自分の計画が完全に失敗したことを理解したシロは如何にもチンピラが言いそうな捨て台詞を残して去っていった。去る際に私を睨みつけていたのが気になるがひとまずは危機は去ったということ。今は純粋に勝ったことを喜ぼう。
「臼井、本当に腕大丈夫なのか?」
磯貝の指摘に右腕に視線を向ける。指先から肘まで丁寧に包帯が巻かれている。殺せんせーにマッハで手当てされたのだ。指を動かしてみるが特に異常はない。
「ああ、特に支障はない。手当てしてくれたのは素直に嬉しいが些か派手すぎるな」
「いや、派手もなにも血塗れだったじゃねえか」
「そうは言うがな前原、派手なのは見た目だけであって本当に大した怪我じゃないんだ」
ちょっと血が出たくらいで騒ぎ過ぎだ。こんなものは適当に消毒液をかけておけば一週間もしないうちに治る。わざわざ包帯なんて巻く必要はない。
「というかあんたさっき何してたの?」
そういえば煙が晴れる前に飛び出していたから皆は私が何をしたのか知らないのか。変に勘繰られても嫌なのでここは素直に事実を伝えておこう。
「トラックが走り去るのが見えたから追いかけて荷台に飛び乗って事故らせた」
「……は?」
目が点とはこのことを言うのだろう。端的に事実を伝えたのだがそれでも荒唐無稽な話になってしまうのは仕方のないことだ。
「じゃ、じゃあ腕の怪我は?」
「窓ガラスを殴り壊して運転席に入り込んだ時のだろうな」
「…………馬鹿じゃないの?」
よく考えれば銃でタイヤを撃てばよかっただけだった。
「う、臼井って実は未来からきた殺人ロボットだったりしないよな」
「それ傭兵仲間にも言われたぞ。どういう意味なんだ?」
「言われたのかよ……」
以前ターゲットを同じように追いかけまわしたところしばらくあだ名がターミネーターになったのは思い出したくない出来事だ。いったい何を終わらせるというんだ。
「ターミネーター2っていう映画に臼井みたいな悪役が出てるの。よかったら今度DVD貸すけど」
「……遠慮しておく」
後日、結局誘惑に負けて映画を見たところ、自分が何と同じ扱いをされていたのかを理解し精神に深い傷を負ったのはどうでもいいことである。流石の私もあそこまで人間を止めたつもりはない。
「イトナ君に勝利や強さへの病的な執着がある限り、触手細胞は強く癒着して離れません」
ネットから解放され横たわる堀部を見る。頭に生えた触手はやせ細りまるで枯れ木のようだ。きっとそうとうな量のエネルギーを消費したはずだ。そしてそれを供給するのは堀部の肉体、負荷は尋常なものではないだろう。
事実、堀部の顔には死相が浮かんでいた。私はこの顔を知っている。死んでいく者の顔だ。きっとあと数日もしないうちに彼は十数年の人生を終えるのだ。私はこんな顔を何度も何度も何度も見送ってきた。もう見慣れたし、見飽きた。そしてもう見たくない。
「こうしている間にも触手は肉体を蝕み続け、最後は触手もろとも蒸発して死んでしまう」
それはきっと地獄のような苦しみに違いない。殺せんせーは強さへの執着を消せば触手を抜くことができると言っていた。
「そんなもの不可能だ……」
彼に何があって何を思ったのかは知らない。だが、一度手に入れた力を手放すことなんてできない。そんなことができるのは聖人か、もしくは神くらいだ。そしてこの世界にはそのどちらも存在しない。どこを見ても悪党と屑ばかりだ。
「ちょっと言い過ぎじゃない臼井さん?」
独り言のつもりだったが中村には聞かれていたようだ。不満そうに言い返される。その通りだ。何も知らないのに断定するなんて愚かにもほどがある。だと言うのに私の口は私の意思に反して勝手に開いていた。
「どこも言い過ぎじゃないだろう。そんな簡単に捨てられたら、そんな簡単にけじめをつけられたら!私はこんなッ!?」
慌てて口を塞ぐ。皆が私を見ていた。こんな癇癪染みたことをして何になる。堀部の境遇に勝手に自分を投影してみっともないったらありはしない。
「あ、その、ごめん……」
気まずそうな中村を見て頭に籠っていた熱が逃げていくのを感じる。シロに会ってからどうにも様子がおかしい。私はこんな下らない八つ当たりをするような性格だったか?
