魔法少女リリカルなのは Broken beast 作:やまあざらし
初めて人が人を殺すのを見たのは三つの時だった。
仮面を張り付けたかのように表情が死んだ女が口元だけを醜く歪ませ、血化粧を拭いもせずに人を切り刻んでいた。
壊れたスプリンクラーのように赤い飛沫を吹き出すそれは辺りを鼻につく粘ついた匂いで満たし、艶やかな異界を作り上げる。
あまりに人智と常識を超えた殺戮に影を縛り付けられたかのように身動きが取れず、視線を外すこともできなかった。
不意に女と目が合う。
蛇のように絡み合う視線は冷たい鎖となり、心臓を縛り上げた。猛獣に捕まった動物のように、恐怖を通り越し絶望と諦観だけが胸を締め上げた。
死
ただその一文字だけが頭に浮かんだ。
あの時、自分はきっと笑っていたのだと思う。
そう、涙を流すことよりも、命乞いをすることよりも、なぜか笑っていた。
死の覚悟などなく、ただこの状況を受け入れ命を奪われるということだけは納得していたのだ。
だが、女は自分を見逃した。
それは気まぐれか、それとも子供は殺さないという妙な正義感を持っていたのか。
いや、おそらくそのどちらでもなかったのだろう。
ただ単に自分など最初から目に入っていなかったのだ。
去り際、女は自分の横を過ぎ去っていくときの、まるで埃を見るような目が印象的だった。
古代ベルカの騎士甲冑を纏った、赤毛のポニーテールの女。
そして、その六年後。自分は再びその女と同じ目をした少年に出会うことになった。
◆◇◆
「なのは……。 彼を……、一葉をあまり信用しない方がいい」
「え?」
ユーノの声に、なのはは横になっていたベッドから身を起こす。視線の先では、ユーノがバスケットの中から緑色の双眸でなのはを真っすぐと見据えていた。
カーテンの隙間から差し込む月明かりがユーノの金色の毛にキラキラと反射して、明かりが落とされた部屋で不気味なほどに浮かんで見えた。
一葉に送られる形でなのはとユーノが家に着いたのは夕方だった。夕食を済ませ、シャワーを浴びたなのはは今日の疲れもあり、明日に備えて普段よりも早めに床についたのだが、不意に耳に届いたユーノの声に耳を疑った。
「正直……、僕は彼が怖い」
「どういうこと?」
問いの言葉か微かに反響する。
「言葉の通りだよ。 なのはは、一葉が怖くないの?」
「それは……」
ユーノの言葉に、なのはは言葉を探した。
そんなことない、とは断言できなかったのだ。むしろ、なのはは今日の一葉のことを故意に目を逸らし深く考えないようにしていた。
未知が恐怖に分類されるのならば、魔法と言う未知に触れる前のなのはは一葉の能力に畏怖し、恐怖したかもしれない。
だが、魔法を知り戦い経験した今になっても、今日の一葉は自分の知っている一葉の姿とは違って見えた気がした。
「思い返すと一葉は最初からおかしかった。 最初のジュエルシードが暴走したときだって、無傷で力を無力化させるし、今日だってなのはが戦ってるとき見てるだけで本当に手を出すつもりがなかった。 いざとなったら自分がいつでもなんとかできると言わんばかりにさ」
「でも……、今日のは私たちが悪くて……」
「うん、それは認めるよ。 あれは弁明のしようがないほどに僕たちが悪かった。 だけど、なのははあの時、一葉は自分が何度も命のやり取りをしてきたことをはっきりと口にしていたことに気が付いてた? まるで戦うことが当たり前みたい慣れ切ったことを言ってた。 それがこの世界の……、この国の、なのはの年代の平均なの? それに、あの時の一葉の目は……」
ユーノはそこまで言って、言葉を躊躇った。
思い返すのは六年前の冬の日のこと。自分の姓がスクライアになるきっかけとなった事件のことだ。
まだ、三歳だったユーノの目の前で両親を物言わぬ肉塊に変えた、冷たい刃のように鋭く、その奥には冬の湖のような純粋さがあった女の目。それは自分が人間を殺すことに疑いなど持たない孤高の獣のような瞳。
一葉がなのはを突き離したときの目は、あまりのその女の目に似ていた。
「一葉はきっと奪う側の人間だよ。 僕や、なのはとは違う。 それに、一葉の能力……、僕はあれをずっと魔法だと思っていた」
「え……、どういうこと……?」
なのはのか細い声に、ユーノは胸を締め付けられるような思いで首を縦に振った。
