魔法少女リリカルなのは Broken beast 作:やまあざらし
「お待ちしておりました。 緋山様」
「うわ……」
一葉が校門を抜けた時、門扉の影に隠れるように佇んでいた給仕服姿のメイドを見て、一葉は頬の筋肉を引き攣らせた。
そこに居たのはノエルだった。
学校の敷地内からは見えない位置に止めている黒塗りのベンツを背に畏まるノエルは、冷たい視線で一葉を一瞥すると滑るように一歩身体を動かし車の後部ドアを開いた。
「忍さまがお待ちです。 どうぞ、お乗りください」
「全力でお断りしたいんですけど」
「申し訳ありません。 なにがあってもお連れするようにと命じられておりますので」
慇懃、かつ取りつく島のない平坦た声だった。有無を言わさぬその口調から察するに、力づくになってでも身柄を持って来いと命令されたのだろう。
推論にしかならないが、もしかしたらすずかは忍に一族の話しを打ち明けたことを伝えたのかもしれない。下校時刻でないこの時間帯に待ち伏せしていたことがいい証拠だ。
ほんのに、三秒の間に一葉はノエルと冷めた視線と鍔迫り合いを交わした。
知られたくない真実を知られてしまった側と、知りたくもない真実を知ってしまった側。お互いに腹に逸物を抱えている以上、この場での衝突は好ましくない。
どの道、遅いか早いかだけで結果が同じだというのであれば、この場で衝突してしまった時のデメリットの方が大きい.
そんな思考が諦念の彼岸に達し、一葉は大きく息を吐くと降参を示すように両掌を上げた。
「……わかりました。 行きましょ」
「助かります」
「ただ、ちょっとだけ待ってもらえますか?」
「……なんでしょうか?」
「直ぐに済むんで」
訝しむノエルの視線を無視して、一葉は親指と薬指で輪っかをつくり、それを舌の根につけて思い切り吹いた。
すぼめられた唇から甲高い音が空を貫き、飲みこまれる頃、黒い影が風を切って飛んできて一葉の左肩にとまった。
今のは、ベヌウのあらかじめ決めていた合図だ。魔法を知らない人間の前でベヌウを呼ぶ場合、念話では不自然さがどうしても生じてしまう為の演技だ。
静観の猛禽の双眸は、肩から「また、面倒事に巻きこまれて」と言いたげに咎めた目つきで一葉を見ていた。
一葉はそんな視線を頬にちくちくと感じながらも、ノエルから視線を外すことはしなかった。
「学業の場にペットを連れてくるのは関心致しませんね」
「すいません。 やたら懐かれたみたいで勝手についてきちゃうんですよ。 ここに置いてくわけにもいかないんで、こいつも連れて行っていいですか?」
「構いません。 どうぞ、お乗りください」
ノエルは右手で一葉に車に乗るように促すと、一葉は軽く頭を下げて車に乗り込む。
後部座席の、一番奥で腰を下ろすと静かにドアが締められた。
車内は特有の埃臭さはなく、代わりに柔らかな花の香りで満たされており、窮屈さを感じさせない広い造りになっている。
『吸血鬼の家にご招待……か。 なんかB級ホラー映画みたいだね。 映画だったら、この後どういう展開になると思う?』
『知りませんよ。 どうなるか決めるのは、一葉の行動次第でしょう』
ベヌウは一葉の肩から膝の上に跳び下りながら、つっけんどんに答えた。
『なに? 機嫌悪いね』
『当り前です。 なぜ、一葉はわざわざトラブルを引き寄せてくるのですか。 貴方が今やるべきことは血を吸う化け物たちのねぐらに行くことではないでしょう』
『トラブルってのは突然やってくるからトラブルって言うんだよ。 今回は、オレに落ち度はないと思うんだけどねぇ……』
一葉は鼻で息を吐きながら、苦い笑みを浮かべる。
確かにジュエルシードとアゼルに関しては自分から首を突っ込んで行ったが、今回のことは一葉に落ち度はない。すずかの気持ちを無碍にしようとした結果として、こんな事態に陥ることなど予想できるはずもなかった。
『しかし、不可避というわけではなかったはずです。 月村嬢だけではありません。 中途半端な優しさは、傷を深くするだけです』
『わかってるよ。 もう、傷つけることでしか、これ以上誰も傷つけない方法がないってことぐらいさ……』
