【完結】銃と私、あるいは触手と暗殺   作:クリス

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書いていて思うこと、激おこぷんぷん丸(死語)

※かなり書いたんですが、わかばパーク編はもう一話続くと思います。テンポ悪くてすみません。


五十四時間目 責任の時間

「ここに入れておきますね」

「おお、すまんの」

 

 品物の詰まった重たい買い物袋を自転車のハンドルに付けられた籠に詰めていく。重さのせいで籠が軋むのが持ち手越しにもわかる。

 

「相変わらず凄い荷物ですね」

「なんせ数が数だからな、これでも今日は少ないほうだわ」

 

 そう言いながら松方さんは後輪の荷台に固定された籠に荷物を詰めた。実に4ヵ月ぶりの再会だった。前に会った時もこのスーパーだった。どうやらここは私と松方さんの行きつけのスーパーらしい。

 

「それにしても……」

「なんです?」

 

 松方さんが目線を上下に動かす。その目はまるで信じられないと言いたげであった。次に彼が言うであろう言葉は私にだって想像がつく。

 

「なんというか……しばらく見ないうちに随分と別嬪になったな。一瞬、人間違えたかと思ったぞ」

 

 やはりな。そのあまりにも予想通りの返事に私は少し笑った。

 

「はは、自分でも驚いています」

 

 碌に手入れもしていない荒れ果てた姿しか見てこなかったせいで、初めてこの見た目になった時は自分が自分だと認識できなかった。最初は手入れが面倒だったが今ではすっかり日課と化している。ビッチ先生の洗脳、もとい教育のお陰だろう。

 

「前のやーさんみたいな恰好より今の服の方がよっぽど似合っとるわい」

 

 今の私の服は白のジーンズにグレーのニット。靴こそコンバットブーツのままだが前に会った時の黒のスーツに比べれば余程年相応だとは思う。でも、そんなに言わなくても……あのスーツも結構似合ってると思うんだが……

 

「あの、あの服そんなに似合ってませんでした?」

「ああ、ドヤ顔で着とるお前さんの手前言わなかったが。正直着られとる感半端なかったぞ」

「そ、そうですか……」

 

 似合ってなかったか……そっか……あれ一応特注なんだけどなあ。戦闘中の激しい動きにも耐えられるように特殊な作りになってて……収納スペースも沢山あって……でも、

 

「そっか……似合ってなかったのかあ……はぁ」

 

 深い溜息を吐く。

 

「そ、そんなに気に入ってたんか……なんか、その、すまんの」

「いえ、いいんです……ただ服は今度から友達に選んでもらうと思って」

 

 私のセンスはあまり信用できない。というか自信満々で迷彩柄の浴衣選ぼうとする人間のセンスなんか信用できるか。祭りの時、片岡がいなかったらと思うとぞっとする。あのまま迷彩柄選んでいたらきっとそれは恥ずかしい思いをしたはずだ。

 

「まあ何でもいいんだが……それにしても本当に雰囲気が変わったのう。前はもっとこう擦れた感じゃったが……で、どうだ?学校は楽しいか?友達は?」

 

 まるで久しぶりに孫に会った祖父のように矢継ぎ早に質問を繰り出す。顔にこそ出さないがこの人なりに私のことを心配してくれていたのかもしれない。

 

「はい、学校は楽しいです。友達も沢山できて、それはもう本当に」

 

 私の言葉を聞いた松方さんは、ほっとしたように安堵の表情を浮かべた。きっとこの人は本当に子供が好きなのだろう。それこそ二回しか会ってない縁もゆかりもない女子中学生の心配をするくらいには。

 

「そうか……そいつはよかった……本当によかった」

 

 小さく呟いた声は私の耳にもしっかりと聞き取れた。もし誕生日パーティーの前にこの人に出会っていたら、私は別の形で救われていたのかもしれない。今となってはわからないが、この人があの時の私を放っておくとは思えなかった。

 

「なんか、心配させてしまって申し訳ありません。それとありがとうございます」

「別にお前さんの心配なんかしとらん……ただ、ガキがあんな目しとるのが気に食わんかっただけだ」

 

 そう言って照れたようにそっぽを向く松方さんを見て私は小さく笑った。そして確信した。殺せんせーや烏間先生とは違うけど、間違いなくこの人は尊敬できる大人だった。

 

