――伏線張りすぎたかなあ……。
ルネアとよく似た少女は笑う。もう一人、自分とよく似た少女に手を引かれて。
ルネアとよく似た少女は泣く。暗い、暗い檻に閉じ込められて。
ルネアとよく似た少女は怒る。相手に死を与えて。
ルネアとよく似た少女は叫ぶ。誰かの名前を、その誰かを起こすようにひたすら呼んで。
何百もの場面が一瞬で脳裏をよぎったあと、気付けばルネアは何もない、真っ白な空間に立っていた。
なぜ自分がこんなところにいるのか――。誰かが移動魔法をルネアに掛けでもしない限り、こんなところにいるはずがない。しかし、記憶にはないが、この真っ白な空間には何度か立ったことがある気がする。
「ここは心のなかの、私たちだけの空間」
不意に、うしろから幼い声を掛けられた。振り返ると、そこには誰もいない。振り向いた先は漆黒の空間。
「そっちじゃないよ」
今度は、クスクスと幼い笑い声がルネアの頭上から聞こえてくる。しかし、サッと見上げるが今度もいない。
「フフッ……仕方ないね。うしろを見て」
再びルネアが振り向くと、今度こそ誰かがいた。
よく晴れた空の色のような瞳に、雨が降る前の雲のように灰色の髪。そして――自分と似た顔の作りの少女。この少女は――脳裏によぎった場面にいた少女と同じだと気付く。
「あなたは、誰?」
咄嗟に体が反応し、つい身構えてしまうが、ルネアとよく似た少女は気にした様子もなく答えた。
「悪いけど、その質問には答えられない。でも……」
続ける前に再びクスクスと少女は笑い、姿を消して言葉を残す。
「あなたは私のことをよく知ってるはずだよ?」
その言葉と同時にルネアは激しい頭痛に襲われる。思わず片膝を突き、右手で頭を押さえて呻く。途轍もなく頭が痛むが、その痛みはただ痛みを与えるだけでなく、ルネアに何かを思い出させようとしているかのようだ。記憶はないが、何かの時の感情が心のなかに渦巻いてくる。
恐怖、罪悪感、喪失感、憐み、悲しみ、楽しみ、怒り……など、大量の情報が入ってくる。
あまりの情報量に、自分が自分でいられるのかが心配になってくるが、感情の奔流は止まらない。
「大丈夫、あなたはあなた。自分を見失わないかぎり、あなたは死なない」
心が読まれているのか、ルネアの感情が少女にばれている。
それでも、少女の言葉で心が楽になったのか、ほんの少しの笑顔は浮かべることができた。
次の瞬間、一気に意識が覚醒していくような感覚。眼を開けているはずなのに、眼を開けるような感覚。つまり――と思った刹那、ルネアはベッドの上に横たわっていた。
外は完全に明るく、窓から日光が差し込んでいる。いつも夜明け前起きのルネアからすれば、大が付くほどの朝寝坊だ。当然、眠気はない。だが、ルネアにはそれを意識するヒマはなかった。
掛け布団を跳ね除け、ベッドから勢いよく跳び起きると、寝る前に用意してあった机の上のノートに、インクを付けた棒で書いていく。
時間の経過とともに記憶が薄らいでいくが、今はまだ半分くらいは覚えている。が、一ページの半分も埋まらないうちに記憶は完全に薄れ、一文字も書けなくなった。
それでも、まだ思い出せることはないか、と必死に思い出そうとするが思い出せない。
諦めて棒を置くと、ルネアは昨日のことを思い出す。
昨日の早朝、ララリアの近くにある山で第二次試験が開始された。
霧が立ち込めるなか、起こしても起きないナユカを背負って足場の悪い山道をひたすら歩き、時にはようやく起きたナユカに気絶させられながらも、途中で合流したらしいシャルネルとともに三人で山を登って行った。
試験会場目前では高い崖が立ちはだかり、崖登り経験のあるルネアとナユカならまだしも、今回が初めてとなったシャルネルには非常に大きな山場になった。
