きたる第二次試験の日。ルネアはナユカを背負いながら、試験会場に向かっていた。なぜナユカを背負っているのかというと、ナユカが昨夜徹夜で勉強していたので、寝不足で何度叩いても起きず、仕方なくルネアが背負っている、というわけだ。
こんなことになるぐらいなら、着いてからの一週間のあいだに勉強してたらよかったのに、と思っているが、ナユカはそれをしない人種だったことを思い出す。一発勝負派で、本番に強くて運もそこそこある。しかし、それでも乗り越えられない壁にいつかはぶつかるのだから、その時に無事に乗り越えられるのか、ルネアはナユカが心配になる。アルケミストになるのなら、なおさらだ。
朝霧が掛かる試験会場へ続く、あまり整備されていない山道を、足を滑らさないように慎重に歩く。なぜ山道を歩いているのかというと、試験会場が山頂にあるからだ。
ルネアがナユカを背負って登山している山の標高は九〇三メートル。傾斜はそこそこあり、場所によっては縄がいる。なぜそんな山の頂に会場があるのか――。
それは、知と体力を試すためだ。
山が登れないほど、体力がないアルケミストは幻獣との戦いで体力が持たない。山を登れても、知識がないアルケミストは幻獣との知識比べで勝てない。
つまり、今すぐにでもナユカは起こさなければならない。十分前に起こそうとしたが、ん~~、と言っただけで、起きる気配はまったくなかった。
「こうなったら、もう脅すしかないかあ……」
思わずため息をつき、飛び起きても安全そうな場所に降ろす。
相変わらずすやすやと寝息を立てながら寝ているが、まもなくその顔は恐怖と驚きに上塗りされるだろう。
あまりこの方法は取りたくないが、これもすべてナユカのため、と自分を納得させ、意を決した。
「早く起きないと~、神父さんに激マズ料理を食べさせられ――」
「起きます! もう起きました!!」
ルネアが言い切らないうちにナユカは飛び起き、ひゅるお? と周りを見て奇声を発する。
「ここ、どこ?」
そりゃそうだ。宿屋にいると思っていたら、霧が立ち込めている山道にいるのだから。その霧でなのだろうか、ナユカの顔が徐々に青白くなっていくように見える気がするのは。いや、気のせいではない。
ルネアとナユカがラッシャー村で一番恐ろしいと思っているのは、神父が作る、あの謎めいた見た目の激マズ料理だ。神父自身もそのマズさは自覚しており、めったなことでは作らない。
神父がその激マズ料理を初めて作ったのは、ルネアとナユカが十歳の時。
誰も食べたことがない料理を作るぞ、と意気込んで作ったはいいものの、ぐちゃぐちゃミックスどころではない料理が完成してしまった。臭いは生ゴミよりもひどく、味は何とも言えないほどマズすぎだった。
ルネアに、一口食べて苦しみ悶え始めたあとの記憶はない。あの激マズ料理の被害者となったのは、ルネアとナユカを含めた子供五人。あとから聞いた話によるとナユカだけ気絶せず、のたうち回りながら呻き声をずっと上げていたらしい。相当な腹痛だったようだ。
そうなれば、ナユカを除く四人は気絶できただけ、不幸中の幸いだろう。
あの史上最悪の料理の味を思い出すだけで、今にも吐き気が襲ってくる。ナユカに至っては震え上がり、涙眼になりながらルネアを揺さぶる。
「ウソウソウソウソウソ!! ヤダヤダヤダヤダヤダァ――――!! 食べたくない食べたくない食べたくない食べたくない――――――――!!」
悲鳴もしくは懇願に、ルネアはポンとナユカの頭に手を置く。
「ウソだから、そんなに震えないで」
ナユカの頭を優しくなで、安心させようとする。同い年なのに、ナユカはルネアの妹みたいな存在だ。どこか放っておけないーーその考えが、妹のように思わせているのだろう。もっとしっかりしてほしいなー、と思いながら、脅した理由を告げる。
「ナユカがいくら叩いても起きなかったから、最終的に脅したの」
ナユカの震えはほんの少し収まり、ナユカは潤む炎色の瞳でルネアを上目遣いに見つめる。
「……本当?」
「本当」
「本当の本当に?」
「本当の本当に」
「本当の本当の本当に?」
「本当の本当の本当に」
いつまで《本当》を増やすつもりなんだろう? と思い始めた頃に、終着点が見える。