「それでも、ありがとうございます」

 

 色んな意味を込めてお辞儀する。前は拗らせて素直に礼すら言えなかったが、今はもう違う。

 

「はぁ……やっぱお前さんと話しとると疲れるわい。すっかり話し込んじまったな、ワシはもう帰る。近頃何かと物騒だからな。嬢ちゃんも寄り道しないで帰るんだぞ」

 

 そう言われ腕時計を見る。確かにそれなりに時間が過ぎていた。そろそろ皆も訓練を終えて家に帰る頃だろう。またカエデから電話がかかってきそうだ。というかあの様子だと家に押しかけてくるかもしれない。

 

「はい、ではお気をつけて。あの、また暇な時に遊びに行ってもいいですか?」

「おう、いつでも来い。どうせこちとら万年人手不足だ」

 

 そう言うと松方さんは自転車に乗って手を振りながら去っていった。この世界は本当に色々な人間がいる。子供に銃を持たせるような屑もいれば、子供のために身を粉にして働く人もいる。

 

 どちらが正しいかなんて言うまでもない。将来の目標なんて何一つ思いつかないが、私もいつかあんなかっこいい大人になりたいものだ。

 

「さて、私も帰りますか!」

 

 後でカエデにあたりを誘ってみるか。それよりも早く帰って早くご飯を食べたい。もう腹が減ってしかたがない。いっそのことこの食材は明日にまわして外食に行くのもありかもしれないな。

 

 シャンソンを口ずさみながら家路につく。試験に暗殺、それに今日の夕飯、やらなければいけないことは山ほどある。でも、今の私の足取りはとても軽やかだった。

 

「平和だなあ……」

 

 何気なく呟いた一言が今の私の全てだった。だからだろうか、この時の私はあんなことが起きるなんて考えもしなかったのだ……

 

 

 

 

 

「だからもう大丈夫だってカエデ」

『前に同じこと言って隠れて落ち込んでたのは誰だったでしょーか?祥子には悪いけど祥子の大丈夫は言葉通りに受け取らないようにしてるから』

「そ、そうか……」

 

 鍋から漂ってくる味噌と出汁の素朴な香りを楽しみながら、通算4回目のカエデからからの電話に耳を傾ける。まったく、いくら何でも心配しすぎだ。とはいえこればかりは彼女の言い分が正しい。

 

 私は親しくなった人を心配させる才能でもあるのだろうか。まったく嬉しくないし不名誉なことだがどうにもそう思わずにはいられない。

 

『それにあんなことがあったばかりなんだから余計に心配するに決まってるでしょ』

 

 あんなこと、誕生日パーティーの自爆未遂のことだ。冷静になった頭で当時やろうとしたことを振り返る。本当にあの時はどうかしていた。自爆という言葉でオブラートに包んでいるが、やろうとしたことは傍迷惑な自殺だ。

 

『祥子、本当に大丈夫?』

 

 あれから一週間も経っていない。カエデがこうなるのも無理はなかった。校庭で倒れた私がどれだけ酷い顔をしていたかは知らないがカエデがこうなるくらいなのだからきっと相当だったのだろう。

 

『無理してない?』

「無理はしてないと思う……」

 

 無理はしていない。それだけは自信を持って言える。ただ思っていた以上に心の傷は深かったのだ。たったそれだけの簡単な話。

 

「多分こういうことはこれから何度もあると思う。それだけのことを私はしてしまったんだよ」

『祥子……』

 

 人のせいにすることはできる。脅された、仕方なかった、そうするしかなかった。幾らでも言い訳することができるし、実際言い訳したって誰も咎めないだろう。

 

 でも、例えそうだったとしても、選んだのは私だ。私が殺したのだ。全ての行動には責任が伴う。子供だろうが大人だろうが、屑だろうが聖人だろうが関係ない。

 

「カエデ、これは私が乗り越えていかなければいけない壁なんだ」

 

 部屋に籠ってひたすら感傷に浸り、苦しかった辛かったと自分を慰め続けるのもいいだろう。それもまた一つの道だ。でも私は選んだ。上を向いて胸を張って生きると選んだ。過去なんかに負けてたまるか。

 

『そっか、強いね祥子は……』

「私は強くなんてないさ……まあ弱いつもりもないがな」

『ううん、強いよ…………私には真似できないくらい

 

