背中に受けた刀傷が焼けるように痛む。
しかし、激痛に叫び出したい衝動をエンリは歯を食いしばって堪え、自らの腕の中で震える妹を安心させようと、必死に笑顔を作ろうとする。
(大丈夫よ、ネム。絶対に助かるから)
そう、声に出して励まそうにも、口を開くことさえ適わない。一度開いてしまえば、漏れるのは絶叫だけだろうから。
精一杯の作り笑顔も、脂汗交じりの血の気の引いたそれは苦悶の表情以外の何物でもない。
背中の傷は即座の致命傷という程ではないが、放っておけば失血死は免れない程度には深い。
そして目の前のいきり立つ騎士に、それを悠長に待つだけの余裕があるとは思えなかった。
まさか村娘に反撃を食らうなど、想像もしていなかったのだろう。
もう一人の騎士からのからかうような言葉に、本気の怒声で怒鳴り返している辺り、相当にハラワタが煮えくり返っているらしい。
それ程に、自分が侮られていたと思うと「ざまぁみろ」という思いと、こんなヤツラにいいように追い回される弱い自分に、悔しさでいっぱいになる。
せめて、もう一撃・・・一発だけでもあいつの顔面に叩き込んでやりたいのに。
既に一度、金属製の鎧の上から殴りつけた彼女の右手は無残に裂け、腫れ上がった指は動かすさえ困難だ。
もうこれ以上、彼女にできることは何も無い。最愛の妹を助けることさえも?
(いやだ!それだけは!ネムの命だけは、何としても守らなきゃ!私の命と引き換えにしたって)
そんな姉としての、エンリの決死の覚悟を嘲笑うように、騎士はゆっくりと剣を振り被る。
妹を庇った状態で身動きの取れないエンリを、まるで据え物を切るが如く振り下ろされるであろうそれから逃れる術はない。
今度こそ即死。エンリはネムの小さな身体を包み込むように、力いっぱい抱き締める。
己の無力を恨み、守れなかった妹への懺悔を繰り返しながら・・・・・・
その時だった。
「え?」
騎士の口から、全くその場にはそぐわない、素っ頓狂な声が漏れた。
そして僅かに後退るような金属音――足音。
(・・・・・・え?)
恐る恐る、背中に走る痛みに身を強張らせながらも騎士の方を見やるエンリ。
そして・・・・・・
「え?」
騎士と同じ物を見とめたエンリもまた、やはり同様に素っ頓狂な声を上げてしまう。
彼女の目に映ったそれは、一瞬、手の疼きも、背中の痛みも忘れるほど、あり得ない光景だった。
自らにとどめを刺さんと構える二人の騎士の、その後方から悠然と歩いてくる何者かの姿。
それはエンリが生まれてこの方初めて目にする程の、天上の美をまとった女性だった。
◆
エンリよりも頭一つ以上は高いスラリとした長身を、黒を基調としたシックな装いで包む、落ち着いた佇まい。
上品に結い上げられた艶めく黒髪と、白磁のような肌が織り成すコントラストは得も謂われぬ幽玄の美を湛え、夜空に浮かぶ月の如き美貌を飾る眼鏡が、そこに聡明且つ理知的な印象を加えている。
まるで物語の中に出てくる女神様のような。
あるいは自分は今際の幻でも見ているのだろうか?
しかしながら背中の痛みが、それがまぎれもなく現実の光景である事を教えてくれる。
突如として現れた女性は優雅に歩を進めると、呆気に取られたまま固まっている騎士達の脇をすり抜け、そのままエンリ達もスルーし・・・
(え?アレ?)
