魔法少女リリカルなのは Broken beast   作:やまあざらし

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26!

 心の底から、なのはが心配だった。

 最初はこの世界に落ちてしまった二十一個のジュエルシードを集めることを手伝ってもらうだけだった。

 時には暴走してしまうジュエルシードの回収だけでも十分に危険だが、今となってはそのことが安全に感じてしまう。

 それは、三人の介入者によって物事の中身が大きく変容してしまったせいだ。

 

 緋山一葉、フェイト・テスタロッサ、アゼル・テスタロッサ。特に一葉とアゼルの間には深い確執があるようで、もはやジュエルシード集めは二人の抗争の口実にしかなり得ていないとさえ感じていた。

 二人の間にあるのは純然な憎しみと、静かな狂気。そして、触れれば切り裂かれてしまいそうな殺意。

 その二人の間に立つことになってしまったなのはの舞台を整えたのは、間違いなくユーノだった。

 

 痛みも憎しみも、争いもない静かな日常を奪ってのは間違いなくユーノで、果たしてその罪を自分は贖うことができるのか、懺悔の言葉を吐き出すことが赦されるのかという苦しみにユーノは苛まれていた。

 

 そして今、傷つき悲しみに沈むなのはを見ながら胸を引き裂かれるような気持ちでいた。

 絶望敵までに無力自分が、出来ることは少ない。せいぜい、声を張り上げることしかできないのだ。

 そう、なのはを取り巻く危険な状況の原因をつくりだした張本人、緋山一葉だ。ユーノは、スクライアという特殊な部族の立場上、普通の子供よりも多くの文化や、大人の世界を見てきた。その経験が、一葉に対する違和感を感じさせていた。

 

 一葉に初めて会った時から感じていた、拭いきれない不快感。真っ白い羊の群れにポツンと紛れる黒い羊のようで、黒い毛に白い粉をまぶして白い羊のふりをしているかのように、どこか浮いていた。

 だが、一週間前の森で見た一葉の正体は黒い羊なんかではなく、牙を持って生れた羊だった。

 いずれその隠された牙は、なのはの喉元に届く。確信めいた予感をユーノは感じていた。

 

 だから、ユーノは今日までの間、なのはに一葉とは縁を切った方がいいと進言してきた。しかし、言葉でいくら伝えようとしても、伝わったのは言葉だけで、本当に伝えたいことは伝わらなかった。

 ユーノの言葉は、今までなのはが一葉と積み重ねてきた溶けることのない雪のような時間に吸われ、なのはに届くことはない。

 

 なにもかも自分が不甲斐ないせいだ。なのはが再び、こうして危険な場所に身を置いてしまっていることも、なのはが再び傷ついてしまっていることも。

 

 「なのはっ!!」

 

 一葉の腕の中に収まっていた、フェイトという少女が突然なのはに襲いかかった。

 ユーノは咄嗟にバインドを展開してフェイトの動きを止めようとする。しかし、ユーノのバインドよりも、フェイトの動きの方が遥かに早く、次々とユーノのバインドを破壊していく。

 このままではまずい。ユーノはバインドの重ねがけをしようと再び術式を構築しようとするが、叩きつける怒声で阻まれた。

 

 「邪魔するんじゃないよ!!」

 

 猛然と襲いかかる赤髪の女性。頭の上には、人間にはあり得ない三角形の獣の耳が付いており、その女性が使い魔であることを教えていた。

 

 「くっ……!」

 

 使い魔はユーノに向かって拳をふるう。咄嗟に避けたユーノが立っていた場所は、その衝撃によって地面がめくれ上がった。

 

 「あの白い娘の使い魔かい……。 悪いけど、ジュエルシードは貰っていくよ」

 

 ユーノは崩れた態勢を立て直し、使い魔を睨みつけた。その手には、ジュエルシードが握られている。

 

 「返せ! それは僕のものだ!!」

 

 押し出す叫び声を上げるユーノに、使い魔は行儀悪く中指を突き立てて叫び返した。

 

 「そんなこと、こっちは知ったこっちゃないんだよ! 痛い目見ない内に、さっさとお家に帰んな!!」

 

 「ふざけるな!!」

 

