魔法少女リリカルなのは Broken beast 作:やまあざらし
「結局、私たちの完敗よ。 一葉君といいあの鳥といい、思ってたよりもずっと化け物染みてたわ」
溜息ともとれる深い溜息をつきながら言う忍の言葉に、すずかは黙って耳を傾けていた。
一葉が帰った後、忍とさくらはツイスターの要領で慎重に刃の檻から抜け出すことに成功した。
元々、正しい手順の通りに四肢を動かせば抜け出せるように刃が組まれていたのだ。
ベヌウの爪で抑え付けられていたノエルは重症で、早急な両腕の付け替えが必要だった。
この部屋で起こった顛末の全ては、すずかの予想を遥かに上回っていて、その時の光景を想像することもできないが、それでも部屋に残された刃の群生は異様な雰囲気を保ったまま残されていて、忍の話しは嘘ではないと納得せざるをえなかった。
そして、納得しなければならないのは決定づけられたすずかと、一葉の関係も然りだ。
「なんで……、そんなことしたの? そんなことしちゃったら……、私はもう一葉くんと……」
「今までの友達関係は諦めなさい。 完全に敵対フラグが立ったし、改めて彼が危険だって実感したわ」
「お姉ちゃんが喧嘩を売ったからでしょ!? 私たちがなにもしなかったら、一葉くんだってなにもしてこなかったかもしれないのに!!」
「なにもしてこないっていう保証なんてどこにもなかったし、なにかが起きてからでは遅いのよ。 さくらさんには動ける人間を集めて貰うことにしたわ。 恭也にも今日のことは話さなきゃいけないし、勿論士郎さんにもね。 それが、どういう意味だかすずかにはわかるでしょう?」
腕を組みながら悪びれた様子も見せずに、淡々と語る忍にすずかは激昂し、忍の頬を平手で打った。
乾いた音が部屋に響く。
突然のすずかの平手打ちに忍は一瞬目を丸くすると、歯を食いしばりながら濡れた瞳で睨みつけるすずかが視界に映った。
大切な人を、自分が見つけた大事な宝物を取り上げ、打ち砕き、踏みにじった癖に謝罪の一つもなく不遜な態度をとる忍に、すずかは殺意とも思えるような黒い感情が沸き水のように滾々と旨の内に満ちていく。
「お姉ちゃんは……、なんで……! なんでそんな平気な顔してられるの!? 私から一葉くんを取り上げたくせに!! 私から……、大切な人を取ったくせに!!」
溢れ出る涙と鼻水を拭いもせずに、すずかは痛みに耐えるように喉に逆流する血を押し殺して唾を飛ばした。
いつだって忍はそうだ。
大切なことをなんでもかんでも一人で決めてしまう。自分がなにもかもを背負っているのだと言っているつもりで、見えない刃でどれほどすずかを傷つけているのか気が付かない。
そして、今回のことだってすずかにとっては許し難いことだというのに、忍は打たれ赤らむ頬を押さえもせず、物怖じさえしなかった。
「確かに、こうなった事の責任の一端は私にもあるわ。 それは認める。 でもね、すずか。 私は“友達関係は諦めろ”とは言ったけど、“一緒に居ることはできない”なんて一言も言っていないわよ」
「適当なこと言わないでよ! 私が子供だからってバカにしないで! 私だってもう……、手遅れだってことぐらいわかってるんだから!!」
一度砕かれた硝子が二度と元には戻らないように、一度破かれた絵画がに二度と元に戻らないように、掴み損ねた過去を巻き戻すことが気ないことなど小学生のすずかですらわかる。
指先から零れていったのは、魔法の時間だ。
温かくて、楽しくてしょうがなかった夢のような時間は、もう二度とすずかの元に戻ってくることはない。
「だけど……、今よりもすばらしい日常を手に入れることができる」
炎のような怒りをぶつけるすずかに対して、忍は危うい穏やかさを孕んだ静かな声ですずかの声を遮った。
「友達なんかよりも、もっと一葉君と近しい関係になれる方法が残されてる。 アリサちゃんとも、なのはちゃんとも違う、すずかと一葉くんだけの特別な関係にね」
「……っ! そんな都合のいい話し……っ!」
「あるわよ。 一葉君を、すずかだけの一葉君にできる方法が。 寝る時も、食事の時も、お風呂に入るときだってずっと一緒に居られる、そんな未来を実現させることができる方法がね」