いや、助けを期待していたわけでは・・・なくもないけども、まるで自分たちが見えていないかのような、余りといえば余りに自然なスルーっ振りに唖然としてしまう。
本当に幻か、あるいは幽霊の類か何かだったのだろうかと、エンリが二度三度、瞼を瞬かせたタイミングで、ようやく我に返ったらしい騎士の一人が慌てて誰何の声を上げた。
「ちょ・・・、待て待て待て!そこの女、止まれ!止まらんかっ!!」
「・・・・・・何か?」
「いや、何かって・・・・・・貴様、何者だ!?この村の関係者か!?」
「ただの通りすがりですが?」
「通りすがりぃ?この状況で、もう少しマシな言い訳があるだろうが!!」
(まったくだ)と、思わずエンリも騎士の言い分に同意してしまう。
「では、どうしましょう?どなたかの許可が必要なのであれば、然るべき手続きを踏みますが?」
「貴様ぁ・・・・・・」
美女の言い分を挑発と解釈したのだろう騎士が、剣を構える。
「いいだろう、くれてやろうじゃないか。あの世への通行許可証をな」
「そうですか・・・・・・それは怖いですね」
「死ぃ」
「―――あ!」
美女に向かって猛然と襲い掛かった騎士は、しかし次の瞬間には地面に突っ伏していた。
――エンリ・エモット、後に述懐す。
ありのまま、目の前で起こったことを説明します。
せめても警告を発しようとする間もなく騎士が死んでいた。
何を言っているのか分からないだろうけど、私自身にも何が何だか皆目分かりませんでした。
手品やトリックなんてちゃちなものじゃない、もっと怖ろしい何かの片鱗を垣間見た思いです。
◆
(良かった。スルーでもされたら、どうしようかと思ったわ・・・・・・)
騎士から誰何の声が上がった時、ユリは内心で安堵の息を吐いていた。
ナザリック地下大墳墓の絶対支配者、至高の御方々に忠義を尽くす戦闘メイドたる自分が、しかし人助けの為とはいえ、このような下賎な輩に自分の方から挑みかかるというのは、絵面的に余りよろしくないのではないだろうか?
不意にそんな考えが頭を過ぎったのだ。
極力巻き込まれた形になるよう、上手いこと向こうから喧嘩を売って来てくれる状況を作れないものか。
そう考え、急遽関わりのない通行人の態を装ったわけだが、思惑に反して誰からも声がかからなかったからだ。
(普通はすぐに声をかけるでしょうに・・・まったく。馴れない事はするものじゃないわね)
何事も想定した通りにはいかないものだ。
全てを掌の上で弄ぶ至高の御方々の偉大さを改めて再認識しつつ、せめてもナザリックに属する者として恥ずかしくない振る舞いを心掛けなければ、と決意を新たにしたユリであった。
◆
先程までの危機的状況は、笑ってしまうほどにあっさりと覆された。
突如この場に現れた、たった一人の闖入者によって。
反す刀で、ほぼ同時に二人の騎士を無力化。
まるで糸の切れた人形のように崩れ落ちた騎士は、死んだようにピクリとも動かない。事実、死んでいるのだが。
鎧兜の後頭部が見るも無残に潰れ、ジクジクと地面に赤黒い染みが広がって行く。
時折、村の方から響く悲鳴や剣戟が、まるで他人事のように響く中、この場だけが奇妙に静寂に包まれていた。
(何?何が起こったの?)
ユリがしたことは極めて単純だ。
襲い来る騎士の攻撃を最小限の動きでいなし、すれ違いざま後頭部に当て身を食らわせ昏倒させただけ。
そのまま棒立ちのもう一人の喉下へ手刀を突き立て気道を潰す。
――当て身のつもりが、首の骨を粉砕する即死の一撃となってしまったのは御愛嬌だが。
その一連の動作が、常人の動体視力で追えるそれを遥かに超えていた為に、エンリからすれば、まるで騎士達が一人でに倒れ伏したようにしか理解できなかったのだ。
「大丈夫かしら?」
「は、はい・・・・・・あの・・・・・・」
謎の美女は、蹲るエンリの傍らにしゃがみ込むと、背中の傷にそっと触れる。
「――っ」
少し触れられただけで痛みが全身を貫き、身を強張らせるエンリ。
身体は熱を持ち、滲み出る汗が異様に冷たく感じる。
忘れていた痛みがぶり返し、息をするさえ辛い。
「お、お姉ちゃん。大丈夫?」
心配そうに声をかけてくれる妹に、引き攣った笑顔を返すのがやっとだ。
このまま自分は死んでしまうのだろうか?いやだなぁ、死にたくないよ・・・・・・
「応急手当では間に合いそうにないわね」
そう言うと、美女は空間から小瓶を取り出した。
――空間から?
