魔法少女リリカルなのは Broken beast   作:やまあざらし

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  地球では魔法とは神秘的で超常的なものと思われがちだが、その実態は大半のほとんどが科学技術に依存している。魔法文化のある次元世界にとって、魔法はエネルギー法の任意の一形態であり、科学的なメソッドなのである。

 

 そのメソッドの粋を結集した最たるものが次元艦だ。

 時空管理局巡航L級8番艦、時空空間航行艦船アースラ。リンディ・ハラオウン提督補佐が艦長を務める次元艦内部にあるデバイスの整備を主な目的としたメンテナンスルームで、三人の人間が会議を開いていた。

 

 当然、一人は艦の長であるリンディ・ハラオウンだ。そして、無精髭を生やした禿頭の男。アースラの専属医務官であるトルカン・グランガイツ。デバイスの専門家の技術士官マリエル・アテンザ。マリエルは本来別の提督の部下なのだが、今回の航行に限ってたまたま出向という形で乗り合わせていた。

 三人が落ち着いているのは決して大きくない円卓だ。誰もが全員の表情を窺うことのできるこの席で、重たい雰囲気の漂う中、三人は皆眉根を寄せて難しい顔色で浮かべている。

 

 「彼、今はどんな感じなの?」

 

 リンディがトルカンに尋ねる。

 彼、というのは一葉のことだ。今はアースラの医務室のベッドの上でなのはとベヌウの付き添いの上で眠っている。

 

 「今は眠っているだけ……、と言いたいとこだが正直分からんよ。 確かに血を流しすぎて一時は危なかったが、今のとこバイタルは正常だ。 だが、今回のケースは俺だって初めてなんだ。 正直な話し十秒後に目を覚ますのか十年後に目を覚ますのか皆目見当もつかん」

 

 医官は管理局の序列とは独立した存在にあり、次元航行中は発言権こそないものの、立場的には艦長と同列にある。つまり、艦内で唯一艦長に敬語を使わないでいられる人間ということになる。

 

 トルカンは眉間に皺を寄せた表情のまま持ってきていたA3サイズの茶封筒をリンディに渡した。

 

 「あの坊主のレントゲン写真だ。 驚くもんが映ってんぞ」

 

 リンディはトルカンに促されるまま封筒開け、取り出したレントゲン写真を持ちあげて光に透かし目を細める。

 黒地に浮かび上がる白い人間の骨格。その内部にある一つの異物に気が付いた。

 

 「この……、胸にあるのは?」

 

 胸の中心部に浮かび上がるのは輪の付いた十字架だった。

 

 リンディの尋ねに、トルカンは問の答えだけを明瞭に答える。

 

 「デバイスだ。 破壊された心臓の機能をはたして坊主の生命活動を維持してる。 生物学的にも医学的にもあり得ないことだ。 医者の立場から見たら内蔵の代わりに電子レンジをぶち込んでるのとそう変わらないが、技術屋としてはどうなんだ?」

 

 目にした現実の困惑に表情を滲ませるトルカンの視線を受けて、技術士官のマリエルもまた同じような表情を浮かべた。

 

 「あり得ません。 確かにデバイス技術を転用した義手や義足もありますし、デバイスによる人工内蔵の研究を行っている機関もあります。 だけど、そのどれもがまだ開発途中で実用化には程遠いいですし、大前提として少年の持っていたデバイスは戦闘用のものであって医療用のものではありません。 尤も、クロノ執務官の証言の通りあのデバイスが失われた時代の技術で作れていたのであれば、私たちの知らない機能が搭載されていた可能性も否めませんが、身体の内部に取り込まれてしまっているのであれば確かめようがありません

 

 

 失われた時代、損失期とも呼ばれるその時代は魔法文化創設期からベルカ王朝滅亡までに期間のことを指す。

 数千年前のその時代には高度な文明が存在したという確かな証拠が遺跡として残っており、発掘された遺物からはユニゾンデバイスをはじめとして現在の技術では再現どころか分析することすら不可能な高度な技術によって制作された様々なものが発見されている。

 中には空間を捻じ曲げ次元世界を滅ぼすような物騒な兵器も発見されており、なぜそのような高度な技術が失われてしまったのかはいまだに解明されていないままでいる。

 

 「私たちの魔力が奪われたことについては?」

 

 突如として現れた血のように赤い魔力光で描かれた魔法陣のことも、また頭を抱えさせる一つだ。

 あの場に居た人間の魔力を根こそぎ奪っていったのは、確証はないが間違いなくあの陣が原因だろう。しかし、魔導師から魔力を吸収する魔法などこの場に居る誰もが聞いたこともなかった。

 もし仮に、そのような魔法が確立されていているとしたら、大半が魔導師で構成されている時空管理局にはかつてないほどの脅威となる。

確実に封印指定を受け禁呪扱いになり、存在自体が隠蔽されるだろう。

 

 「それもわかりません。 ただ映像記録を分析した限りでは、あの赤い魔力光はあの場にいた人間のものではありませんでした

 

 

 「あそこに、私たち以外にだれかが居たということかしら?」

 

 「それは……、正直わかりません。 ですが、あの場に第三者がいたと仮定しても、死者を蘇生させる魔法が存在すると思いますか?」

 

 発動した魔法自体のことはわからない。マリエルの答えはある意味リンディが予想した通りのものだった。

 

