魔法少女リリカルなのは Broken beast 作:やまあざらし
時間は少し遡る。
酸素を呑みこみ燃え盛る黒い炎の壁の中に漂う戦場の空気。血流を無理やり早くしたかのような高揚感。
ベヌウは困惑していた。
自分の新たなマスターが一人で魔力の塊の暴走体と戦うと言い出したのだ。
それは誰から見ても無茶無理無謀。自分を起動させるだけの資質はあるといっても、一葉はなんの力も持たない子供なのだ。
先ほどまで一緒にいた少女は状況に流され困惑するだけだったが、あの反応は実に正しい。
魔法文化のないこの世界で、魔法の力は異質で異端な力。獣から見る炎と大差がないはずだ。
だが、一葉はどうだっただろうか。
次元世界と呼ばれる異世界の存在も、常識を遥かに超えた技術も、それが生み出した脅威を目の当たりにしてさえも動じる素振りを見せない。
子供は順応性が高いと言ってしまえばそれまでだが、はっきり言って一葉は異常だった。
視角から入る情報に否応なしに納得するのではなく、高い知性と理性で理解したうえで、自分のとる行動を決めていた。
今、この場にいるのはベヌウと一葉。そして飢えた獣のような目つきで睨んでくる黒い靄だけだ。そして、その靄と対峙するのはベヌウではなく涼しい表情をした一葉だった。
一葉が確かめたいと言ったこと。それは靄との戦闘だ。
確かめたいことがあの靄の戦闘能力か、それとも自分の実力かはわからない。
本来ならばベヌウは止めるべきなのだろう。
魔法の知識もデバイスもなく、手にしているものといえば家を出る間際に持ってきた髪の毛ほどの極細の鍼だけだ。そんな丸腰同然の子供が理性のない怪物と戦うというのだ。そんなの、殺されてしまうに決まっている。
だが、ベヌウは一葉を制止することを躊躇っていた。
それは、一葉が纏う空気。
先ほどの少女とフェレットは、この空気の正体がわからなかったが、ベヌウには直ぐにわかった。
それは今まで自分が生きてきた戦場で慣れ親しんだもの。殺意だ。
少年の小さな体躯から発せられる、押し殺した気配からもわかる研ぎ澄まされた槍のような殺意。
才能だけでは、訓練だけではこれほどまでに濃密な殺意を出すことはできない。鉄を血で濡らした者だけが発することのできる純然たる殺意の渦は、一葉のような少年が身につけていてはいいはずのないものだった。
今までベヌウが使えてきた歴代の主たち。数多の戦場を駆け抜けてきた王族特務達と比べても遜色がないほどだ。
ベヌウは、見た目のまま一葉を矮小な存在として助けに入るか、それとも自分の肌に叩きつけられる一葉の雰囲気を信じるか。ベヌウは心中で皮裏し損ねていた。
だが、全ては突然始まった。
一葉が掌に乗せた鍼を滑らせるように落とすと、風に乗り宙に舞う。鈍い月の光を浴びてキラキラと反射する鍼は、何の前触れもなくその形状を巨大な剣へと変えた。
そう、それは言葉通り何の前触れもなく、まるで鍼が最初からあったかのように。
仏神が手にしているような利剣を思わせる剣の群れは黒い刀身と、刀身の中心に梵字が彫られていること以外一つとして同じ形状のものはなく、大きさも大人の身の丈を超える者から人の腕程度の長さと様々だ。
一葉を取り囲み宙に浮く剣群は、意思を持っているかのように標的を定めていた。
一葉がヒラリ、と手を振る。
それを合図に始まったのは一方的な殺戮。風を切り裂く音が靄へと襲いかかる。
真っ先に失った者は赤い双眸だった。比較的小さな剣が二本、靄の眼球に突き刺さる。
耳をふさぎたくなるような叫びが空気を震わす。それでも一葉は怯むことなく靄から飛び出る全ての触手を瞬く間に切断した。
しかし、靄は瞬時に何本かの触手を再生させる。それを鞭のようにしならせ、一葉に叩きつける。
だが、それは一葉にぶつかることなく空を切り、そのままの勢いでアスファルトに衝突し衝撃音と共に粉塵と破片を弾けさせた。
そしてベヌウはあり得ないものを目にした。
