一分後。ルネアとナユカはミュネルから、真っ赤に染まりきった解答用紙を返された。白いところは探しても見つからないほど染まっているので、何が正解なのか判らない。
「それ、いるか? いらないのなら、こちらで捨てるが」
ミュネルの質問に、「一応いります」と答えてから、スヴィ・ラキナと書いてしまった欄を見る。ナユカはちゃんとスミュラシアと答えているので、世間的には常識なのだろう。
「ルネア、お前に一つ言いたいことがある」
視線を解答用紙からミュネルに移し、首を小さく傾げて訊く。
「何ですか?」
「問三を間違えたの……お前だけだからな。あの会場だけじゃなくて、ほかの地区を含めても」
呆れ顔で言われ、隣からも痛い視線が刺さる。が、誰も間違えないような問題を、間違えてしまった身としては何も言えない。バツが悪い顔になり、ミュネルから視線をそらす。
「苦手なんです、関わったことがない人の名前を覚えるの」
それを聞いたミュネルは大きくため息をつき、ルネアの肩に手を置いた。
「そうは言ってられないぞ。第三次試験を通過したら一人につき一人、一人前のアルケミストが付いてくれるんだ。名前を間違ったり覚えなかったりしたら、かなりその人に失礼だ。もしかしたら……スミュラシアは担当になるかもしれない。そいつの前でスヴィ・ラキナと間違えてみろ。とても失礼だぞ。……というか、アタシの勘が告げているんだ、スミュラシアが今年は指導者のひとりになるって。意外とアタシの勘は当たるからな」
力強い視線を向けられながら、ルネアは背に冷や汗を流して聞いていた。なぜなら、噂では大きくて怖い――らしい。ほぼウソだと願いたいが、もしそんな人に襲われれば、全力で遁走するしかないだろう。
「へー、そうだったらうれしいです。だって、あのスミュラシアさんですし」
ナユカは本当にうれしそうに言うが、ルネアは冗談じゃない! と思った。もし万が一にもルネアの指導官になれば、おそらく逃げまわるか殴られるかの日々になってしまう。
そんなルネアの思考を読んだのか、ナユカが半眼になって見つめる。
「……いま失礼なこと考えたでしょ。逃げ回るか殴られるかの日々になってしまうって」
「い、いえ、考えてないこともないこともないですよ」
「……考えてたね」
同じ教会の、孤児院で育った親友に言われれば、ルネアは押し黙るしかなくなった。そんなルネアを見て、ミュネルは呆れからくるだろうため息をついて話を続ける。
「まあ、そんなわけだから一刻も早く名前を憶えることをオススメする。……あと、現時点で今年の指導官になるのが判っているアルケミストは、フィーラ、リリア、あとは……ディーネだな」
「フィーラさんに、リリアさんに、ディーネさん!? すごく豪華な顔ぶれじゃないですか!」
ナユカは興奮した様子で、ミュネルに詰め寄る。が、人に興味がないルネアは首をつい傾げて訊いてしまう。
「誰なの、その三人」
「ルネア、そんなこと言わないの! フィーラさんたちはアルケミストのなかでも強い人たちなんだよ。フィーラさんは過去に騎士団に所属していたこともあって、集団戦法が得意なの。だから、自分の団も持っているんだよ」
ナユカの、熱が入った饒舌な説明は息継ぎをする間もなく続く。
「リリアさんは後方支援が得意でね、技の発動には時間が掛かるんだけど、その分強力な攻撃なんだよ。しかも回復・支援技も使えるの」
あまりにも熱が入りすぎて、リリアの説明が終わった瞬間に心炎が灯る。
「ディーネさんは《俊足の剣士》という異名があって、右手に持つ剣で風の如く地を駆け回り、自由な連撃で幻獣を倒していくの。噂では最高速度が千メートルを五十、秒だっで…………」
最後は酸素不足で苦しくなったようで、締まらない言葉になったが、ナユカの話を聞く限りではすごい。思わず感嘆の吐息を漏らしていると、ミュネルが付け加えるかのように、見事に話に割り込んだ。
