物事には必ず意味があると言う人間がいる。どんな不幸なことだろうと決して無意味ではないという。
「八年振りですね……」
本当にそうなのだろうか。私にはわからない。死に意味があると言うのなら、あの二人の死にも何か意味があったというのか。
「本当に、長かった……」
長い、長い、旅だった。でも、これで終わり。花束を握る力が強まる。丁寧に包まれた百合が無意味に折れた。
「今、帰りました……」
私は空っぽの墓石に語り掛けた。
とある少女の話をしよう。彼女の名前は
彼女の両親は難民や発展途上国の支援を目的とするNGOに所属していた。熱心な活動家ではあったが、少女が生まれてからは国外の活動を控えていた。だが、娘が早々に自立していたことからか、はたまた別の理由か、彼女の両親は彼女を連れてアフリカへと旅立った。
本来なら短期間の間、安全な地域の安全な国で安全な仕事をするはずだったのだろう。娘に自分達の仕事を見せるつもりだったのかもしれない。だが偶然と言うのは恐ろしい。偶然、航空機が機材トラブルで低高度を飛行し、偶然、紛争の絶えない某国の上空を通過、偶然、政府軍の防空識別圏に引っかかり、偶然、現場の兵士が独断で地対空ミサイルを発射した。偶然に偶然が重なった結果、彼女の乗っていた旅客機は墜落した。墜落の衝撃と火災により大勢の命が一瞬にして失われた。
生存者の存在は絶望的、墜落地点の政治情勢もあり、救助は早々に打ち切られた。稀に見る大惨事に世間はこぞって事故の様子を報道した。だが、いつしか人々の記憶から忘れられ事故は書類の記録と化した。
乗員乗客が全て死に絶えた中、たった一人だけ生き残った人間がいた。そう、少女である。彼女はまるで死神に愛されているかのように奇跡的に無傷で悲劇から生還した。他の全てを犠牲にして。
少女は生きるために死神と手を握った。鉛筆の代わりに銃を握り、ランドセルの代わりに弾薬を背負った。死神に愛された少女はいつしか化物と呼ばれ敵にも味方にも恐れられるようになっていった。
藍井祥子は周囲が望むままに怪物と化した。何人もの人間が彼女を葬ろうとしたがその度に彼女の周りには死体が積み重なっていく。殺した数が二桁になるころには彼女の目は乾ききっていた。
紛争が終わり彼女はお役御免となった。身に着けた殺人術と大量の札束と共にアフリカの大地に放り出された彼女は、まず初めに自分に名前を付けることにした。本来の名前などとっくの昔に忘れていたからだ。
自分が不幸であると微かに自覚していた彼女は、自嘲するように自分のことをこう呼んだ。
臼井祥子と。
私は烏間先生から語られた事実を聞いて、私は呆然とした。ずっと知りたかったことを一気に知ったせいなのだろうか。とにかく私は動くことができなかった。
「これが君の本来の戸籍だ」
目の前に差し出される紙を震える手で掴む。ゆっくりと読む。そこには私の本当の名前とそして親の名前が書かれていた。
「あ、ああ……」
漏れ出た心の悲鳴は、もはや声とはなっていなかった。どうして今まで忘れていたのだろう。どうして今まで気が付かなかったのだろう。文字にしてたったの数文字、だがそれは私の心を動かすのには十分過ぎた。
「名前、忘れたと思ってたんだけどな……」
「ふざけて付けたんじゃないんだ……」
今までずっと自分で考えた名前だと思っていた。だが実際は違った。恐らく微かに覚えていた名前を無意識にもじったのだろう。
「それだけではない、出生地のところを見てくれ」
「はい?」
言われたとおりに本籍の欄を読む。死亡と書かれた欄が痛々しい。出生地、東京都椚ヶ丘市……
「え?椚ヶ丘市……」
意味が分からなかった。ここを選んだのは偶然ではなかったのか。日本に行く際にどうせなら設備のいい私立にしようと思い適当に選んだのがここだっただけのこと。生まれがここだなんて覚えているわけがない。
「これは推測でしかないが、君は故郷に帰ろうとしたんじゃないか?」
「故郷、に?」
故郷なんて忘れたと思った。だが、もしかしたら無意識のうちに自分の故郷を選んだのかもしれない。
