渡した。
「やはりジャヴェルも聖杯の欠陥に気が付いているらしいな、しかし未完成であってもその力は馬鹿にはできん。宗一、アトラス院から来る彼はもうすぐかな」
「はい、あと二、三日ほどで、しかし、契約書を渡してしまうとは、よろしいので?」
「言わんとするところは分かる。しかし、物事には順序というものがあり、聖杯はまだ召喚されてはならないのだ。そのためなら紙切れの一枚や二枚など造作もないわ。宗一、智子、各勢力との歩調を合わせ、奴らに聖杯を渡すな!そして確実に帝都から冬木へ移送するのだ、良いな!」
「はい」
「はい、お父様」
老人の名は遠坂法喜、二人の父であり遠坂家現党首である。彼は明治政府成立時から、先代とともに魔術面での顧問として政府に協力。日本の呪術に造詣が深いこともあって、帝都の区画拡張に力を発揮してきた経歴を持つ。
「私はこれから社寺庁に話を付けてくる。近藤!車を出せ!」
父を見送り、居間に残ったカップ類を片付ける智子の傍に宗一が寄り添った。
「父の言う通り、御三家に関わる人々は聖杯を自由に解体しすぎた。その結果、大聖杯は術式を再構成せざる負えなくなった。その不完全且つ欠陥だらけの代物を自由にさせてはならない。もし再封印が失敗すればこの世にあってはならない法理が生まれ」
「世界は崩壊する。そうですわね、お兄様」
「ああ、あと二人っきりの時は宗一と呼んでくれと言ったろう?」
「ごめんなさい宗一様、私は御役目をきっと果たしてみせます」
「それでこそ僕の智子だ」
智子の腰を支えながら静かに唇を合わせた。
場所は移り、桜木町。
榊原洸は二日間の休校になってしまい自宅に残っていた。一方の琥珀はバーサーカーを供にお茶の水にある女学校に行ってしまった。
縁側で本をたしなむ洸に縫物をするセイバー、ちゃぶ台に術書を広げる美穂と暇を持て余すライダーが座っていた。彼は大きな欠伸をしたが、誰も見向きもしない。
「おいセイバー殿よ、おぬしは男と思っていたが、もしかして女であるか!」
「その通りです」
縫い目の張りを広げつつ、再び糸を通す。
「いやぁ!もし男であったならワシは衆道趣味になるところであったわい!ところでだその腰物、どこで手に入れたのじゃ!ワシとて一文字の刀は何本も
持っているが、戦国大乱以前の実践向きの一振りはそう見かけんものじゃ!」
「昔、友人から送られたものです」
「ほう、何百年も経ってとなれば、相当に位の高い友人じゃの!しかし細身ではいつか磨り切れてしまう!ワシの福岡一文字の太刀は長大!身は厚く!姿見は壮麗!煮えの輝きは右に出るものはないぞ!」
「あなたの生きていた時代とは日本の様相が違うのです。でもあなたのように鎧兜を身に纏うなら同田貫を使うことでしょうね」
「ドータヌキ?」
「薩摩の武士がよく使う豪刀です」
「あー、別に薩摩でなくても、田舎の刀は折れない不格好な刀ばかり、折って当たり前のものじゃ」
すると玄関先から声が聞こえた。
「このドイツ訛り…まさか!」
美穂は飛び出すように廊下を走っていった。
そして、戸を開けた先に立つ二人に立ちはだかった。
「まだ来てはならないと言いましたよね!アドルフ!」
「遠坂家から急かされてな、一週間のうちにトラン氏が来る。契約書の回収と腕の記憶を解放させるためにね」
「そんな…まだ、まだ兄には時間があります!だから!」
アドルフは静かに首を横に振った。
「トラン氏は既に研究で理解していたようだ。死んだ人間をよみがえらせるには、代償が伴うとね」
「どうしたんだ美穂」
玄関に現れた洸に静かに会釈した。
「あなたは、いつぞやのドイツ人」
「はじめまして、いや久しぶりでもあるかな?私はアドルフ・カミル。時計塔に所属する諜報員だ」
美穂の縮こまった背中を見て、何事かとアドルフに問う。
「君に真実を話に来た。そして、君の宿命についてもね」
帝国ホテル、西側の一室がホルストの滞在地になっている。そこに一人のホテルマンが客をロビーに待たせている旨を伝えた。
「なるほど、危険は顧みずか」
ロビーに着いた二人の前に紳士服に銀髪という異様な男がいた。
「おまちしてました」
「リーゼルはどこへやった」
「まだ来ていないだけですよ」
「なるほど、例の連絡員か」
「ええ、はじめましてホルスト・アインツベルン。私はダーニック・ヘラルド・ユグドレミニア。横浜の支局で長距離連絡を担当してます」
「ルーマニアからの憑き物〈ユグドレミニア〉か、久しぶりにその名を聞いたよ、で用件は?」
「時計塔から急ぎあなたへ言伝を預かったので、ここへね」
「ああ、なるほど」