 ユーノはバインドを使い魔に向けた。形なく漂うユーノの敵意が凝縮し鷹のようなバインドは鋭く大気を裂き使い魔に襲いかかる。

 速度も、精度も申し分はない。これがテストや訓練だったのならば間違いなく満点をとれただろう。

 しかし、ユーノは実戦の空気を、元は獣である使い魔の膂力を知らなかった。

 

 使い魔はバインドの合間を縫うように疾走し、ユーノとの距離を瞬く間に詰めた。

 ユーノが知覚した時にはもう遅い。月を背負うようにして飛びあがった使い魔が拳を振り上げていた。

 

 __まずい!

 

 咄嗟のことで筋肉が硬直して動かない。冷やりと走る悪寒は、空から降り注いだ目が痛くなるほどの桃色の雨に消し去られた。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 一度吐いた唾が呑めないことぐらい知っていた。

 戦うには優しすぎるなのは傷つけまいと、必死になって遠ざけようとしていたのに、そのことがなのはの心をなによりも傷つけていたのだ。

 

 結局、自分のことばかりでなのはの想いも、気持ちも、大切なものはなにもかもを見落としてしまっていた。

 いや、もしかしたら自分はわざとみないようにしていたのかもしれない。

 弱くても、逃げても誰も指をさして責めたりなんてしない。それでも、それは見落としてはならないものだった。絶対に目を背けてはいけないものだったのに、自分は見ようともしなかった。

 自分が唾を吐いたのは天に向かってなんかではなく、なのはの心に向かってだったという現実に。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 一葉は平静を装っていたが、その実、胸の内は振り子のように激しく揺れていた。飼い主に置いてきぼりにされてしまった動物のように傷ついたなのはの目は、深く鮮やかな哀しみに彩られている。

 どうして?と乾いた声で問いかけるなのはの言葉に、一葉は喉を詰まらせた。

 

 なのはの右手に携えられたレイジングハートは、装填されたなのはの魔力によって桃色の残滓が揺らめいている。

 質量を持ったかのように敵意に満ちた視線は、一葉ではなくフェイトに向けられていた。

 一葉は咄嗟に抱き寄せたフェイトの肩に力を入れ直し、呼吸を整えてから唇を動かす。

 

 「……で、そのままどうすんの?」

 

 苦しい沈黙に耐えられず一葉が言葉を発すると、自分でもぞっとするぐらいの厳しい声が出た。

 

 「今装填した魔力を、オレにぶつければ満足?」

 

 なのはがフェイトに狙いを定めていることを知っていて、あえて言った言葉だった。フェイトを庇うような言動は、さらになのはの心を抉る。だが、今はそうすることでしかこの場を穏便に収める方法が思いつかない。

 

 なのはも、きっとすずかと同じだった。

 彼女たちを取り巻く不安に気付かずに、自分の何気ない言動が真綿で首を絞めるように追い詰めていたというのに、自分は呑気にフェイトと密会していた。そのことがなのはの逆鱗に触れて、憤慨してしまったのだろう。

 

 なのはも、ユーノから聞いてフェイトがアゼルの仲間だと言うことは知っているはずだ。なのはを蔑にして、敵であるフェイトと会っていたとなるとそれは裏切りと見られても仕方がない。

 しかし、今回に関してフェイトは完全にとばっちりだ。

 一触即発の雰囲気の中、どうにかして無傷で帰してやりたかったのだが、状況はいつも一葉の期待を裏切っていく。

 突然、フェイトは一葉の腕から飛び出し、金色の暴風となってなのはに襲いかかった。

 

 「ちょ……っ、おい!」

 

 咄嗟に伸ばした手は、フェイトの髪をくすぐるだけで捕まえることはできなかった。

 

 「フェイト!!」

 

 一葉の叫びをかき消すかのように、突風となったフェイトを止めようと一葉もその背中を追いかけようとする。

 ふと、左肩に鈍い重力を感じた。ベヌウだ。

 

 「時間になっても帰って来なきゃ向かいに来てとは言ったけど、なのはまで連れて来いって言った覚えはないんだけど」

 

 「高町嬢を連れてくるなと言われた覚えもありません」

 

 怒りをベヌウに向けるのは見当違いだとわかっていても、滲み出る苛立ちは感情をぶつける矛先を探している。

 一葉は憎々しげにベヌウに言うと、ベヌウはいつになく冷ややかな視線で応えた。

 

 「貴方はもう少し人の気持ちというものを考えた方がいいですよ。 今回は一葉の無神経さが招いたことです」

 