「いや、君は何も悪くない。こちらこそすまなかった」
「……ありがと」
溜息を吐いて空を見上げる。半ば八つ当たり染みた言葉だったが、私の言ったことは事実だと思っている。一度手に入れた力を手放すのは本当に難しい。何故なら、力を手にした者はそれがないことの怖さを知っているからだ。
私は銃を捨てられない。それは銃がなければ何をされるのかを知っているからだ。殺されそうになったことなんて数えきれない。レイプされそうになったことだってある。それでも今ここに立っているのは銃が、何よりも力があったからだ。
きっと私は本質的に臆病なのだろう。臆病で怖がりで意気地なし、きっと死ぬまで銃を捨てることはできないだろうな。
「臼井さんの言うとおりです。そんな簡単に捨てられるわけがないんですよ……」
殺せんせーが呟いた。まるで自分に言っているかのような言い方が少しだけ引っかかった。
「イトナ君に何があったのかはわかりません。きっと相当なことがあったのでしょう。ですが、だからこそ知らなくてはならない。彼が何を見て、何を思い、こうなったのか、彼を助けるにはそれを知る必要がある」
説得するにしても情報が必要不可欠だ。この平和な日本であれだけの覚悟をするほどの何か。捨てられたか、あるいは抗いようのない現実に踏みにじられたのだろう。
「そのことなんだけどさ、みんな。何でイトナ君が携帯ショップを襲ったのか気になって律と彼のこと調べてみたの。そしたらこんなのが出てきた」
不破に言われ携帯電話を手に取る。画面が罅だらけだった。どうやら車から飛び降りる際に割れたらしい。前に交換したばかりだったのだがな。律に操作された携帯電話の罅だらけの画面にはとある会社のホームページを映し出されていた。
「堀部電子製作所?」
「堀部イトナ、この会社の社長の息子なんだって」
不破の口からありきたりだが、やるせない事実が語られた。両親の経営していた会社が負債で倒産、両親は一人息子を残し蒸発。残された堀部はシロの手を取った。
「やるせないな……」
嫌になるのはその会社が大企業に半ば手柄を奪い取られるかのような形で倒産したことだ。成果も人材も金で奪い取られ踏みにじられた。堀部が強さを求めるのも納得だ。彼もまた理不尽な現実に翻弄された被害者の一人だったのだ。
「本当に、この世界はちっとも優しくない……」
救いがあるとすればまだ両親の死亡届が提出されていないことくらいだろう。それも時間の問題かもしれないがな。なんだか無性に酒が飲みたくなった。バーボンをダブルで飲めばこの気持ちも少しは晴れるのだろうか。
「力がなければ何も守れない……」
私には力があって堀部にはなかった。それだけのことだ。昔ならそう思っていたのだろう。本当なら同情なんてするべきではないのはわかっているのに同情してしまう。私も随分と甘くなったものだ。
もう、私にできることは何もない。力を諦めさせようと説得するのに、弱肉強食を体現しているかのような者が説得するなどとんだお笑いだ。強いてあげるのならこれ以上苦しまないように彼の命を絶つことくらい。だがそれは本当に最後の手段だ。
「け、つまんねー、それでグレただけの話か」
そんな空気に水を差すものがいた。そう寺坂だ。皆がそのあんまりな一言に顔をしかめる。確かに不謹慎な言葉だが同時に納得してしまう私がいた。
現状から見れば堀部の執着を消すのは不可能に近い。
「俺らんとこでこいつの面倒見させろや」
しかし、この馬鹿でやさしい男ならどうにかできるのはないか。そう思うのもまた事実なのであった。
「臼井、てめーも面貸せよ」
「は?」
「何で私まで……」
ふらつく堀部を先頭に街の中を当てもなくぶらつく。彼の頭には先ほど堀部を包んでいた対先生ネットを改造したバンダナが巻かれているが、また暴れ出したら気休めにもならないだろう。
「ボディーガードのつもりじゃない?」
「た、確かに臼井がいれば何が起きても大丈夫だよな?つうか何かあったらマジで頼む!」
人のことをなんだと思っているのか。勿論守るつもりではあるけど。というか本当に寺坂には考えがあるのだろうか。
「さて、おめーら」
寺坂が立ち止まる。何か嫌な予感がした。
「これからどーすっべ?」
知ってた。
「考えてねえのかよ!!なんも」
「うるせぇ!五人もいりゃ何か考えあんだろーが!!」
「ほんと無計画だなテメーは!!」
前から適当な奴だとは思っていたが本当に適当な奴だった。離島とフェリーで上がった株がどんどん下がっていくのを感じる。いや、まあわかってたけど。
「そ、そうだ!臼井なら何かアイデアあるだろ!」
いきなり私に振るな吉田。私にできること……あれくらいしか思いつかないな。インサイドホルスターからM&Pを抜き顔の横に掲げる。
