お母さんは車の窓を全開にして空港まで送ってくれた。
E県P半島の先に、神東町(しんとうまち)がある。
言わずと知れた観光地でもあるが、そこでは日本のどの場所よりもたくさん雨が降ると言われている。
母がそこを出たのは、私が生後数か月のとき。
それから13歳まで私は毎年、夏の一か月間を島で過ごさなければならなかった。
でも、14歳になってようやく自分の意思を主張した。
だからこの3年は、代わりに離れて暮らす父と東京で落ち合って一緒に夏休みを過ごしてきた。
私は今、その雨と霧と雲の町に自分を追い込もうとしている。
夕闇市が大好きだった。太陽と焼けつくような熱気。大都会が恋しい。
「ねえ、玲」
飛行機に乗る前、お母さんは言った。
これで千回目。
「こんなこと、しなくていいのよ」
ショートヘアと笑いじわをべつにすれば、お母さんは私にそっくり。
そのあどけない大きな瞳を見つめるうちに、心が揺らぎそうになった。
でも…。
「行きたいんだもの」
昔から嘘は下手だけど、この嘘は最近何回も口にしてきたから、今ではほとんど本気に聞こえる。
「パパによろしく伝えてね。
いつでも、好きな時にうちへ帰ってきていいのよ。」
言葉とは裏腹に、瞳には悲壮感が浮かんでいる。
そんなわけにはいけないことはお母さんにだってわかってるんだ。
「私のことは心配しないで。
きっと大丈夫。
元気でね」
お母さんはしばらくあたしを抱きしめた。
空の旅はなんでもなかったけど、そのあと家に着くまでの父との一時間のドライブはちょっと気がかりだった。
ふたりともおしゃべりじゃないし、どっちみち話題なんてあるのかどうか。
今回の私の決断に父が戸惑ってるのもわかってる。
母と一緒で、私も神東町が嫌いなのを隠してなかったから。
着陸すると、雨が降っていた。
不吉なサインではなく、ここではこうなんだってこと。
父はパトカーで出迎えてくれた。
これも予想通り。
何しろ、ここでは「白鳥警察署長」で通っているから。
「久しぶり、玲。
実は、掘り出し物の自転車を見つけておいたよ。
これから学校へ行くのに必要だと思って」
シートベルトを締めながら父が言う。
「実はロードバイクなんだ。
海岸沿いに住んでる森崎さんを覚えてるかい?
ほら、夏休みによく一緒に釣りに行っただろう」
私の反応がないのをみて、勝手に話を進める。
「今では車椅子生活なんだよ。
もう漕げないから、父さんに安く売ってくれるって。
規制祝いに父さんからプレゼントするよ」
やった。
自分で貯めたお金で買うつもりだったのに、タダだって。
「そんなことしなくてよかったのに。
でも、すごくうれしい。
本当にありがとう」
私は、前を見ながら答えた。
感情を言葉で表現するのが苦手なタイプ。
父から受け継いでる。
「ああ、まあ、いいさ」
当然、父さんも娘からの感謝の言葉に照れた様子で、まっすぐ前を見たまま言った。