明け方、ラブホテルのSM部屋で抱き合って眠りに落ちていた三葉と早耶香の身体がムクっと起き上がった。
「………」
「………」
早耶香の身体が立ち上がると、ハンドバックから口紅を出してくる。その口紅で三葉の額へ、呪い、と書いた。他にも、おしっこ女、婆、ロストバージンは24才、オナニスト、一人ヤリマン、等の色々な罵詈雑言を書きつけると、早耶香の手が口紅を三葉の手に渡した。今度は三葉の手が早耶香の身体に悪口を書く。デブ、ちゃんと痩せろ、早耶香のサはサディストのサ、田舎帰れ、悪徳不動産屋の飼い犬、等の女子高生が書きそうなレベルの低い落書きをして口紅を使い切った。さらに三葉の身体は冷蔵庫からペットボトルの水とアイスコーヒーを出すと、それを飲み干していく。
「プフッ…また漏らすよ…プフフ」
早耶香の口がクスクスと嗤い、三葉の口も意地悪く微笑むと、ウーロン茶まで飲み干してからベッドに戻った。
「「おやすみ」」
そして、ベッドで眠る。
ピピピ!
リンリンリン!
すぐに三葉と早耶香のスマフォが鳴り出した。早朝の始発で糸守町へ向かうつもりでセットしたアラーム音だった。
「うぅぅ……眠い…」
「きつい……夜更かししすぎた…」
「サヤチンのお仕置きが長すぎるからだよ。寝たい……う~……眠い」
二人とも睡眠不足でフラフラと起きるけれど、すぐにお互いの身体を見て動揺した。
「「っ?!」」
身に覚えのない落書きが全身にされている。
「ど…どうなってるの……サヤチン、これ私に書いた?!」
「し、知らないよ! いつの間に?!」
「サヤチン、背中にまであるよ! 私の背中は?!」
「書かれてるよ!」
「これ自分じゃ絶対に書けないよね?!」
「この筆跡って……私のに似てる……」
「そうだよ……サヤチンの身体に書いてある字は、私が書いたっぽい字……」
二人が睡眠不足の顔を青ざめさせて震える。
「「私たちの幽霊が……ひぃぃ…」」
怖くて抱き合って震えながら、三葉がおしっこを漏らした。
ショワァァァァ…
生温かさが抱き合っている早耶香の下半身にまで降りかかってくるけれど、早耶香も漏らしてしまう。
しょろ…
少量だったので本人しかわからない程度に漏らした。盛大に漏らした三葉がシミの拡がったベッドを見て嘆く。
「やだ……また弁償しないと……ぐすっ…」
「ラブホの場合、大丈夫だよ。汚すのは折り込み済みだから。それより、ここを早く出ようよ」
「うん、でも、この身体と顔は洗ってからでないと、外を歩けないよ」
「………そうだね…」
早耶香は恐ろしそうに室内を見回すと、ラブホテル独特の遮光性の高い戸板を開いて朝日を室内に入れる。やはり、薄暗いと怖いので最大限に照明もつけてから二人でバスルームに入った。
「私の口紅で書かれてるから、落ちにくい」
「やっぱり私たちの幽霊が書いたのかな………」
背中は自分で洗い落とせたか、わかりにくいのでお互いに洗い合っている。
「でも、落書きのレベルが………タチ悪い女子高生みたい……デブとか、婆とか、なんか腹立つわ」
「やめようよ、そういうこと言うの。また、霊に怒られるよ」
「ううっ……とにかく早く洗って四葉ちゃんに見てもらおう」
「うん……」
急いで身体を洗い終えた二人は身支度してラブホテルを出る。三葉は精算するときに覚えのない清涼飲料代まで計上されていたけれど、鞭やビール代に比べると安価だったので気にしなかった。二人で予定していた始発に駆け込むと、やっと安心する。少ないながらも他に乗客もいるし、もう明るい朝なので、あまりお化けが出るような気はしない。あとは終点まで乗るだけだった。二人並んで座り、身を寄せ合った。
「……眠いね」
「うん……寝ちゃいそう……サヤチン……手をつないでもいい?」
「……いいけど、……レズビアンだと思われないかな……まあ、でも、いいよ」
二人してラブホテルから出てきたところを誰かに見られたわけでもないけれど、郷里へ近づくと東京と違い、世間体が気になる。東京では隣室の住民さえ知らないけれど、町では全住民が顔見知りと言っていいので、一度噂されると大変だった。それだけに、すでに克彦と婚約していることは広まっているし、三葉とは幼少期からの親友だとも認識されているので、手をつないで電車に乗っているくらいなら平気だろうと判断して、まだ恐ろしさも残っていたので握り合った。三葉が反対の手でバックから新発売のエナジードリンクを出した。わずかな時間で駅の売店で購入したペットボトル2本のうち、片方を勧めてくる。
「朝ご飯の代わりに、これ飲む? うちの社の新製品なの」
「……ごめん、エナジー系は苦手なの」
「そっか。お茶も買えばよかったね、ごめん」
「いいよ、気にしないで」
早耶香が断ったので三葉は2本とも一人で飲み干した。それを見ていて早耶香が心配になる。
「…………」
この子、大丈夫かな、この電車2両編成のトイレ無しで私たちは終点の糸守まで乗るのに、また漏らしたりしないかな、と考えるものの、もう24歳の女性がすることなので余計なことは言わず、飲み干したドリンクの味を詳細にスマフォへ記録したりしているので黙って目を閉じた。
「喉越しはいいけど、フレッシュ感が足りないかな。店晒しの期間があったのかも。中部地方の営業所に注意喚起しておこう」
本社勤務らしい仕事熱心さでスマフォのスケジュール帳へ月曜からの予定を加えると、三葉も目を閉じて眠った。
大学3年生の三葉は6年も愛用している糸守高校の夏服に袖を通すと、今日こそはという想いを胸に、アパートの壁に貼ってある東京都の地図を見つめる。
「今日は、ここ。神宮高校に行く」
都内400校を超える高校を次々とローラー作戦で調べ上げている途中だった。
「急ごう。一人でも見逃したら、やり直しだから」
大学の講義を早めに終われる日は、すぐにアパートへ戻って制服に着替え、お目当ての高校へ駆けつけている。すべての男子高校生の顔をチェックするためなので女子校は除いているし、養護学校へ通っていたとも思えないので、それも除外している。それでも都内の全男子を調べるとなると、校門が一つの学校なら一日で済むけれど、複数の校門があると、その数だけ日数を要したりするし、駆けつけるのが遅くなって下校が始まっていると、やり直しになってしまう。
「神宮高校なら、この駅」
もう都内の路線は頭に入っているので調べなくても電車に乗れる。電車に乗ってから三葉は車窓を見つめた。
「……そろそろ女子高生ルック……無理あるかなぁ…」
車窓に映る自分の顔を見ている。今年で21歳になる。二十歳を超えてから、だんだんと顔が大人びてきいて、糸守高校の制服を着るのが苦しい気がする。都内ですれ違う現役女子高生にヒソヒソと何か言われたりもする。それでも三葉は諦めたくなかった。
「諦めない。絶対、会うんだ。絶対、見つけるから」
気合いを入れ直して電車を降りると、もう下校時刻が近いので神宮高校の校門まで走った。
「ハァっ…ハァっ…よかった。間に合った」
もう3年も高校生の下校を観察し続けているので、最初の下校集団なのか、判別がつくようになっていた。ちょうど、三葉が校門に着くと同時に昇降口から第一集団が出てきている。
「ぅぅっ……間に合ったけど……おしっこが…」
下校時刻へ間に合うように昼から急いで行動していたので、おしっこを我慢したままだった三葉は校門の着いた直後に、おもらしを始めた。
ジョワァァアァ…ビチャビチャ…
「うううっ…あああっ……出るぅぅ…」
両手で股間を押さえて我慢してみるものの、どうにも溢れて止まらない。ヨロヨロと歩き、校門の門柱から反対の門柱まで動いたので、これから下校する全生徒は三葉が濡らした上を歩くことになった。
「ぐすっ…ひっく……」
恥ずかしくて泣けてくるけれど、目は閉じない。第一集団にいる男子の顔を見逃すまいと、チェックしている。その集団にいた女子が三葉へ声をかけてきた。
「あなた、大丈夫? 学校が違うけど、保健室に行く?」
急いで走ってきた様子の三葉が校門で、おもらしをしたので親切に言ってくれたけれど、三葉は断る。
「ううん。探してる人がいるの。ありがとう」
そう言っている間も三葉は、その女子は一瞬見ただけで、あとは男子の顔を次々と追いかけている。その熱心な様子に、よほどの想い人なのだろうと、その女子も感じ取った。それだけに疑問にも思う。
