たぶん、これからは更新速度が速くなるかもです。
約束はできませんが……。
深い森。深緑の木々は行く手を阻み続け、走るのは困難だ。
ララリアを出発してから、一体何日たっただろう。後ろを歩くナユカの腹はひっきりなしに騒いでいて、そろそろ昼飯時か、と思い至る。
ラッシャー村を出た時は少し厚手の服を着ていたのだが、南下しているせいか暑い。しかし、いま着ている服が一番薄いので、これ以上は袖を捲るしかない。ナユカはすでに、暑さに降参していた。《テェル》と呼ばれるラッシャー村の伝統的な、下着に見えない下着を着ている。
周りは下着姿になっているとは思ってないだろうが、ルネアだけは気付いている状況だ。腹の底から込み上げてくる怒りと羞恥心、そして笑いを必死に抑えながら、全精神力を持って目をそらす。ナユカは、なぜそうされているのか自覚がない。
靴は蒸れるから、と言って少し前に脱ぎ始め、現在は裸足だ。正直言って、もう我慢の限界が来ている。ここまでくればお気づきだろうが、ナユカは今いるメンバーのなかで一番露出度が高い恰好をしている。
丈の短いパンツによって隠しきれない、すらりと伸びた素足。温暖な太陽のもとに惜しげもなく晒された、白い素肌の腕。これだけ涼しげな――いや、ハレンチな服装をしていても滴る汗。ほんのりと上気した、朱が差した頬。
流石にこれでは男の視線を集めてしまっている。女たちからも、特にシャルネルからは疑わしげな眼差しを向けられ、一保護者として、いたたまれない気持ちだ。
「……ルネア。大丈夫ですの? …………あなたも含めて」
うん、大丈夫じゃない! と心でシャルネルに返しつつ、苦笑いする。
ためらいがちに添えられた言葉に、自分の状態も渋々飲み込む。頬は上気――どころか茹でダコのように真っ赤だ。意地でもナユカのような恰好にならないため、大量の汗が噴き出してくる。もう暑さで倒れそうだ。
「暑いけど、あのバカみたいにした……薄着になるわけにはいかないから」
平然と毒を吐きつつ、ナユカを見やる。下着だと言わないのは、ナユカの沽券に関わるからだ。いままで散々バカっぷりを晒してきたのに、下着も見せているとなれば、いよいよナユカの品性が問われる。本人も下着だとばれないだろうと思っての行動だと思うので、今回は言わないでおこうと決めたのだ。
「でも、涼しくなるために、少しくらいは魔法を使ってもいいかな……?」
いつもなら、暑いくらいでは魔法を使わない。だが、もう頭が狂いそうなほど暑い。暑すぎて、すでに頭が狂っているのではないかと思う。
しかし、使わないほうがいい気がするので、袖を捲るにとどめる。
この世界は――この国は広い。しかし、いまのルネアはほんの一部であるラッシャー村と、ララリアといままでの道中、そして狩りをした周辺の森しか知らない。
だから、今いるこの森はルネアにとって未知の領域(せかい)だ。
南に下るとこんなに暑いとは、ラッシャー村にいた頃は想像がつかなかった。いや、フランによると南に下ったからと言っても、ここまで暑くなることはないらしい。――ブルーリアを除いては。
ブルーリアの周辺はたくさんの動植物に囲まれ、少し東に行けば小さな草原があるらしい。その南には火山洞窟。つまり、火山の影響でブルーリアは気温が高く、夏は北の人間にとっては地獄だということだ。いまの時期は初夏なので、まだまだ暑くなるだろう。
もちろんブルーリアに住んでいる人にとってはへっちゃらで、今日は少し暑いな、程度とのことだ。ミュネルとフランに言わせれば、お前らの村が寒すぎるんだ、らしい。
生ぬるい風が、ルネアの頬を撫でる。涼しい風を恵んでほしい、と思うのは束の間。
その風に僅かだが含まれる魔力を感じて、意識を切り替えた。咄嗟に足を止めて、風が吹いてきた方向を睨む。シャルネルもそれに気付いたようで、臨戦態勢になる。
耳を澄ますと、時々枝を折りながら、唸りを上げて近づいてくる音がある。同時に、吹いてくる風が徐々に強まる。
「……あいつか!! 避けろ!」
風に歯向かって飛んでくる、フランの緊迫した色を帯びた声。
