魔法少女リリカルなのは Broken beast 作:やまあざらし
風のそよぎが耳を掠めるときのように、首筋にチクリとした微かな違和感を感じた。
ユーノは忙しなく動かしていた短い四肢を止めて、耳をひくひくと動かす。
一瞬、気のせいか?と、自分の感じた違和感を疑うが、それは空を覆う現象によって否定されることになる。
夜の闇と雲を巻き込む魔力の渦が、大地を揺るがした。
「これは……」
術式を構築するわけではない、一切の指向性を持たない垂れ流すだけの魔力は、瞬く間に夜のオフィス街を飲み、新たに、感じ慣れたジュエルシードの魔力が突然現れた。
姿を見せない敵とジュエルシードの絡みあうような旋律は歓喜に満ちた産声のようでいて、膨大な魔力の塊となり空を穿つ。
「結界も張らずにジュエルシードを強制発動させたのか!? くそ!! 広域結界、間に合え!!」
固体を口から吐き出すように悪態をつきながら、ユーノは背中からなにかに追われているかのような切迫さで結界を展開する。
足元に浮かび上がる若草色の魔法陣は切り離す世界と、新たに構築する仮想世界の計算式を刹那の間にはじき出し、それを実行に移した。
人工の光に溢れた雑多な街は、灰色の景色とともに静寂に包まれ、同時にユーノは戦慄した。
魔力を持たないものを排除する世界。音も時間も死んだこの世界にいるはずの、姿を見せなかった誰かの存在に、稲妻のような緊張と氷柱のような恐怖に身を強張らせる。
一体誰がこんなことをしたのかなんて、ユーノでさえもわかる。ジュエルシードを集める自分たち以外の探索者が近くに居るのだ。
そして、ユーノの脳裏には酷薄な笑みを浮かべる金髪の少年の顔が過った。
ユーノはアゼルと名乗った少年の戦闘を一度した見たことはない。それも、自分が戦ったわけではないが、傍観に徹したからこそ客観的に自分とかけ離れ過ぎた実力を理解することができた。