「五大神に誓って?」
ルネアはこくりと頷き、いまだ震えるナユカと、ネイシア、ダクト、ルミネリア、フリース、ルーンの五大神に誓う。
「本当だと、五大神に誓う」
直後、ナユカの表情は一気に笑顔の花が開花し、今までの元気のなさはどこに行ったの? と思うほどだった。
あまりにもうれしいのか、ナユカはルネアに飛び付いて抱きしめる。ルネアが足を滑らし、ナユカに締め付けられて、フムグッという苦しげな声を上げるが、ナユカは気にせずルネアの首と右腕を絞める――三角絞めをする――。
新たなトラウマになりそーだなーと思いながら、腕から力が抜け、ルネアの意識が闇に沈んだ。
ぬかるんだような闇から意識が覚醒し始めた頃、ルネアの意識にまず届いたのは砂利を踏む音。それも二人分だ。
続けて誰かの荒い息遣い。
ゆっくりと瞼を上げれば、栗色の髪が見える。横に視線を動かせば、艶やかに流れる白っぽい金髪。
「…………そん……怖かった……で…………絞める……ない…………」
途切れ途切れの、何日か前に聴いた凛とした声は、呆れの色を滲ませている。
「でも…………れはあく……からね! ま……悪夢を……げんした…………」
先ほどの声に反駁する、聞きなれた声。会話が不明瞭にしか聞こえず、すべての言葉を聞き取ることはできないが、何の話をしているのかは解った。ルネアを気絶させてしまった話だ。もうひとつ付け足すならば、神父が作った激マズ料理の話だ。
ということは、呆れているのはおそらく――シャルネルだ。そして先ほどとは逆に、今度はルネアを背負っているのはナユカ。
「そんなに見た目がマズそうな料理でしたら、どうして最初に手を着けましたの?」
「だって見たことがないから、どんな味がするのか気になるでしょ!」
「その感覚が解りませんわ……」
当然! とでも言うかのように、ビシリと言い切ったナユカに、また呆れ声で言うシャルネル。
「わたくしでしたら、安全だと判るまで手を着けませんわよ」
「でも狩猟生活をしてたら、安全だと判らないものもたくさん出てくるし……」
「見た目でも判断できるはずですわよ?」
「確かにあの料理はボコボコと、沸騰してないのになってたし……毒入りに見えなくもなかったけど……」
絶句するシャルネル。ルネアが目を覚ましたことには、二人とも気づいてないようだ。
「こういう時、どう言えばよいのか判りませんわ……」
「平民だったら、うへぇっていうよ」
「うへぇ……」
貴族の長女がうへぇと言う、珍光景を見――ではなく聞き、驚きと呆れとその他諸々の複雑な気持ちになる。
そろそろ動こうと思い、口を開く。
「……ナユカ」
ほんの少し、怒りと怨みの感情を交えて。
「ひっ!」
ナユカの歩みが止まり、恐怖の声が漏れて出てきた。
「……えーっと…………ルネア、さん……そのー…………すみませんでした」
ルネアはにっこりと笑い、優しーい口調で話す。
「いや、怒ってないから。ナユカが私を絞めたのは、私が脅したせいだからねー。ナユカが起きなかったから、脅してしまった私が悪いしねー」
「ごめんなさいぃ!」
自分でも解るほど、どす黒ーいオーラを振り撒いていた。そのオーラに圧倒されたのか再び、今度は即答で固まりながら謝る。
側で微笑ましく傍観しているシャルネルは、一切あいだに入ってこなかった。だが、そろそろ潮時だと思ったのか、シャルネルは口を挟む。
「仲よくなさるのは微笑ましいのですが、早く会場に行かなければわたくしたち……失格になってしまいますわ。ナユカはルネアを降ろして、ペースを上げていかなくてはいけないのではなくて?」
ルネアは高速で降りる体勢になり、ナユカは高速で降ろす体勢になるという、息の合った高速技にシャルネルはくすりと笑い、ルネアとナユカは照れを隠しために、挙動不審になった。
「「は、早く行くよ!」」
こーいうこと、ずっと昔にあったよーな、なかったよーな……と思ったが、いつのことだったのかは不明だ。だが思い出そうとすればするほど、記憶に靄がかかって思い出せない。
そして、こういうことがあれば決まって、必ずそれに関係するような夢を見る。しかし、夢を見たことは覚えていても、夢の内容はいつも覚えていない。ただ、懐かしい気持ちになる。懐かしすぎて、泣いていたこともあったほどだ。
