魔法少女リリカルなのは Broken beast 作:やまあざらし
一葉が飛びだしたなのはを追いかけようと、玄関で靴を履いた時に気がついた。
今現在、高町家にいるのは自分とベヌウだけ。つまり鍵がかけられないということに。
どうしたものかと一瞬だけ逡巡するが、このままではなのはが命の危険にさらされる可能性があるため、泥棒が来ないことを祈りつつ一葉も玄関ドアを開けて走りだした。
目指すのは八束神社。ベヌウには空からなのは達を探すことを頼んだが、それでも姿を見るけることはできなかった。もしかしたらバスに乗ってしまったのかもしれない。
『一葉』
風に滑るように空を飛ぶベヌウは遥か上空から一葉に声をかける。
『今から語るのは私の独り言です。 とりあえず、なにも言わずに聞いては下さいませんか?』
そんな前置きをしてベヌウが語り始めたのは、ベヌウが遥か昔にいたベルカのという国の若い研究者の話しだった。
その研究者は次元世界の他にも、まだ自分達の知らない世界があるのではないかという研究をしていた。
それは今自分達が住んでいる世界が同じ次元に並行して存在しているという、別の可能性の世界。いわゆるパラレルワールドというものである。
研究者が目をつけたのは時間だった。時間の流れが一つの流域だとしたら、一本の本流から無数の支流に別れ無限に可能性というものが広がっていくのだとしたら、その本流を突き止め意のままに堰止めたり流れを早めたりすることができるのだとしたら、人間は神の領域に踏み込むことができるというものだった。
その研究に当時の聖王は強い関心を持ち充実した設備と、莫大な研究費用を研究者に与え一つの装置を作らせた。
それは“鍵”と呼ばれる八十八個の魔石。世界への扉を開くものだ。
『だが、人間には越えてはならない境界があるのです。 彼らが天に向かって吐いた唾は、矢の雨となって自らに降り注いだ』
研究者たちは無人世界で扉を呼びだし、開こうとした。そして、その結果として多くの次元世界を巻き沿いにその世界は滅んだ。
なにが起こったのかは誰もわからない。なぜなら、その場にいた人間は全て消えてしまったからだ。そして、凄惨な結果だけが残った。
『私が製造される以前の話しです。 記録でしか残っていませんでしたが、その時に超大規模の次元震……、次元世界と次元世界を繋ぐ空間が断裂する災害をそう呼ぶのですが、それが確認されていました。 一葉……、一つ質問です。 例えば一葉の前に未来を覗く機械があったとします。 それを覗き、自分が死んでしまう未来を見たとして、一葉は死を回避することはできますか?』
『無理だろ。 それができたら未来が見れる機械は失敗作ってことになる』
『そのとおりです。 人が介入できるのならば、もはやそれは運命とはいえない。 我々は、決して抗うことのできない奔流の中にいるのです。 今の話しを踏まえたうえでお答えください。 一葉、貴方の“剣”の能力、その本質はなんなのですか?』
それは語彙も言い回しもない直球の問いかけ。今、一葉の前には線のように走る車の列があった。大通りの信号機は赤を灯しており、早くなのはを見つけなければならないという焦燥に胸を焦がしながら、心拍数の上がる心臓と息を整えながらベヌウの問いに答えた。
『多分、お前の想像してる通りだよ。 オレの能力は可能性の否定と肯定。 “起こったかもしれない”っていう未来を過去から現在に持ってくることができる。 あの鍼は純銀製でね、剣に精製されていたかもしれないっていう可能性をあの鍼の現在に上書きしたんだ』
『なぜ……、人間に過ぎない貴方がそんな能力を持っているのですか……? 有り得ないことです。 人間に許された能力の領域を大きく踏み外してしまっている』
『……』
一葉は押し黙ってしまった。
かつてベルカが総力を挙げて成功させようとした研究。そして取り返しのつかない凄惨な結果で終わり挫折した神へと至る道を十歳にも満たない少年が歩んでいたのだ。
もはや冗談以外のなにものでもない。だが、それでも一葉が嘯いていないことぐらいベヌウにはわかった。
