魔法少女リリカルなのは Broken beast   作:やまあざらし

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  それから、亜希子が涙を強いて止めると、二人は艦長室から出て、一葉の眠る医務室へと続く廊下で本題に入った。

 込み入った、同時に件を隠蔽することにしたからには人に聞かれてはまずい話しだ。艦長室で腰を据えるよりも、こうして移動しながらの方が人に聞かれるリスクは少ない。

 時折すれ違う、管理局の制服を着た乗組員もリンディに会釈をするだけで気に留める様子はなかった。

 ジュエルシードが空から墜ちてきたこと、月の踊り子のこと、そして一葉となのはが魔法に目覚めたことは、亜希子は既に知っていた。

 知っていて、なぜ手を貸さなかったかとリンディは尋ねると、亜希子は胸に手を、当て、苦い表情で答えた。

 

 「私のリンカーコアは、もう壊れてるんだ。 魔法を発動させようとすれば全く反応しない時もあれば、暴走を起こすこともある。 一般人相手だったらまだしも、魔導師としては私はもう戦えないんだ」

 

 草の凪ぐ公園で再会を果たした時、過去を振り返るような目つきで魔導師としての自分は死んだと言った亜希子の姿をリンディは思い出した。

 

 「それに、この戦いはあの子の戦いだ。 親が出張る幕はないよ」

 

 「それが……、命を賭けた戦いでも?」

 

 「それでも、信じるのが親の役目さ。 男の子が男になろうとしてるんだ。 それにわかるんだ。 なんとなくだけど、これはあの子のために用意された戦いだって

 

 

 亜希子の眼は、なにかを悟った色をしていた。一葉の持つ能力や、悪しき巡り合わせ、その全てを承知した上で、彼女は心の内で息子の行く末を見守ることを決断したことがわかった。

 

 「一葉君が能力を発動させるたびに、微弱の次元震が確認されています。 恐らく、空間そのものに干渉する能力だと推測されますが、それでも転移魔法に属するものでもない。 先輩は、なにか御存じではありませんか?」

 

 取り込んだ昔話の時は、僅かな興奮のせいで砕いた口調になっていたリンディの言葉づかいは、かつてのような慇懃なものに戻っていた。

 亜希子はその口調に違和感を感じて、微かに顔を顰めた。

 

 「私も詳しくは知らないよ。 だけど、あの能力は転移魔法どころか、そもそも魔法の類の能力じゃない。 だけど、もし無理やり魔法に分類するのであれば魔力資質変換に近いものだと思う。 それと、敬語はやめて。 先輩はもう私の部下じゃないんだから

 

 

 「それは承知しています。 セキレイ・クロスフォード三等空佐は10年前のあの日に殉死しました。 あの人がもし生きていて、貴女を前にすれば同じ対応をとると思います。 今、私の目の前に居るのは緋山亜希子さん。 地球に落ちたロストロギア事件に巻き込まれた被害者の母親です。 一管理局員として無礼な態度はとれません」

 

 徹底して正論であった。

 今のお互いの立場は、かつての役職の上下関係ではなく管理局員と一般市民だ。リンディはそれを貫こうとしたのは、きっとある種のケジメなのだろう。

 リンディの堅い口調に亜希子は察し、これ以上言葉遣いについて要求することはしなかった。

 

 「話しを戻させていただきますが、魔力変換資質に近いという根拠は?」

 

 「魔力変換は魔法を発動した際に本人が意識せず行われるものだ。 呼吸と同じだよ。 あの能力はきっと、本人が意図せず発動している。 一葉が剣に変えていた鍼は養父の形見なんだけど、あれはきっと剣に変えているわけじゃなくて、剣に変わってしまっているんだと思う。 それに……、もしかしたらそれ以上のこともできるかもしれない

 

 

 能力ではなく生態。意図として事象を引き起こしているのではなく、能力発動の際、そうした事象が引き起されてしまうものであるものだというのが亜希子の見解だった。

 もしその推測が正しければ、鍼を剣に変えることが力の本質ではなく、その一端に過ぎないはずだ。だが、亜希子もこれ以上のことはわからなかった。

 

 「然るべき施設の、然るべき専門家に聞けばなにかわかるかもしれないけど……」

 

 「つまりは、わからずじまいってことですね……」

 

 リンディは一葉について管理局は関与しないと明言していた。つまり、然るべき専門家に意見を聞けるはずもなく、結局のところ迷宮入りということになる。

 だが、二人にとってこのことは些事に過ぎなかった。

 最も追求しなければならないことは、今の一葉の容体についてだ。

 

 「本人が目を覚ました時に聞けばなにかわかるかもしれない。 一葉自身がどれほど自分の力を把握してるかまではわからないけどね。 それよりも……、今はあの子自身の身体についてだ。 デバイスが心臓になってるってどういうこと?

 

 

 「正直、私たちもわかりません。 一葉君の……、その……。 戦闘中に心臓が破壊され、今はその役割をデバイスがになっているということです」

 

 「生きては……いるんだよね? それでも、生きてるだけってことは……」

 

 流石のリンディも、一葉が致命重傷を負ったことに関しては言葉が言い淀んだ。亜希子もまた、その事実に心臓を素手で掴まれるかのような不安が圧し掛かった。。

 

 「脳波は正常です。 植物状態ということもありません。 グランガイツ医師によると、今はただ眠っているだけだそうです」

 

 「……。 今、この艦に乗ってるんだよね?