「介錯なら私に任せろ」
「真剣な顔になったと思ったら何言ってんだよ!つか殺すな!」
冗談のつもりで言ったのだが本当にやると思われてしまったらしい。そうだ。あれを忘れていた。
「すまん冗談だ。そうだな、まずは何か食べさせてやれ。昨日から何も食べてないはずだ」
「ならちょうどいいじゃない。村松んちラーメン屋なんでしょ?腹が膨れればこの子の気も紛れるんじゃないの?」
こうして寺坂たちの一世一代の説得が始まった。本当に上手くいくのだろうか。先行きが不安でしかたがない。
「はいよ!」
寺坂たちはまず胃袋からということで村松の実家が経営しているラーメン屋に足を運んだ。正直私が同行する意味があるのか怪しい。ボディーガードとしてならこれ以上ないってくらいうってつけだが、恐らくそうではないだろう。
カウンターに置かれたラーメンを眺める。ラーメンという食べ物は聞いたことがあるが本物を見るのは始めてだ。
「どーよ、不味いだろうちのラーメン」
ラーメンをすする堀部に村松が自嘲するように言う。そんなに不味いのだろうか。自分の前に置かれたラーメンを見る。中華系の麺料理だ。具は煮た豚肉と魚の練り物、海苔、ネギ、そして茶色い何かだ。なるほどこれがラーメンか。湯気に乗った醤油の匂いが私の鼻孔をくすぐる。
「不味い、おまけに古い」
堀部が専門用語でラーメンを評価している間に私もラーメンを食べる。鶏の出汁に醤油のスープが麺といい具合にマッチしている。煮た豚肉も柔らかくて麺によく合う。
「美味い」
「嘘だろ!?」
私を除いた全員が信じられないと言った顔で見てきた。
「う、臼井、マジでこれ美味いと思ってんの?」
「ああ、ラーメンを食べるのは初めてだが、これは悪くないな」
「信じらんねぇ……」
腹が減っていたお陰もあってラーメンはみるみるうちに減っていく。また新たに美味しい物を見つけてしまった。世の中にはまだまだ知らないことが沢山あるようだ。
「じゃ、次はうち来いよ。こんな化石ラーメン比較にならないくらいの現代の技術みせてやっから」
私が食べている間に次の予定は吉田の家に決まったらしい。堀部も食事をとったお陰か少しだけ目に理性の光が宿っていた。
「うちのラーメンが美味いって言われる日が来るなんて……というか臼井ってよ」
「なんだ」
何故だろう。村松が心なしか微笑ましいものを見るような目で見ている気がする。無視して麺を食べ続ける。
「麺すすれねーんだな」
「…………」
私は赤くなった顔を隠すために一心不乱でラーメンを食べ続けた。こいつ人が気にしていることを……
ヘルメット越しに風が当たり風景がどんどん視界の後方へ流れ去っていく。前方に吉田と堀部が乗ったバイクが見えた。ギアを上げながら彼等に接近する。
「うぉ!バイク乗れるって聞いたけどマジで乗りこなしてんじゃねえか!!」
「昔とった杵柄ってやつさ!ではお先に!!」
アクセルを吹かし更に加速する。ここは吉田の両親が経営するバイクのディーラー。当然、無免許運転だがここは私有地なので問題ない。本当は乗るつもりはなかっただが、吉田の強い誘いでこうして運転している。
「おーい、臼井さーん!」
フェンス越しに矢田が手を振っている。ここは少しかっこいいところを見せてもいいだろう。ギアを下げながらターンし矢田達に向かって走る。
「あ、こっち来た」
あと少しでぶつかるといったところでフロントブレーキを強めにかけ、同時に荷重をフロントに持っていく。後輪が持ち上がったのを確認しそのまま身体を捻りながらブレーキを調整、前輪を軸に90度ターンし後輪を地面につける。よし、完璧だ。
「す、すげぇ……」
所謂ジャックナイフターンというやつだ。流石の皆も目を丸くして驚いている。エンジンを切ってヘルメットを脱ぐ。
「う、臼井さんってバイク乗れたんだ」
「仕事柄大抵の乗り物は動かせる。それにちょうど車種も同じだったんでな。普通に動かせたよ」
実はヘリも飛ばせるのは内緒だ。そんなことを考えながら跨っているバイクを眺める。250ccのオフロード、戦場でもよく足として使ったものだ。あの時は何とも思わなかったがこうしてみるとバイクも面白いな。金もあるし16になったら自分のバイクを持つのもいいかもしれない。
「そう言えばどう?イトナ君の様子」
「少しだけましになったが、執着を捨てるにはまだといったところだな」
「それにしては遊んでいるだけな気が……」
「ま、しょうがないよ、こいつら馬鹿だし」
本当にこんなんで大丈夫なのだろうか。現在進行形で遊んでいる私が言うのもあれだが矢田の言うとおり遊んでいるだけにしか見えない。というか今赤羽私のことも馬鹿呼ばわりしていたような気が……