 最後の言葉は小さすぎて聞き取れなかった。カエデは私のことを強いと言うが、カエデの方が余程強いと思うんだがな。私には何もかも偽って教室に居続ける度胸はない。というか嘘つくのが下手すぎて速攻でばれると思う。

 

『でも、辛くなったらすぐ言うんだよ?もう一人で抱え込んじゃ駄目だからね』

 

 このやり取りもこれで4回目だ。わかってるって言っても聞きやしない。それだけ心配されているということなんだろうけど、少しだけ煩わしいと思ってしまうのは贅沢な悩みというやつなのだろうか。

 

「わかってるよ。次は遠慮なく頼らせてもらう。その代わり、カエデも私を頼ってくれよ。味方だって言ったこと撤回する気はないから」

 

 その日がいつになるのかはわからないが、その時は全力でカエデの味方になってやる。

 

『あはは、そう言えばそんなこと言ってたね。今思い出した』

 

 本当にそうなのだろうか。私にはカエデの言葉が本当だとは思えなかった。

 

『……ねぇ』

 

 長い沈黙、そして、

 

『信じていいの?』

 

 絞り出すように弱々しく、縋るように心細い、そんな声だった。私はその声を聞き逃さなかった。

 

 どんな気持ちでこの言葉をいったのだろうか。私にはわからない。もしかしたら私は騙されているのかもしれない。全て偽りで影で私を笑っているのかもしれない。

 

 それがどうした。例えそうだったとしても私の言うことは変わりない。いつもと同じように、だが毅然とした態度で言い返す。

 

「当たり前だ。私を誰だと思ってる。あの臼井祥子だぞ?中東では黒い悪魔と畏れられ、アフリカでは10万ドルの賞金を懸けられた天下無敵の超絶凄腕最強傭兵だぞ。元がつくけど」

 

 感情に任せて言いきる。そして言いきった後に後悔する。自分で言うのも何だがもう少しましな台詞は思いつかなかったのだろうか。いくら何でも自画自賛しすぎだろ。そう思うと次第に羞恥心が湧き上がってきた。

 

『ぷ、あははは!何それ、変なの』

 

 返事の代わりに聞こえてきたのは溢れんばかりの笑い声だった。スピーカー越しに聞こえるカエデの声はおかしくて仕方ないと言わんばかりに震えている。

 

 あ、駄目だ。凄い恥ずかしい。

 

「わ、笑うなー!」

『だ、だって祥子がドヤ顔で天下無敵とか言ってるのかと思うと……あははは!』

 

 いくら何でも笑い過ぎだろ……止めてくれ……止めてください。

 

「あぁもう切る!また明日」

『あははは!あ、まって──』

 

 カエデが言い終わる前に通話を切る。まったく私にも非はあるが笑い過ぎだ。

 

「あ、わかばパークのこと聞き忘れた」

 

 掛け直そうか、そんなことを考えながら味噌汁をかき混ぜていると再び携帯電話が鳴った。カエデからだった。勝手に切ったのを怒っているのかもしれない。

 

 もしそうだったら謝っておこう。画面の表示をスライドさせ通話を開始する。

 

「もしもし、もしかして勝手に切ったの怒って──」

『祥子!渚達がフリーランニングで帰ってる途中に事故起こしたって!』

 

 突然の言葉に頭が真っ白になる。え、どういうことだ?事故?渚達が?誰に?怪我は?頭の中で疑問が渦巻きハリケーンが舞い上がる。

 

 ハリケーンはシナプスを滅茶苦茶に巻き込みながら私の言語野を滅茶苦茶に破壊していく。

 

「…………は?」

 

 辛うじて喉から絞りだした言葉は、とてもじゃないが言葉になってなかった。

 

 静まり返った台所に沸騰した味噌汁の音だけが鼓膜を刺激し続けた。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、クソ!皆なにやってるんだ!」

 

 街を全力で走りながら吐き捨てる。カエデが言うには放課後フリーランニングで駅まで向かっている最中、自転車に乗っていた老人を怪我させたそうだ。

 

 老人は酷い倒れ方をしたらしく救急車で最寄りの病院に搬送されていったという。その病院こそ今私が向かっている場所である。

 

「烏間先生に裏山以外でやるなって言われてただろうに!」

 

