ドアの前に立って数回ノックをすると、ミュネルがドアを開けた。
開けられてまず目に入ったのは、部屋に転がる酒瓶だ。数日前は大量のそれが部屋に転がっていたが、今日はその時よりもさらに増えた酒瓶を丁寧に並べて立てていた。
続けて目に入ったのは、ミュネルを除いた今回の第二次試験の試験官二人だ。消耗しているらしく、仲良く床で雑魚寝をしてイビキを掻いている。
「……何かあったんですか?」
ルネアがそう思うのは仕方ない。試験官繋がりとはいえ、女の部屋に男二人がいるのだから。
「いやーそれがね~~、フランの奴がやらかしたせいで徹夜作業になってしまったんだよ。で、つい三十分前にようやく寝れたとこ」
そう言いながらゴミ箱を視線で示すので、「お邪魔します」と言ってから部屋に入ってゴミ箱を覘く。そこにあったのは――真っ赤に染まった大量の雑巾だ。
嫌な予感がして、カーテンを開けてルネアの部屋にはないバルコニーをみると、吊るされていたのは真っ赤に染まった大量の解答用紙。
「……まさか、すべての解答用紙がこんな状態になってる……なんてことはありませんよね?」
振り返って訊ねると、ミュネルは気まずそうに顔をそらして沈黙した。つまり、この行動が意味するのは肯定だ。
「そもそも、どれだけのインクを使ったらこうなるんですか……」
「質量変化魔法を使って被害を最小にしようと思ったら、逆に被害が最大になっちまったんだ……」
呆れて出た言葉に返したのはミュネルではなく、フランだ。いつの間にか起きていたフランは申し訳なさそうに小さな声で答え、顔をそらしていた。
ルネアは再度干されている解答用紙を見ると、口を開く。
「まあ、過ぎたことは仕方ありませんよ。点数と合否さえ判ればいいですし」
「……ありがふぉあ~~…………」
ミュネルの語尾が変になったのは、あくび交じりになったからだ。フランはやはり限界なのか、うたた寝を始めていた。
だがミュネルは、再び寝始めたフランと、雑魚寝しているジャルダを叩き起こし、あくびをしてから言う。
「ここはお前たちの部屋じゃないし、ルネアのように結果を聞きにくる子たちがいるだろう。そいつらのためにも、早く自分の部屋に戻れ」
返ってきたのは、二人同時のあくびだった。
完全に瞼が持ち上がらず、閉じているように見える顔で二人同時に立ち上がると、あくびという置き土産を残して、上半身をフラフラさせながら部屋を出て行った。
「……あの二人、大丈夫なんですか?」
「大丈夫、ただの睡眠不足だ」
と言うミュネルも睡眠不足なので、短い茶髪の癖毛の頭を掻きながら目尻に涙を浮かべて、大きくあくびをしている。
「……出直したほうがいいですか?」
とても眠そうなのでルネアが訊くと、ミュネルは何かを思い出したかのように雰囲気を変え、
「いいや、今すぐ言いたいことがあるから、出直さなくてもいい!」
と強く言った。朝の出来事に加えて謎が深まったが、ミュネルがそう言うのならば、そうしない理由がない。
手振りでベッドに座っといてくれ、と勧められたので座ると、ミュネルは何枚かの麻袋に、並べられた酒瓶を入れ始める。どうやらミュネルもナユカ同様、出発の準備を始めたようだ。
その様子を見て手伝おうとして立つと、ミュネルが、
「そこに座っといてくれ」
と言うので、お言葉に甘えて引き続き座る。
ミュネルが最後の一瓶を麻袋に入れると、ちょうどナユカが準備を終えたようで、炎を出している髪を鎮火しようとしながら部屋に入った。
「失礼します。結果を聞きにきました。……ルネア、火を消して~~!」
毅然とした声音で入ってきたが、ルネアを見た途端に焦った様子になって、ルネアに擦り寄った。ルネアはため息をついてナユカの髪を見る。
「火を消して~~! って言われても、その火はナユカの感情の昂りを具現化しているものだから、水で消そうとしても消えないし、風で消そうとしても消えないって過去に何度も言ったんだけど……」
「それでも消して~~!」
そんな無茶な! とナユカからの依頼に絶句していると、ナユカはますます泣き寄ってくる。
ナユカの炎――《心(しん)炎(えん)》はナユカの感情の昂りによって生み出される。心炎は物理的に燃えていないので被害はないが、発生した時には体中が熱くなる、という特徴がある。ほかにも、物理的に燃えているわけでもないので、物理的に消そうとしても消えない、という特徴もあるが、無害なので放っておいても問題ないが――。
