いつもの習慣で、どんなに寝不足でも夜明け前に起きてしまったルネア。二度寝をしようともう一度横になるが、こんなことしてたら神父さんに怒られる、と思い直し、しぶしぶ大あくびをして起きる。立ってグッと背伸びし、結局うるさくて換気をしていなかったので、静かな今のうちに窓を開ける。朝の冷たい空気が入り込み、頭がスッキリするのをルネアは感じた。
――しかし。
「何もすることない……」
ラッシャー村にいた頃は毎朝忙しく狩りの準備をしてたものだが、今いる場所はララリアだ。当然、狩りはしない。
夜明け前なので朝食はまだだし、朝風呂に入ろうと思っても大浴場は開いてない。
――部屋の風呂に入るか。
次にすることを決め、タオルや服を持って更衣室に入ってそれらを置き、浴室に入る。
大浴場とは違って残念なことに、部屋の風呂は景色が見えない。だが、ルネアはそんなことを気にしない。むしろ、自分だけの空間という感じがして、とても落ち着ける。
湯船を張る時間が惜しいので、シャワーを浴びることにする。温かい湯はルネアの全身に降ってくる。
「ふいぃー……」
湯はルネアを温め、ルネアは自分が湯になった気分になる。
ラッシャー村にいた頃の教会の風呂は狭く、年少の子から順に入っていたので、ルネアとナユカはいつも最後だった。いや、本当に最後に入ったのは神父だ。神父が最後に入る頃には、湯船はすっかり冷めきっていたので、いつもシャワーだと言っていた。
ラッシャー村のことを思い出しているあいだにも、ルネアは髪や体を洗っていく。
今、教会の子供たちはどうしているだろうか。いつもみたいに狩りの準備を慌ただしく進めているのだろうか。いつもみたいにオモチャの取り合いをしているのだろうか。それとも、外に出て遊んでいるのだろうか。
そんなことを思っているあいだにも、ルネアは全身の石鹸の泡を落としていく。気づけばもう、風呂は上がっていた。
柔らかいタオルで全身を拭き、新しい服に身を包む。黒と翠の、お気に入りの服だ。
髪の水気をタオルで吸い取り、薄紫色のゴムで髪をくくる。
外に出ようと思って扉を開け、すぐ目の前にあるナユカの部屋を見てルネアはため息をつく。ナユカの部屋の扉は無防備に開け放たれ、なかからはすうすうとイビキが聞こえてきた。普段なら絶対にこんなことは、ナユカはしない……はずだ。
ルネアは何も考えずに部屋に入り、ナユカの側に立つ。その時、ルネアの鼻が感じ取ったニオイは――
「……酒クサッ!」
ナユカの服に染み着いたのだろうか。とにかく酒臭い。いや、そもそもナユカ本体が酒臭いような――。
「ちょっとナユカ! 昨日何呑んだの!?」
ルネアはナユカを問い詰めるべく激しく揺さぶり、ナユカはわ、わ、わ、わ――!? と揺さぶられながら起きた。
「なん、で、わた、し、こん、なとこ、に、いる、の?」
「酒臭いことと関係あるんじゃない?」
「しら、ない、から、と、もか、くや、めて、えー!」
悲鳴を上げたナユカ。ルネアが揺さぶりを止めた時には、ナユカは目を回していた。
「で、どうなの? 酒、呑んだの?」
「ん~……どうかなー? 途中から記憶ないからねー……。頭はすごく痛いけど」
ルネアは額を押さえてため息をつき、口を開く。
「ナユカ……いつ呑んだの? 私たちまだ、未成年者だよ」
ナユカは腕を組んで唸り、考え込むようすを見せる。
「ん――…………あっ! もしかして、あの時かも!」
手をポンッと叩き、再びナユカは口を開く。
「店の人に、サービスだよって言われてもらったの。で、口に少量含んだ時に、あっ……間違えて酒を渡しちゃったってうしろで言ったから、そこらで捨てたんだけど……。でも、たったそれだけで酔ったのかも。そのあとのこと、まったく覚えてないの」
ルネアは五秒ほど絶句し、部屋から出るべく歩く。
「今日はゆっくり休んで。試験は六日後だから、あまり夜に遊びに行かないで」
「りょーかい……」
いつもとは違って、どこか元気のない声を背に、ルネアはナユカの部屋を出て扉を閉めた。
ナユカの件で十分ほど時間を食われたが、ルネアは宿屋を出て、広場を抜けて公園にきた。
公園には走っている人や、腹筋をしている人。散歩している人や、休憩している人がいた。比較的年配の人が多く、健康維持のために運動していると予想した。なかにはルネアと同じぐらいの年の、白い服を着た繊細な少女もいた。というよりも、おそらく目指しているものはルネアとナユカと同じだろう。なぜなら――。
魔法の書だ、とルネアは思ったからだ。魔法の書は、アルケミストになるには必須の本といっても過言ではない。ルネアも狩りの合間にいつも読んでいたし、今はすべてのページの内容を記憶している。
――と、不意に少女と目が合った。
腰まで届く、白っぽい金色の長い髪に青いカチューシャを着け、フリルをあしらえた白いワンピースを着た少女は、空色の瞳を向けてにこりと笑いかけ、歩みよってくる。
「初めまして。あなたもアルケミストを目指しているのですか?」
言い終わった時には、少女はルネアの前に立っていた。これはどう見ても自分に向けての言葉だ。
ルネアは一瞬思案し、頷く。
「でしたら、わたくしたちは競争相手ということになりますわね。わたくしの名前はシャルネル・フォームス。以後、お見知りおきを」
――名字……! まさか……!
