「で、一日治まることがなかったと」
「もう病気なんじゃないかってくらい……」
「ふむ」
深い精神的ダメージを負い、約一日経って無事に引きこもりから脱した俺は、最早懐かしく感じる男性保護施設へと訪れていた。
こちらも懐かしい艶々キューティクルな先生が、顎に手を当てたものの、その表情は別段深刻なものではなかった。
「検査した結果を踏まえて言わせてもらえばね、これに関してはそう深刻に捉えなくていい」
「でも……ホントに一日中ひっきりなしにしないとすぐに……」
俺が何故に先生の元を訪れたのかと言われれば、精神的ダメージの原因となった吐精日について相談しに来たのである。
思えば、吐精日に関して俺はそこまで深い知識を持っていない。夏波としての知識も、自分には来ていないこともあってほんのさわり程度にしか学んでいなかったのだ。
なので、自分のあれが正常であるのかどうかがわからない。というか、俺から言わせれば普通に異常とすら言える。
恐怖症を患った夏波という人間は、本来なら性的対象になるはずの異性を完全に敵として捉えていた。そんなわけで、そもそも性的に興奮することが無かった訳で。つまり男としての機能をほぼ使うこと無く、実際に機能不全に近い状態だった。なので吐精日なんてものも来なければ処理をする必要もなかったのだ。
そしてあれである。思い出すだけで瞳から光が抜け落ちそうになる開幕は取り敢えず捨て置くにしても、その後がまた大変だった。
何せ、処理を終えても一時間も待たずにまた同じような状態に戻ってしまうのだ。当然俺の意思なんかは無関係であり、下手に我慢しようものなら歩くこともままならないまでになる。
酷い時は処理も一回では終わらない。しかも回数を重ねたところで全く衰えることがない。朝の一撃は例外としても、ようやく収まる気配を見せた翌日の朝まで、質も量も変わらなかった。
……俺は一体何の話をしているのだろうか。
一瞬現実逃避をしそうになったが、おかげで睡眠不足になったことを思えば逃げている場合でもない。
これが俺の身体がおかしいとして、吐精日が来る度にこうだとするならば、治らないにしても周期くらいは把握しておかなければならない。もし出先でああなったとしたら、俺は本格的に引きこもりになってしまう。
なので、こうして検査をした訳なのだが。
「取り敢えず、本来なら精通と共に訪れる吐精日が今まで来なかったことの方が異常だった、という事実は理解出来るだろう? これはどちらかというと喜ばしいことなんだ」
「…………」
「釈然としないのは承知の上で話を続けるよ。この施設にいた頃の君は、そもそもホルモンバランスが崩れてしまっていたんだ。それは君の容姿にも大きく影響している」
それは確かに。と納得する。
俺の常識から見てこの世界の男性は、分かりやすく男らしい人間が少ない。その原因はやはりホルモンにあった。しかし、俺がうっすら考えていたものとは少し違って、そもそも男性ホルモンと女性ホルモンの役割が色々とごちゃまぜになっているということが俺の理解を難しくさせていた。
しかも男性と女性ではホルモンが身体に及ぼす影響がそれぞれ違うというのもあり、色々とややこしい。
分かりやすいところでは、同じ男性ホルモンでも、男性の身体に多ければ肌の張りが良くなったりあまり毛深くなることがなかったり。女性であれば身体が大きくなりより色々と活発になりやすいという。
ならばたまにいる毛深くワイルドな男性はどうなっているのかと言われれば、あれは逆に女性ホルモンが多いとああなるのだとか。あべこべというか最早滅茶苦茶である。
つまり俺の場合は、男性ホルモンの量が多く、強く俺の身体に影響を及ぼした結果、より中性的に成長してしまった、というわけだ。
「で、今回の検査結果だけど、ホルモンバランスはかなり良好な状態で、こちらに異常は見当たらない。もしかしたら、少しは外見にも変化は出るかもしれないね」
「はぁ……」
今更少しばかり変化が出たところでなぁ、と気の無い返事を返してしまう。でも、それで少しでも筋力がつくようになるならそれは歓迎である。
「で、意外な結果……まぁ、数値上は異常……とも言えるのかな? が、出たのは、精子の量だね」
「そういえば採取しましたね……」
「相談内容の肝じゃないか」
「そりゃあそうですけど」