「魔法を使うには、心臓の奥の方にある“リンカーコア”っていうものが必要なんだ。 リンカーコアは魔力を生み出す源で、その量によって魔法の強さが決まるんだけど、僕の念話を聞き取れた一葉には“リンカーコア”は間違いなくある。 それがどれほどのものかまではわからないけど、だから僕はずっと一葉が出した剣は転移魔法を応用したものだと思い込んでいた。 だけど、今日一葉が剣を出した時、リンカーコアは発動してなかったんだ」
「それって……」
「一葉は魔法じゃない別の力を持ってる……。 昨日、説明してくれたときだって嘘は言ってないけど、本当のことはなにも話してくれなかったじゃないか」
ユーノの言葉に、なのはの瞳が揺れた。
表情を変えることなく、的確に鋭い指摘をしてくるユーノに、なのはは一葉を擁護しようとなにかを話そうとしても、言葉が喉に絡まってうまく喋ることができなかった。
「少なくとも、僕は全部話さなきゃいけないことは話した。 だけど、一葉はそうじゃない。 僕は、そんな人を相手に自分の背中を預けられるほどお人好しじゃないし、強くもない。 だから、僕はどうしても彼を信用できないし、しちゃいけないんだ。 なのはも……」
「きっと……」
吐息のような小さな声をユーノの言葉に被せた。
ユーノの言葉は、きっと全部正しい。今まで共に過ごしてきた時間との葛藤の中に芽吹いた猜疑の芽は嵐のようになのはの心臓に蔦となって巻きついてきた。
自分は何か大事なことを忘れているのではないか、記憶に幾重にも鍵をかけて思い出さないようにしているのではないか。
今まで一葉が取りこぼしてきた、同級生とは思えない振る舞い。時々見せる、黄昏を見据える老人のような目つき。
自分と同じ場所にいて遠いような、今まで自分が見落としてきたものがきっとこの疑いの気持ちの根源だ。
「きっと……、一葉くんにも言えない理由があるんだよ。 だから、私は一葉くんの方から、きっと言ってくれるって信じてるもん」
伏せられた長いまつ毛が差し込む付きの光に照らされる。ピンクの掛け布団は、握りしめられたなのはの拳で皺ができ、弱々しく震える声は自分自身に言い聞かせているようだった。
「なのは……」
いつもよりも小さく見えるなのはの影は痛々しく見えた。こうなることをユーノはある程度想像していたが、友達である一葉を疑うように仕向けたことに罪悪感を覚えるが後悔は微塵もなかった。
一葉は危険すぎる。理屈じゃなく、頭の中の本能がそう警鐘を鳴らしているのだ。あの目は悉く奪ってきた者の目。もし、なのはが一葉の傍にいて傷つくことがあれば、それは自分の責任だ。
だから、ユーノはなのはに忠告をした。
「ユーノくん……。 もう、寝よ?」
「うん……」
なのはは会話を遮るように布団にもぐってしまった。ユーノはこれ以上なにも言えずに、身体を丸くし眠りにつくことにした。
胸の内に、小さなわだかまりを秘めながら。
◆◇◆
「俄かには信じがたい話しです……。 しかし、作り話にしては……」
「こんなウソついてどうすんだよ。 まぁ、信じろって方が無理かも知んないけど本当にオレは前世の記憶と能力を引き継いでるんだよ」
一葉は腕を組みいつの背もたれに体重を預けながら言うと、動揺に身を震わせていたベヌウとの間にしばらくの沈黙が降りた。
会話のなくなった部屋に響くのは水槽のモーター音と、穏やかに時を刻む時計の鍼だけだ。
短針は既に日の変わり目の時間を指しており、一葉が淹れなおした紅茶もすっかりと冷めてしまっている。
一葉が話したのは前世の記憶と能力の引き継ぎ。そして能力の本質と、世界殺しのことだった。
一葉の能力である、可能性の否定と肯定は言いかえれば事象の交換ということでもある。一度起きてしまった事象を全くなかったことにすることは不可能で、別の世界で起きた事象と交換するということだ。
ただ、その世界とは次元世界ではなく並行世界と呼ばれるもの。
並行世界は次元世界とは異なり、同一の宇宙で同一の次元を持つ違う世界だ。多世界解釈や、ベビーユニバース仮説など多くの物理学、宇宙論で論じらてはいるが、未だにその存在を確認されたことはない未知の世界。そして、古代ベルカが手を伸ばし、失敗した世界。
一葉はそんな世界に簡単に干渉することができるというのだ。
そして、なによりも驚いたものが、一葉は前世では六十二年の生涯を送ったという。九歳時に合わない言動はこれで納得るが、一葉が生きた時代は今から言うと約四百年前。
