やぁやぁ。北上だよ。
私は世間では「艦娘さん」なんて呼ばれているんだ。艦娘がよくわからない人の為に説明すると、深海棲艦なんて呼ばれる物騒な未知生命体と戦ううら若き乙女のことをいうんだ。
でもさ、少し待ってよく考えて欲しい。賢い人間様が人型の野生生物に負けると思うかい? その気になれば、白熊だって一人で倒せるような時代にだよ?
じゃあ、艦娘なんかいらないじゃん。その通り。
少し話が逸れるけど、艦娘さんってなんだろうか。私だって木の股から生まれてきたわけじゃない。ちゃんとお父さんもお母さんもこの世に実在したはずだ。そうだよ。昔は普通の人間だったのさ。私も人のことは言えないけど、艦娘になった子は人の道を踏み外した子が多いんだ。
私は馬鹿だからよくわからないけど、すごく賢い人間達が凄い技術を使って人間を艦娘に変えたんだ。どうして艦娘になったのかって? それは人間が生活する社会ってものに馴染めなかったからだよ。他のみんなもそう。身寄りがいない子や、不良少女なんて可愛いもんだよ。こっちには殺人犯なんてざらにいるんだから。みんな、人間社会で生きることに不都合が起きたからこっちの世界に来たんだ。
私? 私は人間は殺してないかな。ただ少し、社会がよくわからなかっただけ。馬鹿だから仕方無いね。
おっと、話が逸れたね。
人間を艦娘に変える研究は私が生まれる前から続けられているんだ。中には人の形を保てなくなった子もいるらしい。そんな彼女達がどうなったのか。私は知らない。
あぁ、あと一つだけ訂正。人間は自分のことが偉いっていってるけど、はたから見れば野生生物だよね。
ーーーー
「…………んぁ?」
顔に降りそそぐ日光が眩しい。北上はその明るさで起きた。横になっていたベンチから立ち上がり、大きく伸びをする。そして目を細め、自分を起こした太陽を睨んだ。
「気分よく寝てるのに起こしやがって……お前は大淀か!」
「それは私が輝いている……そうとってもよろしいですか?」
突然聞こえてきた声に、北上はビクッと肩を震わせた。恐る恐る振り返ると、とても可愛らしく微笑む大淀がいた。額には青筋がういている。
「訓練は出ない、書類も溜め込む。あなたが私のことを太陽だと思っている点を引いてもお釣りがでますね」
「これには富士山よりも高く、太平洋よりも深い理由があるんだよ」
「そうだったのですか。是非お聞かせ願いたい」
「長くなるからまた今度ね」
「それは残念です。ですが、こちらのお話は聞いてもらいましょう。是非執務室へ」
大淀は是非と言った。ならば、拒否権はあるはずだ。
そんなものは無い。北上は大淀の顔を見て察した。青筋が増えている。
「そんなに怒ると、お肌に悪いですよ〜」
「なら怒らせないでもらえるかしら?」
ついに大淀の微笑みが崩れた。眉を吊り上げ、般若面の様な顔をしている。
北上はそんな大淀の耳元に光る大きなパールのついたイヤリングに気がついた。
「はぁ〜……特務艦殿はいいご待遇のようで……」
「あなたを筆頭とした素行不良たちをまとめているのです。これぐらいの贅沢は許して欲しいものね」
大淀はそう言うと髪をかきあげ、両耳をあらわにする。もちろん両耳に同じイヤリングが付いているが、北上が注目したのは髪をかきあげた手の指にはめられた高価そうな指輪だ。
「ふぅ〜ん……」
自分には関係ない。北上はそう思いながら大きく伸びをした。
「トイレに寄っていくから、先に執務室に行ってていいよ」
「いえ、逃げられたら困るので私もついていきます」
「手を洗う時にそれ、忘れるかもよ〜」
どれだけ信用されていないんだ。
別に提督の呼び出しを断ったり、無視した事はない。ただ行くかどうか悩んでいたら一晩明けていたことは何度かあった。
北上は不満げに大淀を見つめると、ため息をついた。
「はいはい。じゃあ行きましょうかね」
大淀は北上のすぐ後ろを歩いている。手を伸ばせば、北上がすぐ掴める距離だ。
ーーーー
「”雷巡”、北上、参上しました」
執務机の前にて敬礼をする北上を、ここの長である田所は訝しげな目で見ていた。
田所はがっしりとした体格を持ち、背丈も大きい。彼を知らない人が見たら、まず近づかない風貌をしている。