 心にふつふつと怒りが沸き起こってくる。烏間先生は訓練中、ことあるごとに裏山以外でフリーランニングを使うなと注意していた。それもそのはずだ。烏間先生ならいざ知らず皆フリーランニングの訓練を始めてばかりの素人だ。

 

 いくら身体能力が高くても経験が圧倒的に足りていない。そんな状態で裏山でやるのさえ危ないそれを人通りの多い街で行ったらどうなるかなんてわかるはずだろうが。それにだ。

 

「嫌な予感がする……」

 

 老人、自転車、ただの偶然だといいが。こういう時の私の予感はいつもあたってしまう。仮にあの人じゃなかったとしても、堅気を巻き込むのは絶対にしてはいけないことだ。

 

 通行人達が何事かと私を見てくるがお構いなしに走り続ける。あと少しだ。頭の中は怒りや混乱で滅茶苦茶で最早何を考えているのか自分でもわからない。

 

「いた!」

 

 走り続けた先に見えた病院の玄関前に見覚えのある横顔たちが視界に映った。

 

「あ、さっちゃんさん……」

 

 渚が弱々しく振り返り、それにつれて皆が一斉に私に振り返った。信じられない、クラス殆ど揃ってるじゃないか。いないのはさっきまで電話で話していたカエデ含めて僅か十人だけだった。

 

「はぁ、はぁ、何が、あったんだ?」

 

 息を整え、沸騰しそうな心を押えながら訊ねる。だが、喉から出た声は自分でも驚くほど低かった。

 

「ご、ごめんなさい臼井さ──」

「お前の謝罪なんて聞いてないんだよ不破、何があったかって、聞いてるんだよ」

「っ!?」

 

 ドロドロとした怒りが渦巻き今にも点火しそうになる。怒ったってしかたないのはわかる。でも、皆のやったことはどうしようもないくらいに私の琴線に触れているのだ。

 

「おい、渚。何があったんだ?」

「そ、その、放課後フリーランニングで帰ろうって話になって……あと一歩で駅にゴールする時に、自転車に乗ってたおじいさんにぶつかりそうになって……」

「続けろ」

 

 思考が敵兵に尋問をしていた時のように鋭敏になっていく。心が凍り漏れ出た殺気にも似た怒気に渚の肩が震えた。

 

「ちょ、直接ぶつかりはしなかったんだけど、おじいさんが驚いて自転車から落ちて……それで、酷い痛がり方してて救急車呼んで……ここに搬送されて……今、烏間先生が病院の人と話してる」

「……そうか」

 

 深呼吸しながら病院の柱に背を付け腕を組む。皆は何も言わず黙って私を見つめた。私を見たってどうしようもないだろうが。

 

「その老人の名前はわかるのか?」

「よ、よく聞こえなかったけど救急隊員の人に松方って名乗ってた気がする……」

「そうか……そうかそうか」

 

 やはりか……何で、こうなるんだろうな。渚と杉野にいたっては一回会ってるだろうが。何が良く聞こえなかっただ。ふざけてるのか?

 

「なあ、渚、杉野、二人とも覚えてないのか?」

「な、何のことだよ」

「松方さん、覚えてるだろ。わかばパークの園長、6月に会っただろ。さくらっていう迷子の子供を送り届けた時に、君達協力してくれたよな?」

「あっ……」

 

 今更思い出しても遅いんだよ。思考が冴えわたり沸騰寸前だった感情が冷静になっていく。だが、それは落ち着いたからではない。一周回って冷静になっただけだ。

 

「あの人はな、たった二回しか会ってない私のことをまるで孫のように心配してくれたんだ。友達ができたって言うとそれはそれは安心したように笑ってくれたんだ……」

 

 これが見ず知らずの誰からだったらもう少し冷静でいられたかもしれない。でも駄目だ。皆は私の恩人を傷つけた。

 

「もう歳なのに、子供のために毎日遅くまで重い荷物積んで自転車に漕いで……誰に頼まれたわけでもないのにだ」

「う、臼井さん腕が……」

 

 矢田の指摘に腕を見ると右手の爪がニットを突き破って二の腕の肉に食い込んでいた。傷口から漏れた新鮮な血が袖を汚していく。あぁ、これ似合ってるって言ってくれたのにな。

 

「教えてくれよ君達、あの子達の面倒は誰が見るんだよ」

 

