改めて腕力……というよりは身体全体の力の差を思い知った翌日。
朝風呂を満喫してる中で、ふと全身鏡に映った自分の身体を眺めて見る。
退院してから意識的に鍛えてきたはずなのだが、見た目で言うならほぼほぼ変化と言うものが見当たらないことに気付いた。
「……見た目だけが全てじゃない、なんてわかってるけど」
腕を曲げて、力こぶを作ろうとしても。そこには華奢な腕があるだけ。ちょっと、心無し筋肉的な見た目はあるかな、程度のもの。
腹筋も、まぁ少しばかりは割れてるようにも見えなくは無いが……。鍛えて割れた、というよりも贅肉が無いからそう見えるだけだろう。
贅肉が無い分表面には現れやすいはずなのだが、やってきたトレーニングの量にしては、目に見える成果が少ないと言えた。
「力そのものはついてきてるんだけど」
時雨も言っていたように、世間一般の男子の中ではかなり力のある部類にはなるのだろう。それでも、年下の時雨に歯が立たなかったのを見ると、やはり前世の男女と同じくらい、もしくはそれ以上に力の差があることが伺えた。
「……それにしても」
水に濡れた髪と身体をまじまじと眺める。身体の傷痕はこの際無視しても──
「我ながら……扇情的、というか」
この際直接的に表現するならば、エロい。
自分の身体に何を言っているのかと言われればその通りだが、事実そう感じるのだから仕方がない。
というか、実際この身体はこの世界の女性的にはどういう評価が下るのだろうか。好みなんて千差万別、刺さる人もいれば論外の人もいるだろうが。
前世の男としても何となくそわそわしてしまうのだから、もしかしなくともそうなのかもしれない。
「……ま、今のところ家族以外に見せるつもりも無いけれど」
言いながら、熱く張ったお湯へと身体を放り込む。
……あ、髪纏めるの忘れてた。
「……あれ、早いね」
「──はぁっ!」
「着てるから」
「あぁ……セーフぅ……。朝からお兄ちゃんの裸なんて刺激が強すぎるぅ……」
脱衣場から髪をぐしぐししながら出ていくと、ふらふらと歩いていた時雨と廊下でエンカウントした。
完全に寝ぼけ眼だった目が、此方の声を聞いた途端にかっぴらいて直ぐ様手で顔を覆うのを見届けてから、その両腕に手をかけて開かせた。目が覚めたようで何よりである。
「……別に家族なら上ぐらい見られてもいいんだけど」
「こっちが良くないの!」
「あんなにくっついてくるのに」
「裸はまた話が別でしょ! もっと警戒心持って!」
「だから着てるって」
何故かまた顔を覆おうとするのを、力では勝てないので直接顔を包むことで阻止してみる。その顔は真っ赤である。
別に普通の普段着なので、露出が多い訳でも無いのだが、と首を傾げた。
「…………?」
「うぅん……その首傾げは無自覚のそれ……。というか、この状況が既にガチ恋のそれ……」
ぶつぶつと言う時雨の顔から手を離すと、彼女は自分で顔をパチンと張った。何やら自制心を奮い立たせたようである。
「……でも、ちょっとわかっててやってるでしょ」
「ふふ、からかい過ぎた」
「もう。外でやったら駄目だからね」
「家族にしか怖くて出来ない」
「良かったのか悪かったのか……」
自分で顔を揉みながら言う時雨に、クスリと笑いながら謝っておく。少しばかり性格が悪かったかもしれないが、気を許してるからこその遊びである。
「自分の可愛さを自覚してる男って……」
唇を尖らせながら言う時雨も充分美人だとは思うが、それはさておき。
「今日は休みだけど、ずいぶん早起きだね」
「ん。部活の朝練があるから」
「朝練」
「そ、朝練」
見た目ギャルで遊び歩いてそうな見た目の時雨だが、実は陸上の全国選手だと知ったのは少し前。家にいる間はだらだらしている姿が目立つが、部活となると精力的に活動している。まぁ、だらだらと言っても、これはオンとオフがはっきりしているからこそのだらけ具合なのだろう。
「頑張り屋。兄は嬉しい」
「へへ。お兄ちゃんだって、剣道? 頑張ってるよね」
「死活問題だから」
頭を撫でると照れ臭そうにする時雨が、此方の手に巻かれたテーピングに目を向けながらそう言う。
厳密には剣術だが、まぁ訂正する必要もあるまい。
「気になる?」
「少し、ね。せっかく綺麗な手なのに、ちょっともったいないかなって」
「でも、時雨はあんまり止めない」