「そう、なんですかね……」
「ああ、きっとそうだ」
可笑しな話だ。全てを忘れたと思ったら実は忘れたものは目の前にあったのだ。こんな偶然あるのだろうか。
「調査の結果、臼井さんが藍井祥子だと考えて間違いないだろう。遅くなって本当にすまなかった」
「いえ、いいんです。本当に、本当にありがとうございました」
深く、深く、頭を下げる。頭の中は感情がひしめき合い結果として無表情になってしまっているが、それでもここまでしてくれた彼に礼を言わなくてはならない。
「いいんだ。それが仕事だからな。さあ、今日はもう帰るんだ。他のことは落ち着いて別の日にゆっくり話そう」
「ですが……」
聞きたいことは山ほどある。聞かなくてはならないことは腐るほどある。私の追求に烏間先生は静かに首を振った。
「何で!いや、そうですね……わかりました」
胸に手を当てる。心臓は破裂しそうなほどに脈打ち、身体中から汗が噴き出している。きっと顔は真っ青だろう。戸惑い、焦燥、様々な感情が入り混じり自分でも何を思っているのか全くわからない。
「今日は……もう、帰ります……ありがとうございました……」
何も考えられない。いや、考えたくない。すぐにでも一人になりたかった。私は烏間先生から、私に関する情報が入った封筒を受け取るとすぐさま椅子から立ち上がり背を向ける。
「大丈夫か?よかったら部下に車で送らせるが……」
「大丈夫です。私は一人で歩けます」
振り向きもせずに歩き出す。廊下に出れば夏と秋の入り混じった心地よい風が私を撫で付けた。
「ここか……」
長月の休日、制服に身を包み花束を携え、私はとある街に降り立った。実に八年ぶりの墓参りだった。
本当の名前、本当の家族、本当の年齢、本当の故郷、私は八年ぶりに本当の人生を取り戻した。それは喜ぶべきことだ。私はようやく根無し草から解放されたのだから。
だが、代償として自分の存在に確証が持てなくなった。まるで宙に浮いているかのような感覚、臼井祥子という人間を俯瞰で見ているかのように私は自分が自分であることに確証が持てなくなった。
「行くか……」
皆にはこの事実は伝えていない。本当ならもろ手をあげて喜ぶべきことなのだろう。ずっと待ち望んでいたはずなのに、いざ手にすると、どうすればいいのかわからない。だから、ここへやってきた。親の墓を見れば何かが変わるかもしれない。そんな期待を胸に私はこの街へと降り立った。
「まさか私が神の僕だったなんてな」
教会の屋根に輝く十字架を見て吐き捨てる。意外なことに私の両親は日本では珍しいクリスチャンだったらしい。カトリックなんて世界を見れば腐るほどいるが日本では珍しい。何でも、曾祖父の代からクリスチャンだったそうだ。
「今更何を悔い改めるというんだ」
私の父方の祖父母は生きていた。調べによれば両親は半ば喧嘩別れのような形で縁を切ったらしい。祖父はそれなりの資産家であり、縁を切ったのは恐らく両親が彼等の望む道とは違う道を選んだからなのだろう。祖父母は私たちの死を深く嘆いていたらしく事故を起こした航空会社に裁判を起こし、多額の賠償金を手に入れたという。縁を切っても愛情までは切れなかったのだ。
会いたくないといえば嘘になる。家族を知らない私に残された唯一の家族。烏間先生は望むのならいつでもセッティングをすると言ってくれた。だが、私にはまだ会う勇気がない。
「本当にままならないな」
現実に感情が追いつかない。こういう時どういう顔をすればいいのかわからないのだ。親が死んだと泣けばいいのか、親に会えたと笑えばいいのか、それを知るには私はあまりにも多くのものを奪われ過ぎていた。
「いい加減、前に進もう」
時計の針を進めるとしたら、今この瞬間に他ならない。
「あった……」
埋め込み式の墓石の前に佇む。墓碑には小さく両親の、そして私の名前が刻んであった。掃除の行き届いた墓石としおれた花束が彼等が孤独ではないことを証明していた。
「八年振りですね……」
帰るべき場所を失い、ひたすら彷徨い続けてきた。親の顔も自分の名前も全て忘れ果てた。
