魔法少女リリカルなのは Broken beast 作:やまあざらし
アゼルの実家である時の庭園は次元の狭間にある。
当然歩いて行ける訳もないし、次元艦を使っても細かな座標がわからなければ辿りつくのは困難必死だ。
転移魔法を使おうとしても距離があり過ぎる為に使えない。
つまり、通常の方法で時の庭園に辿りつくことはできないのだ。
そんな中で、時の庭園の交通手段は次元間トンネルだ。
予め、次元世界同士をトンネルのような亜空間で繋げる技術は、他にはないアゼルとフェイトの母が独自に開発したものだ。
これによって、転移魔法よりは時間がかかってしまうが安全な人の往来を確保することができる。
その次元間トンネルの道程で、アゼルは散歩後ろを歩くリニスに見えないように細く笑んでいた。
今の段階で、手元にあるジュエルシードは五つ。
ここまではアゼルの思惑通りだ。
ジュエルシードというなんでも願いをかなえるロストロギアの存在を知ったときの、プレシアの狂喜ぶりは今でも覚えている。
そんな都合の良いものが存在するはずなどないと、聡明なプレシアであれば直ぐにわかるはずだというのに、プレシアは狂気に呑まれ誰も救われることのない最高の喜劇を作り上げてしまった。
その喜劇を、アゼルは利用することにした。
いい感じに狂った母の舞台の脚本を自分が書き換え、演じる。そして、演出の中でプレシアには死ぬまで道化を演じて貰おう。
フェイトもそうだ。
数刻前に、アルフに鋭い質問を疲れた時は一瞬冷やりとしたが少なくとも盲目的にプレシアを慕うフェイトは今のところ疑問すら感じていないだろう。
フェイトは物語りの中核を担う大事な役者だ。
あの子にはまだまだボロボロになるまで役を演じ続けて貰わなければならない。
フェイトは、哀れな子供だ。
空は微笑むことができないから雲を浮かべ、犬は微笑むことができないから尻尾を振るが、人は微笑むことができるから微笑みを忘れ、嘘の微笑みで人を騙す。
プレシアが微笑みの下に隠し続ける嘘と秘密の正体を知らずに絶望に向かって歩むフェイトは哀れで、滑稽だった。
自分の思惑通りに事が進むほど楽しいものはない。
だが、今の段階でアゼルが最も心を躍らせているのは脚本に居ないはずの人物。一葉のことだ。
「ねえ、リニス。 リニスは、運命ってやつを信じる?」
「は?」
空間が混濁する通路でアゼルの質問にリニスは怪訝な声を出した。
アゼルの表情は見えないがその後ろ姿は腹の底から沸き上がる高揚を抑え込んでいるように見えた。
運命とは、必然の積み重ねの上に成り立つものだ。
違う次元、違う世界、まったく違う時代で再び邂逅を果たしだ、かつての宿敵。これは決して、偶然などではない。
くじ引きに偶然性などないことは子供でも知っている。
手品師でなくとも、計画通りに目当てのくじを引かせる方法はいくらでもあるのだ。
「運命があるとしたら、きっとそろそろ足音が聞こえてきても良い頃かもしれないね。 楽しみだよ。 運命が、いったい僕をどうしようとしてるのかがね」
狂気の滲む笑みを押し殺して、アゼルははを剥き出しに口を歪めた。
そう、狂っているのはプレシアだけではない。アゼルだって、とうの昔に狂い、壊れている。
緋山一葉が、運命によって自分の狂気をとめに来たのならば、それに応えてやろうではないか。
世界を滅ぼさんとする悪者を討つ、英雄の配役を。“アゼル・テスタロッサ”を道連れにでしか、世界を救えなかった悲劇の主人公の役目を。
それには布石が必要だ。
プレシアの狂気に、彼を巻き込む為の布石が……。
◆◇◆
次元の隙間に消えていった、アゼルとリニスの後姿を見送ったアルフは、鼻で軽く息を吐くと踵を返した。
階段の踊り場に続く、重々しい鉄製の扉を開け、建物の中に入る。
マンションの内部には予め結界が張られていて周囲に人の気配はなく、アルフは人間ではあり得ない頭から飛び出した三角形の耳と毛並みの良い尻尾を隠しもせずに、間借りしている部屋まで悠然と歩いた。