「お兄ちゃんの身体はお兄ちゃんのものだしね。泉姉や氷華姉ほど止めたりはしないかな。あんまり酷かったら止めるけど」
「心配してくれるのは嬉しい」
でも、色々とやめるつもりも無い。元より剣だけに人生を費やしてきたような人間なのだ。身体と境遇が変わっても、精神が剣を放すことを許さない。
そんな心持ちが伝わったかどうかはわからないが、時雨は困ったように自分の頭上にあった手を取って、その両手に包んだ。
「頑固だよねぇ、お兄ちゃんって。私に腕相撲負けた時も悔しがってたし」
「いずれは泉姉にも勝ってみたい」
「それは、ちょっと応援しかねるなぁ……」
軽い冗談に、二人共に苦笑する。
この身体で泉姉に力で対抗するのはあまりにもコスパが悪い。というか、それが可能ならば剣に拘る理由も薄まるし。
……ふと思ったが、仮に前世の身体で勝負出来たらどうなるのだろうか。もしかすると……もしかしなくとも、良い勝負なのかもしれない。なおのこと力で勝とうと思えなくなった。
「いちゃつくのも良いけどよ。遅刻しても知らないぞ」
「噂をすればゴリラが来たよお兄ちゃん」
「本当にその腕折られたいのかお前」
「やん、いじめられるよお兄ちゃん」
「盾にされても困る」
今朝も、水瀬家は平和だった。
「氷華姉って、運動とかしない?」
「なに、藪から棒に」
多忙である我が生徒会長様にも、もちろん休みはある。時たま休みの日でも学校に行く辺り、社会人か何かと勘違いしそうにもなるが、彼女とて普通の高校生である。
今日の学校お休みメンバーである自分と氷華姉、先程時雨の頭を鷲掴んで悲鳴をあげさせていた泉姉とリビングでくつろいでいたのだが、
「いや、泉姉も時雨も運動部寄りだし、氷華姉も何かあるのかと」
「……まぁ、普段の様子からはそんな印象は無いかも知れないわね」
「一応言っとくが、別に運動部家系って訳じゃないぞ。母さんなんかはびっくりするぐらいどんくさいからな」
「それは知ってる」
この家族を平気で養えていて、尚余裕のある生活をさせて貰えている辺りとんでもなく仕事は出来る人なのだが。
一緒に生活しているとその辺りはからっきしなのがわかってしまうのが悲しいところ。因みに今朝は自分の脱いだ寝間着に足を引っかけて転んでいた。家族は基本的にノーリアクションである。可哀想だったので近付いたら捕まっていた。食中植物に捕まる虫は多分あんな感覚なのだろう。
「もう引退したけれど、新体操はやっていたわ。泉や時雨とは毛並みが違うかもね」
「そんなこと言ったらアタシは格闘技ばっかりだったし、時雨は陸上だしなぁ。毛並みは全員違うだろうよ」
「新体操」
「そうよ。飛んだり跳ねたりは、皆の中では一番得意かもね」
これはまた予想外のものが、と目を瞬かせる。
全くと言って良いほど知識は無いが、どんなものかぐらいは知っている。なるほど、新体操か……。
「……似合う」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「そういや、大学行ったらまた始めるのか? 今からでも推薦取れたりすんのかな」
「その辺りはともかく、変に遠い所には行かないわ。折角また夏波と暮らせるようになったのだから、普通に地元の大学に行って……そうね。また始めてもいいのかも」
ソファの隣に座っていた氷華姉が、頭を抱き寄せてくる。抵抗せずにその肩に寄りかかった。
「フフ。今なら何の不安も無いし、行けるとこまで行ってやろうかしら。逃げただのなんだの好き勝手言ってくれた連中に目に物見せてやれるわね」
「こえぇよ。顔が整ってる分余計にこえぇよ」
対面に座っていた泉姉が顔を引き釣らせている。なんとなく、今は顔を見ないようにした方が良さそうだ。これは少し話を逸らした方が良い、のか?
「……とりあえず、水瀬家は負けず嫌いの家系なのはなんとなくわかった」
「話逸らせてねぇからな」
心を読まれた。
「んで、母さんは何してんだよ」
「話題に出てたから氷華の体操の映像でも流そうかなって」
「なっ……!」
「夏波。全力でしがみつけ」
「うん」
「くっ、嬉し、いや、離しなさい夏波!」
「本音漏れてる時点でお前の敗けだ」
その日の午前は、氷華姉の現役時代の新体操上映会が開かれた。
滅多なことでは表情を崩さない彼女の頬に紅が差すのを、この日間近で初めてはっきりと拝むことになるのだった。