そして何より、見てしまったのだ。
“鍼”という現在が“剣”であったという可能性に変わる、その瞬間を。世界が変質する、その現場を。
鍼が剣へと変わる瞬間、極々僅かな次元震が起こっていた。次元と次元の狭間で起こる断裂現象はどんな微細であっても人間個人で引き起こせるものではない。
例えば、それは山脈を押し動かすことに等しい行為だ。だが、ベヌウと契約した少年はそれを呼吸するかのように容易くやってのけた。
ベヌウは見下ろす街の景色に、目標にしていた甘栗色の髪を持った頭を見つけた。肩には小さな動物が乗っている。
なのはで間違いないだろう。走っている小さな影はちょうどやってきた市バスに乗り込んでしまった。
『高町嬢を見つけました。 そちらに合流します』
バスに乗り込まれたしまたら、後はその先に向かえばいいだけだ。ベヌウは翼を風に滑らせて一葉の肩に滑空した。
ちょうど一葉を足止めしていた信号が青に変わり、ベヌウが一葉の肩にとまると同時に一葉は強く地面を蹴って走りだす。
『……この能力はなんでもできる訳じゃない。 条件も、限界もあるし、あまりやり過ぎるとしっぺ返しがくる。 オレができることなんて、たかが知れてるよ』
『例え制限があったとしても充分に在り得ない能力です。 世界の理に反している。 貴方の存在は、この世界にとって癌細胞に近いものなのではないですか?』
頬に突き刺さる視線を感じながら、一葉はベヌウの言葉に遠い過去を回顧するような寂しい笑みを浮かべた。
『どうだかね……。 むしろオレは世界に生まれるべきだったって、世界に言われたことがあるけど』
『世界に……? どういう意味ですか?』
『それは後で話すよ……、今は目の前のことに集中しよう』
一葉はそう言うと大通りから外れて細い路地裏に入り込んだ。なのはが乗り込んだのが市バスなら、確か八束神社経由のものがあったはずだ。今からバスを追いかけても間に合うはずがなく、一葉は裏道を使うことにした。
普段人が入り込まない路地裏には放置されたポリバケツやら空き缶が転がっている。
一葉はそれらにぶつかり、踏みつけながらも速度を落とさずに走り続けた。
網の目のように入り組む路地裏を抜けると視界が開け、ちょうどバス通りの大通りを挟んでなのはの姿が視界に入った。
だが、既になのはは神社の石段を駆け登っており、声をかけようにも車の音でかき消されるだろうし念話を飛ばそうにも夢中になったなのはが気がつくかもわからない。
足取りをしっかりと神社に向けるなのはの様子を見ると、まだレイジングハートを忘れたことに気がついていないようだ。
大通りには目に見える範囲に信号機はなく、途切れることなく車が走り一葉を再び足止めする。そうしている間にも、なのはは結界の中に入って行ってしまった。
その後ろ姿を見て、一葉は心の中で舌打ちをした。
なんて迂闊な。昨晩あんな目に遭ったというのに、なのははなにも学習してはいなかった。
平和というぬるま湯にどっぷりと浸かった今まで、たった一度死ぬかもしれない目に会っただけでは目に見える世界は変わらない。それでも、自らの意思で危険な場所に足を踏み入れようというのに、なのはからは危機感というものがまったく感じられなかった。
そのことが一葉に強い苛立と怒りを感じさせた。
『急ごう、マジで手遅れになる』
『わかりました。 しかし、後ほど私の質問にはちゃんと答えていただきたい』
『わかってるよ』
走る車の僅かな隙間を一葉は駆け足で無理に通り抜ける。クラクションが鳴らされ空に木霊するが、一葉は振り返る来なくそのまま神社の石段を駆けあがって行った。
◆◇◆
「なのは! 早くレイジングハートを起動して!!」
突き刺すようにユーノは叫ぶ。目の前にはジュエルシードの力で異形の姿と化した化け物が喉を鳴らし、牙と敵意を剥き出しにしてなのはとユーノを睨みつけている。
「ユ……、ユーノくん……」
蝋燭から火が消えていくような声でなのはは言った。
「レイジングハート……、忘れてきちゃった……」
「え……? えぇぇぇぇー!?」
◆◇◆
一葉が階段を上りきると、目に飛び込んできたものは気を失って参道に倒れている若い女性だった。