「本当に、長かった……」
八年、私にとっては長すぎる時間だ。
「今、帰りました……」
何を言えばいいのかわからず、取りあえず持ってきた花束を墓石の前に供えた。握りつぶしたせいで茎が折れ曲がりみっともないが手向けとしては十分だろう。
「私は、貴方達にどうやって話しかけていたのかも忘れてしまった……」
敬語を使っていたのか、それとも普通に話していたのか、それすらわからない。
「あ、ああ……」
喉が震え、上手く言葉にできない。
「何で貴方達が死んで、私が生き残ったんでしょうね……私が死ねばよかったなんて思わない。でも、こうも思ってしまうんです。どうして私だけ生き残っちゃったんですか?」
喉に熱が籠り、徐々に感情が昂っていく。五感が鋭敏になり、現実感が戻ってくる。
「ここに来るまでに沢山の人を殺してきました……何人殺したか知ってますか?97人ですよ。覚えているだけで97人、本当はもっと沢山殺してきました。もう私の両手は血塗れだ……」
97人、とてもじゃないが一人で背負いきれるものではない。仕事だったから、命令だったからと開き直れるほど私は図太くない。昔の私なら開き直ることもできただろう。だが、あそこで生きることを知ってしまった。命の価値を知ってしまった。もうあの頃には戻れない。
「ねえ、何で私は人殺しにならなくちゃいけなかったんですか?何であの人たちは死ななきゃいけなかったの?ねえ、何で!?何でなの!?」
膝をつき墓石に手をかけ叫ぶ。感情が濁流となり我慢していた思いがあふれ出す。大粒の涙が両目から滝のように流れた。
「もっと、普通に生きたかった!!人なんて殺したくなかった!!」
心が戻っていく。八年前に、泣いて喚くだけのどうしようもない子供だった、あの時に。涙は止まることをしらない。
「私は貴方達のことを殆ど思い出せやしない!それでも!もっと一緒にいたかった!もっと声を聞きたかった!もっと抱きしめてほしかった!」
墓石に拳を叩きつけながら二度と叶わぬ望みを叫び続ける。自分でも何を言っているのかわからない。それでも心の思うままに叫び続ける。
「きっと手を握ってくれたんですよね?でも、私は貴方達の手の感触を思い出せない。覚えているのは銃の冷たいグリップの握り心地だけ」
今更嘆いたって失ったものを取り戻すことはできない。こんな空の墓に叫んだところで何の意味もない。
「なんで私は独りぼっちで生きなきゃいけなかったの?化物ってよばれて石を投げられて、どこにいっても厄介者あつかいされて……」
我慢していた感情を一気に吐き出す。だが、だからといってどうするべきなのだろうか。犯した罪はなかったことにはできない。どんな理由があっても人を殺したという事実はなくならない。私はただの殺人狂いの異常者でしかない。
「私はあと何人殺せばいいの?いつまで戦い続けなきゃいけないの?」
撃たれるのも撃つのも、もう嫌だ。でも身体に染みついた硝煙の匂いは私が普通の生き方をすることを拒む。
「私の八年を返してよぉ……」
そんなことが叶わないのは私が一番知っている。自分がもう二度と普通の生き方をできないのなんてわかっている。でも、それでも……
「もう、嫌だ……」
心が悲鳴をあげる。今までの全ての罪が一気に私を押しつぶそうとする。自分が何をしてきたのかを理解したからだ。人を殺した。銃で撃ち殺した。ナイフで刺し殺した。爆薬で爆殺した。手で絞め殺した。石で殴り殺した。
「もう、いやぁ……」
鷹岡は私にこう言った。お前は暴力が大好きだと。きっと私は死ぬまで人を殺し続けるのだ。だってそれしか生き方を知らないから。
「もう嫌だぁあああああ!!!」
頭を抱え絶叫する。もう、耐えられない。こんなこと耐えられない。いくら何でもあんまりだ。私が何をした。いったいどんな悪いことをすればこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
脇目もふらずにただ泣き叫ぶ。心が軋む。もう嫌だ。こんな人生耐えられない。犯してきた罪と今まで受けてきた理不尽に心が悲鳴をあげる。