戦国、安土桃山時代と呼ばれた乱世の時代であり、戦争が日常的に起きていた時代だ。
つまり、今現在の平成の世で人を殺してきた経験がそのまま別の身体に移植されたということになる。
人を殴ったこともない人間が、人を殺した経験だけを持っている。それはどれほどの苦痛なのか想像もつかない。
そして、一葉が能力を引き継いだままこの世に生れて来たということ。
獣と畏れられた生涯。その生涯で唯一心を開き、平定の世を目指した主とともに血潮と駆け抜けた戦乱の世。それが実現した世界を、一葉は守るために殺したという。
つまり、“世界を殺すほどの力を今、一葉は持っている”と言うことになるのではないか。
そうだとしたら、それはとんでもないことだ。
「やっぱり、信じらんないかね?」
一葉は困ったような表情で頬を緩ませるが、ベヌウとしてはそんな軽い気持ちにはなれなかった。
「いえ……、しかし戸惑ってはいます。 私の予想の範疇を大きく超えていたので……。 しかし……、だとしたら貴方は……、貴方の魂は血と罪で穢れてしまっているのですね……」
自らの願いの為に世界そのものを、そしてそこに生きた数え切れない命を一葉は奪った。
それは死などという生半可な罰では赦されない罪だ。
例えその結末を、世界自身が望んでいたとしても。
「そうだな……。 オレは大罪人だ。 質が悪いのがさ、ただ死に損なっただけじゃなくてさ、人生まで一からやり直させるってとこだよ。 こりゃ、もう拷問だ」
一葉はベヌウの言葉に小さく声を漏らした。
罪が肉体と言う器にではなく、魂に宿るというのなら一葉は奪い去っていった幾億の死をその身に背負って生まれ落ちた。
例えそれが、“緋山一葉”という人間が起こしたものでなくとも、“緋山一葉”を構成する魂そのものに罪があるのだ。
そして記憶ではなく魂に刻まれている飛沫に舞う血を、雪に散らす命を、鉄が肉に食い込み骨を断ち斬る快感を知ってしまっている。
磨かれた刃で斬りつける肉からはあたたかな血が噴水のように溢れ出て、土に染み込む生臭は脳を快楽に麻痺させる。血まみれの鎧で血を拭い、新たな血を求めて咆哮を上げながら新たな死を求める。
それは一葉が夢に見る、かつて起こった現実。僅か一夜で回顧する争いの絶えない修羅の生涯はまるで胡蝶の夢だというのに、一葉は目が覚めるたびに暗闇から伸ばす無数の手に引きずり込まれ、光届かない深海に囚われてしまうかのような恐怖に苛まれていた。
そして、その恐怖の奥にある、黒く澄んだ確かな快感にも。
自分は本当に緋山一葉なのか。過去も、今も、そして未来も、緋山一葉という一貫性を持った人間なのだろうか。
自分はそう思っていても、他者はそうではない。他者はそう思っていても、自分はそうではない。自己統一性の矛盾。
家族と接するとき、友人と話すとき、自分の顔面に張り付けた顔が仮面のように思えて、ひどく醜いものに感じた。
自分がいったい何者であるのか。それを確かめる方法はただ一つ。
戦うことだ。
死も苦痛も、その愉しみの代償の一つにしかすぎなかった。
そして、一葉が初めてジュエルシードの暴走体と対峙した時、身体中の血が沸騰したかのように思えた。
“また、戦える”、“また、殺せる”。頭の中にいる誰かが、確かにそう囁いた。
自らの中にひっそりといた、忘れようとしていた獣の存在をはっきりと確認した瞬間だった。
「罪を償う機会を与えられた。 そう考えることはできないのですか?」
「償って消える罪なんかありゃしないよ」
一葉は諦観の笑みを浮かべたまま自嘲気味に言う。
そもそも、一葉は償いという言葉自体に傲慢さを感じていた。それを罪を犯した人間が、その罪から逃れるために作り上げた妄言。犯した罪も、刻まれた過去もなにをしても決して消えることはないというのに、償いの言葉を逃げ道にし現実から身を背けているようにしか思えないからだ。
犯した罪を赦すことなど、神にすらできないというのに。
「ならば、戦えばいい」
「……は?」
予想もしないベヌウの言葉に、一葉は眉根をひそめた。
「戦って、戦って、戦い続けて、かつての貴方が奪ってきた以上の命を救えばいいではないですか。 今の貴方は過去の貴方とは違う。 誰かの為に怒ることができ、傷つき、力を振るうことができる。 今日の一葉を見ていれば、誰でも貴方が優しい人間だということはわかります。 もし、今の一葉の生に意味があるというのならば、貴方はきっとその為に生まれてきたのですよ」