「おい、イトナ吹っ飛んだぞ!」
「は!?」
慌てて後ろを振り向く。何故か堀部が茂みに上半身を突っ込んでいた。バイクを立たせ慌てて駆け寄る。本当にこんなんで大丈夫なのだろうか。
結論から言えば大丈夫ではなかった。私は対先生ネットで出来たバンダナを破りながら膨張する触手を見て思う。
「俺は適当にやっているお前らと違う!!」
寺坂達の馬鹿な行動が耐えきれなかったのだろうか。それともこんなことをやっている自分に焦っているのだろうか。堀部は正に暴れる寸前だ。ここまでだな。私は腰のM&Pを意識した。
「今すぐあいつを殺して勝利を!!」
「不味い!逃げろ!!」
私の声に反応して狭間たちは一斉に堀部から距離を取る。だが、一人だけ逃げない者がいた。そう、寺坂だ。私からは背中しか見えないため何を考えているのかはわからない。突き飛ばそうにも時間がない。腰のM&Pに手をかける。
「臼井!てめぇは何もするな!!」
M&Pを引き抜こうとした瞬間、寺坂によって制止された。何故だ。こういう時のために呼んだのではないのか?頭の中で疑問が駆け巡る。
「イトナ、もうやめにしねーか?意地張んの」
「なんだと……」
「テメーだって薄々気づいてんだろ?今すぐあのタコを殺すことは無理だってよ」
堀部の瞳孔は開き切り、充血し、口からは荒い息が漏れている。そんな姿を目の前にしても寺坂は微塵も退かなかった。そういえば私を救った時もこんな姿だったな。なら、彼を信じてもいいのかもしれない。M&Pのグリップにかけていた手をどかす。
「頼んだぞ寺坂」
もう私は必要ないだろう。男同士の語り合いに女は不要だ。少しばかりのエールを込めて肩を叩いて去っていく。
「おう、任せろ」
振り向かなくたっていい。答えはそれで十分だ。
触手を抜かれ疲労によって眠りこける堀部を見る。心なしか安心しているように見える。いや、本当に安心しているのだろう。
結局寺坂の説得は成功した。触手を受け止めながら殴り飛ばすという如何にも男らしいやり方だったが、それでも気持ちは十分に伝わったようだ。
「ふぅ、これでひとまずは安心です。ですが軽く衰弱しているので念のため病院に連れていきましょう」
「て、ことは?」
「ええ、もう彼が死ぬことはありません」
その言葉に皆が喜びの声をあげた。確かにこの世界はちっとも優しくない。でも、生きていれば意外と何とかなるものだ。きっといつか堀部だって這い上がることができるだろう。だって彼は生きているのだから。
「意外と世界は優しいのかもな」
皆から少しだけ離れ空を見上げる。太陽はいつの間にか西の地平線に沈み月が顔を覗かせていた。彼は最後に力を捨てることを選んだ。私が有り得ないと断定したことを堀部は成し遂げた。その事実に少しだけ動揺する。
「おう、何してんだ?」
聞き慣れた声、振り向かずに空を見続ける。
「空を見ている」
「あ?てめーがそんなロマンチックなことするたまかよ」
「酷いな、これでも一応年頃の女子なんだぞ」
寺坂含め私の凶行を目の前で見ている男子からは殆ど女扱いされていない。化物扱いされるのに比べればなんてことないが少しだけ気になる。
「足でトラックに追いついて事故らせるような奴は女子って言わねーんだよ」
「はっ、一理あるな」
しばらく何も言わずに星を眺める。こうやって落ち着いて星を見上げたのは何年振りだろうか。きっと昔の私は星を見ることすら思いつかない程追い詰められていたのだろうな。
「で、てめーも少しは気分晴れたか?」
「気分?」
思わず寺坂に向き直る。少しだけ照れくさそうに頭を掻きながら私を見ていた。
「何でシロにキレたのか知らねーけどよ。これで少しは気ぃ楽になったんじゃねえの?」
初めてのラーメンを食べ、バイクに乗り馬鹿なことをやった。言われてみれば途中からシロのことなんて頭から抜け落ちていた。もしかしてそのためにわざわざ私を連れ出したのか?
「俺らはてめーの過去のこと何も知らねえよ。何で銃に拘ってるのかなんて知りもしねえ。でもよ、こうやって馬鹿やってたらいつか銃のことなんてどうでもよくなんだろ」
本当に、この男は適当なことを言ってくれる。私の過去がどれだけ重いかわかっているのか。私は堀部のように簡単には捨てられない。捨ててはいけない。だけど、それでも、
「…………ありがとう」
その馬鹿な言葉が本当に嬉しかった。
「別に、てめーに出てかれたらあのタコ殺すの面倒になるだけだっつーの」
彼の言葉に私は少しだけ違う未来を思い浮かべた。だがそれは許されることなのか、私にはわからない。私の戦争は今も続いている。
用語解説
特になし