鍵をかけていない玄関の扉を開けると、長い廊下の明かりは消されていて、廊下の最奥にあるリビングの窓から差し込む青白い月明かりが怪しく部屋を照らしていた。
音もない陰鬱とした空気に包まれるこの家は、まるでアルフの主の心の在りようそのものだった。
アルフは冷え冷えとした廊下を歩き、フェイトの部屋へと向かう。ベッドと、小さなテーブルしかない身体を休めるだけのこの部屋も、明かりが落とされていた。
アルフは部屋に入り、テーブルの上に置かれたトレーを見て、ベッドの上で丸くなっているフェイトに苦い口調で声をかけた。
「フェイト。 また、食べてないじゃないか。 これじゃあ、身体がもたないよ」
「……大丈夫だよ。 少し、食べたから」
フェイトが言うと、アルフは顔を顰めた。
トレーの上に配膳されている食事はパンが二つと、ポテトサラダ、スクランブルエッグなどだが、よく見るとパンがネズミに齧られた程度には欠けてはいるが、これだで人間の栄養を支えきれるはずなどない。
フェイトが、食事を喉に通さなくなったのは今日に始まった事じゃない。
元々、食が細いフェイトだったが、ジュエルシードの収集が滞り始めたストレスト、他にもジュエルシードの探索者が居るという焦燥からフェイトの胃が食事を受けつけさせなくなっていた。
フェイトは目に見えて以前よりも細くなった身体をむくりと起き上がらせる。
レースカーテン越しに差し込む月明かりが、ミミズが張った痕のような傷を残すフェイトの背中を照らした。
それは、プレシアから鞭で打たれた痕だ。
一般的には虐待と呼ばれるその行為でさえ、フェイトは愛情表現として受け取っている。
この家族は、一種のアジールだ。
社会と隔絶された空間で、独自の戒律を定めるコミュニティの中で、フェイトにとってプレシアは神にも勝る絶対的で、強権的な存在。
反抗どころか、疑う気持ちを持つことすら罪であると思い込んでいる。
フェイトに限らず、アゼルも、プレシアも、この家族はなにもかもが歪んでいるように思えた。
フェイトはその歪みに囚われて、出口のない迷宮を彷徨っているのだ。
アルフは最初からアゼルも、プレシアも信用していなかったが、特にここ数日間のアゼルの振舞いに対して、溶けることのない雪のように猜疑心が積もり重なっていた。
耳の奥に何度も木霊する、アゼルを信用するなという一葉の言葉。
__アゼルはなにを隠している?
__あのガキはなにを知っている?
__プレシアはなにをしようとしてる?
誰にも助けを求めら得ない四面楚歌の状況の中で、アルフもフェイトと同じように神経がすり減り、胃を痛ませていた。
「そろそろ行こう。 次のジュエルシードの大まかな位置は特定できてるし……、これ以上母さんを待たせるわけにはいかないよ……」
「フェイト……。 アゼルもいないし、今日ぐらい休んだって……」
アルフが心配そうに言うと、フェイトは薄い笑みを浮かべて首を横に振った。
「大丈夫。 兄さんがいない間も、ちゃんと探さないと。 それに、ジュエルシードを探してたら、また一葉に会えるかもしれないし……」
「そうじゃなくて! 広域探索魔法を使うにしたってかなりの体力がいるっていうのに、ここ最近のフェイトはろくに休まないどころか食べてだっていないじゃないか!! このままじゃ身体が持たないよ!!」
アルフは声を荒げるが、フェイトは涼やかな風をいなすような長い睫毛の影を瞳に落としながら言葉を重ねた。
「平気だよ。 私、強いから」
その言葉が、中身のこもらない虚勢であることなどアルフには直ぐにわかった。
フェイトは、凛とした立ち振る舞いでベッドから降りると、バルディッシュを発動させ、黒衣のバリアジャケットで身を包む。
「行こう。 母さんが待ってる」
「……フェイト」
硝子のように清く薄く、氷のように冷ややかで、鋼鉄のように硬い意思を纏うフェイトを、アルフは言葉で止める術など持ってはいなかった。