 「わかってるよ。 だから、こうなる前に止めようとしたのに……」

 

 「わかってませんよ。 一葉はわかったつもりでいるだけで、なにもわかっていません。 だから、こうなってしまっているのでしょう?」

 

 ベヌウの視線はフェイトとなのはに向けられていた。ユーノの放つバインドをフェイトが巧みに躱している。

 一葉は、なのはが自分のことを友人よも近しいそれで見ていることに気が付いていた。だが、それはなのは自身も気が付かないような霞のように淡い感情。時間とともに自然と消えて薄れていくものだと思っていた。

 

 もし一葉が、この世界に魔法という異端の力があるとこを知っていたのなら、初めからなのはと友達になろうという考えは持たなかったはずだ。

 なのはだけではない。アリサも、すずかも、平成の世だからこそ保ち続けることができた欺きの仮面は、一度戦場の空気に晒してしまえばいとも容易く剥がれ落ちてしまうとわかっているのに、誰かと寄り添い続けることができるなどという夢から、とっくに覚めているのに。

 魂の穢れた咎人が、罪を忘れ何食わぬ顔で安穏と暮らし続けていた。その代償に、なのはとすずかを傷つけたのだ。

 

 一葉と、ベヌウの視線の先でフェイトがなのはの防御魔法を叩き割り、その衝撃でなのはが落下している。

 だが、一葉の心が動じることはなかった。

 アゼルとの、“あの男”とこの輪廻の果てに邂逅してから歯車は廻りだした。それは同時に、自分が人でいられる時間のカウントダウンの始まりでもある。

 ベヌウは戦って償えばいいと言った。だが、自分は既に償っているのではないか?

 罰を受けているのではないか?

 自分が人の心を持って生まれ落ちてしまったこと。この世に生を受けたことそのものが、罰だ。

 そんな思推に至った途端、一葉の中に漠然と漂っていたなにかが明瞭な形を持ち胸の内に圧しかかってきた。

 

 「……、ベヌウ。 下の二匹止めてきて。 聞きわけがないようだったら、死なない程度に痛めつけてもいいから」

 

 「……、一葉?」

 

 自棄になった訳ではない。一葉はただ、自分の道標を見つけただけだ。それは過去という名の未来。かつての、人にあらざる獣の心を持った過去に進む道を。

 

 どこか雰囲気の変わった一葉に、ベヌウは怪訝な声を出す。だが、一葉は苦衷の表情を浮かべ、ベヌウと視線を合わせることはしない。

 ジュエルシードなどもはやどうでもいい。どうせアゼルを殺せば、この糞くだらない争いも治まるのだ。とりあえず、今はこの面倒な場を鎮めなければならない。

 色々と考えるのはそれからだ。

 

 「早く行って。 二十秒以内に制圧して」

 

 「……わかりました」

 

 ベヌウは躊躇しながらも、目線の遥か下でぶつかり合っている二匹を目指し、翼を広げて滑空していった。

 

 鈍く圧し掛かっていた左肩の重力から解放される。一葉は左手に握っているアルデバランを、ギュッと握り直して二人の少女を視野に入れた。

 いつの間にか二人の形勢逆転しており、なのはがフェイトに向かって零距離魔法を放とうとしている。

 二人までの距離は決して近くはない。だが、一葉にとっては遠いい距離では決してなかった。

 一葉は足元に魔力を込める。すると一瞬の内に踵に小さな足場が生まれ、それを思い切り踏み込んだ。

 空中に疑似的な地面を造ることによって、空中戦でも縮地を使えるよう一葉が考えた魔法だ。

 太腿と脹脛にかかる負荷も、実際に地面を蹴るよりも遥かに低い。ただ、どうしても直線的な動きになってしまうが、それでも通常の飛行魔法よりは遥かに速度が出る。

 

 圧しつけるような風の抵抗が身体を突き抜ける。一度の踏み込みで刹那の間に距離を詰めた一葉の耳に聞き慣れた、そして今まで聞いたことのない声が耳に届いた。

 

 「あんたなんか……、いなくなっちゃえ」

 

 砂漠のように感情の乾いた声。この声を、あんなにも人の気持ちに敏感で、心根の優しかった少女が出しているのだと思うと、喉が塞がれたような気持ちになった。

 

