魔法少女リリカルなのは Broken beast   作:やまあざらし

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16!

 なのはは自分の目の前で起こったことが理解できず、無意識のうちに後ずさった。

 

 頭部を失くした猫の巨躯は、その断面から壊れたスプリンクラーのように血を噴き出し、ズシンと音を立てて倒れた。

 辺りに充満する、むせ返るような鉄の匂い。

 落ちた首は地面にぶつかると、その衝撃で大きく跳ね上がり勢いを殺し、赤色を飛沫に舞わせながらゴロゴロと空気の抜けたサッカーボールのように無骨に転がっていった。

 ピタリと止まった頃には、元の毛色がわからないほどに血と泥で汚れてしまい、ただの肉の塊にしか見えなくなっていた。

 

 なのはは、見なければいいのその光景から目を離すことができなくなっていた。

 胃の底からなにか熱いものがこみ上げてくる。

 

 気持ちが悪かった。

 流れる血が、頭を失くした胴体が、切断された頭部が……。

 そして、光を失った猫の目が……。

 

 「ぉぉえ! うえぇぇぇぇ!!」

 

 なのははその場にしゃがみ込むと、恥も外聞もなく吐瀉物をぶちまけた。

 うっ、とした酸っぱい胃酸の匂いが血の匂いと混じり合い、それがさらに嘔吐感に追い打ちをかける。

 氷のような悪寒が無遠慮になのはの背中を駆け巡り、気持ちの悪い鳥肌が浮き立つ。自分の喉が焼き切れそうな熱さを感じながら、胃の中が空になる頃にはようやく頭に冷静になれる余裕が生まれた。

 

 いったいなにが起きたのか……。涙でかすむ視界で辺りを見回すと、そこは新緑の森ではなく血の赤で染まった異界になり果てていた。

 

 自分の隣にはユーノがいる。必死になってなにかを離しかけているが、そこまで頭が回らない。

 足元には血。雨の後のような血だまりが大地を濡らしている。

 視線の先には猫の死体。首を失った断面からは、未だに血が流れている。そしてその上に立つ二人の人間。

 

 ……人間?

 

 なのはは吐瀉のせいで目尻に溜まった涙を袖で拭って同じ場所をもう一度見た。

 そこには今までいなかったはずの人間が、確かにいた。

 

 一人は若い女性。

 灰色の髪に布地の多い民族衣装のような白い服を着ていて、歳は恭也と同い年ぐらいだろうか。頭の上には尖った獣の耳が乗っかっており、腰には長い尻尾がついていた。

 もう一人は中学生ぐらいの少年だ。

 黒いパンツと黒いブーツ。指抜きのグローブもハイネックのシャツも、フード付きのコートも全部黒でコーディネートされていて、艶やかな金髪と血のように赤い瞳が浮いて見えた。

 

 少年の手には血を滴らせた凶器が握られており、なのははその少年が猫を殺したのだと瞬時に理解した。

 

 その凶器は太刀。士郎や恭也が稽古で使う小太刀ではなく、刃渡りが120cmはある野太刀と呼ばれる人を殺す為に鍛えられた鉄の刃。

 少年の持つ野太刀は鍔がなく柄もない、茎が剥き出しの状態だった。波打つ乱れ刃紋は半分が血で隠れている。

 

 「へぇ、これがジュエルシードか。 思ってたのより小さいな」

 

 変声期を迎えたばかりの少年の声がなのはの耳に届く。ボウ、となのはは二人の様子を眺めていると、少年は子猫の体内からジュエルシードを取り出し、マジマジと見つめていた。

 

 「そうですね。 私も資料では知っていましたが、こうして実物を目の当たりにするとこんな小さなものが願いをかなえる器だとどうも信じられません」

 

 「でも一つだけじゃそんなに出力はないんだろ? 塵も積もればなんとやらってことかね?」

 

 「ええ、ジュエルシードは二十一個全てをそろえて初めてその力の真価を発揮するとされています」

 

 「だとしたら、僕たちは運がいい。 こうして発動したジュエルシードを手に入れただけじゃなくて、ジュエルシードをいっぱい持ってそうな子にも会えたんだから」

 

 「まったく、そのとおりです」

 

 二人の会話を呆けたまま聞いていたなのはの背筋に得体のしれない寒気が襲いかかった。

 無表情のまま淡々と会話を続けていた女性とは正反対に、少年はなのはに視線を向け人形のように端整な顔を歪ませて笑みを作った。

 

 「ねえ、そこのお嬢さん。 僕に君の持ってるジュエルシードを全部くれないかな?」

 

 「なのは逃げて!」

 

