その日は、5月ならではの気象の変化を感じさせる一週間の、中弛みの水曜日。
ただでさえ気象の変化に体がついていかなくて、五月病やらなんやらが発症してしまうこの時期。
俺は急激な頭痛に悩まされていた。
座っている間もこめかみがドクドクと絶え間なく脈を打っており、全く気が休まらないのだが、特に立ち上がるときの頭痛が酷い。
俺は医学的なことはよく分からないため原理は知らないが、立ち上がるときに立ちくらみのような激しい頭痛が伴う。
その上、今日の日程は苦手な体育やら音楽やらがある。
これはもう早退しろという神のお告げだろう。
授業中に挙手をして、早退の意向を伝える。
すると教師は心配そうに「一人で大丈夫か? 保健委員に付き添ってもらうか?」なんて言ってくれた。
周りの生徒は全員舟を漕いでいたが。
保健室に入ると、他にも俺のように体調不良で訪れた生徒がちらほら見られ、奥のベッドのカーテンが開いて、保健の先生が出てきた。
「あら、どうしたの? 保健室なんて珍しいじゃない」
俺はなるべく手洗いうがいは欠かさないようにしているため、あまり風邪を引くことがない。
それに、運動も基本的には嫌いだし、体育でやるときは、それなりにこなせる。
保健室を利用することは少ないため、先生は少し意外そうに言った。
「酷い頭痛で、早退させてもらおうかと思って」
「今の時期は頭痛が発症しやすいのよねぇ。ほら、季節の変わり目でどんどん気象が変わるから」
すいません。それさっき冒頭で言いました。
「じゃあ熱だけ測ってもらえるかしら?」
先生が取り出した白い体温計を腋の下に挿し込む。
しばらくすると「ピピピッ」と、結果が出たことを知らせる音が鳴った。
俺の体温は平熱で、特に風邪というわけではなさそうだ。
しかし、念のため今日は帰ってゆっくり休むことにした。
電車に乗って、二駅。
頭の中の景色がぐらんぐらんと地震を起こすなか、なんとか窓の外の景色を眺めたりと、気を紛らわせる。
頭痛に耐えられなくなって髪の毛を引っ張ったりなんかしつつも、なんとか家の最寄り駅まで辿り着くことができた。
駅から家までは、大体徒歩で十分程度。
元気なときだったら、馴染みの本屋でラノベの新刊が出ていないかとか、コンビニで買い食いをしたりとかするところなのだが、今は断然、家に帰ることが最優先だ。
と、家からほんの百メートルくらいのところで、ギターの音が聞こえてきた。
アコースティックの懐かしい音ではなく、激しいエレキギターの音。
そのメロディは自宅に近づくほどに大きくなり、自宅の前に着くと、完全に出所がはっきりした。
……ってこの音、俺の家から出てる!?
急いで鍵を開けて、中に入る。
どうやらこの音は、二階から聞こえているようだ。
俺がここにいる以上、二階にいると思われる人物は一人。
あまり考えられないが、引き篭もりのあいつしかいない!
俺は頭痛なんてすっかり忘れて、自分の部屋に荷物を置いて、妹の部屋の前に立つ。
すると、なぜか急にギターの音が止んだ。
不思議に思って突っ立っていると、なんと突然ドアが開けられた!
「痛っ! お前痛っ!」
「え!? お、お兄ちゃん!? なんで!?」
中から出てきたのは、驚いた表情を浮かべる我が最愛の妹。
ってか、痛ぇー。ドアの威力錆びた剣よりある説唱えようかな。
そんなバカなことを考えていると、自分より大きなエレキギターを背負った妹が固まって突っ立っていることに気が付いた。
真っ黒のフード付きパーカーを着ているため、黒縁の眼鏡や黒髪と相まって、真っ黒の物体と化している。
「お兄ちゃんがなんでいるの!? 今日平日でしょ!?」
妹がテンパってわちゃわちゃしてる。
なんか小動物がパニックになってる映像見てるみたいで心がほっこりするな。
「ま、まさか……お兄ちゃん引きこもりになったの!?」
「違うわぁ! 引きこもりはお前だぁー!」
思いっきり突っ込んだ。
「えぇ……お兄ちゃんって、そういうこと言っちゃう人なんだ。うぇー。デリカシーないね」
「悪かったな! ほっとけ!」
「で、なんで家にいるのさ」
「頭痛が酷くて帰ってきたんだよ」
俺は頭をさすって言う。
「いやいや、頭痛が酷い人はあんなに鋭いツッコミ入れられないでしょ」
「そうだけど!」
なんだか綾芽と話してると調子狂うなぁ。
あんなに身体は小さいのに、手玉に取られてるような感覚に陥ってくる。
そんなことを考えていると、無性に妹に反撃してやりたいと思えてきた。
よし、さっきのギターについて問い詰めてやろう。
「おい綾芽。そのギターはいつ買ったんだ?」
まずは、軽く尋ねてみる。
「うーん。ほんとに最近だよ? この間お兄ちゃんの部屋に本借りに行った一週間前くらいにネットで買ったの」
あー。
俺が受け取って部屋の前に置いておいた覚えがある。
「それにしてはギターがうまかったじゃないか。どうしたんだ?」
「前からね、お兄ちゃんがよく聴いてるようなボーカロイドの歌がかっこいいなって思ってたの。それで、春休みにソフト買って、作ってみたんだ〜」
なんと、一つ屋根の下にボカロP様が!
「それでギターもやってみたら出来たってのか?」
「うん! フィーリングで!」
まさか、こいつ天才なのか……!?
先程耳にしながら帰ってきたあのギターのメロディは、ごく簡単な節の繰り返しだった。
だから実力はよく分からないが、素人が独学で不自然にならない節を見つけて弾けるっていうことがまず珍しい。
「ボカロ曲は、動画投稿とかしたのか……?」
「うん。SNSのフォロワーさんに聴いてもらったら、動画作ってくれるって。それで、私のアカウントでアップしたの」
「プロデューサー名は何にしたんだ? 本名か?」
ボカロPは、プロデューサー名を持っている場合が多い。
好きな食べ物をつけたり、自分の曲の歌詞からつけたり、顔の特徴からつけたりと、個性は人それぞれだ。
さて、綾芽はなんて名前で投稿したんだ……?
「私は、玄野白って名前で投稿したよ!」
……ん?
クロノシロ……どこかで聞き覚えがあるぞ?
確か最近目にしたばっかりだったような。
「それでね、私の処女作は『Requiem』っていうの! かっこいいでしょ!」
思い出した……。
玄野白って、俺がこの間どハマりした、幻のボカロPじゃないか。
まさかあんな名曲が、自分の実の妹の、それも初めて作曲した曲だったなんて……。
俺は色々なことにパニックになって、その場で死んだふりをしたのだった。
続く