「訓練の無断欠席がこれで15回目になりました。更に未提出の書類も50枚を超えています。北上さん、これは他の誰よりもぶっち切りで多い数字ですよ」
「やだな〜、褒めても何も出ないよ〜?」
「褒めているんじゃありません! このお馬鹿!」
田所が握りこぶしで机を叩く。北上はやれやれといった様子で頭をかいた。
「さっき大淀にも話したけど、これには深い深〜い訳があるんだよ。これを離すと一晩じゃ足りないかな〜」
「二度寝、昼寝、早寝のどこが深い深〜い訳ですか! 訓練の方は……まぁ戦果もそれなりですし目を瞑れないこともありません。けど、書類の方は私が困るんです!」
「私は困らないよ?」
「あんたねぇ!」
「そうカリカリしなさんな。そろそろ戦線維持も難しくなってきてるんだからさ」
北上はそう言うと、前髪を書き上げておでこを見せた。その行動に田所は更に激昂する。
「誰のせいでこんなにストレスを抱えていると思っているのですかッ!! あなたがもう少し真面目なら私も他の子に小言を言われることもなく、真っ当な提督業を営むことが出来るんですよ!!!」
五月蝿く吠える田所に北上は飽き飽きしていた。
「……どうでもいいんだけどさ、そのオカマ口調なんとかならないの?」
「誰がオカマ口調ですか! だいたいあなたは……」
田所が話している途中、壁に掛けられた時計がボーンと正午の合図を鳴らした。
「おっ! お昼だねぇ。じゃあ提督、この話はまた後日ということで!」
「ちょっと待ちなさい!」
北上は片手で別れを告げると、足早に執務室を出た。閉めた扉の向こうから北上を呼ぶ声が聞こえてくる。
「早く行かないと、間宮さんに怒られちゃうから!」
北上は扉にそう叫ぶと、駆け足で食堂に向かった。
ーーーー
鎮守府の食堂では、豊富なメニューの中から好きなものが食べられる。食券を買い、それを厨房の中にいる間宮に渡して出来上がりを待つのだ。
北上はだいたい誰よりも早くここに来て一番先頭に並ぶ。
「相変わらず早いね」
受け取り口で出来上がりをボンヤリと待っていた北上に声をかけた者がいる。
「駆逐艦じゃないか。今日は一人なの?」
「響だよ。今日はじゃなくて、今日もだよ」
「いつもうるさいのと、うるさいのと、なよっとしてるのが一緒にいるじゃないか」
「……最近はずっと一人だよ」
「そうなんだ」
北上は響に興味を示さなかった。間宮から昼食を受け取ると、さっさと空いている席に行ってしまった。だが、響はそれを気にせず、北上の向かいに座った。
「ちぇ〜、軍艦旗」
「それはなんだい?」
北上は山型になったご飯に刺さるランチ側を目の前でクルクルと回した。そんな光景を響は不思議そうに見ていた。
「お子様ランチ」
「もうお子様には見えないけれど……」
「なんか贅沢じゃん? その日の美味しいものを少しずつたくさん食べれてさ。それでお腹いっぱいになるんだから」
「暁でもそんなもの頼んでいなかったよ」
「もったいないねぇ……この贅沢を知らないとは、君たちもまだまだお子ちゃまだね」
「お子様ランチを食べている人には言われたくないかな」
「食べられるものにかわりはない。まだ信頼できるものを食べれるだけ幸せじゃないか」
北上の隣にカレーを持った初月が座った。初月のカレーにも北上と同じ旗が刺さっている。初月と一緒について来た長10cm砲は響の横に座った。
「初月、随分と早いじゃないか」
「今日は非番でな。ずっと部屋で内職をしていた」
「かぁ〜……立派な公務員になったのにも関わらず、非番の日に箸作りの内職ですか〜」
響がジッと初月を見ていた。その視線に気がついた初月はぺこっと頭を下げた。
「同じ駆逐艦なのに、どうして初月は駆逐艦と呼ばれないんだい?」
響の問いかけに、北上と初月は目を見合わせた。初月が目で北上に答えろと言うと、北上は少し悩んだ素振りをした。
「それ、言わなきゃ駄目?」
「ぜひ聞かせてほしい」
響はジッと北上を見ていた。北上は悩んだ挙句、仕方ないと思い、口を開いた。
「夜戦が苦手なのに駆逐艦と呼んでいいものかと」
「……まぁ、他の子に比べたらな」
「これでいい?」
苦笑いをする北上に、響は満足そうな表情をしていた。
「北上さんらしい答えだったね」
「ご期待に添えたようで。ごちそうさま」