「本当に、そのカッコのままでいいの?」
「ぐすっ……ありがとう……。時間がないの……もう時間が残されてないはず…」
「…………じゃ、私は行くね」
同じ女子として心配だったし、たとえ想い人に会えても、おしっこで濡れた姿で会ってしまうのは逆に悲しいのではないかと思うのに、三葉は時間の無さを優先していた。声をかけた女子は三葉を置いて帰宅していく。おしっこで三葉が引いた線を踏み越えて帰っていった。
「時間がない………今年で最後かもしれない」
なんとなく彼は現在、高校3年生でいる気がする。そうなると、あと数ヶ月で卒業してしまい、次は大学を調べ上げるべきか、高校への調査を継続するか、悩まなくてはならなくなるし、大学は都内とは限らない。何より高校なら、なんとなく、ここかもしれないというイメージが持てる。
「……ここかも、しれない……本当に……」
おぼろげな記憶しかないし、どこの高校に行っても感じたりもするけれど、この神宮高校は到着した瞬間から、ここかもしれないと強く感じていた。
「………負けない……諦めたりしない……」
三葉は何人かの生徒に笑われたけれど、それでも探し続けた。そのうちに涙も、おしっこで濡れた下半身や敷地も乾いていく。そして、下校開始直後の大勢が校門を出て行く時間帯が終わると、まばらになってくるので探すより待つことが主になる。部活や委員会活動、単なるおしゃべりで教室に残っている生徒たちが、ときどき帰ってくるのを見逃さないように待っている。
「………暑い………喉、渇いたなぁ……」
三葉は校門付近に誰もいないタイミングを狙って、すぐ近くにあった自動販売機でアイスコーヒーとミネラルウォーターを買って飲む。
「はぁぁ……美味しい。この会社に就職したいなぁ」
大学3年生になって就活も始まりつつある中で、第一志望にしている会社のドリンク類はすべてチェックしている。清涼飲料も、ビールも、ウイスキーも、よほど高価な物以外は飲んでいた。
「ウイスキーって、なんで寝かせると、あんなに美味しくなるのかな。20年を超えてくると、もう神業の領域だよ。一回でいいから30年熟成を飲んでみたいなぁ」
女子高生姿でウイスキーの味を思い出しながらアイスコーヒーを飲み干すと、ちびちびとミネラルウォーターを飲みながら、校門に立ち続ける。
「…………おしっこしたくなってきちゃった……どうしよう…」
当たり前だったけれど、また尿意を覚えている。そこへ、藤井司と高木真太が話ながら歩いてきた。
「あいつ、なんで昼前に早退したんだ?」
「バイト先がランチタイムのパートが急に3人も休むから緊急ヘルプで入ってほしいってさ。時給を倍で計算してくれるからって喜んで行ったぜ」
「受験前の、この時期にか……何が大切なのか、ちゃんと見極めないと、入った大学によって、次は就活できる会社のランクが決まるのに……たかが、バイトで大きなチャンスを逃さないと、いいけどな。ランチタイムなんて2時間もないだろ。倍計算でも2000円にもならないのに………ん?」
司が視線を感じて校門を見ると、三葉が見つめてきている。
「………」
「………」
「あの子、誰? 知り合い? めちゃ、こっち見てるよな」
真太に問われ、司は首を傾げる。
「さあ? ……でも、すごく切羽詰まった顔して……」
「お前に愛の告白でもあるのかもよ」
冗談を言いながら校門に近づくと、三葉が司の袖をつかんできた。
「………あなたの名前を教えてください」
「え? ………藤井司だけど……」
「ふじい………つかさ……。……違う……。ごめんなさい。人違いでした」
「「……………」」
司と真太が、どう反応していいか、わからず停止してると三葉は真太を見つめる。
「あなたの名前も教えてください」
「オレ? ………高木…真太だよ」
「……たかぎ……しんた……。……ぅぅ…」
三葉が右手で頭を抱え、左手で股間を押さえて苦しむ。
「君、大丈夫?」
「どこか痛いの? 保健室、行く?」
「…ぅぅ……想い出せそうで……漏らしそうで…」
「「は?」」
「ぁぁあっ……ダメ……出ちゃう……想い出せないのに…出ちゃう…」
三葉は悶えると、おもらしを始めた。
シャァァァァアァ…
三葉の股間から小さな滝が滴り落ちて、水たまりが足元にできる。
「「…………」」
「…ぅぅ……」
恥ずかしそうに、そして何かを求めるように三葉は司と真太を見つめている。
「…ぁぁ……おもらししちゃったぁぁ…」
三葉は恥ずかしさと排泄の快感で頬を染め、やや口を開けてヨダレも漏らしている。
「…ハァ…ハァ…」
「おい、もう行こう」
「え? でも、この子…」
「いいから、もう行くぞ」
司は袖を引いて真太を歩かせながら、小声で言う。
「都市伝説だと思ってたけど、実在したんだ。あの子だよ、校門おもらし逆ナン女」
「…は? 肛門おもらし逆な女、って何?」
「都内の高校で、ずっと目撃されてるんだよ。男を探しながら、おしっこ漏らしてる女が校門に出没するって。だから、校門おもらし逆ナン女って言うらしい」
「……すごい名前だな。妖怪か、土着の祟り神か、何にかみたいな……」
「よほどの執念があるんだろう。けど、目撃され始めたのが3年前で……そのときから一年生には見えないって話だから……今、見た感じ、二十歳を超えてなかったか?」
「あ~、そうかも」
「…………痛い女だな……探されてる男……かわいそうに」
「ロックオンされたら地獄までって感じだな」
司と真太が振り返ると、まだ三葉がこちらを見ていたので予備校へ向かう脚を早めた。三葉は二人の背中を見つめていたけれど、想い出すことはできずに、また校門での待機を再開する。
「……ここだと思うのに………ここにいないの? ……ねぇ、会いたい……会いたいよ」
普段の捜索活動より胸が切なくて痛い。けれども、想い人を見つけることはできず、日が暮れ、用務員が校門を閉めてしまった。
「ぐすっ……ここだと………ここだと……思うのに……」
もう校舎に電灯はついていない、完全に誰もいない様子だった。
「………おしっこ……駅まで我慢できそうにない……人前で、おもらしするより、ここで……」
また覚えていた尿意に負けて、おもらしを始めた三葉は再び校門の門柱から反対の門柱まで、ヨロヨロと歩いて、おしっこで線を引いた。
「……ぐすっ…」
それでも諦めきれず、無駄だとわかっていても、さらに30分ほど校門に立ち続けてから、脚が乾いた頃に電車へ乗ってアパートへ戻った。
「ああああっ!! どこなの?! どこにいるの?! 会いたい!! 会いたいよ!!」
もう習慣になっているので抱き上げた枕にキスをしながら股間を机の角に擦りつける。
「ああはああん! 会いたいぃいい! あああん!」
身悶えしながら泣いている。
「会いたいよ!! 君に会いたいよ!! 大好き! 大好きなの! ああ、会いたい!」
いつもより激しく腰を振って机の角と交わっていると、気持ちよくなってきて三葉は、おしっこをしながら身震いした。
「ああはぁぁぁあぁ……ハァ…ハァ…もう一回…」
もう一度、快感を得ようとして三葉は視線を感じた。玄関ドアを見ると、早耶香がいた。
「っ?!」
「……ごめん……鍵、開いてたから…」
そっと早耶香がドアを閉めていく。いつから、見られていたのか、ドアが開かれる音にも気づかないほど興奮していた三葉は恥ずかしさで泣いた。
「ぅぅうっ……見られた……見られた……ぅぅぅううっ…」
親友に自慰を見られて恥ずかしくて死にそうだった。なのに、早耶香が申し訳なさそうにドアを再び開いた。
「本当に、ごめん。どうしても、出さないといけないレポートを三葉ちゃんの部屋に忘れたから」
「……ぐすっ……勝手に持っていって!!」
三葉は枕に顔を埋めて、顔を隠して泣く。早耶香は謝りながら靴を脱いであがると、夕べ仕上げ段階に入っていたレポートを探す。早耶香の部屋は狭さのために机が置けず、三葉の机を借りたので、そこにあるはずだった。
「……濡れてる……紅茶? ………」
早耶香は紅茶だと思いたかったし、三葉も紅茶だと思ってほしかったけれど、机の上は三葉のおしっこで濡れていて、早耶香のレポートまで染み込んでいた。机の角は、いつも三葉が使う方だけ、かなり磨り減っていて塗装が剥げている。どうして、ぶつかる物もないのに、ここだけ減っているのか、不思議だった早耶香の疑問が解けたけれど、それより今はレポートが濡れているのが大問題だった。