(いや、そんなわけないよね。実際、手首から先が消えたように見えたけど・・・・・・きっと痛みで朦朧としてたんだよ・・・うん!・・・・・・・・・・・・あぁ、本当に痛い)
「飲みなさい。きっと楽になるわよ」
差し出された小瓶の中には、一見して生き血にしか思えない真っ赤な色の液体が、なみなみと揺れている。
(・・・・・・どっちの意味でなんだろう?)
余りの毒々しい見た目に、失礼とは知りつつもやはり躊躇いが勝ってしまう。
そんな、こちらの逡巡を見て取ったのか、女性はエンリの手を取り優しく微笑む。
重ねられた手の、ゾッとするほどの冷たさが、熱を持った身体に心地良かった。
「危険な物ではないわ。これは治癒の薬なの。すぐに痛みも取れる筈よ」
そう促されては、最早覚悟を決めるしかない。
目を瞑り、これは変わった色のポーション!そう思い込み、なるようになれとばかり、祈るように一息に飲み干す。
果たして効果はすぐに現れた。
「うそ・・・・・・」
「痛みは引いたかしら?」
「は、はい・・・・・・」
信じられない。
これまで全身を支配していた締め付けられるような痛みが、血が失われていく脱力感が、一瞬で解けて無くなっていた。
恐る恐る背中に手を伸ばしてみれば、切られた筈の箇所は、まるで何事もなかったように元通りになっている。
そういえば手の痛みも、傷もさっぱり消えている。
(ポーションって、すごい)
かつて1度だけ、友人であり薬師であるンフィーレアに実物を見せてもらったことがあった。あれは青い色をしていたが。
錬金溶液がどうとか小難しい話は右から左へ聞き流していたけれど、値段だけはよく覚えている。
興味半分で訊いて、慌てて取り落としそうになり冷や汗をかいたものだ。
あの時は、森で採れる薬草の原価を考えれば冗談みたいな売値だと思ったが。
なるほど、これだけ劇的な効果が得られるならば、あんな値段になるのも無理はないなぁ・・・・・・(・・・・・・じゃなくてっ!)
(えっ!?私、そんな高価なものを飲み干してしまったの!?小分けにすれば良かっ・・・・・・じゃなくて、この場合、やっぱり私が弁償しなくちゃダメだよね)
命を救われたのだ。それくらいは当然だが。
「あ、ありがとうございます。すみません、大変貴重な物を私なんかの為に。必ず弁償しますから!」
女性は柔らかく微笑むと、ネムの方をチラリと伺う。
「妹、かしら?」
「はい、そうです」
「そう・・・・・・頑張ったわね」
ふわりと、頭を撫でられる。
(え?)
「よく頑張りました。立派なお姉さんだわ」
そんな温かい言葉をかけてもらえるとは夢にも思わず、不意に目頭が熱くなる。
「は・・・・・・いえ、そんな・・・・・・結局、私は何もできなかったですし。貴女様が来てくれなかったら、きっと・・・・・・」
「そんなことはないわ、私が間に合ったのもアナタが必死に妹さんを守ろうとしたからだもの。それに、ポーションのことは気にしないで」
実際、あのポーションは貴重なものだ。
値段や希少性ではなく――そもそもそういった概念はユリには無いのだが――自らの創造主であるやまいこから授かったアイテムという意味において、ユリにとってはこの世に二つとない宝物。
それを使うことに身を切るような躊躇があったのは否めない。しかし、きっと今ここで使うことを、やまいこ様ならお許しになる。
そして、実際に使って良かったと思う。
目の前で大粒の涙を流しながら抱き合う、この素晴らしい姉妹の絆を守ることが出来たのだから。
二回目です。
三回目に続きます。
※二回目投稿時に手違いがありました。
既に削除済みですが、そちらにコメントを下さった方へ、混乱させてしまい申し訳ありませんでした。
以後、気を付けます。