放課後の教室。
うちの学校は共学なため、女子が集団でお菓子を食べながら雑談しており、お菓子の匂いが充満している。うるさいくさい。
外からは野球部のノックと思われる心地いい金属音や、運動部全般における声援や掛け声が聞こえる。
それに、春の暖かさを耳に感じさせる鳥の声や、そよ風に揺れる草木の音色。それらは全て、学生の間にのみ聴ける、今だけの特権。
これらの楽器が奏でるオーケストラは、大人になってからは、いくら高い金を出したとしても、聴くことは不可能なのだ。
しかしこの教室には、そんな素晴らしい音たちを一瞬で無き者にする悪魔のような男がいた!
……俺だ!
俺はイヤホンを装着し、音楽をかける。
ボカロ曲を聴きながら勉強をするのが、最近のルーティンになっているのだ。
ボカロ曲に限定している理由は、二つ。
一つは、ボーカルが機械音のため、人間の声に比べて聴き流しやすいこと。
もう一つは、なんといってもカッコいいからだ。
ボカロ曲を作るボカロPと呼ばれる音楽プロデューサー達は、有名バンドのメンバーをはじめ、その道のプロもいる。
正体不明のボカロPや、一般人のボカロPの曲だって、超がいくつ付いても足りないほどにカッコいい。
ボーカロイド曲を機械だからと食わず嫌いしている人は、一度聞いてみて欲しい。
歌詞だって秀逸で考えさせられるものが多いし、絶対に気に入るはずだ。
取り敢えずこれから一週間はどの教科もテストが無いため、一番苦手な英語でも勉強するとしよう。
筆箱を開け、削ったまま使われていない、芯の尖っている鉛筆を握る。
そして、もっとも俺が苦手とする長文読解を解くため、見るだけで吐き気がしそうな量の英文を読み出す……と。
そこで手が止まった。
わからない英単語があったわけではない。
英文の内容が衝撃的なものだったわけでも、用事を思い出したわけでもない。
ボカロ曲だ。
そう、今聴いているボカロ曲。
初めて聴いたが、このテンポ、この歌詞、この曲調。
こんな素晴らしい曲は聴いたことが無い!
耳に残っている歌詞の一部を、急いで検索エンジンにかける。
すると、一番上にヒットしたのは、ボーカロイド曲の歌詞をまとめたウェブサイト。
その曲のタイトルは、『Requiem』。
作詞作曲者は共に、『玄野白』と書かれていた。
俺はもう勉強なんてそっちのけで、玄野白について、出来るだけスマホで検索した。
しかし、出てくるのはこの曲のことと、謎のボカロPって事だけ。
投稿している曲はこの曲だけなので、有名ボカロPが違うプロデューサーとして曲を出したのかもしれない。
そういったボカロPも実際にいる。
俺は興奮冷めやらぬまま、家路に着いた。
家に帰ると、リビングの電気は点いていなかった。
自分の部屋に向かおうとすると、テーブルの上に紙が一枚置いてあるのが目に留まった。
母が、仕事が遅くなると書き置きをしていったようだ。
父は単身赴任で海外にいるため、母さんがいない時は基本的に家には俺一人。
妹の綾芽は部屋にいるが、もう一ヶ月も部屋から出てこない。
自分の部屋に早く向かって、趣味のネトゲでもやろうと、階段を上る。
すると、俺は妙な雰囲気を感じ取った。
なんなのかはわからないが、なんとなくいつもと二階の雰囲気が違う感じがする。
気のせいだろうと気にせずに自分の部屋に踏み入る。
おかしなところは特に何もない。
不思議に思いつつも、俺はいつもの椅子に腰掛け、デスクトップのパソコンを立ち上げる。
すると、パソコンの画面越しに、なにか妙なものが映った。
真っ黒い、毛玉のようなもの。
もぞもぞと、少しずつドアの方へ移動している。
……なんだあの生き物!?
俺は驚きつつも威嚇のため、声を発してみる。
「あーあ! 今日も一日疲れたなぁー!」
ビクッ!
毛玉が跳ねた。やはり何かやましい事があるから、俺を警戒しているのだろう。
宇宙人か、動物か、泥棒か。
いずれにしても、俺は捕まえてみたくなった。
捕まえるための方法を、頭をひねって考える。
その中から、一つの捕獲案を採用した。
『振り返って、ダッシュする』
これが俺の採用した捕獲案。
実行してみたら、まんまと捕まった。
触ってみるとこの毛玉、暖かくて柔らかい。
っていうか、毛玉じゃない部分もあった。
「おのれ宇宙人ー! 覚悟しろー!」
俺はその物体めがけて、面白半分で叫ぶ。
泥棒だったら面白半分でいられる余裕は無いのだろうが、今日の俺はなんといっても機嫌がいい。なんてったって玄野白という、最高のボカロPに出会ってしまったのだ。
俺の言葉を聞いた毛玉は、観念したのか、ジタバタと抵抗するのをやめた。
そしてそいつは口を開いて。
「ぎぶぎぶ! お兄ちゃんー!私!私!」
「このやろう、俺の妹を名乗るとは、なんて宇宙人だ!」
「ほんとに私だからー!!」
「で? なんで俺の部屋にいたんだ?」
毛玉の正体がわかって落ち着いて、ここは先ほどの俺の部屋。
一ヶ月ぶりに会った俺たちだが、まず話すのはさっきあった事件についてだった。
「そ、それは……妹だからいいじゃん」
「よくねーよ! どこに兄貴がいない間に兄貴の部屋漁ってる妹がいるんだよ!」
妹は何か事情があるらしく、口を閉ざしている。
「まぁいいや、話したくなったら話してくれ」
無理矢理聞き出すのも悪いと思って、諦めて風呂にでも行こうと立ち上がると。
「ごめん……話すね」
綾芽が口を開いた。
「借りたい本があるの」
「借りたい本? いいぞ別に」
本を借りたかったのか。
まあ引き篭もっていると暇だろうから、本くらい読みたくなるだろう。
「ううん、今日はいいの。お兄ちゃんがいないときに勝手に持ってって読んでもいい?」
「おう、別にいいけど……」
「ありがと!」
この後、妹はすぐに自分の部屋に帰ってしまった。
久し振りに会ったけど、いつも通りに綾芽と話せただろうか。
取り敢えず、今日から俺の部屋は妹専用の図書館になったのだった。
続く