「………ぐすっ……ぅううっ……何でもないから……紅茶だから……。それ、提出しないで、また印刷して」
「…………このレポート………手書きでないと受け取ってくれないの……教授が学生のコピペ対策に、全文手書きを課してるから」
「っ…ごめん……どうしよう?」
「……教授は……男性だけど、……干して、このまま出していい?」
「イヤ! やめて!!」
「……でも……手書きで今から明日の朝一に提出しないとアウトなの」
「いっしょに私も書くから! 半分、私が書くから!!」
「…………私の筆跡じゃないと、ダメなんだよ……単位がもらえない……。これ、紅茶だよね?」
「……………ぅぅ……紅茶だから……ぐすっ…」
諦めた三葉がうなだれると、早耶香が謝る。
「ごめんね、三葉ちゃん」
「もう出て行ってよ! 次から絶対ノックして!!」
「うん、ごめん、ごめんね」
早耶香は謝りながら出て行き、三葉は泣きながら寝た。
電車が終点の糸守駅に到着していた。睡眠不足だった早耶香と三葉は深く眠っていたけれど、停車の振動で眠りが浅くなる。
「ぅぅ…ぐすっ…出て行ってよ………ノックくらいしてよ……」
「ごめんね……三葉ちゃん……ごめん…もう、勝手に開けたりしないから…」
手をつないで眠っていた二人が同時に目を覚ました。
「……ぐすっ……また変な夢……」
「今……昔の……」
早耶香は気まずそうに握り合っていた手を離して三葉を見る。
「到着したみたい………また、オネショしたの?」
「……ぅううっ……」
三葉は座って寝たまま、オネショしていた。座席のシートを濡らし、足元には黄色い泉ができている。
「…ひっく……ぅううっ…」
「やっぱり、それも呪いなのかも……泣かないで。降りて拭いてあげるから」
「ぐすっ……いっぱい迷惑かけて、ごめん」
泣きながら降車した三葉は女子トイレで早耶香の介助も受けて濡らした衣服を拭いて目立たないようにすると、いつも持っている伊達眼鏡をかけ、花粉症でもないのに大きなマスクをつけた。
「もしかして、糸守で町の人に、顔を見られたくないの?」
「……うん…」
髪型も変えているので、三葉とはわからないくらいになった。
「そっか。………そうかもね……。とにかく、新宮水神社へ行こう」
「どこに建てたの?」
「あれだよ」
女子トイレを出た早耶香が隕石が落下した痕を指した。そこには隕石そのものを新たな御神体として大きな神社が建立され、神社というより神宮というほどの巨大な木造建築があった。落下痕全体を神域としているので、かなり広い。駅から続く道も、まっすぐに伸びていた。そして、駅前には訊かなくてもわかる父の俊樹そっくりの巨大な銅像が立っていた。
「……お父さん………こんなクラークみたいな銅像を立てられて……」
俊樹の銅像は避難を促すように右手を掲げ、目線を横へ流している。北海道にあるという歴史上の人物に似た銅像になっていた。
「……奇跡の町、糸守へようこそ……、サヤチン、めちゃくちゃ町が変わってるんだけど?」
「うん、来る度に、いろいろできてるよ」
「………あの変なマスコットも……お父さん?」
三葉が大きな看板に描かれている三頭身キャラを指した。顔の特徴がデフォルメされていても、父親なので、わかりたくないのに、わかる。
「そうだよ、あれがミラクル・トッシー」
「ぅぅ……恥ずかしい……」
「御本人も嫌がってるけど、けっこう人気で定着しちゃったらしいよ。サルボボとセット販売の人形もあるし」
「あっちの大きな会社……あれ、テッシーの家?」
三葉が以前から勅使河原建設の資材置き場になっていた場所に建っているビルを指した。その隣には大きな邸宅があり、高級車が並んでいる。
「そうそう。復興特需でね、かなり儲かったらしいよ」
「………ってことは、サヤチンは結婚したらセレブ?」
「フフフ、泥棒猫したらマジ殺すから」
「それは誓って、いたしません」
三葉が身震いして昨夜の絶望を思い出している。嘘だったとはいえ、生きる希望を完全に無くすまで精神的に叩きのめされた記憶は思い出すと、おしっこを漏らしそうなほどだった。
「さ、行こう。新宮水神社、ご祈祷の依頼が多いから四葉ちゃんも忙しいかもしれないし」
「…………参拝者、多いんだ?」
「みたいだよ」
二人はまっすぐに続く道を歩いて巨大な神社に入った。駅から続く広い道にも灯籠や鳥居が並び、もはや町全体が神域のような様相を呈している。神社に着くと、まだ早い時間帯なのに、すでに100人ほどの参拝者がいて、県外ナンバーのクルマも駐まっていた。三葉は伊達眼鏡とマスクで顔を覆ったままなので早耶香が気を利かせて総合受付へ行った。総合受付の建物だけでもコンビニほどの大きさで、巫女服を着た受付嬢が5人もいたし、早耶香は顔見知りに見つかった。
「あ、サヤちゃん! 久しぶりやん!」
「あれ? ここに就職したん? 名古屋に出んかった?」
早耶香が問うと、以前のクラスメートがタメ息混じりに答えてくれる。
「その名古屋の会社でパワハラに遭ってさ。再就職もいいとこなくて困ってたら、四葉様に拾っていただけたの」
「へぇぇ……。……」
「今日は、どうしたん? さっそく安産祈願でも?」
「さすがに、そこまでは。まず挙式って段階だよ。それに今日は私じゃなくて三葉ちゃんのことで四葉ちゃんに相談があるの」
「………。三葉って、あの? サヤちゃん、まだ、あの女と付き合いあるんだ?」
「え……うん、……まあ……」
「この町に戻ってくる気なら、あんまりあの女と関わらない方がいいよ。四葉様も、こころよく思っていらっしゃらない感じだから」
「……そうなんだ……姉妹関係、そこまで……。で、でもね! どうしても、四葉ちゃんに会って相談したいことがあるの! お願い!」
「急に言われても………、四葉様へのお目通りは予約制だし、謁を賜るには、かなりの段階があるから。そもそも四葉様はご学業とご公務に勤しんでいらっしゃる中、町を捨てた東京もんに、お会いになるとは……」
「それでも、実の姉が、とても困ったことになっているの。なんとか、お願いして」
「………わかったよ、とりあえず巫女総長に訊いてみる」
そう言って旧友は奥へ行き、早耶香は20分ほど待たされると、巫女総長から請求書を渡された。
「本殿での、ご拝観に格別のご高配にて、謁を賜れるそうです。謹んで拝謁するよう」
「……これは?」
早耶香が請求書について訊くと、巫女総長は冷たく答える。
「四葉様より、他の参拝者と同様に扱うよう下命されております。本殿拝観の定価です」
「…………そうですか……わかりました」
早耶香は2万円を立て替えて支払った。早耶香が外に出ると三葉は居心地悪そうに立って待っていた。
「サヤチン、どうだった?」
「うん………会うには会えるみたい………2万円も取られたけど」
「……ごめん」
三葉が自分の財布から2万円を出して早耶香に渡した。それから小銭を持って自動販売機の前に立った。
「サヤチン、お茶でいい?」
「……これから拝観だから、あんまり飲まない方がいいと思うよ。お茶くらい出るかもしれないし」
「けど、この自販機、うちの会社のだし……」
「愛社精神も、ほどほどにね」
話しているうちに大太鼓の音が響き、それが合図のような気がしたので早耶香と三葉は神殿にあがった。
「本殿拝観の方々は、こちらへお進みください」
巫女が3人、案内役として着いてくれる中、三葉と早耶香の他に8人が廊下を進み、神殿の奥へ入る。早耶香が建物の内装を見て驚く。
「よく、こんな立派な………まるで二条城みたい……克彦の会社で引き受けたのかな…」
長い廊下を歩き、奥の奥へと案内されると30畳ほどの広間に通された。
「こちらで平伏してお待ちください」
「サヤちゃん、ちょっと…」
巫女の一人が旧友だったので小声で話しかけてくる。
「さっきは見逃したけど、四葉様のこと、チャン付けとか、ありえないから。気をつけて」
「…は…はい……ありがとう」
「くれぐれも、ご無礼のないようにね」
「…はい…」
早耶香は他の参拝者たちが、すでに畳へ平伏しているので、それに倣った。三葉も伊達眼鏡とマスクはそのままに平伏する。
ドン! ドン!