 

 

 トルカンの名に、亜希子は苦しそうに眉をひそめた。

 亜希子は、トルカンと面識があり、任務で負傷した際、幾度となく治療を受けていた。それ故、あの髭面禿頭の男の腕を知っており、この艦に乗っていたことは僥倖であると捕えるべきであるはずなのに、素直に喜ぶことはできなかった。

 

 「その時の映像は……」

 

 「魔導師の戦闘記録は特秘事項になります。 申し訳ありませんが、一般人にはお見せすることはできません」

 

 リンディは、亜希子が言い終える前に言葉を被せた。

 この時、リンディは亜希子に隠していたことがあった。

 それは、一葉が蘇生したきっかけとなったと思われる謎の魔法陣。その場に居た人間の魔力を根こそぎ奪い尽くしたあの魔法の存在を亜希子に伝えることはしなかった。

 亜希子は、はねつけるようなリンディの口調に軽く溜息をついた。きっと拒絶の答えを予想していたのだろう。

 一葉が蘇生した時、デバイスが一葉の心臓となる時にそれ以外の何かが起こった。それこそ、きっと管理局の人間以外に知られてはまずいなにかが。

 亜希子は、リンディがなにかを敢えて言葉にしなかったことに気が付いていたが、これ以上、映像の開示や当時の詳しい状況を追求しても答えは返ってこないと、管理局員時代の経験でわかり、これ以上の言葉はなかった。

 

 いくつかの分岐点を曲がったところで、リンディは重厚そうな扉の前で立ち止まった。しなやかな掌を扉の横に設置された開閉パネルに合わせると、ドアロックが外れ扉が開く。

 見かけの重厚さによらず、軽快に開いた扉の奥には、亜希子が良く見知った顔が待っていた。

 

 「久しぶりだな

 

 

 「……」

 

 トルカンの出迎えに、亜希子は一歩踏み出すことが躊躇われた。

 天上から灯る白熱の明りは白い壁に反射し、少し眩しい。トルカンの肌は色黒だが、大柄な体格の上から羽織る白衣も白い背景に溶け込み、顔に刻まれた複雑で険しい表情だけが部屋に浮いて見えるようであった。

 

 「なにつっ立てるんだ。 早く入れ。 息子が待ってるぞ」

 

 トルカンの促され、亜希子は重たい足を前に出す。

 医務室特有の消毒液の匂いが鼻孔につき、その香りがまるで鉛となって胃の中に入ってくるような気持ちだった。

 トルカンと亜希子の関係は、ただの医師と患者にとどまるものではない。そのことをリンディは承知していて、二人の間に漂う不穏な空気にあえて口を出すことをしなかった。

 

 トルカンは、カストルの父であった。同時に、当時の真相を知る数少ない一人でもある。

 まだカストルが闇の書に選ばれる以前、カストルに紹介され何度か一緒に食事をしたこともあるが、あの頃はまだ、カストルとの未来が希望に溢れ、自分が幸福になれると疑っていなかった。また、この禿頭の男が自身の養父に、初めての親になると信じていた。

 この男の顔を見ると、まだ夢に溢れ、まだ未来になにが待ち受けているのかも知らない少女であった頃の過去を否応なしに思い出してしまう。

 

 「あー……。 奥のベッドに寝かしてある。 顔を見てやれ」

 

 トルカンは気まずさをごまかすかのように、毛のない頭を一掻きすると、そっけなく一葉を横にしているベッドに促し、自分は散らかったデスクのイスを引いて座ってしまった。

 その様子を見て、亜希子の前を歩いてたリンディは半歩身を引いて道を開ける。

 亜希子はトルカンにかける言葉も見つからず、乾いた唇を貝のように閉ざしたまま促されるまま、ベッドを仕切る染みの一つもついていない真っ白なカーテンを引いた。

 そこには、普段家で昼根をしている時のような無防備な寝顔を晒す我が子と、その枕元には最近になって家に住むようになった真っ黒い鳥がいた。

 

 「月の……、踊り子……」

 

 ポツリ、と唇から零れた亜希子の声に、ベヌウは緑色の双眸で亜希子を見上げた。

 普段、家では感情を知らぬただの鳥のような振る舞いをしているが、今ベヌウの顔には深い憂いをたたえる人間のような悲哀の情が見て取れた。

 

 「先ほど、ハラオウン艦長から聞きました。 御母堂、貴女も魔導師だったのですね」

 

 「まあ……。 私は、あんたが月の踊り子だって直ぐに気がついたけどね」

 

 それは、嘘ではなかった。真っ黒い鷹などメラニズムでもない限り地球には存在せず、しかし、ベヌウの体色は漆黒というわけではなく光の角度によって色調を変える。

 何より、魔法世界では知らぬものがいない程の有名な騎体だ。確信へと変わったのは、動物病院を襲撃したジュエルシードの暴走たいとの戦闘の時だ。

 あの時、亜希子はその戦闘を遠くから見ていた。

 

 「申し訳ありません……。 貴女の御子息を守ることができませんでした……

 

 

 水底に沈んでゆく枯葉のように沈鬱な声だった。もし、ベヌウが人の姿をしていたのなら、亜希子の前で深く頭を下げていただろう。

 魔導師としての一葉は亜希子よりも、ベヌウの方が知っているはずだ。亜希子も、二人がどのような時間を過ごしたのか全てを知っているわけではないが、それでも無意味に過ごした数年よりもずっと意味の籠った時間を過ごしていたことはわかっていた。

 もしかしたら、魔法に目覚めた一葉とって誰よりも近くに居る存在なのかもしれない。それだけに、亜希子から罵りや蔑みの言葉は出てこなかった。

 

 「その子は俺の孫になるのか」

 

 椅子にもたれながら、亜希子に視線を向けることもなく不意にトルカンが口を開いた。その声色は、どこか感傷的なものであった。

 

 「……はい」

 

 亜希子もまた、トルカンに背を向けたまま、一言のみで答えた。

 背を向けあったまま、しかし二人の間には幾星霜の時間の重みと、深みがあった。

 二人は、かつて非常に良好な関係にあった。しかし、二人を引き離した十年の空白と出来事は、昔の通りに目を合せて語らいができる程、優しいものではなかった。

 

 「セキレイ。 お前はさぞ俺を恨んでいるだろうな。 実の息子が生きたまま氷漬けにされようとしているのに、何も声を上げずに、それどころかその決定に同調した俺を」

 