そんな都合のいい話しが、存在するわけがない。
頭の中の冷静な部分はそう諭しているが、すずかはまるで悪魔に誘惑される聖職者のように忍から目が離せなくなった。
胸の内に燃え盛る怒りが、別の性質へと変わっていく。
もし……、もしも忍の言うことが事実なのならば、それは自分にとって素晴らしいことではないか。
もし、一葉が自分だけを見てくれるようになったら、自分のものになったなら望んでいる全てを叶えてくれるのではないか。
強く抱きしめ、激しい口づけをし、耳元で愛を囁きながら獣のように毎晩犯してくれるのではないか。
服を剥かれ、首輪をつけられ全裸で散歩に連れて行ってくれるかもしれない。
一葉を悦ばせる為に、あらゆる性技をベッドの上で仕込まれるかもしれない。
そんな甘い日常を想像しただけでも、頭がぼんやりを蕩け下半身がキュンとした。
「その方法、教えてあげましょうか?」
心に絡みつくような忍の声に、すずかは細い首を頷かせてしまった。
◆◇◆
月が笑っているかのような空だった。
夜の戸張に、ぽっかりを浮かんだ黄金の月は夜の闇から淡い光を降り注がせる。
風は柳の葉を揺らめかせる程度の微風で、海からの生臭い匂いが一葉の部屋にまで運ばれてきた。
一葉は明かりを灯さない部屋で、ベッドに腰を座らせながら窓枠に肘を置き月を仰いでいた。
手を伸ばせば届きそうなのに、決して届かない幻のような月は星の泉に囚われ静謐な孤独を強いられているように思えた。
そんな漣のような静けさが一葉の頬に当たり、自然と今日の出来事が匂いさえも色がついているように明確に思いおこされる。
すずかの涙、アリサの怒り、忍の敵意。今まで一葉を社会という日常に繋ぎとめていてくれた人たちと確かな決別をしたというのに、一葉の心は虫に蝕まれた葉のようにスカスカで、虚しいものだった。
一人でいることはなににもまして安全なのに、なぜ一人でいることに今まで耐えいられなかったのだろうか。
今の自分は、こんなにも一人だ。
僅かひと月程度の過去の自分は、一人ではいつもさみしくて傍に居てくれる人を求めていた。
安心できる人、温かい人、君はここに居ていいのだと許してくれる人を。
だが、今は違う。
今の一葉は一人ではない。自分の中に居る影を知ってしまった以上、一葉は一人ではいられないのだ。
肉体という器に込められた二つの魂によって、不完全だった自分はようやく完成される。
だが、完成された先にいったいなにが待っているのかなんて、一葉にはわからなかった。
ふと、頬に当たる冷たい夜気に混じって大気が揺れる気配を感じた。
ジュエルシードだ。
「どっかで発動したか」
「そのようですね。 どうしますか?」
一葉の傍らに居たベヌウが視線を見上げて問いかける。
「アゼルの気配はないみたいだし、ほっといても大丈夫だと思うよ」
「……そうですか」
一葉のそんな言葉に、ベヌウは複雑な想いが胸中を占める。
なぜこんなことになってしまったのだろうか。
絶対の不信と贖罪の、真っ暗闇の海に突き落とされ、消えない罪を犯し、地獄のような苦しみを背負いながら、それでも普通の平和の中で生きられたかもしれない可能性を一葉は失ってしまった。
一葉が月村邸で、去り際に忍に吐き出した言葉はその覚悟の表れだったのだと、ベヌウは震えるほどに理解した。
打ちのめされ、抉られ、踏みにじられたとしても、生きている限りは必ず変化は訪れる。むしろ、変わることよりも変わらないでいることの方がずっと難しい。
それが、数千年の時を生きたベヌウの知る人間という生き物だ。
だが、一葉はもはや取り繕いの嘘の笑みを浮かべることすら許されない孤独を選んだのだ。
そこには変化も、なにもない停滞だけが支配する修羅の道。それはもはや人間とは呼べないどころが、生物としても壊れた者だけが足を踏み入れる境地だ。
「……どっか行くの?」
「……散歩です」
ベヌウは窓枠に飛び乗ると、翼を広げた。
「そうかい……。 朝までには帰ってきなよ」
「わかりました」