太鼓の音が響き、広間の正面にある雛壇上へ数人の巫女に囲まれた宮水四葉が現れた。どの巫女よりも豪奢な巫女服を着ているけれど、早耶香たちは平伏しているので見ることができないし、広間と雛壇の間には御簾もあったので様子がわかりにくい。雛壇の奥には落下した隕石があるように思えた。巫女総長が宣言する。
「これより宮水四葉様に謁を賜ります。順に呼びますから、願意奏上なさい」
そう告げて、一人目の参拝者の名を呼ぶと、予約順で一番だった婦人が息子の大学合格祈願を申し出ている。その話を聴き終えた四葉は和紙へ自分の唾液を垂らすと、専用の御守り袋へ入れて巫女へ渡し、その巫女が婦人に手渡しながら告げる。
「第一志望への合格は難しいでしょう。第二志望の受験対策を主になさってください。とくに物理と化学を重点的に、とのお告げです」
「はい、ありがとうございます」
婦人は押し頂いた御守りを手にすると、平伏したままさがっていき、広間を退出した。退出のさいに財布から数万円を支払った気配があったけれど、いくらだったのか、早耶香たちにはわからない。
「次の者」
二人目の参拝者は商売繁盛だったし、三人目は病気平癒だった。おおよそ、神社で普通に人々が願うようなことが繰り返されたけれど、早耶香たちの直前にいた男性は違った。
「開運の握り飯をいただきたく申し上げます」
男性は立派なスーツを着ていて、どこかの社長に見えた。そして巫女たちが奥から米櫃を持ってくると、四葉の傍らへ置く。その間に別の巫女が男性の前に三宝を置いた。本来、お供え物を置く木製の三宝へ、男性はスーツケースから札束を出して積んでいく。不動産会社に勤めている早耶香は気配で、それが3000万円ほどだと感じた。
「あなたに幸と加護のあらんことを」
四葉が米櫃から、御多賀杓子で白米を自分の手へ盛ると、それを一口分だけ指で摘み、口に入れて唾液とよく混ぜながら噛みしめ、ゆっくりと吐き出して手の上にある白米にかけた。まるで、おにぎりの具のように咀嚼物を握り混んで握り飯を作った四葉は立ち上がって雛壇をおりてくると、男性の前に立った。
「頭を上げなさい」
「はい」
「これを、あなたに授けます。運気多からんことを」
「ありがたき幸せにございます」
男性は四葉の手から握り飯を受け取ると、大切そうに噛みしめ、食べ終えると平伏して退出していった。その間に、四葉は雛壇へ戻っていて、早耶香と三葉に視線を送ることはなかった。もう広間には参拝者は早耶香と三葉しか残っていない。
「次の者、名取早耶香」
「は、はい。…ぉ、御祓いを願いたく参りました!」
今までの流れに倣って早耶香は平伏したまま奏上した。三葉も平伏したまま黙っている。早耶香は助けてほしい一心で言い募る。
「私たちに悪い霊が取り憑いているみたいなんです。どうか、助けてください!」
「かなり低俗な霊に取り憑かれているようですね。早耶香さん」
早耶香のことを覚えていてくれたのか、四葉は親しげな声をかけてくれた。それで緊張していた早耶香の気持ちが安らぐ。四葉が現れたときから、その存在感が圧倒的で気圧されていたけれど、親しげに語りかけてもらえると、足元に這い蹲って忠誠を誓いたくなるようなカリスマ性を感じた。
「四葉様、どうか、お願いです! 私と三葉ちゃんを助けてください!!」
「わかりました。これを彼女たちに」
そう言った四葉は何かを傍らにいた巫女へ告げ、聞き取った巫女は紙にボールペンで何かを書き始め、すぐに三宝へのせた請求書を早耶香の前に置いた。
「………50万円? ………5000万円?!」
桁を読み直して早耶香は叫んでいた。何度読み直してもゼロの数は5000万円だった。
「……そんな……こんなの……無理に決まって……」
つぶやきながら早耶香は隣で平伏したままの三葉を見る。
「………………」
三葉は黙って平伏したままで伊達眼鏡とマスクのおかげで表情がわかりにくいけれど、ほぼ無表情のようだった。早耶香が予想していたよりも姉妹関係は最悪の様子で、せめて少しでも修復できないかと言い募る。
「四葉様、いくら何でもあんまりです。本当に三葉ちゃんは毎晩のように悪霊に襲われて、もう精神的に限界なんです。どうか、ご慈悲を!」
「…………」
四葉が傍らにいる巫女に何かを指示している。すぐに隣の間から和装の男性が何人も出てきて、早耶香と三葉を追い出すために左右から取り押さえてきた。三葉は諦めた様子で素直に出て行こうとするけれど、早耶香は叫んだ。
「待ってください! お願い!! どんなに仲が悪くなったとしても実の姉妹でしょ?! 困ったときに助け合うのが家族じゃないんですかっ?!」
「…っ……クっ…クスクス…」
御簾の向こうにいる四葉が耐えきれないといった様子で肩を震わせて笑っている。そして、右手をあげて何か指示すると、その場にいた使用人たちは静かに退出して、三人だけになった。
「可笑しいことを言ってくれますね、早耶香さん」
四葉が御簾から出てきて、早耶香の前までおりてきた。今年で17歳になる四葉は輝くほどに美しくて凛とした空気を漂わせている。ただ本来優しくて聡明そうな人柄を感じさせるのに、三葉のことだけは許せないといった気配があって、姉のことは平伏したままでいるのを一瞥しただけだった。
「困ったときに助け合うのが家族ですか。本当に笑わせてくれますね」
「………何があったのかは、知らないけど……本当にお姉さんが困ってるんだよ? どうか、助けてあげて。その力が四葉様にはあるんだよね?」
「ええ、ありますよ」
「なら、助けてあげてよ!」
「ですから、お代金は5000万円です」
「そんなに、ふっかけないで! 無理に決まってるでしょ?!」
「借りてきなさい」
「ただのOLに、そんなお金を貸してくれるところないよ!」
「糸守信用金庫に命じて貸させましょう。年利3%の複利計算、連帯保証人は、それだけ言うんですから、名取早耶香さんも名を連ねてくれますよね。あと、立花瀧さんにも頼みなさい」
「っ、四葉……知って…」
平伏していた三葉が驚いて顔をあげるけれど、妹に睨まれて、また平伏した。
「三葉ちゃん………、……年利3%で……複利計算……5000万……」
不動産会社で働いている早耶香が脳内で計算してみた。三葉が勤めている会社は、かなり給料がいい。平均で40歳にもなれば840万円ほどの年収になるはずだった。
「……それでも……一生、三葉ちゃんを借金で縛る気……」
たとえ、順調に勤務していても5000万円となると返済に一生かかる。結婚して夫の働き口がよくても、やはり可処分所得の大半をもっていかれる計算になり、マイホームや子育て、旅行、あらゆることを諦めなければならなくなるし、自己破産しようにも連帯保証人へ瀧と早耶香まで組み込む気でいるので難しい。さらに結婚前に、そんな借金がある女となると入籍自体が難しいし、結婚生活の維持も不可能に近い。おそらくは数年で離婚されて人生を悲観した挙げ句に自殺するかもしれない。神秘的な力をもっている様子なのに、やたらと現実的な力で姉を苦しめるつもりなのか、悪霊からは解放しても、今度は借金で苦しむことが明らかな金額だった。
「……そこまでしないと気が済まないの……いったい、姉妹に何があったの?」
「別に、何もありませんよ。5000万円というのは正当な価格です。むしろ、安いくらい」
「ぜんぜん安くないよ! 三葉ちゃんは普通のOLなんだよ?! さっきみたいに何千万もポンポン貢いでくれる人なんていないから!」
「安いですよ。姉さんに憑いている霊の数は、ざっと500余柱、一柱あたり10万円です」
「……500も憑いて………」
「ええ。あの彗星落下で犠牲になった人の数だけ、憑いています」
「何言ってるの?! あの落下で犠牲者なんて出なかったのに!」
「出た世界もあるのです」
「………三葉ちゃんと同じようなことを……」
「知りたければ教えてあげますが、それも、お代金の後です」
「ぅっ…、………それでも、いくら何でも………姉妹なのに……二人に何もなかったなら、こんなに困ってるんだから、助けてあげてよ。お願い。どうして、そんな他人行儀に取り立てるの?」
「困ったときは助け合う、ということですね?」
「そう、そうだよ!」
「ちゃんちゃら可笑しいですね。フフ」
「…………何が、そんなに……」
「思い出してみてください。とくに、あの彗星落下の年に高校2年生だった世代で、大学受験を選んだ生徒たちは町の人たちの復興の苦労を、ほとんど知らない」
「ぁ……」