「ディーネに関して一つ付け加えると、彼女はかなり自由人だから指導官になってもらうのはオススメできないな。アルケミストになって五年だが、指導官になるのは今回が初めてなんだ。理由は、自由気まますぎるからだ。実際に、彼女の指導官になったアルケミストはすごく苦労してたぞ。……まあ、まだマシなほうだが」
「「……まだマシ?」」
何やら不穏な言葉がミュネルの口から出てきた気がしたので、異口同音にその言葉を呟いた。ミュネルは刹那体を硬直させるが、何もなかったかのように振る舞う。
「いや、気にしないでくれ。……おっと、それより、今回の第二次試験ララリア地区突破者を知りたいか?」
「「知りたいです!」」
先ほどの不穏な言葉をキレイさっぱり忘れ、ミュネルが出した新たな話題に食いつく。今回の試験を突破したのは最低でも、ルネアとナユカを含めた二人以上だが、その突破者のなかにシャルネルが入っているのか、とても気になる。
ルネアとしてはやはり、あれだけ懸命に初めての崖登りをしたのだから、通っていてほしい。おそらく――いや、絶対ナユカも同じ気持ちだ。
こほん、と一度咳払いをし、机上に置かれた書類を見て、通過者を読み上げていく。
「今回のララリア地区の通過者は、君たちを含めて七人だ。ルネア、ナユカ、エイジ、キアラ、オルア、ニーウェン、そして――シャルネルだ」
意地が悪いのか、はたまた偶然なのか、最後にシャルネルの名を読み上げた。それまでは、呼吸の仕方も忘れて息を詰めていた。シャルネル、という言葉が出てきた瞬間、ルネアは肺に溜めていた空気を緊張とともに吐き出し、ナユカはその直後に、ルネアに喜びながら飛びつく。
通る、と信じてなかったわけではない。むしろ、通っていると思っていた。だがそれでも、万に一つの可能性として落ちているかもしれない、とシャルネルでもないのに不安だったのだ。いまとなってはその心配も杞憂だが。
ルネアは顔を綻ばせて、気絶させられるのを防ぐためにナユカを引き剥がす。ナユカは不服そうな表情になるが、ミュネルが話を続けようとしているのを見て姿勢を正す、
「以上この七名と試験官三人、計十名で次の第三次試験が行われる街《ブルーリア》を目指す。出発は一時の鐘が鳴った頃だ。それまでに本を返すなり、荷造りをするなり、この街ですべきことを終わらせておけ」
ミュネルに言われて二人同時に「はい!」と頷くが、ナユカは直後に、頭上にクエスチョンマークを浮かべて訊く。
「すみません、ブルーリアってどんなとこですか?」
――それ、私も思ったー。
と心のなかで同意すると、ミュネルは間髪入れず、素っ頓狂な声を上げる。
「はあっ!? ブルーリアを知らないのか!? この国で四番目に大きい街だぞ!?」
「「知りません」」
今度は二人同時に無知を肯定する。
ルネアとナユカはラッシャー村に住んでいたため、外部からは情報が入りにくかった。新聞は市場で販売されていたが、新聞を毎日買う余裕はなかったため、知り合いやたまに買う新聞からしか情報が入ってこなかった。
そのため当然、観光情報も入ってこない。だから、この街は何が有名だとか、何がおいしいだとか一切知らない。もちろん、王都の名前くらいは知っているが。
ミュネルは、流石に呆れることが多すぎて際限がない、ということが解ったのか、今度は眉ひとつ動かさずに説明をする。
「ブルーリアはララリアの約五倍は大きい街だ。それでも自然豊かで、年中きれいな花が咲き誇っている。その街の二割は魔法戦団本部が占めていて、残りの八割は住宅地や市場が占めている。名産品は衣類だ。特に綿製品がいいぞ」
そう言って、これ見よがしに吊るしている茶革コートを見せる。どうやら、ブルーリアで作られたものらしい。それはあちこちが擦り切れてボロボロだが、愛用していることがよく解る。次に履いている革のブーツを見せると、こちらは若干擦り切れているものの艶があり、手入れをよくされていることが見て取れる。