 レイジングハートの穂先から迸る、夜の闇を照らす桃色の閃光が吐き出される寸前、一葉は足を振り上げてレイジングハートの柄を蹴り落とした。

 衝撃で照準の狂った魔力の五月雨は全く見当違いの方向へ撃ち出される。射線の先にはユーノとアルフが居た気がするが、まあベヌウがなんとかしているだろう。

 

 一葉はなのはとフェイトの間に入り、なのはを睨んだ。すると、なのはは目に見えてわかるように、ビクリと肩を震わす。

 

 「フェイト、今日はもう帰った方がいいよ」

 

 「で……、でも……」

 

 一葉は視線をなのはにぶつけたまま言うと、躊躇いにフェイトは言葉をどもらせた。

 喧嘩を吹っ掛けた側の居心地の悪さもあるのだろう。一葉も他人の喧嘩に横やりを入れるのは好きではない。だが、一葉はフェイトがさらに言葉を続ける前に、威圧的に声を被らせた。

 

 「いいから。 ジュエルシードはそのまま持って帰っていいよ。 だから、今日はもう帰って」

 

 「……一葉?」

 

 「聞こえなかった?」

 

 先ほどまでとはまるで違う高圧的な態度に、フェイトは動揺した。そして、一葉の友達に喧嘩を売ったことが、一葉の逆鱗に触れたのだと思い、自分が取り返しのないことをしてしまったのだと、直感で悟った。

 

 聞き返すフェイトに、一葉は冷ややかな視線を送ると、見開いた目に涙をためて、顔面を蒼白にして小刻みに震えているフェイトが居た。

 

 「別にフェイトに腹を立ててるわけじゃないよ。 ただ、これ以上ここに居られると話しがややこしくなるんだ」

 

 その言葉に偽りはない。一葉はフェイトに苛立っているわけではなく、自分自身に苛立っていた。

 一瞬、フェイトの傷ついた表情が、なのはと重なって見えた。こうして、なのはを傷つけていたのかと思うと、自分自身を殴ってなりたくなる。

 戦うことしかできなかった自分が、この世界で確かな温もりをくれたのはなのは達の三人と、はやてだった。

 ふと、はやては今どうしているのだろうと思考が影を過る。自分が今、こうして温泉に来ている間も、一人でいるのだろうか。

 あの、孤独な少女が孤独の世界でしか生きるすべを知らないということが、一葉にとって心臓が抉られるほどに哀しかった。

 だが、それでもはやては関係ない。今は、魔法という非現実の世界に足を突っ込んでしまった愚かな自分を呪うべきなのだ。そういう考えが、後にはやてを巡り己を縛る鎖となることを、この時の一葉が知る術を持たなかった。

 

 「わ……、わかった。 ジュエルシードは、くれるんだよね?」

 

 「遠慮せずに持ってっていーよ」

 

 「ありがと……。 アルフ!!」

 

 「あいよぉ!」

 

 フェイトが呼びかけると、地面から威勢のいい声が張り上げられた。その声から察するに、なのはの砲撃の被害は感じさせられない。

 一拍置いてから、アルフはフェイトの傍らに跳び上がり、座りの悪い視線で一葉を見た。

 

 「今日はとりあえず感謝しとくけど、今度会った時は敵同士だよ。 覚悟しとくんだね」

 

 「それはオレの台詞だよ。 さっさと行きな」

 

 「わかってるよ。 フェイト、早く行こう」

 

 アルフはフェイ尾の腕をグッと引き、早くこの場から立ち去ろうと転送魔法を展開すると、フェイトはその反動に逆らうようにして一葉に向かって叫んだ。

 

 「一葉! 今日はこんなのだったけど、次に会った時はもっとちゃんとお話ししよ!? それで……!」

 

 フェイトが言葉を言いきる前に、アルフの展開した転移魔法が実行される。途中で途切れたフェイトの声が、静かな森に木霊して消えていった。

 再び静謐な空気に包まれる中、一葉は再びなのはに視線を向ける。そこには、理不尽を燃やす被害者の瞳を燃やしたなのはが居た。

 

 「なんで!? どうして止めたの!? 私、まだあの子にやり返してな……っ」

 