 トルカンの言葉は、半ば独り言のようであった。

 闇の書の出来事は、トルカンにとって苦く、辛い思い出として、胸の奥に消えない傷として刻みこまれていた。

 カストルが闇の書の主に選ばれたと知った時、現実を受け入れられない自分と、現実を受け入れろという自分が同時に存在した。しかし、現実を受けいれたところで、カストルには既に未来はないという現実しか残らなかった。

 未来がないのであれば、せめて息子の命を意味のあるものにしたいと、トルカンは己を律したのだ。

 その決意の裏には、トルカンが医者として出会ってきた多くの人々の姿があった。

 医者という職業を生業としていると、多様な種の人間に出会う。軍医などしていれば尚更だ。

 トルカンが診た患者の中には、カストルが選ばれる以前の闇の書の被害者たちも居た。守護騎士との戦いの中で利き腕を失くし片輪となった陸戦魔導師、リンカーコアが破壊され二度と空に戻れなかった空戦魔導師、恋人を、肉親を失なった憎しみを秘め管理局に入った、まだ年若い魔導師たちを何人も見てきた。

 闇の書は、もはや一個人の人権など天秤にかける必要などないほどに、惨禍と不幸を産み過ぎていたのだ。

 

 「私は人を恨む資格などもってはいません。 仮に、私が誰かを恨めたとしても、あのできごとはどうしようもないことです。 あれは誰も悪くない。 そして、誰もが悪かった。 少なくとも、私はそう思っています」

 

 亜希子は、胸に浮かんだその通りを口にする。もはや理不尽な悲劇としか語る事のできない出来事であった。亜希子は心ではそう納得していたが、どうして口気は苦々しいものになってしまっていた。

 

 「そうだな。 あの時は誰もが正義で、誰もが悪だった。 そのぐらいはわかっているさ。 それでもな、思うんだよ。 十年経った今でもな。 あれは悪だと思い込んだお前たちが正義で、俺たちは正義を謳った悪だったんじゃないかってな」

 

 「正義と悪の二極論で語れる出来事であればどれほどよかったか……。 もし、そうであれば私も先生もこんなに苦悩はしなかったでしょうね。 私が殺してしまった人たちの遺族は、私を憎んでいる。 それは然るべきことであり、当然のことです。 私はその憎しみを罰として受けるべきだと思っています。 しかし、だけど私も心の内では激しい憎しみを、私が殺してしまった人たちに持っていました。 その憎しみを持って、私は私たちの幸福を妨げようとする人たちを殺したんです」

 

 人間が抗えない時代の流れを運命と呼ぶのであれば、まさしくあれは運命であった。そして亜希子が運命に抗った結果も、そして亜希子が奪ってきた命もまた運命であったのだ。

 

 「あの人たちを殺したとき、私は私を正義だと信じて疑わなかった。 だけど、全てが終わって、何もかもが思い出の中にしまわれた今となってしまっては、私たちはもはや過去を顧みることしかできなくなってしまいしたが、もし神様が存在したとして、人間の感情論を除き裁判のように正義と邪悪を決めてくれたとしても、きっと神様は頭をひねらせたと思います。 私たちは誰もが私たちの正義を信じて戦った。そこに、悪自体が存在しなかったんですから」

 

 「それでも、誰かが正義と悪を区別しなければならない。 神の代行者を気取った人間たちの代表がな。 それが社会ってもんだ。 その社会から見れば、悪は間違いなくお前たちだった。 だがな、礼を言わせてくれ。 ありがとう、セキレイ。 あの時、何も顧みずに息子を助けてくれて。 カストルは不幸だった。 社会が作り上げた勧善懲悪の観念に巻き込まれ、理不尽に悪にされてしまったどうしようもなく不幸な男だったんだ。 もしお前がいてくれなければ、あいつは何も残すことなく、生きたまま殺され、死んだまま生かされ続けるところだった。 それなのに、お前がいてくれたおかげで、あいつはこの世界に残すものを作ることができた。 今世界に、あいつが生きた証を残すことができたんだ。 ありがとう。 本当にありがとう」

 

 一葉がカストルの子であったと知った時、胸の奥に深いものが沈んでいくのを感じた。余韻を残して沈んでいくそれは、確かな歓喜であった。

 そして、ただの一患者に過ぎなかった少年がどうしようもなく愛おしいものに変わったのだ。

 ある日突然、なにもかもを失くし世界の敵となった息子が、確かにこの世界に生きた証を残したことが、言葉に表しがたいほどに嬉しかった。

 しかし、亜希子はその歓喜の礼を素直に受け取ることができなかった。

 

 「私は、あなたに礼を言われる資格も持っていません。 私は、地球に来てから幸福でした。 この子を産み、私とこの子を愛してくれる男に出会い、そして今日まで過ごしてきた。 しかし私の今日までの幸福の裏には、カストルとの悲劇があるんです。 私はカストルの不幸と命を踏み台にして、今の幸福を手に入れたんです。 あなたは私に礼を言うのではなく、私を罵るべきなんです」

 

 亜希子にとって、思いがけずに手に入ってしまった幸福には、どうしてもカストルの死が付いて回るものであった。

 カストルのことは今でも愛している。そして、カストルを愛している自分を含めて愛してくれている今の夫も愛している。そんな自分を、亜希子はひどく打算的で、醜い女であると感じていた。

 しかし、自分が悲しい顔をすれば、夫もひどく悲しい顔をする。亜希子は、一人ではなくなっていた。

 だから、自分の内に秘めた感傷を周囲に悟らせない為、強いて陽気な女であるかのように振る舞い続けていた。しかし、夫はきっと、亜希子が一人で過去を抱え込んでいるうことを察しているだろう。

 そのことを、亜希子は短くない夫婦生活の中で気がついていた。

 

 「不幸の上に成り立つことのない幸福などありはせんよ。 人は誰だって、失うことでしか新しいものを得ることはできない。 お前はそれが、たまたま人よりもでかくて重たいものだっただけだ。 お前はカストルを失った分だけ、幸せにならなければならないんだ。 それが、きっとあいつの願いだ」