自動的に作ってくれるような魔法のものはないので、当然すべての作業が手作業だ。つまり、職人の技が製品の出来を左右する。ミュネルのそれらはよくできていて、縫い目が非常に丁寧だ。それだけでなく、革の張り、酷使しているはずなのに破れない、とてもいいものだと解る。
首元の寂しさについ手を当てると、期待とともに質問して手を下ろす。
「じゃあ、何かいいマフラーと手袋はありますか?」
数秒ミュネルは考えるそぶりを見せ、ふと思いついたかのように指をパチンと鳴らす。
「マフラーなら本部の近くにある店がオススメだ。名前は確か《ぐるぐる巻き専売店》だったかな……。その店がいいらしく、そこへ買いに行くアルケミストは多いぞ。手袋は種類によるが、毛糸で編まれたものなら《羊毛の店》、薄いものなら《作業用衣類専売店》がオススメだ」
「確かにそこらがよさそうですね。向こうに着いたら行くことにします」
頷きながら、持ってきたお金の残高を計算する。
神父が渡してくれたのが五千アーリィ、六年間節約して溜めたお金が二万六千五百アーリィ。合計で二万千五百アーリィだが、先日の祭り騒ぎで千アーリィも使ってしまったので、残りは二万五百アーリィだ。
マフラーは安くて千アーリィくらいだが、その場合はかなり質が悪いことがある。それに、マフラーと手袋に関しては拘りたいのがルネアの性分だ。なぜなら、ラッシャー村で着用していた狩猟服でそれらを付けていたからだ。
だからなのだろう。マフラーがなければ首元が寂しいし、手袋がなければ狙えるものも狙えそうにない。首元と手を覆い隠すことでささやかな安心感が得られ、全力を出すことができるのだ。おそらくそれはナユカも同じはず――。
と思っていると、ナユカが突如眼を輝かせて、勢いよく手を挙げた。
「わたしはケープが欲しいです!」
ナユカにとってのケープは、ルネアにとってのマフラーと手袋と同じだ。単なる防寒具ではなく、着用することで背中を守ってくれるような感じがする、らしい。
ルネアの時と同じく数秒考えるそぶりを見せたあと、今度もパチンと指を鳴らす。
「ケープなら《羽織ものの専売店》っていう店がいいぞ。そこは素材に拘っているし、値段も良心的だ。だが……問題点を上げるとすれば、取り扱っている品物の数が少ないことと、行くまでの道が迷いやすいことだな」
「解りました! 向こうに着いたらすぐ行きます!」
跳びあがりそうな勢いでそう言い放つと、ミュネルは苦笑して、呆れた様子でナユカを軽く小突く。
「おい、聞いてたのか? アタシは迷いやすい、と言っただろ。当然、迷わないように一緒に行くからな。ついでにお前が無駄遣いしないかも監視してやる」
ギクッという音が出そうなほど固まると、ルネアは呆れてため息をつきながら首を振る。
「するつもりだったのか……。だからお金が貯まらないんだ……」
「貯まってるし! だから買うんだもん、ケープ!」
ルネアの呟きに、即座に反駁したナユカは指で計算しながら、ぶつぶつと唸る。
やがて計算し終えたのか、「よしっ!」と言うと所持金を告げる。
「いまは五千九百……いや、八百はあるから買えるもん!」
「『もん』って……それじゃあ良品は買えなさそう……。ていうか、そのうち五千は神父さんからもらったものだし……。絶対連日のお祭り騒ぎで無駄遣いしたでしょ」
「てへ、ばれちゃった!」
ルネアの追及をおどけてひらりとかわされると再度ため息をついて、今度はナユカの頭から抜けていそうなことを追及する。
いまルネアとナユカはラッシャー村を出て、ララリアにいる。さらには本日の一時から次の街ブルーリアを目指して、試験官を合わせて十人で出発する。当然、ララリアにもブルーリアにも、ラッシャー村にないものがたくさん売ってあるだろう。
