魔法少女リリカルなのは Broken beast   作:やまあざらし

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33!

 __あ、目が覚める。

 

 深いまどろみの海から浮上してくる意識の中で、すずかは閉ざされていた瞼をゆったりと開いた。

 目覚めたばかりで眼球が湿っているせいで視界が霞む。低い血圧で鉛のように重たい頭を持ち上げるように身を起こすと、身体中からポキポキ関節が軋む音が響く。

 朦朧とする思考であたりを見まわと、そこは自分の部屋の、自分のベッドの上だった。

 

 自分は一体いつから眠っていたのだろうと、混濁する記憶を探る為に頭の中を整理しようとすると、ふと窓から差し込む黄昏に意識が向いた。

 

 蜂蜜を溶かしたように部屋を染め上げる西日の輝きは、室内に舞う埃をもキラキラと反射させていて眠りのせいで大きく狂ってしまったすずかの体内時計の針でも、今が夕方であるということあわかり、同時にそれを頭で理解した途端に冷や水を頭からかけられたように意識が完全に覚醒した。

 

 __うそ!?

 

 すずかはベッドから飛び降り、窓の外を齧り付くように見る。

 出窓から見える景色は、街の隙間に窮屈そうに沈んで行く緋色の太陽があった。まだ宵の明星も出ていない日の入りだ。

 顔に感じる太陽の熱が氷を溶かしていくようにすずかは意識が途切れる直前の記憶が脳裏に蘇ってくる。

 

 一葉と重ね合わせた唇。

 芳香な血の香り。

 初めて舌を濡らした鉄の味。

 体に流れる血に縛られた宿命を一葉に打ち明けたことと、忍にそのことを話したこと。

 意識を失う直前、すずかの目が映したものは哀しげな微笑みを浮かべる忍の顔だった。

 その表情は寂しそうで、触れれば壊れてしまうそうなほど儚げで、なぜ忍がそんな表情をしていたのかすずかにはわからない。

 だが、あの時の忍の目が血の赤に染まっていたことははっきりと覚えていた。

 

 眼球の変色は、一族が特殊能力を行使した場合に起こる現象だ。

 忍は魔眼の力を使ってすずかを昏睡させた。

 なぜ忍がそんなことをしたのか、聡明なすずかの頭は瞬時に答えを弾き出す。

 簡単な話しだ。すずかが居ては都合の悪いことを一葉にする為だ。

 

 燃えたつ衝動に、冷や水をひっかけられたように焦燥と取り返しのつかない絶望が同時にすずかに襲いかかる。

 自分が間抜けに眠りこけていたことに、頭の中で後悔が黒い渦を巻き胸が締め付けられる。

 だが、今は後悔に足を竦ませている時ではない。

 さくらが月村邸を訪れるのは夕方だと聞いていた。ならば、一葉の招待する時間もそれに合わせるのが当然だろう。

 日の入りが始まったばかりの今ならば、もしかしたらまだ間に合うかもしれない。

 

 すずかは皺くちゃの制服のまま、転がるように廊下に飛び出た。窓から差し込む黄昏に彩られた廊下は痛みを感じるほどに冷たく、張りつめている。

 抑圧されたものが一気に弾け飛ぶような勢いで走るすずかは、廊下の角を曲がろうとした時、出会いがしらで身体に衝撃が突き抜けた。

 

 「ひゃっ!?」

 

 ファリンだ。

 顔面を蒼白にしているすずかを、ファリンは目を丸くして見下ろす。

 

 「すずかちゃん? 目を覚まし……」

 

 「ファリン! お姉ちゃんは……! 一葉くんはどこ!?」

 

 ファリンが言葉を言い終わらない内に、すずかはファリンの給仕服の裾を掴み感情を剥き出しにして声を張り上げる。

 険しい声に肩を震わせるすずかを見て、ノエルは一瞬なにかを言おうとして躊躇い、気まずそうに視線を泳がせた。

 

 「ファリン!!」

 

 すずかの胸に強い苛立ちを焦りが炎のように燻ぶる。

 糾弾するような棘だらけの声を荒げファリンの睨みつけると、ファリンはすずかと視線を絡ませるとなく、気まずそうに口を動かした。

 

 「一葉君は……、もう帰りました。 今は舌で忍ちゃんとさくらさんが今後の話しを……」

 

