剛剣・鋼打。
前世にて得意技であったもののひとつであり、貫通力という意味では類を見ない。刀であれば薄い鉄板ぐらいならば容易く貫いて見せる。まぁ、その場合剛剣・
さて、多大な破壊力を持つこの技だが、この技に限らず今の身体で剛剣を振るう場合、いくらか弊害が生まれてしまう。
「お兄ちゃん!」
背後から時雨が駆け寄ってくる。それに振り返ることはせずに、俺は手元の木刀を持ち上げてしげしげと見つめていた。
先端に軽いヒビ。そして柄の部分にも同じようなヒビが入っている。形状は保っているものの、最早使い物にはならないだろう。
先端のそれはともかくとしても、柄のヒビは問題である。突き出しの角度がぶれたせいで、持ち手に余計な負担がかかってしまったのが原因である。いっそのこと折れてしまえば良かったのに。そう思う理由は……
「おい」
「っ!?」
不意に手首。身体に走る悪寒に従い、反射的にそれを振り払って後ずさる。握る力を無くしたせいで、木刀は地面へと放り投げてしまった。
振り払われた手を所在なさげにふらつかせた赤髪の彼女は、煤のついた顔を擦りながら更に近付いてくる。
「お前、手首やっただろ……おい、逃げるな」
「……問題ない」
「んなわけあるか。そんな細い手首であんなことしたら」
「放っといて。時雨、ごめん。今日は帰る。……木刀も使えなくなったし」
「えっ、ああ、うん。お母さんに連絡しとく?」
「帰ってから自分でする。じゃあ」
先程掴まれた手首を胸元に抱え、地面を蹴る。後ろから呼ぶ声が聞こえるが……申し訳ないが、無理だ。身体がこの場にいることを拒否してしまっている。
鈍い痛みを堪えながら、俺は家へと向かって全力で走り始めた。
「行っちゃった……大丈夫かな」
残された時雨は、予想もしてなかった事態に混乱しながらも携帯を取り出した。念のため、まだ家にいるであろう姉へと連絡するためだ。
その横では、地面に落ちていた木刀を拾い上げ、夏波が走り去った方向をじっと見つめている彼女がいる。
「……ただの、木刀だな。芯に何か入ってる訳でもない」
次いで、真っ二つに粉砕された柱に視線を移す。軽く足で小突いた彼女は、感触から簡単に壊せるような代物ではないのを確認した。
彼女とて、背後に迫るこの柱の存在は知っていた。避けきれないと判断した瞬間に、抱えた人には悪いが地面に投げて迎撃するつもりだったのだ。
が、その刹那にすれちがった男が、こんな何の変哲もない木刀で目の前の状況を作り出した。
「何者だよ、あいつ」
夏波が彼女を気に掛けていたように、彼女もまた生徒会室での一件で夏波の存在を警戒していた。
ただちょっと視線を合わせただけで斬りかろうとしてきたのにも驚いたが、それを抑えようとした動きすらも読まれたのが彼女には衝撃的だったのだ。あんなことが出来るのは、数年前に死別した彼女の祖父くらいしか思い出せなかった。
「まぁ、いいか」
考えるのが面倒になった彼女は、木刀を肩に乗せて歩き始める。多少時間が危うくはあるが、遅刻したところで大した問題でもない。
「うん。そう……宜しく、じゃね。……ああっ、遅刻すんじゃん、ヤバっ!」
その横を、凄まじい脚力で走り抜けていく女の後ろ姿にも多少の既視感を感じたものの、それすらもまぁいいやと軽く流した彼女。
「あの、ありがとうございましたっ!」
「いーよ。怪我無くてよかったな」
先程助けた家の住人に後ろ手で木刀を振りながら、彼女は変わらぬ速度でテクテクと歩き続けた。
「おかえり。何か面倒に巻き込ま……真っ青だな。大丈夫か」
「……大丈夫。けど、今日は休む……」
息を切らして家に飛び込んだ俺は、何食わぬ顔で出迎えてくれた泉姉の顔を見て安堵する。
崩れ落ちそうな膝に気合いを入れて靴を脱ぐと、泉姉に連れ添われて居間へと向かった。
机の上には氷嚢やら包帯やらが用意されていて、どうやら時雨が連絡してくれていたらしいことを理解する。ソファに腰を落ち着けた俺は、乱れた息を整えるために大きく息を吸って、吐いた。
「ほら、手首見せろ。両方か?」
「……ん。捻挫してるくらいだと思う」