旅行をした時に自分、もしくは家族や友人に買うもの――お土産も当然たくさんある。
ルネアは五千円ほどをお土産代にしようと思っているが、予算がぎりぎりどころか足りなさそうなナユカはどうするつもりなのだろうか。
「それは別にいいけど、神父さんやシスター、子供たちへのお土産はどうするつもりなの? きっとナユカのことだから、それを考えずにバカ騒ぎしてたと思うけど」
おどけた表情をキープしたままぴたりと動かなくなり、数秒黙り込む。おそらく内心では、どうしよどうしよ、という思考の嵐だろう。証拠に、ナユカの眼がきょろきょろと動いている。
こういう時の、ナユカの頭の回転はとても速いが、おそらく今回ばかりは助け船を出さないと、どうしようもないだろう。
「ナユカのことだから、お金が足りなくて困ってると思うから、私からひとつ提案。最大五千アーリィまでなら貸せるから、絶対にお土産代として使って、遅くなってもいいから必ず返すこと。それを守れるならお金は貸すけど?」
「守ります! 守りますから、お金貸してください!」
停止していた体が瞬時に動き、ルネアはがっしりと手を握られる。と同時に、ルネアのなかである考えが浮かび、表情には出さないが、内心で意地悪くにんまりと笑う。
「――と思ったけど、もうひとつ約束を追加しよっかな」
「……ま、まさか、利息を付けるとか言うつもり……!?」
ナユカの言葉に、最大限意地悪い顔になるが、数秒後、ナユカのびくびくした様子があまりにも面白いので、堪えきれずに吹き出した。ナユカは驚いて手を離し、一歩下がるが、ルネアの笑いは続き、ルネアにしては大笑いした。
ここまで笑うのは四年ぶりだ。もしかしたらラッシャー村を一時的に出て、ルネアに何らかの変化があるのかもしれない。
ナユカはそんなルネアを見て、さらに困惑顔になってびくびくする。
「……な、なに? どうしたの?」
「……びくびくしたナユカが面白くて。フフッ……それに、私は守銭奴じゃないからそんなことは言わないよ」
「じゃ、じゃあ、何のつもりで……?」
少しびくびくするのを止めると、ナユカは怪訝な表情になる。ルネアは微笑すると、ナユカに手を差し出して言う。
「私は絶対にこの試験でアルケミストになる。だからナユカも絶対にアルケミストになって。二人で……ううん、三人でアルケミストになろう。……これがもうひとつの約束。……そこに立ってないで、シャルネルもきて」
「うん、約束。……って、シャシャシャルシャルネル!? いいいつからそそそこそこに!?」
ルネアは気配だけで何となく気付いていたが、ナユカは気付いてなかったようだ。しかし、奇妙な連続音を出しながらオーバーに驚きながらも、ルネアの手をしっかりと握り取っている。
「『シャリシャリ』みたいに言わないでほしいですわ。ルネアはこちらのほうに背を向けても気付きましたのに、前に向いているナユカが気付かないのはどういうことですの!」
優美な白いワンピースの腰に左手を置き、入口に立って呆れた声を出している。その声に、若干元気がないのはルネアと同じく、単なる寝不足だろう。まあ、その原因を作ったのは本人と、お祭り好きのバカなので、自業自得としか言いようがない。
だが、それ以外にも印象が変わったように思う。しかし、どこがどう変化したのかは判らないので、つい首を傾げてしまう。
幸いと言うべきか、二人はそれに気付かなかったようで、ナユカはシャルネルのもとへ駆け寄った。そのあいだにミュネルがルネアの隣に移動し、訊ねてくる。
「どうしたんだ、何か気になることでもあるのか? たとえば試験結果の点数とか」
「いえ……いまのシャルネルを見て、何か違和感がありませんか? 見た目は前までとあまり変わってませんが…………」
そう言って唸りながらシャルネルを見続けると、ミュネルが納得したような声を漏らした。
「そう感じた理由はおそらく、シャルネルの圧が変わったからだろう」
