※インフルで溶けたストックをようやく補充したのでいつも通りに戻ります。
目を開ける。暖かい日差し、優しい風、見渡す限りの草原、ここはいったいどこだ?見慣れない景色のはずなのに私は何故だが無性に胸が締め付けられた。それに何だか視界が妙に低い。まるで背が縮んだみたいだ。
ああ、これは夢か。
『─子!こっちこっち!!』
背後から女性の優しい声がした。この声を聞くのは初めてのはずだ。それなのに、どうしてこんなにも胸を締め付けられるのか。でも名前を呼ぶところだけ不鮮明になって何を言っているのかわからない。
『ここまで走ってこーい!』
男の声、どこまでも優しくてそれでいて力強い。胸が痛い。身体は私の意思に反して勝手に動いた。振り向く。木の下で二人の若い男女が私に手を振っていた。どこまでもくっきりと映っているのに顔だけが影に隠れて見えない。
『─子!ほらこっちだ!』
身体が走り出す。土を蹴り、草を踏み、足を動かす。私はこの人たちを知らない。でも『私』は知っている。どんどんと近づいていく。シルエットが大きくなっていく。早くこの人たちに触れたい。その一心で走り続ける。
あと少し、あと少し!もっと、もっと早く!小さな足で必死に地面を蹴る。そして遂に、私は二人の手の中に……
「あっ」
目が覚める。嗅ぎなれないシーツの匂いが私の鼻孔をくすぐった。身体を起こし周囲を見渡す。ここは、ホテルの自室か。
「そう言えば、ヘリで寝てしまったな」
多分あの後運ばれたのだろう。身体を確認すれば手当てした跡が残っていた。ざっと見たところ右足の捻挫に少しの火傷、そして背中の打撲。頬にはガーゼが張られていた。ベッドから身体を起こし立ち上がる。
「少し痛むが、まあ大丈夫だな」
あれだけの目にあってこれくらいの怪我ですんだのだ。相変わらずこういう時の運だけ無駄にいいんだな。まあ本当に運が良かったらそもそもこんな目に遭わないんだろうけど。
「お目覚めですか?祥子さん」
「ん?ああ、律か」
ベッド脇のサイドテーブルには私の携帯電話が立てかけられていた。ひび割れた画面に律の笑顔が映っていた。
「お身体の調子は大丈夫ですか?」
「少し痛むが問題ない。今の時間は?」
嘘だ。本当は服が擦れるだけで痛みが走る。だが、これ以上心配させるわけにはいかない、それに痛みには慣れている。これくらいは余裕だ。
「10時4分12秒です」
私らしかぬ朝寝坊だった。私の体内時計はかなり正確だ。いつもなら何が起きても5時きっかりに目が覚めるはずなんだが……まあ、今日は仕方ないか。
「あれからどうなったんだ?」
「はい、祥子さんが眠った後、皆さん無事に栄養剤を飲んで回復しました。ですがかなりお疲れの様でまだ眠っています。烏間先生は完全防御形態となった殺せんせーの封じ込めのため、現在も浜辺で陣頭指揮を執っておいでです」
確かに耳をすませば重機の動く音が聞こえる。多分殺せんせーが動けないのいいことに対先生弾と一緒に海にコンクリで沈めるつもりなのだろう。正直成功するビジョンが思い浮かばない。
「どうもありがとう。私は外に出てくる」
「はい、お気を付けて」
私は体操着に着替え外に繰り出した。夢はもう忘れていた。
「おお、やってるな」
浜辺では現在進行形で作業が行われていた。どこからか持ってきたコンクリートブロックをクレーンで積み上げている。あんなクレーン車どうやって運んできたんだろうか。
「あ、烏間先生だ」
視界の先には設計図のようなものを手にした烏間先生が作業員に指示を飛ばしていた。あの人も疲れているだろうに、だが立ち姿からはそんな様子は微塵も感じられない。流石は精鋭といったところか。そんなことを考えていると彼と目が合った。私が手を振ると先生は他の者に指揮を任せ私に近づいてきた。
「おはようございます」
「おはよう、身体のほうは問題ないか?一応衛生科の者に手当てさせたが異常を感じたらすぐに知らせてくれ」
「わかりました。でも、見てのとおり大丈夫ですよ」
そう言うと先生は少しだけ怒ったように眉を顰めた。どうやらお気に召す回答ではなかったらしい。
「君は自分が何をされたのかもう少し自覚するべきだ。防弾チョッキを着ていたとはいえ銃弾を十発も身体に喰らったんだぞ。それに薬で無理やり身体を動かすような人間の言葉を信用するわけにはいかないな」
「え、何でそれを……」