 

 トルカンの言葉は、まさに善行的なものであった。それは疑いようもなく、トルカンがカストルを失い悩んだ結果としての考えだということが分かった。

 しかし、やはり亜希子はその言葉も素直に受けとめることはできなかった。

 

 「確かに、あの人はそういう人でした。 いつだって、自分のことよりも人のことを気にかけて、それで貧乏くじを引くような人でしたから。 だけど、私は幸せになれても、神様はこの子までは幸せにしてくれなかった。 私が得てしまったものの重さの代償を、この子に背負わせてしまった」

 

 亜希子が産んだ子は普通ではなった。

 一葉の頬に手を触れると、身体は熱かった。こういうところは他の子どもと変わらないというのに、既にこの子は深い業にまみれている。

 カストルから授かったこの子は、持って生まれた力故に、自分のように幸福にはきっとなれないと心のどこかでわかっていた。

 

 「お前は、その子がどんなものを背負って産まれてきたのか知っているのか?」

 

 「知りません。 だけど、普通ではないことぐらいはわかります。 この子はきっと、天命を受けて産まれてきた。 この子を産んで、始めて抱いた時、そう直感したんです。 だから、こうして心臓を破壊されても生きている。 天命によって、生かされたんです」

 

 「生かされた、か。 お前が言うのであれば、そうなのだろうな。 なあ、セキレイ。俺は今更、お前に父親面するつもりはない。 その子に祖父であることを名乗るつもりもない。 だけどな、年寄りのせめてもの願いだ。 その子を幸せにしてやってくれ。カストルが人生を半ばで閉ざされてしまった、その分だけ」

 

 カストルの切実な言葉に、亜希子はなにも答えることはなかった。

 そして、亜希子が病室を去るまで、二人は結局顔を見合わせることは一度もなかった。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 フェイトが部屋に戻った時、外は黄昏時になっていた。家を出る時にカーテンを閉めていなかったせいで、広い窓から夕暮れの日が流れこみ、明りの消えた部屋の壁までも燈色に照らしていた。

 リビングに敷かれた絨毯に浮かび上がった転移魔法の陣が、光の燐となって消える間もなく、フェイトはガクリと膝をつく。

 

「フェイト、フェイト。 大丈夫かい?」

 

崩折れたフェイトに、アルフは心配そうに手を回そうとするが、フェイトはそれをやんわりと手で拒絶した。

 

 「大丈夫だよ、アルフ。 怪我はしてない」

 

「そうじゃなくって、その……。 あのガキンチョのことだよ。 あのまま帰っちまって本当に良かったのかい?」

 

 「あそこにいても……、兄さんの邪魔になるだけだから」

 

 「だけど……」

 

 「それに、大丈夫だよ。 私は大丈夫……。 また元に戻っただけだから、私は大丈夫……」

 

 アルフにではなく、フェイトはまるで自分に言い聞かせるように幾度と大丈夫と繰り返した。

 その様子は、口にしている言葉とはまるで反対であり、顔色もひどく憔悴しており、瞳には力がなかった。

 

 「フェイト、でも……、本当に良かったのかい? だってフェイトは、あのガキんちょのこと……」

 

 「大丈夫だって言ってるでしょ!!」

 

 アルフの言いかけに、フェイトは声を荒げた。

 

 「私が大丈夫じゃなかったら、なに!? アルフは私になにかしてくれるの!?」

 

 アルフがフェイトの使い魔となってから、こんなにもフェイトが感情を昂ぶらせたことなど一度としてなかった。それだけに、フェイトが今、感情の淵にまで追い込まれていることが容易に理解できた。

 

 「フェイト……、ごめん。 私はフェイトを慰めることしかできない……。 でも、苦しいんだ……。フェイトが苦しいと、私も苦しいんだ。 せめてその苦しみを溜め込まないでおくれよ」

 

 アルフは、自分とフェイトは最も幸福であるものの一対であることを信じて疑っていなかった。

 しかし、この地球に来てからの前後の行き掛かりによって、その考えは一方的なものではなかったのではないかと不審を感じるようになっていた。その感情は恐らく、精神リンクを通じてフェイトにも伝わっているだろう。フェイトを想うアルフの労りは、決して虚飾によるものではない。しかし、精神リンクは一方通行によるものではない。

 フェイトから伝わる感情は、ボロボロに切り裂かれた布切れのように酷いものだった。

 

 「そんなことしかできないんだったらあっちに行ってよ! 一人にしてよ!! 私は……っ! 私は大丈夫なんだからっ!! 大丈夫なんだからぁっ!!」

 

 頭を振り、髪を乱しながらフェイトは癇癪を起した気違いのように叫ぶ。見開く瞳には涙が溜まり、身体も小刻みに震えていた。

 もはや、フェイトの精神は限界にきていることは明白であった。これ以上は、きっと心が壊れてしまう。

 畢竟、最初から時間の問題であったのかもしれない。

 アルフはこうなってしまうことを最初からわかっていたはずだった。緋山一葉と対峙したあの時、月の光が降り注ぐ湖の夜に、一葉とフェイトを会わせるべきではなかったのだ。

 フェイトに他人の温もりを教える手伝いをしてしまったことは、アルフにとって痛恨のミスだった。

 フェイトの言う通り、フェイトはまた一人に戻っただけだ。しかし、一度手にしてしまった温もりを、人は忘れることなどできはしない。

 フェイトの恋は、始まってしまう前に終わらせるべきだったと、フェイトの苦しみで満たされる胸中でアルフは悔やんだ。

 不意に、部屋に燐光が浮かんだ。燐光の輝きは、リニスの魔力の色だった。

 魔法陣の上に現れたアゼルとリニスを見て、アルフは目を剥いた。

 

「ただいま」

 

 何事もなかったかのように言うアゼルの顔は、赤い血によって彩られていた。まだ乾ききっていない、顔半分を染める血は首筋を伝い落ちて黒いバリアジャケットに染み込んでいた。