 あの様子じゃ働いているのは一人や二人だろう。一人でも欠けてしまえば一瞬にして機能不全を引き起こす。

 

 もし重い後遺症が残ったら?もし歩けなくなったら?その責任はいったい誰が取ると言うのだ。

 

 誰もだ、誰も責任を取ることはできない。

 

 物的損失なら金で解決できるだろう。だが人的損失はどうもしようがない。失ってしまったものは二度と取り戻すことはできない。

 

「し、仕方ねーだろ。俺達だって強くならなきゃいけねぇ……臼井みてぇに強くねえんだよ……」

「そ、そうだよ……だって地球の未来が掛かってるんだよ?」

 

 あ、今何て言った?聞き間違いか、今とんでもないことが聞こえた気がするんだが……

 

 いや、聞き間違いなんかじゃないか。震える声で訊ねる。

 

「理由があれば、何してもいいのか?」

「そ、そういうわけじゃ……」

 

 何が違うっていうんだ。つまりそう言うことだろ。理由があれば何をしてもいいと思ってたんだろうが。頭の中にある何かがピンと張りつめる。

 

 皆は善人だ。それはわかっている。悪気がないのも本当だろう。でもだからと言ってそれが何になると言うんだ。

 

「じゃあ、どう違うって言うんだ。なぁ、どう違うっていうんだ。教えてくれよ。なあ、どう、違うんだ?」

 

 誰も何も言わない。ただ黙って俯くだけだ。張りつめた何かが切れた。

 

「どう違うのかって、聞いてんだろがッ!!!

 

 怒声に合わせて右の拳を柱に叩きつける。凄まじい力によって鉄筋コンクリート製の柱に大きな罅が入る。

 

 

 

 

 

 ことはなかった。

 

「落ち着け臼井さん」

 

 いつの間にか私の横に立っていた烏間先生が、凄まじい力で私の手首を掴んでいた。私だって相当な力があるというのに、私がいくら振りほどこうとしても烏間先生の腕は1mmも動かなかった。

 

「話は聞いていた。恩人を傷つけられて怒るのはわかる。だが、物に当たっていい理由にはならないぞ」

 

 烏間先生の冷静な指摘に、沸騰していた頭が急速に冷やされていく。先生の言うとおりだ。物に当たってどうする。そんなことしたってなんの解決にもならないだろう。

 

「ましてやここは病院だ。暴力を振るう場所じゃない」

「……すいません」

 

 手首が解放される。自由になった右手で目頭を押さえ大きく息を吐く。そうだ、松方さんはどうなったんだ。

 

「烏間先生、松方さんの容態は?」

「右大腿骨の亀裂骨折らしい。不幸中の幸いというべきか、後遺症の心配はしなくていいそうだ。医者は二週間ほどで歩けるようになると言っていた」

「……よかったぁ」

 

 とりあえず最悪の事態だけは避けられたということか。あれが最後の元気な姿にならなくて本当によかった。身体の力が抜けてへたり込みそうになる。

 

「今、部下が口止めの交渉をしている。臼井さんはどうする?面会を希望するなら部下に伝えておくが」

「いえ、結構です。明日改めて伺います」

 

 ただでさえ突然の事態でごたごたしているというのに私まで押しかけては飛んだ迷惑だ。無事だということもわかったので今日のところは帰るとしよう。

 

 柱から背を離し元来た道に向かって歩き出す。俯く皆の間を通り抜ける。そして誰も見えなくなったところで立ち止まる。

 

「君達、さっきは言い過ぎた。謝罪する。でも忘れないでくれ、どんな大義名分があろうと、関係のない人間を傷つけていい理由にはならない」

 

 それを忘れて誰かを傷つけた瞬間、そいつはただのチンピラに成り下がる。それだけはやってはならない。それをやってしまったら本当の意味でただの屑になってしまう。

 

「どんな事情があろうとやったことの責任は自分で取れ。都合よく何かに押し付けるな」

 

 言い訳は許されない。どんな行動にも責任が伴う。例え地球を救うためだったとしても、例え強いられた殺人だったとしても、やったことの責任は自分で取らなければならない。

 

 誰一人として反論しようとしない。皆だって自分のやったことが間違いなことくらいわかっているのだろう。だから何も言わない。いや、言えない。

 

「それだけだ。じゃあな」

 

 再び歩き出そうとすると、聞き慣れた風切り音と共に目の前に黒い影が現れた。殺せんせーだった。

 