北上はそう言うと、空になった食器を持って席を立った。二人は黙って北上を目で追っていた。
食器を下げ、食堂を出て行こうとする北上の背中に響は声をかけた。
「ありがとう。今日は楽しかった」
「んっ」
「また一緒に食べてもいいかい?」
北上は響の問いかけに返答はしなかった。ただ、片手をあげて答えただけだ。
「……やっぱり迷惑だったか」
望んでいた答えを得られなかった響はションボリと椅子に座りなおした。
「いや、あれは”またな”って意味だ」
初月の思いがけない言葉に、響は目を輝かせた。
「あの人はああ見えて、情が深いから」
ーーーー
「さて……どこか日当たりの良い場所はないかね」
中庭に出て、昼寝をする場所を探していた北上を見つけ駆け寄る人物がいた。
「北上さん!」
「ゲッ……阿武隈……」
怒った顔をしている阿武隈に見つかった北上は心底面倒だと思った。それが顔に出ていたのだろう。阿武隈は更に声を荒げた。
「午前中の訓練もサボって……これから午後の訓練もあると言うのに、呑気にお昼寝ですか!」
北上はそんな阿武隈を無視し、木陰にゴロンと寝転んだ。
「まだ休憩時間だよ。少し休んだら行くって」
「この前も! その前も! そう言って来ませんでしたよね!」
阿武隈の甲高い声が北上の頭に響く。北上は寝返りをうって阿武隈に背を向けると、下になっている方の手で阿武隈にどっか行けというジェスチャーをした。
「今日という今日は絶対に連れて行きます!」
「うっさい!」
北上の一括に阿武隈は怯んだのか、突然無口になった。北上は静かになったことに満足し、寝る態勢を整えた。
しばらく目を瞑っていると、空母寮から琴の音が聞こえて来た。昼過ぎの穏やかな気候も相まって、北上はうつらうつらとし始めていた。
「この音は?」
いつの間にか北上の横に座っていた阿武隈が不思議そうな声をあげた。その声に、北上の意識は一気に現実に引き戻される。
「鳳翔さんの趣味だよ……てか、まだいたの?」
「今日こそは引っ張ってでも訓練に連れて行くから」
阿武隈は先程とは違い落ち着いた声で言った。
「別に私がいなくてもどうとでもなるでしょ」
北上は背を向けたまま、顔だけを阿武隈に向けた。隣で体育座りをする阿武隈は顔を膝で挟むようにしていたため、顔を見ることはできなかった。
「……私の言うこと、みんな聞いてくれないから」
阿武隈はか細い声でそう言った。
そりゃそうだ。北上はわかりきっていたことを言うなと思っていた。
阿武隈が何故艦娘になったかは北上も知らないが、天真爛漫な不良少女達を、こんないい子ちゃんにまとめられるはずがない。
北上は呆れたようにため息をついた。
「それと私は関係ないっしょ」
「北上さんがいるとみんな言うこと聞くじゃない」
「……滅多に顔出さないよくわかんない雷巡が来たから、みんな探り探りなだけだよ」
「それでもいい」
「それでいいんか」
北上は大きな欠伸をもらした。
「じゃあ起きたらいくよ。だから起こさないでね」
「起こしますからね!」
結局、北上は阿武隈に揺すられても起きようとはしなかった。絶対に連れていくと豪語した阿武隈だが、時間と頑なに動こうとしない北上と負け一人で訓練に向かった。
ーーーー
「ただいまぁ〜」
夕食を取り、入浴も済ませた北上は自室に戻った。
あれだけ寝ていたというのに、北上は欠伸をもらす。
「おかえりさなさい! 北上さん!」
同室の大井が北上を迎え入れると、北上はそのまま自分のベッドに倒れこんだ。
「ん〜……どうして大井っちも同じ布団に入ってくるのかな?」
「それは北上さんの寝顔を堪能するためです」
「そっかぁ〜」
毎晩の恒例行事を済ませた北上は本格的に寝ようとしていた。すぐ近くにいる大井がうるさいが、それに慣れきった北上はあともう一歩で眠りに落ちようとしていた。
「北上! 話があるクマ!」
ノックも無く、勢いよく開けられた扉の音にそれを邪魔された。
「本当に今日は睡眠を邪魔されるね」
嫌々起きた北上を、球磨は睨むように見ていた。
「提督からまた叱られたクマ! お前の監督不行届だと小言を言われたクマ!」
「そっか〜……それで、球磨姉さんに迷惑かけてるのは誰なの? 私がガツンと言ってくるよ!」
北上は握り拳を作って球磨に向けた。そんな北上に、球磨は額に青筋を浮かべた。
