魔法少女リリカルなのは Broken beast 作:やまあざらし
忍は音を殺すようにして、レクイエーションルームへと戻った。
既に卓球大会は幕を閉じており、部屋には誰の姿もなくなっていた。忍は恭矢に会う為に真っ先にレクイエーションに戻ったのだが、どうやら入れ違いになってしまったようだ。もしかしたら、卓球の汗を流す為に温泉に行ったのかもしれない。
卓球台が常設されたレクイエーションルームの静寂が、忍の耳に圧し掛かる。そして、静寂に混じってすずかの慟哭が聞こえてくる気がした。
すずかの頬を叩いた後、忍はすずかに吸血鬼の魔眼を使った。放っておけば、本当にそのまま一葉を追いかけに行ってしまいそうだったからだ。
すずかに夜の一族の能力を使ったことなど、初めてのことだった。
今までそんなもの必要がなかった。自分と妹の間には、夜の一族であろうが吸血鬼であろうが、そんなもの関係がないほどの絆があると信じていた。
だが、すずかと同様に忍も追い詰められていたのかもしれない。
月村の一族は、まるで薔薇のようだった。
それは容姿を指してのことではない。
薔薇は身体中を貫く寒さと、凍った大地があるからこそ美しく咲くことができる。いつだって、美しさゆえに傷つけられずにはいられないから、鋭い棘を持っている。そして、美しさ故に、人を傷つけられずにはいられないのだ。
月村は人間関係の中で人と親密になればなるほど、血や家のことを隠してはおけなくなる。決して深きまでは踏み込ませないように、壁が必要となるのだ。
そう、美しい花を守るために、全てを貫き、切り裂く薔薇の壁が。
最後には、皆が悲しそうな顔をして去っていってしまう。忍は、それを見るのが嫌いだった。
同年代の少女たちの屈託のない笑顔や、無垢な表情を見るたびに、自分も普通に生まれていたのならあんな風になれたのだろうかと、自分が普通ではないことを思い知らされた。
子供のころから、他人とは違うと言うことを常に意識し続けてきた忍は、今までの月村の人間がそうしてきたように、誰にも触れることのできない孤高の薔薇として生きてきたのだ。
だが、すずかは違う。すずかは、あの三人に出会ってしまった。
棘も、荊も必要ない、自分を傷つけることなど決してないと信じ切ることのできる優しい人たちに。
忍にとって、そんな人間は恭也だけだった。優しさだけに寄りかかり、恐怖や葛藤など必要のない、大切な心の拠り所。
忍は、すずかから祖の拠り所を奪わなければならないのだ。それがどんなにすずかの心を切り裂く行為であっても、それほどまでに忍の目には一葉が異常に映った。
「しーのぶっちゃん」
「ふひゃ!?」
忍が暗澹な気持で立っていると、ふとうなじに生温かな吐息が吹きつけられた。ぞくり、と電気が首筋に走り、忍が咄嗟に振り向くとそこには日本酒の一升瓶を両手に持った亜希子が居た。
「ちびっ子たちも寝ちゃったし、これから桃子たちと一杯やるんだけど忍ちゃんも一緒にどうよ?」
亜希子は手にして居た日本酒を、忍にひけらかし朗らかな笑みを浮かべる。忍は、そんな亜希子の表情を見て、沈んでいた気持ちがさらに下降していった。
一葉を意図的に、不審者に引き渡した直後に、その母親と酒を酌み交わせるほど忍は無恥ではなかった。この様子を見ると、亜希子はまだ一葉がいなくなったことに気が付いていないのだろう。
「私は……、遠慮しておきます」
「え~。 せっかくいいお酒持ってきたのに。 純米大吟醸だよ? 獺祭だよ? 精米23%だよ?」
「ごめんなさい。 ちょっと、はしゃぎすぎちゃったみたいで……」
「ま、無理に付き合うこともないさね。 明日もあるんだし、そういうことなら今日はゆっくり休みなよ」
亜希子は残念そうに言いながらもあっさりと引いた。
「それじゃ、私は桃子と士郎さんを待たせてあるから先に行くね。 おやすみなさい」
「はい。 おやすみなさい」
忍は踵を返して部屋から出ていこうとする亜希子の背中を見送ろうとした。が、亜希子はなにかを思い出したかのように立ち止まると、再び振り返り忍と視線を絡ませる。
亜希子の顔から、笑みが消えていた。
「ウチのガキさ、朝には戻ってくるとは思うけど……。 これからは、あまり舐めた真似は慎んでね。 私、忍ちゃんのことは好きだから、あんまり喧嘩とかしたくないんだわ」