素っ気なく言うと、ベヌウは風を切り夜の空に羽ばたく。一葉は、ああは言っていたが、ベヌウはなのはとユーノのことが心配だった。
今、アゼルの気配を感じないからといっても、もしかしたらどこかで機を窺っているのかもしれないという可能性に、一葉は気が付いていない。
いつだって冷たい思考を持つ一葉が、そんな初歩的なことを見落とすはずはなく、ベヌウは一葉の、“緋山一葉”という人格のメッキが徐々にはがれ始めているのだと感じていた。
◆◇◆
その日の授業を終えて、なのはは帰路についていた。
穏やかな黄昏の街で、家路を急ぐ多くのサラリーマンや学生と多く擦れ違ったりしているというのに、なのははこの世界で一人ぼっちで置き去りにされてしまったかのような気持ちになる。
その理由は、わかっている。いつもよりも眺めがいい景色のせいだ。
学校から帰る時、いつだってなのはは四人だった。街中ですれ違う人たちとの距離は、こんなに近くなかったのだ。
「そういえば……、一人って久しぶりだな……」
なのはは漏らすようにポツリと呟いた。
声に出した自分の声に、心の虚しさが圧し掛かり足が鉛のように重くなる。
なのはは、別に哀しいわけでも寂しいわけでもなかった。胸を占めるのはやり場のない虚しさだ。
一葉に突き離されたあの日から、自分の居場所はこの世界から無くなってしまい、もう誰からも必要とされないのだという、胸を刺すような切なさと罪悪感がなのはに癒えることのない傷をつけた。
今朝、燃え上がる炎のような怒りをぶつけてきたアリサの感情だって、あれは自分を心配してくれているからだというのはわかっている。
そのことに気がつきながらも、どうすることもできない愚かさと弱さに胸がキリキリと締めつけられた。
アリサに、魔法のことを話すわけにはいかない。これからも嘘を通し続けなければならない自分の浅ましさに息が苦しくなる。
そして、一葉のこともだ。
きっとあの少年は、これから今もこれから先も自分が隣に立つことを許してはくれないだろう。
一葉の傍に、もういられない。
そうれだけで身体が透明になり、霧のような疎外感とともに胸の奥を小さな棘でチクチクと突かれるような痛みを感じた。
夜の森で一葉が去っていくのをただ見ていることしかできなかったように、今の一葉との関係はただの他人だ。
今こうしてすれ違っている人達と同じで、ただの行きずりの人間で、透明人間と同じ存在なのだ。
一葉とともに駆け抜けた、この数週間にも及ぶジュエルシードを巡る出来事は、まるで夢か別世界の出来事だったかのように思えて憂いが込み上げてきた。
一人であるという寂しさ、孤独、哀しみ。その全てが混じり合った苦しい感情は、淡い雪のように溶けて、静かな涙となってなのはの瞳からぽろりと零れた。
◆◇◆
「ケンカ……、しちゃったんだ……」
「ううん……。 私がぼーっとしてただけ。 それで……、アリサちゃんに怒られちゃったの」
なのはは帰宅後に、制服を着替えもせずに自分のベッドに飛び込んだ。
枕に顔をうずめながら、もふもふと口を動かしながら勉強机の上で心配そうな視線で見るユーノと今日の出来事を話している。
まるでなのはは背中に幽霊でも背負っているのではないかというほどに落ち込んでいて、声は穏やかなのに会話の節々で鼻水をすする音が混じっていた。
涙を見せないのは、なのはなりの強がりだろうか。
ユーノは突き抜けるような罪悪感を感じ、胸が痛んだ。
「親友……、だったんだよね?」
「うん……。 入学したばかりのときから……、ずっと一緒だったの。 一葉くんも……、そう……」
「……そうだったんだ」
「うん……」
力のない声の下に見え隠れする、なのはの悲壮にユーノは心臓が握りつぶされるような気持ちになった。
ジュエルシードをこの街に落とさなければ……、なのはと出会わなければ……、こんなにも優しい少女が傷つくことなんてなかったはずなのに。
ユーノはかける言葉を失くし、二人の間に気まずい沈黙が降りる。
会話のなくなった部屋では、壁にかけられた時計の針から規則的に時を刻む音が、なのはと親友たちの間に生じた軋轢のように響いていた。
「なの……」
「……よし! 悩むのやめ!!」
