夏真っ盛りの7月。一学期もいよいろ終わりに差しかかろうとしている。これが終わればいよいよ夏季休暇だ。陽菜乃は海にでも行きたいとか言っていたが海にはあまりいい思い出がない。海賊相手に50口径をぶっ放していた記憶しかないな。
それは置いておいて、学生にとって学期末とは非常に重要な意味を持つ。そう、期末テストだ。私の学校のテストははっきり言ってレベルが高い。私はここしか知らないためあまり語れないが書店に売っている中学3年生用の参考書が殆ど役に立たないと言えばどれくらいのものなのか察しがつくだろう。
勉強は好きだ。この学校に入学できたのだって偏に勉強好きだったからに他ならない。戦うことしか知らなかった私が唯一持っていた趣味が勉強だ。始めは戦う上で必要だから覚えざるを得なかっただけだったが、いつしか勉強することが好きになっていたのだ。
とは言え、それに気が付いたのはここに来てからだ。教えてくれたのは殺せんせーだった。
『臼井さんは本当に勉強が好きなんですねぇ』
『はい?』
『気づいてませんか?問題の答えが分かった時、とても楽しそうにしてましたよ』
こんなやり取りがあり、それからというものの勉強することが楽しいと自覚した。今思えば言葉を覚えるのもかなり積極的だったな。迫撃砲などの間接照準射撃の方法を覚えるのも、思い返してみれば楽しかった気がする。尤も当時は戦うことしか頭になかったので本当に楽しかったかどうかは知らない。
「祥子、ここの問題ってどうやって解くのかな?」
「ああ、これはこの公式の応用だな。一見難しく見えるが──」
私が解いたのと同じ手順で説明するとつっかえが取れたかのようにペンを動かしていく。単純だからこそ気付けなかったのだろう。
「あ、わかった!ありがとう祥子!」
屈託のない笑顔で礼を言われ、思わず恥ずかしくなり顔を背ける。背けた先には速水が不思議そうに私を見ていた。
「臼井って凄い数学得意だよね。暗算とかも凄いし」
「そうか?そうでもないと思うが」
確かに得意科目ではあるが言うほど凄いのだろうか?
「ちなみに4396x412は?」
「1811152」
「ほんとに合ってる……じゃあ9653÷78x24は?」
私の正面に座っている神崎が訊ねる。一瞬だけ考え答えを導き出す。
「約2970.15だな」
「正確には2970.153846153846ですね!」
「やっぱ得意じゃない」
デスクトップPCのモニターに映った律が答えの補足を言う。人工知能のお墨付きに皆が感心している。私は改めて周囲を一巡した。左隣にカエデ、右に速水、正面に神崎、ローテーブルの上には教科書とノート、そして菓子とジュース。
「なあ、一つ聞いていいか?」
「どうしたの臼井?」
「何で皆私の家にいるんだ?」
時が止まった。律だけはあざとく首を傾げている。皆が再起動したのはそれから少したってからだった。
「え、今更?」
「今更ね」
「今更ですね」
「も、もしかして迷惑だったかな?」
一名を除いて酷い反応だな。いや、私も今更感があるのは否めないけどさ。申し訳なさそうな神崎に誤解だと伝えながら私は今に至るまでの経緯を振り返った。確か、放課後帰宅した時にカエデからメールが来て勉強しにきてもいいかと訊ねられたのだ。武器類は隠してあるので問題ないと判断し、了承した。そしてしばらくして来客を知らせるベルが鳴り覗き穴を見たところ何故か速水と神崎がいたというわけである。
「臼井さんって本当に一人暮らしなんだね」
「ああ、まあ慣れてしまえばどうということはないよ」
水が使いたい放題で雨漏りも隙間風もない。まるで天国のような環境だ。まあ狼に怯えながら山の中で眠るのに比べたらどこだって天国だろうけど。
「それにしても臼井のことだからもっと殺風景な部屋だと思ったんだけど……」
速水が部屋を見渡す。以前の必要最低限のものしか置いていなかった部屋とは違い今では床に緑のラグが敷かれ座るためのクッションや教科書や本を仕舞うためのカラーボックスなど全体的に物が増えてカラフルになった。