慌てて駆け寄り首筋に手を当てると脈は規則正しく動いており目立った外傷も見当たらずおそらく気を失っているだけだろう。一葉は女性の肩を持ち上げると引きずるようにして参道の脇に生えている枝ぶりの良い松の木まで移動させた。そのまま根元に身体を預けさせると、ベヌウはその範囲を結界で囲う。
途端、境内に大気を壊すような咆哮が響き渡る。
一葉とベヌウが反射的に声の方を向くと、視線の先にはなのはとユーノが狂ったように暴れまわる暴走体から逃げ回っていた。
鋼色の巨体は四肢で大地をめくりあがらせ、四つ目の眼はわき出る殺意を隠しもせず涎をまき散らしながらなのはの小さな体を爪で引き裂き牙を突き立てようとしている。
一葉は布袋を紐をほどき数本の鍼を取り出す。そしてそれを一つの剣として顕現させた。
昨晩のように一本の鍼を一振の剣にするのではなく、数本の鍼を巨大な一振の剣としたのだ。
仁王像ほどの大きさもある巨大な利権は空気を裂く音を上げて一葉の手から離れた。
同時にベヌウの炎が剣を包み込み、黒い軌跡を残して大気を突き抜ける剣はなのはと暴走体の間に突き刺さる。
「きゃぁ!?」
突然の衝撃になのはは滑るように身を転がせ、なのはは巻き上がった風に飛ばされ茂みにへと突っ込んでいった。
大地を砕き土埃を巻きあがらせ突き立つ剣に纏わせていた炎が揺らめく紐となって暴走体に襲いかかり瞬く間に四肢を縛り上げ身動きを封じる。まるで一連の舞を思わせるような鮮やかな動きを、なのはは呆然と見ることしかできなかった。
拘束から逃れようと喉が裂けるほどの声を上げて乱暴に暴れる暴走体を視界の端に捉えながら、一葉は腰を抜かしているなのはに真っすぐと歩み寄る。
ジャリ、と土を擦る音に気がついてなのはも一葉を見た。
なのはは軽い脳震盪を起こしているのか起き上がろうともせず、一葉が来たことにあからさまに安堵の表情を浮かべていた。
だが、その表情が一葉をさらに苛立たせた
「……おい」
一葉はなのはの前に立つと、尻を地面に付けたままのなのはを見下ろしながら怒気を孕んだ低い声を出した途端、なのはの表情に怯えと、僅かな戸惑いが浮かびあがった。
なんで怒ってるの?
助けに来てくれたんじゃないの?
そんな思考が顔を青くしたなのはから窺えた。
「なのははさ……、戦場でなにが一番怖いか知ってる?」
「……え?」
不安と恐怖に押しつぶされてしまいそうだったなのはは、突然投げかけられた質問に答えられず頓狂な声を喉から出した。
だが、一葉はそんなことを気にも留めず言葉を重ねる。
「それってさ、自分の命を奪おうとしてくる敵でも、殺意や敵意でも、人殺しが正当化される狂気でもないんだよ」
冷ややかな視線で紡がれる一葉の言葉に、なのははなにを言っているのかわからない顔をしている。その光景を一葉が投擲した剣の衝撃波で投げ出され土埃まみれになったユーノが見ていた。
「戦場で一番怖いものってさ、それは無能な味方なんだ」
一葉から吐き出された言葉に、なのはは正面から刃で切り付けれたかのような衝撃を感じた。
そして同時に、その衝撃はユーノにも届く。
「オレが今こうしてここに立ってるのは誰のせいだと思う? 誰のせいでオレはこの場所にいて暴走体に攻撃をしたと思う? 一体誰のせいで、オレは使いたくもないこの能力を使う羽目になってると思う?」
誰のせいだかわかる。それは自分のせいだった。不注意だったとしても魔法という身を守る唯一の武器すら持たずに危険な場所に立ち、今は一葉の力に縋ろうとしていた。
言葉にされて初めて、なのははこの事態が自分の不注意が招いたことであると気がついた。
そして同時に一葉が言いたい本当のこと、自分が足手まといだということも。
一葉の言葉は冷たい鎖となってなのはの喉に巻きつき、声も出さずに目を見開いたまま涙がボロボロと溢れ出てきた。そして傍から全てを見聞きしていたユーノも、自らの迂闊さと浅薄さに奥歯を噛みしめた。
ユーノは自分の軽率な行動を後悔していた。
ジュエルシードが落ちた管理外世界で出会った二人の少年少女。二人とも自分と年齢も大して変わらないというのに、二人が二人とも自分を遥かに超える才能を持っていた。