その姿に、取り乱していたフェイトも言葉を失い固まった。

 

 「アゼル……、その血はあんたのものじゃないね。 まさか……」

 

 アルフは掠れた声を出した。アゼルの身体からは二種類の血の匂いがした。

 一つはアゼル本人のもの。そして、アゼルの血の匂いさえも隠してしまうほど濃厚な匂いは、アルフが何度か嗅いだ事のある人間の匂いであった。

 

 「ああ、これは緋山一葉の血だよ」

 

 アゼルは、数学の問いに答えるかのように、さも当然と答えた。

 

「一……葉……の……?」

 

フェイトの声は震えていた。引き絞られた喉から出る声は小さく、信じられないものを目の当たりにした時のように顔が石像のように固まった。

そんなフェイトの様子を見て、アゼルは血を吸い取って重たくなったバリアジャケットを解除し、リニスは何も言わずにアゼルの部屋へと姿を消した。おそらく着替えを採りに行ったのだろう。

 

 「安心しなよ。 命まではとっちゃいない。 だけど、管理局がでばってきたんだ。 僕らの行動はこれからだいぶ制限されることになる。 それこそ彼と管理局が手を組んでしまえば、個人で動いている僕らはまったく身動きができなくなってしまう程にね。 どうあがいても、僕らは組織には勝てない。 だから、ホンの少しでも向うの戦力を削いでおきたかったんだよ。 彼の身柄は母さんが欲しがってるし、これは仕方がない苦肉の決断だったんだ。 わかってくれ」

 

 嘘だ。アルフは直ぐにわかった。

 アゼルは一葉を殺してきたのだ。殺して来て、それでいて嘘をついている。

 しかし、アルフはその嘘を追及することができなかった。

 もし、ここでアルフがアゼルの嘘を指摘し、隠した真実が明らかになれば、それこそフェイトの心を壊す決定打になってしまう。

 当然、隠し通せるものではない。しかし、この場で口を噤むことしかアルフには選択肢がなかった。

 

 「ひどい……、ケガなの?」

 

 フェイトは心の底から心配していた。拒絶されても、やはり捨てがたいものがあるのだ。

 その姿は滑稽にも思えたが、アゼルは苦笑いもせずに言葉を続けた。

 

 「ひどくないといえば嘘になる。 しばらく、彼には動けないようになってもらいたかったからね。 僕らの優先順位はジュエルシードにある。 ジュエルシードがあってこそ彼の存在が意味をなすと母さんも言っていた。 ジェルシードを集め終わったら、そうしたら彼を迎に行こう。 その時はフェイト、その役は任せるよ」

 

 「私に? 無理だよ、そんなの……。 今さら、どんな顔して会えばいいのかもわからないし……」

 

 アゼルは家を出る前に呑み残した、テーブルの上に置きっぱなしの冷めたコーヒーで喉を潤していると、リニスが下手の奥から着替えを持ってきた。アゼルは汗臭くなった黒いつなぎを乱暴に脱ぎすてると、リニスの手の上に畳まれたシャツとジーンズに袖を通す。

 

 「僕が行くよりは何千倍もマシなはずだ。 僕と彼の仲の悪さは、フェイトだってその目で見ただろう」

 

 さり気のないアゼルの言葉に、フェイトに溜まっていた疑問が噴き出た。

 あの時の一葉は尋常ではなかった。まるでずっと昔からの約束事のように、言葉もなく二人の殺し合いと呼べる戦いは始まった。一葉がフェイトを拒絶しなかった昨日までとは違い、もはや、フェイトにとって一葉とアゼルの関係は、目を背けて見過ごしていい事柄ではなくなっていたのだ。

 

「ねえ、兄さん。 兄さんと一葉はどんな関係なの? それに、一葉のレアスキルってなに? どうして母さんがそのレアスキルを欲しがってるの? ううん、そもそも、どうして母さんはジュエルシードを欲しがってるの? 兄さんは……、兄さんは何か知ってるんじゃないの?」

 

 堰を切ったように飛び出るフェイトの問いかけに、アゼルは一瞥をして直ぐに玄関に背を向けた。そして、フェイトに目を合せることなく、言葉だけを続けた。

 アゼルはつまらないものを見る時のような哀れな表情を咄嗟に表したことを、アルフは見逃さなかった。フェイトだけでなく、アゼルもまた普段とは違う様子であることにアルフは気がついた。

 

 「知ってはいるさ。 だけど、まだフェイトが知る時じゃない。 その時が来たら教えるよ。 約束する。 それよりも、フェイト。 僕はこれから母さんのところに行かなきゃならない。 一葉のこともそうだけど、管理局がついに嗅ぎつけてきたことも報告しなきゃらならないからね」

 

 「待ちな。 私も行くよ」

 

 「アルフも? どういう風の吹きまわしだい?」

 

 アルフは立ち上がり、アゼルを止めた。そのハッキリとした言い方からある種の決意が感じられ、聞き返さずにはいられない風だった。

 

 「あのクソババアに言ってやりたいことが……、言わなきゃならないことがあるんだ。それに……」

 

 『あんたにも向うで聞きたいことがある』

 

 言葉の続きは、アゼルにだけ念話で伝えた。アゼルとアルフは暫しの間、視線をぶつけ合い、瞳を通して思推の奥を見極めようとし、アゼルはなにか得心したかのように首を一度頷けた。

 

 「わかったよ。 一緒に行こう。 フェイトはどうする?」

 

 「私は……」

 

 「フェイト、悪いけど私一人で行かせてくれないかい? それまでに気持ちを落ち着けてさ。 直ぐに返ってくるから」

 

 「……」

 

 フェイトが答える前に、アルフは声を被せた。フェイトはアルフの目の前で取り乱し、感情をぶつけたバツの悪さから沈黙を持って答えた。

 

 「行こうか。 時間が惜しい」

 

 「はいよ。 それじゃあ、フェイト。 行ってくるね」

 