とはいえ、言われてもどちらに逃げればいいのか解らない。
ひとまずシャルネルの手を引きながら、フランが逃げる方向へ動く。風が四方八方から吹きつけて、髪が乱される。遠方で、誰かの声が風に乗って微かに聞こえてきた。同時に魔力が、多少だが強まる。
「いや、避けるよりも構えたほうがいい! 自分の魔法でバリアを作れ! 作れない奴は身体強化を自分に施せば何とかなるはずだ!!」
今度はミュネルの指示が飛んできた。逃げることを諦めて立ち止まり、シャルネルをルネアと樹の間に回らせる。抗議の声が一瞬聞こえたが、ルネアの魔法のほうが防ぎやすいと思ったのかもしれない。おとなしく背中にくっついて、自分たちに身体強化を施した。
ルネアたちの身体は身体強化を施した証として、黄色く発光している。
電気系なのだろうか、体中に微かな痺れが駆け巡る。慣れない感覚であるが、電気系の魔法を使用する人たちが魔法を使うときは常に痺れた感覚を感じると、一度耳にしたことがある。
そのあいだにも、頬に当たる風が強くなってきた。
未だに姿が見えない何かは、よっぽど遠くにいるのか――あるいはゆっくり来ているらしい。その幸運には感謝しつつ、自分たちを中心に氷のバリアを張った。
「《シールド・メイク:アイス(強)》!」
自分の魔力が半分以上なくなるのを感じながら、分厚く硬い盾ができあがっていくのを見た。周りの気温はもちろん低くなっていき、ルネアが求めていたひんやりとした気温。頬には模様のような霜が付き、こちらは痛くなりそうなほど冷たい。
大きく息を吐いて、悪意のない気配がする方向を見つめる。
――そもそも、こちらに向かってきているものの正体は何だろうか。
ミュネルやフランは知っている様子だが、ルネアたち受験生に何ひとつ教えてくれなかった。それに、フランは『あいつ』と言った。人である可能性は十分にある。というか、風に魔力が含まれているのだから可能性は極めて高い。遠くから声までしていた。
しかしそれならば、これだけの魔法を使える人間はそうそういない。使えるならば、この国の人口約七千万人のなかで、上位五百人くらいのレベルだろう。
つまり、魔法戦団の一員である可能性――ルネアたち受験生の指導官である可能性が高い。
などなどと思考を張り巡らせていると、遂に何かが姿を見せた。
「どいてえええええ!!」
半ば悲鳴と化した、警告の叫び声。木々を何本か薙ぎ倒しながら、猛烈な勢いでルネアの方へ向かってくる女性。この国では珍しいクリーム色の髪を、一つに纏めている。
よく見ると、同年代に見える。ナユカのように、まだ幼さを残した顔。落ちないように左手で抑えられた、腰に吊るされた彗緑の細い剣。南国のビーチにある海のように蒼い瞳は本人の焦燥を写し、足は地面に着いていない。
「――……え?」
猛烈な勢いもさることながら、驚くべきは問題の女性が飛んでいるということだ。
この世界に飛行系の魔法は存在しない。
よって、いまルネアが見ている光景はあり得ないということになる。
大きく眼を見開き、「……なにそれ」と呟く。氷越しだが、確かに女性の足が地面から離れているのが見える。見間違いなどではない。
背後からシャルネルが覘くと、同じように硬直する。
――やはりそうだ。そこにあるのは確かに非現実的な光景だ。
「ルネア! 驚いている場合じゃありませんわ! こちらに向かってきますわよ!?」
シャルネルの言葉は、ルネアの意識に鋭く切り込んでくる。首を振って硬直から逃れると、シャルネルを守るように身構える。
次の瞬間。
例え難い衝撃とともに、音が爆発したのではないかと思うほどの衝撃音。
シャルネルのうしろにあった樹がへし折れ、二人はさらに後ろの樹まで飛ばされた。周囲は砂埃が舞い、森林に惨劇が起こっていた。何羽かの普通の鳥が、驚いて空に飛び立つ。ルネアの魔法によって作られた氷は粉々に砕かれ、遠くに散らばっていた。
幸いシャルネルは樹にぶつからずに、地面を転がって停止したが、ルネアは樹で背を強打し、止まった。肺から空気が叩き出され、苦しさで空気を求めて喘ぐ。
