「どう、かな」
「「「「…………」」」」
「なんか言ってよ」
幾らか軽くなった頭を触りながら、黙りこくってしまった家族へと苦笑いを向ける。
俺の後ろではニコニコしながら後始末を終えたらしい美容師さんが立っている。清潔感溢れる爽やかなイケメンだ。予約殺到の超人気男性美容師だが、男性優先の予約を組んでくれる面でも有名な人である。
当然ながら先に予約していた女性は順番が遅れることも多々あるらしいが、クレームは然程来ないらしい。多少の遅れは彼と接することを思えばそれもスパイス的なものになるのかも……というか、実際にそう女性客からそう言われたこともあるそうな。
「……夏波、お前間違っても一人で街出歩くなよ」
「そうねぇ。これはちょっと……」
「護衛つけるのも考えなくちゃいけないわね」
「アタシくらいの奴等は逆に近寄れないかも……なに?高嶺の花、みたいな?」
「褒めてるんだよね、それ」
言いたいことはわからなくもないが、四人の深刻な顔を目の前にしては素直に喜ぶことも出来やしない。
ちらり、と先程まで見詰めていた鏡を横目で見る。そこには、灰色のロングヘアを後頭部で軽く纏めた自分の姿。ハーフアップ、と言ったか。伸ばし放題だった髪は軽く梳かれ、毛先も綺麗に整えられて。元から髪の毛自体の痛みは少なかったようで、軽く手を入れるだけで充分だった、とは美容師さんの談だ。
余談だが、取り敢えず梳いてくれればいいや、と注文したら彼に軽く注意されてしまった。変な美容師にそんな注文したら梳き過ぎで髪の毛がぺらっぺらになることもあるとか。
どの道これからも彼にやってもらうつもりなので心配はいらないと思うが。
因みに前世での俺の髪型は角刈りである。気分によって只の坊主にスタイルチェンジするくらいには髪の毛に興味がなかった。バリカンのアタッチメントを替えるだけの簡単なお仕事。
流石に今生でそれをやると家族が卒倒するのは目に見えているので、これからはそれなりに見た目にも気を使わなければならない。というよりは、多少は今までの性格に引っ張られているのだろう。女々しいと思えるような行動も特に違和感なくこなせてしまうんだよな。
でないと、朝から髪の毛に櫛を通すようなことは出来ない。前世で女装癖でもあったのなら話はわかるが……まさか隠された性癖を目覚めさせた? だとしてもまぁ構うまい。今の見た目なら許されるし、そもそもこの世界ではそれが当たり前なのだから。
「じゃあ、次は……そうね。物のついでだし、役所で色々手続きもしていきましょうか」
「えぇー。それアタシも行かなきゃダメな感じ?」
「別に先に帰ってもいいけど。それだと晩御飯は時雨だけコンビニになるわねぇ」
「卑怯。マジ卑怯」
次は役所か、と木刀を抱え車の助手席に乗り込んでいく。泉姉が扉を開けてくれ、彼女は道行く女性から俺を庇うようにして扉を閉めてから自らも運転席に乗り込んだ。
それでも木刀を握る手には力が籠るのだから、流石に簡単に克服させてはくれないのだな、と最初の軽い考えは改めなければならないと思い知らされる。
先刻の話ではないが、これでは一人で街を出歩くのはまだまだ難しいと言わざるをえなかった。
「泉、ちょっと近いと思うわ」
「仕方ねぇだろ。守るためだ」
「鼻の下伸ばしてるんじゃなくて」
「うっせぇぞ氷華」
「ハイハイ、喧嘩しないの」
運転席と後部座席とで、軽口とも取れる口調で言い争う二人に苦笑する。性格は真逆とも言えるのに、それがかえって良く噛み合う二人の姉妹。そこに良い意味で恐れることなくちゃちゃを入れられる時雨も混ざり、姉妹間の仲はすこぶる良好に見えた。
そこに上手く混ざることが出来るだろうか、と一抹の不安もあるのだが。何せ女性との付き合いなど経験値がゼロに等しい。前世では剣が恋人、今生では女性は恐怖の対象である。経験など積みようもなかった。
……だがまぁ、しかし。
「まーた喧嘩してる。お兄ちゃんが怖がっちゃうじゃん」
後部座席から、時雨が首もとに腕を回してくる。仄かに香る柑橘系の匂いは香水だろうか。
「だぁっ!? 何してんだお前!」
「時雨。離れなさい」
「お兄ちゃんを守ってるんだし。悪いことなんてしてないし」
賑やかな車内。
きっと、きっとだが、上手くやれる気がしているのは、気のせいではないのだろう。
「あまりお勧めはしませんね」
