【完結】銃と私、あるいは触手と暗殺   作:クリス

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書いていて思うこと、色々酷い


十三時間目 日常の時間

「さて、切るか」

 

 右手にフルタングのコンバットナイフを持ち左手は髪を掴む。黒錆加工の施された炭素鋼の刃は髪くらいなら簡単に切り裂く。長さはまあ適当に短くすればいいだろう。駅前に行けば理髪店などいくらでもあるが見ず知らずの他人に刃物を向けられるのは嫌だ。

 

「何してるの?」

 

 振り向けば廊下の窓から速水がこちらを見ていた。そう言えば彼女の班の掃除は廊下だったな。

 

「え、あんたそれ……」

「ああ、ナイフだが」

 

 私がナイフを掲げると、何故か血相を変えて私から去っていった。そしてしばらくするとまた同じように血相を変えて私の下まで走ってくるではないか。

 

「何があったか知らないけど絶対駄目だからね!」

 

 何が駄目なんだ?もしかして髪を切るのが駄目なのか。もしかして日本では人前で髪を切ってはならない決まりでもあるのか。そんなことを考えていると速水はナイフを持っていた手を掴んで真剣にこちらを見つめてくる。

 

「私が私の(髪の)ことをどうしようと私の勝手だろう」

「……っ馬鹿じゃないの!」

 

 何で髪を切ろうとしただけで罵倒されなければいけないのだろうか。少し腹が立ってきた。しかもナイフを持ってる手を握ってさりげなく奪い取ろうとしているし。

 

「それに私(の髪)がどうなろうと君には何の関係もないじゃないか」

「それ、本気で言ってるの?」

 

 今度は何かとてつもない悲しい人を見るような目で私を見てきた。私は髪を切りたいだけなのに何故こうも邪魔するのか。

 

「確かに、あんたとは全然話したことないし臼井からすればただの他人かもしれない。でも、私はあんたのこと仲間だと思ってる」

「速水……」

 

 彼女の真剣な眼差しに気が緩む。その隙にナイフを奪われてしまった。速水は私から奪ったナイフを興味深そうに眺めた。研いだばかりだから危ないんだがなあ。

 

「なんか、厳ついわね……それはともかく、何か悩みがあるなら相談に乗る。だから一人で死のうなんて馬鹿なことは止めて」

「え、私死ぬの?」

 

 髪を切るだけで何故私が死ぬことになるのか。でもこれで違和感の原因が分かってきた。恐らく速水は何か致命的な勘違いをしている。

 

「……ちなみに、このナイフで何するつもりだったの?」

「ああ、髪が伸びてきたのでな。切ろうと思ったんだ。だからもう返してもらっていいか?」

「なっ……」

 

 顔を真っ赤にし口をパクパクとさせる。普段無表情な速水がこうも取り乱すのは珍しい。今までの言動から察するにもしかして彼女は私が自傷行為しているように見えたのかもしれない。

 

「ば、馬鹿じゃないの!まぎらわしいのよ!」

 口ではそう言っているもののその目には明らかに安堵の感情が浮かんでいた。本気で心配してくれていたのか。私なんかのために。

 

「私なんかのためにわざわざ心配してくれてありがとう。安心してくれ、そう簡単にくたばったりはしないさ」

「私なんかって……」

 

 少なくとも意味のない自殺はしない。とは言ってもそれしか手段がないというのなら私はこの命をなんのためらいもなく差し出すだろう。今までもそうしてきたしこれからもそうするつもりだ。

 

「というかもうそれ返してもらってもいいか?」

「本当に、髪切るだけよね?」

 

 まだ疑っているのか。未だ疑惑の目を向ける速水に私は強く頷いた。それでやっと信じる気になったのかナイフが返却された。これで心置きなく髪を切れる。

 

「ねぇ美容院とか行かないの?」

「美容院?ああ理髪店のことか。行かないよ。どうにも赤の他人に刃物を向けられるのが怖くてね」

 

 剃刀なんて人の頸動脈くらいなら容易く切断できる。鋏だって目玉や喉などの急所を狙うことができる。そんなものを椅子に座った状態で向けられるなんて恐怖でしかない。思い出すのは血の滴るナイフと拷問による悲鳴。あれはきつかったなぁ。子供にすることじゃないでしょ。