「なら、まず冷やすか。氷嚢よりこっちがいいな。後でテーピングしてやるから」
「ありがとう」
「学校に電話は……してないよな。先に連絡するか」
リストバンド型の冷却バンドを手首に巻いてくれた泉姉は、立ち上がって電話へと向かって歩いていく。学校への連絡は泉姉に任せるとして、俺は脈打つ鼓動を抑える為に目を閉じた。
木刀が役立たずの状態。その中で不意打ちで身体に触られ、相手は恐らく無手で俺を制圧出来るであろう力の持ち主。その状況で平然としていられる程恐怖症は改善していない。
直ぐにどうこうなるほど酷くないだけで、辛いものは辛いのだから逃げ出してしまうのも無理はなかった。情けないとは思うのだが、こればっかりは仕方あるまい。
「……あ、木刀」
そういえば、と放り投げた木刀を置いてきてしまったことにようやく気が付いた。が、どうせもう使えないのだから、と直ぐに諦める。取り回しのいい桐の木刀は部屋にあるので、明日からはそちらを持っていこう。
「連絡しといたぞ。……うん。顔色はマシになったな。傍にいた方がいいか?」
「大学は?」
「今日取る講義はいつでも取れるからな」
「……ごめん」
「気にすんなって。一緒にのんびりするか」
うつむきかけた頭がぐしぐしと撫でられる。家族のありがたさと暖かさを感じながら、されるがままになる俺だった。
翌日。
話を聞いた母さんがもう一日休ませようとしてくれるのを断り、何時もよりも長いハグをして納得させた上で登校する。
桐の木刀を携え、横には前のように氷華姉。手首もテーピングで固定はしているが、捻挫も思ったよりは軽かった。うん、何の問題もないな。
「私がいないときに限って問題が……」
「誰も悪くないから、気にしないで」
その場にいなかった氷華姉はもちろん、傍にいた時雨も、当然火事だって予測出来るものではない。何が悪かったかと言えば、運が悪かったとしか言えない。誰かが悪いとするならば、本能で動いた俺くらいのものだろう。
当然昨日は家族から軽い叱責を受けたが、皆俺の身を案じての言葉なのでしかと受け止めた。不謹慎かもしれないが、嬉しくすらあった俺はちょっと笑っていたらしい。怒れなくなるから勘弁してくれ、とは泉姉の言である。
「本当に大丈夫なのね?」
「大丈夫。ちゃんと木刀もあるし」
「木刀が無くなったら、っていう不安があるのよ……。昨日の話で改めて突き付けられた気分なの」
「それは……」
「まぁ、私が気を付けても仕方ない部分があるのもわかるけれど。とにかく気を付けること」
氷華姉の言葉に、頷きだけで返す。
言いたいことはわかるし、木刀が精神の拠り所になっている自分の現状がはっきりと理解出来たのは、ある意味で進歩とも呼べなくもない。
昨日のように木刀そのものが使い物にならなくなることはそうそうないだろうが、そうなった時の対処もいくらか考えなくてはいけない。木刀があるから大丈夫、では準備不足もいいところだった訳だ。
二本持ちもありか、とうっすら考えたところで学校に到着し、氷華姉と別れた。その際に俺よりも不安そうな氷華姉に思わず笑みが漏れ、彼女のそれが即座に不満そうな顔に変わってしまったのは余談だろう。
「水瀬夏波ってやつはいるか」
聞き覚えのある声が響いたのは、昼休みのことだった。
弁当箱を出したところで、教室の入り口に立っている声の主に目を向ける。
見覚えのある木刀を肩に乗せた赤髪の彼女は、不機嫌とも無表情とも取れないような顔をしている。
「げっ……お前何したんだよ……」
「さぁ、ね」
明らかに怯えた表情で聞いてくる一条を軽く一瞥してそう返す。
手を振り払って逃げました、とは勿論言えず、ホルダーに手をかけながら立ち上がる。彼女に負けず劣らず目立つ頭をしている俺だ。直ぐに視線が合い、
「……先に食べてて。すぐ戻る」
「大丈夫かよ」
「……さぁ、ね」
顎をしゃくり、踵を返した彼女の背を追い掛けて教室を後にする。
恐らく危険は無い……はずだ。仮にやり合う羽目になったとしても、今なら得物も手元にある。
鬼が出るか蛇が出るか――どちらもごめんだが、彼女と話したい自分がいるのも事実。覚悟を決めて、階段を昇る彼女の背を追った。