言われて早耶香も思い出した。彗星落下のあった2013年に高校3年生だった世代の大学受験は惨憺たる有様だった。多くの家が倒壊し、体育館や校舎に住まねばならず、仮設住宅ができても抽選や順番待ちで、劣悪な環境での学習を強いられ、ほとんどの生徒が思うような進学はできなかった。そのことに懲りた町民と教育委員会は早耶香たちの世代を特別に大切にした。進学を選ぶ生徒に環境の整った学習室を与え、勉強さえしていれば、あとは気にしなくていい、と大学受験を第一に取り扱ってくれた。もともと山奥で産業の乏しい地域では勉学を重視する傾向にある。とくに北陸や東北では立身出世のためには、まず国立大学それも旧帝大という志向があり、住民は受験生を宝物兼腫れ物のように扱う。
「……あのとき、私たちは……勉強ばかりしていて……。でも、それが、そんなに悪いこと?」
「別に。立派なことだと思いますよ。きちんと志望校に合格されていますし。とくに東京組は高学歴ですね」
東京の大学を目指した三葉、早耶香、克彦などのメンバーは、わざわざ近隣の名古屋ではなく東京まで出るのだから、それなりの大学でなければ認められにくく、三人とも努力して受験を成功させている。勅使河原家にとっても名取家にとっても誇りになっていた。
「私たちなりに努力はしたよ……町の復興には関われなかったけど……」
「そうですね。きっと、勅使河原さんや早耶香さんは、あと数年で町へ戻ってきて、東京での経験を活かして、さらなる町の発展に寄与してくださいますよ。そこの帰ってくる気のない姉さんと違って」
「「…………」」
受験生を大切にする田舎の住民の望みとして、都市部で学歴と資格を取り、経験を蓄積して田舎へ戻ってきてほしい、というのが本音だったし、そのために大切にしていた。逆に都市部へ出て、そのまま帰ってこない者のことは恩知らずとさえ感じていたりする実情があった。故郷へ戻らずに評価されるのは、よほどの有名人になって出身地がテレビで紹介される機会をつくるほどでなければ難しかった。今の四葉は、まるで町民の総意を語るかのように穏やかなのに冷たく言っている。早耶香は四葉が小学5年の頃から、東京へ出た三葉の代わりに巫女を務め、神社の再建に尽力し、父俊樹と町の復興に尽くしてきたことを実感して頭の下がる思いだった。自分たちが受験に成功して東京での大学生活を楽しんでいる間も、この町では苦労していたのだろうと今になって感じた。
「……そんなに大変だったのですか、この町の復興は?」
「ええ」
「…………でも、犠牲者もなく……奇跡の……町として有名に…」
「犠牲者が出なかったことで、国は彗星落下を激甚災害に指定せず、当初にさかれた予算は自衛隊の派遣を除いては土砂災害扱いでしたから父の苦労は大変なものでした」
「「…………」」
「くわえて民間保険会社も住宅損壊などについて、約款に隕石が約定されていないことから、ごく一部の良心的対応をされた東京海上日動火災、損保ジャパン日本興亜を除いて、みな自宅の再建にさえ苦労しています。とくに代理店のないインターネット販売の保険商品への対応は最悪を極めました」
「「…………………」」
早耶香と三葉は、お金に不自由したことはない。三葉の大学進学についても父が用意してくれている。けれど、町民全体で見ると、豊かとは言えない町だった。その町が保険もおりず、国の予算配分でも苦労したと知らなかった自分たちを恥じた。それだけに、四葉が金銭にこだわるようになったのは理解できなくもない。やや人件費過剰ではないかと思われる新宮水神社の雇用体勢も、それが復興対策なのだとわかるし、その維持には収入が不可欠だった。
「……言いたいことは……わかります……私たちの至らないところも………けど、今、ものすごく三葉ちゃんは苦しんでるの。夜も一人で寝られないくらい。それを、わかってあげてください。そんなに、お姉さんのことが憎いですか?」
「別に。何とも思っていません。姉さんは行きたいところへ行き、したいことをした。それだけのことですから、憎む理由も必要もありませんから」
「だったら…」
「姉さんに期待しないし、何も望みません。だから、私にも期待しないでください。なにか、頼みがあるのなら、相応の対価を。それが人と人の、ごく普通の関係でしょう」
「……それは他人の…」
「ええ」
「……………」
もう他人だと言い切る四葉へ、早耶香は言葉を無くした。三葉も黙ってる。ずっと、考えないようにしていただけで、どれだけ四葉が苦労しているかは明らかなことだった。本来なら姉として高校卒業後は神社の再建に関わり、町を出ず復興に尽力すべき立場だったけれど、それを放り出して東京にいる。しかも、盆正月にも帰省せず都内を捜索活動で巡っていたので、妹の前に顔を出したのは高校の卒業式翌日以来だった。
「どうするんですか、姉さん。5000万円で引き受けますよ」
「「……………」」
三葉にしても悪霊の次に悪夢のような借金地獄に堕ちるし、早耶香にしても友人のために連帯保証人になるということが、どれだけ危険なことか知っている。近いうちに結婚する勅使河原家の財産をあてにすれば不可能ではないけれど、そもそも結婚前に連帯保証人などになってしまっては、結婚の話自体が消失しかねない、友人のために、どこまで自分を犠牲にできるか、高校生の頃なら信じ合って何でもできたけれど、もう社会人なので慎重に自分の生活を守らざるをえない。
「………ぐすっ…」
どうにもならない、と三葉は頭が混乱して悲しくなってきた。
チョロチョロ…
泣きかけた三葉は平伏したまま、おしっこを漏らしてしまい、お尻と畳を濡らした。
「その畳は本藺草の高級品ですから、一畳15万円です。ちゃんと弁償してくださいよ」
どこまでも冷たい妹の言葉で、三葉は両目からボロボロと涙を零した。
「ひっ…ひぐっ…うぐっ…うぇえええん! ごめんなさいごめんなさい四葉ぁあっ! 私が悪かったのぉ! ゆるして! ごめんなさいぃいい! ひええええん!」
大声で泣いたのでマスクが外れ、涙で伊達眼鏡が濡れて前が見えない。
「また泣いて誤魔化す」
「うえぇえぇえええん! びええええええ! ごめえええん! 四葉ごめえええん! 何もかも押しつけて! ごめねぇええん! 放り出してごめめめん!! 東京いきたかったのぉぉ! あの人に会いたかったのぉお! だから…だから……ごめええええん!!」
「はぁぁぁ…」
姉の言動によってタメ息をつくのは久しぶりだった。そして、譲歩してくれる。
「完全な浄霊でなく、とりあえず状態をマシにする程度のことなら200万円で引き受けてあげましょう」
「ひっく…ぐすっ…今、もう180万円くらいしか残ってないの…ひぐっ…」
「割引はいたしません」
「ぅぅ…うぐぅ…ひっぐ…来月の給料日まで…」
「三葉ちゃん、足りない分は貸してあげるよ」
「サヤチン……、でも…」
「結婚式までには返してよ」
「…うん! ありがとう! ありがとう、サヤチン!」
礼を言う三葉を抱きしめた早耶香は四葉を見て言う。
「必ず払いますから、お願いします」
「わかりました。では、まず二人に霊を見えるようにします」
そう言った四葉は人指し指と中指を口に含むと、唾液のついた指先を早耶香の両瞼へ触れさせてくる。
「動かないでください」
「はい……」
「姉さんも。………1200年の末代とはいえ、ここまで霊力を失っているなんて……ほら、これで見えるはず」
また四葉は同じように指2本に唾液をつけてから姉の瞼を撫でた。
「「っ?!」」
三葉と早耶香は広間全体にいる霊の姿を見て驚愕した。
「「ひっ?!」」
どれもこれも無惨な死体の姿で、隕石の落下で死んだのだと思われる。老若男女、すべて顔見知りの町民たちだったけれど、その姿は7年前のものだった。
ジョワァァ…
早耶香がおしっこを漏らした。
「早耶香さんまで漏らさなくても………おもらしの化身、宮水三葉ならともかく」
「ひっ…ひぃい……」
早耶香は腰を抜かして座り込み、三葉と抱き合った。こんなに多くの霊たちが、ずっと自分たちのそばにいたのかと思うと、おしっこを漏らしたことなど気がつかずに震え上がっている。三葉も何度も見ていたとはいえ、やはり怖い。とくに、目前には自分の姿をした霊がいて、今も睨んでくる。
(…許さない……自分だけ幸せになろうなんて……呪ってやる……)
「我が姉ながら、このバカさ加減……はぁぁ…」
四葉が呆れ気味に三葉の姿をした霊の頭部にチョップを入れた。
(へぎゅ?!)