「お前だクマ!」
「そっか〜……私か〜……じゃあ私にはガツンと言っておくよ」
「球磨がお前にガツンと言いにきたクマ!」
「まぁまぁ、姉さん。落ち着いて」
大井はベッドから立ち上がると、球磨を部屋に招き入れ、空いている場所に座らせた。北上も仕方ないといった様子でベッドに腰掛け、球磨と向かいあった。
「まぁ、ゆっくりしていきなよ。大井っちの淹れるお茶は美味しいんだよ〜」
「もう、北上さんったら……褒めても何も出ませんよ!」
嬉しそうに体をくねらせる大井を無視し、球磨は北上を睨む。
「どうして訓練に出ないクマ! 書類は球磨も溜め込んでいるから今回は問わないクマ!」
田所とは逆のこと言う球磨に、北上は思わず笑みを漏らしてしまった。
「真面目に話を聞くクマ! 確かに北上は訓練を受けなくても充分なほど強いことは認めるクマ!」
「そう! そうなんだよ。ほら、私強いからさ〜」
「お前が強くても、他の子が弱かったら意味ないクマ! 阿武隈が指揮する訓練は訓練じゃないクマ! 好き勝手に遊びまわる園児のお遊戯会クマ!」
「なにぃ〜! 阿武隈め! 球磨姉さんに迷惑をかけているのか! よし、私からガツンと言っておこう! だから後のことは私に任せて、球磨姉さんははやくお休みになってください!」
「お前は球磨を馬鹿にしすぎだクマ!」
「バレたか〜」
「はい、お茶が入りましたよ」
大井からお茶を受け取り、それを一口飲んだ北上はあることを思い出した。
「そういえば。球磨姉さん。第六駆逐隊っていまどこにいるか知ってる?」
「第六駆逐隊って暁型の子達クマ? そういえば最近見かけないクマ……って北上! 話はまだ終わってないクマ!」
「まぁまぁ。その話はまた後で聞くよ。それで最近っていつぐらいから?」
「私もここ一ヶ月ぐらい見ていませんね。まぁ、ここは北上さんを筆頭に訓練をサボる子は珍しくありませんからね」
大井がお茶を飲みながら口を挟んだ。
「そういう子は実戦ですぐ沈むクマ。そしてまた新しい子が来るクマ」
「もしかして沈んだ?」
「そんなに困難な作戦はここ最近ありませんけど……もしかしたらそういうこともあるかもしれませんね」
「でも珍しい話じゃないクマ。見かけなくなった子が沈んでいたなんてよくある話クマ。轟沈報告も一緒に出撃した誰かが思い出した時にする様な杜撰さクマ」
「ふぅ〜ん……そっか」
自分には関係ない話だ。
北上が欠伸をもらすと、大井は北上の手から湯呑みを受け取った。
「もう遅いですし休みましょう。北上さんも限界っぽいですし」
「大井は北上に甘すぎるクマ! また明日来るクマ!」
「クマ〜」
北上はそのままベッドに寝転んだ。
「何クマ?」
「”おやすみ〜”って言っているのだと思います」
「どうしてわかるクマ?!」
「クマッ!」
「今度は”うるさい!”ですね」
「もういいクマ……また明日クマ」
ーーーー
翌日、いつも通りサボりを決め込んだ北上はいつも通り、誰よりもはやく食堂に来ていた。そして、いつも通りのお子様ランチを注文している。
「ちぇ〜、今日も軍艦旗か〜」
北上はつまらなそうに昼食を受け取ると、そのまま誰も座っていない長机に席をとった。旗を抜き、クルクル回しながらあたりを見回した。席取りで座る者、受け取り口に並ぶ者、その中に北上の探し人は見つからなかった。
「あら……嫌われちゃったか」
「そんなはずはないと思うが?」
北上の横に初月が座った。今日は一人らしい。昨日と同じカレーに刺さった軍艦旗をどけると、スプーンを水の入ったコップから抜いた。
「……ここ最近、第六駆逐隊を見かけた者はいないらしい」
「私も昨日、球磨姉さんと大井っちから聞いた」
「そうか……どうやら沈んだらしい」
「なんだ。結局そんなオチか」
「誰にも見取られずに死にたくはないものだな」
「ふぅ〜ん……私は別にいいかな」
「そうか」
二人がその後、会話することは無かった。昼食を済ませた北上はさっさと食堂を後にした。
ーーーー
「今日こそは……」
「阿武隈ぁ〜。聞きたいことがあんだけど」
中庭のベンチに腰掛けていた北上は阿武隈を待っていた。それまで自分に用があると一度も言われたことが無かった阿武隈は肩透かしを食らった。
