俺が通う道場では、爺の剣を学ぶ前に、爺の奥さんから無手での護身術を学ばなくてはならない。
その名も無手斎藤源流。そのままではあるが、奥さん本人がこだわらなかったのでそんな名前になった、らしい。
あくまでも護身、文字通り自らの身を守るための技術なので、攻撃的なものは少ない。基本的に後の先を主体とした武術になるのだが、ひとつ特徴と呼べるものがあった。
それは、対武器戦を想定した武術であるということだ。特に教え込まれるのは刃物に対しての護身術であり、最終的に爺の一太刀を無傷で受け切ることで晴れて卒業、そこから初めて爺から剣術を教わることが出来る。受け方に指定はない。白刃取りでもいいし、受け流しても構わない。条件はただ『避けない』ことだけだ。
当然、爺とてそれなりに手加減した上で一撃を放つ訳だが、中途半端な技術では強かに竹刀で身体を打たれることになる。その一撃に心が折られ、道場を去った人間が何人いたことか。
ちなみに、俺の時も例外なくその試験は行われたわけだが――そこでも爺は俺に対して容赦がなかった。
第一に剣速が違う。今だからこそわかるが、爺は間違いなく本気で俺に対して剣を振り下ろしてきていた。
第二に、回数が違った。他の入門生は一度でも受けきればそれで良かったのに対して、俺は三度もそれをやらされた。
そして何より、爺が振るう得物が違った。三度行われたそれは、一度目は竹刀。二度目は木刀。三度目に至ってはあろうことか本身の真剣を持ち出してきたのだ。
模造刀でも、刃を潰してあるようなものでもない。そこらのナイフよりも遥かに切れる業物である。下手に受ければ怪我どころか指や腕は飛ぶ。爺が本気で振るうそれは人すらも両断せしめるであろう一太刀を、俺は文字通り死に物狂いで受けたということだ。
……良く生きてたな、俺。
少し話はそれたが、その時に身に付けた技術の中に先んじて相手の動きを制するものがある。
既に相手が武器を構えた状態だったならば、先にそれを振るわせてからが無手斎藤源流の土俵である。
しかし、その前。相手が武器を構えていない場合。刀ならば帯刀状態で鞘に収まっている時、それ以外なら、そもそも武器を隠し持っているような相手の場合だ。そこに、無手斎藤源流の真髄とも言える技がある。
端的に言えば先の先、その更に先である先々の先である。
相手が武器を抜く、構える動きそのものを止めて武器を使わせない。武器を使う意思をあらゆる要素から見抜き、それが行動に移される前に動きを封じてしまうのだ。
――それを、俺はあの少女にやられた。
当然この技術も、成熟された使い手には上手くいかないことがある。意識を殺されてしまえば武器を抜くまでに抑えることが叶わない。逆もまた然りで、俺も奥さん相手には構えさせてすら貰えないことが多々あった。
しかし、それは未熟者もいいところだった頃の話だ。今ならあの人が相手だろうと先々の先を容易く取られることはない。
「はずなんだけどなぁ……」
あの時の俺は警戒心の塊だった。
扉の先から感じる気配。女性限定ではあるが、前世のそれよりも更に強くなった気配察知は、彼女が実力者であることを姿を見ることなく確信していた。無論、彼女から滲み出ていた怒気によって身体が反応していたのもあるが。
彼女が此方を横切る時、目が合った瞬間に俺の脳裏を横切ったのは、件の恐怖体験からの被害妄想だ。
――その両手が怒気と共に此方の首に伸びる幻視。
掴み掛かられると判断した身体が木刀を掴む手を動かそうとした。
が、結果としてその手が動くことはなかった。結果が見えてしまったからだ。
被害妄想からの幻視とはまた違う。
木刀を構えようとしたその手を抑えられ、逆の手で顔面を打ちのめされる明確なイメージが頭に叩き込まれたのだ。当然、そんなものを視てしまっては動くことなど出来はしない。
「俺が鈍ってるのか……?」
あの瞬間、互いにアクションを起こした訳ではない。
つまり、俺の攻撃的な意思を読んだ彼女が、そう来るならこう返すぞ、と考えただけ。行動に移される前の意思が交わされただけで、実際はすれ違う際に目が合っただけ。
あれだけ見事に先々の先を取られたのは久しぶりだ。精神面も疎かにしてはいけないな、と気持ちを改めると共に、彼女のことを思い返す。
まだ彼女が無手斎藤源流の使い手だと決まった訳ではない。先々の先は何も無手斎藤源流の専売ではないし、似たような武術の使い手なだけの可能性もある。というより、そちらの可能性の方が高いだろう。
あの攻撃的なイメージを思うに、有り得ても限り無く似たような別の流派だ。無手斎藤源流は、あそこまで攻撃的な気配を孕まない。
「夏波ー、何してんだー」
縁側に腰掛けて空を見上げていた俺に、泉姉の声が届く。
待たせたら悪い。俺は思考を打ち切って、家族が待つ居間へ向かうのだった。
「お帰りなさい夏波! どこも怪我してない!?」
「うぷっ……大丈夫だよ」
仕事から帰ってきた母さんは、スーツも着替えずにソファで寛いでいた俺を抱き締めた。
帰ってきたのは母さんだし、学校に行っただけなのだからそうそう怪我もしないだろうと突っ込みたくなったが、母さんの胸に埋もれた俺はそこまで言葉を紡げない。
「はいはい、とっとと風呂入ろうなー」
「うぐっ……さ、流石馬鹿力ね……!」
「お陰様でな。いいから夏波を離せ」
「もう少し!」
「駄目」
ぐい、と母さんを持ち上げたのは泉姉だ。両手で母さんの脇の下に手を入れて軽く持ち上げた泉姉は、呆れたようにそのまま風呂場へと連行していく。母さんも俺を離さないので、都合二人の人間を持ち上げていることになるのだが……。
「いい加減にしろって」
「あぁん、仕方ないわねぇ」
「毎回毎回二人の人間風呂場に引き摺ってくアタシの身にもなれ」
溜め息をついて脱衣場に消えていく母を見送る泉姉。その脇には俺が抱えられている。実はこれ、我が家での毎晩の光景である。
流石に退院直後はこんなことなかったのだが、俺の症状が予想よりも遥かに安定しているのと、家族に対してはほぼ何の懸念もないのがわかってからは定番のネタと化しているのだ。
仕事から帰ってきた母さんが俺を捕らえ、俺を離さない母さんを泉姉が連行する。母さんも母さんでそれを楽しんでいる節があり、たまに俺ではなく何故か時雨と共に連行されていく時もある。キャーキャー言いながら運ばれていく光景は意外に面白い。
ごく稀に、氷華姉が風呂に入る番になってからわざわざ俺を捕らえてそのまま動かなくなり、泉姉が困惑しながら連行していくこともあった。あれはあれで多分姉である彼女に甘えているんだろう。表情からはよくわからないが。
「夏波も、嫌な時は言っていいんだからな」
「楽しいから、いい」
「……そうか」
脇に抱えられながら居間に戻る俺。水瀬家は今日も平和である。
次回投稿は明後日。
ペースが崩れたことにお詫びを。