そろそろ思い出すのが限界になり、放棄して近くにある時計を見る。十二時が制限時間なので、残り一時間以内に着かなければならない。時計の隣には地図があり、現在位置が表示されている。見れば山の中腹と、山頂のちょうど真ん中辺りだ。
山頂にかなり近づいて、会場が見えてきた頃、太陽がジリジリと照りつけてきた。
ルネアとナユカはこういうことに慣れているので何ともないが、隣を歩くシャルネルが心配だ。呼吸を荒くし、額や頬、首に玉のような汗を大量に浮かべている。時折ふらつくこともあるので、ナユカも心配そうな表情になる。持参していた水はとっくに尽きたらしく、しばらく水を飲んでいない。
ルネアが持っている水はまだ半分ほど残っているので、「水、あげるよ」と言うと、「いいえ。ありがたいのですが、わたくしのことは気になさらないで」と言われ、結局渡すことができなかった。
会場に着けば給水できるらしいので、到着するまでに倒れないことを祈りながら登り続ける。
「ねえ、会場が………!」
前を歩くナユカが指で指して叫んだ。
指し示された方向を見ると、確かに会場が目の前だ。ただし――崖の上、だが。
「はあ!?」
ルネアは知らず知らずのうちに、驚きの声を上げていた。
どこからどう見ても、回り道はない。会場のうしろは木々と山頂の崖に囲まれており、たどり着くにはこの断崖絶壁の崖を登るしかないようだ。崖の影で見えにくいが、崖の上には人がいるようで、何かをガサゴソと用意している。
やがて、丈夫そうなロープが何本か垂れ下がる。しかもそのうちの一本は、ちょっとした手紙が付いていた。
<これを読んでいる君たちは一着だ。ただし、上がってこれればの話だが。今降りてきたロープは命綱だ。それを体に巻き付けて会場まで登ってこい>
三人で顔を見合わし、同時にロープを見て、最初に口を開いたのはナユカだった。
「順番……どうする? 登る順番関係なく、わたしたち一着だけど……」
珍しくナユカが迷っていた。ルネアが思う、ナユカのイメージは猪突猛進だ。本当に後先考えずに物事に突っ込んで行くことがあるので、時折心配になる。
そのナユカが――と思い驚いていたが、表には出さなかった。代わりに、ルネアは提案する。
「一番はナユカ、二番はシャルネル、最後は私がいいと思う。私は崖登りとか慣れてるし、万が一の時は下で受け止める。ナユカは先行して、危険な箇所を伝えて。シャルネルは今の状態だと、力が入らなくなるかもしれない。だから一番安全な二番目」
ナユカは少し考えるそぶりを見せてから、やがてゆっくりと頷く。
「うん……そうだね。それが一番いいと思う。シャルネルは?」
少々不服そうな表情を浮かべながらも、自分の状態は理解しているようで、小さく頷く。
「それでいいと思いますわ」
ナユカはくすりと笑い、ロープのところに行く。ロープを手に取り、それを体に巻き付けると、崖の上から声が聞こえてくる。
「余ってきたロープはこちらが巻き取る。お前たちは手を怪我しないように、気をつけて登ってこい!」
「はいっ!」
野太い、男の声だった。ナユカはその声に元気よく返事をし、慎重に体重を移動させながら素早く登って行く。
「ここ、少し脆いよー!」
何度かそんな声が掛かってきながら、ナユカは危険な箇所を回避しながら登って行く。途中で強めの風も吹くが、その時はしがみ付いてやり過ごしていた。ナユカは足を踏み外すことなく、三十メートルの崖を五分ほどで登る。
崖の上の人物はナユカに手を出すこともなく、下にいるルネアたちを見ていた。ナユカは疲れた様子で、最後は気合いで這い上がる。
やがてロープが垂れ下がってき、それを今度はシャルネルが体に巻き付ける。
「シャルネル」
ルネアは口を開き、振り返ったシャルネルにアドバイスをする。
「見てたと思うけど、脆い箇所もあるかもしれないから、ゆっくりと体重を移動させながら登って」
「解りましたわ」
微笑んで崖に向き直り、突き出た岩に手を掛ける。
崖登りはやはりしたことがないらしく、シャルネルの動きはぎこちない。それに加え、シャルネルの体調不良もある。足を踏み外しそうになったところも何度かあるので、ルネアは下でハラハラしながら見ている。