 アゼルの急かしに、アルフは足早にフェイトを置いてアゼルの後に着いた。最後までフェイトは、アルフに声をかけることはなかった。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 なのはたちがアースラに乗艦し、幾日かが過ぎた。その間にも、いくつかのジュエルシードが回収されるが、アゼルたち一味と相見えることは一度としてなかった。

 然して、ジュエルシードを探索、回収している痕跡も見られず、すっかりと動向をひそめてしまったことに、アースラでは懸念の雲がかかり始めていた。

 一葉の意識は、一向に覚ます気配はない。

 アースラ医務室の隅のベッドで、日を追うにつれ目に見えて肉は削げ、骨と皮ばかりになっていき、点滴から落ちる栄養の排泄を繰り返す管のような有様を晒していた。

 なのはは、一日に三度ユーノと一緒に一葉を見舞いに来る。その度に、なにかに裏切られたかのような軽度の失望を繰り返しては、これから先の一葉の容体に薄い雲にも似た不安に揺れ動いているように感じられた。

 感じられた、というのは、なのはとベヌウの間に会話がなくなったからである。元々、一葉の件もあり二人の間にはしこりがあったが、なのはがアースラに残ったことによって二人の間には一層な隔たりが生まれた。

 本来であれば、なのははレイジングハートを捨て、魔法を忘れ日常に戻るべきだったのだと、ベヌウは未だ考えていた。

 確かに、なのはは魔導師として圧倒的な才能を持つが、持って生まれた才能が、即ちその者を幸福にするとは限らない。

 なのはの気性は争いに向いていない。本人もそのことを自覚しているはずだが、頑なに今回の件に首を突っ込もうとするのは、やはり一葉を慮ってのことだろう。

 なのはは、一葉を見舞う間は献身的に尽くそうとしていた。それこそ、下の世話までしようとして周囲の大人に止められた程だ。

 恐らく、なのはは自分が一葉に向ける感情に気が付き始めている。それも、今までのなし崩しな異性に対する憧憬的の目的物としての本能ではなく、ただ漠然と夢を見ていた少女から、大人への一つを踏み出した乙女になろうとしていた。

 それ故に、ベヌウは深い憐れみの念を禁じ得なかった。一葉は、このまま目を覚ましても、恐らくまともな恋愛は出来ないだろう。それどころか、人間としての一般に戻れるかもどうか怪しい。

 芽吹き始めた小さな恋は、始まる前から悲恋の結末が待ち受けているのだ。しかし、ベヌウはなのはにこの句について伝えることはしなかった。

 なのはは病室に居る時以外は、食事や睡眠を除いて、ほとんど訓練室か魔法の関連書の熟読に時間を費やしているようだった。

 その努力は成果としてあからさまに目に見えた。ジュエルシードの封印は、周囲に他の魔力反応がない場合に限りなのはが処理することに決まった。これに関しては、リンディの意図が見え隠れしていたが、なのは本人も強く望んでいたことでもあった。

 ベヌウはなのはやユーノのように正式な協力者ではなく、嘱託魔導師として立場と権利の任命も拒否していた。ベヌウの出撃は、なのはが出撃する時に限ってのことと頑なを貫いており、そうでない時はミーティングの時間も含め一葉の傍に居るようにしていた。

 トルカンに声をかけられたのも、そんな時間の頃であった。

 

 「実際は、現状はどうなんだ?」

 

 「どう、とは? それよりも、貴方の方から私に声をかけるとは珍しいこともあったものですね。 どういう心境の変化ですか?」

 

 トルカンは、一葉に繋がる点滴のパックを変えながら、不意にベヌウに尋ねた。ベヌウがここに入り浸るようになって何日も経過したが、二人がこうして会話をするのは初めてであった。

 

 「なに、どのみち、坊主が目を覚ます前に口止めはしなきゃならんからな」

 

 慣れた手つきで点滴の取り換えを終えると、トルカンは端にあった椅子を引きづり、それに腰を下ろした。

 神妙なその表情から、沈黙が支配する気まずい関係の打破を目的としたものではなく、しっかりと腰を据えて語ろうとしていることが予期できた。

 

 「一葉と貴方が血縁関係にあることですか? そのような懸念は無用です。 あなたと一葉が縁者だと世間に知られると、どうもあまり好ましい事態にならないようですので。 一番いいのは本人が知らないことです。 知らなければ、迂闊のうちに口を滑らせることもありません」

 

 ベヌウは、胸に浮かんだことをその通りに伝えた。亜希子がトルカンと再会を果たした時に、二人の会話を端から聞いていたが、一葉の両親は大きな事件、それも歴史に名を刻むような事件に関与した容疑者だったという考えに容易かった。

 

 「ああ、全くだ。 理解が早くて助かるよ」

 

 「あなたの息子と一葉の母が過去に何をしでかしたのかは詮索しません。 しかし、一つ伺ってもよろしいですか? あなたは自分の孫が、まだ10歳にも満たないこのような子供が戦いで傷つき、死の淵たっていることをどう思われているのですか? 高町嬢がこの案件に首を突っ込むと決めた時、周りの大人は止めるどころかあえて甘言を用いて引き込もうとした。 ハラオウン少年もそうです。 ハラオウン少年は14と言っていました。 仮にあなたがたの就業年齢の平均が低いとしても、軍隊の性質も持つ時空管理局の巡洋艦の戦力、それも一戦力ではなく主力として扱われているのは私の目には異常に映ります」

 

 ベヌウが口にしたのは、アースラに乗艦してから兼ねて感じていた懸念の問であった。

 クロノの飛び抜けた知見や、魔法技術から管理局全体からみてもあの年齢で相応の地位に就いているのはマイノリティであることはわかってはいるが、理解と納得とは別物である。

 警察組織と軍隊の顔を持つ管理局の任務には、命の価値が希薄となる現場もあるはずであり、またそう言った経験を経ていない者に下の者は従うことはない。戦争経験のない指揮官が、兵士に慕われないことと同じである。