もし、氷の盾がなかったら。もし、シャルネルに身体強化を施されなかったら。おそらく、ルネアはミンチになってしまっていただろう。背筋に恐怖が走り、いま自分が生きていることに対して五大神に思わず感謝する。
不幸中の幸いで、体中が立ち上がれないほど痛むが骨折はしていないようだ。全身打撲にはなっていそうだが。
「おい! お前ら大丈夫か!?」
フランが駆け寄ってきて、怒鳴るように訊いてきた。シャルネルは「……は、い」と答え、ルネアは弱々しく手を上げてサムズアップする。
「でも、少し時間をください……痛くて起きれないです」
「そ、そうか……まあ、無事で何よりだ」
いまにもへたり込みそうな語調で樹にもたれ、立ったままでいた。ここで安心して座り込まない精神力は、大変素晴らしいものなのだろう。
「でもな……」
しかしフランは一転し、こめかみに青筋を立てる。
「暴走するくらいならな……」
ゆっくりと何もない方向へ向き始め、腰に吊るしてある小さな棒を手に取り――
「使うなって何度も言っただろうがあああああ!!」
獣のごとき咆哮で地を蹴りながら棒を大きくし、一般的なサイズの木刀になった。少し先の樹に勢いよく振り下ろし、それに傷を付ける。同時に、ぎし……と嫌な音が聞こえた。
樹の陰から先ほどの女性が飛び出し、地面に躓きながら饒舌な弁明を開始。
「すみません。でも先日フランさんが『遅刻は禁止』と言っていたので禁じ手を使いました。反省? してますもちろん。だから木でできていてもそんなに危ない剣を振り回さないでください。それ戦闘用ですよね? 怪我しますよ。しまくりますよ。それに仕方ないじゃないですか。暴走するものは暴走しますよ。むしろ滅多に暴走しないだけでもすごいんですよ。感謝されるべきだと思います。ていうか褒め称えてください」
「誰が褒め称えるかあああああ!!」
謎の女性の早口弁舌に、軌道が残って見えるほどの速度で、まさに、東洋で言う《鬼神》と化したフランが剣を振り回した。眉間にしわを寄せ、髪の毛が異常に逆立つ。目に見えない、鮮血のように赤いオーラに身を包み、長めの犬歯をむき出しにしていた。すでに何本かの樹がフランの手によって折られている。
「一回……叩っ斬られろおおおおお!!」
「そんなことされたら、あたし死んじゃいますって!!」
お互い余裕のない声音で、ルネアたちの近くで危険な追いかけっこ。いくら全身が痛むとはいえ、このままではフランの餌食になりかねないと、勘が警鐘を鳴らし始める。
「シャルネル、逃げるよ」
ゆっくりと体を起こしながら、樹を支えにして立ち上がる。
「どう考えても、この状況は逃げないと」
「賛成ですわ。走れますの?」
「うーん……微妙」
シャルネルの言葉に苦笑して返すと、「わたくしもですわ」と、困ったような笑顔。暖かい初夏の陽光を受けて輝く白金の髪が、砂で煤けた白い頬に映えている。どこか、危険な冒険を楽しんでいる娘に見えたのは気のせいだろうか。
走る行為とは程遠い走りで一歩ずつ、確実にフランから離れる。遠くからナユカが駆け寄る足音が聞こえて、自分の身のことは考えずに、ナユカが無事だったことに安堵した。
直後に、フランに追い掛け回されている女性の悲痛な叫び声が森にこだました。ルネアたちにピンチが訪れた原因である相手とはいえ、あの形相をしたフランに叩かれたと思うと、哀れではある。
足を止めてシャルネルと目を合わすと、同じことを思ったのか、複雑そうな心境の表情だ。
「先ほどの方……大丈夫でしょうか」
足の力が抜けて、ドカリと座り込みながら呟くシャルネル。
ナユカは驚いてちらりと心炎を出してから、ルネアたち二人に訊く。
「えっ? どういうこと? 誰かがあんな風を起こしてたってこと?」
「さっき気付いてた? あの風に魔力がわずかだけど含まれてたけど?」
「ええ、そうですわね。あの風は明らかに魔法によるものでしたわよ」
首を傾げて「そうなの?」と話を解っていなさそうな顔で言う。ナユカの背後からミュネルが現れて、ナユカの肩を軽く小突いた。
