エンリ・エモットとその娘は名乗った。
妹はネム・エモットというそうだ。
「ボ・・・」
「・・・ぼ?」
「――失礼、私の名はユリ・アルファ。さる御方にお仕えするメイドよ」
「メイドさん・・・ですか?」
「メイド」といわれてエンリが真っ先に思い浮かべるのは、貴族の華やかな屋敷だったり豪勢な食事だったり、どれも幼い頃に寝物語に聞かされた、あるいはエ・ランテルに住む薬師の友人であるンフィーレアから聞いたことのある、自分とは一生涯関わりのないだろう別世界。
そんな貴族達の、身の回りの世話をするのがメイドと呼ばれる存在。
(で、合ってるよね?やっぱり、ユリさんはすごい方だったんだ)
アルファではなくユリでいいと言ってくれたので、不躾ながらファーストネームで呼ばせて貰っているが、改めて、エンリはユリと名乗った女性を尊敬の眼差しで見る。
厚かましいとは知りつつも、村を、父や母を助けて欲しいという願いを、二つ返事で快く引き受けてくれた大恩人。
村への道すがら騎士達と遭遇するも、その尽くを、まるで虫でも払うかのようにいなしていく圧倒的な強さ。
そもそもが、エンリがそれと認識した時には物言わぬ置物と化している有様。
強いなどという次元ですらないのだが。
(きっと身辺警護も仕事の内なのかなぁ。それにしたって強すぎるような・・・)
武器を持った完全装備の騎士相手に丸腰で圧倒する時点で、人間業とは思えない。
しかし全身鎧で身を固めたメイドがお茶汲みをする様を想像するにつれ、見目の良さを優先した結果としての、独自に発展を遂げた格闘術というかそんなようなのがあるのかもしれない。
(私にも出来るだろうか?)
おこがましいのは百も承知で、同じ女性なのだ。決して不可能ではないはずだ。
ユリほどとまでは言わないが、せめて妹の身を守られる程度の技術を身に付けられれば。
そんなことを頭の片隅に、メイドという職業に対する認識を新たにしつつ、弱き者の危機に際し、駆け付ける強き者の姿――英雄然としたユリの勇姿から、エンリは目が離せなかった。
見れば妹のネムも、あんぐりと口を開けたまま、キラキラとした眼差しで食い入るように見つめている。
姉妹揃って、きっと同じような表情を浮かべていたのだろうかと思うと、何だか可笑しい。
そこでエンリは、自分がいつの間にか笑顔を浮かべていたことに気付く。
つい先刻まで、いつどこから騎士が出てくるかもしれない極度の緊張下、恐怖に怯えながら必死に駆けていた道も、難攻不落の要塞に守られているような安心感から、今や周囲を見渡す余裕さえある。
しかし、何が終わったわけでもないのだ。気を緩めるには早過ぎる。
エンリは口の端を引き締め、前方を見据えた。
村のある方角からは、黒々とした煙がいくつもの柱となって立ち上っていた。
しかしながら、悲鳴や怒号がひしめいていた先程までとは打って変わって、何の音も聞こえてこないことに、逆に不安が募る。
(お父さん、お母さん!どうか無事でいて!!)
◆
村と外との境。厳密に柵で区切ってあるわけではない、大雑把な目印として杭が何本か立てられているだけの粗末なものだが、その周辺を馬に乗った騎士が2人立てで警戒に当たっている――いた。
騎士だったそれは、エンリが見とめた時には、既に地面に横たわっていたのだ。
見れば、たった今まで自分の目の前にいたユリの姿が、騎士達の傍らにあった。
一体、いつの間にあんなところまで移動したのか。
余りにもあり得ない状況の連続に、最早理解が追い付いて来ない。
しかし、そんなエンリの感嘆とは裏腹に、ユリの内心を占めていたのは焦燥のそれ。
電光石火の奇襲攻撃は、その顕れだった。
騎兵達は皆、腰の辺りに笛のような物を下げていた。
下手に手間取って仲間を呼ばれた場合、エモット姉妹を庇いきれない状況になる恐れがあったのが理由だ。
ソリュシャンのような暗殺者の職を修めた者であれば、もう少しスマートに接敵できるだろう。
あるいはシズのような狙撃能力があれば、そもそも人前に姿を晒す必要さえ無かった。
ルプスやナーベは不可視化を行えるし、エントマであれば、蟲を操ることで一気の包囲殲滅が可能だ。
ナザリック地下大墳墓における最高レベルのNPC達――階層守護者と同格の末妹に至っては、言うに及ばず。
しかしながら、ユリ自身は、そういった様々な状況に対応できる手札を多くは持たない。
彼女は、タンク役もこなせる、あくまで物理火力担当の前衛特化型であり、シズやエントマといった後衛との連携下で、初めてその能力を十全に発揮するタイプ。
また、範囲攻撃手段に乏しいユリにとって、数的不利こそが最も警戒すべき脅威。
騎士達とのレベル差を考慮すれば現状は問題ないが、この先ユリ個人では手に余る状況に陥らないとも限らない。
効率は悪くとも、相手の手駒を一つ一つ潰していくのが今の彼女にとっての最適解なのだ。
