あべこべ世界で生きてます~剣と拳と男と女~   作:風神莉亜

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前半と後半の落差。
少し下世話な話があります。注意。


20~初めて枕を濡らしました

 目が覚めた時に最初に感じたのは、酷い頭痛だった。

 そして、身体中にまとわりつく気持ち悪い汗の存在に顔をしかめてから起き上がる。ポタリと額から落ちた濡れタオルを暫しボケッと見つめた後、

 

「喉……乾いた」

 

 ここがどこなのかも定かじゃないままに、本能的に飢えを感じてベッドから降りようと脚を下ろす。

 そうして立ち上がろうとした俺は、

 

「あれ」

 

 足に力が入らなかった。ぐらりと世界が傾いた。結果的に、けたたましい音と共に床に倒れてしまったのだ。何か色々と腕で薙ぎ倒したような気もするが、全く頭が回らない。

 

「夏波!? どうした!」

 

 階段をかけ上がる音。この声は……泉姉か。だったら、ここは家? でも部屋が俺の部屋じゃない。じゃあ、色々倒してしまったのは不味かったかもしれない。思えば、何か香水のような香りが鼻に当たっている。香水だとしたら、高いものかもしれない。参った、どう謝ろうか。

 そんなことを考えている内に、扉が開け放たれたようだ。

 一瞬息を飲んだような声が聞こえて、直ぐに身体が抱え起こされる。ぼやけた視界をはっきりさせようと瞬きを繰り返すと、そこには慌てた顔の泉姉がいた。

 

「大丈夫か!? 意識ははっきりしてるか!?」

「大丈夫……ちょっと、転んだだけ。それより……」

 

 抱えられたまま、首を真横に向ける。ようやく、自分がやらかしたことを目に出来た。やはり、香水と、他の化粧品が散乱している。ひどい有り様だった。

 俺の視線を辿り、何を気にしているのか察してくれたようだ。小さく息を吐いてから、俺の頭に手を置いた泉姉。

 

「心配すんな。全部安物だよ。たまにしか使わないしな」

「え……」

「なんだよ、アタシが使ってたらおかしいか?」

「……ううん。ちょっと意外だったけど」

「悪かったな、飾り気のない女でさ」

 

 そんなことを言いたい訳じゃなかったのだが。

 しかし、泉姉の方は冗談だったらしく、笑いながら俺を抱き上げた。

 

「今、何時?」

「五時を過ぎた辺りだな。腹具合はどうだ?」

「わからない……」

「起きたばかりだもんな……っと。少し片付けるから、待ってろよ」

 

 俺をベッドに優しく下ろし、頭を撫でて笑いかけてくれる泉姉。精神的に弱っているからなのか、彼女の存在がひどく心に刺さるのを感じた。

 そして、触れていた熱が離れていくのを感じた体が、俺の意思とは関係無くそれに反応する。

 気が付けば、瞳からはらはらと涙が流れ落ちていた。

 

「ちょ、ちょっと待った。いきなりどうした」

「……わからない。でも、止まんない」

 

 悲しい訳ではない。しゃくりあげるような、辛い涙ではなく、ただただとめどなく流れる涙が頬を濡らす。

 滲む視界の向こうでは、焦った泉姉がおろおろしていた。困らせてしまっている。しかし、どうにもそれは止まってくれない。

 

「大丈夫。気にしないで」

「気にするだろ普通……。どこか、痛い訳じゃないんだよな?」

「うん……」

 

 どこから出したのか、柔らかなハンカチで涙を拭いながら、反対の手で頬に手を添えてくる泉姉。その手の暖かさが心地好くて、その上から自分の手を当てた。

 

「……あったかい」

「こうしてれば、落ち着く、のか?」

「うん……少しだけ、こうしてていい?」

「んなこと聞かなくていいんだよ。これでも水瀬家の長女だぜ?」

「ん」

 

 小さく返事を返してから、彼女の胸に頭を押し付ける。

 らしくない。全くもってらしくないのだが、今は素直に泉姉に甘えたいと思う。

 かつて失った、血の繋がった家族の温もり。思えば、こうして誰かに弱さをさらけ出して甘えることを、俺は知らなかった。

 

 それをする相手もいなければ、してはいけないと自制していた斎藤始。

 