平坦な声だった。いつも明るく、子供っぽい亜希子からは想像ができないほどに亜希子の顔には能面のように表情が消え、それなのに月のように爛々と輝く双眸が忍を射抜いていた。
「言いたいことはそれだけ。 じゃ、今度こそおやすみね」
それは一瞬の出来事で、亜希子は言い終えると氷が解けたかのように直ぐにいつも通りの表情に戻ると、再び忍に背中を向けて歩き出す。
亜希子の去り際の一言は、忍を戦慄させた。もしかしたら、今抱えている厄介事の渦中には亜希子も居るのかも知れない、と。
靄のようだった疑心は形となり、忍の心に広がっていった。
◆◇◆
「あーっと……、それを言う為にわざわざ呼びさしたわけ?」
「う……、うん……」
「……、オレと君がさ、敵同士ってことは理解してるよね?」
「……それなりには」
「じゃあさ、顔を見せた途端になにかされるとか思わなかったわけ?」
「む……胸を触るとか……?」
「それは忘れてください……」
冷たい月明かりが束となって振る注ぐ水辺で、一葉は大きな溜息をついた。フェイトと出会ってから一悶着はあったものの、敵意も害意もないフェイトの反応に毒気を抜かれた一葉はどうしてここに呼びだされたのかという理由を穏便に問いかけ、二人した湖の畔の草の上に腰を下ろしていた。
遠くから聞こえる虫の音と、空を仰げば月明かりと一緒に空ごと落ちてきてしまいそうな澄んだ夜空と、微かな風に流されて森のざわめきとともに湖面に微かな白い波を躍らせている。
穏やかな時間が進む、夜の暗闇が支配する漆黒の世界で、まるで一葉とフェイトの居る場所だけが二人の為に用意された舞台のように月明かりが降り注いでいた。
肩と肩が触れ合いそうで、触れ合わないもどかしい距離で一葉は足を延ばして、フェイトは膝を抱えた形で並びあっている。
アルフは素材の姿である赤毛の狼の。形態の戻って、フェイトの身体に巻きつくように伏せっている。時折、二人の会話に反応するように、耳をピクピクと動かしていた。
つい数刻前まで深刻だった空気とは正反対に、フェイトと一葉の間に穏やかな雰囲気が流れていて、フェイトは安堵の気持ちどころか、胸の内から滲むような喜びが染みるように滲み溢れてきた。
自分と一葉との関係はひどく曖昧なもので、不確定ものだった。もしかしたら、自分の言葉に耳を傾けることもなくて、一方的な蹂躙を受けることだって予想していた。だが、現実は一葉が手を傾ければ触れられる距離に居る。何気もなしに言葉を交わしている。まるで“当たり前の友達”として接することのできるこの時間が、たまらなく嬉しかった。
「とりあえずさぁ、面倒な話しは置いておいて、ちょっと真面目な話ししてもいい?」
「……うん」
一葉は寄せた眉根に指を当てながら言った。
「多分、オレが言いたいことはわかってるとは思うけどさ……、ジュエルシードのこと。 なんでも願い事をかなえるってのは確かに魅力的だけどさ、なんであんなもん集めんのさ? いや……、そもそも誰がフェイトにジュエルシードを集めるように命令したの?」
「……」
一葉の鋭い質問に、フェイトは押し黙ってしまった。伏せられたまつ毛は、湖面の光が反射して煌めきに反射している。月明かりに青白くなっているその表情は、まるで親に悪戯が見つかった子供のようだった。
「だんまりでもいいけどさ、今回はこうして言葉を交わし合うことができたんだ。 だけど、次に会った時は問答無用で殺しちゃうかもしれない。 今の時点で、オレとフェイトはそういう関係にあるってことは理解してるよね?」
殺すかもしれない、そんな物騒な言葉に反応したのはアルフだった。伏せた身体の首だけを上げて、あからさまに一葉に牙を剥く。フェイトは一葉に敵意を向けるアルフを宥めようと耳の根元を撫でながらポツリと言葉を漏らした。
「……全然、怖くないよ」
「……は?」
「一葉が怖いこと言っても、私は全然怖くないよ。 だって、私は一葉が優しいこと知ってるもん」
フェイトは一葉と視線を合わせることもなく、青白い月明かりが射しこむ水底を見据えながら言葉を重ねた。
「私がジュエルシードを集める理由は、母さんがそれを望んでるから。 母さんに……、ジュエルシードを集めてきてほしいって言われたから」
「母親のお願い、ね。 それはアゼルも同じなの?」