(み、三葉ちゃん、大丈夫?! 私たちに触れられるなんて?! どうなってるの?!)
早耶香の姿をした下半身がない霊が上半身だけで動き、頭を押さえてうずくまっている三葉の霊を心配している。四葉は広間にいる500余の霊へ朗々たる声で告げる。
「皆様のお姿を、かの日の前に!」
二度、柏手を打つと一瞬、強い光りが広間を覆い、そして無惨な死体の姿をしていた霊たちが日常的な姿になっていた。
(あ、三葉ちゃん、戻ってるよ!)
(ホントだ!! サヤチンも!)
(私の下半身! ちゃんとある!)
三葉と早耶香の霊は糸守高校の夏服を着た姿で喜び、抱き合っている。小学4年生の姿をした四葉の霊が不思議そうに17歳の四葉へ歩み寄った。
(やっぱり、あなたは私なの?)
「ええ、そうですよ」
(これから、どうなるの?)
「くだらない悪戯はやめて、私と一つになりましょう」
(なるほど………そうだね)
もともと本人同士なので、すぐに納得して17歳の四葉が過去の自分を抱きしめると、そのまま消えた。一人になった17歳の四葉が自分の手を見て、つぶやく。
「………この世界……二本目の糸ではなかった……250億回以上………38万人も試して……」
目を閉じて何かを感じている四葉が目を開けると、三葉を見てタメ息をついた。
「はぁぁ……姉さん…………あなたって人は」
「ぇ?」
「つくづくバカなんですね」
「…ぅぅ…」
心の底からバカにされた気がして三葉は小さく呻いた。四葉は500余の霊たちに頭を下げて告げる。
「皆様方、うちの姉が迷惑をおかけして申し訳ありません。どうぞ、ご自身のもとへお還りください」
その言葉を聞いて広間いっぱいにいた霊たちが、三葉と早耶香の霊を残して消えた。三葉の霊が困惑気味に四葉へ問う。
(えっと、私とサヤチンは、どうなるの? 四葉。四葉って、大きくなると、お母さんに似てくるね)
三葉の霊も17歳の姿なので、今の四葉と並ぶと、そっくりだった。
「あなたは引き続き、自分を呪ってください」
「ええっ?!?!」
三葉が驚き叫んだ。
(ヤッタ♪ 呪ってやる)
三葉霊が喜んでいる。早耶香霊が四葉に問う。
(私はどうなるんですか?)
「どうぞ、ご自由に」
(自由って……私、死んじゃうの?)
「いえ、ご自身と融合されるか、このままバカな友人に付き合って、バカな悪戯を続けるか、どちらでも、ご自由に。最終的には、そのうち融合します」
「(自分と……融合……)」
早耶香と早耶香霊が見つめ合い、また四葉に問う。
「(自分と融合すると、どうなるんですか?)」
「たいして何も変わりません」
「(そりゃそうか……。どうする? 私)」
自問自答していると、三葉霊が淋しそうに呼んでくる。
(サヤチン………融合しちゃうの?)
(そんな顔されると、置いていけないかな。もうちょっと、この婆になった三葉をイジメよっか?)
(うん!)
まだ取り憑くと決めた三葉霊と早耶香霊が三葉の背後に憑いた。三葉が不安そうに四葉へ問う。
「ぅううっ……四葉、私は、どうなるの? 除霊してくれたんじゃないの?」
「完全な浄霊ではないと最初に言いましたよ。自分の霊への償いくらい、自分でしてください。それが差額4800万円分です」
「うぅぅ……償いって……何するの?」
「気が済むまで自分にイジメられるだけです」
「そんなァ?! 何それ?! なんで、私が私をイジメの?! ねぇ?!」
三葉が背後の三葉霊に問うと、単純な答えが返ってきた。
(だってムカつくし)
(そうそう)
「なんでよ?! 私なんでしょ?!」
(そうだよ。同じ私なのに、なんで、あんただけ美味しい思いして生き延びてんのよ? 私たち隕石で死んじゃったんだよ)
「だから、もう融合して終わりにしようよ!」
(そんな簡単に、この損な役回りだった私の気分が晴れますかっての! 考えてみなさいよ、同じ自分なんだよ? なのに、なんで私が死ぬ方で、あんたが生きる方なの?)
「そんなこと言われても………」
(ってことで呪うから)
「呪うって、何する気なの?」
(とりあえず、あの立花の前で、おしっこでも漏らせば? あと身体を操って、いろいろ恥ずかしいことさせてやる)
「イヤっ!! 絶対、イヤ!! それだけはやめて!!」
((きゃっはは! 楽しみぃ!))
笑っている霊たちを見て四葉はタメ息をついた。
「はぁぁ……なんて低俗霊……」
「四葉、お願い! 助けて!!」
「4800万円になります」
「あううう!」
(きゃははは! 立花の前で何させよっか、サヤチン)
(いつもみたいに机の角と遊んでるの披露させるのは? ミツ婆ちゃんのオナニーショーさせよ、おしっこ臭いの)
(いいね、それ)
「お願い、やめて! 私なんでしょ?! 瀧くんに見放されちゃうようなことやめて! やっと巡り会えた運命の人なんだよ?!」
(え? 立花、私には関係ないし)
「なんで?! 助けてくれたのに!!」
(だから、私、あいつに助けられてないよ。だから死んだんだよ)
「そんな………、瀧くんのこと好きって気持ちはないの?!」
(ないよ)
「……私なのに……」
混乱している三葉を心配していた早耶香が、ずっと疑問だったことを四葉へ問う。
「さきほど教えていただけるという話でしたが、隕石で犠牲者が出た世界、出ていない世界というのは、どういう話なのですか?」
「説明する約束でしたね。それを理解してもらうには、まず宮水の巫女という存在についてから語ります」
四葉は、まだ騒いでいる三葉霊と三葉を一睨みして静かにさせてから語る。
「私たち、宮水の巫女は、時間を跳躍して他の人間と意識を入れ替わったり、予知や予知夢、予感に優れた者もいます。姉さんも、わずかですが予知夢などは見ていたようですね。どうでもいい酒税法についての夢だったようですが」
「酒税法? 私、そんな夢を見たの?」
「姉さんが高校2年生の頃、私が口噛み酒を商品化すればいいと提案したのに対して、酒税法違反と言ったことを忘れたのですか?」
「そんな昔のこと覚えてないよ」
「………姉さんは大事なことを忘れやすい人ですね。本当に」
「ぅぅ……またバカにした」
「あまりものを知らない姉さんが、まして当時は高校2年生だったのに酒税法なんて言葉を知っているのは不自然でしょう。これは予知夢を見ていたのですよ。口噛み酒を商品化すると、酒税法違反で逮捕される、という。それゆえ、私は、さきほど握り飯にして販売していたのです」
「「………」」
三葉と早耶香が一つ3000万円のオニギリを思い出した。
「入れ替わり現象、予知、こういった力は宮水の巫女の存在を実は表面的にしか表していません。もっと根源的な力があります」
四葉は三葉の顔を見つめた。
「姉さんに語っておいても………無駄かもしれませんが、一応は知っておいてください」
「……ぅぅ……はい…」
「姉さんは、この地に3度も隕石が落ちているのは不自然だと思いませんか?」
「え? 一回だけじゃないの?」
「…………。それさえ、考えないのですね………糸守にある湖、そして、子供の頃には口噛み酒を奉納していた御石様のある場所、どちらも地形を見れば、すぐに隕石落下があったとわかるでしょうに………」
「……………地形とか、興味ないし」
「はぁぁ……、ともかく3度も1200年周期で、地球上のほぼ同じ場所に落ちているのです。まるで奇跡のような確率で」
「「((…………))」」
言われてみると、ありえない確率だと四人とも思った。
「このことが宮水の巫女の存在と、最大の力に深く関係するのです。宮水の巫女は、この隕石によって力を得ている、という事象と、力があるから隕石を引き寄せている、という事象を時系列を無視して両立させること、そのものが力なのです」
「「((……え?))」」
「宇宙から飛来し、彗星から分轄された隕石が同じ場所に落ちるようになることなど、よほどのことです。その隕石によって力を得ているのに、その隕石を引き寄せることができるという論理的撞着をそのままに存在することができることそのものが、私たちの力です」