 

「ごめん、聞いちゃいけないことだったかも……」

「別に気にしてないよ。まあそういうことだから大丈夫だ。心配かけてすまなかったね」

 

 誤解が解けたので今度こそ髪を切ることにする。

 

「ちょっとまって」

 

 速水は何を思ったのか私に背後に回ると私の髪を弄りだした。恐らくゴムバンドか何かで髪を纏めようとしているのだろう。

 

「これで邪魔にならないでしょ?」

 

 携帯電話のカメラで私を映す。耳を出して髪を結ぶだけでかなり印象が変わるな。これ本当に私か?

 

「あ、ああ、すまない感謝する」

「勘違いしないでよね。またナイフ振り回されるのが嫌なだけよ」

 

 そうは言ってもこう言った好意は素直に嬉しい。このクラスのいいところは私のような明らかに不審な者でも受け入れてくれるところだろう。殺せんせーが来る前は皆塞ぎこんでいたそうだ。暗殺という共通の目的があることで絆が芽生えたということだろうか。

 

「じゃ、私はこれで」

 

 去っていく速水の背中を見ながら私は自分の髪を弄る。さっきまでは邪魔でしかたなかったのに何故だか今では少しだけ愛おしく感じる。

 

 

 

 

 

 翌日、いつも通り登校すると何故だかいつもよりクラスメイトの視線が集中している。何か顔についているのだろうか。原因について考えているとその一人である岡野と目が合った。

 

「臼井さん、髪型変えた?」

 

 原因は私の髪型にあったようだ。確かに以前は肩口まで伸ばして耳も目も隠れ気味だった。耳を出した今の髪型はかなり印象が変わるのだろう。

 

「ああ、昨日速水にやってもらった。何か変か?」

「全然そんなことないよ!むしろ前よりいいと思う」

 

 最近はビッチ先生に半ば無理矢理買わされたシャンプーのせいで髪質も無駄によくなってきている。倉橋に勝手に触られるのでわかってしまうのだ。

 

「あ、さっちゃん髪型変えたんだ!」

 

 倉橋がダイナミックエントリーをかましてきた。私を見つけるなり突撃してくるあたり私にはこの手の生物を寄せ付けるフェロモンでも持っているのかもしれない。

 

「へぇ、そっちのほうが全然似合ってんじゃん」

 

 そうこうしているうちに中村やその他の女子が集まりだししばらく身動きが取れなくなって困った。

 

「ヌルフフフ、青春ですねぇ。にゅや!?」

 

 担任が何か腹立つことを言ったのでナイフを投げる。騒ぎはすぐに収まったが倉橋がことあるごとに突撃してきて結局暇な日に服を買いに行くことになってしまった。服なんて丈夫で動きやすくホルスター等を装備しても動きを阻害されなければなんでもいいと思うのだが、それを言ったら盛大にブーイングを喰らった。よくわからない。

 

 

 

 

 

「臼井さん、よかったら放課後俺と遊ばない?」

 

 その日の放課後私が帰る準備をしていると唐突に前原にこう言われた。彼は如何にも二枚目といったルックスを誇り、噂によれば何人もの女性と交友関係を持っているらしい。

 

「おい、遂に前原が臼井さんに粉かけたぞ!」

「髪あげた臼井さん普通に可愛かったもんなぁ」

 

 三村と岡島が何か言っているがいまいち何を言っているのかわからない。そもそも遊ぶとは何をすればいいのか。私の知っている遊びと言えばカード遊び(当然賭けだ)やスポーツくらいしか知らない。

 

「遊ぶとは具体的に何をするんだ?」

「え?普通にカラオケ行ったりゲーセン行ったりとか」

 

 空桶?空の桶とはいったいなんだ?桶が空だと何かあるのか。日本は娯楽が豊富だと聞いたのが桶を遊び道具にするほど困窮していたのか?