一葉は窓に肘をついて視線を外に移した。低いエンジン音が車内に振動し、車が静かに動き出す。
『最初はさ、逃げ道を作っておきたいっていう甘い考えがオレのどこかにあったんだ。 だから、いつもギリギリのところで甘えが出た。 その結果がこれだよ。 遅かれ早かれ決着をつけなきゃいけないんだったら、それが今でも変わらないでしょ?』
『変わります。 一葉は全ての手が塞がれたというわけではありません。 まだ、ジュエルシードがあります』
『……は?』
ベヌウの言葉に、一葉は窓の外で流れていた景色からベヌウに視線を移すと、膝の上で真剣な面持ちで見上げるベヌウと視線がぶつかった。
『ジュエルシードが真に願いを叶える代物だとうのなら、一葉はジュエルシードに願えばいいだけの話しです。 今のままでありたい、と。 そうすれば、きっと……』
なんだ、そういうことか、と熱のこもった口調で言葉を続けるベヌウを突き離すように一葉は言葉を被せる。
『ジュエルシードは欠陥品だよ。 ドラゴンボールじゃあるまいし、なんでも願いをかなえる都合がいいものなんて在るはずないでしょ』
『……っなぜわかるのですか!? 調べもせずに!!』
最初から決めつけた口調で言う一葉に、ベヌウは憤りで声を荒げた。
なにもかもを諦めた諦念が、一葉から自棄の言葉を紡がせているのだと思い、喉元に押した熱を吐き出した。
愚者は自分が賢い者だと思い込むが、一葉は自分が愚者であるということを知っている。まるで死を悟った老人のように、一応はあらゆる理不尽に対して寛大だった。
運命というのものを抗いもせずに、ただ受け入れることに慣れてしまっている。
そんな一葉の生き方は、千年を超える時間を積み重ねたベヌウにとっては到底許し難いことであった。
だが、一葉はそんなベヌウの思推を否定するかのようにさらに言葉を続ける。
『わかるんだよ、そういうのは。 ジュエルシードは願いを叶える器じゃない。 どちらかというと、想像を具現化させる代物だと思う』
一葉の能力は可能性の否定と肯定。そして、能力を実行させるに必要な工程は事象の把握、分析、理解だ。そこに空間、物質、無機物、有機物の括りはない。
一葉はジュエルシードに初めて触れた時から、既にジュエルシードの本質を知っていた。
『まあ、想像の具現化は願望の具現化とは言えなくもないけどね。 だけど、オレたち三次元の存在が二次元の存在に干渉できないみたいに、そこには絶対的な隔壁がある。 ジュエルシードはね、所詮は平面に想像を具現化するだけであって、その効力は世界に干渉まではできない。 確かに、ジュエルシードには膨大な力が込められてるけど、あれは力の指向性がまるで違うよ』
『……』
『最初にあった靄の塊みたいなのは、多分微生物みたいなものが大きな身体を欲しいって願った結果だと思う。 神社の犬は主人を守る為に強い身体が欲しい。 樹が街を飲みこんだときは、ずっと一緒に居たいっていう想像が二人を樹の中に閉じ込めた。 スッポンのときは……、ベヌウはいなかったけ。 まあ、あの時は目の前に餌を出すんじゃなくて自分の身体を狩りに適した形に変貌させた。 どれもこれもさ、生物学的にも生態学的にも有り得ないものだよ。 つまりね、ジュエルシードは別に願いを叶える代物じゃなくて、持ち主の想像を最も安易な形で具現化させる失敗作なんだよ』
そう、ジュエルシードは術者の身体に作用するだけであって空間や、世界には干渉し得なかった。
そんな中途半端なものは、願いを叶える器と呼ぶには弱すぎる。
『ま、ほとんどは推論だけどね。 でも、もしもオレがジュエルシードに今のままでいたいって願ったろころでオレの主観の時間が止まるっている結果は見え見えだよね。 多分、植物状態とかになっちゃうんじゃないかな』
一葉の言葉に、ベヌウは喉元で渦巻いていた熱が引き波のように冷めていき眩暈を覚えた。
ベヌウにとってジュエルシードは最後の希望だった。
一か八かの賭けになるとは漠然と考えていたが、これでは賭けにすらならない。最初から勝負が決まっているわけではない。そもそも賭け金を持っていなかったのだ。