 ファリンが言い終える前に、すずかはファリンを突き飛ばし再び走り始めた。

 後ろからファリンが呼びとめる声が聞こえてきた気がするが、それを振り切る為に階段を飛ぶように降り、すずかは中二階の踊り場で思わず足を止めた。

 

 「……さくら叔母さん」

 

 母の妹がそこには居た。

 自然とすずかを見上げる形になってしまっているさくらの表情は、心なしか疲労の色が滲んでいた。

肩には品の良いショルダーバックが下げられていることから、きっと今から帰るところなのだろう。

 すずかは乱れる息を整え、一呼吸置いてからさくらに尋ねた。

 

 「叔母さん……。 一葉くんは……?」

 

 「とっくに帰ったわよ。 彼、すごい子ね。 いったいどうやって知り合ったのよ?」

 

 どこかふざけた口調で、唇を緩めながらさくらは言う。だというのに、すずかを見る視線には憐憫が込められていて、すずかは理解してしまった。

 

 時は既に遅かった。自分は、間に合うことができなかったのだ。

 信じていた姉から取り返しのつかない裏切りを受け、それを目の当たりにしてしまった現実に、すずかは真っ暗な闇に突き落とされような気持ちになった。

 視界が眩んで倒れそうになり、咄嗟に階段の手すりにもたれ掛かる。

 

 そんなすずかを見て、さくらは気遣うような声色で言葉を続けた。

 

 「あの子との話しあいの経緯は忍に聞きなさい。 私はその場には居たけど、本当に居ただけだから口出しできる立場ではないし、これから帰って大至急やらなきゃいけないことがあるのよ」

 

 自分の愚かさと無力さの自責に、胃をキリキリと締めあげられ喉が苦しくなった。

 

 「ねえ、すずか。 忍を責めないであげて。 あの子はあの子で必死だったし、すずかの望みも叶えてあげようとしてた。 ああなってしまったのは誰もせいでもないし、どうしようもなかったのよ」

 

 「……」

 

 冷え冷えとした空虚に詰め込まれた恐怖が稲妻のように駆け抜け、すずかの胸にくっきりとした足跡を残していく。

 喉が裂けそうになるほど熱くて、苦しくて、それでも言葉を発することもできずに震える足で腰を抜かしてへたり込んでしまうのを必死に堪えた。

 

 さくらはきっと大事は事を話している。なのに、すずかの耳からさくらの声は小さくなっていき聞こえなくなってしまった。

 今、すずかにとって重要なのは、一葉を失ったという突きつけられた現実だけだ。

 

 いや……、違う……。失ったわけじゃない。

 奪われたのだ。

 

 唐突に、理不尽に、自分が願い渇望した人との絆を粉々に砕き、足蹴にされた。

 ならば、奪ったのは誰だ?

 

 ばらばらになった世界の欠片が一つに集まるように、すずかの思考は一つの結論に行き着いた。

 眩暈に揺らいだ視界も、はっきりとピントが合う。

 

 「叔母さん……。 お姉ちゃん、どこ?」

 

 「ん? 忍なら、まだ奥の応接室に居るわよ」

 

 「わかった。 ありがとう」

 

 すずかは落ち着いた口調で尋ねながら、数瞬前前には考えられないほどしっかりと静かな足取りで階段を再び下り始めた。

 

 さくらは、階段を下りるすずかの表情を見て安堵した。

 混乱と恐怖が蒼白に染め上げていたすずかの顔色はすっかりと色を取り戻し、氷の妃のように冷静な面持ちを取り戻していたからだ。

 すずかは幼いと言えど、夜と一族の直系なのだ。今は若さの衝動に惑わされてはいるが、それでも心の内奥には保身のために他者を切り捨てられる冷酷さと冷徹さを潜ませている。

 一度は結んだ絆でさえ、結ぶことよりも解くことの方が簡単なのだと知っている。

 さくらは、すずかの表情をそう勘違いした。

 

 「時間がないから私はもう行くけど、喧嘩するんじゃないわよ?」

 

 「わかってる。 気をつけてね」

 

 さくらは一抹の不安も残すことなく、玄関へと姿を消していった。

 

 さくらの想像の通り、今のすずかは夜の闇のように冷静だ。

 冷静に、怒っていた。

 

 引き裂かれた心臓から流される血が燃え上がるような激しい怒りではなく、冷え冷えと燻ぶる青白い鬼火のような炎がすずかの胸の内で出口を求め彷徨っている。

 