「臼井さんも来ていたんですね」

 

 いつもの顔を歪ませ顔を真っ黒にして怒っている。その大気が震えるかのような怒気に思わず鳥肌が立つ。今、この場所で誰よりも怒っているのはきっとこの人だ。

 

「その腕……」

 

 先生の触手が血の滲んだ袖を指す。先ほど私が自分で作った傷だ。酸化した血液が黒い染みとなりニットを汚している。私が理由を言おうとする前に殺せんせーの影がぶれた。

 

 気が付くとニットの袖が捲られ傷口にガーゼが張られていた。微かに薬剤の匂いがする。どうやら手当てしてくれたらしい。

 

「傷は手当てしておきました。君は関係ありません、このまま家に帰りなさい。私は皆さんと話をしてきます」

「……わかりました」

 

 今ここで私がするべきことは全て果たした。もうここに用はない。振り向かずに歩き続ける。月が冷たく私を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 事の結末を説明しよう。あれから殺せんせーは今日から二週間の間、一切の勉強を禁止することを決定した。中間試験は二週間後、つまり今回は諦めろということである。

 

 怪我をした松方さんは暗殺のことを口外しない代わりに二週間、園の経営を離れることによる損失の補填を要求してきた。当然と言えば当然だ。というかそれで収めてくれたことに私たちは感謝するべきだろう。訴えられたとしても文句は言えまい。

 

 要求された損失の補填の半分は私達が埋めることになった。金銭的な補填はどうしようもない以上、烏間先生に建て替えてもらった。私達が埋めるのは、もう半分の人的損失。つまりわかばパークの手伝いだ。

 

 これには当事者だけでなくクラス全員で行くことになった。連帯責任というわけだ。共同で暗殺任務に従事している以上、責任は私達にもあるといえる。まあ、責任の取り方としては妥当なものだろう。

 

 まさか、こんな形で自分が言った言葉が実現するとは思わなかった。人生何があるのか予想できないものだ。本当にそう思う。

 

 そして迎えた翌日。私達はわかばパークの敷居を跨いだ。

 

 

 

 

 

 私は見覚えのあるボロ屋の中で、見覚えのある子供たちに囲まれていた。いや、正確には私たちは、だが。

 

「みんなー、園長先生が怪我しちゃってしばらくこれないけど、代わりに姉御ちゃんが友達をつれてきてくれたわよー」

 

 これまた見覚えのある保育士の人が子供たちに向けてそう言う。姉御ちゃん、もしかして私のことだろうか。私達が硬直している間に子供たちは私達を取り囲んだ。きらきらした瞳が私達の荒んだ心を癒す……

 

「あねごきたー!」

「かちこみだー!」

「うしろの人たちって姉御のしゃてー?」

 

 ことはなかった。き、気のせいだろうか、今子供たちの口からとんでもない言葉が飛び出してきたような気が……子供の一人が寺坂に向かって突撃した。

 

「おう、なんだ坊主?」

「いてもうたれー!」

「ぐふぉ!?」

 

 あ、子供のパンチが寺坂の鳩尾にクリーンヒットした。やっぱ気のせいじゃなかったか……いったい何があったというんだ。

 

「あ、あはは、げ、元気だね」

「そ、そうだね……は、はは」

 

 渚とカエデが乾いた笑い声をあげた。元気なことはいいことだが、これは方向性が違うと思う。

 

「いったい、誰の仕業なんだ……」

 

 私は黒スーツの襟を直しながら呟いた。無垢な子供の魂を悪に染め上げようとするなんて……まったく酷い奴もいたものだ。

 

「いや、どう見ても心当たりあるよな」

 

 前原が言った言葉にその場にいた全員が猛烈に頷いた。どうみても私のせいだった。背後に感じる視線から必死に意識を逸らしていると保育士さんが近づいてきた。

 

「ごめんなさいね、姉御ちゃんが来てから子供たちの間でヤクザ言葉が流行り出しちゃったのよ。私達も止めようとしてるんだけどね」

「そう言うあなたも姉御言ってますけどね」

 

 中村が突っ込む。姉御ちゃん、どうやら私のあだ名で間違いないらしい。それにどこか誰かのせいでわかばパークの子供たちにヤクザスラングが流行ってしまったようだ。

 