 「少なくとも、あの坊主に起きたことは俺達がどんなに頭をひねろうが答えは出てこんよ。 理解できない現象が奇跡ってんなら、俺達は今奇跡を見てるんだろうな。 俺はどうしてあんなことになったのか理解できないし説明も出来ない。 お手上げだ」

 

 椅子の背もたれに体重を預けながら、両腕を上げて掌をひらひらと揺らすトルカンを視界の端に捕えながら、リンディは頬に手を当てて軽く溜息を吐いた。

 

 「参ったわね。 彼のこと、ご両親にどう説明すればいいのかしら……」

 

 まさか起こったことをありのまま話すわけにはいかないだろう。

 お子さんは魔法使いになって、一度は命を落としましたがよくわからないことが起こって命を取り留めました。しかし目を覚ますのはいつになるのか分かりません。

 こんな説明で子供を持つ親が納得するはずないが、他にどう言えばいいのかリンディは頭を悩ませた。

 

 結局のところどうすることもできないのだ。最善はこのまま一葉を時空管理局の本拠地のある第一管理世界ミッドチルダに搬送し原因を究明するべきなのだが、今回のことはそんなに簡単にことが済む話ではない。

 未だに回収しきれていないジュエルシードに護国四聖獣の発見。それに加え、金髪の兄妹の行方さえ掴めていないのだ。

 しばらくは地球に逗留しなければならないし、管理外世界の人間を管理世界へ連れて行くにはそれなりの手続きが必要になる。

 何より、未だに昏睡状態にある一葉の両親の了承が不可欠だった。

 

 「それは俺たちじゃなくて艦長であるアンタの仕事だが、取り合えず今できることをやるべきじゃないのか?」

 

 「わかってるわよ、それぐらい」

 

 リンディとトルカンの付き合いは長い。お互いに慇懃無礼な態度をとってもそれが自然体として受け止めることのできる間柄ではあるが、こういう仕事のことで指摘を受けるとやはり気持ちがささくれてしまう。

 

 だがトルカンの言うことは尤もだ。

 これ以上自分が一葉に何かをすることは出来ないし、それは医官であるトルカンと技術屋であるマリエルの分野だ。

 今自分がやるべきことは最悪の事態を未然に防ぐこと。そのための情報収集だ。

 なのははベヌウと共に、医務室で一葉の場所に居るが、フェレットの少年の方には既にクロノに命じて艦長室に待機させてある。

 ここの会議が始まってから小一時間が経過しており、これ以上待たせるわけにもいかないだろう。

 

 「取り合えず彼の方は二人に任せるわ。 何かあったらすぐに報告してちょうだい

 

 

 リンディはそう言って席から立ち上がる。

 まずは事の発端であるロストロギアと、それを狙う敵対勢力について知らなければならない。話しはそれからだ。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 アースラの艦長室は純和風の様相をしていた。

 藁の香り放つを敷き詰められた畳だけでなく、品の良い生け花や掛け軸が部屋全体の雰囲気と調和し、時間の流れが緩やかに感じるような均衡がとれている。

 クロノはどうもその艦長室が苦手だった。

 艦長職は次元艦と乗組員全員の命を預かる重要な役職で、それが与える重圧は計り知れないものだろう。

 自らのプライベートとしても使える空間を、精神的な安寧を与える癒しをコンセプトに様相を整えることは大いに結構なのだが、執務官として艦に乗船している以上、常時気持ちを引き締めて職務にあたらなければならないという気持ちがクロノにはあった。

 しかし、この部屋にいるとどうしても気持ちが弛緩してしまうのだ。

 勿論、そうなることを目的として部屋が装飾されているのだから仕方のないことなのだが、クロノは重要な案件がない限り艦長室には極力近づかないようにしていた。

 

 だが、今その艦長室は梅雨時の曇天のように重たい空気が漂っている。

 畳の上におかれた座布団の上で正座をするハニーブラウンの髪をした少年が原因だ。

 少年の名前はユーノ・スクライア。変身魔法を解除した、フェレットの本当の姿だ。細い体躯に小さな背中。少女と見間違うような幼い顔立ちをしていた。

 

 「なるほど……。 行方不明になったロストロギアの回収に……」

 

 「確かにその心持は立派だが、それでも無謀だ。 本来だったら追いかける前に管理局に連絡しなければならないことだぞ」

 

 「……すみませんでした」

 

 長めの前髪で表情に影を落とし、ユーノは俯いたまま掠れる声で言う。

 ユーノが乗艦してからしばらくして行われた事情聴取の最中、相当参っているようで終始こんな様子だった。

 まるで見えない重石を背中に背負っているようで、声色も憔悴しきっている。あれだけのことが目の前で起きてしまったのだから、大人びているとはいえ9歳の子供だ。ショックを受けるのは無理もないだろう。

 

 事情聴取の最中で、ユーノはリンディとクロノに事の経緯を説明した。

 ロストロギアの発掘は伝統的に遺跡発掘を生業としているスクライア一族のみに許可が下りている、いわば無形文化財のようなものなのだが、そこには様々な規定が存在する。

 中には輸送中のロストロギアの盗難、及び紛失が起きた際は可及的速やかに時空管理局に届け出を提出しなければならないという一文もある。

 これはユーノの知るところではなかったのだが、実はユーノが地球から届け出を出す以前にスクライアの一族が既に提出しており、今回のユーノのとった行動は咎められこそすれ法的に罰則を与えられるものではない。

 本来であれば事情聴取が終わりこのまま保護という形になるのだが、ユーノの説明には件について最も重要なことがスッポリと抜け落ちていた。

 