不規則に四散するアスファルトの破片を、一葉は全て躱したのだ。人間の動体視力と反射神経では決して不可能なはずなのに、一葉は身を翻し、時には破片を足場として、鮮麗されたその動きは舞をも思わせた。
それは、多くの戦場と戦士を目にしてきたベヌウですら、思わず見惚れてしまうほどのものだった。
一葉は地面を蹴って思念体の横に移動する。
そして右手を大きく振ると、新たな剣群が現れ横殴りの暴風となって靄に突き刺さった。
ゴロゴロと地面を転がって行く黒い塊は壁にぶつかった衝撃で動きを止める。その刹那、追い打ちをかけるかのように今度は剣線が豪雨となって靄の頭上から降り注ぐ。
それは、最初から最後まで一方的なもの。戦いとさえ呼べない圧倒的で理不尽な暴力は、稲光のような鮮烈さと嵐のような衝撃をベヌウに与えた。
靄はアスファルトに磔られ、身動きも取れなくとも触手を再生させ抵抗を試みようとする。それでも、一葉は再生されていく触手を淡々と、冷めた面持ちで切り落として行った。
そんな一葉の姿が、ベヌウにはひどく哀しく見えた。
一葉のような幼い少年が、こんなにも躊躇いもなく残虐で冷酷な行為を平然と行うことができてしまうことが、哀れに見えたのだ。
靄は最後の力を振り絞るかのように、手元にあったコンクリートの塊を掴むと一葉に向かって投げつける。
それでも、風を呑みこむ音を上げながら迫るコンクリートを、一葉は半身だけを動かして軽く躱し、最後の一本となった触手を切断した。
「……ごめんな」
呟く小さな声が終焉の合図だった。
使い古した針山のような姿になった靄に死という概念があるのかはわからない。だが黒い風貌が細かに痙攣していることからまだ息はある。それでも、おそらく二度と自分の力で動き出すことはできないだろう。
「貴方は……何者なのですか?」
ベヌウは胸のあたりが冷たくなるのを感じながら尋ねた。
始めてみるはずの魔法の暴走が生み出した怪物を相手に掠り傷一つなく少年が、少年の皮を被ったまったく別の何かに思えた。
「さあね。 そんなん、オレが知りたいよ」
一葉が纏っていた殺意は既に霧散していて、代わりに黄昏を見つめる老人のような寂しい目つきをしていた。
「やっぱり、オレってどっこおかしいのかね?」
「一般的に見たら、間違いなく異常でしょうね」
それはこの世界に限ったことではない。ベヌウは今まで渡り見てきたどの次元世界の常識においても、一葉は当てはまらなかった。
子供に似つかわしくない体術。どんなことにも動じない精神力と冷静な判断力。そして冷酷さ。何よりも、魔法ではない特別な力を自在に操っている。
そう、一葉の剣は魔法の力ではなかった。
魔法を発動させるには心臓の奥にあるリンカーコアと呼ばれる疑似器官を使わなければならない。レアスキルと呼ばれる、個人の持つ固有能力だとしてもそれだけは変わらないのだ。
だが、一葉が剣を発動させたとき、魔力の循環は一切確認できなかった。
「それでも、私は貴方に興味を覚えました」
「どういうこと?」
「私は、貴方が子供だから私を取るに相応しくないと先ほど言いました。 しかし、それ以前に私の主は、私が仕えたいと思う人間であるべきだ。 私は見た目だけで貴方を判断し、そして切り捨てようとした。 恥ずべき事です」
「なにが言いたいんだ?」
一葉はベヌウが言葉に含んだ意味を探るかのように目を細めて視線を絡ませる。
「私は、貴方に何も見出していなかったということです。 今までの非礼をお許しください。 そして、貴方が何者なのか、そしてこれから何者になっていくのか、それを私に近くで見届けさせてください」
「オレが何者になるか……ね」
透き通るようなベヌウの言葉に、一葉は眉一つ動かさずに言う。
「もしオレが、今日のまま平気で誰かを傷つける人間のままだったら?」
「貴方のもとを去ります。 しかし、きっとそういう状況になることはないでしょう」
「どうしてそう思う?」
「貴方はきっと、優しい人だからです」
僅かに言葉を止める一葉をベヌウは見ると、不快そうに微かに柳眉を逆立てていた。