「「((…………))」」
あまり理解されていないけれど四葉は続ける。
「一番、身近な例で言えば、姉さんと入れ替わっていた立花瀧さんが、隕石の落下で犠牲者が出ることを知り、助けようと行動し、助けてしまう。そうなると理屈上は、その行動の動機そのものが生じないことになるはずなのに、そうならず、論理的撞着をそのままに存在することができてしまうのです」
(でも、私は死んだよ)
「はい。そうなのです、その世界もまた存在するのです。そもそも世界として一般の人間が認識している世界は世界の総体の一部、わずか一本の糸にすぎません。世界の総体は、星の数ほどの糸が紐のように組み合わさって紡がれているのです。そして、宮水の巫女は、それを紡ぐことも飛び越えるもできます。世界の糸の声を聞き、よりよい世界を織り上げる織姫でもあるのです」
「私が瀧くんに会えたのは?」
「姉さんにとっては、それが人生の最大関心事なのですね……」
「そうだよ! それが、私のすべて!」
「表面的な論理上としては、助けてもらった宮水三葉と、助けた立花瀧さんは出会うことがないはず、別々の世界に存在していたはずなのですが、世界が糸によって構成される複層的な多世界であるために、その境を超えてしまうこともできうるのです。とくに、立花瀧さんは口噛み酒を飲んでおられましたから、その可能性はより高くなります」
「やっぱり運命の人だったんだ」
「………。まあ、そうです。あとで語りますが250億回以上の試行、38万3838人目にして出会った姉さんにとっての運命の人です」
「よし!」
(ちっ…)
三葉霊が舌打ちしたのは無視されて、四葉が語り続ける。
「姉さんが、おもらしの化身なのは、なぜか、わかりますか?」
「…………。そんなものの化身じゃないもん!!」
「ミツハという名は、古事記にもある神の名、ミヅハノメカミに由来しますし同時に、姉さんがミツハという名になったから1300年前、古事記へ似た名の神が登場したとも言えます。隕石の話と同じく、原因と結果をごっちゃにして完結することができる。その完結力そのものが、私たちの力なのです。そして、ミズハノメカミはイザナミが火之神カグツチを産んだときに陰部を火傷し苦しんで漏らした尿から産まれます」
「ぅぅ……その話は知ってはいるけど…」
「おもらしから産まれた姉さんが、おもらしの化身なのは自明の理です」
「……私はお母さんから産まれたんだもん」
「それゆえ、姉さんの、おしっこには強い力がある。もともと、水と親和性の高い宮水の巫女は、その唾液や涙、汗、おしっこなど身体から出た液体に力を宿せます。姉さんも私も2013年の時点では、もう1200年前に得た力が尽きようとしている末代の巫女で、多くの場合で宮水の巫女は一人娘だったのですが、力足らずを予知した母は寿命を縮めてまで、私を産んでくれています。それだけ弱い力しか無かった姉さんでも、おしっこの力は強力だった。よかったですね」
「ぜんぜん嬉しくないよ!」
「本当に姉さんにとっては、よかったのですよ。姉さん、東京都内の女子校と養護学校を除いたすべての高校の前で、おもらしして回ったでしょう?」
「………、……探して回っただけだもん……」
「通っていた大学や、その周り、今でも出勤前と夕方、土日、基本的に小はトイレへ入らず漏らすようにしているでしょう」
「…………」
三葉が目をそらして黙り込んだ。
「おかげで都内全域に陣を敷くことになったのです。助かった姉さんが会うはずのない立花瀧さんへ会おうとすることを、歴代宮水の巫女たちの祖霊は止めたかったのです。だから電子的な記録や、頭の記憶を消せるだけ消した。二人が会えば、世界の境が一部で曖昧になり、黄泉から死霊まで溢れますから。けれど、姉さんは、そんなことおかまいなしに、おしっこを撒いてまわり超大な陣を敷いた。おかげで、とうとう会うはずの無い立花瀧さんを捉えた。さらに、糸守町を離れて、より巫女の力が弱まったはずの姉さんですが、おしっこの力だけは本当に強力だった。それゆえ、黄泉からの死霊がおよぼす災いさえ、わずかに抑えることができているのです」
「……私のおしっこに……そんな力が……」
「抑え足りない分も、過去形成夢を見て、おもらしを書き加えることで、いずれ完全な浄霊ができるでしょう」
「過去形成夢?」
「最近、おもらしする夢を見ませんか?」
「……ぅぅ……見るよ」
「あの夢を見ると、姉さんの過去が書き換わるのです」
「……それって、おかしくない? さっきから言ってる隕石で助かる、助からないと同じでタイムパラドックスが起きない?」
「タイムパラドックスという言葉を知っていたのですね。知らないのだと思ってました。それはですね、犠牲者が500余名も出るような災害の有無は、歴史の糸へ大きな影響を及ぼしますが、一人の女子がおもらししたか、しなかったか程度のことは歴史に何の影響もありませんから、書き加わっても問題ないのです」
「ぅぅ……それなら無い方がいいよ」
「おしっこで陣を敷いたから立花瀧と会うことができ、さらに死霊の災いまで軽度で済んだのです。自分で撒いた種を自分でなんとかしている状態なのですよ。なるべく単なる放尿ではなく、魂から血の出るほど恥ずかしいおもらしをする方が効果的です。姉さんが、この町に帰ってこないのも、帰ってきても伊達眼鏡とマスクで顔を隠したくなるのも、中学や高校で、さんざんにおもらししたからです。私の入学式から自分の卒業式まで、人が集まるときは、だいたい漏らしていたことになっていきます」
四葉の言葉を聞いて、早耶香が質問する。
「もしかして、三葉ちゃんが学歴と外見のわりに、1社しか内定を取れなかったのも、それのせい?」
「そうです。合格して入社した1社以外は面接中に、すべて漏らしましたよね? 姉さん」
「そ……そんなことは………あ、あれ? あったのかな? ……こんな記憶…」
三葉は身に覚えのない記憶があるような気がしてきて身震いする。四葉に指摘されると、なんだか、そんなことをしてしまった風に思えてくる。早耶香が優しく背中を撫でてくれた。
「そういう事情だったんだね。三葉ちゃん、よく頑張ったね」
「ぐすっ………ぅ~……せめて、涙とか、汗………まだ唾液の方がマシだった……おしっこなんて…カッコ悪い……」
「カッコ悪いのは、姉さんの宮水の巫女としての振る舞いです。姉さん、半年も入れ替わっていたのに一度として、そこが3年先の世界であることに気づかなかったでしょう?」
「………」
「普通は気づきますよ。そして、なんとなくでもいいから糸守町のことを立花瀧さんのスマフォで検索すれば、すぐに彗星落下のニュースを知ったでしょう。姉さんが知れば、それは犠牲者が生じたニュースではなく、犠牲者が奇跡的にいなかったニュースを知り、そして姉さんがお父さんに十分な時間をもって話せば、すべてスムーズに解決したのです。そのためにお母さんはお父さんへ町長になるよう遺言していたのですから。もっとも、この遺言を実行するために、すでに宮水の巫女としては力も記憶も失っていた祖母一葉と不仲になってしまったのは残念の極みですが、私たちとて全知全能ではないことの証左でしょう。とはいえ、万能でないにしても、姉さんは無能すぎます。宮水の巫女としての力はそれなりにあったのに、人としての注意力が無さすぎ、姉さんは東京で男子として生活することを楽しんでいるばかりで一度として、日付や糸守町のことを気にしなかった。つくづく………すごい、ですよ」
「今、バカって言おうとした」
「一番バカなところは、入れ替わりの力は予感や予知夢では知りきれない災いを知ることなのに、たまたまお母さんとお父さんが、それをきっかけに結ばれたからといって、自分もそうなるんだと無意識に勘違いして、入れ替わりの力を婿探しや彼氏づくりに使ったところです」
「うぐっ……運命の人に会うための力なんだよ」