一人は膨大な魔力を有する少女。そしてもう一人は古代に栄えた超国家ベルカの守護聖獣を従え、ジュエルシードの暴走体を苦もなく倒す少年。おそらくこの世界でこれ以上の協力者は望めないだろう。自分は当たりを引きすぎたのだ。だからこそ、ユーノは油断していた。
この二人に頼ればなんとかなるのではないかと。
それはとんでもない甘えと怠慢だった。目的のために手段を完全に履き違えてしまっていた。
そして、その目的ために再びなのはを命の危険にさらすような手段をとってしまったことに。
そしてなのはは傷ついていた。
いつも自分の傍にいると信じて疑っていなかった少年が、今は自分を否定する言葉を突きつけているという現実に、なのはの心は刃物でズタズタにされたようになってしまっていた。
なのはは浮かれていたのだ。
秘密というものには二つの面がある。誰かにそれを隠す後ろめたさと、誰かとそれを共有する密やかな喜びと。
魔法というアリサにもすずかにも秘密を一葉と共有したことに、なのはは淡い喜びを感じていたのだ。
そして、周りが見えなくなった結果、一葉の怒りの琴線に触れてしまったのだ。
なのはが今恐怖に感じていることは、一葉が怒っているということではない。このまま哀想を尽かされるかもしれない、見限られてしまうかもしれないという、自分から離ていってしまうかもしれないという恐怖だった。
「やる気があるのは結構だけどさ、想いとか気持ちだけでなんとかなるって思った? 現実は漫画やアニメじゃないんだ。 それとも、いざとなったら誰かが助けてくれると思ってた? そういうのはね、甘えっていうんだよ。 覚悟ない奴は戦場に立つな。 レイジングハートさえ渡してもらえれば後はオレが一人でやる。 命のやり取りには慣れているし、中途半端な奴がいればそれだけで自分の命さえ危なくなる」
一葉は瞳の奥に怒りの炎を滾らせながらも能面のような表情で淡々言葉を紡いでいく。その一言一言がなのはと、そしてユーノの胸に突き刺さっていった。
「でも……、僕にはジュエルシードの持ち主としての責任が……」
「力のない奴に責任なんてあるはずがないだろ。 義務や責任を果たすにはそれに見合った覚悟を見せてみろ」
絞り出すようなユーノの声を、一葉は平坦な声で切り捨てる。
「これがゲームとかじゃないってことはわかってるとは思うけど、二人とも頭の本当に大事なところでは理解してないんじゃないか? コンティニューはないんだ。 例え命を落とさなくても、一生背負わなきゃいけない障害を負うことだってあるかもしれない。 それでも……」
一葉は言葉を区切って膝を折る。視線をなのはに合わせて右拳を突きだした。
「それでも自分には覚悟があるってんなら、それをオレに見せてみろ。 オレは一切手を出さない。 なのはとユーノの二人だけで、後ろのやつを止めて見せろ」
突きだされた一葉の拳が開かれると、掌には紅玉が置かれていた。自分が置いてきぼりにしてしまったレイジングハート。そして、甘えの象徴だった。
「人が戦うにはいつだって理由がつきまとう。 純粋に戦いたいからか、なにかを守りたいからなのか、それが名誉なのか財産なのか、美醜はどうであれ二人の戦う覚悟をオレに見せてくれ」
一葉の言葉に、なのはの脳裏によぎったのは家族の顔、そしてアリサとすずかの顔、学校のクラスメイト達の顔。傷ついたら哀しくなる人たちの顔だった。
一葉はきっと強い。なのはは昨夜一葉の戦う姿を見ていないが、それでも暴走体を止めた事実を目の当たりにしている。それでも、一葉が一つのジュエルシードを対処している間に別のジュエルシードが発動してしまえば一人でどうにかできるものではないことぐらいなのはにだってわかる。
その時になのはの大切な誰かが傷ついてしまったとしたら、なのはは一葉を恨まずにはいられないだろう。
この街で、自分の大切な人たちがたくさんいるこの街で危険なことが起きているというのに、そのことを知りながらなにもしない、なにもできない、そんなことは絶対に嫌だった。