◆◇◆
煌めくネオンの看板と、そびえる電気の光が夜の闇を押し返すビルの密林に群れる雑多に行きかう人々は繁華街を目指したり、駅に向かったりと様々だが、人ゴミに紛れながらも誰もが一人きりのように振舞う。まるで幽霊の溜まり場のような夜の街をなのはは歩いていた。
初めて夜の街に繰り出した時の新鮮さと興奮を忘れたわけではないが、あの時は隣に一葉がいた。
共有する秘密の時間や、好奇心と冒険心が灯り、なのはにとっては内緒の楽しみの一つだったというのに、今ではそんな火も燻ぶりもせず完全に消えてしまい、心の中は鬱々として暗がりが支配している。
なにに出会っても面白みに欠け、こんな陰鬱な気持ちがさらなる不幸を招いているのではないかと思ってしまうほどだ。
なのはが家を飛び出してから幾時間が経過しているが、空疎の強がりを漲溢させるなのはに遠慮してかユーノは口数が少なく、二人の間に会話はなかった。
オフィス街を中心に散策していたなのは達は、最後に一際人口が密集する駅前のバスロータリーに辿りつく。
駅ビルの上層に設置された、巨大な街灯スクリーンを見上げると夜の空にボウと青白く浮き上がる画面の中で、ニュースキャスターが今日の出来事を淡々と読み上げていた。
そして、その画面の端では、デジタル時計が既に午後の七時を過ぎたことを示している。
「タイムアウトかも……。 そろそろ帰らないと」
塾もない日に、これ以上夜の街を歩き回るわけにもいかないし、家ではもうじき夕食の時間だ。
残念そうに声を漏らすなのはに、ユーノは口を開いた。
「大丈夫だよ。 後は僕が残って、もう少し探すから」
「う……、うぅ~ん……。 ユーノくん、一人でも大丈夫?」
ユーノの提案に、なのはは心配そうに眉を八の字にする。フェレットが街中に一匹で歩き回っていて、猫や狸に襲われないか心配だった。
「大丈夫だよ。 だから、晩御飯ちゃんと取っておいてよね?」
ユーノは少しでもなのはの気を和らげようとおどけた口調で言うと、なのはも後ろ髪を引かれる思いを感じながらも渋々ながら了承した。
ユーノはなのはの服を伝ってスルスルとアスファルトの上に降りると、見下ろすなのはと手を振り合ってから、雑多に行きかう人の足の間を縫うように歩き出した。
なのははユーノの姿が見えなくなるまで見送ると、急いで家路につくことにした。
繁華街の出口にさしあたった辺りで、ポケットの中の携帯電話が振動する。
なのはは急かしながら動かしていた足を慌てて止めて、携帯電話をポケットから取り出した。
ひょっとしたらアリサか、すずか。もしかしたら一葉から連絡がきたのかもしれないという期待と不安が入り混じる。
今朝、ケンカ別れしてそれっきりのアリサの怒った顔が脳裏に過り、居心地の悪い感傷となってなのはの胸を小さく突いた。
心の中で静かに溜まっていく後悔と罪悪感に、なのはは微かに震える指で折りたたまれた携帯電話をパカリと開く。
『晩御飯もう出来てるよ! 今日はなのはの好きなハンバーグ(o^∇^o)ノ 早く帰っておいで!』
桃子からだった。
小さな液晶に移された文字を見て、大きな溜息とともに力が抜ける。
なのはが学習塾に通っているのもあり、高町家は門限に関しては寛容だがここ最近帰りが遅くなるのが目立ってきたせいもありこの前桃子にチクリと言われたばかりだった。
別に遊びまわったり、やましいことをしているわけではないが、家族に事情を話すわけにもいかず、その時は言葉を曖昧にして誤魔化したのだが、それでも追及してこなかったことを考えると、もしかしたらなにかを察してくれているのかもしれない。
念のために新着メールを受信して見ても新しいメッセージはなかった。
親友であるアリサにも、すずかにも事情を説明できないことを思うと、皮肉にもこの状況は好都合なのかもしれない、と胸を撫でおろす自分がなんとも打算的に思えて胸が痛くなる。