『ユーノは多分、このことは知らないだろうね。 知る必要もないだろうし。 でも、アゼルは気がついてるはずだよ……。 その上で、ジュエルシードを集めてる』
『なぜ……、そう思うのですか?』
断言した一葉の口調に、心が鉄のように冷たく沈んで行く中でベヌウは喉元から声を絞り出すように尋ねる。
すると、一葉は再び視線を窓の外に移し、静かな口調で答える。
『あいつはね、無知でも馬鹿でもなかったけど愚直な人間だったからね。 やろとしてることぐらい直ぐにわかったよ。 それに、アゼルの能力とジュエルシードの力が組み合わされば、ちょっと厄介なことになると思う。 それに、アゼルが目的を達することだけは絶対に止めなきゃいけないしね』
『アゼル・テスタロッサの目的……。 一葉は知っているのですか?』
『うん。 あいつの考えそうなことだよ。 多分、本当にアゼルがやらかしたら世界が許してくれないだろうね』
一葉は言ったん言葉を区切ると、大きく息を吐いてシーツの背もたれに体重を預けた。
『どの道さ、オレが変わろうが変わるまいがあいつと殺し合うことには変わんないんだ。 戦いの中でオレが変わっていくってんなら、つまり最初から詰んでたんだよ』
今こうして話している間にも、心の奥底にある洞の深淵から自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
その声に気がついていしまった以上、もう元に戻ることはできない。
もうすぐで自分は声に呑まれて消え、緋山一葉の皮を被った怪物が生まれる。
平成の世の安寧で生きてきた一葉にとって、魔法世界という新たな戦場は飢えた虎に肉塊を差し出すことと同義だ。
もしかしたら今の状況は、血と戦いを渇望する身の内に込み上げる欲望に負けてしまう前に、緋山一葉がつけなければならない決着はつけなければならないのかもしれない。
運命が歯車のようなものだとしたら、きっとなにもかもが最初から組み上げられていたのだ。
すずかのことだって、きっと……。
◆◇◆
『ねえ、忍とすずかに久しぶりに会えるのは嬉しいんだけど、私が“緋山一葉君”って子に会う必要、本当にあるの?』
鈴を鳴らしたような凛とした声が、受話器の向こうから聞こえてくる。忍は親機に繋がれた電話のコードを指先でくるくると弄びながら答える。
「会う必要があるかどうか、会えば多分わかるわよ」
『ふーん……』
曖昧な相槌が耳に響く。
電話の相手はさくらだった。先ほど海鳴市に入ったということで電話をくれたのだ。
すずかは家を出て一時間ほどしか経っていない。本来ならばさくらは夕方辺りに到着するよ手だったのだが、抱えていた仕事が予定よりも早く片付いて、昼前には来れるそうだ。
受話器の向こう側ではさくらの声の後ろからエンジンが振動する音が聞こえてくる。おそらく、今も車で移動中なのだろう。
「詳しいことはこっちに来てから話すけど、口で言っても彼のことは伝わらないと思うわ。 だから、さくらさんを呼んだのよ」
会話の内容の主題は一葉についてだった。
緋山一葉。小学三年生で、すずかの同級生。それ以上は特筆することがないような平凡な少年というのが忍の印象だったのだが、その身に棲まわせたおぞましい秘密を忍は知ってしまった。
温泉旅行で見た、一葉の影は無数の鎖に縛られ、銛を撃ちつけられ身を拘束され血を流しながらも角を閃きかせる強靭な雄牛に見えた。まるで憎悪と殺意の塊、人の心の底にある闇を具現化したかのような禍禍しさは、言葉で表現する方法を忍は知らないし、伝えられた側もきっと理解できない。
そもそも、あれは理解するものではないのかもしれない。目で見、肌で感じ、理屈を通り越して納得するものだ。
あの少年は、自分たちとは違う世界で生きているのだと。
「それにね……、一人で一葉君になる勇気が私にはないの。 正直に言って、怖いもの」
『怖い、ねぇ……。 怖いもの知らずの忍も変わったものね』
「私だって命は惜しいわよ」
率直な意見だった。
忍は手にしていた受話器を火誰手から右手に持ち変え、壁に背中を預ける。