「はぁ……」
ところ変わって役所の窓口にて。
カウンターの上に乗っている木刀を挟んで、受付の男性職員は生真面目そうな顔を此方に向けている。
「勿論、護身具として許可できない訳ではありません。刃物ならば刃渡り15センチ以下までなら、一本まで護身具として登録しておけば携帯することが出来ます。木刀は刃物には属さないので、こちらも問題はありません」
「はぁ」
「私が問題だと言っているのは、護身具としての能力、加害者への制圧面においての話です。木刀よりも実際の刃物の方が脅威になる。また刃物よりもスタンガンの方が実用性が高い」
「まぁ」
「また木刀のように隠し持つことが出来ない護身具は、装備していることによるアピールによって犯罪者の犯行の抑止、威圧に繋がりはしますが、それによる対策も取られやすい。一撃二撃食らうのを覚悟で襲ってくる女性だって珍しくありません」
「えぇ……」
「更に言うならば、貴方のように一度女性関連の被害に遭った方々には特例措置としてある程度ならば護身具の上限に融通が聞きます。過去に拳銃の携帯も許可した事例すら存在します。当然、故意にそれを悪用すれば問答無用で刑罰が下されますが」
「えっと……それで、俺はどうしたらいいんでしょう」
矢継ぎ早に話される内に訳もわからず押しきられてしまいそうだったので、一度口を挟んでおく。
というか、拳銃の許可とかあるのが恐ろしいわ。この世界の銃刀法はどうなっているんだ。流石の爺だって真剣を外に持ち出すことはなかったぞ。
「早い話が、もう少し使い勝手の良い護身具を選んで貰いたいのです。先程例に出したスタンガンや、催涙スプレーが護身具として非常に優秀なので」
「木刀でも問題はないんですよね?」
「……はい。問題はありません、が」
「なら、木刀でお願いします。俺はこれ以外身に付けるつもりはありません」
他の武器やその他の護身具を使ってしまえば、嫌がおうにも思考に揺らぎが出てしまう。これでも、短かったとはいえ半生を剣に捧げてきたのだ。今更他に手を出そうなんて思わない。それなら素手の方がまだましである。
そんな俺の頑なな意思を感じたのか、受付の男性は軽く息を吐いて手元のボールペンを握り直した。
「ちょっ」
――背後から聞こえたのは、家族の中の誰の声だったか。けれど、まぁ全員似たような顔をしていることだろう。
「手荒な確認ですね。当ててしまうかと思いました」
今の体勢――突き出されたボールペンを瞬時に掴み取った木刀で叩き落とし、その回転のままに顎を柄で跳ね上げようとした、その寸前で止めている。
デスクの上にあまり物が無くて良かった。それならそれで跳ね上げから突きに変えているだけの話ではあるが。
「おい」
俺の肩口からドスの利いた声が響く。これは確認するまでもなく、泉姉の声だ。間違いなく怒気が込められた声に、身体が軽く震える。
「……突然の無礼を謝罪します。しかし、此方にも事情があることを理解していただきたい」
「事情だぁ? 大事な弟に傷のひとつでもついてたらどうするつもりだよ」
木刀を引き、片手でも振り回せるように中心部分を手にして小脇に抱える。必要ない措置だが、怒気を放つ女性がそばにいては身体が戦闘体勢を解いてくれない。
そんな俺には気付いていないのか、泉姉は全く感情を隠すことなく男性に詰め寄ろうとして、母さんに肩を掴まれていた。
「泉、止めなさい」
「でも」
「気持ちはわかるけど、別にこの人だってやりたくてやった訳じゃないのよ。むしろ、やらなきゃならないことですらあるの」
「……んだよそれ」
「ボディーガード目指してるなら、これぐらいは知っておきなさいね」
困ったように笑いながら、俺を抱き寄せる母さん。強張っていた身体から力が抜けて、するりと木刀が手から抜けていく。辛うじて落とす前に掴み直して、詰まっていた息を吐き出した。
家族である泉姉ですらこれか。先が思いやられるな。
「護身具っていうのは文字通り、使用者の身を守るためのもの。いざという時に役に立たないものなんて、身に付けてたって邪魔なだけ」
「…………」
「だから、下手におかしなものに許可を出してその人に被害が出たら、許可を出したこの人たちに責任がいってしまうのよ。どうしてもっと役に立つものを薦めなかったんだ、ってね」