「早く消して~~!」
髪が燃えているというのは、そうとうの恐怖なのだろう。焦りによって更に燃やされる髪を、自分の息を吹きかけて消そうとしている。
ミュネルは、自分は専門外だ、とでも言うかのように荷造りを進めて、二人から視線をそらしている。
「消すならまず落ち着け! 《ファントム・アイス・ウォーター》!」
ルネアは両手を合わせて叩き、中級技を発動させる。ルネアの魔力が一気に半分まで減るが、ルネアの魔法である虚無魔法は燃費がかなり悪いので仕方がない。
虚無魔法とは――虚無魔法は虚無であるがゆえに、虚無からすべてが生まれる。ゼロから火や水が生まれる。それが虚無魔法だ。だから水や氷を魔法で出すことができるのだ。
ルネアは好んで水や氷を操るが、理由は魔力の消費量がまだ少ないから。それに加え、虚無魔法はルネアが世界で初めて発現した魔法だ。ヘタすれば拉致されて人体実験の対象にされても不思議ではない。ゆえに靄が一番魔力を消費しないが、よく使うのは水や氷だ。
氷水はナユカを包み、ぽたぽたと床に水滴が零れるが、不思議と床は濡れない。
ミュネルは床に水滴が落ちるのを見て慌てるが、落ちても床が濡れないことに気づいて安堵した表情になる。そう、これは幻だ。
この技はあくまで幻なので物理属性ではないが、それゆえに部屋は濡れないしナユカも濡れない。ナユカも最初は幻惑に惑わされたようで、苦しそうにもがいたが、もがいてみると苦しくないことに気づいたようで、冷静になってもがくのをやめた。
それと同時に心炎も消え、代わりにナユカは腕をさすり始める。
「幻覚とはいえ、寒い! 早く降ろして」
震えた声になってルネアに懇願した。
それも当然だ。なぜなら幻の水は北の寒い国の、真冬の氷海並に冷たいのだから。
「はくちゅっ!」
寒気によるくしゃみで、体の体温を上げようとしているのか、ナユカの体はくしゃみを続ける。歯をがちがちと鳴らし、顔が徐々に白くなっていく。
反対にミュネルは感心したようで、零れてくる水滴を手で受け止めてみたり、指を水に突っ込んだりして感嘆の息を漏らしている。
このままではナユカがかわいそうなので、ミュネルには悪いが、魔法を解除する。水から解放されて床にへたれこんだナユカは体を震わせ、ミュネルは残念そうに「ああ……」と呟く。
――と、
「ルネアのバカバカバカァ――――!!」
心炎は出なかったものの、血が戻りかけている顔で罵倒を浴びせかけてきた。それをルネアは涼しい顔で言い返す。
「だってナユカを落ち着けるには、ナユカを急激に冷やせばいいって私の脳内説明書に書いてあるし」
「何その説明書!?」
即座にナユカが突っ込むと、ルネアは「冗談」と返した。それに対してムクレ顔を作るが、ルネアは相手にしない。そうしていると、ミュネルが咳払いをした。
「仲良くしているところ、水を差すようで申し訳ない、お二人方」
「「い、いえ、大丈夫です」」
異口同音に答えると、ミュネルは机に置かれている数枚の紙を手に取って二人に渡す。それはルネアたちの解答が記入された解答用紙・改だった。
ルネアは事情を知っていたので苦笑いをするだけですんだが、事情を知らないナユカは驚いた表情で解答用紙を見つめてからルネアの解答用紙を見て、また自分の解答用紙を見つめる。
「これ……点数が書いてあるだけなんだけど」
ぽそり、と呟いた言葉には戸惑い八割、驚き二割が含まれていた。ミュネルは顔を背けて、ルネアは苦笑しながら窓の外にある光景を指さす。指先が向く方向に目を向けると――。
「…………なにこれ……?」
赤インクに染まった解答用紙の群れを見て、ナユカは悟ったようで、赤い解答用紙の群れと手に持つ解答用紙を交互に見てミュネルに視線を送る。
ミュネルはゆっくりと首肯し、再度窓の外を見つめる。
「まあそういうことだけど……幸いと言うべきか、点数を記録した後で大惨事が起こったから、点数に誤りはない……はずだ」
「はず!?」
ミュネルの説明にルネアもわずかに不安を感じたが、ここで安心させるように、付け加えられた。
「大丈夫だ。点数確認もちゃんとしたし」