「圧、ですか……?」
「ああ、おそらく昨日のことがきっかけなのかもな。要するに、家から一歩も出たことがないお嬢様が初めて家を出て世界が広がり、自分の無知を知って考え方が変わったってことだ」
一度ミュネルの顔を見て、再びシャルネルへ視線を戻す。
同じ年の少女はナユカと楽しそうに談笑し、その様子は昨日と変わらない。しかしミュネルの言うとおり、少女の放つ圧は昨日に比べて少し強くなっている。どれくらいの圧かというと、昨日までは草食の小動物並だったが、いまは肉食の小動物並だ。
そう考えていると、ひとつ疑問が浮かんでき、相槌を打ってから質問する。
「そうですね。……ところで、いま思ったんですが、私やナユカの圧はどれくらいですか?」
「お前たちの圧は戦場で五年生きた者とほぼ同じだな。だが、怒った時のお前からはそれ以上に強い圧を感じる。……というか、東のほうの国には般若という怖い鬼がいるらしいが、自己紹介しあった時にそれが見えてな……。お前の圧はまさにそれと――いだっ!」
――訊いたのが間違いだった。
と思ったのは、ミュネルの口からルネアの悪口がすらすらと出てきた時だった。自分が質問したにも関わらず、そしてミュネルがいちおうルネアの上司であるにも関わらず、右の脇腹を左手で強く小突いて話の腰を折った。だが、ナユカとシャルネルは気付かない。
「私の圧は般若と――なんですか?」
答えは解っていても、ミュネル自身に否定させるためにわざと訊く。その時にルネアが笑顔で訊いても、ミュネルの顔が引き攣っていたのは気のせいだと思いたい。
「い、いや、何でも……ない」
企み通り否定してくれると、ルネアは意識的に圧を弱めて、第三次試験へと話題を変える。
「ところで、第三次試験はどんな試験になるんですか?」
「ああ……そういやそうだったな。……おい、そこのお二人さん、第三次試験についての話だ。しっかり聞いておけよ」
ナユカとシャルネルはぴたりと話を中断し、「はーい」と間延びした返事をナユカが、「解りましたわ」と律儀な返事をシャルネルがした。その様子を見ると、なぜシャルネルが平民――しかも捨て子のルネアたちと接しているのか不思議になってくるが、それはシャルネルが分け隔てのない性格だからだろう。
昨日の深夜に、広場で酔いつぶれたララリアの人たちを気にかけ、宿屋から酔い醒ましの水を持ってきて手渡していた。揺すっても起きない者たちには、宿屋にあるたくさんの毛布を、許可を取ってからそっとかけてやっていた。
だが、その性格ゆえにひとつ、心配になることがある。
それは――騙されないかということだ。
なかには悪意を持って接してくる者がいる。ルネアも昨日そういう輩に絡まれたし、社会に生きるうえでは必ず起こりうることだ。そういう時、優しいだけでは対応できないのだ。
ルネアは誰かを気遣える優しさを持っていない、と自分でも思うのだが、悪意には対応できるだけの力はそれなりにあると思う。しかし、シャルネルは気遣える優しさは持っていても、悪意に対応できる力は、厳しいようだが、いまの圧を見ている限りではない。
しかし、第二次試験で己の力のなさを痛感したのならば、もしかしたら第三次試験では何か変わっているのかもしれない。あくまで可能性の話、だが。
ルネアがそう考えていると、そのあいだに移動してきた二人は、いまかいまかとミュネルが話し始めるのを待っている。
「第三次試験だが――」
ゆっくりと開かれ、内容について話され始めた。
「フランからもあとで言われると思うし、詳しいことはあまり言えないが、ひとつ言っとくと、心の準備はしておけ」
「心の準備……ですか?」
意味が解らない、と言わんばかりにナユカは首を傾げる。
「何か地獄の試験にでもなるんですか?」
「さあな、そこらは予想してくれ。……ああ、言い忘れてたが、ブルーリアに着いてすぐには買いに行けないからな。今回の試験は街に入る前の森に受験生全員が合流し、本部に着き次第試験が始まるからだ。……以上」