「……適当なことを言うな。 お前にオレのなにがわかる」
「わかりません。 だから教えてください。 緋山一葉、貴方のことを」
轟々と燃え盛る黒い炎の中でベヌウと視線をぶつけ合わせながら、一葉は空気の塊を呑み込むみたいに溜息をつくと、続きを口にした。
「いいよ、教えてやるよ。 オレがいったいどんな人間で、なにをしたのか。 お前の質問に全部答えてやる」
苛立ちを吐き捨てるかのように一葉は言う。だが、その言葉に憤りは感じられなかった。
むしろ、何かに戸惑いそれを振り払おうとしているような、そんな感じがした。
「ありがとうございます。 ただ、その前に一つお聞きしたいことがあるのですが」
「なんだよ?」
「この惨状、御友人にどう説明なさるおつもりですか?」
「あ……」
一葉はベヌウの言葉に自分が作り上げた光景を改めて見回して、間抜けの声を口から零した。
◆◇◆
一葉が走って目指したのは海鳴海浜公園だった。
なのはの運動能力は平均的に非常に劣っており、途中までは一葉がなのはの手を牽引するように引っ張って走っていたのだが、一葉もやはり小学生であり直ぐに体力の限界が近づいてきた。その為、最初に来た時のようにベヌウの背中に乗れないかと尋ねたところ、定員一名という返答が帰ってきたのでなのはを乗せることにした。
ベヌウは空を飛ぶ生き物を素体として作られている。地面を走る人間に速度を合わせることができない為に、海浜公園を落ち合う場所としてベヌウは先になのはを乗せて先に行ってしまったのだ。
一葉が、なのはにベヌウの背中に乗るように促した時に、最初は息を切らしながら断っていたのだが、その目は期待と羨望でキラキラと輝いていたことを見逃さなかった。
おそらく、一葉がベヌウの背中に乗って現れたのを見て自分も乗ってみたいという子供心が働いたのだろう。
そんなこともあって、一葉が一人遅れて海浜公園に到着すると、海を一望できる広場のベンチに腰を下ろしているなのは達を見つけて一葉は小走りで近づいた。
空全体を包み込む夜の帳を照らすのは、淡い月の光と点滅を繰り返す切れかけの街灯の電球だけだ。夜の闇と同化した海からは低い漣の音が遠くから響いている。
一葉がなのはの隣に腰を据えると、ベヌウは小さなサイズになっており一葉の左肩に翼を休めた。
「……すいませんでした」
そのタイミングを見計らったかのように、なのはの腕から声が漏れた。鉛のように沈んだ声は、フェレットのものだった。
「あ……、起こしちゃった? ごめんね、乱暴で」
「その乱暴者というのは私のことでしょうか?」
なのはを背に乗せてここまで飛んできたベヌウがなのはを不埒者を咎めるような視線をなのはに送ると、わたわたと大きく手を振って拙い言葉で弁明を始めた。
「にゃっ!? そっ、そういうわけでは……!」
「怪我はもういいの?」
一葉は耳元に届くベヌウとなのはのやり取りを半ば無視するようにフェレットに傷の具合を聞くと、フェレットは首を小さく頷かせた。
「怪我は平気です。 もう、ほとんど治ってますから」
怪我自体は大したことはないと獣医師は言ってはいたが、それでも先ほどの大立回りで悪化したのではないかという懸念は幸いにも取り越し苦労で済んだようだ。
フェレットは身を振るわせると器用に包帯の結び目を外して、身体全体を巻いていた包帯をスルスルと解いていった。
一葉はそれを何も言わずに回収する。病院によっては一度使った包帯を殺菌消毒して使い回しているのだ。槇原動物病院でも、二階のベランダに包帯を干していて、つまりこの包帯は借り物ということになる。
無料で診療をしてもらっておきながら包帯まで汚してしまうわけにはいかない。
「わ、ホントだぁ。 傷の痕がほとんど消えてる」
ベヌウとの言いあいを止めたなのはがフェレットの脇を抱えて、ぶらりとぶら下げるように持ちあげると驚きの声を上げる。