 さくらの後姿を見送った後、すずかはさくらに教えられた通りの部屋へと足を向けた。

 長い廊下の突き当たりにある、普段は貝のように硬く閉ざされた重厚な扉が僅かに開いている。

 

 「お姉ちゃん。 入るよ」

 

すずかは最低限の礼節として、扉を二回叩いてからドアノブに手をかけ、扉に隠されていた光景に目を疑った。

 

 「なに……これ……?」

 

 すずかの薄い唇から戸惑いの声が零れる。

 すずかの視界に入ったものは、部屋に群生する両刃の刃だった。

 絨毯から直接生えた黒い刃の篠は部屋全体に生い茂っているわけではなく、雨の後の竹林のようになにかを狙い澄ましたかのように二か所だけに集中的にシャンデリアの光を反射させていた。

 

 いったい、ここでなにがあったのだろう。

 刃の篠は論ずるまでもなく異能の産物だということはわかった。だが、こんな能力をすずかは聞いたことも見たこともない。

 未知なる力を目の前に顕現させた者、それは一体誰なのか……、そんなの決まっている。

 ここに居たはずの、最後の一人だ。

 

 「一葉君よ……。 これをやったのは」

 

 部屋の光景に目を奪われていたすずかは、忍の声にハッととした。

 忍は部屋の中心にある応接テーブルに腰を下ろしたまま、なにをするでもなくただそこん座していた。

 垂らされた前髪のせいで表情を伺うことはできないが、声色からは先ほどのさくら以上の疲労が蓄積されているように思える。

 

 「なにがあったの?」

 

 すずかの胸の内に灯る炎は気がつけば戸惑いに変わっていた。

 忍しかいない部屋に足を踏み入れ、すずかの身長ほどもある黒い刃に手を触れると、それだけで皮膚の表皮が裂かれ血が滲む。

 

 「なにがあったかなんて……、そんなこと私が知りたいわよ」

 

 忍から奪うのは自分だったはずだ。

 なのに、忍は既になにもかもを奪われ疲労しきっているような表情にすずかは戸惑った。

 

 

 忍からしてみれば、一葉との一連は性質の悪い冗談か、悪夢のような出来事としか思えなかった。

 突きつけた牙はいつの間にか、自らの首筋に突きつけられ生殺の与奪権を全て剥奪されていたのだ。

 

 「ノエルは大怪我をしたわ。 ねぇ、すずか。 一葉君が何者なのか、知っていたら教えてくれない?」

 

 「一葉くんは……、一葉君だよ。 きっと、それ以上でもそれ以下でもないよ……」

 

 すずかの言葉に、忍は溜息ともとれる相槌を打った。

 元々、明確な答えを期待して問うたわけではない。一葉の処遇は既に忍の手を離れてしまった。

 突きつけられた脅威に、さくらは手勢を整える準備向かい、忍も僅かでも一葉が敵対する素振りを見せるのであれば看過することはできるはずもない。

 忍にとって、一葉の不可解な能力も、ベヌウと呼ばれたあの鳥ももはや存在自体が脅威としか感じることができなかった。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 一葉の声が耳朶を打った刹那、鋭い風が頬を通り過ぎただけかと思った。

 前触れもなく踏みしめ慣れた絨毯から飛び出した刃は黒い軌跡を残して大気を突き刺す。

 僅かに掠った忍の衣服が宙に舞い、突然の事態になにが起こったのかと自問しても答えなど出るはずもなかった。

 

 絨毯から突き出る何振りもの刃は針を通すかのような繊細さで忍とさくらの身動きを固定する。

 脇と股の間を貫く刃は立体の昆虫標本のように二人の身体を固定したにもかかわらず、微かに服を裂くだけで体に傷をつけることはしなかった。

 

 「忍様!!」

 

 忍とさくらの後方に佇んでいたノエルが押し出すような悲鳴にも似た声を上げ、ガーターベルトに潜ませた手投げナイフを流れるような手つきで指股で引き抜き一葉に襲いかかる。

 だが、地面か蹴りあげた瞬間にノエルの視界は黒い影に覆われ肩に鋭い激痛が走った。

 

 食い込む痛みは骨まで達し、肩が悲鳴を上げる。

 黒い影は重力のままにノエルを地面へと圧しつけた。

 

 「か……はっ……」

 