それしか遣り様がないとも言えるが。
それにしても、これだけ徹底した包囲網構築は、やはり単なる賊のものではあり得ない。
(彼らを皆殺しにして終了、というわけにはいかなさそうね)
主人を失った馬を宥めつつ周囲を見回すが、他に見張りの姿はない。
鮮やかな手際に立ち尽くすばかりのエモット姉妹を促し、村の敷地内へと3人は歩を進める。
◆
村の中は、血に塗れた無残な死体が、そこかしこに転がっていた。
盛大に火の粉を巻き上げ、燃える家屋。視界は黒煙で遮られ、様々な物が一緒くたになったような臭気が一面に立ちこめる。
本当にここが、自分が生まれ育った場所なのだろうかと思うほどに、今朝までのそれとはまるで一変してしまった地獄のような光景の中を、エンリは、こみ上げてくる吐き気を必死に堪えながら進んで行く。
妹には、こんな凄惨な状況を見せたくなかったが、だからといって、一人残して置くことも出来ない。
ネムの小さな身体を抱き寄せるようにして、可能な限りそれから遠ざけようと努めるのが精一杯だ。
あるいはエンリの方が、妹に抱き縋っていたのかもしれない。
小さな村だ。全員が全員顔見知りの、家族同然の付き合いをしてきた者ばかり。
肉片となって転がっているそれが視界の端に入る度に、幼い頃に抱き上げられたこと、数日前に交わした会話、様々な記憶が思い出され、呼吸が荒くなる。
鼓動が早まる。視界が揺らぐ。少しでも気を緩めれば、立っているさえままならなくなっていたはずだ。
もし、この場にエンリ一人きりだったなら、とうに膝を屈し、呆然と座りつくしていたことだろう。
かろうじて理性的に振舞えるのも、自分の傍らにある小さな温もりと、前を行く大きな背中があったから。
いつしかエンリは、ユリの背中だけを見ていた。
彼女だけが今のエンリにとって、ただ一つの光明だった。希望であり、そして目標だった。
もし仮に、考えたくもないことだが、父も母も生きてはいなかったとしたら。その時は、自分が妹を守ってやらなければならない。
強くあらなければならない。
願わくば、彼女のように――・・・・・・
静かな決意を胸に秘め、エンリは力強く足を踏み締め行く。
◆
村の中央広場に差し掛かった辺りで、不意にユリが立ち止まり、静止の合図を送ってくる。
物陰に身を隠して広場を伺えば、一箇所に集められた村人達が、10人ばかりの武装した騎士達に囲まれていた。
(あれが、生き残った全員?)
エンリは懸命に目を凝らすが、残念ながらここからでは両親の姿を確認する事は出来ない。
そこへ、慌てたように駆けて来た騎兵が、一人の騎士の元へ向かった。
(――気付かれたみたいね)
逐一死体を隠して行くわけにもいかず、発見は時間の問題。要は早いか遅いか。
その意味で、この段階での露見は、むしろ遅いくらいだろう。主導権は、こちら側にある。
ユリは空間から別の眼鏡を取り出すと、それを起動する。
不可視看破の効果を持つそれに、スキルによる生体探知と併せて、一帯の騎士の配置・規模を改めて確認する。
少なくとも、現在視界に入っている以外に伏兵などは無し。
ユリは、騎兵と話し込んでいる騎士――恐らくは指揮官と思しき騎士を見定めると、エンリ達に向き直り、安心させるように微笑みかける。
「ここでジッとしていなさい。そうね、10秒くらいで済むと思うわ」
「10秒・・・・・・ですか?」
意味するところを酌み違えたのか、申し訳無さそうにユリが続ける。
「本当はもっと早く片付けたいのだけど、一人か二人、尋問用に残しておきたいから。辛抱できるわね?」
「いえ、そういう意味じゃなくて・・・・・・」
10秒で何をするつもりなのでしょうかとエンリが言い終わらぬ内に、砂塵を巻き上げ広場中央へ突貫していくユリ。
そして一人、また一人と、端から薙ぎ倒されていく騎士達の有様は、それはもう、滑稽な喜劇でも眺めているような非常識な光景で・・・・・・
ものの数秒後には、広場に居た全ての騎士の制圧を完了。
唖然とする村人達の驚愕の視線を背に、小走りでエモット姉妹の下に戻って来るユリ。
その顔には、何故か若干気まずいような表情が浮かんでいた。
「御免なさい。周辺に敵が残っていないか確認するのを計算に入れてなくて・・・・・・。あと10秒ほど追加していいかしら?」
「も、もちろんです!私達のことは、お構いなく!ごゆっくりでどうぞ!」
(恥ずかしいわ・・・などと、溜息交じりに弁解されても返答に困るんですけど!)
再び爆風と化して村の外へと走り去っていくユリの姿を見送りつつ、エンリは、先ほど心に留めた目標値を、数十段階ほど下方修正した。
――それから30秒後。
エモット姉妹に最敬礼で迎えられつつ、もう二度と安易な宣言はするまいと心に誓うユリなのだった。
いよいよ明日!!