 なのはの叫びを遮るように、一葉はなのはの横っ面を叩いた。柔らかな肉の感触が過ぎ去ったあと、ジンジンとした熱のこもった痛みが掌に広がっていく。

 なのはは、一瞬なにをされたのか理解できなかったようで衝撃が撃った左の頬を手で押さえながら、キョトンとした表情で一葉を見た。

 

 「残念だよ……、見損なったよなのは。 なのはは人を傷つける為に魔法を知ったの? そんなチンケなことの為に、魔法を使うのか?」

 

 重く、冷たい一葉の声はなのはにはカチンときた。

 

 「チンケなこと!? じゃあ、一葉くんは私のなにを知ってるの!?」

 

 胸の内に溜めこんだ澱を吐き出すように、なのはは叫ぶ。

 

 「私たちをほっといて……、私を殺そうとした人の仲間と仲良くしてっ! 私のことなんか何にも考えてない癖に!!」

 

 なのはが腕と頭を大きく振ると、いくつもの滴が待って月の光に反射した。それは、なのはの瞳から零れた涙だった。

 

 「私のことなんて……、なんにも知らない癖に……! 私はただ……、一葉くんと一緒に居たいだけなのに……!!」

 

 涙を飛沫に舞わせ、引き裂くような慟哭を上げるなのはに一葉は胸を貫かれる痛みを覚えた。

 こんな痛みを知ることになるのならば、最初から出会わなければよかった。友達になどならなければよかった。

 だが、それでもまだ救いはある。今日という日までの間に刻まれた時と思い出は決して消えはしないが、人間とは過去を忘れることのできる生き物だ。まだ幼いなのはの記憶など、後五年、十年すれば霞となって消えてしまうだろう。

 そして、忘れさせる方法は簡単だ。なのは自身に、忘れたい過去という思推に促せばいい。

 傷ついているなのはを、もっと傷つければいいだけの話しだ。

 

 「オレは別に、お前と一緒に居たくないんだよ」

 

 「……え?」

 

 

 ◆◇◆

 

 

 一瞬、なのははなにを言われたのか理解できなかった。そして、理解した途端に頭の中が真っ白になって、景色がぐわんと揺れた。

 

 「もう、友達ごっこはやめにしよう。 正直疲れたし、押し付けがましいところが相当うざいんだよ」

 

 言葉がなのはの心をズタズタに切り裂き、頭は鈍器で殴られたかのような衝撃が撃った。

 吐き捨てられた言葉を、聞き間違いだとどれだけ否定しようとも、一葉の冷淡な面持ちの視線が都合のいい幻想の全てを悉く打ち砕いていく中、一葉はさらに言葉を重ねた。

 

 「旅行中はさすがに取り繕うけど、もううんざりなんだ。 これからオレに話しかけるな。 もう友達でもなんでもない、ただの他人だ」

 

 唾が喉に絡まる。

 そんなの嫌だ。その言葉が出なかった。首を絞められたかのように喉が痛くて、胸が熱い。

 つい先ほどまで炎が揺らめいていたのではないかと思うほど熱かったからだが、急速に熱を失い氷のように冷たくなっていく。寒くて、指先が震えて、それなのに脳味噌だけはまだ焼き切れるように熱かった。

 

 「ジュエルシードも、もう好きにやったらいいよ。 オレはもう関係ないからね。 “高町”がどうなろうが知ったこっちゃないし」

 

 吐き出される言葉が質量を持っているかのように痛かった。いつも通りの名前ではなく、名字で呼ばれたことに、身体ではなく心が痛んだ。

 

 「やだ……よ……、そんな……の……」

 

 ようやく絞り出せた声は、壊れた笛のように掠れていた。

 

 「ごめんなさい……。 ごめんなさい……、ごめんなさい、ごめんなさい……、ごめんなさい……。 お願いだから……、そんなこと、言わないでよ……」

 

 「そういうところがうざいって言ってんだよ。 泣いて謝れば、なんでもかんでも許してもらえると思ってんの?」

 

 一葉が重ねる言葉は、なんども心の中で反響して悲鳴を上げた。じわじわと冷たい闇が沈潜していく。反響が遠い余韻を残して過ぎ去り、なのはの視界が反転した。

 

 「なのはっ!!」

 

 下からユーノの声が聞こえてくる。風を突き抜ける衝撃と腰が浮く感覚が身体を支配し、若草色の柔らかな魔力の塊が背中に衝突すると、初めてなのはは自分が飛行魔法を維持できずに落下していったことを自覚した。