 押し出すようなユーノの叫びがなのはの耳に届くよりも早く、ザリという土の擦る音が聞こえたと思うと、「キュッ!?」と喉を絞られるような声を上げてユーノが姿を消した。

 いつの間にかユーノのいた場所に金髪の少年がいた。目で追うどころか、意識で捉えることさえできなかった。

 

 ユーノは少年に蹴り飛ばされていた。投げ捨てられた玩具のように大きな弧を描きながら宙を舞い、そして遥か向こうの茂みに重力のまま落ちていった。

 結界の中の壊れた空から差し込む鈍い光に反射して、少年の金髪と燃えるような赤い瞳は不気味に輝いていた。

 

 「まあ。ジュエルシードを差し出そうが差し出すまいが君が死ぬことには変わりないんだけどね」

 

 少年の唇から出た言葉は、なのはにとって意味のない単語の羅列に聞こえた。頭の中の冷静な部分は早く逃げろと警鐘をガンガンと鳴らしているが、足は竦み、身体が石になったかのように動かない。

 

 ジュエルシードの暴走は何度も見た。

 命に危機に直面したこともあった。

 

 それでも、その全てが遊戯場の児戯あったのではないかと錯覚するほどの恐怖が、なのはの身体を凍りつかせていた。

 

 野太刀を肩にかける少年は、新しい玩具を買って貰った子供のような無邪気な笑みを浮かべてなのはを見下ろしている。

 

 __ああ、終わりだ。

 

 少年の目に迷いはない。いや、そもそもこの少年に迷う必要などないのだ。

 この少年はきっと、人ではない。

 人の姿をして、人の言葉を操り、人のように振舞うなにかだ。

 

 今までの暴走体とは違う。同じ姿をして、同じ言葉を話し、同じような振舞いをするのに、きっとこの少年には人が植物か、よくても虫けら程度にしか映らないのだろう。

 

 人が人を殺す禁忌はこの少年には通用しないのだと、なのはは直感で理解した。

 

 「ゴメン……、な……さい……」

 

 なのはは少年を見上げながら、震える声で言った。

 それは誰に向けた言葉なのか、それとも少年に対する命乞いなのかなのは自身にもわからなかった。

 少年は笑みを崩さないままユラリと野太刀を片手上段に構える。

 

 「さようなら、お嬢さん。 運が悪かったって諦めてね」

 

 断頭台の刃にも似た無慈悲な一閃。だが、その一撃がなのはを血で濡らすことはなかった。

 

 少年は刃を振り下ろす直前、ハッとした表情を作るとその場から爆ぜるように跳び退いた。

 

 「キャッ!?」

 

 直後、少年が立っていた場所に黒い火球が風を呑み込む音を上げながら衝突した。その衝撃に大地は削れ、なのはは吹き飛ばされてしまう。

 同時に、火球よりも激しい勢いで黒い影が金髪の少年へと襲いかかる。

 

 一葉だ。

 一直線。その言葉が相応しいほどに一葉は少年に向かって槍を閃きかせながら突進していった。

 少年は突然の乱入者に驚きながらも冷静に一葉の槍を太刀で弾く。一瞬驚きで目を丸くしていたが、直ぐにその表情は歓喜のものへと変貌した。

 

 「へえ!」

 

 少年が一葉の太刀筋に感心の声を上げる。そこからはお互いに言葉はいらなかった。

 無言で交わされる無数の剣戟。もはや閃とでしか捉えることができない速度で切り結ぶ二人の刃は澄んだ音を立ててぶつかり合う。

 

 一葉が距離を取ろうとすると、少年が距離を詰める。

 

 一葉の武器は槍だ。野太刀とはいえ懐に入られてしまえば必殺の一撃は放てないぶん一葉の方が圧倒的に不利になる。

 身体能力の差もある。一葉が前世の戦闘経験を引き継いでいたとしても、今現在の筋肉は小学生のもの。魔法で底上げはしているが、体力というリミットもある。

 一葉に対して少年は中学生程度の年齢だ。戦い長引けばどちらが不利か論ずるまでも無い。

 少年は一葉の剣閃を狡猾な蛇のように巧みにいなしながら、狼のように獰猛に攻めてくる。

 

 「一葉!!」

 

 「行かせません」

 

 防戦一方になっている一葉に加勢しようと、一葉よりも少し遅れてきたベヌウが飛び出そうとするが、その進路は少年の傍らにいた女性に阻まれた。

 

 「……そこをどきなさい」

 

 「お断りします」

 

 強い苛立ちを孕んだ視線でベヌウは女性を睨みつける。

 

 「どかなければ殺しますよ?」

 

 「できるものなら」

 