携帯電話を折りたたんで再びポケットの中にしまうと、なのはは胸の痛みを振り払うかのように首を大きく振って、自分の頬を二回叩いた。
自分が今、なにを一番にするべきなのか。それだけを考えよう。
今必要なのは、ジュエルシードだ。
それを回収し終え、ユーノに渡せばきっとなにもかもがうまく収まる。
そんなこと都合の良い解釈だ、世界はそんなに甘くできてはいないと頭に居る冷静な自分が囁くが、そんな妄想でも信じなければ心が折れてしまいそうだった。
それに、妄想であろうとなんでも関係ない。自分が信じなければ、なにも始まらないのだ。
自分が一葉を信じなければ、自分は一葉に信じて貰える資格などないのだから。
ジュエルシードは自分が全部回収する。例え、どんな邪魔が入ろうとも押しとおしてみせる。
なのははそんな決意を胸につくと、突然世界が灰色に塗り替えられた。
◆◇◆
フェイトはアルフとともにビルの摩天楼の一つに舞い降りた。
空は闇。
ビルの屋上から見る足元は、街の明かりがひしめいて、まるで地上から星空を見下ろしているような気持ちになる。
吹き荒れるビル風に晒され、フェイトの金髪と黒いマントが風を孕み意識を持っているかのようにはためく中、フェイトは準待機状態になっているバルディッシュを空へと掲げた。
広域探索の魔法で大まかなジュエルシードの位置は割り出している。それでもやはり細かな位置の特定は地道な作業が必要となる。
探索に特化した補助魔導師ならばもっと詳しい位置を割り出せるらしいが、フェイトには大気に混じって彷徨する魔力の残滓を感じ取る程度しかできなかった。
だが、この近くにあるというのならば話しは早い。
ジュエルシードを渡す期日が迫るっている今、無駄な手順は踏みたくなかった。
ここら一帯に魔力を流し込んでジュエルシードを強制発動させれば、多少の危険は伴うが最も手早く、確実にことを済ませることのできる方法だ。
フェイトはそれを実行しようと魔力を溜め、止められた。
「フェイト、待って。 それ、私がやるよ」
燈色の毛並みの狼が、フェイトを見上げなら口を動かす。
アルフはフェイトとの付き合いが決して短くなく、浅くもない。説明がなくとも、フェイトがなにをしようとしていたのか直ぐにわかった。
「大丈夫? けっこう疲れると思うけど」
「フン! 私を一体誰の使い魔だと思ってるんだい?」
アルフを気遣うフェイトの言葉に、アルフは皮肉気に口元を吊り上げた。
この子はもっと自分の使い魔を……、いや。自分の使い魔だからこそ信用できないのかもしれない。
慎ましかやであるや、分を弁えていると言えば聞こえはいいかもしれないが、フェイトはいつも自分を卑下する傾向がある。
大魔導師と呼ばれた母親や、才能の塊のような兄に囲まれ育ったせいかもしれないが、そもそもあの二人が規格外すぎるのだ。
物心がつく前から過ごしてきた時の庭園という井戸の中で共に過ごしたのは、変えるなんかじゃなくて二匹の蛇だ。
あの二人を基準に考えること自体が間違いだというのに、フェイトはそのことに今も気付かず自尊心や自信というものは根こそぎ無くなっていた。
フェイトはアルフの言葉に一瞬躊躇するも、ふと笑みを浮かべる。
自分にできることは、使い魔にもできる。そのことぐらいはわかっているようだった。
「じゃあ、お願いしようかな?」
フェイトの言葉を合図に、アルフは自らに内包された魔力を一気に解放した。
四肢をつけた地には燈色の魔法陣が浮かび上がり、ビル風を巻き込んで魔力が編みこまれた凄まじい旋風が雲を砕く。
暴風となったアルフの魔力は、姿を見せないジュエルシードと歌を奏で合うクジラのように共鳴し、辺りの魔力の海に沈ませた。
この時のアルフの失策は周囲に他の探索者がいないと思い込んでいたことだ。
ジュエルシードを求める呼び声は、一人の少女と一匹のフェレットまでもを呼びよせてしまった。
◆◇◆