忍しかいない広いリビングはやけに声が大きく響く。微かに開いた窓の隙間から、夏の入り口の温かな日差しと風が入り込んでくる。
長テーブルに置かれていた朝食の残骸は既にノエルが片づけており、一輪挿しの花瓶に赤い薔薇がいけてある以外に他に生の気配はない。
ファリンは買い物に外で出ているし、ノエルは四人で暮らすには広すぎるこの家の家事に追われている。
人目を避けるように建てられたこの館は街の喧騒や住宅街の姦しさとは無縁で、常に妙な静けさと寂しさが漂っていた。
その家で、忍は胸が締め付けられるほどの寂しさを抱えながら歳を重ね成長してきたのだ。
窓の外から見下ろす街には人々の触れ合いがあり、人の優しさや温もりがあるというのに、温度のない冷え切ったこの家に閉じこもり、自分に隠された醜さがみんなを怖がらせてしまうのではないかという恐怖に怯えながら過ごしてきたのだ。
だが、思い返せばこの家も随分と変わったものだ。
ほんの数年前までこの家は温度の死んだ薄ら寒いものだったのに、恭也のと出会いが全てを変えた。
比喩などではなく、恋が忍の取り巻く世界の全てを変えたのだ。
閉鎖された世界は惰性の延長で、永遠に続くかのような退屈の中で人生は長すぎると幾度悲観しただろうか。
生まれ落ちてしまったその日から宿命づけられた運命という鎖。他者とは違うおぞましさ。
蔑みと畏れの視線から逃げるように生きなければならない屈辱。
なにもかもが最初から決められた人生の諦念の彼岸から引っ張り上げてくれたのは、恭也との恋だった。
恭也は御神の剣士としてではなく、忍を夜の一族としてではなく、一人の男として忍を愛し、忍も一人の女として恭也を愛した。
なにもかもを知り、納得した上で忍の愛を受け入れてくれた。まるでなんでもない、振るうの男女の恋愛のように。
恭也が自分の剣に永遠の愛を誓うとか言い出した時は、そのくさい台詞が恥ずかしくてつっけんどんな態度をとってしまったけど、本当は踊り出したいくらいに嬉しかった。
絶対に言葉なんかにはしてやらないけど、泣きたいほどに嬉しかったのだ。
その日から、忍を取り巻く世界が変わった。
自分の境遇を諦めるのではなく前向きに受け入れるようになり、恭也の妹がすずかと親友になったことをきっかけに、肌寒かった家は人の笑顔で溢れるようになった。
全ては恭也のおかげだ。だから、忍は心の中に密やかな誓いを立てていた。
恭也が自分を守るというのなら、自分は恭也を守ってみせる、と。
『命が惜しいって……。 貴女、そんな相手と契約するつもり?』
さくらの重い言葉が耳朶を打つ。なにかを危惧するような、それでいて咎めるような口調だった。
「まさか。 すずかの手前、見せかけはするけど私は一葉君と契約する気なんてさらさらないわよ」
自分で言って、忍は心臓がギュッと縮まった。
一葉は危険だ。だが、だからこそ利用価値がある。
忍にそう考えさせるのは、氷室の存在があったからだ。
夜の一族が影の世界で生きることをよしとはせず、もっと表立って活動すべきだと主張していた過激派の筆頭。
数年前に忍を亡き者にしようとしたが失敗に終わり、今日まで身を潜め続けている。
一時は死亡説まで流れたが、最近になって香港マフィア“龍”との接触が確認された。
氷室は腐っても夜の一族だ。それも、直系の濃い血を継いでいる。もし、“龍”と本格的に手を組まれたら忍にとって大きな災いが降りかかることは容易に想像できる。
そして、その災いにすずかと恭也が巻き込まれることも。
そのタイミングで、緋山一葉の存在だ。これはもはや、神の采配としか思えなかった。
もし、一葉を飼いならすことができれば……と。
『忍……。 あんた、まさか……』
「一葉君は契約じゃなくて、“従属”させる」
忍の言葉に、受話器の向こうから息を飲む音が聞こえてきた。
“従属”とは夜の一族が百年以上も前に封じた禁忌だ。それを一族の長たる忍が自ら破るなど、決して許されることではない。
なによりもこれは、すずかに対する裏切りだ。
自分がなにを考えているのかを知ったら、すずかは自分を蔑むだろうか?
罵るだろうか?
軽蔑し、憎むだろうか?