 

「まあ吝かではない。それで、空の桶でどうやって遊ぶんだ?」

「へ?」

 

 話を聞いていた皆の目が点になった。何か変なことを言ってしまったのか。皆がひそひそと私の発言について吟味している。

 

「え、マジ?臼井さんカラオケしらないの?」

「だから空の桶のことだろう?日本の伝統的な遊びか何かか?」

 

 前原はどう反応すればいいかわからないようだ。教室に微妙な空気が流れる。

 

「堅物天然キャラ………ふっ、三次元にしてはやるじゃないか臼井さん」

 

 竹林が何か意味不明なことを言っているがそれはどうでもいい。誰かこの状況をどうにかしてくれ。私が何か言うたびにどんどん変な方向に向かっていく。

 

「カラオケはねー、みんなで歌ったりするところだよ!」

 

 救世主のエントリーだ。倉橋が私の後ろから現れる。倉橋の言うことが事実だとすると歌を歌って遊ぶところらしい。そう言えば日本にそんな名前の娯楽があったことを今になって思い出した。

 

「前原君、私もカラオケ行ってもいい?」

「え?い、いいけど」

「わーい!じゃあ他にカラオケ行きたい人いるー?」

 

 あっという間に前原から主導権を奪い取った倉橋はそのままカラオケとやらに行く人を募った。恐らく彼女は無意識なのだろうが流石に前原がかわいそうだった。

 

「私も私も!」

「茅野が行くなら僕も行こうかな」

 

 次々に人が集まっていく。凄まじい求心力の高さだ。結局、私、前原、潮田、茅野、倉橋、岡野の六人で行くことになった。

 

「前原、ドンマイ」

「……ありがとう」

 

 誰も前原を慰めなかったら私が行こうとしたが先に岡野が言ったので良しとしよう。

 

 

 

 

 

 そんなこんなでカラオケとやらに来たのだが今一つここで何をするのかわからない。

 

「臼井さんって実はいいところのお嬢様だったりするの?」

 

 お嬢様、恐らく資産家の令嬢などを意味するのだろう。正反対である。むしろ私ほどの底辺の人間はそういないだろう。

 

「いや、そもそも私に家族なんていない。それよりもカラオケとはどうやって遊ぶものなんだ?」

「え?それって……」

「ねぇ、さっちゃんは何歌う?」

 

 私の左隣に座っている茅野が何か言おうとしていたが右隣の倉橋が乱入してきたので結局彼女が何を言おうとしたのかわからずじまいだった。

 

 倉橋の説明のお陰でカラオケのシステムがわかったので私も何か歌うことにする。とは言え日本の歌なんて殆ど知らないので碌に歌えないだろう。適当に知っている曲を検索にかける。あった。

 

 皆が思い思いに歌を披露する。それに対し他の皆は相槌をいれたり茶化したりするのが礼儀らしい。よくわからない遊びだがまあつまらなくはないな。

 

「あ、次さっちゃんさんの番だ」

 

 潮田が歌い終わり(猛烈に上手かった)遂に私の番になってしまった。仕方ないか。歌うか。潮田からマイクを譲り受け壇上にあがりマイクを構える。前奏が終わりメロディーが始まる。ディスプレイには歌詞が表示されているが全部覚えているため見る必要はない。

 

「え、何語?」

「自信ないけど多分、フランス語だと思う」

 

 アフリカでは国によっては植民地支配の名残でフランス語もよく使われている。そのためフランスの曲も入ってくるのだ。今歌っているのは特にお気に入りの歌。歌詞には愛のためなら祖国すら裏切るとある。愛とは無縁な私にはほど遠い歌だ。この曲は戦場で疲れ切った私がたまたまつけたラジオで流れていたものだ。一度聞いてからというものの耳から離れない。そして気が付いたら覚えてしまったのだ。それ以来たまに一人で歌っている。

 

 この歌を歌うと血塗れの記憶が蘇る。人殺しが愛を謳うなんてなんとも皮肉だがまあ世界なんてそんなものだ。何も知らない奴らが安全な場所でラブ&ピースなどと嘯く。その裏には夥しいほどの血が流れていると知らずに。

 

 やがて曲が終わり私もマイクを置く。久しぶりに歌ったがやはりいい曲だ。周りを見渡せば皆目を丸くしてこちらを見ていた。何かしてしまったのだろうか。

 