 

 なのはは呆然と空を仰ぐ。今なお、空の上に座す少年は他人を見るように冷たい視線でなのはを見下ろしていた。

 今流れ出ている涙に既に熱はなく氷のように冷たくて、まるで絶望が頬を伝っているかのように思えた。

 そして、ようやく理解する。

 自分は、自分が絶対に失うわけにはいかなかった拠り所を失ってしまったことを。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 なのはが泣いている。そのことが心臓に穴があいてしまうかのように哀しかった。

 ユーノは自分の感情に気付かない振りをしていただけで、本当はなのはを一人の女の子として見ていることに気が付いていた。

 だから、なのはを傷つけて、涙を流させる一葉が許せなかったのだ。だけど、その癖一葉の力に頼らなければならない自分が居る。

 今だってそうだ。ユーノとアルフに降り注いだ質量を共なった桃色の雨は濁流のような黒炎に呑まれて消えた。

 ギョッと、顔を空に仰いだのも一瞬、降り立った夜のような漆黒の怪鳥の姿を見てそれがベヌウだということに気が付いた。

 自分がまたなのはを傷つけている少年の力によって助けられた。自分の無力を突きつけられているようで、胃の底から滲み出る苛立ちに奥歯を噛みしめる。

 結局のところ、自分が原因で魔法の戦禍に巻き込んでしまった少女の力になる術はユーノにはない。一葉にすがるしか手がないことは十分というほどに理解している。

 

 だが、理解していても納得することなどできなかった。ジュエルシードのこともそうだ。まるで自分の持ち物のように他人に権利を譲渡することも、なのはを言葉の刃で切り裂くことも、呆然自失となったなのはが空から堕ちていく様をただ見下ろしていたことも。

 

 なのはが地面に衝突する寸前、ユーノは咄嗟に魔力でクッションをつくった。狙い通りになのははそこに落下し、ユーノは声をかけようとするが、微かに俯かれた横顔を見てグッと喉が詰まった。

 なのはの顔は、青を通り越して死人のように白く染まっていたからだ。その表情は信じていたものに裏切られた絶望の顔、言葉にできない慟哭を胸に抱えてどうしたらいいのかわからない者の表情だった。

 

 緩やかな塵埃を揺らめかせながら、ユーノは地面に降り立った一葉を睨みつける。

 一葉はそんなユーノに冷たい一瞥を送るだけで、甲冑を解除すると直ぐに背中を見せ歩き出してしまう。ユーノはそんな一葉の態度に、血管がはち切れそうなほどの怒りを覚え感情のままに叫んだ。

 

 「待てよ! いったいどういうつもりなんだ!?」

 

 ユーノの怒声は森に何度も木霊して吸い込まれていく。

 一葉はふと足を止めて、身体を半身だけ振り向かせユーノを見た。音のない闇の中、瞬き一つしない一葉の視線は冷たく、そんな瞳を凝視している内に足元から仄かな怒りがさらに沸き上がり毛が逆立つ。

 

 「どうせ聞いてたんだろ? どうもこうも、言葉の通りだよ。 ユーノの言うとおり、おれたちはジュエルシードから手を引く。 後は二人で好きにやってよ」

 

 「僕が言ってるのはそういうことじゃない! なんで、なのはにあんな酷いことを言ったんだ!?」

 

一葉はなのはを傷つけ、今までの関係を否定する言葉は静寂なこの森に響き、ユーノの耳にも届いていた。

 

 「めんどくさくなっただけ。 全部がね」

 

 吐き捨てられた一葉の言葉に、流石にユーノも絶句する思いだった。

 信頼を与えるだけ与えておいて、最後に全てを奪い取る。そんな残酷なことがなぜできるのだろう。こうして信頼も友愛も、なにもかもを壊してしまうのならば、最初から友達になんてならなければよかったのだ。友達なんか作らずに、一人のままでいてくれたら自分と出会うこともなかったし、なのはがこんなにも傷つくこともなかったはずだ。

 

 一葉は冷たい目を崩すことなく、ユーノとの視線を外すと再び背中を向けて、森の出口へと歩き出した。

 すると風を砕きながらベヌウが一葉の肩にとまる。そんな一羽と一人の後姿にユーノは喉を張り上げる。

 

 「待てよ! まだ話しは終わって……!!」

 