「「えー!!」」
と、ルネアとナユカの文句の叫び――主にナユカ――が部屋に満ち、それ以外の二人は耳を塞いだ。ルネアとしては第三次試験が始まる前に買いたかったのだが、こうなってしまっているのなら、どれだけ叫んでも変えないだろう。
失意でがっくりと肩を落としながら、同じく失意で頽れているナユカの肩に手を置く。
そんな二人の代わりに、ダメージを受けていないシャルネルがミュネルに訊いた。
「第二次試験は試験勉強をするための、猶予の一週間。次の第三次試験はその反対で、何らかの理由があって本部に直行する、ということですわね?」
「ああ、そう思ってくれていい。……今回は、アタシたち試験官は手がかりを与えるだけだ。そこから答えを導き出して、意味のある手がかりにするかどうかはお前たち次第だ」
ミュネルの答えを沈んだ意識のなかで聞き、そのおかげか、マフラーと手袋は後回しでいいや、と思うことができ、頽れているナユカを立たせる。その頃にはもう、ルネアの意識は試験に向けられており、本部に直行する理由について考えていた。
――本部に直行するということは、街には入れない。それとも試験のために、わざと受験生たちを街に行かせようとしていないのか……。
わざと街に行かせない理由は、考えられるものでは三つある。
一つ目は時間がないから。二つ目は街を見られては困るから。三つ目は今回の指導官になるアルケミストがいるので、早く終わらせたいから。
一つ目に関しては、第二次試験に一週間も費やしたのだから、時間はたくさんあるだろう。なのでほぼこの理由ではないだろう。
二つ目は、なぜ街を見られて困るのか、だ。ブルーリアはミュネルの話によるとさまざまな店があり、自然豊かで観光地にもなりそうだ。そんな街を見せたくないということは、可能性として、試験に使うかもしれない。だが、それには大きな困難が立ちはだかる。
それは――街であることだ。
街ということは、そこには人がいる。人がいる場所で魔法戦団の試験をするということは、建物の倒壊が起こり、その建物が住居だった場合はその人の家がなくなる。ということは当然、住民からの反対・懸念の声が上がる。だから街では試験を行いにくいのだ。なので、二つ目の理由もほぼ違うだろう。
そう考えていくと三つ目が一番合ってそうだが、それならば街を通過してから本部に行けばいい話だ。
それとも、まだほかの理由が――
と考えていると、部屋の外からフランの声が聞こえてきた。眠たそうにクマを作りながらも、就寝用ではない衣服を身に付け、腰には一センチほどの小さな木刀を何本も装備している。
「お取込みのところ申し訳ないが、そろそろ集会の時間だ。ほかの奴らも多目的室に行くように言ってあるから、お前らもそこにすぐ行け」
ルネアとナユカ、シャルネルは「はい」と揃った返事で、ミュネルは「ああ、了解した」と返すと、四人はミュネル、ナユカ、シャルネル、ルネアの順に部屋を出る。
ルネアがドアを閉めるとナユカが寄ってきて、ほかの三人には聞こえない程度の声量で囁く。
「いま思ったんだけど、ミュネルさんとフランさんって同期なのかな? それとも同い年なのかな? あの二人ってお互いに敬語を使ってないでしょ?」
「確かに、そう言われれば気になってくるけど……どうでもいいでしょ」
囁き返し、首元の寂しさを感じながらミュネルのあとを付いていく。だがナユカは気になるようで、ルネアがどうでもいい、と言ったことに対して「えー!?」と文句を言ってから階段を素早く下り始め、フランに訊ねる。
ナユカのこの行動力はいつもながら、本当にすごい。どれくらいかというと、ナユカの座右の銘が「畑がないなら作ってしまえ」になっているくらいだ。
「ミュネルさんとフランさんってお互いに敬語を使ってないですけど、いったいどういう関係なんですか?」