「ええ、本国に残る魔術師協会と時計塔が和解しました。元々、別れる理由はジャヴェル卿の愛国心以外にありませんでしたから」
取り繕ったダーニックの笑顔から離れるように窓から街を眺めた。
「これで目的は達成された。あとは日本に来たジャヴェルを倒すだけ、か」
「できれば、聖杯を」
「それは御三家それぞれの了承がなくては無理だ。しかも、俺が頭首になってからでないとな。それに聖杯なんて辺鄙な物を手にすれば時計塔が瓦解しかねんぞ」
「私としては、なっていただきたいものですね」
「ふん…噂通りか、俺は保守的な人間でなおいそれと渡す気はない、それだけは覚えていてくれ」
「それは残念でありますな」
「ところで時計塔は本当に戦争ができるんだろうな」
「ご心配はごもっとも、ホムンクルスどもに横浜の旧支部を破壊され、前支局長の衛宮源兵衛氏を失い。さらには政府と内通していた連絡員さえも始末され、しまいには大量失血死の一件を遠坂から疑われる始末だ。しかし、どういうわけか増援が続々と到着している。まるで何が起きるか分かり切っているような時計塔の対応力、面白くなりそうではないですか」
「ふっ、冗談じゃない」
「それと、今夜は上野で榊原のマスターたちが大仏前で接触するそうです。恐らくジャヴェル側が引き込もうとしているのでしょうが、一悶着起きるでしょうね。これは余談ですので、お気になさらず…」
軽い別れの挨拶をして玄関の階段を下りていった。
榊原洸の記憶は十年前の部分がすっぽりとなくなっている。言い換えれば母親の死を彼は知っていることになる。
「私は君の父上、八郎君とは長い付き合いだ。彼が時計塔に勉学に来た時から、君の母親と幼い君を連れていた姿が懐かしく思う。話は十年前に遡る…」
八郎はもう二週間イギリスに滞在することになったため、母親の美紀子と幼い洸、それに八郎の師であり急逝したカルト博士の一人娘、クレメンティ―ナを養子として連れ、日本に先に帰らせることとなった。
その客船に警護としてアドルフが同行することになった。しかし、船はインド洋に差し掛かろうとしていた直前に船室に収められていた棺から、吸血鬼が現れ船内は血の海と化し、暴走する吸血鬼は二人の子供をかばった美紀子を殺し、そして妹を守ろうとした洸の血を奪ってその暴走した力が船体を破壊。
母親は行方不明、吸血鬼との闘いで傷ついたアドルフは二人を救い出すことで手一杯であった。
そこにエジプトからの調査船が救助に来たことで、洸は高度な魔術治療を受けることができた。
「その船は海を走る霊脈の流れを調べていたアトラス院の船だった。アトラス院の全学長たるアクエン・アテン氏は聡明且つ情に厚い方として知られていた。
君は吸血されたことで魔術回路の七割を消失していた。そこに人工的に作り上げた新たな回路を埋め込んだ。高い遺伝性を持ち、攻勢能力を有した魔術回路」
裾をまくり、魔力を込めると回路が赤く浮かび上がった。
「やはり発動していたか、ただしこの回路を生存のために使わせるために君の記憶から氏は、使い方に関する記憶を封印した。君の願いで母の死の瞬間もな」
「俺の体は半分以上が作りものなのか」
「そういうことになろう」
あの日、ガントが発動したのは、回路の防衛本能から来たものであることを理解した。
そしてアドルフは胸ポケットから一通の手紙を取り出した。
「君と人口回路の合成は類を見ない大成功であった。しかしそれに伴うリスクを君は理解しなくてはならない。君だけがこれを読みなさい、いいね?」
「はい…」
「私が話せることはここまでだ。後はその手紙が教えてくれる。よく考えるといいだろう」
「アドルフ、話すべき、クスィーの事」
赤い目の少女が諭した。
「ああ、話すべきだな。紹介しよう、彼女はテン。ホムンクルスであり、吸血鬼だ」
「吸血鬼!?」
「かつて君の母親を殺した吸血鬼の片割れだ。彼女は吸血鬼の始祖の髪から生成されたホムンクルス。彼女はあの吸血鬼とは違いひどく臆病でな、ただ自分と同じ吸血鬼を探知することに長けているんだ」
「あいつは来ている、ずっと前から、この日本に来ている。私には分かる」
「俺にどうしろと」
「私にできるのはこうして事実を話すこと、それをどうするかは君の自由だ。私はこれでお暇しよう。前にも忠告をしたが、今日も一つしておこう。時計塔に御三家、どれも信用するな愛する者の真だけを信じるんだ」
その場を動かぬ洸にセイバーは何もできず、ライダーも首を横に振って黙っていた。
美穂の怒りに満ちた目がアドルフに向けられたが
「すまない」
そう言った彼が一番悲壮な表情で町を去っていった。