 ノエルは受け身も取れず、衝撃が背中を突き抜けた。

 肺にため込まれた酸素が一気に口から吐き出され、喉が咳込む。

 揺れる視界と思考の中でも、鉤爪のような鋭い痛みはぎりぎりと肩に食い込みながらもノエルは現状を把握するために影に意識を向け睨みつけた。

 

 「____!?」

 

 意識が、凍った。

 そうとしか思えないほどにノエルは影から目が離せなくなってしまった。

 

 黒い嘴、黒い翼、黒い爪。

 なにもかもが見ているだけで飲みこまれてしまうような漆黒に彩られた巨躯で唯一エメラルドに怪しく輝く双眸が、獲物を狙う猛禽のそれのように冷たく見下ろしていた。

 

 こんな生き物、見たことがない。

 

 それは胸を突くほどの特異さ。

 夜の闇を切り取ったかのような色をする鳥は、生まれながら夜の一族と密接にかかわってきたノエルでさえ言葉を失うほどだった。

 

 「動かないで下さい。 動けば貴女でなく、貴女の主を殺します」

 

 初めて聞く声が耳に届く。

 氷のように冷たくて、澄んだ綺麗な声。

 その声の持ち主が、自分を抑え付けている怪鳥だと一瞬遅れて気が付いた。

 

 「最大の好機は最大の隙。 一つ勉強になったでしょ?」

 

 今度は平坦な声が部屋に響く。

 これは一葉の声だ。不愉快そうに目を細める一葉は、自らが作り上げた刃の檻に閉じ込めた忍の前に悠然と立つ。

 数瞬前まで、忍の魔眼に魅了され身体の自由を奪われていたはずだというのに、そんな様子は微塵も見せない振る舞いで鳶色の瞳で膝をつく忍を見下ろしていた。

 

 「どうして私の魔眼が効かないのかしらね? それに、あの鳥は一体なんなのか聞いてもいいかしら?」

 

 一見、冷静を保っているように見える忍だが、内心では激しく動揺していた。

 凶暴な野良犬のような苛立ちの籠った一葉の視線に気圧される。そして、これ以上何かをする素振りを見せないということが、忍の不安をいっそうにかき立てた。

 

 「すずかのを見たって最初に言ったでしょ。 同じ技に二度かかるほど、間抜けじゃないんですよ」

 

 一言、一言、噛んで含めるように、一葉はねっとりと忍に告げる。

 手は冷たく強張り、全身に気持ちの悪い汗が噴き出てくる。身動きが取れないこの状況で、ただ見下されている間も嫌な想像ばかりが浮かんで胃が捻じ切れてしまいそうだった。

 

 「相手を見ただけで動きを封じるんだったら、それは物理的な拘束じゃなくて精神的ななにかに作用するもんだってのは簡単に想像ができる。 予想だけど、すずかからその魔眼てやつを受けた時に、“動けない”っていうよりも“動いちゃいけない”って感覚があったから、目が変色した時に一種のサブリミナル刺激が出てるんじゃないかな。 魔眼なんて格好いい言い方してるけど、蓋を開ければ催眠術と大差がないものなんじゃないんですか?」

 

 一葉の言葉に、忍は寒気が足元から這い上がってくるような気がした。

 まるで予め用意していた答えを並べるかのような口ぶりは、きっと最初からこういった事態に陥ることを予測していたのだろう。

 そのことを理解し、納得した上で一葉は忍の前に姿を現したのだ。

 

 敵わない。いや、もしかしたらそもそも、自分は喧嘩を売ってはいけない相手に喧嘩を売ってしまったのではないか。

 自分はこの場で八つ裂きにされても仕方のないことを一葉にしようとしていた。このまま、容赦のない残酷さで身体中に中てられ閃きかせられた黒金の刃を一気に引かれてしまうかもしれない。

そんな想像が忍の中に生まれ始め、鼓動が早まり全身の毛が逆立った。

 

「催眠術だったら対処は簡単だ。 忍さんの目が変わる瞬間に、自分の身体を痛めつければいい」

 

 そう言いながら、一葉は自分の人差指を忍に突きつける。その指先には赤い滴が珠を作り、指を伝って滴っていた。

 

 「あと、あの鳥はずっとオレの膝の上に乗ってたやつですよ。 ちょっとばかし、サイズが変わっただけでね」

 

 「……冗談でしょう?」

 