「そうだぞ。お前、真っ先に気付いてると思ってたけどな。魔力を感知する素質は普通よりもありそうだと思っていたが……。どうやら道は長いようだ」
「ちょっ!? ミュネルさん、あなたまで……! みんなして何なの? 気付いてて当たり前だと言いたいの? 気付いてるべきだったの!?」
心炎によってナユカの周りが揺らいでいるのを見ながら、ルネアは目をそらす。
「いや、普通は気付かないよ」
「んなっ!?」
大げさなほど驚き、ナユカがルネアを睨むと、追い打ちをかけるように共犯の二人が続く。
「気付きませんわね」
「気付かないな。ナユカの反応が当たり前だ」
「な……あ、アアアアァ……に、むむ!?」
もはや雷に打たれたような言葉しか、ナユカの口から出てこなくなった。これは後で怒りの説教モードに入るだろう。脳内爆発を引き起こしたナユカが耳から煙――心炎の煙――を出しながら、「む~~~~……」と唸り始めた。
と、右手に折れた木刀を、左肩に例の女性を抱えてフランが近づいてきた。先ほどの鬼神はどこかに消え、普段の落ち着いた物腰を見せるフランに戻っていた。ただし、眼差しは刃物のように鋭利なままだ。
女性の伏せられた青い瞳が、叩かれた時の苦痛と捕らわれた哀愁をもの見事に映している。それでも、口の端は上がっている。まるで、あのやり取りに懐かしさを感じているようだ。
フランは女性を投げるように降ろすと、女性から痛みに耐える息遣いが聞こえた。
周囲には散らばった同地区の受験生たちが集まってきて、みな珍しいものを見る目で女性を見つめる。中には、大きく息を飲む者。
「……やっぱり手加減なしですね。あの日々を思い出しちゃいましたよ」
上半身を起こして、腕に付着した砂を払い落としながら、静かに口を開いた。
「今回は試験官ですか……あの子たち、付いてこれますかね?」
続いて、服の砂を叩き落としながら立ち上がる。隣で、ナユカが息を呑んだのが感じられた。直後にシャルネルも同様に息を呑む。
「さあな。……だが、戦場で生き残る人材が育てばいい。生き残れない奴は落とすだけだ」
剣呑な瞳でフランが返す。その刹那、ルネアはフランという人物の本質を見た気がした。死の道を選ばせるより、夢を潰えさせる方がいい。それが、フランの考え方だろう。
冷酷ではあるが、ある意味では優しさでもある。
初めて会った日のミュネルも言っていたではないか。アルケミストは騎士団よりも死ぬ確率が高い、と。その言葉の裏には、死ぬような奴はいらないという意味も含まれていた。
本当に冷酷な人ならば、そんなことは言わない。優しさが根底にある冷酷な人だからこその、戦場で死ぬ仲間を見たくないという考え。
「やっぱり、フランさんって……」
先ほどまでの悲哀に溢れた表情はどこぞへ行ったのか、いまは好奇心に溢れる声音で女性が訊ねる。輝く瞳をフランが一睨みし、右手の折れた木刀を肩辺りまで持ち上げた。女性の表情が面白いほどに固まり、「何でもないです」と小さく漏らす。
続けて木刀で脅し続ける。
「おい、さっさとお前の名前と反省の言葉を言え」
よほどのトラウマがあるのか、直立不動の姿勢になった。後ろではミュネルがこっそり笑い声を漏らしていたが、この空気でよく笑えたものだ。
女性は大きく呼吸をして、
「このたびは迷惑をおかけしました。ごめんね! これからも暴走しないように努めるね!」
主にルネアとシャルネルに向けた言葉だった。あいまいに頷き返すと、手をすり合わせて、再度「ごめんね~!」と言う。隣のシャルネルの方は目を丸くするのみだ。なぜみんな驚いたような顔をするのか、ルネアには理由が思い当たらない。
「あたしの名前はディーネ! 《俊足の剣士》という異名でも呼ばれてるよ。こっちのフランさんはあたしが受験生だった時の指導官!」
両隣で、「やっぱりそうだ……」という声が重なって聞こえてきた。
***
フランにみっちり叩かれたが、それ以外は何事もなく無事に本部へ辿り着いた。
本部の入り口は年間を通して花の匂いがむせ返っていて、よく虫がそこらを飛んでいる。門には特殊な結界を張っているらしいので、建物の内部に侵入されることはない。