 「ジュエルシードのことはわかりました。 それでは、金髪の二人のことは?」

 

 リンディにとって、今回の事案で最も懸念しなければならないのはジュエルシードの探索者であるアゼルとフェイトのことだった。

 管理外世界に渡航する場合は管理局に正式な書類で届け出は提出しなければならず、また魔法の行使も原則禁じられている。

 ユーノとなのはに関しては正当防衛という形で超法規的措置を取り問題にしないつもりだが、あの二人はそういうわけにはいかない。

 

 明確な目的と明らかな悪意を持って犯罪を犯している以上、被害が拡大する前に迅速に逮捕、拘束しなければならないのだ。

 だが、ユーノの反応はリンディが期待していたものではなかった。

 

 「……わかりません」

 

 悄然と掠れた声で答えるユーノに、クロノは口を挟む。

 

 「わからない、ということはないだろう。 何かしらの理由が合ってあの二人はジュエルシードを狙ってるんだ。 君は、何度か接触しているはずだろう」

 

 やや詰問の色を帯びたクロノの言葉に、ユーノは首を横に振った。

 

 「本当に、わからないんです。 あの二人……、特にアゼルって名乗った奴は一葉と深い因縁があったみたいなんですけど……、僕が知っているのはそれぐらいなんです……」

 

 ユーノはそう言うと、寒さに凍えるかのように身を震わせ、自らの腕を絡めた。

 

 「一葉とアゼルは……、あの二人はおかしかった……。 異常だとか、怖いとかじゃなくて、同じ人間を見てるはずなのに全く別の生き物を見てるかのような不気味さがあったんです……。 まるで、僕の知らない何かが人間の皮を被って……、人間のふりをしているかのような……。 多分、あの二人の争いの中にジュエルシードは関係ないんです……。 たまたまジュエルシードが僕たちの間にあっただけで、きっと他のなんでも良かったんだ……。 ジュエルシードを探しに来たのは僕だけど、僕はもう傍観者でしかないんです。 あの二人の間に割って入る勇気も、力も、僕にはなかったから……。 だから、管理局の人が来たらせめて協力しようと思って。 なのに……、こんなことになるなんて……」

 

 傷を自ら抉っているかのように痛々しいユーノの声色に、クロノも針のような痛みが心臓を刺し顔を歪めた。

 脳裏に浮かぶのは心臓を貫かれ、無残に空に磔にされた少年の姿だ。そして同時に、その少年の死体に縋り、世界の破滅を嘆くかのような叫びをあげる少女の慟哭も耳の奥で木霊した。

 

 「君は……、なにも悪いことはしていない。 あれは僕のミスだった」

 

 あの状況で、自分はアゼルから注意を逸らすべきではなかったとクロノは悔やむ。

 クロノがアゼルを意識の外においていた時も、アゼルは闇から目を凝らす梟のように耽々と一葉を狙っていたのだ。

 かつて、幾多の現場を渡り歩き犯罪者を相手取ってきたクロノにとってはあり得ない程の初歩的なミス。そんな失態を犯してしまうほどに、状況は切迫し、クロノは追いつめられていた。

 

 一葉は今、艦内の医務室のベッドで眠っている。

 あの時起きた現象も、なぜ一葉の傷が塞がり息を吹き返したのかもわからないまま、いつ目を覚ますかもを知らない一葉の傍になのはとベヌウはいる。

 本来であればなのはとベヌウもこの場においてユーノと一緒に事情聴取をするべきなのだが、一葉の傍を離れたくないという強い要望を受けて後回しにしたのだ。

 

 「わかりました。 それで、ユーノ君。 君はこれからのことはどうするの?」

 

 クロノはそれ以上の慰めの言葉も見つからず声を喉に絡ませていると、リンディは落ち着き払った声でユーノに今後のことについて尋ねた。

 

 「僕は……、もうなのはのところには戻れません……。 もしできるのであれば、このままこの艦に居させてもらえると助かります……」

 

 前髪の隙間から覗くユーノの表情は切なそうに俯いていた。自分の起こした行動が、協力してくれた女の子の親友をひどく傷つける結果になってしまったのだ。

 もしかしたら、自分があんなことをしなければ悲劇は避けられたかもしれない。そんな苦しさが震える声には滲み出ていた。

 

 そんなユーノの心情を察したのか、リンディは真顔だった表情を崩し優しげな声色で口を開いた。

 

 「それは大丈夫よ。 私たちはロストロギアの確保以外にも、行方不明者の探索と保護の任務を受けているの。 ちなみに、その行方不明者というのはユーノ君、君のことなのよ

 

 

 その言葉にユーノは目を丸くする。

 

 「え……、それってどういう……」

 

 「スクライアの部族から捜索願が出されていたんだ。 多分、ジュエルシードを探しに言ったんだろう、ってね」

 

 ユーノの捜索願が出されたのはジュエルシードの紛失届と同時にだった。初めて遺跡発掘の総監督を任されたユーノの補佐にあたっていた老齢の人物から伝えられたことなのだが、その男の予想は的中したということだ。

 

 「そうですか……、みんなが……」

 

 スクライアの一族に血の結束はない。

 今でこそ本拠地として機能する部落があるが、本来は流浪の民であったスクライアは時代の変遷の中で様々な血を取り入れ、今では最初の血統さえもわからない状況にある。

 中にはユーノのような事情を持った人間が多くおり、そんな彼らにとって結束とは血ではなく時間の重さだった。

 信用、信頼、そこには欺きや打算はなく、自らを律することで共存を図る群体のようなものであり、その概念は家族ではなく一族そのものが巨大な生命と捉えたほうが良いのかもしれない。