ユーノが重力と水に縛られた哀れな魚だとしたら、アゼルは重力を振り切った鳥だ。
牙も爪も持たない魚が、翼と嘴をもつ鳥に敵うはずがない。
窮鼠猫を噛む、という言葉もあるが、アゼルの前では鼠にすらなりえないのだ。
ユーノは警戒に身を強張らせていると、視界の端になのはが走ってくるのを捉えた。
突然起きた異常事態に慌てて引き返してきたのだろう。
静寂の街に響く足音が近づいてくる。
例えなのはと二人がかりでも、アゼルには勝てない。
陽の光に溶かされる雪のように無慈悲に、風に散らされる花のように残酷に命を奪われる。
ユーノの頭の中では、警鐘が鳴り響いてた。
ここは危険だ、早く逃げよう。
駆け足で近づいてくるなのはにユーノは叫ぼうとして、声を詰まらせた。
なのはは、ユーノを見ていなかった。
轟々と吹き荒れる魔力の旋風の中で、獲物を見つけた猛禽のような爛と底光りする視線は、灰色の空を射抜いている。
いや、空ではない。
今までなかったはずの虚空に猛然と蒼い魔力を放出する柱が、灰色の空を貫いていた。
大質量の魔力が満ちた空間で、その発生源を探し当てるのは砂漠で一粒のダイヤを見つけるのと同じぐらいに困難だ。
それも、ジュエルシードのように発動するまで魔力を潜ませるタイプのものなら尚更発見は困難になる。
だが、なのははジュエルシードが完全に発動する直前に的確にその場所を嗅ぎあて、目指していた。
__予測できたのか!? こんな魔力流が吹き荒れる中で、ジュエルシードの的確な位置を!?
それは、本来はなのはのような砲撃魔道師が持つ才能ではなく、微細な空気の流れを読むユーノのような結界魔導師の領分だ。
訓練を積めば、ある程度魔力の流れを読むことはできるようになるが、そのほとんどは持って生まれた才能に左右される。
つまり、なのははそれだけの才能を持っているということになり、ユーノは驚きを隠せなかった。
だが、今はその驚きに身を竦ませている場合ではない。
__近い! この距離だったら……!!
ユーノの心臓が跳ね上がる。
ジュエルシードとなのはの距離は二百メートルも離れていない。
これならば、回収して即離脱することが可能だ。
『なのは、聞こえる!? シューティングモードでそこから回収するんだ!!』
『うん!』
足の速度を緩めないなのはに、ユーノは押し出すような声で念話を飛ばす。
なのははその声に返事をしながら、ユーノの前を通り過ぎると同時に首にぶら下げたレイジングハートを発動させる。
「お願い! レイジングハート!!」
なのはが叫ぶと桃色の閃光が、なのはの服をバリアジャケットへと変化さえ、赤い宝玉は杖となってなのはの手に収まる。
なのはは地面を擦り立ち止まると、レイジングハートをシューティングモードに移行させ、魔力を込める。
視線の先にはジュエルシード。空へと構えたレイジングハートに込められた弾丸を、も標的に向ける。
「リリカルマジカル! ジュエルシードシリアルXIV! 封印!!」
放たれた魔力は枷を外された獣のような勢いでジュエルシードに襲いかかる。
大気を砕きながら直進する桃色の流星はなのはの狙い通りにジュエルシードに直撃したが、蒼い魔力を放出する宝石を飲みこんだ閃光は、桃色の光だけではなかった。
◆◇◆
「見つけた!!」
パレットで掻いたような蒼色の柱を見据えて、フェイトは声を震わせた。
アルフの魔力に反応して姿を現したジュエルシードは、あまりにもその姿を目立たせすぎ、他の探索者にもその姿を惜しみなく晒してしまっていた。
「フェイト! 向こうも近いよ!」
アルフが押し出すような声を張り上げる。
魔力が渦巻く空間を突如として閉ざした結界は、自分たち以外の魔導師の存在を教えてくれた。
軽快に身を強張らせる視線の先には桃色の灯。フェイトもアルフも、その魔力光に見覚えがあった。
二日前のあの森で、自分たちに牙を剥いてきた少女のものだ。
目視で見る限り、その魔力光はジュエルシードの挟んで自分たちが立つ位置の直線上。ジュエルシードまでの距離も、そう変わらない。
フェイトは魔力の光を確認すると同時に、準待機状態にしておいたバルディッシュをシューティングモードにシフトチェンジする。
フェイトから流し込まれる魔力によって、バルディッシュの杖頭から虫の翅のような四枚羽を思わせる魔力が放出される。
目標はジュエルシード。
あの少女よりも早く、この一撃を届かせなければならない。
「ジュエルシードシリアルXIV! 封印!!」
フェイトの叫びに呼応し、バルディッシュは込められた魔力を弾き出す。
黄金の箒星は大気に悲鳴を上げさせ、風邪をひき裂きながらジュエルシードに衝突した。
桃色の魔力との衝突は、同時だった。
視線の先で桃色の魔力と自分の魔力がジュエルシードを呑みこんだままぶつかり合い、ひしめき合う。
拮抗する魔力は磁石の同じ極をぶつけ合った時のような激しい反発感をフェイトの手に走らせた。
__一葉に守られてただけのあの子が……! なんでこんな力を……!!
胃の底から噛みしめるように滲み出る苛立ちを嘲笑うかのように、バルディッシュを押し返す少女の魔力はさらに強くなり、フェイトは負けじと手に力を込める。
双方から解き放たれた魔力の衝突がしばらく続いてから、ジュエルシードは一瞬だけ強い光を放ちぶつかり合う魔力を相殺すると、物言わぬただの石のように反応を示さなくなった。
相反し合う魔力に過剰反応を起こし、逆に安定したのか狂ったように吐き出していた魔力はすっかり沈黙し、ただ宙に浮いていた。
暖簾に腕を押したときのように手応えがなくなった感触に、フェイトはバルディッシュに魔力を装填する作業の手を止める。
それは、ジェルシードの向こう側に居る少女も同じだった。
金色と桃色の魔力の残滓が風に吹かれた花びらのように散っていく。
ビルの上からでは、肉眼で少女の姿を確認することなどできないはずなのに、フェイトは見据える夜の街で、その少女と視線がぶつかり合った気がした。
◇◆◇
ぶつかり合う魔力の手応えがなくなった頃、なのははなぜだか初めてアリサとすずかと出会った時のことを思い出していた。
あの時はすずかに意地悪をするアリサが許せなくて、意地悪をされているのに泣き喚くだけでなにもしないすずかに腹が立って、暴力でしか訴えかけられない自分が情けなくて、そしていきなり現れて場を鎮めた一葉が羨ましかった。
自分も、ああいう人間になりたい。
その羨望ともいえる感情に、なのはにとって一葉は自分が追いかけて目指す背中になったのだ。
魔力を通して伝わってきた感情は、哀しみだった。
あの時、なにもできなかったすずかのような、仲好くなりたいのに意地悪するしか方法を知らなかったアリサのような、理不尽を言葉にできなくて暴力をふるうことしかできなかった自分のような、その全てが混ぜ合わせられた戸惑いと不安の感情。