 本当はいつだって甘えたかったはずなのに、身体が、心がそれを許してはくれなかった水瀬夏波。

 

 二つの人格が抱える想いが混じり、涙となって頬と泉姉のシャツを濡らしていく。

 それを気にする様子もなく、泉姉はそれを受け止めてくれた。何を言うわけでもなく、ただ優しく頭を撫でてくれる。

 それがひどく嬉しくて、俺は更に強く頭を押し付けた。

 

 そこに、新たな声が響く。

 

「泉姉~。随分遅いけど、何があった……」

「……あら」

「あらあら? うふふ」

 

 声からすると、どうやら家族全員がこの部屋に集合したようだ、と暗いままの視界で判断する。

 泉姉の心音が跳ね上がり、その勢いでかぎゅうっと身体を抱き締められた。

 

「の、ノックぐらいしろよお前ら!」

「いやドア開いてたしー。それよりも」

「まずはその状況を説明してもらいたいものね。言い訳ぐらいは聞いてあげる」

「うふふふ」

「こ、これは、その~……アタシからやった訳じゃあ」

「その割には貴方からしっかり抱き締めてるように見えるけど」

「お兄ちゃん胸に埋まってんじゃん。かわいそー」

「ふふ、うふふふ」

「べ、別にいいじゃんか。お前らと違ってアタシは家でしか夏波と会えないんだし! スキンシップ……そうスキンシップだよこれくらい」

「早くも開き直ったわね。時雨、手伝いなさい」

「え? あぁ……まあ、うん。取り敢えず」

 

 わいのわいのと繰り広げられる会話に耳を傾けている内に、涙は止まり始めていた。気持ちにも大分余裕が出来たようだ。……先程からうふうふ笑っている母親が少し不気味に思える程度には。

 なので、少し力を入れて顔を離し、ちらりと三人がいるであろう方向へと視線を向ける。そこには、両手を広げた時雨の姿があって。

 

「ベッドに、どーん」

「うおっ、おまっ!?」

 

 俺を抱えたままの泉姉は、時雨によって二人ともにベッドに押し倒されてしまう。楽しそうな顔の時雨に何事か、と聞くよりも先に、その上から更に、

 

「最後は私よ。頑張って夏波を守るのね」

「お前ら、二人して乗っかるんじゃねぇよぉっ! 夏波が潰れるだろ!」

「だから守れって言ってるじゃない?」

 

 うおおぉ、と律儀に一番下になってしまった俺を守る為に呻き声を上げる泉姉。その上で楽しそうに笑う時雨と氷華姉を見て、どうやらふざけてじゃれているだけのようだと判断する。もぞもぞ動いて視界を確保すると、唯一動きのなかった母さんが途中で終わっていた化粧品やらの片付けを終えていたところだった。

 

「もう少しでご飯にするから、終わったら降りてきなさいね。じゃ」

「いや助けろよ!?」

「勢いでやったけどお兄ちゃん重くない?」

「平気」

「ちょ、耳元で喋るなって! くすぐったいわ!」

「この中で一番重いのは泉だし」

「うるせぇ! ……うるせぇ」

「こんなに細いのに」

「夏波に言われたくねぇよ……」

 

 そのウエストに手を回しながら呟くと、悔しげに泉姉が呻いた。そりゃあ俺だって細いには細いが。鍛えてるのに一向に見た目に現れる気配の無いこの身体より、健康的に引き締まった泉姉の身体のほうが羨ましい。

 ほら、服の上からでも触れば腹斜筋のラインが……

 

「こ、こら夏波。くすぐったいぞ」

「あ、ごめん」

「……お兄ちゃん、お腹なら私も自信が……」

「下心丸見えね」

「い、いいじゃん別に!」

「良くはねぇんじゃねえか……?」

 

 結局、四人で騒いでいる内に俺の調子も元通りになり、痺れを切らした母さんが突撃してくるまで部屋で談笑が続くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 大学の講義が午後からだったこともあり、長女である泉は普段よりもゆったりとした気分で朝の時間を過ごしていた。

 寝ぼけ眼で朝食を取る時雨や、ココアを飲みながら静かに佇んでいる氷華。書類が見当たらないとバタバタ騒いでいる母親である瑞樹の三人をぼんやり眺めつつ、新聞をソファで開く。……一家の大黒柱が一番落ち着き無いのはどうなんだろうな、なんて感想を抱きながら。