 少なくとも、クロノは十代の前半の年齢にして、役職に相応した修羅場を経験していた。

 魔力を持って生まれたが故の不明瞭な責任感というわけではない。そこにはクロノの強い意志が反映しているはずだろうが、それでも周囲の大人は止めずに、むしろ天才やら最年少執務官やらと持て囃している光景はなんとも気味の悪いものに映って見えた。

 そうしたベヌウの問に、トルカンの口気は苦々しいものとなった。

 

 「そうだな、異常だ。 しかし、どれほど異常だとしても誰も声を上げなければそれは正常なんだよ。 あんたの生きた時代はどうか知らんが、俺たちの世界じゃ魔力を持った人間は重宝される。 それこそ、魔力を持って生まれただけで一生が安泰だ。 食いっぱぐれることはまずない」

 

 「私の時代もそうでした。 しかし、時代の背景が違います。 私が生きた時代は戦乱にまみれていたました。 そして、多くの魔導師がその争いに巻き込まれ命を落としました。 それこそ、流れたちは海よりも多いでしょう。 しかし、あなたがたは長い戦いの中で争いの奔流から抜け出し、次元世界の統一を成し遂げたと聞き及んでいます。 私の生きた世界では、子供も戦わなければならなかった。 戦うことで生きることができず、また魔力を持たない者を生かすことができなかったからです。 そして、それが魔力を持って生まれた者たちが全からく背負った宿命でもありました」

 

 かつて、年端のいかない多くの子どもが戦士として戦場に趣き殺され、またベヌウも月の踊り子として殺してきた。親よりも早く子や孫が先立つことが日常であったあの頃は、誰もがその不条理を憎み、そして殺さずにはいられない時代を憎んだ。

 そう、ベヌウの生きた時代は、人が人を殺すのではなく、時代が人を殺していたのだ。

 少なくとも、現在よりも子どもたちに厳しく、殺伐とし、希望を見ることが叶わない時代であった。

 

 「違うな。 結局は変わんなかったんだよ。 次元世界を統一して、管理局が組織されたあと、管理局は今度は見えない敵と戦うことになった。 いつ現れるかもわからない、ようやく作り上げた平和と秩序を脅かすかもしれない妄想の敵ってやつに備えてな。 だから、管理局は各次元世界から魔法の素質もを持つ人間をかき集めて組織に組み込んだ。 気がつきゃ、子供までもな」

 

 トルカンは渋面を滲ませながら、句を続けた。

 

 「おかしな話さ。 この艦には何人かの魔導師が乗ってるが、やっぱり一番重い責任を持つ立場にいるのはクロノの坊主だ。 次元艦の乗組員が絶対に安全であるとは言わない。 だがな、いざというとき大人が艦の中で、一番年下のクロノが一番命の危険がある場所に出向くってのはな。 だけど、そのことを誰も疑問に思わない。 戦争の時代と変わらない、そういう社会が成り立っちまったんだ」

 

 「しかし、少なくともあなたは疑問に思っているのでしょう。 ならば、ほかにも疑問を持つ者がいるはずです。 声を上げれば何かが変わるかもしれません。 逆に言ってしまえば、貴方が口をつぐみ続ける限りは、何も変わらないということです」

 

 「無茶を言ってくれるなよ、月の踊り子。 こっちはあんたのようなデバイスじゃなくて生身の人間なんだ。 時間にリミットがあれば老いもくる。 俺ももう年なんだ。それに、俺がこんな考えを持つようになったのは息子のことがあったからなんだよ」

 

 「私の時代の魔導師たちの大半は、子どもたちが笑いながら健やかに過ごせる世界を望んでいました。 勿論、政治的な思惑もありましたが、その事実だけは揺るぎません。 今亡き先人たちがこの世の中を見たら、きっと嘆くでしょう。 少なくとも、私は複雑な気持ちです」

 

 ベヌウの言葉は、トルカンにとって容赦のないものだった。まるで社会の害悪の全てをトルカン個人の責任であると糾弾しているような理不尽な言い草であったが、ベヌウとすれば自分の生きた過去からは見遥かにすらできないような遠い未来に飛ばされた稀人のようなものなのだ。

 あの時代は、誰もがなにかを信じて戦っていた。信じるものの中には、ベヌウが言及したものもあったに違いない。

 少なくとも、歴代の月の踊り子の所有者の何名かは、そうした心持で命を賭す戦いに臨み、そして道半ばで散っていったというのに、子どもを守るべき大人が子どもを利用し、子どもに守られるようなシステムが構築されているような社会に対して、悪舌に語らずにはいられなかった。

 

 「耳が痛いな。 だけど、アンタも子どもが戦うのを容認していたじゃないか。 その結果が、ここで寝こけている坊主じゃないのか」

 

 トルカンは、ベヌウの言葉に不機嫌にいられずにはいられなかった。それでも、ささくれた感情を抑えつつも、年甲斐もなく目の前のデバイスが守りきれなかった屈辱の成果として己の孫を引き合いにベヌウを侮辱したが、トルカンの予想に反して、ベヌウは挑発とも取れるような口様に反応せず、むしろ悲しげな表情で眠り続ける一様に視線を向けた。

 

 「耳が痛いですね。 しかし、引き合いには出しましたが一葉は違います。 この子は、戦いの運命によって選ばれこの世に生まれてきた。 戦うことでしか生きられない。 魚が海を泳ぐことや、鳥が空を飛ぶことと同じです。 おそらく、それはアゼル・テスタロッサも」

 