フェイトは言葉を濁した。アゼルは間違いなく母の命令で地球にきたし、その旨は母本人から伝えられている。だが、フェイトはアゼルがなにを考えてジュエルシードをわからなかった。
もし、一葉にアゼルを信用できるかと問われればフェイトは首を横に振るだろう。フェイトとアゼルの関係は不思議なもので、兄妹としての思い出は確かに記憶の片隅にあるというのに、長い時間を過ごしてきた慣れ親しんだ感覚が全くないのだ。そして、長年培われてきた小さな違和感は大きな疑念へと姿を変えていた。
アゼルは本当に、自分の兄なのか、と。
「ねえ……。 一葉は、兄さんとは昔からの知り合いなの?」
フェイトは窺うように一葉の横顔を見ると、一葉は黄昏を見つめる老人のような目つきで月を見上げていた。
アゼルはフェイトよりも数日遅れて地球にやってきており、以前にアゼルが地球を訪れたことがある話しも聞いたことがない。アゼルが地球にやってきてからの僅かな期間で一葉と出会う確率など限りなく低いだろうし、なによりも二人の間には深い確執があるように思えた。
「知り合いでは、一応あるのかな。 ただ、昔からって言われると、それは違うよ。 そもそも、オレたちの間にはどんなに時間や距離があっても関係なかったんだと思う。 出会うべくして出会った。 多分、それだけ」
「それって、どういう意味?」
要領の得ない一葉の言葉は、フェイトに説明するというよりも、自分自身に納得させようとしているような口調だった。
「フェイト、忠告だけしておくよ。 アゼルを信用するな。 あいつはフェイトや、フェイトのお母さんとは違う思惑で動いてるはずだ」
「どういうことだい?」
一葉の言葉に反応したのは、アルフだった。微かに鼓膜を震わせる声に、一葉は一瞥を送ると立ちあがった。
「言葉の通りだよ。 アゼルはフェイトとは違う。 自分の目的の為なら、誰かを傷つけることを厭わない。 それがたとえ、身内でもね」
影が差し込み視界が暗くなった。一葉は月を背に向けてフェイトを見下ろしていた。その表情が逆光でよく見えないが、ぼんやりと青白く浮かび上がる輪郭は触れてしまえばそのまま消えてしまいそうなほどに儚く、寂しげに見えた。
「悪いことは言わないよ。 ジュエルシードからは手を引いた方がいい。 フェイトはともかく、アゼルとオレは間違いなく敵同士だ。 次に会う時も衝突することになる。 その時に、その場にフェイトが居たら正直安全は保証しかねるんだよ」
「……それじゃあ、一葉と一緒にいた女の子はどうなの? あの子も、兄さんの敵なの?」
フェイトは前に会った森で気を失い倒れていた少女のことを思い出した。あの少女はきっと、一葉の友達なのだろう。だからあの場所に一緒に居て、一葉はせっかく手に入れたジュエルシードを手放してまであの少女を守ろうとしていた。
「……オレは、本当はあいつがジュエルシードを探すことには反対なんだ。 あいつは、きっと浮かれてるだけで、状況に流されたまま、ついうっかり命のやり取りをするような場所に足を踏み入れただけだ。 だけど、なのははまだ本当に死ぬような目に遭ってないから今でも首を突っ込もうとしてくる。 今はもう、オレの傍に居るだけで危ないってことを理解してない」
森の木々の間を吹き抜ける風が、人の声に似た音を響かせていた。一葉の声からは、フェイトが名前も知らない、一葉だけの友達のことを大事に想っていることが伝わってくる。
「大切なんだね……、その子のこと」
「……ま、友達だしね」
「そっか……。 友達だから……か……」
友達。一葉が何気なしに出したその言葉に、フェイトは憧憬と嫉妬を同時に覚えた。
自分は一葉と友達になりたかった。一葉と出会ったその日から、ずっとそう思っていたのに一葉の方はそうではなかった。一葉には既に友達がいて、自分なんて必要ない。既に一葉の隣には、なのはという少女が居た。
一人で、寂しかったのは自分だけだったのだと思い知らされたからだ。
「やっぱり、優しいんだね。 一葉は……」
フェイトは自分が傷ついたことを悟られないように、努めて唇を微かに釣り上げた。それでも、その微笑みは翼を失ってしまった鳥が虚栄するかのように寂しいものだった。
「んなわけあるかい。 オレのは優しさじゃなくて傲慢だよ。 傷つくのが嫌だ、傷つけるのが嫌だ、だから突き離そうとしてるだけだ。 ついでに言えばさ、アゼルの傍に居ればフェイトもきっと傷つくことになる。 だからさ、ジュエルシードのことはアゼルに全部任せて引っ込んでくれると非常にありがたいんだけどね」