そう言えば律に話してしまったし使い終わった注射器、部屋に置いたままだった気がする。これは少し不味いかもしれない。
「部屋にあった注射器、あれは何だ?」
ここで答えないという選択肢はない。何故なら先生から途轍もない圧力を感じるからだ。下手に嘘をついたら何をされるかわかったものじゃない。
「か、覚醒剤とアドレナリンを混ぜた強心剤、です……」
「なっ!?ウイルスを盛られている割に妙に元気だと思ったらそういうことだったのか……」
「でも多分偽物ですよ。どうにも効き目が薄かったので」
本当に覚醒剤だったらあんなぐっすりと眠れない。というかそもそも眠気なんてこない。投与したのは多分ただのアドレナリンだ。後で業者に問い合わせよう。ふざけやがって。
「そういう問題ではない!はぁ、君はもっと自分に優しくしていいんだ。痛いなら痛いと言っていいんだ。本当はまだ痛むんだろう?顔が少し引きつっているぞ」
「あー、やはりわかりますか……」
いくら手当てされたからといって痛みは簡単にはなくならない。これは全治まで時間がかかりそうだなぁ。
「君は……いや、今日はこれくらいにしておこう。言いたいことや聞きたいことは山ほどあるが詳しい話は後日聞くことにする。追って連絡するのでそのつもりでいてくれ」
まあ、銃火器のことやホテルでの戦闘など、色々聞かなければいけないのだろう。こればかりは仕方あるまい。
「それと明日那覇についたらその足で那覇駐屯地へ向かい精密検査を行う予定だ。先に言っておくが君に拒否権はないからな」
「そ、そうですか……」
そこまでしてもらわなくても大丈夫なんだけど……いや、普通に考えればボディーアーマー越しとはいえ銃で撃たれたのだ。少しくらい大げさなほうがいいのだろう。
「本当なら今すぐにでもヘリで向かってもらいたいところだが、君は嫌がるだろうと思ってな」
「はい、皆に話さなければいけないことがあるので……」
自分の過去を改めて告白する。正直言って怖い。今度こそ拒絶されるんじゃないか、そう思うと寒気を感じる。でも、あの言葉が嘘だとは思えなかった。
「誰にだって知られたくない過去の一つや二つある。友人だからといって全てをさらけ出さなくてもいいんだ。彼らだって無理に聞き出そうとはしないだろう」
先生の言うことは正しい。でも、だからといってこれ以上皆を欺き続けるのは拒絶されるよりも嫌だった。
「だが、彼らは君が思っているよりもずっと強い。心配するほどのことはおきないだろう」
「はい……」
不意に鷹岡に言われた言葉がリフレインする。屑、化物、ハイエナ、全て事実だ。私のような人間は本当ならいるべきではないのはわかっている。でも、知ってしまえば戻れない。もうあそこには戻りたくない。外は暑いはずなのに私は寒くてしかたなかった。両手で自分を抱き締める。ふと頭に何かが乗せられた。ごつごつした男の手、この距離から伸ばせるのは一人しかいない。
「あいつに言われたことは気にするな」
愛想の感じられない言葉だったが、確かに優しさを感じられた。
「臼井さん、君は何も悪くないんだ。今は納得できなくてもいい、でもそれだけは覚えておいてほしい。では俺はこれで」
いつも通りの武骨で飾らない言葉。でもだからこそ本心から言っているのが伝わった。再び作業の指揮に戻る先生の背中を見ながら私は過去について考える。寒気はいつの間にか治まっていた。
ちなみにビッチ先生からは将来のパートナー候補なんだからもう少し身体大事にしろとの素直じゃない言葉を貰った。本来なら喜ぶべきなのだが着ている水着(あれは水着というより草じゃないか?)のせいでまったく頭に入ってこなかった。残念だ。
あれから一時間、私は浜辺の岩場に腰かけ海を眺めながら今までのことについて考えていた。鷹岡に言われた言葉、烏間先生に言われた言葉、殺せんせーに言われた言葉、皆に言われた言葉、それらが頭の中で反響して滅茶苦茶に響く。
結局鷹岡は殺せなかった。あいつは殺すべきだった。殺そうとしたものは殺されなければならない。殺さなくてはいけない。それだけが信じるべきものが何一つない私が唯一信じていたこと。
「のはずだったんだがなぁ……」
だというのに私はあいつを殺さなくてすんだことを安堵しているのだ。また人を殺さずにすんだという事実が嬉しくて仕方がない。そもそも、私が本当にしたいことっていったいなんだ?