傍観者にはなりたくない。
その想いがなのはの手をレイジングハートに伸ばさせた。
◆◇◆
恐怖はある。それでも、なのはに迷いはなかった。
__Stan by Ready.
一葉から受け取ったレイジングハートがなのはの胸の中で桃色の光を奔らせ、その形状を杖に変えてゆく。なのはの着ている服を弾き飛ばし、昨夜と同じバリアジャケットがなのはの身体を包み込んでいった。
「起動パスワードなしでレイジングハートを起動させた!?」
純白のバリアジャケットを纏うなのはを見て、ユーノは驚愕の声を上げる。それも仕方のないことで、デバイスの無詠唱起動は魔法に慣れた者にしかできるものではなく、魔法に触れること自体が二度目のなのはが到底できるものではないからだ。
いうなれば、自転車をすっ飛ばして大型バイクに乗るようなもの。なのははそれを難なくやってのけてしまった。
一葉はベヌウを肩に乗せなのはと暴走体を一望できる鳥居の上に移動していた。なのはがバリアジャケットを展開し、戦いの準備が整ったを確認すると我が身が裂けることさえ厭わずに暴れ狂う暴走体を拘束していた黒い炎の拘束が飛沫となって消え去った。
瞬間、暴走体は音を壊しながらなのはに牙を閃めきかせながら襲いかかった。
__protection.
レイジングハートから機械音声が響くと同時になのはの周りを薄桃色の膜が包む。しかし放たれた弾丸と化した暴走体はそんなことを気にも留めずに参道を破壊し、大地を罅割れさせながらなのはに突っ込んで行った。
土埃を上げながら地面をめくり上げなのはを防護魔法ごと参道から本殿へと圧し出していく。
「なのはッ!!」
土埃で視界が遮られる中、ユーノは震える声で叫び、咄嗟に鳥居の上を見上げる。
だが、そこには傍観者を決め込んだ一葉が冷めた表情で見下ろしているだけだった。
本当に手を出さないつもりなのか!?
この感情は理不尽で不誠実なものだとユーノは頭では理解している。それでも胃の底から燻ぶる感情を抑えきることはできなかった。
あの少年はなのはの友達ではなかったのか?
親友ではないのか?
なのはが一葉と言葉を交わしているときの嬉しそうな表情を思い出す。あれは人を信用して、信頼しきっている表情だ。
裏切られることなど決してあるはずがないと信じ切っている、ひな鳥が親鳥を見るような視線。
まだなのはと出会ってたった二日目のユーノでも、なのはが一葉に淡い想いを寄せていることは直ぐにわかった。
そして自分のような他人でさえ直ぐにわかる感情を当の本人が気がついていないはずがない。なのにそんな相手が、手を伸ばせば届く距離で危険な目に遭っているというのに一葉は動きを見せる気配など微塵も感じさせなかった。
それはジュエルシードの義務や責任を抜きにしても人として間違っているのではないか。胃の中に募る苛立ちは次第に一葉に対する不信感へと変わっていった。
__Protection Condition All green.
視界を阻む土埃の中から聞き慣れたレイジングハートの声に、ユーノは声のする方にハッと視線を向けた。徐々に薄らいでいく煙の先には腰が引けながらも障壁を展開したまま襲いかかってきた暴走体を逆に吹き飛ばしていたなのはの姿があった。
自らの勢いがそのまま帰ってきた暴走体は絞るような奇声を上げ、体重を重力に任せながら倒れ込む。
昨夜の塵が集まって模られただけの靄とは違い、原生動物を取り込んだ暴走体は実態を持っている分、力の強さは段違いのはずなのに、なのはの周りを包む防護障壁には罅一つ入っていなかった。