すでに会場には、指導官になる知り合いが全員いた。遅い! とはみんなに言われたものの、そうなった理由は全員知っている。
魔法が暴走する前に行っていた戦いのことを思い出しながら、そこで負った切り傷の手当をリリアにしてもらう。リリアは回復魔法の熟練の使い手なので、軽いけがなどの手当は任せている。流石に、死にかけるほどの重傷を負えばほかの人にも頼むが。
「今回の幻獣はどうだったの?」
リリアに穏やかな口調で語りかけられると、今回の戦果を見せながら答える。
「最初は暴れてたんだけどね、途中からお互いの意識が繋がってきて……で、まさかのアレを成功させちゃった!」
喜びを抑えきれずに、つい手当中なのに腕を動かしてしまう。リリアが困った笑顔を浮かべ、「動かないでね」と注意した。苦笑し、「ごめん」と返す。
「来年に成人するのに、あたしはまだまだ子供っぽいよね」
「ううん、それでもいいと思うよ。ディーネは元気が取り柄だもん」
「え~! それってどういうこと!?」
リリアの答えに、思わず口を尖らせてしまう。その動作もまた、子供っぽいと気付くとすぐに止めた。紫の瞳が、微笑ましそうにディーネを見ている。その視線を受け止めきれなくて、つい顔をそらした。
「別にまだまだ子供でいいと思うよ。ディーネは未成年なんだし。それに、わたしの父からの情報によるとね、もうすぐ可決されそうなんだって、成人年齢引き上げ案が」
聞き逃しならない言葉が、リリアの口から飛び出てきた。リリアに飛びつきたくはなるが、ぐっと堪える。代わりに睨んでしまったのは許してほしい。
リリアの父は上位貴族の当主のみが持つ、議会の政権を握っている。つまりリリアは貴族の娘――それも上位なわけだが、次女として生まれたこともあって、死亡率の高いアルケミストになることを両親が認可してくれたらしい。
この国の政権は半分を皇帝が握り、残りの半分は皇太子やそのほかの皇子たちや皇女、上位貴族の当主が分け合う仕組みになっている。しかし皇女は政権などいらない、と言い張っているため、現在はその分貴族の発言権が強まっているらしい。
問題の皇女はと言うと、現在行方を晦ましている。いくつかの目撃情報は上がっているものの、皇帝直属の兵士が向かってもすでに姿が消えているとのことだ。いずれも戦場付近で目撃されていて、最近ではその辺りがやたらと警備の目が増えた。
その様をリリアも目撃したらしく、動きにくいと感じているらしい。近々こちらの方に皇女の捜索任務が依頼されるという噂が広まっているが、ディーネはその話をあまり信じていない。とはいえ、可能性はある。
でも引き受けるつもりはないけどね~と考えていると、リリアの声がした。
「はい、終わったよ。回復魔法ではここまでが限界だから、あとは自分の力で直してね」
「いつもありがとね! じゃあ、あの子たちを見に行こっか。たぶんもう集まってるよ」
治療がなされた腕の服の袖を戻すと、バルコニーの扉を開け、第三試験の会場を見下ろす。火山からの生暖かい風が、ディーネの髪を撫でた。南国の風とはまた違った、暖かい風。
ディーネの読み通り、会場には受験生の集団が見える。今年は優秀な人が多いのか、または志望者が多かったのか、例年よりもこの地に立つ者が多い。ディーネの年は確か、千人よりもわずかに少ないほどだったと思う。今年は千百人を超えているのではないだろうか。
「今年は多いねー……。指導官は足りるかなあ」
リリアの茶髪が風になびかされながら、隣に来て手すりに肘掛ける。
「きっとその心配はいらないよ。だって、どんなに身体能力が高い人でも、この試験はあまり関係ないもん」
頬杖をついて、受験生の集団を眺めながら返す。「そうだったね」とリリアが言うと、風が止んで葉擦れの音が聞こえなくなった。
「そういえば――」
リリアの瞳がディーネに向けられると本部の壁に、受験生全員が見られるほど大きな地図が開かれる。それはこの周辺の地図でもあり、会場全体の地図でもある。
「さっき言ってたアレって何? 何を成功させたの?」