傍らに氷華姉が寄ってくる。俺の顔を見て何故か悲痛な顔をした後に、躊躇いを見せながら頬に手を添えてきた。
そんなに酷い顔でもしているのだろうか。まぁ、多少血の気は引いているかもしれないな。それこそ、鍛え上げた精神が無ければパニックになっていそうなくらいの重圧はあったのだから。
「だからってあんな」
「気持ちはわかるって言ったでしょ。でも、身の危険を実際に感じないと真剣に考えない男性も多いのは事実なの。夏波は……ちょっと予想外だったけど。危険を感じて初めて、護身具の重要性を思い知る。それが実際の事件になってからじゃ遅すぎる。だから、この場でそれを知る必要がある。さっきはそのための措置のひとつなのよ」
成る程、と母さんに背中を預けながら心の中で頷く。
犯罪も災害も、当事者にならなければその危険性は知りえない。悲しいかな、いつ自分に降りかかるかわからない危険を、人は何故かそれを余所事のように考えてしまう。
何の根拠も無いのに、まぁ自分は大丈夫だろうとタカをくくってしまうのだ。実際に被害者になってからでは遅いというのに。
今の一連のやり取りは、それを拭い去り真剣に護身具の検討をさせる為に必要な行為だったのであろう。俺は彼の行動が読めたので軽く捌いてしまったが。
……もしかして、母さんは俺がここでその洗礼を食らうのをわかっていた? さっきの言葉を聞く限りそうだったんだろうな。まさか反撃するとは思っていなかったからこその、予想外の言葉が出たのだろう。
「この人は仕事をしただけ。貴女が怒るのは筋違い。……何度も言うけど、気持ちはわかるからね」
「……わかった。ちょっと腑に落ちねえけど、理解はした。話もわからないで、失礼しました」
「謝る必要はありませんよ。むしろ、貴女のような女性が彼の家族であることに安心しています。それに、慣れていますから」
眼鏡を軽く直し、軽く微笑みながら返す男性。その雰囲気から、本当に慣れているんだろうな、と勝手に苦労を察してしまう。
母さんからそれとなく離れて、先程叩き落としたボールペンを拾い上げる。ヒビが入ってしまっているな。加減が利いていない証拠だ。満足なのは読みと反射の二つのみ。技と力を早い内に最低水準まで打ち上げたいものだ。
「すみません、壊してしまいました」
「構いませんよ。消耗品ですので」
手渡したその時に、彼の手を確認する。
固く固まった皮膚に、随所に見られるタコ。およそこの世界の男性とはかけ離れた使い込まれた手のひらを見て、やはり『やる』人なのだと確信した。爺の奥さんと似たような手をしているので、素手での武術に覚えがあるのだろう。
先の泉姉のように食って掛かる女性もいるということは、身一つでそれを抑える人間でなければこの仕事は出来ないのかもしれない。
「先程は失礼しました。気持ちは変わりませんか?」
「はい。まだ未熟な身ではありますが、この手には剣しか握れない」
「承知しました。貴方の護身具として木刀を登録しておきます。ここに来るまでに、これを使って荒事に巻き込まれたりはしていませんね?」
「はい」
「結構です。各種必要書類に記入して貰えれば仮の許可証を発行出来ますので、許可証が発行されるまでそれを携帯してください。此方が書類になります。そちらの方で記入して、こちらにお持ち下さい。……あぁ」
「?」
書類を手に離れようとして、何か言い忘れたような声に振り返る。彼は眼鏡を外して、どこか好戦的にも見える笑みを溢して。
「得物を打ち落とすのも結構ですが、手首を打つ方が確実ですよ」
その言葉に、この世界にもこんな男性――つまり、俺と同じような人間もいるものだな、とこちらも笑う。
木刀でカツンと床を叩いて、俺はこう返した。
「――貴方が当てる気だったなら、遠慮なく叩き折るつもりでした」
「その気持ちを忘れずに。もうよろしいですよ」
その後、やはり青ざめていたらしい俺を見ていた氷華姉が泉姉に吹雪のような言葉責めを食らわせ、同じかはわからないが顔を青くした泉姉が土下座せんとばかりに謝ってきたのを笑いながら流して、役所での行動を終えた。
ちなみに。
書類を出した後の待ち時間。時雨がソファで爆睡していたので、癒しを求めて悪戯で膝枕してやっていると。
起きた時雨が状況を把握すると同時に、妙な鳴き声で役所中の注目を集めてしまったのは、まぁ余談だろう。