一番に登ったナユカは一度も足を滑らすことなく、安定した崖登りを見せた。続けて二番に上ったシャルネルは途中で一度足を滑らせ、命綱があったので下まで落ちることはなかったが、一瞬、落下感覚を味わって挫折しかけた。
もう無理、と思ったシャルネルだが、ルネアとナユカの励ましにより、ゆっくりだが登りきることができた。しかし――。
シャルネルが登りきった頃には、ルネアたち以外の受験生たちが崖登りを開始していて、ルネアが速く登らなければ第二次試験の山登りでは一位を取れなくなってしまうところだった。
ルネアは全力で登り、途中でひやひやするところがあったものの、登りきった時にはルネアが崖登り中だった奴らを全員抜かして、見事に三人が山登り部門で一位になった。
昼からは筆記試験が始まり、ルネアは右腕が痛みながらも、すべての欄を埋めた。問三は人名を書かなければならなかったが、思い出せなかったので間違いなく百点ではない、と覚悟している。その試験結果は本日中には返ってくる予定だ。
第二次試験がすべて終了し、山を下りた頃には夕方になっていた。
宿屋の前では毎晩恒例のお祭り騒ぎになっていて、それを見たシャルネルが、参加したい、と思いもよらない爆弾発言をした。試験前日以外はすべて参加していたナユカはそれを聞いて、当然参加! とでもいうように、自分だけではなく、ルネアにも強制的に参加を迫った。
ルネアはあれこれ悪あがきをしていたが、二人の圧に負けて強制的にお祭り騒ぎに参加させられた。
ナユカとシャルネルは舞台の上で踊って楽しんでいたが、ルネアはやはり楽しめず、ナンパしてくる人を掃いながらイスに座っていた。
途中で、誘いを振ったからどうだこうの、と男たちにイチャモンを付けられて襲われたが、ルネアの虚無魔法で返り討ちにした。そのあと男たちがどうなったのかは知らない。
元の場所に戻ったあとは襲われる前と同じようにして過ごし、ナユカとシャルネルが満足するまでお祭り騒ぎに付き合った。
部屋に戻ってからは、風呂に入ってからノートと棒とインクを用意して寝た。
思い出せない懐かしさが込み上げてきた日の夜は、そうすることにしている。それでも、夢の内容がまったく解らないことが多いが。
今回はどうなのか、と多少期待しながらノートを持って読み始めようとすると、書いた文字がまったく読めないことに気が付く。文字が乱れすぎて読めないのではない。まったく見たことがない文字で書かれているからだ。
「どう、して……? 書いてた時は読めたはずなのに」
だが、読めたはずの文も今は思い出せない。まるで――誰かがルネアの記憶を制限しているかのようだ。
それでもめげずに、どこか読めるところはないか、と探していると、一文だけだが見つけた。
「《あなたはあなた。自分を見失わないかぎり》……あとはなんだろう?」
その言葉は、そのあとに何かが続いてそうだった。当然のことが書かれているが、ルネアは自分が何者か、判らなくなる時がある。その時に、誰が言ったのかは知らないが、自分にこう言えばいいのだろう。
「私は私。私が何者であろうと、私は私」
自分に言い聞かせるように、誰かに宣言するかのように言葉を漏らしたあと、ルネアは自分に勇気が出たような感じになって微笑む。
ノートを机の上に置き、服を着替えてナユカの部屋に行く。
ナユカはまだ寝ているが、無防備に部屋のカギを開けているので、勝手に部屋にお邪魔する。
「……して。みん、な……」
眼に入ったのは、悪夢を見ているからなのか、ナユカの顔が苦痛に歪んでいる。寝言は途切れ途切れで、何を言っているのか解らない。だが、あまりにも苦しそうなので早く起こしたほうがよさそうだ。
「ナユカ!」
掛け布団を剥ぎ取り、ナユカの体を揺さぶる。これで起きる確率は低いが、夢を見ている今なら起きるかもしれない。ナユカの体を揺さぶりながらペチペチと頬を叩いていると、不意にナユカの眼が見開かれる。
