生徒数六二十名、内女子四五十名、男子百七十名。一学年五クラス構成の、この地域ではただひとつの男女共学の高校である。
その櫻咲高校、一年一組は現在にわかに騒がしい雰囲気を醸し出していた。
「転校生、来るの今日だってね」
「水瀬会長の弟なんでしょ? すっごい美形だって」
「私このクラスで良かったわぁ……」
「そんなの噂でしかないじゃん。実物は大したことないかもよ」
「だとしてもクラスに男が増えるだけで充分」
「「「それは確かに」」」
今日に限って無駄に早く登校してきた女子連中の会話を聞きながら、溜め息をついたのは一人の男子生徒だった。
同じ男として、これから来るであろう転校生には同情せざるを得ない。まだ会ってもいない相手に勝手に期待してハードルを上げ、そうでもないと勝手に落胆する流れが彼には想像に難くない。
万が一ハードルを大きく飛び越えてきたとして、それはそれで大変なことになるのは目に見えている。どの道転校生には茨の道しか残っていないのだ。
(……まぁ、男同士仲良くしたいもんだな)
この獣だらけのクラスの中で仲間が増えるのはありがたい。そういう意味では、彼もまたクラスの女子と同じく、見ぬ転校生を楽しみにしている一人なのだ。
そうこうしている内に予鈴が鳴り響く。
騒いでいた連中も自分の席に戻り、近くの人間と軽く雑談する程度に収まった。
いつもよりも担任の先生が遅いのが、これから転校生を連れてくるのだろうかとクラスの期待を盛り上げるのに一役買っている。今か今かと待ち構えるのは、扉に近い位置に座る生徒達だ。一番近い女子生徒なんかは立ち上がって窓から廊下を覗き込んでいる。
「――来た! やっば、ヤバいってマジで!」
「マジで!? イケメン!?」
「何立ってんだ馬鹿者、座れ」
「ぁ痛あ!!」
「キリキリ暴力はんたーい!」
担任が教室に入り様、覗いていた女子生徒の頭を出席簿にてひっぱたく。入学して三ヶ月弱の短い期間ではあるが、それなりに気安い関係であることが見てとれるやり取りである。
担任である桐谷霧佳が教壇に立つ。何やら連絡事項を口にしようとして、教室を見渡したところで溜め息をついた。
「前置きはいらないな、さっさと済まそう。あまり騒ぐんじゃないぞ……入ってこい」
「……失礼します」
がらり、と教室の扉が開かれる。
話題の転校生の姿が今まさに目の前に現れる。女子生徒の多くはその胸に期待を膨らませ、男子生徒もまた控え目ながらにその姿を一目見ようと視線を向けた。
そして、彼が教室に足を踏み入れた瞬間――
「…………」
――その姿に、全員が息を飲んだ。
まず目につくのは、艶やかながら鈍い光を放つ灰色の髪。腰辺りまで伸びたそれは歩く度に毛先を揺らす。クセのひとつも見当たらないストレートヘアーは、シルクで出来た布のように纏まりを見せていた。
教壇の横に立ち止まった彼は、軽く全体を一瞥すると担任へと視線を向ける。
「自己紹介」
簡潔にやることを促した担任に頷いて、彼はその髪を翻して黒板に向かう。腰に携えた木刀に目がいきそうになり、すぐにチョークを持った右手にそれが奪われる。
自らの名前を黒板に書いていくその手には、何やら包帯のような白いものが巻かれていた。運動部に所属している女子生徒は直ぐにそれがテーピングであることに気付き、次いで腰の木刀に目を落とす。木刀の持ち手にも、同じように滑り止めのテーピングが巻かれていた。
「水瀬夏波。……宜しく」
冷たい声色。鋭い目付き。左手は常に腰の木刀に携えられ、不用意に近付けばそれで切り伏せられるような気配があった。ただの木刀が抜き身の刀に見える錯覚を感じさせながらも――しかし、クラスの全員が彼から視線を外すことが出来ない。
触れるものを傷付ける雰囲気を持ちながら、彼はどこか儚げで頼りなく。二重の意味で危うさを滲ませている。
危ういからこその、美しさ。薔薇の棘よりも鋭く、また薔薇よりも脆く、儚く。
彼を見る全員は――特に女子生徒は、禁忌だからこそ惹かれてしまう、そんな背徳的な欲を自らの内に感じていた。
