ナユカのせいでさらに重くなった本の山は、これ以上積まれたら落としてしまいそうだ。
いや、それ以上に憂鬱になるのは、目の前で繰り広げられている出来事だ。
激しく昼間はなかった木組みのステージの床板を踏み鳴らし、指を鳴らしたり輪を作るように高く上げた腕を上下左右に動かしたりして踊る人。その周りには様々な楽器を演奏している人々。楽器は普通の太鼓や調理道具である鍋などが使われている。
ステージのすぐ隣には、また別のステージがある。そのステージでは十人規模の合唱団が楽譜を見ながら、さすがの歌声で二部合唱で歌っている。
その二つのステージの前にいる観客は酒や屋台の食べ物を飲み食いしながら、賑わって楽しんでいる。
不思議なことに、そのなかには赤子連れの家族がたくさんいるが、赤子はこれだけの大音量なのに起きることなくすやすやと母親の腕のなかで眠っている。
「おい、じょっちゃん。オレたちゃと一緒に呑まねぇかぁ? とーぜん、オレたちゃの奢りでさぁ!」
右手に酒瓶を持った酔っぱらいの男二人が、ララリアの訛りで話しかけてきた。
ラッシャー村では一度も見たことがない出来事が目の前で起こっていることと、酒臭い男たちがルネアを誘っている出来事に、どう反応すればよいのか困惑した。
絡んできた酔っぱらいの男のうち、茶髪の男はヒックとしゃっくりをしながらルネアの返事を待ち、金髪の男は酒をらっぱ飲みした。
口から離して、プハァー! と言うと金髪の男は酒臭い口を開く。
「どっだい、なんならそこで踊っちゃみるかぁ?」
「遠慮します!!」
即答で全力の断りをいれ、駆け足でルネアは宿屋の入り口に駆け込む。
ラッシャー村とはまったく違うテンション。
ラッシャー村は厳格な雰囲気が漂う村だった。市場では値切りが一切発生せず、夜中にこんなに騒がしい祭りもしなかった。というより、昼間でも騒がしい祭りをしたことがない。
祭りは年に一、二度行われる程度で、それもすべて森と森の民への感謝祭だ。酒は一滴も呑まず、ララリアのようにここまで騒ぐことはない。
――あの人があんな性格なのも納得できる気が……。
あの人とは、ミュネルだ。
ルネアの頭のなかでは酒をらっぱ飲みして、先ほどの男たちのように騒がしく、前で踊っている人のようにしている様子しか出てこない。
それに、思い返してみればララリアの人たちは昼間も陽気に過ごしていた。
ミュネルに案内されているあいだは何度も何度も話しかけてきたし、昼間も街のどこかで踊りまくっていた。図書館でもそういえば、ダンスルームなる謎の大部屋で十何人かがステージの踊りと似たような踊りを踊っていた。
――そういえばララリアはよく踊る街だって言ってたなぁ……。
迷いの森を歩いてた時に交わした会話をいまさらながらに思い出し、嘆息する。
ルネアはきれいに清掃されている階段をゆっくりと三階まで上がって、さらに長い廊下を歩く。ルネアの部屋は三○一号室に割り当てられ、宿屋の一番奥だ。今の進行方向の左手にある。
ナユカの部屋は三○二号室で、ルネアの部屋の、目の前だ。
その隣はミュネルの部屋で、三○四と書かれている。
三○四と立派な金属の札が付いている内開きの扉はなぜか開け放しで、なかからはとても大きな大きなイビキが聞こえてくる。
今すぐ扉をピッチリ閉めたいが、今の状態では本がジャマして閉められない。仕方ないので三○四号室を通り過ぎ、三○一号室の扉の前まで歩く。
扉の前に立って右腕だけでなんとか本を持ち、左手でポーチに入っている鍵を取り出した。
腕がプルプルし始めたので、鍵穴に差し込んでガチャリ、と半回転させて開ける。
その鍵を鍵穴から抜いてポーチにしまい、本を両腕で抱えて体で扉を開ける。
部屋に入ると、空気が籠っている感じがするので、ルネアは換気をしようとして本を机の上にていねいに置いて窓を開けた。
途端に、宿屋に入ってからはあまり聞こえてこなかった楽器の大音量が、広場にいた時並みに聞こえてきた。
そしてなにより頭が痛くなったのが――。
「わたしの名前はナユカ! アルケミストになる人です!」
――自分の名前を言うのは自由だけど、アルケミストになるって確定事項のように言わないで! 私たちまだ、第二次試験すらしてないから!!
広場の人々が沸き立つ前に、咄嗟につっこんだルネアは多少乱暴に窓を閉め、部屋から出る。
ミュネルの部屋の、扉の前に立って扉を閉めようとすると、机の上に酒瓶がたくさん置かれていた。
ため息をついて扉をピッチリ閉め、ミュネルのイビキが聞こえないことを確認して部屋に戻る。
やはり空気が籠っている感じがするので、ルネアは十秒ほど悩んで、窓を開けることにした。
「いきますよ~、三、二、一、ボン!」
窓を開けた瞬間、鼓膜が破れそうなほどの大爆発音が聞こえてきた。
ルネアは咄嗟に耳を塞ぎ、広場の人たちは手を叩いたり口笛を吹いたりする。
「続けて~、ボン! ボン! さらにボン!」
耳を塞いでも聞こえるほどの大爆発音の正体は、ナユカが生み出している花火だ。火薬いらずの花火はきれいだが、ルネアにとって今は静寂をジャマするものでしかない。だが、楽器を越える大音量の花火でも赤子は起きない。
ララリアの人の耳ってどうなってるの!? と思いながら、音が聞こえなくなるタイミングを見計らってルネアは窓を閉める。
ルネアはもともと聴覚が鋭いほうだが、狩人になったことでさらに聴覚が鋭くなっている。
だからなのだろう。昔よりも静寂を好むようになったのは。
読書中は耳栓を着けることがあったし、就寝中も耳栓を着けることがあった。食事中はさすがに耳栓を着けないが、静かに過ごしたい時は常に着けていた。
だからこそラッシャー村の夜はよかったと、ルネアは思う。静かで、暗くて、月や星がきれいで、獣たちの遠吠えが聞こえてきた夜。
だが、ララリアは違う。
騒がしくて、明るくて、星がまったく見えなくて、月がラッシャー村と比べてきれいじゃなくて、獣たちの遠吠えが聞こえなくて、ルネアの静寂をジャマする夜。
――お願いだから静かに、私をひとりにして……!
本を読む気が失せ、カーテンと扉を閉めて電気を消す。
ベッドに入って布団を頭まで被り、枕で耳を塞ぐ。
だが、窓を閉めても枕で耳を塞いでも聞こえる花火の音はルネアの眠りを妨げ、それは日付が変わっても続いた。
ーー耳栓、持ってこればよかった……。