 ユーノは目の前のことに頭がいっぱいになって、自分の帰りを待ってくれている人たちのことをおざなりにしてしまっていたことに心臓を握られるような痛みを覚えた。

 

 「ただ、ジュエルシードの収集に関してはユーノ君にも色々手伝ってもらうことになるわ。 恥ずかしい話だけど、アースラは管理局の部署では警邏隊に所属しているからロストロギアの専門家がいないのよ

 

 

 時空管理局の部署は大きく分けて三つある。第一管理世界の治安維持を目的とする陸と、ロストロギアの回収を主な任務とする海、そしてあらゆる次元世界の管轄を任される空だ。

 

 アースラの所属は空となっており、今回のようなケースは本来であれば海の管轄になる。海に所属する次元艦であれば最低一人はロストロギアについて深い知識を有する専門家が乗艦しているのだが、たまたま近くの次元海を巡航していたアースラには当然そんな専門家はいない。

 つまり、直面した事態に最も有効な対処を助言できる知識を持っているのはスクライアとしてのロストロギアの発掘経験が豊富にあり、ジュエルシードを掘り起こした張本人であるユーノただ一人だけなのだ。 

 

 「はい……。 僕にできることなら、なんでもやります……」

 

リンディの申し出に、ユーノは逡巡することなく首を縦に振った。

 悲劇のきっかけを作り上げてしまったことに対する贖罪か、目を潤ませ、青白くなった唇をかむユーノは苦しみを味わっていて、もし事件を解決に導き事態を収束することにほんの少しでも自分にできることがあるのならば力になりたいという気持ちが言葉にせずとも伝わってくる。

 

 不意に、扉をたたく音が部屋に響いく。そして、一瞬おいて一人の少女が艦長室に入ってきた。

 

 「失礼します」と、一例を加えて入ってきたのはエイミィ・リミエッタだ。短めに切りそろえた焦げ茶の前髪から覗く大粒の双眸にはまだあどけなさが残る顔立をしているが、アースラでオペレーターを任されている幹部候補生であり、まだ未熟ながらも、非常に優秀な人材である。

 書類をとじたファイルを片手に入室したエイミィの表情はあからさまに強張っており、含みを入れた視線で一度ユーノを一瞥すした。

 その隠微を孕んだその様子をリンディは察し、小さく一度頷くとクロノに視線を移す。

 

 「じゃあ、話しがまとまったところで、クロノ執務官。 ユーノ君に艦内を案内してあげて。 民間協力者レベルまでの機密解除の許可をするわ」

 

 「わかりました。 行こう、艦内を案内する」

 

 リンディの命令にクロノは首肯で答え、ユーノに立つように促す。ユーノは「はい」と憔悴した声でクロノに従い、二人は艦長室を出て行った。

 

 艦長室に残ったのはリンディとエイミィだけになる。

 

 「彼のご両親とは連絡がついたの?」

 

 「はい。 父親の方は海外に出張していてつかまりませんでしたが、母親の方とはコンタクトがとれました。 それで……、その母親に関して報告が……」

 

 普段は快活なエイミィが言葉を言い淀むのを見て、リンディは嫌な予感が胃の腑にこみ上げてきた。

 

 「現地の警察機関を称してアポイントを取ろうとしたのですが、少年の母親の緋山亜希子は時空管理局の存在知っていました。 緋山亜希子は第97管理外世界、地球の現地協力者リストにも記載されていませんし、またかつてそうであった記録も残っていません。 もしかしたらはぐれの魔導師の可能性があります。 そうだとしたら……、確か管理局に届け出を出さずに管理外世界に逗留するのは次元法に抵触することなのでは……

 

 

 「また面倒なことに……。 頭が痛くなってきたわ……」

 

 こうした嫌な予感は大抵当たるものだ。

 ロストロギアを巡って対立する謎の敵対勢力だけでも厄介だというのに、それに加えて史実が伝説へとまで昇華したデバイスの発見。そしてそのデバイスを所持していた少年が致命重傷から謎の蘇生。この時点で物語は複雑に絡み合い、報告書にどう書いていいのかと頭を悩ませているのに、それに加え少年の母親が次元犯罪者の可能性だ。

 魔法文化すらないこんな辺境の次元世界に、いったいどれほどの因果が詰め込まれているのだろうか。

 

 苦い唾を飲み込むと、リンディは小さく溜息をついた。

 

 「取り合えず、そのお母さまの資料を頂戴」

 

 「はい。 これです」

 

 眉間を指先でほぐしながらリンディが手を出すと、エイミィは持ってきていた封筒を渡す。

 中身は戸籍謄本、履歴書、免許証、アースラから地球のサーバーにハックして入手できるだけ手に入れた緋山亜希子に関する個人情報だ。

 リンディは慣れた手つきで封筒を開け、心臓が一瞬凍りついてしまったかのように固まった。

 

 「エイミィ……。 これ……、管理局の殉職者リストとは照合した?」

 

 震える、硬質なリンディの声色にただならない気配を感じたのか、エイミィは首をかしげる。

 

 「いえ、そこまではやっていませんけど……」

 

 リンディは極限まで圧迫されていた何かが音を立てて弾け、胸の中にスッと冷めたものが広がるものを感じた。

 