 一葉の膝の上に居た鳥はせいぜい鳩と同じぐらいの大きさだったはずだ。

 だが、鋭い鉤爪でノエルを抑え込んでいる怪鳥は優に子供の大きさを超える。翼を広げれば、今よりも大きく見えるだろう。

 

 「事実は小説よりも奇なり、って割と的を射た言葉ですよね。 大きさが変わる鳥だけじゃなくて、忍さんたちみたいな存在が居るぐらいだし」

 

 忍を人間として捉えていないような一葉の言い方は穏やかな口調の下には、ささくれた苛立ちが見え隠れしている気がした。

 

 「ねえ、忍さん。 この際だからぶっちゃけますけど、実はオレずっと前から忍さんたちのことが気に食わなかったんですよ。 自分たちにしかわからない、自分たちにしか理解できないって悲壮感と愉悦感に満ちた被害者ぶったその面がさ」

 

 「それは申し訳ないわね。 一葉君好みの女じゃなくて」

 

 忍は挑戦的な笑みを浮かべながら言うが、それは虚勢で内心では込み上げる恐怖を必死に抑え込んでいた。

 このまま話しを合わせれば、もしかしたら抜け出す機会が訪れるかもしれない。そんな蜘蛛の糸に縋るような一縷の望みと、空のように高いプライドだけが忍の理性を繋ぎとめていた。

 その崩れない忍の態度に、一葉は酷薄な笑みを浮かべながら言葉を続けた。

 

 「でもね、気に食わないのと同じぐらいに尊敬もしてたんですよ。 忍さんはオレの持ってないものを持っていて、それを失くさない強さを持ってたからさ」

 

 忍の、霜から生まれたような美しい瞳に宿る宝石のように輝く気品と、硝子のように静かに澄んだ強さは、血の海に生まれた鮫のような宿命を持った一葉にとって妬ましくもあり羨ましいものだった。

 瞳の奥に宿った強さは、大切な人を守りたいと薔薇のように純粋で高潔な想いだ。誰かの為に力をふるうなんて無垢で綺麗な強さは、一葉は持ち得ていなかった。

 

 「でもね、忍さんはその強さを見失った。 オレという存在を知った途端に、守る為じゃなくて傷つける為にオレの力を利用しようとした。 非常に腹立たしいね」

 

 「生きる為に利用できるものはなんでも利用する。 それが、人間が自然淘汰で生き残った最大の要因よ」

 

 「それはその通りだと思うよ。 そして、忍さんは自分の本当の目的を忘れた。 大切な人を守りたいっていう目的の為に誰かを傷つけてきたこともあると思います。 でも、今の忍さんは手段が目的になってる。 そんな忍さんの目は汚く濁ってて見るに堪えません。 鏡を見た方がいいですよ。 多分、今まで忍さんたちのことを化け物って蔑んできた人たちと、同じ目をしてますから」

 

 一葉は埃を見るような蔑む目で忍を見ていた。

 二人の視線が絡み合う中、ただお互いがお互いを見合うだけだというのに、二人の間には硬い緊張感が張り巡らされていて、忍に至っては包丁を喉元に押し当て隙があれば一気に引き斬ろうとしている危うい目つきさえしている。

 

 そんな今の忍には一葉が羨望し憧れた美しさも気品もなく、荊の棘をもつ気高かったはずの薔薇は、欲に目が眩み惨めに枯れ果ててしまっていた。

 

 「オレはこれで帰ります。 それで、もう二度と関わらないで下さい。 今回は警告で済ませましたけど、次になにかしてきたら自分の首が落ちる音を聞くことになりますよ」

 

 一葉は吐き捨てるように言うと、そのまま踵を出口に向けた。

 軽く右肘を持ち上げる仕草をすると、ノエルの上に乗っかっていたベヌウがこの部屋に入ってきた当初の大きさに戻り、一葉の肘の上に飛び乗った。

 ベヌウの下敷きになっていたノエルは肩を砕かれ、溢れ出る血は給仕服だけでなく絨毯まで濡らしている。

 起き上がることもままならず、悔しそうに歯を噛みしめていた。

 

 一葉は、来る時はノエルに開けて貰った扉を自分で開け、忍たちを一瞥することもなく去っていた。

 その背中を、忍もさくらもどうすることもできずに見送ることしかできなかった。

 

 

 ◆◇◆

 

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