「じゃあ、窓際の一番後ろの席に座って」
「はい」
妙に静かになった教室に内心で首を傾げながら、桐谷はそう夏波に指示する。
そうして、クラス全員が席に着いたところで、朝のSHRが始まるのだった。
き、緊張した……。
まさか転校生の立場がここまで緊張するものだとは思わなかった。
勿論、初対面の女子が多く存在するこの空間のせいもあるのだろうが、この緊張はそれだけじゃない。
考えてみれば、俺自身そこまで人付き合いが多いほうではなかった。人と話しているよりも、剣を振る時間の方が多かったくらいなのだ。そもそもの経験値が足りていないのか。
今は桐谷先生が朝の連絡事項を伝えているところだ。これが終われば休憩を挟んで一限が始まる。一先ずの山場は、その休憩時間だろう。ちらちらと視線が集まっているのがわかる。一番後ろの席なので、此方を振り返る女子生徒のまぁ多いこと。
落ち着かないので、目を閉じて視界をシャットアウトすることにする。かえって気配が感じられて逆効果な気もするが。
「――まぁ、こんなとこか。ホームルームはこれで終わるが……転校生への質問は程々にすること。特に女子」
目を開かず、無駄に姿勢の良い体勢のままで先生のそんな声を聞く。
さて、どうなるか。良くある感じで質問攻めにあうのだろうか。覚悟なら出来ているぞ、来るならこい、さぁ来てみるがいい。
ガラガラ、ピシャンと扉の開いて閉まる音。休み時間の始まりである。
「…………」
――?
休み時間、始まったよな?
何で物音ひとつしないのか。休み時間ならもっとザワザワするはずなんだけれど。これなら授業中よりも静かだと思うんだが。
かといってこちらからアクションを起こす気にもならない。背筋を伸ばしたまま、企業面接でも受けているかのような綺麗な体勢で座り続けるしかない。視線だけはバシバシ感じるので、落とした瞼も開けない。
腰の木刀が地味に邪魔な形になっているので、せめて位置をずらすぐらいはしたいが……。
「失礼するわ」
何の修行なんだろうかと、身じろぎひとつ取れない状況は存外あっさり解消される。聴こえた声が馴染みのあるものだったのが幸いして、セルフでの金縛りはあっさり解けてそちらへと視界が開けた。
「氷華姉」
「心配になって来てみたけれど。案の定……というよりは、予想以上というか」
革靴を鳴らしながら近付いてくる氷華姉。不思議とこの時点で周りの視線は気にならなくなっていた。注目度は増しているはずなのだが。
俺の席の前まで来た氷華姉は、腰を曲げてまじまじと俺の顔を見つめている。近いです。
「前言撤回ね。もう少しその鉄仮面を柔らかくしなさい」
「わふっ」
「只でさえ私が『氷の会長』とか呼ばれてるの。そこで貴方がそんな冷たいオーラ出してたら誰も近寄れないわ」
不意に伸びてきたその長い指先が頬に触れると同時に、わりと容赦なく顔が揉まれ始める。何やら黄色い声が周りから聞こえてくるが、その。
「氷華姉、恥ずかしいから」
「そうそう、その調子」
どの調子だ。
だんだんと熱を持ってきた頬を相変わらず好き勝手にされつつ、参ったから止めてくれ、と姉の肩を掴んで押し返す。美人に至近距離で顔を触られながら微笑まれるとか色々としんどいです。
そこでようやく満足したのか、氷華姉は俺の顔から手を離す。しかし直ぐに耳元に顔を寄せられてしまう。力では敵わない為に、押していた腕はそのまま畳まれて俺と氷華姉の身体に挟まれてしまった。
何をするのか、と唇を尖らせる前に、
「大丈夫?」
心底真面目な声色が耳を打つ。周りに聴こえない程度の小さな声だったが、押し返そうとしていた腕からは力が抜けて、息を吐いて頷いた。
どうやら、自分で考えるよりも更に負担がかかっていたらしい。氷華姉と触れ合うことで、身体に血が巡るのを改めて感じられた。
「夏波は少し、我慢し過ぎなところがあるわね」
その言葉に、ふと先生の言葉が頭をよぎる。先生は先生でも、病院の先生の方だが。
『いいかい。君の傷は君が思うよりも大きく、深く、そして治りにくい種類のものだ。快方に向かってから少し、その具合を甘く見ていると思うんだが』