今までは兵士になることが私のしたいことだった。それだけが唯一の望みだった。無限に続く闘争の世界でこの身がくたばるまで戦い続ける。それは甘美なものに違いない。何も考えず、何も求めず、何も生み出さない。その世界は私という存在にとって楽園に違いない。
でもそこには私しかいないのだ。
「それは、嫌だな……」
ずっと望んできたことのはずなのに私はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。私が本当に望んでいることはなんだ?考えても考えても答えは見つからない。
「自分のことなんて考えたこともなかったな……」
今までは求められたものを提供すればいいだけの人生だった。クライアントの意思に従い任務を遂行する。そこに私の意思が介在する余地はなかった。だがここに来ていきなり自分のことを考える必要に追われるようになった。
「あ、こんなところにいた!」
不意に背後から声を掛けられる。波音に阻まれ気が付かなかった。振り向けば少し怒ったようなカエデが立っていた。
「あんな怪我したんだからまだ寝てなきゃ駄目でしょ!潮風だって身体に良くないよ」
「大丈夫だ。撃たれるのには慣れて、痛い痛い痛い痛い!!」
肉薄されて背中を指でなぞられる。それだけで激痛が走り思わず悲鳴をあげてしまう。
「やっぱり……全然大丈夫じゃないじゃん!」
「慣れているのと痛くないのは別の話だからな」
相変わらず心配性だな。いや、友達が目の前で撃たれたら誰でも心配するだろう。何でも自分基準で考えるのは私の良くない癖だ。カエデはてっきり私をホテルに連れ戻しにきたのかと思ったがどうやら違うようだ。私の座っている隣に腰を下ろした。
「もう、祥子はいつもそうやって無理しすぎなの!もっと自分を大事にしようよ……じゃないと、いつか本当に死んじゃうよ……私、嫌だよ……」
泣きそうな顔でそう言われ私は急に罪悪感が湧き上がってきた。私の行動そのものは間違ってないと思う。だが、その結果がこれだ。友達を助けるために行ったのにその友達を泣かせてどうする。
「ねぇ、何であの時私を庇ったの……」
咄嗟に抱き着いて鷹岡の銃弾からカエデを守った。お陰で怪我を負うことになったが全く後悔していない。また同じ状況が起きたら迷わず同じように行動するつもりだ。
「昨日言っただろ。友達だからだ」
「友達って……たったそれだけの理由で?」
「他に思い当たる節がないんだ。仕方ないだろ」
他に論理的な理由なんてない。何と聞かれても友達だからとしか言いようがなかった。
「馬鹿だよ……」
「ああ、馬鹿だな」
友達といったって所詮は赤の他人だ。助ける必要なんてない。でも、いくら思い返してもあそこで動かないという選択肢は存在しない。あそこで動かなければ私は今度こそ本当の意味で屑になってしまう。
「カエデ?」
いつの間にかカエデは俯き、膝に置いていた手は固く握りしめられていた。
「どうして私なんて庇ったの!!死ぬかもしれなかったんだよ!?それを、ただの友達だからって……意味わかんないよ!!」
「意味なんてないさ、私がやりたいからやった。それだけだ」
私の言うことに我慢できないのか、カエデはいきなり立ち上がった。両目には涙が滲んでいた。私も立ち上がる。やはり随分と身長差があるな。
「ほんっと意味わかんない!!何で私なんか助けたの!?私が隠し事してるの気付いてるんでしょ!?」
凄い剣幕で私に詰め寄ってくる。やはりと思っていたが本当に何か隠し事があるようだ。ある意味似た者どうしかもしれないな。そう思うと自然と笑みが零れる。
「ああ、何を隠しているのかは知らないけどな」
「じゃあなんで!?みんなのこと騙してるんだよ!!何でそんな平気な顔できるの!?何で笑ってられるの!?」
まるで昔の私を見ているようだ。何故人が自分に対して優しくするのか理解できなかった。人殺しなのに、騙しているのに、そんなどうでもいいことで人の好意を否定する。皆はきっと私のことをこう見ていたんだな。