「昨日、球磨姉さんから苦情を言われてさ。ちゃんとみんなの指揮をしなきゃ駄目じゃないか」
「訓練に出ていない人に言われたくはありません!」
「そんなんだから、駆逐艦の子達はすぐ死んじゃうんだよ〜?」
北上はフランクな口調で言ったが、阿武隈には十分すぎるほどのダメージを与えた。阿武隈の目から涙が溢れるのを、北上は白けた気持ちで見ていた。
「この前だって第六駆逐隊の子達が死んじゃったそうじゃないか」
「そのことは言わないでください!」
北上は阿武隈と第六駆逐隊に接点があることは知らなかった。適当に言っただけだが、どうやら当たっていたらしい。阿武隈の目から大粒の涙が溢れた。
「あの子達は唯一真面目に訓練を受けてくれたのに……急に来なくなって……後になってから亡くなったって……」
「生き残りがいるじゃないか」
「響ちゃんも来なくなりました」
「ふぅ〜ん……」
聞きたい話は全て聞けた。北上はベンチに寝転ぶと、そのまま目を閉じた。
「そういう子をこれ以上増やしたくありません! だから北上さんも訓練に出てください!」
「それは阿武隈の仕事。私の今の仕事は寝れる時にしっかり寝ることだから」
「わけのわからないことを言わないでください!」
「私にもよくわからないよ」
今日は鳳翔の琴の音が聞こえて来なかった。北上はすぐに意識を手放し、眠りに落ちた。
ーーーー
私の目の前に化け物がいる。
人の形をした化け物。
そいつは情けない顔で私を見上げて、必死に何かを叫んでいる。
人の言葉を話すそいつは化け物とは程遠く思える。
私は手に持っていたトカレフをそいつに向けた。
大陸のコピーだから弾は出てもどこに飛ぶかわからない。
けど、これなら大丈夫だろう。
私はそいつの顔に銃口を突きつけた。
化け物と目が合う。
私はそのまま引き金を絞った。
ーーーー
「…………おっ?」
「お目覚めですか? 随分と楽しい夢を見ていたようですけど」
北上は自分の顔を覗き込む鳳翔を見た。
「悪くはなかったねぇ……」
北上は起き上がり、普通にベンチに座った。
「鳳翔さんはこんなところでサボっていていいの?」
「お琴の音色がどうも悪くて……今日はお休みです」
「だったら、うちの提督はお琴にご機嫌伺いすればいいのに」
「それもそうですね」
鳳翔は微笑むと、北上の隣に腰掛けた。
「また解体オバケが出た……って駆逐艦の子達の間で噂になってましたよ」
「また? そんなによく出るの?」
「時々出るらしいですよ。私も詳しくは知りませんけど」
「どーせ、身売りとかその類でしょ? お国からお給金貰っているとはいえ安月給だし」
「男女平等なんて言っても、未だに男尊女卑は覆りませんからね。はぐれ者の女性に対する支出は出来るだけ避けたいのでしょう」
「はいはい。どーせはぐれ者のですよーだ。それに解体オバケもこのスーパー北上様を相手にしようとは思わないでしょ」
「でも相手にするかもしれませんね」
鳳翔は真面目な顔をして空を眺めた。
「響ちゃんがとんでもない大金を手に入れたという噂も流れています。どうやって手に入れたのかは知りませんけど」
「関係ないね。それが非合法でも、私の知ったところじゃないよ」
「そうですね……」
鳳翔は立ち上がり、空母寮に向けて歩いていった。
「解体オバケか……」
北上はもう一度ベンチに寝転び、眠りに落ちていった。
ーーーー
翌日、北上はいつも通りのサボりで誰よりも食堂に早くきていた。
慣れた注文を済ませ、受け取り口でぼんやり待っていると、厨房の中にいる間宮と目があった気がした。
「……お待ちどうさま」
間宮からいつものお子様ランチを受け取る北上の表情が引き締まった。
そのままいつも通り、空いている席に座り、ライスに刺さったランチ旗をクルクル回しながら、それを眺めていた。
「ここ、いいかい?」
北上の対面に響が来た。その手に持つトレーには、北上と同じお子様ランチが乗っている。
「いいよ〜」
北上が覇気のない返事をすると、響は嬉しそうに座った。
「駆逐艦、なんか良いことでもあったの?」
「響だよ。急にどうしたんだい?」
「なんか嬉しそうじゃん」
「あぁ……訓練で阿武隈に褒められたからね」
「ふぅ〜ん」
嘘だと。北上はすぐに見破った。