「あ、これってこの前ショッピングモールに行った時に買ったぬいぐるみだよね!」
ぬいぐるみを抱き締めながらカエデは笑った。そう、この前妙に気になって買ってしまったタコのぬいぐるみだ。決してあの触手教師を連想して買ったわけではない。
「今までは不要かそうでないかでしか考えなかったんだ。でも、それだけじゃないってことを君達が気づかせてくれたんだ。本当にありがとう」
最近ではごく自然に出せるようになった笑顔で感謝の気持ちを贈る。私が戦闘時の興奮以外で笑える日が来るなんてなあ。本当に人生どうなるかわかったものじゃない。
「べ、別に私は何もしてないわよ……」
「ふふ、どういたしまして」
「祥子って結構恥ずかしい台詞ポンポン言うよね」
人はすぐに死んでしまう。礼を言えずに死に別れてしまった味方を何人も見てきた。だから言いたいことはすぐに言わなければいけないのだ。それに例え悪人だとしても恥知らずにはなりたくない。
「最近はどこかの誰かのせいで干し肉も食べられなくなってしまったから料理もするようになったよ。まあ律に頼りっぱなしだけどね」
「はい!僭越ながら祥子さんの調理をサポートさせていただいています」
というより律が勝手に侵入してきてレシピなんかを教えてくれるからそれに従っているだけである。だけど教えてくれるのは嬉しいのだがコンマ単位で時間指定してくるのはどうかと思うかと思う。
「祥子さん凄いんですよ!コンマ単位で時間を測れるんです」
「まあ、祥子ならありえる」
「臼井なら仕方ない」
「格闘ゲームとか得意そうだな……」
神崎が最後何を言っていたのかは聞き取れなかったが、私が皆からどう思われているかはよくわかった。何だか勉強会から目的がずれてきている気がするがこれはこれでありかもしれない。いや、駄目だろ。
「なあ、カエデ」
「なに?」
「ここに来た目的忘れてないよな?」
「…………忘れてないよ」
「おい、その間はなんだ。まあとにかく勉強を再開しよう。何せ今回のテストの報酬はデカいからな」
私の言葉に皆が顔色を変えた。思い出すのは今日学校で殺せんせーに言われたことだ。テストで総合と五教科のいずれかで学年順位一位を取れば一教科につき触手を一本破壊する権利をやると言ったのだ。殺せんせーの触手を破壊すれば運動能力が大幅に低下するのは周知の事実。
つまりはこのテストの成果によっては地球を救うことになるかもしれないのだ。皆の熱意の籠り方は凄まじかった。私自身はそこまで入れ込めなかったのが残念だが、今まで兵士として戦うことしか考えてこなかったため仕方のないことだと思う。
それから勉強はつつがなく行われた。お互いに分からないところを教え合い共に成長していく。それが面白くてしかたがない。やはり私は殺せんせーの言う通り勉強が好きなのだろう。
「そう言えば臼井って気になる男子とかいないの」
「なんだ藪から棒に」
「修学旅行の時そう言う話してたの思い出して、臼井はどうかなって思って」
気になる、恐らく恋愛的な意味だろう。恋愛とはまるで無縁な生活をしてきたから分からない。
「私は知っての通り感情に疎くて、そう言ったものはよくわからないんだ。ここに来るまでは友情という感情すら理解してなかった。そもそも私なんかが誰かを好きになる資格があるのかどうか」
頭では違うとは分かっていても心が拒絶しようとしてしまうのだ。それだけのことを自分はしてきてしまっている。
「あんたまだそんなこと思ってるの?」
「え?」
速水が怒ったような呆れたような表情で私に言う。心なしか場の空気が重い。どうやらまたやらかしてしまったらしい。
「はぁ、かなり重症ね……言っておくけど誰もあんたのこと嫌いじゃないし臼井も私たちのこと嫌いじゃないんでしょ?」
皆が私のことを受け入れてくれているのは分かっているし、私だってそんな皆が好きだ。だからこそ私なんかが居ていいのかと思ってしまうわけだが。
「それは当然だ」
「じゃあそれでいいじゃない」
「速水さんの言う通りだよ。祥子は難しく考え過ぎ」