「決まっているだろ、友達だからだ」
「なっ……」
結局のところこれに尽きる。いくらそれらしい理屈や御託を並べたところでそれ以外の理由なんてないんだ。
「馬鹿だよ……馬鹿すぎるよ……」
「ああ、馬鹿だよ……私は」
でも友達を見捨てることが利口なら、私は馬鹿のままでいい。例え屑だろうが人殺しだろうが知ったことではない。これだけは譲れない。
「名前だって偽名なんだよ?」
「私だってそうだ」
「何もかも嘘なんだよ?」
「私だってそうだ」
「全部演技なんだよ?」
嘘だ。いつも怒ってくれるカエデが演技なわけない。私を舐めるな。人を見る目には自信がある。でも、もし仮にカエデの言うことが本当だったとしても……
「別にそれでもいい」
「は?」
「例え、演技だったとしても、偽物だったとしても、私は君を友達だと思っている」
次々と明かされる衝撃的な事実を前にして、私は驚くほどいつも通りでいられた。騙されたという事実よりも友達のことを知れたという事実のほうが私には嬉しかった。こうやって言ってくれるということはそれだけ私に心を許してくれているという証拠。それが嬉しくて仕方がない。
「馬鹿だよ……祥子は……」
「ああ、大馬鹿さ……」
沈黙が二人を支配する。俯いたカエデはどんな表情をしているのかわからなかった。
「……本当はね、銃も鷹岡先生も私一人でどうにかできたんだ」
「そうなのか?」
多分、カエデが隠している秘密に関係のあることなのだろう。カエデは顔を上げると私をあざ笑うかのように微笑んだ。これが、彼女の素の姿なのだろうか。いや、違うな。今まで培ってきた兵士としての勘がそうではないと告げている。なら私の答えに変わりはない。
「うん、そうだよ……だから祥子がしたことなんて何の意味もなかったの。無駄に怪我して災難だったね」
「そうか……なら、よかった」
「は?」
私の言った言葉が信じれれないのだろう。カエデはいつものように目を見開き口を開けて唖然としている。なんだ、やっぱりこっちが素なんじゃないか。
「だって、それが事実なら私が失敗したとしてもカエデは怪我しなかったんだろ?なら別にどうでもいいよ」
「ど、どうでもって……」
仮にカエデの言葉が事実だったとしても私の行動に変化はない。流石に対応は変わってくるが、根底にある心理は変わらない。何度だって庇ってやる。そんなことを思っているとカエデから立ち込めていた剣呑な気配が霧散していく。
「はぁ……正直それはドン引きだよ……」
「私も同じことを言われたら気持ち悪いと思う」
出会って四ヶ月しか経っていない相手にお前のためなら死ねると言われたら私は絶対に引く。
「ぷっ、なにそれ。自分で言っちゃうんだ」
もういつものカエデに戻っていた。こっちのほうがずっと似合っている。そしてお互いにしばらく見つめ合った後、私達は大笑いした。何だかおかしくて仕方がなかったのだ。ひとしきり笑い、私達は再び岩場に腰を下ろした。波の音だけが私の鼓膜を刺激する。
「あ、髪ほどけてるね」
「そういえばそうだな。多分手当てするときに取られたんだろう」
「ちょっと横向いて」
横を向けば何やら髪を弄り始めた。そして十秒もしないうちにいつもの髪型に戻る。やはりこっちのほうが落ち着くな。
「うん、やっぱ祥子はこの髪型じゃないとね」
「矢田と被るけどな」
「そう?祥子はぱっつんポニーだし全然違うと思うけど」
「そうなのか、よくわからん」
伊達に蛇を食っているわけではないのだ。髪型なんて長いか短いかハゲの三つしか分類がない。手櫛で髪を梳かしながら会話を続ける。
「ねえ、昔のこと聞かせてくれない?」
少しだけ心拍数が上昇する。今更私が何を言ったところでカエデが拒絶することはないのはわかっている。でも、少しだけ怖いと思ってしまう。だけど、
「ん?どうしたの?」
少しだけ勇気を出そう。
「聞いてくれるかな……あれは八年前の──」
私は目の前の謎多き友人に過去を話し始めた。