もし訓練に出ていたのならこんな時間にここに来れるはずがない。だが北上はそれについては言及しなかった。何故そんな嘘をついたのか。それは北上がつまんでいるそれが物語っていた。
「北上さんのはZ旗なんだね。私のは軍艦旗だ」
「これは五百万もの価値があるんだよぉ〜。そうそう出てこないんだ」
「言っている意味がよくわからないかな」
「僕のもZ旗だったよ」
いつものカレーを初月が隣に座った。
北上は初月のランチ旗を取ると、響の軍艦旗の横に刺した。
「何をしているんだい?」
「特別にそのZ旗をあげよう」
「とても意味があるとは思えないな」
響はそう言ったが、その軍艦旗をティッシュに包み、ポケットにしまった。
「そこまで大事にするのかい?」
初月が尋ねると、響は嬉しそうに初月を見た。
「第六駆逐隊以外に出来た初めての友達から貰ったものだからね」
響は嬉しそうにそう言った。北上と初月はそんな響の笑顔を複雑な表情で見ていた。
ーーーー
その日の夜。単装砲が一つ入った真新しいメッセンジャーバッグをかけた北上は先程のランチ旗を咥えながら食堂へと続く廊下を歩いていた。もう就寝時間はとうに過ぎている。廊下は暗く、人気もない。
北上は食堂の扉を静かに開け、普段は立ち入れない厨房の中へと入る。そこには初月、鳳翔、間宮が厨房の机の上に置かれたロウソクの火を囲んでいた。
「遅いじゃないか」
黒いタイツだけを身にまとった初月が北上に囁いた。北上は初月の隣に来ると、初月の格好を呆れたように見た。
「大井っちがなかなか寝なくてね。いつか言おうと思ってたけど、その猫目の泥棒みたいな格好、なんとかならないの?」
「夜間に動き回るなら、この格好が一番だ」
「お喋りはそこまでにしてもらえるかしら?」
間宮がそう言うと、二人は黙って間宮を見た。
「今回の仕事は大淀と明石の二人、そして一人の艦娘をこの鎮守府から安全に逃すことになります」
間宮はそう言い、百万円の束を輪ゴムで五つ束ねたものを三つ、計千五百万円を置いた。
「逃す一人は誰なんだ?」
初月のわかりきった質問をする。鳳翔も北上もうんざりという顔をしていた。
「一応、確認の為さ」
「暁型二番艦、響です」
「そうか。わかった……僕が大淀をやろう」
初月はそう言うと、五百万の束を一つ取ると、厨房を出て行った。
「なら聞く意味ないじゃんか」
「そうですね……では私が明石を」
鳳翔も五百万の束を持ち、厨房を出て行く。
「駆逐艦の護衛ですか……っと」
「それも仕事のうちの一つです」
「はいはい」
北上はバッグの中から単装砲を取り出し、空いたバッグに最後の束を入れた。
「それで、どこで待ってればいいの?」
「出撃ドッグで落ち合う手筈になっています」
「さいでっか」
北上は咥えていたランチ旗を溶けたロウソクに突き刺した。
「さぁ〜て……いっちょうやりますか〜」
北上はそう言い、厨房を後にする。
自分以外、誰もいなくなった間宮は、ロウソクの火を吹き消した。灯りが消えた厨房には人の気配はしなかった。
ーーーー
「明石さん、ちょっといいですか?」
工廠内の隅に設置された小屋で作業している明石に艤装を装着した鳳翔は声をかけた。
この部屋は鉄骨で出来たプレハブ小屋のようなもので、明石が工廠から自室に帰るのが面倒だということで自分で作ったものだ。天井には電気を吊るすために鉄骨が剥き出しになっている。鳳翔はその鉄骨と天井の間に隙間があるのを知っていた。
「えぇ……構いませんよ」
声では快諾していても、顔が迷惑だと物語っている。
「すぐに済みますから……」
鳳翔はそう言うと、工具や洋服が転がる室内の隅に綺麗に整頓された高級ブランド品を横目で見た。
どうやら間違いなさそうだ。
鳳翔は困ったような笑みを浮かべると、艦載機の発艦に使う弓を明石に見せた。
「どうも弦が緩んでしまうんです。自分でも何度か試してみたのですが……うまくいかなくて……」
「後で見ておきます。そこらへんにでもおいといてください」
鳳翔は笑みを崩さなかったが、内心は腹が立っていた。自分の命を守る艤装の弓をそこらへんにおいておくわけがないだろう。そこに大事そうに置かれている革製品よりもの大切なものだろう。
鳳翔は引き下がらなかった。
「明日の出撃で使うものですから……出来れば今見て頂けると幸いです」