「いたたたた……っていうほど痛くはないかな?」
驚きに言葉を失っていたユーノとは対照的に、あくまで冷静ななのはの声が響く。
「えと……、封印っていうのをすればいいんだよね。 レイジングハート、お願いできる?」
__All right. Sealling mode. Set up.
なのはの呼びかけにレイジングハートが答えると、杖の先端部がスライドし小さな部品が飛び出した。小さな筒のようなものはなのはから送り込まれる過剰な魔力の排出口だ。
桃色のエネルギーは翼を象るかのように大気にささやかな風を揺らめきかせ、瞬時の間にその形状を鉤爪の付いた縄へと変え暴走体に襲いかかる。
収束された魔力は重力のない風を切り裂き荒れ乱れる軌跡を残す。一度は倒れ込んだものの、起き上がり身を低く構えていた暴走体の腹部と四肢を縛り上げ締めつけた。
大気を震わせる咆哮とともに殻のように身体を覆う灰色の鎧の肌が擦れ合い、空に突きぬける。その叫びはこれから自らに降りかかる運命を嘆いているように聞こえた。
そして、額に浮かび上がるのはローマ数字の焼印。シリアルナンバーXVIだった。
__Stan by Ready.
「リリカルマジカル! ジュエルシードシリアルXVI! 封印!!」
なのはの叫びは終焉の合図だった。絹を裂くような悲鳴を上げながら暴走体は四つの深紅の瞳を見開き、開け開かれた口からは涎をまき散らしながら青い粒子となって散って、消えていった。
◆◇◆
「高町嬢は素晴らしい才能を持っていますね」
コンビニで買ってきたチョコビスケットを突つきながらベヌウは一葉に言った。
人口の明かりに満たされた部屋の外は夜の帳が下りており、カーテンの隙間からは夜の闇が覗いて見える。
一葉は椅子に腰を下ろしながらパックの紅茶を啜りながらベヌウの言葉に耳を傾けていた。
「魔法に触れてまだ二日しか経っていないというのに、今日の戦闘でデバイスの無詠唱起動をやってのけた。 今のデバイスの機構がどうなっているのかは知りませんが、本来無詠唱起動は魔法を始めて一年目ほどでようやくできるようになるものです。 それにジュエルシードの暴走体に物怖じしない胆力と、人の言うことを理解できる頭と謙虚さも持っている。 このままちゃんとした指導者のもとで知識と技術を身につければ優秀な魔道師になるでしょうね」
「随分と評価が高いね。 そんなになのはってすごいの?」
「ええ、魔力の潜在量だけ見てもとんでもない量を保有しています。 リンカーコアは遺伝でしか発生しないことがほとんどですが、極稀に突然変異でリンカーコアを持って生まれる人間がいます。 そうしたものは例外なく稀有な才能を持っているのですよ」
「魔導師の最初の系譜ってことね。 混じりものよりも純粋種の方が優秀ってわけか」
一葉は紅茶を一口喉に流すと、マグカップをベヌウの横に置く。ベヌウは三枚目のビスケットを食べ終えると、それで満足したのか食事で乱れた羽毛の毛づくろいを始めた。
ベヌウは気取ったところもあるが、質朴でもある。こうして見ているとユーノが驚愕するような存在には見えない。
だが、実際に強いのだとは思う。ベヌウには戦場に身を置き、生き延びた者にしか出すことのできない凄味というものがあった。
この平和を文字にしたような平成の世に、ベヌウとの出会いは自分にとっていったいどんなスパイスになるのかは想像できない。
その始まりが今日だったのかもしれない。
一葉は机の上に置いてある、自分用に分けておいたビスケットを頬張りながら今日の出来事を反芻した。
◆◇◆
ジュエルシードを封印したなのははユーノを肩に乗せたあと、直ぐに一葉に謝りに来た。
「ごめんなさい……。 私、浮かれてたのかも……」
レイジングハートを待機状態に戻して元の服装に戻ったなのはは、鳥居から降りてきた一葉に吹けば消える蝋燭の火のように小さな声で頭を下げた。