銃で撃たれ、爆弾で吹き飛ばされ、ナイフで斬られ、拳で殴られ、靴で蹴られ、髪を掴まれ、首を絞められ、薬を打たれ、爪を剥がされ、指を折られ、骨を折られ、この世のありとあらゆる痛みをこの身に受けてきた。
「もういたいのはいやだよぉ……」
意識が混濁し自分が今どこにいるのかもわからない。あるのは強烈な孤独感と堪えがたい苦痛。もう何も聞きたくない、何も見たくない、目を瞑り耳を塞ぐ。
「パパぁ……ママぁ……さびしいよぉ……」
いもしない親を呼び嗚咽をあげる。脳裏には今まで受けてきた痛みがフラッシュバックのように襲い掛かる。銃声と悲鳴が脳の中で不協和音を奏でる。身体中が寒くて仕方がない。思わず自分の身体を抱き締める。
「もう、やだぁ……さむいよぉ……おうちにかえりたいよぉ……」
誰もいない墓地、空っぽの墓の前で私は子供のように泣き続けた。
いつまで泣き続けたのだろう。気が付けば空はオレンジ色に染まっていた。ふらつく身体を立ち上がらせる。
「こんなに泣いたのは何年ぶりかな……」
初めて人を殺した日の夜にこのくらい泣いた気がする。いや、あの時は泣くと殴られたから我慢していたっけ。
「まあ、どうでもいいか……」
涙は枯れ果てた。泣けば何かが変わると思っていた。確かにその通りだった。私の中にある何かが変わった。致命的に変わってしまった。ふと、墓碑に刻まれた両親の名前を読む。
「藍井祥子、か……」
一番下には私の本当の名前が刻まれていた。それを見て私は自分が何者であるかを悟った。いや、悟ってしまった。
「そうか……私は死人だったな」
ここにいるのは藍井祥子という名の哀れな少女の搾りかす。死にぞこないの亡霊だ。きっと私はこれからも銃を撃ち続けるだろう。そして誰かを不幸にし続けるのだ。
「なんだ、簡単じゃないか。初めからこうすればよかったんだ……」
腰のホルスターに差し込んだM&Pを引き抜く。もう限界だった。私は私が思っている以上に脆かったのだ。今まで耐えてこられたのは心を塞いで何もかも跳ね除けていたから。
喜び、悲しみ、怒り、憎しみ、全てを拒絶する。そうすれば何をされても、何をしても、心は動かない。だが、私は人間に戻ってしまった。化物ならいくらでも耐えられただろう。だが、ただの人間の私にこの苦痛は耐えきれない。震える手でM&Pの銃口を口に向ける。
「ごめん、約束守れそうにないや……」
誰に言った言葉だろうか。もう何もかもどうでもいい。口を大きく開きM&Pの銃口を咥える。両手でグリップを握り左手の親指で引金に指をかける。
「今、そっちに行くね……」
両目から枯れたはずの涙が零れ落ちる。ずっと、ずっと頑張ってきたんだ。もう休んだっていいだろう。目を瞑り、引金に力を込める。これで全てが終わる。あとは40口径の弾丸が私の脳幹を吹き飛ばし、朝には61キロの冷たい肉の塊となって発見されるだろう。
皆はきっと泣くのだろうな……
「…………ああ、クソッ!!」
引金は引けなかった。力が抜け銃が地面に落ちる。直前になって皆の顔が脳裏に浮かび引金を引くことをためらってしまった。
「私は、死ぬことすら許されないのか!!」
私には何もない。空っぽの人生、誰かの言いなりになるだけの無意味な人生。ふと、落ちた銃が目に入った。
「やっぱこれしかないのか……」
銃を目にした瞬間、何かが終わってしまった気がして私はもうしばらく泣き続けた。
ポケットに入れた携帯電話を手に取る。かける相手はもう決まっている。しばらくして電話がつながった。
「私だ……爆薬を用意してくれ」
やるべきことはただ一つ、過去の清算だ。
用語解説
銃を口に咥える
拳銃弾の威力は低く、脳に当たっても生き残る確率は高い。そのため本当に死にたい場合、口に銃を咥えて脳幹を撃つ。そうすれば確実に死ねる。
誕生日 9月20日
身長 168cm
体重61kg
得意科目 数学、理科
苦手科目 国語、社会
趣味、特技 人殺し
嫌いな物 人殺し、理不尽な行為、自分
好きな物 E組、先生達、食べ物
百億円獲得できたら 親の隣に埋めてもらう。