一種の誤解を招きそうな質問だったが、フランはさして気にする様子もなく、微笑して即答した。その時には一階に着き、多目的室が近くなっている。
「同期っつーか、同郷だな。同じ試験を受ける前から、お互いに存在だけは知っていた関係だ。ミュネルの出身地は聞いていると思うが、俺もここの出身だからな」
「へー…………って……え? マジですか…………?」
「ああ、マジだ」
これにはルネアもシャルネルも、ナユカほどではないが驚いた。だが当然、本人たちは当たり前だといわんばかりに平然としている。
三人が試験官たちを交互に見ていると、多目的室に到着した。そこには五人の受験生たちが集まっている。人数を見るかぎり、いまから結果も合わせて発表されそうだ。
部屋には大きな鏡以外何もなく、まだまだ人が入れそうだ。床には花柄の黒い絨毯が敷かれ、仮に転んでも痛くないだろう。少し騒がしい室内はルネアたちの入室によって、一斉に静まる。
理由はフランだが、ほかにも理由はあるだろう。その証拠に、受験生たちの眼差しが変わる。それらが向けられた先は――ルネアだ。それらの視線を受け、思わず立ち止まる。
おそらく第二次試験の崖登りで見せた、人間離れした身体能力が警戒されているのだろう。その視線の意味を理解したナユカとシャルネルは苦笑いし、ルネアから一歩、さりげなく離れる。
「ちょっと、どうして離れるの!」
反射的に二人の腕を掴み、囁き声よりも少し大きい声で訊く。
「い、いや~~……。ルネアってほら、人気者みたいだからね。注目されていないわたしたちが隣に立つと迷惑かな~~って思ったの」
「そ、そうですわ。それに、目立つのが苦手そうなルネアのためにもなると思ったのですわ」
確かに苦手だが、隣に立つのは迷惑じゃない。というかむしろ、隣にいてくれたほうが私はありがたい。いや、いま離れられたほうが迷惑だ! いやいや、そもそもどうして注目しようとするのだろう。注目してくれないほうが私はありがたいし、私に注目するよりもナユカとかに注目すればいいじゃないか……
などという思考は表情に出すだけで済んだ。もし口にしていれば、ドン引きされるぐらいのところまで口走ってしまったかもしれない。
とはいえ、黒い笑い声は出してしまったが。
そうやって扉の前でずっと立ち止まっていると、うしろから咳払いされた。自然に振り返ると、ルネアが立ち止まっているせいで入れないミュネルがいた。
「早く入ってくれるかな! あたしは早く終わらせて寝たいんだ。ほらほらそんなにこの子を見つめないでやってくれ。この子は恥ずかしがり屋なんだよ」
「いや、私はそんなわけでは……」
ルネアの反論は空しく終わり、受験生たちに「ルネアは恥ずかしがり屋」というウソの情報が広がってしまった。だが、当たらずとも遠からずなので、気にしないことにして部屋の中央へ進む。
最後に入ってきたミュネルが扉を閉めると、ミュネルの隣にフランが立つ。
「注目!」
威厳があるフランの一声で一斉に向き直る。固すぎ無口のジャルダはルネアたちのうしろで、あくびをしながら眼を光らす。
「まずは昨日の第二次試験、ご苦労だった。だが、明日にはもう第三次試験が行われる。例年通りであれば、第三次試験ではすべての地区から四百人以上が集まるだろう。そのなかでも、たった五十人以下しかその試験は通過できない。ある年では二十三人しか通らなかったこともあった。つまり、次の試験は難関だ」
空気が氷の如く冷感を持ち始め、ルネアは思わず左腕をさすり、固唾を呑む。
「そういうわけだから、お前たちには次の試験も本気を出してほしい。次の試験内容は教えることができない決まりになってるから言えないが、ある言葉だけは伝える決まりになっている」
一拍置き、黒ズボンのポケットから一枚の紙を取り出した。それに言葉が書いてあるのか、見ながら続ける。