「なんて酷いことをするやつなんだ。まったく許せないな」

「「「白々しいわ!!」」」

 

 今日は一段と皆の突っ込みが冴えているな。いや、まあ、私のせいだけど。

 

 そんなどうでもいいやり取りをしている間にも子供たちは私達に突進してくる。遊びたくてしかたないのだろう。皆もそんな子供たちに引っ張られるように一人、また一人と散っていく。

 

「あねごー早くあそぼーぜー!」

「肩車してー」

「もち上げてー」

 

 当然、私のほうにも子供たちはやってきた。まとわりついてくる子供を適当にいなしていると渚とカエデが近づいてきた。

 

「祥子、凄い人気者だね」

「そ、そうだね」

 

 カエデはいつも通りだが、渚の方はどこかよそよそしかった。いや、昨日あれだけ怒ったところを見せてしまったのだから当然といえば当然か。

 

「ねえ、あねごー」

「なんだ?」

 

 私が聞き返すと男の子は渚を指さした。その目には純粋な疑問の色が浮かんでいた。

 

「青い髪の人なんで女の子なのにズボンはいてるの?」

「なっ!?僕男だよ!」

「えっ!?ほんと!すげー!!女みてー!!」

 

 純粋な言葉は時に悪口よりも人を傷つけることがあるというが、本当にその通りのようだ。でもまあ、気持ちはわかる。顔だけ見ればどうみても女にしか見えないからだ。

 

 私は訊ねてきた男の子に視線を合わせ肩を掴むと渚を指さした。

 

「君、この世界には不思議な生き物がたくさんいるんだ。彼もその一人だ」

「僕のことUMAみたいに言わないでよ!?」

「まぁまぁ落ち着いて渚」

 

 荒ぶる渚をカエデが諫める。こうして改めて見ると本当に二人は姉妹みたいだな。いつも一緒にいるし恋愛というのはわからないが案外二人はお似合いかもしれない。

 

「あねごー」

「なんだ?」

 

 今度は女の子が私の袖を引っ張ってきた。そしてカエデを指さす。というかわかばパークでの私のあだ名は完全に姉御で固定されているようだ。

 

「うん?私がどうかしたかな?」

 

 すごく自然な動作でしゃがみ女の子に目を合わしニコリと笑う。子供の扱いに慣れているようだ。そういった経験があるのかもしれない。

 

 そんなカエデの微笑みは女の子の言葉によって粉砕された。

 

「なんで中学生のなかに小学生がいるのー?」

「なっ!?私もう14歳だよ!!」

「えー!?ほんと!?すごーい!こんな平たいのにー!」

 

 純粋な言葉は時として人を傷つける。また私は一つ賢くなった。でもこの子の気持ちもわかる。カエデに子供っぽい服を着せて喋り方も幼くすれば少し背の高い小学生で通せるだろう。

 

 私は訊ねてきた女の子に視線を合わせ肩を掴むとカエデを指さした。

 

「君、この世界には不思議な生き物がたくさんいるんだ。彼女もその──」

「さ、ち、こ?」

「……ごめんなさい」

 

 流石に悪ノリが過ぎた。流石に不思議生物扱いは言い過ぎだった。謝るから、だからその笑顔を止めてもらえないでしょうか。そんなふうに私がペコペコするのに合わせて女の子もお辞儀をした。

 

「カエデおねーちゃんごめんなさい」

「めっ、ゆるしません。だからそんな悪い子にはこーだー!」

 

 そう言うとカエデは女の子を抱きかかえてくすぐり出した。許さないと言っているわりには顔が笑顔なので冗談のつもりなのだろう。

 

「あははは!やめてくすぐったいよぉ!あははは!」

 

 でも、くすぐる手に力が籠っているように見えるのは気のせいだろか。うん、気のせいだ。気のせいに決まっている。

 

「茅野、子供の扱い上手いね……というか何でスーツ着てんの?」

 

 子供とじゃれているカエデを横目で見ていると渚が近寄ってきた。その顔には先ほどまで感じたよそよそしさは減っていた。

 

「スーツはまあ、こっちのほうが受けがいいと思って」

「そ、そうなんだ…………ねぇ、昨日のこと怒ってないの?」

 

 昨日あれだけ怒った姿を見せたのだ。引きずっていると思われても仕方がないのかもしれない。でも私はもう怒ってなどいない。

 