沈黙に耐えかねユーノはなのはに声をかけようとした途端、なのははユーノの声に被せて勢いよく起き上がった。
「色々悩みこんだって仕方ないんだから! 今日は塾もないし、晩御飯の時間までジュエルシードを探しに行こう!」
突然声を張ったなのはにユーノが呆気にとられている間にも、なのははベッドがら飛び降り手際よく燈色のトレーナとデニムのスカートに着替える。
「とりあえず、今は私たちにできることだけをやろう。 それで、全部が終わってからみんなに謝りに行こうと思うの」
なのはは眉を八の字にしながら、哀しそうにユーノに言った。
締められたカーテンの隙間から差し込む夕日が、なのはの白い肌を照らす。
誰よりも哀しくて、傷ついているはずなのに、無理やりにでも感情を抑え込んで浮かべるなのはの笑みは冬の湖のように寒々しくて、寂しそうで、ユーノは心臓が張り裂けてしまいそうになった。
なのはの自分自身にも言い聞かせる口調は、出会ったばかりの真っすぐで気丈な姿からは想像もできず、ユーノは蜂蜜色に反射するなのはの瞳に射した影を見つめた。
いっそのこと、お前のせいだと責めて貰えれば……、罵って貰えればどれほど楽になれるだろうか。
いくら拭っても、拭いきれない遺恨を彼女の幼馴染に投げつけたのは自分だ。
自分が彼女と、大切な友達との間に亀裂を生じさせてしまったのだ。
その、絶対に許されない罪を、自分は罵倒されることで赦されたいのだ。
だが、心根の優しいなのはは決してユーノにそんなことをしない。むしろ、その優しさがユーノにとっては苦しく、真綿で首を絞められているようだった。
「そうだね……。 その時は、僕も一緒に謝りに行くよ」
償いにもなるかわからないが、せめてできることぐらいはやろう。
ユーノの言葉に、なのはは穏やかに微笑んだ。
「うん。 ありがとう、ユーノくん」
月の光が降り注ぐ夜、街で一番高いマンションの屋上に三人の影があった。
普段は立ち入り禁止にされている、街で唯一の高級マンションの屋上でそよ吹く風に髪を揺らしているのは、アゼルとリニス、そしてアルフだ。
アルフはグラマスな肢体を布地の少ないタンクトップとデニムのホッとパンツで身を包み、腕を組んでアゼルとリニスに相対していた。
視線の先にはバリアジャケットを身に纏った二人が居る。
「ほいじゃ、とりあえず在る分だけのジュエルシードを母さんのところに届けてくるから、留守番よろしくね」
「ああ、悪いね」
死を誘う死神
のような格好にそぐわないひょうきんな声でアゼルが言うと、アルフはなにかを思い出すかのように顔を顰める。
そんなアルフの表情を見て、アゼルは困ったように笑みを浮かべた。
「いいって。 フェイトに持たせていったら、なにかに託けて折檻されるでしょ。 妹の顔を馬の尻みたいに鞭で叩かれてるのを見るのは僕も流石に心が痛むからね」
「……、なんであのババアはフェイトに辛く当たるのかね。 フェイトは、あんなに慕ってるっていうのに」
「……さあねぇ」
「……あんた、ほんとはなにか知ってるんじゃないのか?」
冷ややかさを帯びるアルフの視線を、アゼルは平然と真正面から受け止め、大げさに肩を竦めた。
「あのねぇ、なんでもかんでも人を疑うのはアルフの悪い癖だと思うよ」
しばらく、アルフはなにかもの言いたげにアゼルを疑わしい視線で見ると、結局問い詰めの言葉ではなく溜息を口から零した。
「そうだね……。 悪かったよ」
アルフはバツが悪そうに言うと、アゼルの横に控えていたリニスがわざとらしく咳払いをする。
時間が迫っていると言いたいらしい。
「じゃあ、もう行くけど帰りは二、三日先になると思うから。 その間にジュエルシードが発動したらお願いしたいけど……、一葉が来たら諦めて逃げなよ。 二人が相手じゃ、天と地が引っくり返っても勝てないから」
「いちいち癇に障る奴だね。 言われなくても、あのガキとやり合うつもりはないよ」
「それは懸命だ」
アルフの言葉に、アゼルは軽く笑い風に乱れた髪を指先で払い背を向ける。
漆黒のバリアっジャケットが夜の闇へと溶けて行くのを、アルフはただ見送った。
◆◇◆