「《恐怖に耐えよ、本能に耐えよ》だ。これは実際に受けたらいやでも解る。実際、毎年一人は失神してるし、腰が抜けて動けなくなる奴も多い」
ここで部屋中がざわつきだす。ナユカとシャルネルも不安げな表情で互いの顔を見合わせ、ナユカがルネアの肩をつつき、不安が滲む声音で言う。
「……ねえ、ルネア。恐怖に耐えよってどういう意味だと思う?」
その質問にはすぐに答えられず、視線をフランに固定したまま考える。
恐怖に耐えるとはつまり、怖いと思うことに耐えるということになるだろう。つまり、その試験ではよほど恐ろしいことが起こる――と考えるのが妥当だろう。
しかし、本能に耐えよの意味が理解しにくい。本能という言葉の意味としては、生物が生まれつき備わっている能力や習性だが、それに耐えるということはつまり、理性的に行動せよということだろう。
そう考えれば、恐ろしいことに耐え、理性的に行動しろという答えに辿り着く。
ゆっくりと口を開き、十秒にも満たない短い時間で考え付いた答えを小声で話す。
「そのままの意味だと思う。思わず本能で行動してしまいそうになるほど恐ろしいものが試験に、私たちの目の前に現れるかもしれない」
ルネアが伝え終わると同時に、フランがふんと鼻を鳴らし、話題を変えた。
「そんな話はさておき、今回の点数と順位を発表する。ちなみに、今回からは主席にするかの参考に入れるぞ」
再びざわつく隙を与えず、一息入れて続けた。
「一位、九十九点のルネア。二位、九十六点のニーウェン。同じく二位、シャルネル。四位、九十五点のエイジ。五位、九十点のキアラ。六位、八十六点のオルア。そして七位、八十五点のナユカ」
――百点の人はいなかったか~~。
という逃避的思考と、シャルネルがナユカへ呆れ気味に言った言葉、「かなり危ういところでしたわね、ナユカ」が被る。
刹那の時間をはさみ、ナユカとシャルネル以外の受験生の、睨むような視線が再びルネアに集中する。それらの視線を再び浴びるだけでもう、ルネアはめまいがしてきたが、一位の何が悪い、と自身を鼓舞――あるいは開き直りで持ちこたえる。
そして悪者を演じるべく、片頬にシニカルな笑みを浮かべて視線を返す。途端、殺気がこの部屋を包み込んだ。ナユカとシャルネルがビクッと跳び上がるが、みんなは止めない。
やりすぎたかな、とあまりにも強い反応を示されたので後悔しかけていると、フランが口に手を当てて大きなあくびをする。目元には隈ができているので、早く寝たいのだろう。おーいと事を進めるために大声で言い、全員――主に女子――に爆弾を投げつけた。
「んじゃ、すでに聞いている奴もいるとは思うが、一時の鐘が鳴るころに、この部屋に集まれ。あと、今夜は野宿だ。風呂も、ちゃんとした寝床もないぞ」
部屋はミュネルの「ああ、そうだった……」という落ち込む声以外に何も聞こえず、フランが部屋を出てもその静寂が破られることはなかった。数秒の間をおいてナユカが「うそ――!!」と絶叫すると、次第に女子が信じられないといった様子で震え始める。野性的思考をする女子ルネアは例外で、川とか泉はあるのかなーと考えていた。
隣でナユカは呪いをかけるかのように、ブツブツと、
「風呂……ハハハ…………風呂はどこだぁ? いますぐ入らなきゃ。三時間入らなきゃ……!食事、風呂、寝床、風呂、食事! ってね」
「最後の意味は理解できませんが、三時間入ることには賛成ですわ!」
――いやいや、三時間も入ってたら冷めちゃうよ。
それか、
――いやいや、そんなに入ってたら溶けちゃいそう。
のどちらで突っ込むべきか迷ったが、そのあいだにも思考能力が低下した女子たちが我先にと部屋を出ていく。そのなかには当然、ナユカとシャルネル、そしてミュネルも含まれていた。
女子一人に男子三人しか残されていない部屋に、ルネアの深いため息がひとつ、盛大に響きわたった。