ベヌウのまじめな顔と、ゆっくりとした言葉に一葉は声を詰まらせた。
「一葉は世界を殺すほどの力を持っているというのならば、誰かを守る力だって持っているはずです」
「簡単に言ってくれるなよ。 殺すのと守るとじゃ、全然意味合いが違いすぎんだろ。 それに、オレは誰かの為に力を振るえるほど器用じゃないんだよ」
そう、いつだってそうだった。
直すことよりも壊すことの方が簡単で、描くことよりも破くことの方が容易く、糸はいつの間にか絡まっているのに解くことは難しすぎた。
自分が愛した、主の愛した世界を守ってみせる。そして払われた代償は大きすぎた。
「そうでしょうね。 私から見ても、一葉は器用に生きれる人間には見えません。 しかし、今は私がいるではありませんか」
「……なに言ってんのお前?」
「私は言ったはずです。 貴方が何者になっていくのかを見届けたい、と。 一葉はまだ、緋山一葉とかつての貴方だった存在の狭間に立っているだけで何者でもない。 行く末を見極めるまで、私は一葉の傍にいましょう」
「なんじゃ、そら。 結局、オレと契約するってこと?」
「違います。 主従の契約は交わしませんが、しばらく貴方の力となりましょう。 それに、そちらの方が面白そうだ」
突き離すような言葉の裏に、ベヌウは一葉に深い哀れみを感じていた。
ベヌウは人工知能という、人間とは違う時間の流れの中を生きている。蓄積された記憶を記録として引き継ぎ、とどまることを知らない川の水底じっと息を潜ませる小石のように時代に取り残されていく暗澹。
機械が感情など、と一蹴されるかもしれないがそれでもベヌウにはゴーストがあった。あらゆる高度な集まりがプロトコルとなり、計算式が真理を求め、シュミレートが魂を求め、人格と呼ばれるものを手に入れた。
ただの、単調な0と1の羅列ではない。それこそが、自らの人格を持つデバイスこそが、ベルカの技術の特徴でもあった。
そして、寿命の概念がない機械だからこそわかるものもある。
清廉な幼い時代を経験せずに、周囲を差し置いて成長を続ける精神は普通の人間ならば到底耐えられるはずのないことだ。
それでも、一葉は狂うことも自棄になることも、自らの罪から目を背けることもせずに、自分の中に潜む、もう一人の自分と九年間共に在り続けたのだ。
絶望か諦観か、一葉の鳶色の瞳の奥に宿った黒く濁った光をベヌウは見逃さなかった。
現実逃避という安寧も求めずに、自我を保ちながら罪を悔い続ける一葉の姿は、自らの手首を切り刻む自傷行為にも思えた。
事実、一葉は限界まで追いつめられていた。こうして、出会ったばかりのわけのわからない機械にまで自分の秘密を打ち明けてしまほどに、自らの自己統一性の基盤が足元から罅割れ、崩れかけていたのだ。
そして、そのことを話したことによって、確かに胸の内が軽くなった気がした。
「ま……、それでもいいけどね。 じゃぁ、オレもしばらくお前を利用させてもらうとするかな。 オレも、そっちの方が面白そうだ」
「ならば、私のことをもっと効率よく利用する為に一葉にいいものを差し上げましょう」
「ふぅん?」
どこか尊大に振舞うベヌウの言葉に一葉は眉をひそめた。すると、ベヌウは机の上を嘴でコン、つつく。
すると嘴が当たった個所を中心として二つの正三角形が反発するように回転するサークルが、ベヌウの羽毛と同じ色の光で浮かび上がってきた。
サークルの円周には、地球圏ではどこでも使われていないであろう文字がぎっしりと綴られていて、模様のようにも見えた。
一葉がそれを見つめていると、サークルの中心に光の粒子が集まり、それが一つの形をなす。
「これは……アンク?」
生命の意味を持つ、頭に楕円の輪のついた十字架だ。アンクの力を信じる者は一度だけ生き返ることができると信じられている。
黒金色のアンクの十字が交差する箇所にターコイズブルーの宝石が埋め込まれている。だが、それは磨かれ、精錬されたものではなく表面がごつごつとした原石のようだ。
「これはアームドデバイス“アルデバラン”。 ユーノの説明では、ストレージデバイスと呼ばれるものに属します。 人工知能はありませんが、処理速度に特化してカートリッジシステムが組み込まれています」
「カートリッジ……、なんだそら?」
「説明すると長くなるので、魔力を込めた弾丸とだけ言っておきます。 格ゲーで言う溜め技みたいなものですよ。 予め込めていた魔力を使用して一時的に魔法の威力を底上げするのです。 ちなみにアルデバランには三十発分のカートリッジを込めることができます」
