室内には、先ほどまでのそれとは違う生臭さが立ち込めていた。
ユリは瞠目する。
猿轡の男――傀儡掌によって一時的に支配下にあった騎士は、今や文字通り人形のように力なくぶら下がり、大きく目を見開いたまま事切れていた。
盛大に吐き出したのであろう、未だ口元を滴る血が全身を真っ赤に染め、足元に大きな血溜まりを作っている。
ユリは縄を切り、男の身体を静かに地面に横たえる。
ざっと死体をあらってみるも、目立った外傷などは確認できない。
あるいは村長達が何かしらの暴力を振るった可能性を疑ったのだが、そもそも傀儡掌で従順になっている相手に、拷問もあるまい。
考えられるのは、ここに連行する以前。
暴れた際に黙らせる目的で数回撫でた記憶はあるが、しかしあれはあくまでも折檻の範疇。自慢にもならないが、正味20人以上の騎士を処理する過程で、どの程度加減すれば、どの程度の損傷に留められるか、完璧に把握している。
この男が特別脆いというのでもなければ、あの程度で致命傷にはなり得ない筈だ。
改めて検分してみても、まるで原因が分からない。
――かの拷問官であれば、腑分けをするなり原因を探り当てられただろうか?
残念ながら、ユリは死因を特定できるような
しかしながら、この死に方は素人目に見ても異常過ぎる。
「一体、何があったのですか?」
「どうもこうもねぇよ、こっちが訊きてぇくらいだ。初めの内は質問に素直に答えてた。それが突然さ。目をカッと開いてよ、呻き始めたと思ったら」
「何の前触れもありませんでした。本当に突然のことで・・・・・・」
「――なぁ、アンタが施したさっきの・・・・・・アレが原因ってことはねぇのか?」
「それはあり得ません・・・・・・いえ、何とも言えません」
可能性はゼロではない。
傀儡掌を実際に使用したのはこれが初めてのことだったし、あるいはユリ自身も把握していない、未知の副次効果が無いとは言い切れなかったからだ。
「先程使ったのは<
「聞いたこともねぇが・・・・・・。確かに、そういう効果なら、それでいちいち相手を殺してたら意味がねぇわな」
「では、服毒自殺とか?よくあるじゃないか、秘密組織に属する人間が、捕縛に際して情報の秘匿の為に自ら命を絶つというような」
「だったら捕まった段階で実行してる筈だ。それに、あんだけ不様を晒した男が自決なんてするかねぇ?」
「うーむ、確かに」
先程の状況を思い出し、苦笑いを浮かべる村長。
ラッチモンの見解はユリも同意するところだ。
仮に自分であれば――ナザリックの面々であれば、自身が人質に取られたならば、即座に自決するだろう。足手まといになるくらいならば死を選ぶ。
それが真の忠誠というものだからだ。
しかし、先の男の行動からは、あわよくば生き残りたい、他の何を犠牲にしても、という下衆な感情以外、何も感じられなかった。
それに、そもそも精神を操られている状態で自決もあるまい。
傀儡掌の効果は永続的なものではないが、それでも持続時間内だった。
何かしらの外的要因を除き、突如として自意識を取り戻すなど考えられない。
では、自身の意思に因らない強制的な力が働いたということだろうか?
例えば、特定の条件下で自動的に発動する類のマジックアイテムとか。
しかし武具を含めた装備品の一切は、事前に全て剥ぎ取ってある。
あるいは、ユリに感知できない第三者の存在・・・・・・有り得なくは無いが、口封じが目的ならば、捕虜となった2人ともに始末する筈だ。片方を生かして置く理由がない。
「いずれにせよ、正確なところは判りかねますが――」
自分なりの見解を述べながら、ユリは、もう一人の騎士の様子を観察する。
感じ取れる感情は"驚愕"、"困惑"、"恐怖"、そして"疑念"。
何かしら思い当たる節があるのだろうか、何事か記憶を手繰っているようにも思えた。
「――どうします?」
「どう・・・・・・とは?」
「このまま尋問を続けますか?恐らくは、先と同じ結果になるであろうと思われますが、それでも幾らかなり情報は引き出せるかと」
ギョッとした表情でこちらを見上げる騎士。
一方で、村長とラッチモンは顔を見合わせる。
即答しかねたのは、最初の尋問で得られた情報が、ごく僅かなものだったこと。
しかしながら、それは既に、単なる一僻村の住人風情では手に余る種類の内容だったからだ。
彼らの正体は、スレイン法国に属する騎士であった。
スレイン法国は、リ・エスティーゼ王国、そして王国と敵対関係にあるバハルス帝国と隣接する周辺3国の中で、最も古い歴史と、高度に発展した文明を持つ宗教国家といわれている。
そんな法国の騎士が、帝国のそれに扮して、王国の領内で惨殺行為を行う。普通に考えれば、侵略行為以外の何物でもない。
これだけでも既に国家規模の大事だ。
まだしも戦争中の国同士の、国境付近での小競り合いであれば納得もできるが、帝国の騎士ならばともかく、スレイン法国とリ・エスティーゼ王国とは、何ら敵対関係にはなかったはず。
聞けば彼らは、ここカルネ村のみならず、周辺の村々を順に襲って来たという。その目的についての正確なところは語られずじまいだったが、しかし、知ったところでどうなるというのか。
ともすれば国同士の勢力争いの渦中にあって、王の直轄領とはいえ吹けば飛ぶような村の存否に、如何ほどの価値が認められるか知れない。仮に今回の件を訴え出たとて、態のよい取引の材料に使われるのが精々。最悪、知らぬ存ぜぬで見殺しにされるのがオチだ。
まともに相手にされるかさえ不明だろう。
また、捕虜の余りにも凄惨な死に様を目の当たりにした為に、そこまでして引き出す価値のある情報があるのか躊躇われたのも理由だった。
襲撃者に対して同情など欠片もないが、またアレを見せ付けられると思うと、どうしても二の足を踏んでしまうのだ。
「そうだな。ここは一端保留ということでどうだろう」
「まぁ逃げられるもんでもねぇしな。いいんじゃねぇか?」
「ユリさんも、それでよろしいですか?」
「私は、皆様の判断に従うだけです」
「それでは、この男の処分については改めて皆で相談することとして、そろそろ葬儀の準備が・・・・・・」
そのタイミングを見計らったかのように、納屋のドアが叩かれる。
応対した村長が訪問者と遣り取りをする間、ユリは捕虜の縄を解き、改めて幾らか楽な姿勢に拘束し直すと、ほんの一瞬躊躇した後、懐から取り出したハンカチで汚れを拭き取ってやった。
その間、捕虜は殊勝なまでに為すがままだった。
端から抵抗する気がなかったのか、あるいはユリの、全く自然な素振りでいて圧倒的な膂力を前に、抵抗する愚を悟ったのかもしれないが。
そこへ、村長から声がかかる。
「葬儀の準備が整ったらしい。ラッチモン、お前も来てくれ」
「では、私は残って様子を見ておきます」
「大丈夫だ」
ユリは捕虜の目を見る。
捕虜も、ユリの視線を真っ直ぐに受け止める。
「逃げない。誓うよ。だから、行ってやってくれ」
「・・・・・・分かりました」
進みが遅くてすみません。