 女性が言い終わると同時に、ベヌウはなんの躊躇いもなく火球を女性にぶつけ、さらに無数の炎の矢を翼から撃ち出した。

 無慈悲で冷酷な一撃。命を思いやる気持ちなど微塵もない必殺の一撃は女性を立っていた場所を中心に、木々を薙ぎ払い土を燃え上がらせ大気を焦がした。

 

 轟々と燃え上がる炎。ベヌウは塵一つ残さず焼き払った確信があった。

 しかし……、

 

 「炎熱変換を持つ使い魔ですか。 面白いですね」

 

 炎の中から凛とした声が響くと同時に、ベヌウの炎が飛沫となって掻き消された。

 

 「そんな……、馬鹿な……」

 

 あまりに予想外の出来事にベヌウな目を剥いて驚いた。今の一撃は手加減なしで撃ったものだ。生きているどころか原形を留めていることさえあり得ないというのに、女性は何事もなかったかのよういその場にたたずみ、大地を燃え上がらせたベヌウの炎を片手で薙ぎ払った。

 有り得ない……。そんなベヌウの心中を察するかのように女性は初めて薄い笑みを浮かべて口を開いた。

 

 「普通の使い魔ならば跡形も残らなかったのでしょうね。 しかし、私を普通の使い魔だと思って相手をすると……」

 

 女性はそこで言葉を区切る。瞬間、女性の身体が僅かにぶれ、ベヌウが気がつくよりも千倍早く、目の前に跳躍していた。

 

 「死にますよ?」

 

 ナイフのような冷たい声がベヌウに届くと同時に、強い衝撃が身体中を突き抜けた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 広大な森の彼方まで蹴り飛ばされたユーノは、焼き鏝を当てられたかのようにジンジンと熱を帯びた脇腹の痛みを堪えながらなのはの元へと走り続けた。

 押し込められた叫びと喉を衝き上げる痛みに顔は強張り、冷たい汗が全身の毛孔から吹き出る。

 いったいなにが起きたのか、前触れもなく襲いかかった理不尽にユーノは炎のような怒りとなのはの身を案じる焦燥が喉のあたりで燻ぶる。

 

 突然現れた少年は、鳥が唄を紡ぐように自然な振舞いでジュエルシードを取り込んだ子猫の首を一太刀の元に斬り落とした。

 あの少年は危険すぎる。ユーノの背筋には本能とも呼べるような悪寒が駆け巡っていた。

 猫の首が胴体から斬り離される瞬間、飛沫に舞う血を眺めながら少年は歓喜に顔を歪めていた。あれは自分の家族を殺した女と同じ、他人の死をどうとも思わない、自分達とは違う概念を持った存在だ。

 そんな少年の元に、なのはを一人残してしまった。

 

 それは、あらゆる悪を司る魔の聖典の前に捧げられた供物と同じだ。

 

 なのはの命が危ない。

 なのはを想う気持ちが、軋む骨に鞭を打ち背中を押されるように足を動かし続けた。

 背の低い笹の茂みをユーノは切り裂くように駆け抜ける。

滾々と湧き出る黒い不安が溢れ出そうになった時、緑の視界は扉が開いたかのようにユーノの視界が開けた。

 つい数刻前まで、自分がなのはといた場所に出たのだ。

 ユーノは息を切らしながら辺りを見回すと、腰を抜かしてへたり込んでいるなのはを見つけた。

 

 良かった!無事だった!

 

 安堵の歓喜がユーノの喉元に出かかった瞬間、黒い塊が風を呑みこみながら空から落ちてきた。

 

 夜の闇を切り取ったかのように黒い塊は落下の勢いのまま地面に衝突する。森に轟音と衝撃が響いた。

 ユーノとは僅かに距離は離れているが、それでも衝撃が全身を襲い小さな体が吹き飛ばされてしまった。

 落下地点は大地がめくりあがり、土が失われ小規模なクレーターが生まれていた。

 その中心にある土煙が、緩い風に押し流されていく。

 

 「ふっ……、ふふふふふ……。 私の翼を地につけるとは……、面白い……」

 

 そんな声が聞こえてきた。

 ベヌウの声だ。だが、普段の凛と澄んだ声色ではなく喉をひきつらせているかのように震えている。

 

 「殺す!!」

 

 刹那、ユーノの視界が黒い炎で支配された。渦を巻き天を衝く炎はユーノが展開した結界の空を砕き、空を焦がし雲を焼き払う。

 クレーターを中心とした大地は熱で罅割れ、寄り添うように茂る草木は燃え上がる寄りも早く灰燼に帰した。

 

 黒い炎の先に、ユーノは怒れる神を見た。

 