「それならいいですけど……」
不安が滲む声音だったが一応納得したようで、再び点数を見ていた。
ミュネルは窓を開けて、赤い解答用紙のなかから、お目当ての何かを探し始めた。
ルネアも今度はちゃんと点数を見て、喜びを顔に浮かべる。横を見ると、ナユカはひやひやしている表情だ。
「どうだった?」
ルネアが訊くとナユカは細く息を吐いて、冷や汗を掻きながら解答用紙を笑顔で見せる。
そこに赤インクで記されていた点数は八十五点。つまり――かなりのギリ合格だ。ルネアは呆れ半分安堵半分の表情になると、できる限り柔らかい声で祝いの言葉を贈る。
「おめでとう、ナユカ」
つい十数分前に見た鬼気迫る恐ろしい表情とは違い、そこにある笑顔は花のように、明るく柔らかかった。あの恐ろしい表情を見たこともあって、ナユカが笑顔になっているところを見てルネアは安心する。
「フフッ……ありがとう。ルネアは?」
興味ありげに今度はナユカが訊いてきたので、解答用紙を見せる。そこに記されている点数を見て、ルネアとは違って目を丸くした。そのあとルネアが何を間違えたのか心当たりがあるようで、半眼の呆れ顔になる。
「九十九点……ほぼ満点はすごいけど…………。絶対問三で間違えてるよね!」
二問目のことを現在国内で最後に成功させた人物の名前をフルネームで書きなさい。が問三の問題文だが、その時ルネアは「スヴィ・ラキナ」と答えた。絶対間違えているという確信はあるが、今でも解答すべき名前が思い浮かばない。
一度も関わったことがない人の名前を覚えるのは昔から苦手なので、間違えるのは当然といえば当然だ。だが、やはりそれは直したい欠点だ。
ルネアは「うぐっ」と奇声を発してゆっくり首肯し、苦々しい表情で口を開く。
「スヴィ・ラキナって答えたけど……絶対間違えてる」
ナユカは口をポカンと開け、「……は?」と小さく発声して数秒固まる。おそらく心の裡では、ありえないと思っているだろう。数秒間絶句して思考の立て直しに成功したのか、歯軋りをし始めて怒鳴り始めた。
「ルネアの……バカァァ――――!!」
花のような笑顔から一転、活火山のような怒りの表情に変わり、ナユカのほうが、少し身長が高いので見下ろされる形になって浴びせられて、ルネアに容赦ない罵倒の嵐が大声で開始された。
「『ス』しか合っていないなんて…………スミュラシアさんにソッコー謝れー! ていうか何そのスヴィ・ラキナって!? 国内で超有名人だよ!? それを、スヴィ・ラキナ!? 今すぐ謝れバカルネア――――!!」
顔を寄せてあまりにも至近距離で浴びせられるので、びしりと耳を塞ぐ。が、普通の音量で聞こえてくるので、慣用的表現で耳が痛い。だが、ルネアのその行動を気にも留めずにナユカは罵倒を続ける。
「大体、どうして昔から人の名前を覚えようとしないの!? 偉業をなした人物の名前であろうと憶えないなんて……。この国を興した初代女帝アーリィであろうと、ルネアが三歳の時に《アリーシア》って間違えたよね! アホルネア――――!!」
「どうして三歳の時のことなんか憶えてるの……。ていうか、そんなことってあったの?」
弱々しい呆れ声で罵倒の嵐に割り込むと、火に油を注いでしまったようで、炎のように赤いナユカの瞳がメラメラと燃え盛る。同時にナユカの全身を心炎が覆い、口から白い蒸気と心炎を吐き出し――
「『なんか』だと……? こちとら当時、ものすごく腹が立ったんじゃァァ――――!!」
鼻息を荒くし、ナユカの背後に大爆発した火山の幻が現れる。あまりの怒りに顔を赤くし、口調まで一変させて、本人以外には温度を伝えないはずの心炎がルネアに超高温度を伝える。
あまりにも高温度なため、心炎は白き劫火の心炎――名付けるならば《白心炎》になる。触れれば火傷はしないものの、あまりの熱さに感覚がなくなる。
もしや、私はナユカが技を覚える手助けをしたのでは? と逃避的思考になりながら、遠く聞こえる声を甘んじて受け入れる。
「今すぐ思い出せや、ドアホ――――!!」
最終的には耳から白い煙を出したところで、ようやくお目当ての解答用紙を見つけたらしいミュネルが窓を閉めようとした。ナユカの状態を見て何をすべきか理解したミュネルによって、この場は収められた。