 「セキレイ・クロスフォード……。 まさか……、生きていたなんて……」

 

 無表情でリンディを見る免許証の写真の女は、リンディが良く知る人物だった。

 

 ◆◇◆

 

 

  アースラの医務室は決して広いとはいえない。

 12畳ほどの部屋に詰め込まれたラックと、その上に整然と並べられた医薬品、そして様々な医療機器が部屋を圧迫していた。

 部屋には様々な医薬品の匂いが入り混じり、白を基調としたその様式は無機質で、生の気配を感じることができなかった。

 それでも、この部屋が命を取り溢しかけている人間にとっての最後の希望であるのだと考えると、奇妙な気持ちが胸中を締める。

 

 医務室に整然と並べられたベッドは全部で三つあり、埋まっているのは一番左端のものだけだ。

 染み一つない真っ白なシーツをかけられ、静かな寝息を立てているのは一葉だ。

 まるで授業中に居眠りをしているかのようにその表情は穏やかで、身体を揺すれば目を覚ますのではないかと思ってしまうほどだ。

 それでも、どんなに耳元で呼びかけに声を震わせても、一葉は目を覚ますことはなかった。

 今、医務室に居るのは昏々とした眠りに捕らわれている一葉と、目元を真っ赤になるまで泣き腫らした、表情に憔悴の影を落とすなのは。そして枕元で目を覚まさない主に寄り添うベヌウだけだ。

 医務官のトルカンは、艦長と話しがあると言い残して医務室を後にしたまま戻ってきていない。

 

 

 掛け布団から投げ出されている一葉の左腕には、栄養を流しこむための点滴に繋がる管が差し込まれている。

 時計もなく、時間さえも停滞しているようなこの空間で点滴の落ちる水滴だけが静謐に時を刻んでいた。

 

 一葉がここに寝かされていから、なのはは一瞬たりとも一葉から手を離すことはなかった。

 手に触れる仄かな温もりには生があり、命があった。

 貫かれた心臓から湧水のように止まることなく吹き出し続ける血に、冬の石のように冷たくなっていく一葉の死の温度を知ってしまったなのはにとって、こうしてずっと手に触れて生の温もりを感じていないと底の見えない深い闇の恐怖に引きずりこまれてしまうような気がしたからだ。

 

 畢竟、なのはは何もできなかった。

 狂おしいほどに一葉の力になりたいと願い、愛情と賞賛の見返りもなくただ献身を尽くそうとした結果として、最後に手元に残ったものは凍りつく心が粉々になるほどの厳しさと残酷さ、そして魂の残滓のように昏々とした眠りにつく一葉だけだ。

 

 __彼を殺したのは君だ

あの時、アゼルに言われた言葉が耳の奥にこびりついて離れない。

 実際はあらゆる不慮の遭遇による結果だったのかもしれないし、あるいは一葉が強い自分を基準にして弱者への配慮を欠くような少年でいてくれていたのならば結末は違ったものになっていただろう。

 だが、非情にも時間とは撃ち放たれた矢に似ている。

 一度手元から離れてしまえば戻ってくることは二度となく、どんな結末を貫こうと止まることなくにさらなる未来へと突き進んでいってしまう。

 今回のことだってそうだ。もし、このまま一葉が永遠に目を覚ますことがなければ……、という嫌な想像ばかりが脳裏を過っては後悔となって沈澱していく。

 

 そして、枕元で翼をたたむベヌウもまた沈痛な面持ちで一葉を見ていた。

 ベヌウが一葉と共に過ごした時間は永いわけではない。それでもベヌウは一葉がどういう少年であったのかは理解していたつもりだ。

 

誰よりも抜きんでようとしているわけではないのに自らの足を使う独力を好み、誰に持ちあげられるわけでもなく、他人の頭や背に乗ることもせず虚飾を嫌う。そして、人の領域を超える能力を持ってなお、能力を慎み、また能力を超えるようなことを欲っさない誠実を持つ少年。

 その癖、自らに不審を抱き“緋山一葉”という俳優を演じる哀れな道化でもあった。一葉の演技は他者に対してではなく自分自身に虚偽であり、それが藪睨みであるということにすら気付かずに強がりの仮面で常に己を偽る少年。

 

 いうなれば、無意識の誠実と、悪しき虚偽が混じり合う混沌。未熟な身体に宿った熟れた精神で、その無意識の誠実を鎖として巻きつけ、負の感情と精神を縛り封じていた。

 それはきっと耐えがたい苦痛のはずなのに、しかしそれを苦痛としなかった一葉はきっとどこかが壊れてしまっていたのだろう。

 部品が足りていなかったわけではない。作り方を間違えてしまった歪な人形のように。

 

 ベヌウはそんな一葉に深い憐憫の情を抱いていた。そして、一葉を救えない自分の無力を嘆いていた。

 なればこそ、ただ傍に居ようと心に決めていたのだ。

 一葉が人の心を失った獣となろうが、戦場の修羅と為り果てようが、主従の関係ではない。

 ただ、人間だった緋山一葉を知る一人の友として。

 

 だが、運命はそれさえもベヌウに許しはしなかった。

 

 もはや、いったい自分がどうしたらいいのかさえもわからない。

 ただ吹き零れてしまいそうな感情を必死に抑えつけるために、ベヌウはなのはと言葉を交わすこともなく沈黙に徹していた。

 