あからさまにテンションを落とした俺の声に、何を今更と息を吐きながら返してくる先生。わかってはいるが、家族の目の前で粗相をやらかした後である。検査の為とはいえ、人にそれを渡すという行為は俺のメンタルを削るには充分な行動ではないだろうか。
恐らくはまた光を失い始めたであろう瞳をした俺を軽くスルーして、先生は手元の資料に目を向けた。
「量、濃度、運動率、及び正常形態率……後は、実際に溜めておける量も……どれも基準値を大きく上回ってるんだよね。だからといって健康に影響あるかと言われると、そうでもないんだけど」
「それは、どれくらい?」
「カテゴリにもよるけど、おおよそ人の三倍から四倍」
「えぇ……」
確かに自分でも引くレベルではあったが、実際に検査してしっかりとした結果の元で数値を確定されるとドン引きしてしまった。
先生の言ったカテゴリーの内容はともかく、ようは俺の身体は普通の男性の三人から四人分のポテンシャルを秘めている訳だ。あんまり素直に喜べない。
「勿論、これがずっと続くと決まった訳じゃない。これから徐々に落ち着いていくかもしれないし……もしかしたら、まだ発展途上という可能性もある」
「出来れば前者がいいです……」
「あはは。で、本題の吐精日だけどね。そもそも身体が作る精子の量も人より多い上、処理を一度もしなかったせいで酷くなったんだろう。定期的に処理しておけば、大分違うはずだよ。……それでも、人よりは大変かもしれないね。そもそも、通常よりも多く製造、排出されるのが吐精日な訳だし」
「薬は……」
「あまりオススメはしないけど、効果はあると思うよ。オススメしないっていうのは、副作用の面でね。そもそもの製造を抑えるものと、尿と共に排出させるものがあるけど、前者は本来ある機能を抑える訳だから当然身体に良くない。後者は、夏波君の場合より事態を悪化させる可能性もある。今回で言うなら……尿の方が追いつかないばかりか、脱水症状すら起こしかねないかな」
……ま、まぁ確かにそれはあり得る。というか、実際ヤバイと思って水分だけは取り続けた訳だし。
「取り敢えず、一般的な周期は月に一度だから、来月の今辺りになったら気に留めておくことかな。最初に言った通り、悪いと言えるところは何一つ無いんだから、不安になることはないよ」
「……わかりました」
「あと、何も無くてもたまには顔を見せなさい。贔屓は職業柄ダメなんだけどね。勝手に息子のように思ってるから」
「……はい。勿論」
「ようやく笑ってくれたね。上手く笑えるようになったじゃないか」
くしゃくしゃと頭を撫でられ、少し気恥ずかしくて目を細める。
俺も、貴方は父親のように思っています、とは流石に恥ずかしくて言えない俺なのだった。
「で、どうだったの? 良いか悪いかでいいから教えてちょうだい」
「良いか悪いかで言えば……良かった、のかな」
「……内容が内容だから、あんまり深く聞くのは良くないとは思うけど。何か気になることがあったの?」
母さんが運転する車の中。
俺の歯切れが悪い返事に、大分遠慮がちに母さんが訪ねてくる。まぁ確かに内容があれだからな。真っ直ぐ聞くには少し抵抗があるだろう。……あのアドバイスはド直球ではあったが。
「えっと……単純に、人より数値が高いだけの話ではあったんだけど」
「まぁ、そうなんだろうなとは思ってはいたけどね。その反応からすると、結構なものだったのかしら」
「……普通の三倍から四倍らしい」
「さんばっ………!」
「俺も悪いけど事故は止めてね」
俺のカミングアウトに若干ハンドルをぶれさせた母さんだったが、しかし軽く咳払いをした後に平静を取り戻したようだ。
まぁ、息子の下半身事情という考えるまでもなくアブノーマルな話題である。言ってから俺は何を言っているのだろうかと窓の外の遠い景色へと視線を飛ばした。
もう俺からは口を開かないでおこう。母さんにこれ以上衝撃を与えると本当に危ない気がする。取り敢えず、こんな話題すらも家族相手には出来るようになった、と強引に頭を切り替えることにしよう。
「……元気で健康、ってことよねぇ。喜ばしいこと……喜ばしい……あっ」
「…………何?」
「出前でも頼もうかしら。何食べたい?」
「出前はともかく、祝うのはちょっと……」
どうやらまだ微妙に混乱しているようだった。