「さ、さっちゃん、もしかしてフランス語話せるの?」

「まあ、それなりには」

 

 例によって好奇心旺盛な彼女達によって質問攻めにあい。仕事の都合で世界各国を飛び回っていたと言い訳した。親の仕事とは一言も言っていないのがみそである。後は勝手に勘違いしてくれるだろう。

 

 その後もカラオケは続いたのだが流石に六人もいると一人三曲くらいしか歌えない。何を歌えばいいのかわからなかったので何故かリストにあったナシードを歌ったら何故か皆引き気味だった。不思議だ。

 

 

 

 

 

「えへへ、楽しかったね。またみんなで行きたいな」

 

 倉橋が楽しそうに笑った。その笑みにはなんの邪気も感じられず純粋に楽しかったようだ。皆で遊び、他愛のない雑談に花を咲かせる。恐らくこういうのを中学生らしい生活というのだろう。ここに来てからというものの本当に多くのことを知った。

 

「渚、俺らすっげーアウェーだったな……」

「は、ははは……」

 

 初めに誘ったのは前原だというのにいつの間にか主導権を倉橋に奪われた様は流石にかわいそうだった。このクラスは男女の垣根があまりないがそれでも自分達以外が全て異性だと萎縮してしまうのだろう。

 

「それにしても臼井さんがフランス語話せるとは思わなかったなー。それに最後のやつも意外すぎる」

 

 岡野の言う通りだ。確かに日本でアラビヤ語を話せる人間は少ないだろう。そもそも接点がない。彼らにとってはテレビの向こう側の言葉なのだ。そんなことを考えていると私の家へ続く分かれ道に差し掛かった。

 

「私の家はここを曲がったところにあるからこれでお別れだな」

「さっちゃんさんの家、学校から近いんだ。じゃあまたね」

「また明日!」

 

 皆と別れ自分の家へ続く道を歩く。潮田たちとゲームセンターには行ったことがあるがこうして本格的に皆と遊んだのは今日が初めてだ。そういう意味では今日はとても貴重な経験をしたといえる。カラオケを空の桶と間違える赤っ恥をかいた以外は概ね満足だ。

 

「それで、何故君はさっきから私をつけているんだ?」

 

 ずっと前から気づいていたが敢えて無視していた気配に振り向き声を掛ける。気配の主は私から10m離れた電柱の裏に隠れていた。私の声に反応して肩を震わせている。

 

「え、えへへ……い、いつから気づいてた?」

 

 観念したとばかりに笑いながら茅野が私の前に姿を現した。人畜無害という言葉を凝縮したような彼女だが、何故だがカラオケの途中から少しだけ様子がおかしかった。とは言っても実際におかしかったのはほんの一瞬ですぐさま元に戻っていたのだが普段見せない雰囲気に少しだけ奇妙に思った。

 

「私が皆と離れてからすぐ。というかいいのか?潮田達と帰らなくて」

「渚達には買い物があるって言って別れたから大丈夫」

 

 茅野の目的がわからない。様子から察するに何か私に聞きたげなようだが皆と別れてまで聞きたいこととはいったいなんだろうか。

 

「さっきカラオケで臼井さんが言ったことが気になってさ……」

 

 さっきカラオケで言ったこと。海外に行ってたこと、ではないな。そんなことでわざわざ皆に内緒にする必要はない。となると……記憶を遡り、茅野に最初に聞かれたことを思い出す。

 

「ああ!家族がいないって話か」

「う、うん……ほんとはこんなこと聞いちゃいけないんだろうけど、どうしても気になって……」

 

 茅野の雰囲気から察するに好奇心で聞いているわけではなさそうだ。それに彼女はそんな趣味の悪い人間ではない。そう言えば言語のことを誤魔化す際に親の仕事だと勘違いさせていたな。すっかり忘れていた。

 

「前に茅野に言った通りだよ。私の両親は八年前に事故で死んだ。結構大きい事故でね、私だけが生き残ってしまったんだ」

「そんな……ごめんなさい……」

 

 本当に申し訳なさそうに彼女は謝った。正直、まったく気にしていないので謝られても逆に困る。ここは茅野の罪悪感の軽減のためにも何か言おう。

 