全てを聞いたカエデは何も言わずに黙り込んでいた。中学生には重い話だという自覚はあるしそうなるのも無理はない。でも地雷原をむりやり歩かされた話はするべきではなかったかもしれないな。
「じゃあ、ここに来たのって本当に偶然だったんだ」
「ああ、とんでもない確率だよ」
偶然に偶然を重ねてさらに奇跡がおきるくらいの確率だ。ただの中学校生活を体験するだけのつもりだったのに何故だが超生物の暗殺をするはめになってしまった。疫病神にでも取りつかれているんじゃないかと思う不運だ。
「傷、たくさんあったね」
「見たのか?」
「うん、応急手当の時に」
「まあ、破片やら銃弾やらを散々浴びたからなあ……」
今まで生きてこれたのは偏に運が良かったからにすぎない。普通ならとっくの昔に死んでいた。とんだ強運だがそんなに運が良いなら初めからこんな目に遭わせるなと言いたい。
「痛かった?」
「ああ、痛かった……」
そうだ、私は痛かったんだ。今までは平気なふりをしてきた。慣れたなんて言葉でごまかして何てことないように振る舞った。でも本当は痛かった。痛くて痛くて仕方なかった。でもそれを口にするのは許されないことだった。
「すごいね、祥子は」
「そうか?」
「そうだよ」
再び沈黙に包まれる。夏の日差し、波の音、そして潮風。昨日の戦闘がまるで夢や幻だったのではないかと思うほど穏やかな時間が流れていた。
「私もね、独りぼっちだったんだ……」
「私も独りだった……何だかそっくりだな……」
これでよくわかった。私達は色々な意味で似た者どうしだった。失った者どうしが傷を舐めあっているだけなのかもしれない。でもそれでもいい。私は騙されていたとしてもカエデと友達になれたことを嬉しく思う。
だから、こう言おう。
「なあ、私と友達になってくれないか?」
「なに言ってるの?もう──」
「茅野カエデじゃない、目の前にいる名前も知らない誰かさんとだ」
私の台詞にカエデは目を見開いた。名前なんて所詮記号でしかない。そんなものに意味はない。重要なのは目の前にいる人間が誰なのかということだ。私はこの謎だらけで世話好きのやたら胸の大きさを気にする人間と友達になりたい。
「祥子って本当に恥ずかしい台詞ポンポンいうよね」
「日本人が奥手すぎるだけさ」
日本語は曖昧な表現が多すぎるんだ。大分わかるようになってきたが今でも理解に時間がかかる時がある。特に速水はたまに言ってることと伝えたいことが正反対だったりするから本当に悩む。ああいうのを確かツンドラとか言うんだったか?
「男子にはあまり言わないほうがいいよ。勘違いすると思うから」
勘違い?でもまあ私よりはるかに人間としての経験値を積んでいるカエデが言うんだからそうなのだろう。ここは素直に従っておこう。
「わかった、そうするよ。で、返事は?」
「うーん……いいよ、なってあげる。友達に」
例え、カエデ私のことをなんとも思っていなかったとしても、この言葉が嘘だったとしても、カエデは私の友達だ。
「そうか、じゃあこれからもよろしく」
手を差し出せば黙って握ってくれた。答えはそれで十分だった。
「二人きりの時はあかりって呼んで」
「それが君の本当の名前か。わかった。よろしくな、あかり」
「……うん!」
いつも通りの笑顔のはずなのに、何故か私にはカエデ(面倒だから心の中ではそう呼ぶ)がいつにもまして明るい笑顔に見えた。
「あ、できればお姉ちゃんもプラスして呼んでほしいなぁ……って」
あかり、お姉ちゃん、あか、お姉……そうだ!
「わかった。あかねえ「それは止めて」え?」
「止めて」
「えっと……」
「止めて」
「…………わかった」
私のとっておきのあだ名は無慈悲にもあかりによって却下となった。不思議だ。
用語解説
ねぇんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
豆腐餅さんにまたしても支援絵を頂きましたのでここに掲載させていただきます。頂いたのはかなり前なのですが、タイミングが合わず掲載が遅れてしまいました。
【挿絵表示】
この場を借りてお礼を申し上げます。