 ヒュン、と風を切り裂く音がユーノの言葉を遮る。鼻先に、鋭い刃が突きつけられていた。

胸に押し抱えていた熱が一瞬で冷める。これは鉄ではない。表面がごつごつとして、その奥に小さな光の粒子がある。鉱石だ。

鉱石の刃。一葉はこんなものまでも自らの武器にすることができるのか。

 

「悪いね。 今、結構いらついてんだよ。 それ以上わめくようだったら、ホントに殺すよ?」

 

闇に浮かび上がる背中から発せられる平坦な声に、ユーノは返す言葉を呑みこんだ。

 

 「……もう、いいよ。 ユーノくん」

 

 力のない、のろのろとした声だった。なのはの声だ。

 

「もう……、もう……いいんだ……。 私が……、悪いんだから……。 私が……みんな……」

 

 俯いているなのはの表情は前髪に隠されていて見えない。だが、唇が怯えたように微かに震えていた。

 腕を膝に抱いてうずくまるなのはの白魚のように白くて細い指先は、小さな切り傷で赤く滲んでいる。

 ここに来る道程で、一葉の身を案じて一秒でも早く駆けつけようと小さなな身体を夜の森に晒した結果だ。

 そんななのはの姿を見て、ユーノは暗澹な気持になった。

 これでは、いくらなんでもなのはが報われなさすぎる。

 

 しかし、ユーノはそれ以上一葉になにも言うことができなくて、なのはにもかけてあげられる言葉を見つけることができなかった。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 「先ほどの話し……、高町嬢に対してどこまで本気なのですか?」

 

 「全部だよ。 本気と書いてマジと読む」

 

 「高町嬢は着々と力をつけてきています。 今さら切り捨ててもメリットはないと思いますが」

 

 闇に紛れる枝葉を掻き分けながら、一葉はアルフが作った獣道を歩いていた。辺りは静寂に支配されていて、今は風の音さえも聞こえない。

 今頃、森の奥ではユーノがなのはを慰めてでもいるのだろう。

 

 「下手に力をつけられてもオレにとっては足手まといにしかならないし、アゼルとやり合うんだったらどのみちなの……、高町は邪魔になるだけだ」

 

 なのは、と言いかけて言葉を訂正した一葉にベヌウは胸が衝かれるような気持ちになった。

 一葉は自分で気が付いていないのだろうか。その横顔が闇に沈んだ苦渋に怪しく滲んでいることを。

 ベヌウには、一葉が自棄になっているようにしか見えなかった。自分自身を追いこむことで、今の“緋山一葉”という人格との決別を図ろうとしている。なのはとの決別は、その第一段階に思えた。

 

 「一葉の勝手で、高町嬢との縁を一方的に切るというのですか? それがどんなに彼女を傷つけるのか、一葉が知らないはずないでしょう」

 

 「もう、そうも言ってられないんだよ。 あの日、アゼルと戦った時、オレ中でスイッチの入る音がしたんだ。 オレは多分もう戻れない。 その時になって、高町が近くに居たら今よりも、もっと傷つけることになる」

 

 冷徹に光る目が、痛みと不安で揺れていた。

 ベヌウは喉が引き絞れるほどに苦しくなった。迷わずに、恐れずに強くなれる人間なんていない。人を傷つけずに成長できる人間なんてどこにもいない。

 闇の中で何度も、何度もぶつかって、ようやく人は自分の目指すべき場所にたどり着けるというのに、一葉は一つの人生を跨いでようやく手にすることができた安寧を呆気なく瓦解させてしまった。

 そして、また振り出しに戻って闇の中で彷徨い続けようとしている。

 なぜこうなってしまったのか……、一葉に、れっきとした変化が訪れるようになったのはアゼルという少年が姿を現してからだ。

 

 「私は、一葉とアゼルという少年との関係を聞いていません。 あの少年は、いったい何者なのですか? 一葉は……、魔法の技術はまだはザルですが実力的には私が生きた時代の中でも十指に入ります。 そんな一葉が危惧するほどの力を、あの少年が持っているのですか?」

 

 「まあ、強いよ。 レベルでいうと10だよ、あいつは」

 

 一葉は苦く笑いながら、どこかふざけた口調で応えた。

 

 「茶化さないで下さい。 私は真面目に聞いています」

 