難しく考え過ぎか。確かにそうかもしれないが、今までこんな風に受け入れられたことがないからどうしていいのか分からない。悪意のいなし方は知ってても好意の受け入れ方はまるで分からない。
「そうか、難しく考え過ぎか。そうかもしれない、すまないな三人とも」
でも分からないのなら知ればいい。私にはその権利があるのだと言っていた。私にはわからないがきっとそうなのだろう。
「ほんとだよー、祥子のせいで湿っぽい空気になっちゃったじゃん」
「また罰ゲームが必要ね」
「二人とも、程々にね?」
その後私は三人に筋肉を揉まれたりスリーサイズを告白させれたり髪を弄られたり散々な目にあった。ちなみに肥満気味の原と殆ど同じ体重だと知った時の三人の信じられないと言いたげな顔は一生忘れないと思う。
「赤羽、君は勉強しなくていいのか?」
試験日が刻々と迫る中、私は隣に座っている悪戯好きの男の姿に驚かされた。何というか平常運転なのだ。
「ん?俺は一応勉強してるから。それにこんなの楽勝だよ」
そう言う彼の姿はとてもじゃないが真剣とは言い難いものだった。まあ、彼がそれでいいと思っているのなら私が口を出すことじゃないが、いつか足をすくわれないか心配だ。想定するのは常に最悪の事態。だが、時として現実は更にその上を行くことがある。
兵士という人種は一般人より度胸があるように思われるが実際は人一倍臆病だ。石橋を叩き壊してヘリコプターで向こう岸まで渡るような人種なのだ。そうじゃなかったら狙撃手一人にガンシップまで要請するはずがない。あの時は死ぬかと思った。
「カルマ君!真面目に勉強しなさい!」
そんな彼を当然殺せんせーは注意するわけだが、当の本人は何処吹く風である。これは思ってたよりも重症だな。私は彼の評価を少しだけ下方修正した。
「あんた最近普通の教師みたいでつまんないね。それよりどーすんの?そのA組が出した条件って」
私はその場にいなかったためよく知らないがどうやら昨日図書館で勉強していた渚達が五英傑(最初は冗談かと思ったが本当にそう呼ばれているらしい。世も末だな)と呼ばれる三年A組でも指折りの学力を持つ連中とテストの結果で勝負することになったらしい。
勝ったほうが何でも一つだけ命令できるそうだ。何でもなんてあまり言わないほうがいいと思うのだがなあ。死ねと言われたらどうするつもりなのだろう。実際に何でもすると言って死ぬより悲惨なことになった者を見たことがあるので気になってしまう。
「気を付けたほうがいいんじゃない?なんか裏で企んでる気がするよ」
企むと言ったって精々A組の小間使いになれとかそういうのだろう。オートマチックでロシアンルーレットをやらされるのに比べたら可愛いものだ。あの時は本気で死ぬかと思った。だいたいオートマチックでロシアンルーレットってできるわけないだろ。
「心配ねーよカルマ、俺達がこれ以上失うもんなんてねーよ」
「勝ったら何でも一つか~、学食の使用権とか欲しいな~」
勝つ前からそう言う話は本来はするべきではない。だが、今の私は不思議とそれもいいかなと思えた。
「ヌルフフフ、それについてはいい考えがあります」
そう言って殺せんせーはとっておきのものを私たちに見せた。なるほど、確かにこれなら皆もやる気を出すだろう。本当にこの先生は人をその気にさせるのが上手い。
「ねぇ、ちょっと放課後顔貸してくれいない?」
私の目の前にいるのは長い癖毛が特徴で魔女と言う言葉が似合いそうなクラスメイトの狭間。そう言えば彼女とは事務的な会話しかしたことがないな。これを気に交流を深めるのも悪くないかもしれない。
「ああ、問題ない」
「じゃあ放課後迎えに行くから。それと」
ぬるりという擬音が付きそうな振り向きかたをして狭間は私を見つめた。心なしかなんだが目が輝いている気がするのは気のせいだと思う。
「貴方って、なんだか凄い業を背負ってそうよね」
「は?」