「なんでお前が格ゲーと言う単語を知ってるのかはこの際置いておいて、オレは魔法なんて念話ぐらいしか使えないんだけど……」
「これから覚えていけばいいではないですか。 手札が多いことには越したことがありませんし、持っている素質を腐らせるのは私も忍びがありません」
一葉は机の上に現れたアンクを手に取る。人差指ほどの大きさのアンクはペンダントのトップなのだろう。
何気なく眺めていると、一葉はあることに気がつき戦慄が背中を駆け抜けた。
「まさかオレもなのはみたいにフリフリな服に変身……!?」
「なりたいんですか? 申し訳ありませんけど、アルデバランの先代の持主は男性でしたし、設定もその時のままになっています」
驚愕に声を震わせる一葉に、ベヌウはピシャリと言った。
「そもそも、高町嬢が使用してるデバイスとアルデバランとでは設計思想があまりにも違いすぎる。 私のいた国ではあんなに布地の多い騎士甲冑は……、今はバリアジャケットと言うんでしたか。 とにかく、レイジングハートを見る限り、私の知るデバイスはもう面影程度しかありませんでしたよ」
「へぇ、具体的に言うと?」
「違いがあり過ぎて逆になにから挙げればいいのかわかりません。 百聞は一見にしかず。 とりあえずアルデバランをセットアップしてみればわかりますよ」
「ふぅん……。 で、どうやってセットアップすんの?」
「私を起動させた時と同じ呪文を唱えればできます。 それから、椅子からは立った方がいい。 多分、壊れますから」
「椅子壊れるって……、そんなに物騒なもんなの?」
「魔法に限らず人間の作ったものなんて物騒の塊ですよ。 それよりも、ほら。 怪我したりとかはしませんからやってみてください」
一葉がこめかみを引きつけると、取りつくしまがない冷然とした口調で答えた。
なにか納得しないものを感じながらも、正直デバイスのセットアップと言うものには興味があり、ベヌウの言うとおり椅子と建ち部屋の中央へ移動する。
一葉の部屋は八畳ばかりの部屋だが、ものが少ない為、実際の寸借よりも広く感じる。
一葉はアンクを手に持ち、闇に張り付くように意識を集中させた。
「深淵の空、宵の影。 光届かぬ眠りの森、獣が眠る夜の果て」
一葉の声が部屋の壁に反響し響く。そして、足元にベヌウがアルデバランを出した時と同じサークルが浮かび上がってきた。
だが、ベヌウが自身の羽毛と同じ碧や瑠璃色の線の混じった黒い光に対して、一葉のは光沢の入った灰色。
冷たい鋼の色だった。
「誰も踏み入れぬ楡の館で、死を侍らせてお前を待つ」
一葉が呪文を終えた刹那、鋼の光が一葉を包み寝巻のジャージを黄金の鎧へと変えた。
全身を包む甲冑には繊細な装飾彫刻が施されており、黄金で造られた絢爛さだというのに卑しさを感じないデザインになっている。
隙間なく身体を閉じ込める西洋の突撃兵のような鎧はいかにも鈍重そうだというのに、重さを全く感じない気持ちの悪さが身体に押しかかる。
頭の兜は目だけを晒す鉄仮面で視界が狭すぎる。
そして、手にしていたアンクはやたらと巨大なロングソードに形状を変えていた。
アルデバランをセットアップして、一葉はベヌウが示唆した言葉の意味をようやく理解した。
確かに、こんな関節部でさえプロテクターで補強されているような鎧を座ったまま身につけると、間違いなく椅子は破壊されていただろう。
一葉は自分の掌を見ながら何度が拳を閉じたり開いたりしたり、腕を回してみたりした。
「これってさ……、デザイン変更って可?」
「まあ、ある程度は。 専門の機材がないので繊細な変更はできませんが、デザインやパラメータをいじくるくらいならできます」
「じゃあ、今から設定を変えよう。 ちょっと、これはオレと相性が悪すぎるわ」
一葉はアルデバランのセットアップを解除すると、再びいすを引いて座りベヌウと前にアンクを置いた。
一葉は元々、足を使った戦術を主に置く上に、剣では一葉の能力と被ってしまう。手札が多いことにこしたことはないが、今持っている手札を棄てる必要も、同じ手札を持つ必要もないだろう。
だが、一葉にとってはそれだけではない。
一葉には、一葉なりのこだわりがあるのだ。
結局、この後ベヌウは一葉のこだわりに一晩かけて付き合わされることになる。
◆◇◆