柔らかな薄暗さが辺りを支配しているせいで、一葉の位置からはフェレットの身体を詳しく見ることはできなかったが、なのはの感心した声を聞く限りは本当に大丈夫なのだろう。
「助けてくれたおかげで、残っていた魔力のほとんどを治療に回すことができましたから」
「えっと……、よくわかんないけどそうなんだ。 ねっ、それよりも自己紹介してもいいかな?」
「え? あ……、うん……」
脈絡もなしに話題を切りかえるのはなのはの悪い癖で、唐突すぎる自己紹介の申請にフェレットは半ば反射的に頷く。それを見て、なのはは薄い胸を張って自己紹介を始めた。
「私、高町なのは。 小学校三年生。 家族とか仲良しの友達は、なのはって呼ぶよ」
「僕はユーノ・スクライア。 スクライアが部族名だから、ユーノが名前です」
「ユーノくんかぁ。 かわいい名前だね」
可愛らしい笑みを浮かべながら言うなのはに、フェレットは曖昧な表情を作りながら視線を一葉に移した。
「あの……、そちらの方は?」
フェレットの緑の双眸と視線が合う。ベヌウの瞳の色に似ているが、ベヌウが湖の底のような深緑色だとしたら、ユーノと名乗ったフェレットは森の若葉のようなエメラルドグリーンをしている。
「自己紹介オレもすんの?」
「当り前なの! 一葉くんには聞きたいことがいっぱいあるの! それに鳥さんも! 自己紹介!!」
首を傾げた一葉に、なのはが叩きつけるように声を荒げて一葉は背筋を仰け反らせて怯んだ。
「僕からもお願いします」
なのはの手の持ち上げられたまま首だけを動かして視線を一葉に向けるフェレットの姿はどこかシュールだった。
一葉は言い渋るものでもないと、唇を開く。
「オレは緋山一葉。 なのはと同じく小学三年生。 今日はもう遅いし、面倒くさいから詳細は後日ということで」
「一葉のデバイス、ベヌウです。 以後お見知りおきを」
一葉に次いでベヌウも簡潔に自己紹介をすると、ユーノが驚嘆な声を上げて目を剥いた。
「デバイス!? 使い魔じゃないんですか!?」
それは同じ魔法文化圏からやってきたユーノさえも異教徒を見つけた聖職者のような声を上げるということは、一葉の部屋で言っていた通りベヌウは本当に特別なデバイスなのだろう。
なのはは、デバイスって何?といった感じに首を傾げ頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。
「それも含めて明日でいいかな? オレ、もう眠いんだけど」
一葉は広場の真ん中で孤独に時を刻む高時計に目をやると、短針は丑の刻を示していた。
小学生が外で長話しをしていていい時間帯ではないし、明日も学校があるのだ。
なのはは一葉の言葉に悔しそうに喉を鳴らした。
「うぅぅ……。 明日になったらちゃんとお話ししてね……」
ぶら下げたユーノをなのはは膝の上に置く。なのはの家では動物は飼えないと言っていたので、とりあえず一葉の家に来るようにユーノに言おうとしたところ、したり顔でなのはは笑みを浮かべた。
「実はユーノくんを私の家で飼えるようになりました!」
「おお、マジでか!?」
「うん! マジなの!」
家族に相談したところ、なのはの母親である桃子さんが意外と乗り気ですんなりと話しが通ったらしい。ベヌウのこともあり、一晩で動物を二匹連れ込むのは流石にまずいと内心で思っていた一葉にとってこの事は渡りに船だった。
そうしてベヌウは一葉の家に、ユーノはなのはの家にとそれぞれ解散することになったのだが、女の子を一人で歩かせるには危険な時間帯なのでなのはを家まで送ろうと一葉が持ちかけたところ、ベヌウが自分から背中に乗せて送ると提言した。その方が早くて安全に済むとのことだ。
ベヌウの背に乗って、また明日と言いながら手を振るなのはが夜の空へと溶けるように消えてゆくまで見送り、一葉はしばらく笑うように空に浮かぶ三日月を見上げながら、一人溜息を吐いた。
「なんか……、訳わかんないことに首突っ込んじゃったなぁ……」
一葉のそんな呟きは、闇の中に静かに呑みこまれて消えていった。
◆◇◆