 不意に、ドアロックが解除される音が部屋に響く。

 ヒールがぶつかる高い音を響かせ、ベッドを区切るカーテンを開いたのはリンディだった。一瞬、なのはは視線を一瞥するが、すぐに一葉に視線を戻してしまう様子を見てリンディは困ったような笑みを浮かべながら、軍人らしく背筋を伸ばしながらも穏やかな気性を窺わせる柔らかな声音で尋ねた。

 

 「お名前はなのはさん、でいいのよね? あと、護国四聖獣の貴女も少しだけお話しを聞かせてもらってもいいかしら?」

 

 「……はい」

 

 なのはは悄然とした表情のまま一葉に視線を向けたまま、小さな声で応える。対して、ベヌウは気丈な面持ちでリンディに視線を合わせた。

 

 「私には、一葉から頂いたベヌウという名があります。 リンディ・ハラオウン艦長。 先の無礼をお許しください。 あの時、貴女がいてくれなければ一葉の命をあのまま取り溢してしまうところでした。 感謝いたします

 

 

 「あの状況では取り乱してしまっても仕方ないわ。 それに、ああなってしまった原因のほとんどは私たちの不手際によるものだったもの」

 

 あの時、クロノの乱入で戦場の場が乱れたことは間違いはない。確かにそれによって帰結する結果が変わった可能性はあるが、どちらにしても凄惨たる結末は免れなかったはずだ。

 あの場で命を落とすのは一葉かアゼルか、どちらにしてもあの状況はどちらかが死ぬまで決着がつく事はなかった。

 それに、もしかしたらなのはという枷があの場に居た時点で既に勝敗は決していたのも知れない。

 

 それでも、リンディが自らに非があるような言葉を選んだのは、否応なしに事件に巻き込まれ、今こうして残酷な現実を突き付けられているなのはを気遣ってのことだろう。

 

 「一葉くんは……、いつ目を覚ますんですか?」

 

 なのはは哀しくなるほどに動かない、気を抜けばこのまま遠ざかって行ってしまいそうな代替の利かない命をこの場に繋ぎ止めるかのように一葉の指先に自らの指を絡めながら呟くような声でリンディに訊ねた。

 重苦しいなのは表情に、リンディは息苦しさに胸を締め付けらるような気がした。

 

 リンディ自身、9年前に夫を亡くしている。大切な人を失う悲しみは知っていた。それに加え、なのははまだ幼い少女だ。

 小さな胸に穿たれた大きな穴の大きさは、リンディでさえ推し量れなかった。

 

 「ごめんなさい……。 それは私にもわからないわ」

 

 「そう……ですか……」

 

 なのはは自分の質問の答えを分かっていたはずだ。それでも、気休めでも慰めでもいいから、すぐに目を覚ますと言ってもらいたかったのかもしれない。

 ただ、胸に圧し掛かる重みがずしりと増した。

 

 「私たち管理局は一葉君のご両親に今回のことを報告しなければならないの。 今後のことも含めてね。 それでね、なのはさん。 貴女はこれからどうするの?」

 

 どうする?というリンディの言葉が胸に差し込み、なのはは体をひと揺れさせた。顔を上げ、リンディに視線を向ける。

 視線が絡むと、リンディは答えを促すように小さく頷いた。

 

「これからの……こと?」

 

リンディの言葉を反芻する。自分がこれからどうするべきなのか、考えてもいなかった。それでも、このまま目の前の哀しみに暮れて、ただ辛さに俯いているだけではきっと駄目なのだということはわかった。

ジュエルシードを巡るこの物語はまだ終わっていない。もしこのまま自制や諦念に走り、哀しみを押し殺してでも今日のことを忘れてしまうことがきっと一番自分にとって安全なのだろう。

それでも、自分がこの物語の配役についていることで変わる未来があるのなら、なのははそれを見届けたかった。

そして何よりも、一葉のためにこの物語を少しでも早く終焉に導きたかった。

 

「私は……」

 

 このまま力になりたい。少しでも手伝いたい。

 なのはが桜色の唇を躊躇いがちに開こうとした時、ベヌウが二人の会話に横から口を挟んだ。

 

 「ハラオウン艦長。 高町嬢はレイジングハートを取り上げ、即刻家に帰すべきです」

 

 「……ッ!? なんで!?」

 

 ピシャリと言い放つベヌウになのはは声を荒げ、椅子を揺らし立ち上がった。

 ぶつかり合う視線。熱の籠るなのはとは対照的に、ベヌウの視線は理性的だった。

 

 「これ以上は危険だからです。 高町嬢も見たでしょう。 アゼル・テスタロッサは躊躇いも逡巡もなく一葉の心臓に槍を突き立てた。 そしておそらく、彼は既に地球で5人は手にかけているはずです」

 

 「え……?」

 

 ベヌウが吐き出した衝撃的な言葉を、なのはは一瞬理解できなかった。驚愕に表情が強張る。

 しかし、そんななのはの様子に構いもなくベヌウはさらに言葉を続けた。

 

 「ここ数週間……、ジュエルシードが地球に墜ちてから関東圏内で不審死事件が何件か起きています。 そのいくつかには魔法の痕跡が認められました。 ハラオウン艦長。 貴女ならばこのことを把握しているはずですよね

 

 

 なのはから移す視線に、リンディは気まずそうに眼を伏せた。

 それがリンディにとって肯定の意味であることになのはは気がついた。そして、その真実に氷の刃で切り裂かれたような痛みが胸に走る。

 

