氷華姉と手を繋いだまま、廊下を進んでいく。少し気恥ずかしい気もするが、安心感という意味でもその手を離す気にはなれない。少しだけ握る手に力を入れると、答えるように握り返されるのが心地よかった。
顔を上げると、穏やかに微笑んでいる氷華姉と目が合う。
「どうだった?」
「今のところ、問題ない」
「そう。ならいいわ」
端から見れば素っ気ない会話なのだろうが、俺からすれば充分。こちらを気遣う気持ちは繋ぐ掌から伝わってくるし、互いに口下手なのを理解しているので誤解も無い。
それよりも、先程から気になるのは――
「……見られてる」
「仕方ないわ。色々と人目を惹くのはわかるでしょう?」
空いた手で肩に掛かった髪を払いながら、何でもないことのように言う氷華姉。
「転校生である貴方には勿論……私も似合わないことしてる自覚はあるから。これでも恥ずかしいのよ?」
繋いだ手を持ち上げられ、眉尻を下げながら笑う氷華姉。初めて見るタイプの笑みに少しだけどきりとさせられたが、どうやらそれは俺だけではなかったようだ。
「あの会長がはにかんでいる……だと……」
「会長も人の子なのね……」
「あんな弟いたらそりゃ笑顔にもなるわ」
「銀髪生徒会長に灰色長髪の美形男子とか属性多すぎる」
「人目もはばからず手繋ぎデートとか羨ましすぎぃ!」
……どちらかと言うと氷華姉の方が注目を集めているようだ。どうやら、今朝方に自分で言っていた『氷の会長』の名は伊達ではないらしい。すれ違う生徒がほぼ全員氷華姉を見て信じられないように二度見を繰り出していく。
運良く笑っている瞬間を見た女子生徒は意識を持っていかれたのか、貧血を起こしたようによろめいて壁に身体を預けていた。どうやら同性にも人気な氷華姉だった。
……ふと思ったが、この世界での同性愛の立ち位置はどうなっているのだろうか。ぶっちゃけそっちに首を突っ込むつもりは更々無いのでどうでもいいといえばどうでもいいのだが。
スカートの件もあるので何もかもあべこべになっているというよりかは、男性の立場が女性寄りになった上で、様々な境界線が曖昧になっている、というのが今のところの認識である。でなければ、言葉遣いや立ち振舞いでもっと違和感があってもいいだろう。
男は男の言葉遣いそのままであるし、母さんや氷華姉を見ても女口調である。勿論、泉姉のように男の口調で話す女の人もいるので、御嬢様口調の男だっているのかもしれないが。
「何考えてるの?」
「ん……ちょっと」
視界の端に銀髪がなびく。その言葉に、そこまで深く考えることでもないか、と思考をそこで打ち切った。そもそも思考の切っ掛けが同性愛なのであんまり引っ張りたくもない。
今は、取り敢えず氷華姉の案内に身を任せることにしよう。
「購買ね。昼休みの開始十分は近寄らないのが懸命よ。運動部の女子が戦争してるから」
「そこはそうなんだ……」
「? まぁ、簡単な授業道具とか日用品もあるから覚えておいても損はないわね。一人で辛いと思ったなら呼びなさい。皆私を見ると綺麗にふたつに割れてくれるから」
モーゼの海割り……?
「保健室はここね。保健医の先生……というより、教員は全員貴方の事情を知ってるから、無理しないでここに避難させてもらいなさい」
「多分そこまでひどくはならないと」
「わかった?」
「わかった」
「私のクラスよ。困ったことがあれば私に頼ること。大体ここか、次に行く生徒会室にいるから」
「わかったけど……なんでこの体勢……?」
何故にあすなろ抱き。
「全方位ガードよ」
氷華姉の背中はがら空きだと思います。
「大体は案内出来たかしら……いい時間だし、ここで最後ね。ここが生徒会……どうかしたの?」
「…………」
大体校舎一周、内部の施設は粗方回ったところで最後に訪れた生徒会室の前、俺は氷華姉の手を強く握り締めた。逆の手で木刀をベルトから引き抜く。
黙り込んでしまった俺を氷華姉が覗き込んで、眉を潜めてから生徒会室の扉を睨み付けた。
そして、俺を背に庇うようにしてから、その扉を叩く。
「私よ。誰かいるの?」
「……会長? いえ、大したことじゃありません。入ってもらって構いませんよ」
中から返ってきた声に、氷華姉は振り向いて視線を向けてくる。俺がコクりと頷くのを見ると、また前を向いて扉に手をかけた。
開かれたその先を、氷華姉の背中越しに覗き込む。そこにいたのは、生徒会の腕章を付けた女子生徒と――もう一人。
「んだよ、今度は会長様のおでましか」
「また貴女なのね……今度は何をしたの」
「騒ぐほどのことはしてねぇよ。なぁ、もういいだろ?
おかげで昼飯食い損ねてんだ。俺は被害者、オーケー?」
「しかし……」
「前みたいに手ぇ出した訳でもねぇんだ。いけすかねぇことしてる連中をちょっくら脅かしただけだって」
「それで学校の備品を壊してしまっているのが問題なの。机の予備だってタダじゃないのよ?」
「ぁー……でもよぉ。脆すぎる机使ってる学校も悪くねぇ? 俺ちょっと殴り付けただけだし……」
「ちょっと殴り付けただけじゃあ机の天板は割れたりしません。……はぁ、いいですもう。とにかく壊れた机の件は御家族に連絡させていただきますから」
「……好きにしてくれ」
少しだけ剣呑な雰囲気の中、立ち上がったのは一人の少女だった。
俺と同じくらい長い髪は、しかし俺のそれとはあまりに性格が違っている。真っ赤、とまではいかないにしろ目に見えて赤い髪は、適当に染めたのか所々に黒が混じっていた。地毛が赤なのか、それとも赤に染めたのかは定かではない。
所々跳ねた髪を揺らしながら此方に向かって彼女は歩いてくる。短いスカートに胸元のボタンを止めていないワイシャツ。腰に体育で使うジャージを巻き付けた彼女は、すれ違い様に此方に視線を寄越してきた。
瞬間、
「――――」
にらみ合いになっていた時間はどれくらいだっただろうか。ほんの数秒……いいや、彼女は立ち止まりもしなかったので一瞬の間でしかなかったのだろう。
俺が木刀をベルトに差し直した時には、既に彼女は廊下を曲がって視界から消えていた。
掌に浮かぶ、じっとりとした汗。同じように、額にも汗は浮かんでいる。それを見た氷華姉がハンカチで拭ってくれた。
「大丈夫?」
心配そうに聞いてくる氷華姉の声も、すぐに頭から抜けてしまう。
ただの恐怖症から来た汗ではない。
俺は今、心底驚いているのだ。あの一瞬で互いが起こしたアクション――それは、俺が前世で幾度となく経験、実行し、またやられてきたものと全く同一だったからだ。
「俺と、同じ……?」
脳裏に浮かぶ、高笑いする爺とおしとやかに笑うその奥さん。俺が学んだ剣と拳は、下手をするとこの世界にも息づいているのかもしれなかった。