ルネアは息を詰めた。
この国では、平民に名字はない。別に禁止されている訳ではないので、平民でも名字を名乗る者はたまにいるのだが、それでも付けない者は多い。その者たちが名字を付けない理由の大半は、手続きが面倒だからだ。
だからこの国で名字がある者といえば、面倒な手続きをした平民と、王族を含む貴族階級だ。そしてルネアの、目の前の人物の話し方から推測するに――
「そう、わたくしは貴族ですの。それも名門フォームス家の長女ですわ」
ルネアが答えにたどり着いたと同時に、シャルネルは頷いて言葉を続けた。フォームス家というのは聞いたことがないが、長女というのには驚く。
家督となるのはそれぞれの家の長男もしくは、家によっては長女になる。フォームス家はどうなのか知らないが、すべての貴族に共通して言えることは、長女と長男は高い英才教育を受けるということだ。
だからなのだろう。ここまで礼儀正しく、貴族にふさわしい立ち振舞いと言葉遣いを見せたのは、英才教育の甲斐あってのものだ。
次女、次男以降は、家によっては長女、長男と同じほどの英才教育を受ける。しかしまた、自由に育つ場合もある。
自由に育った場合は、次男以降は騎士団に入団することが多いが、長女、長男の場合は家督を引き継いだり、別の貴族の家に嫁ぎに行ったりすることが多い。
つまり目の前にいる、フォームス家のご長女殿は、そのパターンから外れた珍しい長女だ。
「なら、どうしてアルケミストになるの?」
ルネアが質問すると、シャルネルはふふふっと笑って答えた。
「確かに長女なら家督を引き継いだり、別の貴族の家に嫁ぎに行ったりするのが普通ですわ。しかし、わたくしは幼少の頃からアルケミストになると決めてましたの。わたくしの両親も快諾してくれましたし、何より魔法が強いのですから、アルケミストを目指すのは当然ではありませんか?」
「同感。……それに、人助けにもなる」
ルネアは珍しく他人の前で微笑み、小さく笑い声を漏らした。いずれシャルネルとはいいライバル関係、もしくは仲間になるだろう。その時は貴族、平民関係なく、アルケミストとして対等な関係を築きたいとルネアは思う。
「あなたとわたくし……気が合いそうですわね」
向けてくる空色の瞳に嘘偽りはなく、ナユカと同じほどの純粋な光を讃えている。
「奇遇だね。私もそう思ってた」
「ここで出会ったのも何かの縁ですし、せっかくなのでそこのベンチで語り合いませんか? わたくし、あなたとたくさん話したいことがありますの」
優美に笑い、ルネアを誘うシャルネル。いつもなら、ルネアはあれこれ理由を付けて、断って逃げるだろう。しかし今のルネアには、そんな選択肢は存在しなかった。誘いに乗るのが当たり前、とでも言うように即答で頷いていた。
「そういえば私の名前、言ってなかったね。私はルネア。よろしく」
「ふふっ、素敵な名前ですわね。出身地はどこですの? わたくしは《フレティア》ですわ」
小柄なルネアと同じくらいの身長のシャルネルだが、心は堂々としていて、ルネアよりも話すのが上手だった。会話は途切れることなく、普段はあまり口数が多くないルネアもたくさん話した。
出身地であるラッシャー村のこと。親友であり、家族でもあるナユカのこと。同じ教会で育った子供たちのこと。神父やシスターのこと。
シャルネルからも色々な話が聞けた。
フォームス家のこと。弟や妹、兄のこと。フレティアのこと。親友のこと。
話の種が尽きることなく、気づけば町が活気付き、時刻は七時を少し過ぎていた。