 

「あ、泉」

「どした母さん。書類あったのか」

「それが何でかトイレにあったの……いつ持ち込んだのかしら――じゃなくて。夏波、今日は休ませるから。いる間は宜しく頼むわよ。昨日の様子を見る限り大丈夫だとは思うけど」

「あぁ」

 

 その言葉に新聞から目を上げると、家族全員がこちらを真剣な顔で見ていることに泉は気付く。それに臆することもなく、一言だけ返してからまた新聞に視線を戻した。一家全員の暗黙の了解、優先事項として夏波の存在は非常に大きい。

 行きすぎてはいけないことはもちろんわかっているのだが、まだ過保護なくらいで丁度良い、というのが共通認識として家族にはあった。

 

 その後、学校に、そして会社にと出発していく家族を見送った彼女は、玄関の鍵をかけてチェーンまでしっかりとかける。再三それらがかかっているかを確認した後に、一階部分にある外から出入り出来そうな部分を見回り始めた。

 夏波の存在は既に近所中に知れ渡っている。本人にはそこまで自覚が無いようだが、彼の容姿は家族の贔屓目を無しにしても秀でてしまっているのだ。

 

「……馬鹿な連中がいないとも限らんしな」

 

 独り言を呟きながら、窓の鍵を全て閉めていく。

 かつてその馬鹿な連中の毒牙にかかってしまった前例がある為に、泉はこの辺りの警戒は常に怠らない。もしまた同じようなことが起きてしまったら、泉だけでなく、家族は今度こそその罪の意識に耐えうることが出来ないだろう。

 

 とにかく、自分がいる間はそんなことは起こさせない。

 少しだけ暗い気持ちになりかけた自分をそう奮い立たせ、全ての確認を終えた泉は階段へと足をかける。

 まだ起きてこないのだろうか、とあわよくば寝顔なんか見られたらいいな、なんて。

 

「……アタシも大して変わらないかぁ」

 

 想像すると少しだけにやけてしまう自分の頬を軽くつねると、彼女は階段を上がり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「……おかしい」

 

 ベッドの中にて。俺はかつてない違和感に襲われていた。

 

「暑い……熱でもあるのか……」

 

 ぱっとした目覚めではなかった。寝苦しさから、うなされながらようやく目が開いた感覚だった。

 汗の量が尋常ではないし、身体は火照って言うことを聞かない。ぼやけた頭は思考回路が働かないしで、一見すると風邪でも引いたのか、と思ってしまいそうなのだが。

 

「おかしい……生理現象ではあるけど、この身体では初めてだな……」

 

 今のところ倦怠感に包まれた身体の中で、一ヵ所だけ恐ろしく覇気がみなぎっている部位があるのだ。

 それすなわち性別を男性たらしめている部分。今まで特になんら主張を示してこなかった男のシンボルが、何故か今、ここにきて自己主張してしまっているのだ。

 

「……と、とにかく仰向けは不味い……」

 

 柔らかなパジャマに薄いシーツ。そんなものではこの主張を抑えられるわけもなく、俺は取り敢えず横向きになることでその屹立する様を誤魔化すことにする。

 ……考えてみれば、夏波になってからこれは初の事ではないだろうか。性的に興奮することが恐怖症のせいで殆ど無かったことと、毎朝訪れる生理現象も無かったことで頭から外れていたが……うん。確かにこれが初めてだ。

 だって自分でも初めて見たし。ちょっとだけこの外見からは似合わないものを持ってるな、とか思ってはいたが、戦闘体勢はもっとえげつないようだ。今のところ使う当てもないのに。

 しかも、今の寝返りで更にわかったことがある。

 

「これは……不味い……。動けない……」

 

 ここにきて、やはり一番の問題は下半身だということを痛感する。身体の火照りや気だるさなど些細なことだ。……いや、そちらも結構なものではあるのだが、さしあたって危機と呼べるのは何よりも物理的に下の方にあった。

 寝返りを打ったことで、当然下腹部には刺激が生じる。

 

 具体的に言うと、先端が擦れる。

 

 まぁたったそれだけのことなのだが――

 