「違います。未来を知り災いをさけるものです。しかも自力救済するはずのものなのに、姉さんは入れ替わった相手に助けてもらうというストーリーを無意識に求め、自分では死ぬまで何もしないこともある。そして、好みの相手と入れ替わるために、姉さんが入れ替わった相手の数は38万3838人です」
「……そんなに……別の世界が……あったんだ……」
「ええ、そして、うまくいかないので、それらも再試行して250億回以上、あの彗星落下前の半年を繰り返しています」
「それで、とうとう瀧くんに会えた?」
「ええ、立花瀧さんとは、お似合いですよ」
「ホントに?!」
「ええ、彼もまた、すごい人です」
「でしょ、でしょ」
「本当に、姉さんとお似合いの人です。他の38万3837人の方は、入れ替わりが起きた初日に過去の世界であることに気づいた人が8522人、一週間以内に気づいた人が32万1132人、一ヶ月以内に気づいた人が38万2562人です」
「千人くらいは……すぐに気づかなかったんだ……」
「その千人のうち、知能指数85以下の人が912人います。あとは普通学級に通っていたダウン症や知的障害など事情がある人たちです」
「ぅぅ…」
「ちなみに、38万人うち95%以上が姉さんから見て三歳年下の男子でしたから、これは姉さんの好みだったのでしょうね。そして、この数は2016年度に高校2年生だった男子の大半にあたります。本当に壮大な彼氏探しですね。数%は女子と入れ替わったこともありますが、これは着陸ミスのようなものでしょう。何より、38万人のうち32万人が、御祓いもしくは精神病院へ行っています」
「なんで?!」
「自分の身体が3年前に死んだはずの女と入れ替わって勝手に生活していたら、普通は御祓いか病院へ行きます。かなり恐れられていたのですよ、姉さんは」
「私は悪霊じゃないもん!」
「姉さんのやっていたことは普通にホラーです。普通の神経なら、入れ替わりを受け入れられたとしても、その相手が3年前に死んでいたと知ったら、助けたいと思う前にゾッとします。また、論理的な思考のできる人なら歴史を変えようとすることのリスクも考慮します。それでも、姉さんの外見に惑わされて、なおかつ歴史を改変することに何ら抵抗を覚えなかった一部の男子は隕石から姉さんを助けようと動いてもくれました」
「そうなんだ……」
「ええ、312人が挑戦しました。ですが、未来から過去を変えることは容易ではないのです。また、姉さんとの意思疎通がうまくいかず、単独で事前に落下地点での爆破予告などによって避難させようとしたこともあったのですが、寝たきりの高齢者が犠牲になったり、姉さんがお母さんの写真を取りに自宅へ戻ったりして、それを助けに行った勅使河原さんが亡くなったり、爆発物があるのかと調査に行った岐阜県警の爆発物処理班の隊員が亡くなったりして、まったくの犠牲者ゼロに終わった世界は250億回のうち、たった一度、立花瀧さんとの世界だけです」
「……瀧くん…すごい…」
「結果から言うと、すごいですね。彼も姉さんと同じく、ずっと3年のズレに気づかず、助けようと動き出したのは、なんと落下の当日。けれど、それが逆に幸いして、そのドタバタの中でお父さんの尽力もあり、寝たきりの高齢者を含めて完全に全員が避難することができたのです。もっとも立花瀧さんとの世界も92億回も繰り返して、ようやく犠牲者ゼロを引いたのですが。……ずいぶん、試行回数が偏っていますから、やっぱり立花瀧さんが一番姉さんの好みだったのでしょうね」
「……入れ替わりって、相手を選べてるの?」
「無意識では」
「他に、カッコいい人もいたんだ? イケメンも」
「…………何を期待してるんだか……。むしろ、期待と逆のことを教えてあげます。38万人のうち、12万3285人の男子が、姉さんのおっぱいと性器の写真を撮りました」
「っ…」
「さらに、うち7532人が写真をネット上にあげ、それに姉さんが気づいたケースが5279あり、その後、3838の場合で姉さんは隕石落下を待たず、自殺します。死に方は髪紐による首吊り、湖への入水、校舎屋上からの飛び降り、一時間に一本しかない電車への飛び込み、勅使河原さんを無理心中に巻き込んでの爆死、死ぬつもりで山へ入っての滑落死、同じく山へ入って熊との遭遇による害獣被害死、神社に奉納された樽酒をがぶ飲みしての急性アルコール中毒死、そんなに私の裸が見たいかと泣き叫んで道路上で全裸になり赤信号を無視して走り回っての交通事故死、祖母と私を巻き込んでの自宅放火による焼死と、かなり色々な死に方をします。また、自殺しない場合も拒食症や過食症に陥るなど、ひどい状態になります」
「入れ替わりって超危険じゃない?!」
「ですから、普通は一回でやめます。素早く未来の情報を集めて帰ってくるのです。婿探しのための力ではないのです。そんな不安定な方法で婿探しするわけがないでしょう。そもそも歴代宮水の巫女たちは、できるだけ同性と入れ替わるようにしています。そんなこと、ちょっと考えればわかるでしょう。それを考えないのが姉さんらしいですけど、自殺までして……気の毒に…」
「……私は3838回も自殺したんだ……ネット上に裸の写真なんか、17歳のときにあげられたら………なんて、かわいそうな私……どんなに絶望して……泣いたか……」
「その恨みも、そこの低俗霊になって統合されていますから、頑張って慰めてください。慰霊ですね、自分の霊なので霊的な自慰ですし、イジメてくるので自虐でもありますが」
「ぅうっ…」
(呪ってやる。さんざん辱めてやる)
(テッシーを巻き込んで爆死までしてたんだ。許せない)
「ちなみに、立花瀧さんも92億回のうち、3億回、おっぱいの写真を撮りましたし、758回、性器の写真も撮りました。さすがに、ネット上にあげるほどバカではありませんでしたが、おっぱいを揉まなかったことはありません」
「瀧くん………私の身体…」
落ち込む三葉を早耶香が慰める。
「仕方ないよ、若い男の子って、そんなもんだよ」
「…ぐすっ…」
「逆に遠慮して何もしなかった男子もいますが、トイレも我慢した結果、漏らしています。まあ、姉さんのクラスメートは姉さんが漏らすことに慣れていたので、たいした問題にはならず、姉さんも気づかなかったのですが。入れ替わった男子の外見によっては姉さんも男性器に触れられず漏らしてしまい、相手の学校生活をメチャクチャにしたこともあります。おもらしの化身らしい所業ですが、このために2154人の男子が不登校になり、38人の男子が自殺しました。もう呪いか祟りですね、一種の」
「ぅう……おもらしの化身なんて、ヤダよぉ」
「ともかく、立花瀧さんは、姉さんとお似合いのすごい人です。二人とも半年も3年のズレに気づかず、もっと早めに知って二人が協力すれば、ドタバタせずに済んだのに当日になって秘儀中の秘儀、口噛み酒まで飲んで、なんとかしたのですから」
「……あれを飲んだ他の男子っているの?」
「いません。普通にホラーだと言ったではないですか。よほど度胸があるか、無頓着な人でない限り、岐阜県に近づくこともさけます。それでも128人が瓶を手にしましたが、みなさん元に戻して手を合わせるか、近隣の神社か、お寺に供養を頼んでいます」
「ぅぅ……やっぱり死霊あつかい……。でも、瀧くんだけは私の運命の人……」
「そういう意味で運命の相手ではありますが、これからは普通の恋愛になりますし、もう姉さんは世界をやり直せるような力は残っていないので、フラれたら、そこで終わりですから、あまり彼の目の前で変なことをしない方がいいですよ。無理だと思いますが」
「ひぅ……」
(そろそろ東京に帰ろうか、婆三葉)
(彼氏が待ってるよ、ミツ婆ちゃん)
三葉霊と早耶香霊が楽しそうに悪意に満ちた微笑を浮かべている。四葉へ礼を言った三葉と早耶香は神社を出たところで、巫女の一人に呼び止められ、紙片を渡されたので三葉は一瞬、悪霊から身を守るための護符でも四葉が与えてくれたのかと感謝しそうになったけれど、それは請求書と振込先を書いた紙片で200万円と畳代30万円だったので、うなだれたまま町民の誰とも会わないうちに駅へ戻って電車に乗った。