 トルカンとベヌウ、そして意識のな一葉以外誰もいない病室に不思議と響く、深い、深い、深淵の谷底に飲み込まれる初冬の雪のような声色であった。

 そして、その声色の裏には、ベヌウが一葉と過ごした短いながらも濃い数ヶ月間と、そして月の踊り子として戦場で戦いに明け暮れた数千年の時の重みを感じさせた。

 そして、同時にトルカンは亜希子の言っていた、一葉が受けた天命という言葉を脳裏で反芻された。

 確かに、亜希子の言うとおり、ベヌウの言うとおり、トルカン自身が未だ直接会話をしたことがなくともわかるほど異常であった。

 それは当然、一葉の人柄についてのことではなく、医学的な見識から見てのことである。

 戦闘用のデバイスが即死の致命重傷を負った人間の生命活動を維持し、あまつさえ破壊された心臓の代替として機能しているなど学会で発表でもしたら嘲笑を受け追放されるような内容だ。トルカンからすれば、己の孫を生かしたものはデバイスや偶然の産物ではなく、人智の及ばない何か別の力が作用しているのではないかと疑うものであった。

 そして、その力を今、この艦が追っている被疑者も有しているとベヌウは言った。

 

 「今追ってるロストロギアに関与してるっていう奴らか

 

 

 トルカンは口に出して確認をする。艦長の命令系統には属さなくとも、それ故に開示される情報が少ないという弊害が医務官にはあった。実際、トルカンは今回の戦闘記録は全て見せられたが、それ自体が異例であるのだ。本来であれば、医務官の仕事は傷病者の治療であり、部隊の作戦内容に関しては一切が知らされないのが慣例である。

 当然、今回の件に関しても被疑者の名前までは知らされていなかったが、それでもベヌウの言い草から、それが今回の事件に関与しているものの名前であるということが推測できた。

 

 「一葉をこのようにした者でもあります。 二人は、我々が知っている社会や倫理の枠組みに当て嵌まらない存在です。 故に誰からの理解も同意も得らず孤独を強いられた。 しかし、造られた時代の違う私も、現代の社会と倫理の枠組みに嵌らないのは同じです。 だから、共にあることを決めたのです」

 

 「同情か

 

 

 「同情です。 しかし、きっかけなどそんなものでよいではないですか。 重要なのは始まりでも過程でもありません。 結果です。 一葉はまだ死んではいません。 結果を見届けるまで、私は一葉の傍らにいます。 例え、降り注ぐ太陽の光の全てが閃きかせる悪意の槍となろうとも

 

 

 忠誠心とも違う、しかしもはや一般的な未来を望めないことを悟っているような口調に、トルカンは変に悲しくなった。

 

 「そうか……。 なあ、しかしお前は今、この艦に敵対している奴も坊主と同じだと言った。これは俺の持論だが、少なくとも一人のやつは強い。 失うものがないからな。 しかし、このタイプの強いやつには二種類いる。 最初から何も持っていない奴と、自分からすべてを切り捨てたやつ。 そいつはどっちなんだ」

 

 「恐らく後者、でしょうね。 貴方の持論は実に正鵠を射ています。 前者は最初から何も持っていないが故に破滅的な強さを持ち、後者は切り捨てた全てを、あるいは悪意、あるいは憎しみ、あるいは後悔を力に変え、失った重さの分だけ強くなる。 あの少年はきっと、既に全てを失くしています」

 

 トルカンは、映像の中の金髪の少年の姿を脳裏に浮かべた。あの少年は能力を除いても、魔導師としてまさしく天才であった。孤高故に強く、孤独ゆえに勇ましく、そして天才ゆえに他者には理解されなずに、それゆえの強さを深く刻んでゆく。映像ごしでも伝わる空気はかつて、義理の娘になるはずだった女の姿が重なって見えた。 

 

 「なあ、俺は自分の仲間を信用してないわけじゃない。 だがな、そんなの相手にクロノや、あんたのお友達の嬢ちゃんは大丈夫なのか? なんかな、どうも今回は悪い予感がするんだよ」

 

 トルカンの不安は根拠のない予想ではなく、映像でクロノが手も足も出る間もなく撃墜された事実から基づくものであった。

 アースラで最も魔力ランクと魔導師ランクが高く、最も戦闘経験の豊富なクロノが、赤子の手をひねるがごとくあしらわれたのだ。少なくとも、乗艦している武装隊の中には動揺が広がっていた。

 

 「魔導師の個としての戦力で見たら歯が立たないでしょうね。 クロノ少年がこの艦で一番強いとするのであれば、乗艦している魔導師全員がまとめてかかっても結果は同じでしょう。 しかし、争いというのは単純な数による算数ではありません。 貴方方が人道を無視して艦の主砲を彼らに向ければ、それで事は終わりますし、いくら強かろうと所詮彼らは個としての強さしか持っていません。 組織で動いているこちら側が圧倒的に有利に動ける事実は変わりません。 しかし、正面からぶつかれば多少の犠牲は出るでしょうね

 

 

 ベヌウの答えは、下手に見え透いた慰めの虚偽を語られるよりも遥かに真摯的であり、同時に非情なものであった。

 争いは単純な算数ではないということにトルカンは内心で同意したが、人の命を単純な算数の数値のように語るベヌウは、やはり鉄に肉と骨を縫い合わせ、1と0の羅列で世界を勘定する存在なのだと思わざるを得なかった。

 

 「そうか」

 

 「守りまよ」

 

 「あ?

 

 

 トルカンの素っけのない呟きに、ベヌウは言った。視線をやると、ベヌウはトルカンではなく、一葉を見ていた。それでも、見ているのは今の一葉ではなく、その先を見据えるような目つきをしていた。

 

 「私が守ります。 勿論、貴方達のためではありません。 一葉のためです。 先ほど私は、一葉は枠から外れた者だと言いましたが、まだ失った者ではありません。 一葉が目を覚ました時、一葉の眼に映る世界で欠けているものが何一つあってはいけないのです。  貴方達は高町嬢に関与した。 貴方達の一人でも欠ければ、高町嬢は傷つき、自分を責め悲しみに暮れるでしょう。 一葉に、そんな高町嬢の姿を見せる訳にはいかないのです。 だから、私が守ります。 高町嬢も、貴方方も」

 

 ベヌウの言葉はトルカンにではなく、むしろ自分に向けて言っているように思えた。今の果てにある、まだ見えない未来を見据える遠い目つきの奥には、静かに燃える青い炎のような揺らめきが見えた気がした。

 

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