一葉の苦笑交じりの物言いに、フェイトは首を横に振った。
「ダメだよ。 母さんは私を必要としてくれているし、私も母さんに必要とされたい。 だから、ジュエルシードを兄さんだけに任せることはできないんだ。 それに、兄さんを信用するなって言ったのは一葉だよ?」
「そうだった。 説得の順序を間違えちゃったな」
フェイトは一葉の顔を視界に入れた。こちらを見下ろす二つの目が、困ったように緩んだのが見えた気がした。
「でも、このまま引いてくれないんだったら次に会うときはまた敵同士になっちゃうな。 じゃ、オレはもう行くけど、今日は会えて楽しかったよ」
一葉は踵を返してこの場から立ち去ろうとする。もはや語るべきことはないと判断したのだろう。だが、フェイトは一葉とここでもっと話しをしたいという誘惑に駆られていた。
咄嗟に一葉の腕に手を伸ばし、引きとめようとした瞬間。湖の対岸で膨大な魔力が月の光を押し戻した。
「これは……」
「ジュエルシード! こんな近くで!?」
失態だった。目先のことに気を取られ過ぎていて、ジュエルシードの存在に気が付けなかった。フェイトは立ちあがると、首にぶら下げていた二等辺三角形とペンダントを手に取り、バリアジャケットを身に纏った。
湖の水をまきこんで、力強く渦巻く水柱から現れてきたものを見て、フェイトは絶句した。
「なんだい!? あの不細工な亀は!?」
驚愕の声を張り上げたのはアルフだった。フェイトがバリアジャケットを展開すると同時に獣の姿から人型へと姿を変え、ジュエルシードの魔力に警戒し身を構えていた視線の先に映ったものは、豚のような鼻をした巨大な亀だった。
「おお、スッポンだ。 こんな綺麗な湖にも居るもんなんだ」
声を震わせるアルフとは対象に、一葉は感心した声を上げた。刹那、湖の対岸に居たはずの亀の口が、フェイトの目の前で大きく開いていた。
「……え?」
意識の外の出来事だった。一葉の隣にいて、自らの相棒であるバルディッシュを手にバリアジャケットを展開していたはずなのに、指一本動かすことができず、呆けた声を漏らすことしかできなかった。
「きゃっ!?」
襟首を強く引っ張られ、視界が反転した。フェイトは地面に転がされ、景色が流れる。フェイトは体制を土に身体を擦らせつつ視線を一葉に移すと、そこにはいつの間にか騎士甲冑を纏った一葉の背中があった。
「気をつけた方がいいよ。 あの亀、笑えるぐらい首が伸びるから」
一葉はスッポンに視線を固定したまま言った。一葉の言葉通り、フェイトはスッポンの伸ばした首の先を目先だけで辿ると、薄い扁平型の甲羅を背負った本体はその場から微塵も動いてはいなかった。
「いったいあの亀のどんな願いにジュエルシードが発動したっていうんだい?」
アルフが一葉の横に移動しつつ尋ねる。アルフは一葉にあまりいい感情は抱いていないが、この場は共同戦線を張った方がいいと判断したのだろう。
もはや警戒の念は一葉ではなく、目の前のジュエルシードに注がれていた。
「これだけ透明度の高い湖だからね。 餌になる魚なんてほとんどいないだろうし、腹いっぱいになるまで食事がしたいとかじゃないかな。 ていうか、野生動物の頭の中なんて飯食うことと子孫を残すことぐらいしかないでしょ」
「つまり、あたしたちは餌ってことかい」
「スッポンてめちゃくちゃ肉食だしね。 フェイト、オレがあれを止めるからジュエルシードの封印は任せても大丈夫?」
「大丈夫だけど……、いいの?」
フェイトは戸惑うような表情を浮かべた。自分と一葉はジュエルシードを巡って対立をしている。だが、一葉はジュエルシードに対する固執などまるでないような口調で、フェイトにその所有権を譲渡しようというのだ。
「いいのかもなにも、オレは術式持ってないから封印出来ないんだよ。 それに、ジュエルシード自体にはあんまり興味ないしね」
「ジュエルシードに……興味がない? じゃあ、なんで集めてるの?」
「こっちにも色々と都合があるんだよ。 それよりも、一応頭の上に防御魔法でも張っといた方がいいよ。 髪、血で汚れたら嫌でしょ?」
フェイトが返事をするよりも早く、一葉の身体が一瞬ぶれたかと思うと姿が消えた。
◆◇◆