 なんということだろうか。

 なのはが魔法に首をつこったんだ初心は誰にも傷ついて欲しくないというあくまで善行的なものだった。一葉を目の前で失いかけた上に、それすらも自分は守れていなかったのだ。

 

 「そん……な……」

 

 喉が強く締め上げられ、脱魂した様子でなのはは崩れるように再び椅子に座りこんでしまう。

 頭の中にあった差し込むような熱が急速に失われ、知らしめられた惨禍に虚無が全身に広がった。

 

 「高町嬢……。 一葉が殺人を禁忌とせず命を奪うことを厭わない相手に命を張ってまで戦った最初の理由は、貴女に傷ついて欲しくなかったからです。 一葉がこうなってしまった以上、どうかその願いだけは察して下さい。 ハラオウン艦長も、お願いいたします」

 

 「……やだ」

 

 絞り出すようななのはの声に、ベヌウはリンディに向けた視線を再びなのはに戻した。そこにあったのは、思いつめたような表情の上に嵌めこまられた、哀しみと決意がごちゃまぜに混ざった大粒の瞳だった。

 

 「そんなのやだよ! 私はッ……、私は最後まで手伝う!!」

 

 「高町嬢……。 お願いですから、どうか聞き分けてください。 もし高町嬢の身に何かあれば、それこそ一葉が目を覚ました時に私は顔向けができなくなってしまいます」

 

 目じりに涙をため声を荒げるなのはに、ベヌウは諭すような声で言う。それでも、なのはは一葉と繋いだ手に力を込めて自らの決意を吐き出した。

 

 「だって……、そんな話しを聞いちゃったら尚更だよ! 一葉くんが私のために戦ってたって言うんだったら、今度は私が一葉くんの為に戦う! 一葉くんが目を覚ました時にはもう全部が終わってるようにしてあげたいの! お願いします艦長さん! まだ何も終わってないんです! 私にジュエルシード探しを手伝わせてください!!」

 

 いつかの夜、ベヌウに言われたことを思い出す。

 自分は無知だった。その無知を振りかざして、一葉から与えられるだけのものをもらい続けていた。

 それは安らぎだったり、温もりだったり、楽しい思い出だったりと様々なものだったが、結局自分は今日までなにも返せないままでいる。そして、なにも返せないまま一葉を失いかけてしまった。

 だが、まだ手遅れではないのだ。

 もし罪の贖いが許されるのであれば、自分にできることは一つしかない。

一葉を苦しめていたこの物語を、終末へと導く事だ。

 

 なのはの必死な声に、リンディの顔つきが変わる。

 それは先ほどまでの、なのはを気遣う柔和で穏やかな物腰を窺わせるものではなく、任務、責任、義務の全て背負った、軍人としての顔だ。

 

 「なのはさんの気持ちはよくわかったわ。 それでも、貴女のような年端のいかない子供を危険に巻き込むわけにはいかないのよ

 

 

 「そん……な……」

 

 突き放すリンディの言葉に、なのはは落胆に表情を歪める。

 

 「だけど、なのはさんの方が私たちよりもジュエルシードにも、ジュエルシードを集めている彼らに詳しいことも事実だし、それになのはさんには力があるわ。 現地協力者の嘱託魔導師としてならば、アースラはなのはさんを受け入れる準備が出来ているわ

 

 

 「しょくた……、え?」

 

 聞きなれない言葉になのはは戸惑う。それは結局のところ、協力をさせてくれるのだろうか?

 

 「ハラオウン艦長……」

 

 ベヌウはリンディがどういう話しの流れに持っていこうとしているのか察したらしく、不穏な声をリンディに向ける。しかし、リンディはわざと聞かなかったような素振りで言葉を重ねた。

 

 「嘱託魔導師というのは、正式に管理局に属さない魔導師に仕事を依頼して手伝ってもらう人たちのことよ。 本来だったら試験を受けて合格をしなければならない資格なんだけど、次元艦の艦長には管理局にとって有益であると判断した現地住民に一時的に資格を与える権限を持ってるの

 

 

 「やります! お願いします!!」

 

 「ただし!!」

 

 リンディの提示に食い付くなのはに、リンディは声で制止する。

 

 「それには条件がいくつかあるわ。 まず第一にご両親の許可を頂いてくること。 そして、許可を得た後は私の指揮下に入ること。 他にも細々としたことはありますが、特にこの二つは厳守してもらうことになるわ

 

 

 「ハラオウン艦長!!」

 

 怒声ともとれる声にリンディもさすがに無視できなくなったのか、荒げたベヌウに厳しい面持ちで視線をやった。

 

 「私は可能性を提示するだけであって、決めるのはベヌウさんでも私でもなくなのはさん本人よ。 どうかしら、なのはさん。 私個人としては、正直に言ってなのはさんをアースラの戦力として迎え入れたいと思っているのだけれど……」

 

 リンディの真っ直ぐな視線に、なのはは一瞬跳ね上がった心臓を整えるために一度深く息をつき、真剣な口調で答える。

 

 「私は、いつも一葉くんになにかを貰ってばかりいました。 それを……、今だったらほんの少しでも返せる気がするんです。 どんな条件でもかまいません。 私はこの物語から逃げ出したくないんです」

 

 「わかったわ。 だったらアースラとの合流はなるべく早い方が良いでしょう。 ご両親の許可が降りたら、今夜の0時に私たちが最初にあった場所……、海鳴公園の広場に来てちょうだい。 今、なのはさんをポートまで案内させる人を呼ぶわ