 「オレも真面目だよ。 アゼルがレベル10なら、オレは7か8ってとこだね。 あの二人を荷物に抱えてちゃただでさえ低い勝率がもっと低くなる。 それに、ベヌウだってアゼルの使い魔とやり合ったんでしょ? どうだった? 魔法戦百戦錬磨のベヌウさんの目から見て、あの使い魔の力は」

 

 「……正直言ってしまえば、あの使い魔は異常でした。 本来使い魔というのは術者からの魔力の供給量によって強さが変動するものなのですが、あの使い魔は術者ではない、まったく別の場所から魔力を供給していた。 使い魔じゃなくて、底なしの魔力を持った魔道師を相手にしているようでしたよ」

 

 「ちなみにレベルで言うと?」

 

 「私が10だとしたら、8と9の間ぐらいですかね。 しかし、まだ隠し玉を持っていますよ、あれは」

 

 アゼルに伴っていたあの使い魔は、存在そのものが不自然だった。ベヌウは数千年前とはいえ、今は失われた技術の粋を集めて作られた機械だ。情報戦に特化した機体だが、それでもユニゾン状態ならば小さな次元世界を一夜で滅ぼしたこともある。つまり、ベヌウは兵器として造られた。だが、その兵器を相手にたった一人の人間が使役する使い魔が互角に戦うことなど、本来はあり得ないことだ。

 いや、互角ではない。防御能力に関しては向こうの方が圧倒的に上だった。あれはもはや使い魔ではなく、ベヌウと同じ兵器に近い。

 

 「アゼルもね、オレに近い能力を持ってるんだよ。 オレの能力は可能性の否定と肯定だけど、あいつは空間の保存だったかな。 多分、それを使い魔に使ってるんだと思う」

 

 「……、なぜそんなことを知っているのですか、と聞いてもよろしいでしょうか」

 

 ベヌウは訝しむ声で一葉に尋ねた。旧知の間柄だとは、あの時の二人の様子でわかっていたが、どうやらベヌウが想像していた以上に二人の関係は深いようだった。

 異能や人外は忌み嫌われるのはどの世界や時代でも同じだ。お互いに能力を把握しあっているということは、顔見知り程度の薄い関係などではない。

 そして、ベヌウの質問に一葉は何気なしに爆弾を投下した。

 

 「だって、前の世界であいつぶっ殺したのオレだもん。 と、正直に答えよう」

 

 「……はい?」

 

 唐突なカミングアウトに、ベヌウは頓狂な声を漏らす。微かに聞こえた一葉のはな息が返事だった。

 

 「なんで、そんな重要なことを黙っていたんですか……」

 

 「言っても、言わなくても同じだからだよ。 やることはなにも変わらない」

 

 「確かに、やることはなにも変わりません。 それでも、心の持ちようは違うはずです。 それに、あの少年が一葉と同じ世界の人間だと言うのならば、一葉を蝕んでいるものを抑え込むすべを知っているかもしれない。 高町嬢とスクライアにも、ちゃんと説明すれば協力してくれるはずです」

 

 「無理だよ」

 

 苛立ちを募らせたベヌウの声も一瞬、一葉は微笑を浮かべた。

 

 「手遅れなんだよ……、もう……。 それに、アゼルはもう飲みこまれてる。 アゼル・テスタロッサっていう人間の元の人格は知らないけど、あれはもうオレの知っている男そのものだ。 そして、あれがオレの行く末だよ」

 

 一葉の声に脈動の感触はない。あくまで冷静な声で言葉を紡ぐ一葉に、ベヌウは哀れに思えた。

 なぜ、この少年ばかりが失う。なぜ、この少年ばかりがこうも傷つかなければならないのか。

 普段の、どこか強気で奔放な一葉の面影は、もはや見る影もなくなっていた。

 

 「諦めて……、いるのですか?」

 

 「人生諦めも肝心、ていう格言が地球にはあるんだよ」

 

 「冗談に、聞こえませんよ」

 

 「冗談じゃないよ……。 ほんとにね、冗談じゃないんだよ……」

 

 一葉の視線はベヌウではなく、ここではない遠くの空を見ていてた。まるで死に場所を探す獣のように、遠いい目のように、深い憂いを湛えていた。

 伸ばした手の先さえ見えない闇の道、この夜の森のような未来を、一葉は歩いていた。

 

 

 ◆◇◆

 

 

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