「――動けない……」

 

 それだけで、あわや大惨事になるところだった。

 とにかく感覚が鋭くなってしまっている為に、些細な刺激が命取りになってしまう。

 一体自分の身体に何が起きてしまっているのか。働かない頭で思い当たるものをいくつか羅列していく内に、ひとつこれだと言えるものが見つかる。

 それは前世の男には無かった、こちらの男にしかない現象である。そしてそれは、水瀬夏波の身体には今まで起こっていなかった――本来は二次成長と共に自然に訪れるものであり、機能不全を起こしていたのかもしれない――それが、ここにきていきなり訪れたとしたら。

 

「……どうしよう」

 

 原因というか、この症状がどういうものなのかを把握すると同時に、今度は下腹部に強烈な痛みが走る。ただ気持ち悪いだけだった汗が脂汗に変わり身体中から吹き出し始めた。

 今まで、前世も含めて感じたことの無い種類の痛みに、顔を歪ませて身体を丸める。そんな中でも、変わらず元気な自らが邪魔臭くて仕方がない。

 本来なら薬なり何なりで世の中の男子はこれを済ますらしいが、この現象自体を忘れていた俺は何をどうすることも、というか、何をどうすればいいのかすらわからない。何せ、俺も夏波も経験したことがないのだから。

 その痛みは徐々に増していき、いよいよ呻き声すら抑えられなくなった頃に、ノックの音が部屋に響いた。

 

「夏波ー? まだ寝てるのかー?」

 

 泉姉の声だ。

 またしても弱っている姿を晒す羽目になるのかという思いと、何となくこれでこの状況から脱せられるんじゃないかという思いが混じって、言葉にならない声が漏れた。

 部屋に鍵はかけていない。やがてゆっくりとその扉が開き、キョロキョロしながら泉姉が部屋に入ってくる。そして恐らくはひどい顔をしてベッドに横たわる俺を確認するや否や、彼女は表情を変えてこちらに駆け寄ってきた。

 

「どうした。具合悪いのか」

「いや、その……多分、アレ」

「アレ?」

 

 俺の言葉に、疑問符を頭に浮かべたらしい泉姉が俺の髪を耳にかけてくれながらも首を傾げた。

 多分、女性である泉姉にはピンとこないのだろう。俺だって、女性の生理にはそこまで理解が深くない。まさか、こんな形で逆の立場に立つことになるとは思わなかったが。

 

「その……吐精日だと、思う」

「とせっ……!?」

 

 俺の言葉に一瞬にして真っ赤になった泉姉。その視線が一瞬だが俺の股間辺りに向かったのはまぁ仕方がないこととして、俺は彼女に一抹の希望をかけてみる。

 

「これ、どうすればいいの……?」

「い、いやぁ……アタシにはちょっと。痛いのか?」

「すごく」

「その割には顔が変わってないように見えるけど、とにかく痛いんだな」

「……なんと」

 

 自分ではかなり顔を歪めているつもりなのだが、傍目にはいつもの無表情とあまり変わっていないようだった。これでは此方の苦しみがあまり伝わらない。いや、多分本当の意味でわかってはもらえないのだろうが。

 

「と、取り敢えず母さんに電話してみる」

 

 ポケットから携帯を取り出した泉姉は、それでも焦ってくれていたらしい。忙しなく指が動いたかと思うと、直ぐにそれを耳に押し当てた。

 

「……あ、母さん!? その、聞きたいことあんだけど」

「…………」

「その、夏波がさ。えーっと……あれだ。と、吐精日が来たって、痛いって。これ、どうすりゃいいんだ?」

「…………」

 

 ……仕方無いこととはいえ、目の前で異性に吐精とか言われると恥ずかしくてたまらないのだが。

 これが激痛と熱で半分ぼやけた頭でなければ、俺は速やかに逃げ出している自信がある。

 

「薬じゃダメなのか……じゃあどうすりゃ……」

 

 泉姉の受け答えから、どうやら母さんにはそこらの知識があるようだ、と少し安心していると、急に泉姉が不自然なまでに動きを止めた。まるで石化でもしたかのようにピタリと……いや、口だけはパクパクと動いている。そしてみるみる内にまた顔が真っ赤になっていく。

 

「……え、俺?」

 