鳳翔は頭を下げ、明石にお願いをした。明石は渋々、鳳翔から弓を受け取るとそれを観察した。明石が弓の観察をしている間に、鳳翔は琴爪をはめ、懐から重りのついた琴糸を取り出した。
「どこも悪いところなんて……」
明石が振り返ろうとした直前に重り投げた。ピュッという音が室内に走る。伸びていく琴糸を手元で操作し少し明石の首に琴の弦が巻きけた。明石は咄嗟にその間に自分の指を入れたが、鋭い琴糸はその指を切断する。
「その物欲に塗れた目でよく見てください」
鳳翔はそう言い、もう片方に取り付けられた重りを天井と鉄骨の間に通した。そのままゆっくりと糸を手繰っていく。
「ングッ!」
背中を向けた明石がジタバタと暴れているのだろう。明石を吊るし上げる琴糸から振動が伝わってくる。
「弓があなたの血で汚れてしまいましたが……あなたを解体したお金で新しいものを買うとします。あの鞄たちと同じようにね」
琴糸からの振動が伝わらなくなった。鳳翔は琴爪で弦を切る。
ドサっと物が落ちる音がした。
「後のことは間宮さんに任せましょう……」
鳳翔は明石の部屋を後にした。
ーーーー
「今日はよく冷える……」
大淀の自室に向かっていた初月は、人気のない暗がりの廊下で目標とすれ違った。
初月は息を殺し、暗闇と同化することで大淀をやり過ごし、そのまま大淀の後をつけた。
大淀が向かっていたのは出撃ドックのすぐ近くにある鎮守府の裏門。あまり人の出入りが無く、密会の場としては最適だろう。
初月は鋭利に尖った竹の箸を手に持ち、ギリギリまで大淀に近づいた。しかし、大淀以外の人の気配がしたことですぐに離れた。
「こんな寒い中で待たせないで貰えるかしら?」
大淀は裏門に姿を現した一人の男にそう言った。
「ここまで誰にも見つからずに来たんだ。時間がかかるのは当たり前だろう?」
初月はその光景をじっくりと観察していた。
「ほら、あの三人の分だ」
大淀は男から封筒を受け取ると、その中身を改めた。
「あら? 随分と少ないじゃない」
「クライアントは四人と言ったんだ。足りない分はもう一人を寄越した時に支払う」
「そう。じゃあすぐに手配するわ」
初月は静かな怒りを覚えていた。
頭では全てをわかってはいても、実際に目の当たりにするととても見過ごせたものではない。
「行き掛けの駄賃だ」
初月は音も立てずに壁をよじ登り、鎮守府の外に出た。
そしてゆっくりと男に近く。
「いつ頃だ? こっちも船を出さなきゃならん」
「今週中には……詳しい日程がわかり次第連絡するわ」
「そうか、わか」
初月が男の頚椎に箸を突き刺した。そのまま神経を切断する。
「どうしたのよ?」
大淀が男に問いかけた。だが、返事はない。
初月はそのまま箸を引き抜き、男を大淀の方に蹴飛ばした。
「ちょっと! そういうのは商品で……」
急に自分を押し倒した男が死んでいることはすぐに大淀にはわかった。
男を跳ね除けると、大淀はそのまま出撃ドックの方に走っていく。
「……これでしばらくは間宮さんの料理が食えなくなるな」
初月はため息をつくと、再び闇の中に消えて言った。
ーーーー
「……あれ? 大淀、こんな時間にこんなところで何してるの? もしかして逢引?」
厨房からそのままで来た北上突然現れた大淀に緊張感のない声で問いかけた。
「北上さん! 不審者が出ました!」
「だ〜か〜ら〜、その不審者とお楽しみだったんでしょ〜?」
北上はニヤニヤしながら肩で呼吸をする大淀を見ていた。大淀は北上が単装砲を持っていることに安堵感を覚えたのだろう。息を整えた。
「私は潔白よ」
「潔白ぅ〜?」
北上には大淀が自らを潔白と言うことが堪らなく面白く思えたのか笑いを堪えきれず、声をあげて笑っている。そんな北上に大淀は嫌な表情を隠そうとはしなかった。
「何がそんなにおかしいのかしら?」
「いやいや……黒いパンツを穿いてそうな大淀さんが潔白というのが面白くてさ」
「なんとでも言いなさい……それで、あなたはこんな所ででそんな物を持って何をしていたのかしら?」
「おばけ退治……ところで大淀、後ろになんかいるよ」
北上は持っていた単装砲で大淀の後ろを指した。
「えっ?!」
大淀はバッと振り返り、北上に背を向ける。
カシュンッ!