三秒ほどルネアを凝視したあと、ルネアを鬼気迫る表情で床に押し倒した。ナユカはルネアの上に乗っかり、体重をずっしり乗せている。
「どういうつもり!?」
鬼の形相で、低めた怒鳴り声で詰め寄られれば、ルネアもさすがに驚いて何も言えない。
まるで別人になったナユカは、訊きながらルネアの首を絞めてくる。だが、そこまでされるほどのことをしたのかは、身に覚えがない。強いて言うならば、昨夜に男たちを締め上げたことだが、あれはあくまで正当防衛だし、ナユカは知らないはずだ。
「叩いて起こしたこと?」
「ふざけないで!」
怒りに染めた表情で首を絞めつけてくるが、ルネアは何ひとつふざけてはいない。これがナユカの力とは思えないほどものすごい力で首を絞めてくるので、ナユカの腕を離そうとしても離れないので呼吸ができなくて苦しい。だが、それでもナユカに訊ねる。
「私が、何を、したの?」
今度はすぐに言い返してこなかった。
ナユカの手の力が緩み、瞳は困惑の色に染まっている。
「なんだっけ……。あなたは何かをした、はずなの、に…………」
この言葉で、ルネアのなかで何かが確証に変わった。
同じなのだ。ある条件下の起きた直後は覚えているのに、時間が経つにつれて記憶が薄らいでいくというのが。
やはり、何かがある。その、何かは知らないが。
「ナユカ、どいて」
ルネアがそう言うが、ナユカは聞こえていないのか、困惑した表情のままブツブツ言いながらルネアの上に乗っている。
こんな状態ではどいてくれそうにないので、あまり使いたくないが、虚無移動魔法を使う。ルネアは靄に包まれ、一秒後にナユカの前に立った。あお向けの状態から魔法を使って移動して立つものだから、部屋がぐるりと回転したように見えて気分が悪くなる。
「ナユカ、どうしたの? いきなり怒り出して」
今度は明確に反応があった。記憶にない、とでも言うかのように首をかしげてルネアに訊いてきた。
「怒った? わたしが?」
ルネアは首肯し、口を開く。
「ナユカ世界記録を更新しそうなほど」
「なにその世界記録!?」
ルネアの造語に、即座に突っ込むナユカ。普段ならナユカがボケ担当で、ルネアがツッコミ担当だが――
「ついでに言うと更新前のナユカ世界記録は小さい頃、私に最後に食べようとしたサラダを食べられた時」
「更新前の世界記録がとてもくだらない!?」
「さらに言うと、まだ野菜は残ってた」
「もっと周りを確認しろわたし――――!!」
今回はナユカがツッコミ担当だった。ボケ担当はルネアと過去のナユカ。
過去のナユカに大声を上げて突っ込むが、過ぎた過去は戻らないし、過去に現在の声が届くはずもない。ここでナユカの思考がオーバーヒートしたのか、床に落ちている掛け布団を取ってベッドに横たわり、掛け布団を自分にかけて潜り込んでしまった。
寝坊と二度寝は許さないルネアは、即座に掛け布団を剥ぎ取って奪い、ナユカを引き摺り下ろす。
「ちょっ!? まだわたしは寝るよて――」
「そんな予定はない」
ルネアに正当なことを言われ、ナユカは言葉を詰まらせる。
「それに、今日は第二次試験の結果が返ってくる日。この試験を突破できるのは八十五点以上の点数を取れた者のみ。不合格の場合私たちはラッシャー村に戻らないといけないし、第二次試験を突破できてもここを発たなければいけない。つまり――」
「荷造りをしないと!」
ルネアの言葉に目を覚ましたかのように、びくーんと立ち上がって部屋に散らかる荷物をカバンに入れ始める。吊るしてある洗濯物も手に取り、脱衣所に駆け込んでドアを閉めた。
ルネアはドア越しに、ナユカに言う。
「わたしはもう荷造りが終わってるから、先にミュネル……さんのところに行っとくよ」
「解った。……今ミュネルさんのこと、呼び捨てにしかけたよね?」
ドア越しに帰ってきたナユカの言葉は無視して、ルネアはナユカの部屋の隣にあるミュネルの部屋に向かった。