と、不意に――
「きゃあっ!!」
シャルネルがふらついて足を踏み外した。
石がパラパラと落ちるが、シャルネルは命綱のお陰で落下せずに済んだ。とはいえ、一瞬にせよ、落下する感覚は味わったはずだ。シャルネルは下を見、体を硬直させる。
二十五メートルの高さは、慣れていなければかなりの恐怖がある。宙吊りにされているなら尚更だ。
「シャルネル!」
ナユカがシャルネルに呼び掛ける。
「シャルネルならできる! シャルネルなら登れる! だって、シャルネルは強いから!」
「で、でも……」
体を震わせて尻込みし、声も震わせるシャルネル。
「落ちたって大丈夫!」
今度はルネアが呼び掛けた。
「命綱があるし、下には私もいる! 何度落ちても、私が絶対に受け止める!」
「ルネア……ナユカ……ありがとう…………!」
目尻に涙を浮かべながら、目に強い意思を宿して、また登り始める。
ルネアは場違いにも、感謝しますわとかありがとうですわじゃなくて、ありがとう、だ……と、お嬢様言葉がよく解ってないまま思ってしまうが、表情には出さず、今までよりも強固な意思を宿して登るシャルネルを、下から見る。
ナユカが右手を伸ばし、シャルネル! と笑顔で呼び掛ける。
と――
いくつかの現象が同時に起こった。
シャルネルはナユカの力を借りて崖を登り切り、一方で、いつの間にか着いていたらしき、何人かの同じ受験生が崖登りを始め、少なくとも初めてではない動きで登って行く。
「今年こそは合格させてもらう!」「こんなの、余裕で、突破してやる!」「リベンジだ――!!」
頭上にいるナユカとシャルネルの顔に、焦りの表情が浮かぶ。特にシャルネルだ。
「申し訳ありませんわ、わたくしのせいで……!」
責任を感じているようで謝ってくるが、ルネアは首を横に振って、降りてきたロープを体に巻き付けながら叫ぶ。
「シャルネルのせいじゃない! むしろ、よくやってたよ! 大丈夫、私が一気に登るから」
言い終わると、ルネアは翼があるような身軽な動きでナユカよりも速く、危険な箇所は回避しながら、一人、二人と追い抜いて登って行く。ほかの受験生がぎょっとして眼を剥いて、今までよりも必死に登るが、ルネアに呆気なく追い抜かれる。
時には華奢な腕の力だけで跳び、登る時間を短縮する。
「クソ、抜かれてたまるかァ――!!」
あと少しで登り切れる、というところでルネアに追い抜かれかけた男が叫び、ルネアと同じくらいの速さになる。
「男ならまだしも女に、しかも年下に見える奴に、抜かれてたまるかァ――!!」
おそらくその言葉の裏には、男が廃る、という意味が隠されているのだろう。しかし――ルネアは本気を超えた限界の先の速さになり、男がいよいよ這い上がる、という時にはもう、ルネアは崖の上に立ち上がってロープをほどいていた。
崖を自己最高記録の速さで登り切ったという達成感はルネアの胸を満たし、自然と笑顔が零れながらロープを下に降ろす。
シャルネルは給水した水を飲み、額や首筋に浮かぶ汗をタオルで拭っている。
「お疲れ!」
疲れていても、相変わらず元気な声が掛かってきた。ナユカだ。
ナユカは腕が痛いのか、両腕をさすりながら近づいてきた。手は土で汚れているが、元々汚れるのは覚悟している服だし、とでも思っているのか、腕の部分が汚れていくのも気にせずさすり続ける。
「最後はすごくヒヤヒヤしたんだからね! それと腕の力だけで跳ぶところも! あと、追い抜いていくところも!」
「それって最後は、じゃなくて、最初から最後まで、でしょ……」
アハハ、そーだね~、とナユカが返し、ルネアがアキレ視線を向けると、突如カーンカーンという鐘の音が鳴り響いた。
「残り十分だ! まだ着いてない奴は急げ!」
ルネアたちの命綱のロープを巻き取っていた試験官らしき男が叫び、到着していない受験生たちのあいだに焦りの空気が生まれる。
会場前には受験生たちが集まってき、疲れて仰向けになっている者が多い。ルネアは仰向けになるほど疲れてはいないが、酷使した腕が痛む。この第二次試験が終わったら早く湿布を貼ろう、と脳内メモをして痛みを我慢する。
十分後――制限時間内に着けたのは、ララリア地区の受験者の約半数にも満たなかった。