「それからはずっと一人だよ。まあ、金を稼ぐ手段はあるから特に困ってはいない」

 

 しかし、何故彼女はこんなことを聞くのだろうか。人の不幸自慢を聞いたところで何も面白くはないはずだろうに。

 

「まあ、()()()()()()()()()()()よりも明日は数学の小テストがあったはずだ。もう帰って勉強したほうがいいんじゃないか?あれ、どうした茅野」

 

 茅野が俯く。手を見れば震えていた。私は人の感情に疎い。自分が言ったことが相手にどう影響を与えるのかが想像できないのだ。だからきっと今の茅野は私のせいでこうなっているのだろう。

 

「……どうして?」

「え?」

 

 その呟きは小さすぎて私には聞こえなかった。私が聞きなおそうとすると先に声を発したのは茅野だった。

 

「どうしてそんな平気なの!大事な人が死んじゃったんだよ!!なのに、何でそんな普通なの?わからないよ……」

 

 それだけ言うと茅野はしまったと言わんばかりに口を押えた。多分、茅野が言ったことは聞く人が聞いたら激怒するような言葉なのだろう。でも、私は何も感じなかった。何でそんな普通なの、か。きっと私の言動は酷く異質なものなのだろうな。

 

「思い出せないんだ」

「え?」

 

 私が思い出せる一番初めの風景は旅客機の残骸と燃え盛る炎。そして肉の焼ける匂い。それ以前のことはおぼろげにしか思い出せない。自分の名前や年齢、本当に日本人なのかも定かではない。とは言っても初めから日本語が話せたし微かに残る記憶から考察するに、恐らく日本人だろう。

 

「親の顔も声も思い出せない。色々ありすぎて忘れてしまったんだ。君が怒るのも無理はないよ。とんだ親不孝者だからな」

 

 改めて思ったが、臼井祥子って我ながら適当すぎる名前だな。いくら私が幸薄いと言っても何でそれを名前にしようと思ったんだ?名前を考えた時はこれが最高だと思ったのだが今にしてみればもう少しちゃんとした名前にするべきだった。

 

「ごめん……そんなつもりじゃ……」

 

 私の発言に対して茅野はすっかり落ち込んでしまった。これはどうすればいいんだろう。慰めようにもどんな言葉をかけていいのかわからないし、下手に大丈夫だと言うのも逆効果になりそうだ。

 

「そもそも何で君がそんなに落ち込んでいるのか私には理解できないんだ。こんなものはよくある不幸話だ。自慢にすらならない」

「臼井さん、それ本気で言ってるの?」

 

 私のような境遇の人間なんて世界中に腐るほどいる。流石に私のようなぶっ飛んだ境遇の人間はそういないだろうが天涯孤独なんてそう珍しいものではない。スラムに行けば似たような、いやもっと悲惨な子供が大量に列をなしているだろう。だからこんなことでショック受けるのは彼女が本質的に優しい証拠なのだ。

 

「こういう場面で冗談をいう趣味はないよ。まあそんなところで思い出せないから悲しもうにも悲しめないんだ」

 

 泣いたり悲しんだりできるのは対象に対する思いがあるからだ。思いがあるからこそ喪失感に感情が動く。故に何も思い出せない私はそもそも喪失感がないので悲しいという感情が湧きおこらないのだ。人が生きて死ぬのは当たり前のことでそれに対して一々感情を揺さぶられてはこの仕事をやっていけないのもある。死を悲しむには私はあまりにも死に近すぎた。というかむしろ私が死を量産している。

 

「では、私はこれで。君も小テストを落とさないように気を付けろよ」

「あっ……」

 

 茅野が何か言いたそうにこちらを見ていたが、これ以上は埒が明かないので強引に切り上げて自宅に向けて歩き出す。明日になれば彼女も忘れていることだろう。

 

 

 

 

 




用語解説

フルタング
タングとはグリップを取り付けるための芯の部分。フルタングとはこれの形がグリップと同じ形状のものを差す。高い強度を誇るが重い。

茅野が簡単にボロ出しすぎかと思うかもしれませんが理解不能の存在を前に動揺したってことでお願いします。

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