金属が擦れる音と共に、大淀の頭に風穴があいた。そして力なく倒れる。
北上が大淀に向けた単装砲から硝煙が上がっている。
「ほ〜ら。やっぱり黒だった」
「人のことをおばけ呼ばわりするとはね」
大淀がさっきまで見ていた暗闇の中から初月が現れた。
「な〜に、とちってんのさ。これじゃあ次の仕事、外されるんじゃない?」
「いや、別の一人をやったら逃げられてね」
初月の一言に、北上の表情が歪んだ。そのまま持っていた単装砲を初月に向ける。
「何の真似だ?」
「それはこっちのセリフだよ。私達は依頼人が指定したことだけをやればいい。余計なことはしないでくれる?」
「しかし……」
抗議しようと思った。だが、北上が本気で自分に単装砲を向けているのが目でわかった。
「すまなかった。以後気をつける」
「うむ。わかればよろしい」
北上の声がいつもの緊張感のない声に戻った。
「君たちだったんだね」
物陰からヒョコッと響が現れた。
「そう。もっと早く出てきてくれれば嫌なもの見ずに済んだのにね」
北上は響と目線を合わせるように屈んだ。
ジッと響の目を見る。どうやら、怖がっている様子は無さそうだ。
「響が依頼人にならなくても、いずれはこうなっていたと思うが?」
初月がそう言うと、響は首を横に振った。
「私はまだ弱い。姉妹を守れなかった」
「……そうか」
「駆逐艦、Z旗は持ってる?」
「響だよ。持ってるよ」
響はそう言うとポケットからティッシュに包まれたランチ旗を見せた。北上はそれを取り上げるとそのまま握り潰した。響が信じられないものを見る目で北上を見ている。
「ほら、受け取りな」
北上は肩にかけていたメッセンジャーバッグを響の肩にかけた。
中身は先程の五百万円、響は中身を改めた驚いた顔をした。
「この旗には五百万円の価値があるって言ったじゃないか」
北上はそう言うと、響にかけたバッグをポンポンと叩いた。
「新しく出来た友達に初めてあげた贈り物がランチ旗なんて虚しいじゃん。これ、さっきおろしたばっかりだから」
「……ありがとう」
「どういたしまして。早く行きなよ。今なら誰にも見つからずに逃げることが出来るから」
「……うん」
響は艤装を装着し、そのまま海に出た。二人は響が見えなくなるまでそこに立っていた。
「いいのか? 仕事量をそっくり渡して」
初月が北上に尋ねると、北上は初月を睨んだ。
「いいわけないじゃん。それに今回は余分な仕事までしたんだし」
「……すまない。僕の分を渡そう」
「いらないよ。それに、必要なんでしょ?」
北上はそう言い、大淀の死体を漁った。
「おっ! やっぱり持ってた」
北上は死体から茶封筒を取り上げると、中身を改めた。
「すごい……こんないっぱい入ってるよ」
「……それは暁型三人分の金だ」
「一人三百万てこと? そんなはした金でこんなするなんてよっぽどだね」
北上はそれを懐にしまう。初月は何とも言えない表情で北上を見ていた。
「そんな顔しないでよ。こっちはおかげでしばらく眠れなくなるし、間宮さんのご飯が食べられなくなるんだからさ」
「別に何も言ってない」
「あっ、そっ」
ーーーー
それから数日後、新しい大淀と明石が配属になった。
二人とも、突然姿を消した前任のおかげで引き継ぎが大変だったらしいが、なんとかうまくやっているそうだ。
「目の下のクマ、すごいことになっていますよ?」
いつも通り、中庭でサボりを決めていた北上に鳳翔が問いかけた。
「眠いのに寝れない。お腹が空いているのに食べれない。まさにこの世の地獄だね」
やつれきった北上がベンチに寝転びながら、覇気のない声で答えた。
「間宮さんのところも、当分は食材に不安しか覚えませんからね……そういえば、響ちゃん。いまロシアにいるらしいですよ?」
「ロシア? なんでまたそんなところに?」
「わかりません。推測にしかすぎませんけど艦娘としての自分をロシアに売ったのでしょう。今度ロシアでも艦娘が誕生する。なんて噂になってますからね」
「へぇ……てっきりあのお金はそこらで売春でもして稼いだお金だと思っていたよ」
「私もそう思っていました」
鳳翔は立ち上がると、北上の方を見た。
「今日は非番なので、街に出ます。夕飯は自炊するつもりですけど……食べに来られますか?」
「おっ? いいねぇ。じゃあ初月を連れてお邪魔させてもらうよ」
「わかりました」
鳳翔はそう言い、空母寮に戻っていった。それと入れ違いに阿武隈が北上に駆け寄る。
「今日という今日は! 訓練に出てもらいますよ!」
うるさいのが来た。北上は眉間にしわをよせ、声の主を見た。
「うっさいなぁ……」
「これまで散々寝てきたんだから寝不足ぐらいでちょうどいいでしょ!」
阿武隈はいつになく強気だ。弱っている北上になら勝てると思っているのだろう。
だが北上は阿武隈の予想を裏切った。
「……よっと」
ベンチから立ち上がると、太陽に向け大きく伸びをした。
「極限までお腹をすかして、美味しくて信頼できる夕飯を食べるとしますかね」
「信頼できる?」
「何でもない。ボヤッとしてると置いていくよ〜」
北上は先に歩き出したがすぐに止まった。
「私はまだ弱い……か。強くなって帰ってきたら名前を覚えてやろう。駆逐艦」
北上は空に手を伸ばし、グッと握り拳を作った。
「なんか、今日の北上さん、気持ち悪い」
「よし、阿武隈。二度と駆逐艦達になめられないように、今日は徹底的にしごいてやる」
北上は阿武隈の腕を掴むと、逃げられないように引っ張っていった。
明淀ファンの方、大変申し訳ありませんでした。