『無理だと感じたら我慢をしないこと。苦しかったら助けを求めること。それだけは心に留めておいて欲しい。君は一人じゃないことを忘れないようにね』
「…………」
「ごめんなさい、責めているわけじゃないの。だからそんな顔しないでちょうだい」
どんな顔をしていたのだろう。自分ではわからないが、頬に手を添えられる。その声が、表情がこちらを心配してくれているのは理解できる。
残念ながら、それに笑みを返すことは出来なかった。言うことを聞かない鉄面皮を憎らくしく思うのは今が初めてだ。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、氷華姉は身体を離すとその冷たい手で俺の頭を優しく撫でる。
「とにかく、もっと楽に構えることね。大丈夫だから」
それが簡単には出来ないことを知っていて、あえて氷華姉はそんなことを言うのだろう。それは姉としての厳しさなのか、それとも言葉通りの優しさなのか。
顔を上げて氷華姉の表情を伺う俺に、ふっと笑いかけた彼女はそこで踵を返した。
「弟のこと、よろしく頼むわね」
最後に、良く通る声でクラス全体に向けたであろう言葉を放つと、彼女は教室を後にした。また、静寂が訪れる。
結局、授業が始まるまでの間、俺に話しかけてくる生徒はいなかった。
「よう」
「…………?」
初の授業をつつがなく終えた直後の休み時間。
前方から聞こえてきた声に、直ぐに反応は返せなかった。自分に向けられた声だと理解できたのは、顔を上げて目の前にいる男子生徒がこちらを見ているとわかってからだ。
「……何か?」
「いや、別に用はないんだけどさ。いつまでもこの空気じゃ過ごしにくいだろ?」
わざわざ離れた席からこちらに歩いてきたであろう彼は、苦笑しながら周りを見渡す。控え目にこちらも教室を見渡せば、どの生徒もちらちらとこちらの様子をうかがっているようだった。
確かに、休み時間が来る度にこれでは気の休まる暇がない。
「ホントは皆お前に……あー、えっと」
「夏波でいい」
「んじゃあ、夏波。皆お前に話しかけたくて仕方ないんだけどな。女子連中なんてソワソワして見苦しいったらありゃしない」
彼の言葉に、遠くでたむろしていた女子集団がむっと振り返る。咄嗟に木刀に手が伸びるが、手を添えるだけにとどまった。……前途は多難である。
そのリアクション自体は目立つものではなかったのが幸いして、男子生徒は特に気にすることもなく話続ける。
「まぁ、皆の気持ちも分かるんだけどな。お前オーラ出しすぎなんだよ」
「オーラ?」
「なんつーの? 近付けば斬る、みたいな? ぶっちゃけ近寄りにくさが半端じゃない。すんげぇ美形なのに女子が近付けないのがその証拠だな」
「そんなこと……ただ、ちょっと緊張してるだけで」
言いながら、確かに絶えず気配を探るために集中して警戒をしていたことを自覚する。
近付けば斬る、まではしないにしろ――それに近いレベルで索敵紛いのことをしていたのは事実であった。
もう少し、もう少し楽に構えよう。全てに臆病に構えていては、前までと何ら変わりがない。要はケースバイケースなのだ。今は一歩前に踏み出す、踏み出しても大丈夫な時。
そう考えて、努めて警戒心を引き下げる。肌がピリピリと張り詰める感覚が薄まり、ほんの少しだが表情筋が緩んだ……気がする。
目の前の彼はそれを感じ取ったのか、ぱちくりとその二重の目を瞬かせた。
「おぉ? なんだか不思議な奴だな、お前。ミステリアスな感じ」
「そう?」
「お、おぉ……笑ったら破壊力高ぇ……」
何故かおののくように後ずさる彼。どうやら上手く笑えたようだ、と自分の顔に手を当てる。
そんなやり取りが周りにも伝わったようで、それを皮切りに他の男子生徒も俺の周りに集まってくる。
俺を含めて十一名の男子。問題なく交友することに成功した俺は、ひとまず上手くクラスに馴染むとっかかりを得たことに安心するのだった。
「ところで、何でズボンなんだ?」
……俺以外の男子は皆スカートという事実に目を背けた上で、だが。