 しばらくそのまま固まっていた泉姉だったが、不意に携帯が此方に差し出される。

 それを受け取り、取り敢えず耳に当てた。

 

「母さん……?」

『あぁ夏波? 大丈夫?』

「あんまり」

『みたいね。貴方、もしかしなくとも今回が初めてなの?』

「だから困ってる……どうすれば収まる?」

 

 二重の意味で。

 

『泉にも言ったけど。取り敢えず痛みが出るまでいったら薬は意味ないの。そこまで来たなら……えぇ、恥ずかしがる年でも無いからストレートに言っちゃえば』

「言っちゃえば?」

『出すしかないわね』

「ぶふっ」

 

 思ったよりもど真ん中の直球に、思わず吹き出してしまった。いやまぁ、この痛みが溜まったものによる圧迫とかだったなら、確かに外に出してしまえばそれが治まるのは道理である。

 

『取り敢えず、一回出しちゃえば楽になるはずよ。自分で出来るわよね』

「セクハラの一言で収まらない……」

『し、仕方無いじゃないの』

「まぁ、わかった……ありがと」

『泉には釘指しといたから、まぁ今日一日は頑張りなさいな』

 

 プツリと通話が切れる。

 成る程、泉姉が真っ赤になってフリーズした理由はわかったとして。

 

「泉姉……心中察するけど、重ねて頼みたい」

「な、なんだ」

「その、トイレまで肩を貸して欲しい」

「あ、あぁ……それなら、背負ってった方が楽じゃねぇか?」

「それだと、何がとは言わないけど、当たる」

 

 俺の言葉に思いっきり咳き込んだ泉姉は、それでも取り敢えず俺をベッドから起こしてくれた。

 そして、痛みに耐えながら地面に足をつけて、

 

「……恥ずかしいから、下見ないで欲しい」

「わかってる……わかってるぞ」

 

 当然、身体の上にかかっていたシーツも無くなり、ズボンを押し上げた愚息の存在がこれでもかと主張する羽目になる。

 一人で行けたならば、もしくは部屋で事足りたならば何の問題も無かった。

 しかし、この痛みでは一人で歩くこともままならず。そして、予感として部屋で事を成そうものなら色々と汚してしまいそうだったことから、恥を忍んで泉姉に頼むしか無かった。

 そして、最後の問題は。

 

「っ……泉姉、少し、ゆっくりっ……」

「い、痛いか?」

「痛いには痛い、けど……」

 

 一歩踏み出す度に小鹿のように足を震わせる俺は、泉姉にすがりついてなんとか次の一歩を踏み出していく。

 敏感になっているといえばそれだけの話なのだが、これは、流石に、堪える。

 二階にあるトイレまでは、今の歩数にして残り十歩もないくらいだろう。正直言って、遠すぎる。

 

「や、やっぱりアタシが担いだ方が」

「それは、色々と拙い」

 

 ただでさえ歩くだけで腰が抜けそうなところを、異性である泉姉に腰回りを触られてしまえば、今の俺はただそれだけで果てる自信がある。何とも下世話な話だが、事実なので仕方がない。色々と手遅れな感じではあるが、それでも越えてはいけない一線はあるのだ。

 彼女の目の前で果ててしまおうものなら、俺はショックでしばらく部屋に籠る。絶対。

 

「も、もうすこ、し」

 

 しかし、悲しいかな。本当に悲しいことに、俺の予想以上に、俺の身体は限界を迎えていたようで。

 あと数歩、といったところでついに俺の腰は抜けてしまう。それでも、ただ崩れ落ちるだけだったならば、きっとまだ俺は耐えられた。

 しかし、泉姉は座り込みそうになる俺を咄嗟に抱き抱えてしまう。顔がその豊かな胸に埋まり、身体が密着してしまったことにより、強くそれが彼女の身体に擦れてしまい、結果。

 

 

「―――っ」

 

 

 

 ――その後の事は、良く覚えていない。いや覚えてはいるのだが、思い出したくない、といった方が良いだろう。

 

 取り敢えず、俺が無事ごく短期間ながら引きこもりになったことから全てを察することが出来るだろう。

 

 

「……吐精日とか滅びればいい」

 

 

 さめざめと枕を濡らしながら、俺はそんな呪詛を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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