 

 

 リンディは左手首に巻かれた腕時計のようなものを細い指先で操作すると、小さな透過スクリーンにエイミィの顔が浮かび上がった。

 二、三言で用件だけを手短に伝えると、すぐに医務室のドアが開く音が聞こえてきた。おそらく、医務室の外の廊下で待機していたのだろう。

 

 「エイミィ、なのはさんを案内してあげて」

 

 「わかりました」

 

 リンディの命令を忠実にこなす軍人の顔を張り付けたエイミィに、なのははおとなしく付いていこうと腰を上げ、名残惜しさを覚えながらも繋いでいた一葉から手を離す。すると、ベヌウに呼び止められた。

 

 「高町嬢はそれでいいのですか? もしかしたら、今よりの凄惨な結末と絶望を目の当たりにすることになるかもしれませんよ」

 

 「……、それでも私はここで絶対に逃げたくない。 ここで逃げたら、私の中の大事なものがなくなっちゃう気がするから」

 

 「大事なものをなくしても命までなくすことはありません。 高町嬢、今一度考えなおしてください」

 

 「……ごめんなさい」

 

 ベヌウがなのはの身を本当に案じていることはわかっている。それでも、無理を通してでも今の現状にしがみつかなければ、きっと自分は自分を許すことができなくなってしまう。二度と一葉の隣に居ることができなくなってしまう。

 そして、二度と一葉の隣で一緒に笑うことができなくなってしまう。

 そんなことは絶対に嫌だった。

 

 なのはは首筋に感じるベヌウの視線から逃げるように、エイミィと共に医務室を出て行ってしまった。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 「ハラオウン艦長、私は貴女を蔑如します。 高町嬢のような幼い少女を戦場に出すなど、まともな大人のやることではありません

 

 

 なのはの出て行った医務室にはリンディとベヌウしかいない。話し合いの最中はトルカンには席を外してもらっていた。

 ベヌウの深い蔑視にリンディは気まずそうに眼を逸らすでもなく、真っ直ぐと受け止める。

 

 「その通りね。 私は貴女の言う通り軽蔑されてしかるべき人間よ。 なのはさんは私たちの戦力になりえる十分な魔力を持っているし、何よりなのはさんを引き込めば……、ベヌウさん。 護国四聖獣である貴女も付いてくるとも考えていたわ」

 

 「悔しいですがハラオウン艦長の思惑どおりですよ。 一葉が高町嬢を守ろうとしていたのならば、私もまた高町嬢を守らなければなりません」

 

 ベヌウが吐き出すように言うと、リンディはなのはが座っていた椅子に腰を下ろした。

 

 「そうね。 だけど、私は戦うこと自体が悪いことだとは思っていないわ。 詭弁だと思うかもしれないけれど、戦うことでしか見つけられないものもあるし、守れないものもある。 なにもせずにしゃがみこんでしまうことは誰にでもできることだけど、それではなのはさんが救われないわ

 

 

 なのはの目は、夫を失った時の自分と同じ目をしていた。

 どうすることもできず、ただ過ぎ去って行く状況を傍観することしかできずに夫を目の前で亡くしてしまった時の哀しみや苦しみ、心臓がねじ切れてしまうのではないかと思うほどの絶望をまだ幼い少女に味あわせるような真似はしたくなかった。

 

 「待っていることの方が辛いことだってあるのよ。 私は純粋になのはさんにこの物語の結末を見せてあげたいの。 だから、なのはさんには極力後方支援にまわってもらうようにするわ

 

 

 「当然です。 高町嬢には才能があるとはいえ、戦闘に関してはことさら素人です。 今日まで大きな怪我もなかったのは奇跡ですよ」

 

 「そうね……。 きっと、この子がなのはさんを守ってきたおかげよ……」

 

 リンディはそっと一葉の頬に手を触れる。浅い呼吸を繰り返すだけの、物言わぬ少年の穏やかな寝顔をこうして見ると、漆黒の色の髪や切れのある目元、唇の形なども母親によく似ている。

 

 「本当にお母さまにそっくりね……。 それなのに……、同じような運命を辿るなんて可哀想な子

 

 

 リンディがこぼす憐憫の声を、ベヌウは聞き逃さなかった。

 

 「一葉の母を知っているのですか?」

 

 「ええ……、昔の知り合いよ。 私の後輩であり、部隊の上官でもあったわ」

 

 過去を懐かしむように、リンディは長い睫毛を伏せる。

 リンディの記憶の中の一葉の母は、なにも持たない者だった。

 与えず、守らず、己すらも棄てさりただひたすらに奪い続ける悪魔のような強さを持つ女。生きては戦場の修羅でありながら、死しては一握の灰も残さないような、そんな生き方をし、赦しも救いもない壮絶な戦いの中で死んでいった。

ずっとそう思っていたのに、その女の産んだ子が、世代を超えて、こうして戦いの運命に巻き込まれているのだと思うと憐れみさえも通り越して自身も哀しみの沼に足を捕まってしまったかのような気持ちになる。

 

 だが、だからと言ってそのまま哀しみに流され同情に身を任せてしまうわけにはいかない理由がリンディにはあった。

 もし、運命というものが本当にあるのならば、それはきっとこの日のために用意された言葉なのだろう。

 この地球という次元世界に詰め込まれた因果の渦に自分自身も含まれていたのだと、セキレイの存在を知った時にリンディは確信にも似たものを感じていた。

 

 

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