『ちょっと、自分がなに言ってるかわかってるの? 従属は……』
「わかってるわよ。 私は全部理解したうえで喋ってるわ」
さくらの強張った声に対して、忍は冷静な口調で応えた。
既に決意は固めてある。胸に灯った静かで冷たい炎は、もはや消すことはできない。
傷つけてでも守ってみせる。自分が立てた誓いも、すずかも。
それで軽蔑されるのならば、憎まれるのならば構わない。
忍は最初から赦しなど求めていなかった。
『……もうすぐでそっちに着くわ。 家で落ち着いて話し合いましょう』
さくらの声色からは親しみが消え失せ、代わりに圧しこめるような厳しさを孕ませていた。
それは禁忌を犯そうとする忍へ対する怒りか、それとも十にも満たない幼い少年の人生を奪おうとしている義憤からか。
どっちにしろ、忍は自分の提案がさくらにすんなりと通るとは思っていなかった。
「そうね……。 じゃあ、一旦切るわ」
忍はそう言うと、会話を打ち切って受話器を置いた。
自然と口からため息がこぼれる。
自分は間違ったことをしていないなどとは思わない。そんなこと、思ってはいけない。
自分は傲慢で、残酷な人間だ。
従属は契約と違い、相手の尊厳を悉く奪う行為だ。大切なものを守りたい。そんな独りよがりで浅ましい願いの為に、自分は妹の親友さえも利用しようとしている。
自己嫌悪で吐き気がした。頭の中を素手で掻きまわされるような不快感と、心臓を絞り上げられる苦しみを払拭するかのように髪をかき上げると、玄関の扉が開いた音が耳に届いた。
まさか電話を切った直後のさくらが来たはずもないし、ファリンも買い物に出てから時間はそんなに経過していない。
となれば、思い浮かぶ人間は一人しかない。
忍はいつもよりも重く感じる足を玄関に向けた。観音開きのリビングの扉を開けると、長い廊下の先の玄関で丁度靴を脱いだばかりのすずかと目が合った。
「すずか……。 貴女、学校は……」
「お姉ちゃん。 私、一葉くんに全部話したよ。 夜の一族のことも、私たちが吸血鬼だってことも」
忍の言葉に被せてすずかの口から衝撃的な言葉が飛び出た。
一瞬頭が真っ白になって、途端に心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃が忍を襲う。
「……っ!? どうして!?」
「だって!!」
激昂する忍の声を遮るように、すずかは一度だけ忍以上の怒声を張り上げた後に落ち着いた口調で薄い唇を動かした。
「だって、フェアじゃない。 一葉くんはなにも知らないのにいきなり呼び付けて巻きこもうとするなんて、そんな不意打ち卑怯だよ」
すずかの声色はいたって冷静を努めているが、白いスカートの裾をギュッと握りしめ、表情は鬼気迫るものがあった。
苦しそうな光を滲ませる瞳は睨みつけるように忍を見上げている。
その視線は、咎を責める被害者の目つきそのものだ。そんなの厳しい視線に、忍は出かかった言葉が喉もとで引っかかった。
「そもそも、お姉ちゃんおかしいよ。 ついこの間まで一葉くんを忘れろって言ってたくせに、今日になっていきなり契約のことを言うなんて。 お姉ちゃんがなにを考えてるかなんてわからないけど、私だって馬鹿じゃないんだよ。 お姉ちゃんは契約とか、記憶を消すとかじゃない、もっと別のことを考えてる」
「それは……」
鋭すぎるすずかの言葉に、忍はたじろいだ。
正直、すずかを侮っていた。すずかが一葉のことを憎からず想い始めていたのは知っていたし、なによりも今の均整が崩れることをすずかは恐れている。
一葉の記憶を消すというのは、すずかに関する思い出が全て改竄されてしまうということだ。同時に、改竄されるのは記憶だけでなく人間関係も然り。
今まで重ねてきた時間とともに培われた信頼、友愛、情愛、その全てが永劫失われうということは、永遠の決別を意味している。
ここまで話がこじれてしまった以上、それを避ける選択肢はもはや契約しか残されていない。
忍は契約という餌をすずかの前にぶら下げれば、直ぐに食いついてくると思っていたのだ。
だが、すずはか忍が思っていた以上に聡明で、自分の機微に敏感に気がついていた。
「お姉ちゃん……。 お姉ちゃんは……、一葉くんをどうしたいの?」
苦しそうに眉根を寄せ、瞳を潤ませながらすずかは透明で薄い言葉で尋ねてくる。
すずかの、忍を見る視線には陰りが帯びていて忍は息ができなくなるほどに胸が苦しくなった。
一葉をどうするかなど、そんなこと少なくとも全ての事が終わるまですずかに教える訳にはいかない。
自分がなにをしようとしているかを知るにはすずかはまだ幼すぎた。
忍は手を固く握り、浅く息を吐いた。
「すずか……。 ごめんね」
「え?」
刹那、すずかの視界は暗転して奈落の底に落ちていくかのように意識が遠のいていく最中、すずかが最後に見たものは触れれば崩れ落ちてしまいそうな忍の寂しげで、今にも泣き出してしまいそうな忍の顔だった。
◆◇◆