急に腰を曲げられてなのはの肩から滑るように地面に落ちたユーノも、直ぐに体制を整えてなのはに倣い頭を下げる。
「僕もです……。 貴方となのはに甘えてた。 そのせいでまた、なのはを危険に巻きこんでしまった……」
一葉はそんな二人を見て、不機嫌そうに腕を組みながら口を開いた。
「オレが言いたかったのはね、二人とも目の前のことに集中しすぎて周りが全く見えてなかったってことなんだよ。 どうせ、怪我をしても困るのは自分だけだって思ってただろ? なのはとユーノが傷ついて、周りの人がなんとも思わないとでも思ってた?」
「う……」
「それは……」
一葉の厳しい言葉に縮こまってしまう二人は口をどもらせた。覚悟を見せろと言われても、そんなものの見せ方なんか知らないし、なのはにできたのはなるべく無傷でジュエルシードを封印することだけだった。
自分が危険なことをしようとしていることは、今身を持って知った。一葉が反対することはまさに正しく、止めろと言われても説得の言葉が思いつかない霧のようなもどかしさがなのはの胸中を満たしていた。
「でも、ユーノはともかくなのはは首を突っ込みたいんだろ? だから、みんなで協力してさっさと終わらせよう」
「え?」
頓狂な声はなのはとユーノの声が重なったものだった。一葉の言葉に、なのはは伏せていた顔を上げると、照れくさそうに目を逸らしながら頭をガシガシと掻いている一葉と、呆れるように溜息をついているベヌウがいた。
「手伝って……くれるの?」
「オレに拒否権はないんじゃなかったんかい。 それに、本当は全力で止めてやりたいんだけど、なのはの性格上絶対に首を突っ込むのはわかってるからね。 なるたけ目の届くところにいて欲しいんだよ」
肩を小さくして窺うように尋ねてきたなのはに、一葉は肩を竦ませ困った笑みを浮かべながら言った。
「とりあえず、今日のところはお疲れ様、だ。 自分は危険なことをしようとしてるって自覚を持ってくれればそれでいいよ。 ほれ、一緒に帰ろう」
差し出される一葉の手をなのはは取る。すると、今まで心を覆っていた陰鬱な雲が嘘のように払われ、代わりにあたたかな喜びが一筋射しこんできた。甘えるなと言われたばかりだが、それでも自分を認めてくれたような一葉の言葉が嬉しかったのだ。
なのはは小さな声で「ありがとう」と言うと、一葉は微笑みながら頷いた。
今はそれだけでよかった。覚悟などいくら言葉にしても身につくものではない。そして、力は覚悟に導かれ、覚悟は力に溺れる。
なのはは手にした魔法の力に溺れるのか、それとも覚悟に導かれるのか、今から先のことなんて一葉にはわからない。だが、それでも自分が手にした力が、そして自分が踏み入れようとする道の世界の危険を少しでも自覚して欲しかったのだ。
だから、なのはに突き離すような言葉を投げつけた。
いつか、本当に覚悟を決めなければならない日が訪れた時に、今日という日を忘れないようにする為に。
そうしてなのはは手を繋いで、沈みかけの太陽が夕焼けに染める空の下を歩いて街に帰っていった。そして今に至る。
一葉とベヌウは会話に一旦区切りをつけ、一葉は下の階に下りて空になったマグカップに再び紅茶を注いでいた。
お湯の中で滲み出る紅は茶葉から淹れる上等なものではなく、普通のティーパックだ。茶葉もないわけではないが、一葉はこの手軽さと安っぽい味が好きだった。
既に何度かだしたティーパックは色が薄くなってしまっているが、寝る前なのでこれくらいで丁度いい。
湯気が揺らめき立つマグカップの中身をこぼさないように、慎重な足取りで階段を上り自室のドアを開けると、ベヌウは出る前と同じ場所で一葉が帰ってくるのをおとなしく待っていた。
一葉にとっては、今日の本番はここからだった。
自分の異端と罪を、他者が耳にして一体どういう反応をするのか、その時にどうなるのか。
それを知る為に、一葉は何万歩よりも意味のある一歩を踏み出した。
◆◇◆