退院してから早くも一月が経過していた。
先生からも太鼓判を押してもらい、無事退院の頭に付いていた『仮』の文字も取れてくれた。
暦は六月に入ったばかりだが、早くも昼間は夏の熱気が顔を出し始めている今日この頃。
「学校」
「そう、学校」
家族で夕食を囲んでいた最中、母さんからの言葉に口の中のものを飲み込んでから、一言そう呟いた。同じように頷きながら返した母さんは、少しだけ真剣な顔をする。
「前からしていた話ではあるけどね。動き始めてもいいんじゃないかって。先生からも許可は下りてるし」
「ん」
一応、施設の中にいた時でも勉強は続けていたので学力については問題ない。勿論、俺ではなく『夏波』がしていた訳だが、きちんとその成果は俺にも受け継がれている。
義務教育過程も通信教育という形で修了しているので、高校に通うための下地はあると考えてもいいだろう。
勿論、母さんが懸念しているのはそんな問題ではないのだろうが。
「私としては、出来るなら男子校に入って欲しいんだけれど……共学なら氷華のいる高校に入って欲しいの。一人でも家族がいれば私も少しは安心出来るから」
「勿論、夏波が良ければの話よ。私だって来年には卒業してしまうから、その後は夏波が一人で頑張るしかない」
「冷たい言い方ねぇ」
「事実だから」
「その来年には私が入る予定だけど?」
「頭が間に合えばね」
「間に合えばって何! これでも学年内で十位圏内なんですけどっ!」
「夏波と同じ学校かぁ……アタシはなんでもう少し遅く生まれなかったんだろうな……」
気付けば全員が話に入ってきて、思い思いの言葉を放っていく。泉姉のそれはちょっとコメントに困るので放っておくとして。
学校、学校である。
先程言った通り、学力に不安は無い。前世のそれと合わせても高校入学程度の知識はある。多少、女性と男性の立場の違いから歴史の食い違いに混乱しそうにもなるが、まぁそれもきっちり擦り合わせれば大丈夫だろう。
問題は言うまでもなく、異性関連の問題である。
母さんは男子校に通ってほしいようだが、俺の希望は共学である。恐怖症があったとしても、男ばっかりの高校生活にはぶっちゃけ魅力を感じない。
前世のようにばか騒ぎ出来るならそれはそれで面白いのだが、この世界ではそれもあまり望めない。下ネタよろしく下品でもなんでも笑えるような関係性は、ここでは女子の集まりが担う立場なのだ。男子はそれをジト目で見つめてサイテーと呟く側である。絶対馴染めない。
「氷華姉の高校に行く。大丈夫だから、安心して」
「……んー。わかったわ。決意も固いみたいだし」
最初から男子校に行く気はないと明言していたのが功を奏したか、特に反対もされずに母さんは頷いてくれた。勿論、内心で反対なのは自分もわかっているので、ありがとうと頭を下げた。
その頭に手を乗せた母さんに、ひとつだけ聞きたいことがあると頭を上げる。共学だとかよりも、こちらの方が俺にとっては重要案件である。
「そこって、制服はスカート?」
「最後の懸念が晴れた」
「どんだけスカート嫌なんだよ……」
「嫌なものは嫌だ」
学校の話から数日後、通うのはまだ先の話ではあるものの、前準備はしておかなければならない。そのひとつの制服の採寸の付き添いをしてくれた泉姉が、運転しながら苦笑をこぼしていた。
氷華姉の高校はブレザーであった。勿論、男子はスカートではなくズボンである。深い赤色の指定制服にワイシャツ、ネクタイとオーソドックスなものだった。取り敢えず一安心である。
「ちょっと聞きたいんだけどよ、スカート自体が嫌なのか? ロングスカートとかなら……」
「スカート自体がもう受け付けない。ミニスカとか傷見えるし論外」
「あぁ……そりゃあな」
「ちょっとした露出なら気にしないけど。でも仮に下にズボン履いてたとしてもスカートは履かない」
傷の話を出した時に泉姉の顔が苦くなったので、失敗したと思いながらすぐに次の言葉を放っていく。
事実、足を晒すミニスカートは色々と論外である。以前母さんが半ば強引に購入したアレはストッキングありのロングスカートという、俺の体を考慮した上でのチョイスだったのでまだいいが。……いやよくはないんだが。
似たような裾をしていても、袴ならまだ馴染みもあるのでいい。しかし如何にもな、前世で言う女の子らしさを引き立てるスカートは願い下げである。いくら今のビジュアルに合っていようがだ。
ファッションとして、多少露出が多い程度なら抵抗はないのだけれど……勿論、傷が見えない範囲で。
「もう少し男の子らしくてもいいんじゃないかと思うけどなぁ、アタシは」
「今でも充分だと思うけど」
「まぁ無理強いはしねぇけど。昼飯どうする?」
「帰って作ってもいいけど……気分的にラーメン食べたい」
「んじゃあ適当なとこに入るか」
信号待ちしていた状態から、泉姉は適当な当たりをつけたのか車を発進させて直ぐに進路を変える。
その揺れに体を任せながら、流れる景色に目を這わせた。
適当なチェーン店に入った俺たちは、カウンターに座って注文を終える。店員から渡された水を口に含んだところで、隣に座る泉姉からの視線を感じてそちらに目を向ける。泉姉はどうやら木刀が気になるようだった。
「まだそれないと不安なのか?」
「逆に言えば、これあれば平気」
「ふぅん」
股の間に刺した木刀は、肩口に預けるように置いてある。直ぐに取り回しが利く場所にないと、外では不安で仕方がないのが実情である。
だが、今言ったようにこれが手元にありさえすれば女性相手でも怯むことは殆ど無くなったのだから、退院直後から比べれば破格の進歩と言えるだろう。
無手での護身も身に付けているが、今の状態では満足に身体が動いてくれない。完全にこの木刀が今の生命線だ。
「それにしても、なんか感慨深いな」
「ん?」
「いや、こうしてよ」
不意に伸ばされた泉姉の手が、ぐしぐしと俺の頭を撫で回す。されるがままの俺の顔を見て、彼女は歯を見せて笑いながら、
「お前とこうして外に出られるだけでも、ちょっと前からすれば想像も出来なかったことなのにさ。それが今度は学校に通うまで話が進んでんだぜ? 夢みたいな話でさ」
「まぁ……その」
「お前は悪くねぇんだからそんな顔すんなって。ただアタシは嬉しいって言いたいだけなんだ」
最後にポンポン頭を叩いた泉姉と、手櫛で軽く髪を整える俺の前にラーメンが届く。
きたきた、と割り箸を口にくわえて割った泉姉は、とっとと食おうぜと笑いかけてくる。それに小さく笑みを返してから、俺も割り箸を手に取った。
「――ん。美味しい」
「そういうとこは男の子なんだけどなぁ」
「…………」
ラーメンを啜っているところを見た泉姉の言葉に少し言葉を失う。そんなおしとやかに食ってるつもりはないのだけど……。
どうやら知らないうちに『男らしい』振る舞いが違和感なくこなせるようになってきたようである。あんまり嬉しくない。
そんなことを考えながら、髪を耳に掛けつつラーメンを口にする俺だった。