口角を吊り上げて手すりから離れると、得意げな笑みを零す。くるりと一回転して、魔法を使って宙に軽く浮く。その瞬間、リリアがはっと息を呑んだ。その目に映るのは驚きと羨望、そして喜び。
「それってまさか……」
「そう、そのまさかだよ。《邪霊結》――現在国内で幻獣の力を宿している二人目。今までの人を合わせれば、あたしは九番目だね」
リリアにだけ聞こえる声量で、下の受験生たちのざわめきにかき消されるように答える。誰も、リリア以外は気付かない。
変化したのは左目。右目も少しは瞳孔が縦に細くなったが、左目ほどではない。体内を廻る静脈血のように赤黒い瞳は、まさに龍の眼と形容すべきだろう。
それだけではない。口内の舌を動かすと、尖った犬歯にぶつかる。それは普段よりも長く、鋭い。手足の爪も同様だ。
見た目だけではない。嗅覚、聴覚、視覚いずれも鋭敏化している。視覚に至っては、普段は絶対に見えないものまで見える。それこそが、宿した幻獣の力だ。
《ヘァツヴァーハイト》。それが幻獣の名前だ。心を掌握する者とも呼ばれ、古くは龍神として崇め祀られていたらしい。近年では一夜にしていくつもの村を壊滅させ、何万人もの死者を出していた。それは、悠久の時を経た飽きから来るものだったが。
討伐戦では五百人ほどが死亡し、その末にディーネがその幻獣の力を身に宿す形で、戦いの幕は引かれた。無傷でいられた者は誰もいない、熾烈を極めた戦いだった。後日に戦死者たちの弔いが行われる予定だ。
白昼に浮かぶ、くっきりとした輪郭の三日月を見上げると、次いで先刻にぶつかった水色の髪を持つ少女を探す。普段の視力では絶対に見つけられっこないが、いまなら一人一人の顔がはっきりと見えるので容易ではある。
「人の数だけ、トラウマがある……そうだったよね? ヴァーハイト」
自分に語りかけるように、それでいて他人に語りかけるように囁く。自分にも、みんなにもあるトラウマ。もちろん、リリアにも。覗きはあまりよくないが、不思議と楽しい。特に、今からは恐怖が渦巻く時間だ。本人に耐えきれない恐怖が、トラウマがたくさん見られる。
あの少女を見つけると隣の、炎のように赤い瞳を持つ活発そうな少女の対応に追われていた。さらに隣にいる白金の髪の少女が、活発な少女を止めようとしている。ディーネは瞬きを忘れ、自然と歯を覗かせていた。
驚きから立ち直ったリリアが、横から窺い見る。
「誰か選びたい子でも見つかったの?」
「うん……最っ高だよ……! 絶対あの子にする。あの子じゃないとイヤだ……!」
ゆるりとした動作で頷くと、徐々に顔を綻ばせる。興奮のあまり、ほんのりと頬が赤く染まっていた。
「ねえ、ルネア…………あたしの弟子になってさ…………あたしを楽しませてよ」
三人の記憶から読み取った情報から、少女の名前を口に出す。
妖しく輝く左目が、ディーネという人物の危険度を物語っている。隣で微笑むリリアもまた、この魔法戦団で注意すべき危険人物の一人。いや、正確にはディーネの被害者と言うべきなのかもしれない。元の彼女はただのお嬢様だったのだから。
少女たちは知らない――魔法戦団は変人の巣窟だということを。
少女たちは知らない――魔法戦団は時に人を変えてしまうということを。
「ふふっ、ルネアって子も災難ね。ディーネに一度目を付けられたら、なかなか解放してくれないよ? わたしもディーネのことは言えないけどね」
お読みいただきありがとうございます。
私自身、どれくらい前に書いたのか忘れましたが、ようやくあの二人を登場させることができました。
今回の話はこの作品の構想ができた当初から考えていた話です。
あんな人が登場して、あんなことが起こる――。
ここに来るまでに話が少し厚くなっていますが、今後の展開に比べれば圧倒的に短くなるはずです(最後まで行けば)。
数か月前に頂いたコメントは、創作活動の励みとさせていただいています。ので、特に冒頭の部分は多少変わっている部分も見受けられます。気付かない程度ですが。
引き続き、彼女たちの行く末をお楽しみください。