業って、いや間違ってないけどさ。いったい今まで何人殺してきたのやら、正確には数えられないがきっととんでもない数を殺しているはずだ。間違いなく私が死んだら地獄に行くだろう。尤も地獄なんて信じていないが。
「いつかゆっくり聞きたいわ、貴方の過去。ふふふ」
「そ、そうか……」
そう言って不気味に笑いながら狭間は去っていった。本当に、E組のメンツは濃いのが多いなあ。E組の闇は深い改めてそう思った。
そして放課後、私は彼女に連れられて旧校舎の普段使われていない教室に足を運んだ。教室には既に見知った顔が三人座っていた。
「連れて来たわよ」
「は!?臼井連れてくるとか聞いてねーべ!」
「当たり前じゃない、言ってないもの」
寺坂が椅子から立ち上がり私に指を差した。その横には吉田と村松が不思議そうに寺坂を眺めている。所謂寺坂グループとでもいうべき集団だ。机の上には、何故か家庭科の教科書とレシピ本や裁縫の参考書などが散乱している。
「私達だけでやるより成績の良い臼井がいたほうがいいじゃない」
「すまん、話が全く読めないだが」
「俺らあのタコに一泡吹かせてやろうと思っててよ。これ絶対言うなよな、実は──」
吉田の説明に私は呆れつつも感心した。よくもまあ思いついたものだ。屁理屈もいいところだが確かに悪くない考えだと思う。
「まあいいんじゃいないか?それで、私に手伝えと?」
「おめーら、臼井は普通に頭いいだろうが!足引っ張ったら悪いだろ」
やはりプールの一件のことは許してないのだろう。これ以上いたら寺坂に要らぬストレスを掛けさせてしまうかもしれない。
「私がいたら迷惑そうだな。すまない、すぐに出て行くよ」
四人に背を向け廊下に向かって歩き出そうとする。が、何者かに手を掴まれた。振り返る。寺坂だった。
「何早とちりしてんだよ。誰も迷惑だなんていってねーだろ」
「いや、だが、君には酷いことをしてしまったし……」
私の都合で暴力を振るったのは紛れもない事実、決して許されることではない。
「あれは俺が悪かったしそもそも気にしてねーって言ったよな」
「いや、でもな」
「でもも糞もねえよ!気にしてねえっつってんだろ!」
どうやら本当に気にしてないらしい。これ以上ごねるのは逆に迷惑が掛かるな。
「はぁ、わかった。わかったからもう手を離してくれないか?」
「へ!?あ、あぁ、悪ぃ」
バツが悪そうに寺坂は謝罪と共に私の腕を離してくれた。その時彼の頬が少しだけ赤くなっていたが恐らく夏の暑さによるものだろう。
「ぷっ、寺坂イメチェンした臼井に照れてやんのぉ!?」
「なんか言ったか、村松?」
「な、なんも言ってません」
ヘッドロックを掛けられている村松に同情する。うむ、仲がいいのはいいことだ。私も、味方ともっと信頼関係を結ぶべきだったのかもしれないな。まあこれから変えていけばいいか。
「まあ、とにかくだ。私もその計画に一枚噛ませてくれ。面白そうだしな」
「え、マジで!?」
私の周りは皆真面目な人間が多すぎる。それが悪いことではないがたまには彼らのような者達と行動を共にすることも悪くはないだろう。
「マジだ。だが先に言っておくがメインは普通の五教科だから、そこまで協力できないぞ」
「それだけで十分よ」
「代わりと言ってはあれだが分からない科目があれば聞いてくれ。理系なら教えられるはずだ」
最初はあまりいい印象を持っていなかった彼等だが、こうして付き合ってみるとなかなかどうして気持ちのいい連中だな。少し前ならプールを壊したことをまだ根に持ってずっと警戒していただろう。人は変わると言うが私の場合は変わりすぎだ。
「おぉ!あざっす」
「悪いな臼井」
夏真っ盛りの七月。こうして皆が様々な思いを胸に抱きながら、一学期の総決算は幕を開けるのであった。
用語解説
ガンシップ
強力な重火器を装備し地上兵力への支援を行うヘリや飛行機のこと。
オートマチックでロシアンルーレット
ロシアンルーレットは本来複数の薬室を持つリボルバーでやるもの。普通なら死ぬけど主人公に弾を装填した銃を渡したのが間違い。ちなみに本当にオートマチックでやって死んだアホがいるらしい。