 荒らぶる竜のような咆哮には怒りと殺意が漲り、それを象徴するかのように炎が燃え盛る。

 洪水のような猛々しい殺意は、自分に向けられているわけでもないのに深海に沈められたかのような圧迫感がユーノの心臓を絞った。

 巻き起こる炎と一緒に渦巻いているのはベヌウの魔力なのか、確かに恐ろしく強いということだけは解るのに、触覚だけがすっぽりと抜けてしまったかのような奇妙な感覚をユーノは覚えた。

 護国四聖獣の一角を担う月の踊り子の魔力。伝承によれば一夜で国を一つ焼き払ったという力を目の当たりにして、あまりに自分とはかけ離れた力に頭が理解することを拒んでいたのだ。

 

 ベヌウが放つ天を衝くほどの黒い炎の中心が割れたかと思うと、炎は揺らめきながら巨大な翼へと姿を変える。まるでベヌウの初列風切羽を延長させたかのような巨大な翼は触れるもの全てを灰に変えてゆく。

 ベヌウは翼の先端から黒い飛沫を緩やかな風に舞わせながら、目標を定めた猛禽の勢いで一直線へと風を引き裂き空へと飛び立つ。

 ユーノはその光景に、現実離れした戦慄に心臓を震わせ恐怖に身を凍えさせた。

 

 今目の前に起きている現実が理解の外だった。

 自分が数刻前に過ごしていた穏やかな時間の流れる深閑とした森の気配は微塵も残っていっていない。辺りには植物の青臭い芳香に代わり、炭の煤けた匂いが宙に舞う。

 整然と立ち並んでいた幹の太い木々も、力任せにへし折られたかのような亀裂を残し何本も無造作に転がっている。

 絨毯のように茂っていた笹も、土ごと根こそぎ焼き払われていた。

 

 「ユーノ……くん……?」

 

 弱々しい声がユーノの耳に届く。なのはの声だった。

 戦場を彷彿させる凄惨なこの場所で、バリアジャケットも展開せずにボウ、とした視線でユーノを見ていた。

 

 「なのは! 大丈夫!?」

 

 なのはと目があった瞬間、ユーノは爆ぜるようになのはの元に駆けだした。鬼気迫る様子で駆け寄り腕に飛び込むユーノを、なのはは大粒の涙を瞳に浮かべながらギュッと抱きしめた。

 突然腹に加わった圧力に、ユーノは肺に溜まった空気を「きゅっ!?」という奇声とともに全部吐き出してしまうが、なのははそんなこともお構いなしに濁流の中でしがみついた藁のようにユーノを抱きしめる腕の力を緩めることはしなかった。

 なのはの服には煤けた灰の匂いと、酸っぱい胃酸の香りが染み込んでいた。

細い腕から小刻みな振動が伝わる。

 

 「こ……、こわ……、怖かったよぅ……」

 

 押し殺していた恐怖喉もとで震わせながら、なのはは小さな声で言った。

 

 「大丈夫……、もう大丈夫だから。 それよりも、状況はどうなっているの? どうしてベヌウがここに……」

 

 ユーノは努めて穏やかな口調で、なのはに冷静になるように促す。なのははユーノを自分の胸板に押しつけたまま、声を引っ掛けながらも言葉を紡いだ。

 

 「わ……、私……動けなくて……。 でも、一葉くんが助けに来てくれて……。 だけど……直ぐにどっかに行っちゃったの……。 ベヌウさんも……」

 

 なのははユーノに状況を説明するというよりも、むしろ自分を取り巻く現状を把握しようとしているようだった。

 ベヌウの名前が出たことで、ユーノはベヌウが飛び立っていった空を見上げた。視線の先には空の代わりに黒い炎の海が広がっていた。そして波打つ炎の中で黒とグレーの閃光が飛び交い、時折ぶつかり火花を散らしている。

 お互いに罅割れた結界から出たら面倒なことになるということをわかっているのか、結界の外に出るようなことはしないが、それでもお互いの力が拮抗した熾烈を極めた戦いだということが見て取れる。

 使い魔でベルカの四聖獣と渡り合う力を持っているのだ。だとしたら、その主はどれほどの力を持っているのか想像もできない。森の奥からは鉄と鉄がぶつかり合う澄んだ音と、樹がなぎ倒される鈍い音が木霊して響いている。

おそらく一葉はその主と戦っているということは想像に難くなかった。

 

 「なのは……、一葉は?」

 

 確認の意を込めて、ユーノは端的に尋ねる。なのはが身じろぎするように震え、小さな、息を呑むような音がこぼれた。

 

 「一葉くんは……」

 

 震えながら声を絞り出したなのはが、そこで言葉を止めた。森の奥から響いてくる火花を散らす音が物凄い勢いで近づいてきたのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

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