わけがわからなかった。
烏めいたバリアジャケットを纏う少女が、金髪を風に躍らせながら空から姿を現す。
傍らには、燃えるような毛並みを持った燈色の狼。
ジュエルシードを挟んでぶつかり合う視線に、なのはは身構えた。
__なんで?
金髪の少女は、海の底に居る貝のように口を閉ざしたまま、冷めた視線でなのはを見下ろすだけで言葉を発しない。
__なんで?
灰色の世界に浮かんで見える、反りの入った月の色の刃を携える少女は、まるで命を刈り取りにやってきた不遜な死神のように見えた。
__なんで?
赤く揺らめく双眸には冷たい敵意が満ちていて、氷の塊を背筋に這わせたかのような不快感を覚える。
こうして少女と対峙するのは二回目だ。
初めて会ったのは二日前の森で、あの時は燃え上がった激情に任せて少女に襲いかかってしまった。
なぜなら、あの少女は自分から大切なものを奪っていったのだ。
緋山一葉という、友達を。
彼の隣という、大事な居場所を。
それなのに……
__なんで、あんなに寂しそうな目をしてるの?
なのはが見上げる少女の目は、敵意の下に深い哀しみを湛えているように見えた。
行き場のない孤独。
やり場のない哀しみ。
なにを恨めばいいのかわからない、戸惑うばかりでどうすることもできない静かな怒り。
その目を、なのはは知っていた。
あれは、二年前の自分とまったく同じ目だ。
◆◇◆
空から糸で垂らされているかのように宙に浮かぶジュエルシード。
その向こう側に佇む白いバリアジャケットを纏った少女に対して、フェイトは胃の底から重い鉛の塊が込み上げてくるような感情を感じた。
自卑でも謙遜でもなく、自分の持たないものを……、友達というものを持っている白い少女に対して、フェイトは強い嫉妬を覚えていた。
ジュエルシードがあろうがなかろうが関係ない。敵対する理由など、それで充分だ。
なにも言うべきではない時、それは口で証明するものではなく、また慎むものでもない。
フェイトは昔、世界にある幸福値はいつだって一定に決まっていて、誰かが幸福になれ分、知らない誰かが不幸になると言うお伽噺を思いだしていた。
もしも、そんな夢物語のようなことが本当にあるとしたら……、目の前に居るあの少女を消すことができれば、あの少女が今まで幸福だった分、今度は自分が幸福になれるのではないか。
そんな危ういことを考えていた。
お伽噺は所詮、作られた物語りでしかない。そんなことはわかっているのに、フェイトはどうしてもあの少女の居場所が欲しかった。
自分が渇望した友達の隣……、緋山一葉という少年の隣が……。
__Styte fore.
バルディッシュの声が手から響く。それが戦いの狼煙となった。
緊迫した空気を破壊するかのように、アルフが少女に躍りかかる。
殺意と敵意に剥き出された牙と爪に容赦などという生易しいものはなく、さながら調教された猟犬の如くに主に仇なさんとする敵に襲いかかった。
白い少女が、ハッとした表情をつくる。
回避行動をするわけでもなく、防御魔法を発動させるわけでもない。ただ反射的に両腕で顔と頭を保護する体制を取っていた。
それだけで、あの少女は戦闘に慣れていないど素人ということがわかり、フェイトの中の苛立ちがさらに重たいものとなった。
__一葉は、もっと迅かった
__一葉は、もっと強かった
__一葉は、もっと美しかった
自分が目指す道の、さらにその果てに立つ少年の隣に、こんな不様を晒す少女なんか相応しくない。
そんなこめかみが痛くなるほどの苛立ちと嫉妬が胸中で渦巻きながらも、フェイトは自分でも驚くほどに冷静に少女を見下ろしていた。
もし、うっかりアルフが少女の薄い胸を爪で引き裂いてしまっても、細い首筋に牙を突き立ててしまったとしても、同情など微塵も感じない。
弱いくせに、あの少年の隣に居る方が悪いのだ。
蟻を踏みつぶす時のような冷徹さで、フェイトは一直線に少女に飛びかかるアルフの背中を見ていたが、フェイトの期待に反してアルフの牙も、爪も、それどころ伸ばした四肢させも少女に届くことはなかった。
薄緑色の障壁が、アルフの一撃を阻んでいた。
「……使い魔か」
フェイトは小さく舌打ちをした。
そういえば、少女を初めて見かけた時も、二日前にもあのフェレットがいた気がする。あまりにも影が薄かったので今まで忘れていた。
だが、それは大した問題ではない。
アルフがあの使い魔に阻まれたというのであれば、簡単だ。
自分で斬りかかればいい。
フェイトは、自分の足元に魔力を集中させ、一気に弾けさせた。
「アルフ! 使い魔の方をお願い!!」
「ガッテン承知!!」
薄緑の防御魔法と拮抗し、足止めされていたアルフは叫ぶようなフェイトの指示に瞬時に反応して、障壁から飛び退く。
カツリ、と爪をアスファルトに付け防御魔法を展開していた金色のフェレットを睨みつけ、殺意を纏わせた牙をユーノに向けた。
◆◇◆