「あの後、殺せんせーにみっちり叱られて十分反省したんだろ?反省している人間に追い打ちをかけたって意味ないだろうに」

「でも、昨日凄い怒ってたし……」

 

 渚が私が激昂する姿を見たのは鷹岡とシロの騒動の時だけだ。それでも昨日のように怒鳴るようなことはなかった。怖がらせてしまったのも無理はない。

 

「私が怒ったのは、無関係な人間を巻き込んだのに悪びれもせず言い訳してきたからだ」

「うう、ごめんなさい」

「もう怒ってないっていってるだろ?とはいえ、私も言い過ぎたと思っている。ほら、私は兵士だったからな。大層なお題目を唱えながら吐き気のするような事をやってる連中を腐るほど見てきたんだ」

 

 救国の名のもとに子供に銃を撃たせた自称革命家、正義と称し教義が違うだけの罪のない人たちを焼き殺す自称聖戦士、どいつもこいつも唾棄すべき外道共だ。だがそんな奴らは決まって自分達のことを正義だと豪語していた。

 

「私自身、そう言った連中に人生を滅茶苦茶にされた当事者でもある。だから君達の言葉に過剰反応してしまったんだ。悪かった」

「謝らないでいいよ。悪いのは僕達だし」

 

 渚との間にあったわだかまりが完全に氷解したようだ。私としてもずっと気まずいままは嫌だったし本当によかった。

 

「そうか、じゃあこの件はこれで終わりにしよう。もしまだ気にしている人がいたなら気にしてないと伝えてくれると助かる。まあ、あれだけ怒鳴ったあとじゃあ説得力ないかもしれないけど」

「はは、ほんとに怖かったからね。正直後に来た殺せんせーより怖かったかも」

「そんなにか」

 

 殺せんせーの方が余程怖いと思うんだがな。普段が気の抜けた顔をしているだけあって怒ると本当に怖い。

 

「マジだっつーの、正直チビるかと思ったわ。というかちょっとチビったわ」

「あ、岡島君。今なんか不穏な単語が聞こえた気が……」

 

 渚の後ろから申し訳なさそうな顔をした岡島が現れた。何人もの子供に纏わりつかれているあたり子供には好かれるタイプなのだろう。

 

「松方さんと知り合いだったんだろ。俺が皆を誘ったせいでこんなことになっちまって本当にごめんよ」

「原因は君か……謝罪はもう松方さんにしたんだろ?じゃあ、もういいよ。次からは気を付けるんだな」

「肝に銘じておくわ」

 

 こりごりと言った顔だ。本当に反省しているのだろう。もう二度とこんなことはしないはずだ。だが、念には念だ。

 

「ただし」

「へ?」

 

 岡島のネクタイを引っ張り顔を引き寄せる。鼻と鼻が触れる程の距離に一瞬彼の顔が赤くなったが、すぐに私の怒気にあてられて真っ青になった。彼は好色な男だがこの状況で喜ぶほど空気が読めないわけじゃないようだ。

 

「次、同じような真似をしてみろ。私は君を地対空ミサイルに縛り付けて70キロの爆薬と共に高度9万フィート、成層圏の彼方まで吹っ飛ばす!300億の賞金は君の葬儀代に変わると思え!わかったな!返事は!」

「サー、イエッサー!」

 

 私がネクタイから手を離すと、岡島は女性のような悲鳴を上げながら内股で去っていった。残されたのは困惑する渚と妙にキラキラした目で私を見つめてくる子供たち。

 

「お、怒ってなかったんじゃ……」

「怒ってないさ、ただ忠告しただけだ」

「そ、そうなんだ…………やっぱこの人絶対怒らせないようにしよ

 

 後半の方は小さすぎて聞こえなかったが、どうでもいいか。

 

「す、すげー!」

「ん?」

 

 岡島について来ていた子供の一人がキラキラした瞳で見つめながらそう言った。その言葉を皮切りに子供たちが色めき立つ。

 

「さすが、姉御!」

「やっぱ、本職は迫力がちがいますなあ!」

「さくら姐さんなんて目じゃないぜ!」

 

 なんだこれ……私は子供たちに囲まれてそう思った。私は元傭兵であって決してマフィアじゃないんだが……

 

「祥子、あんた何やってんの?」

「あ、さくらか……」

 

 いつぞやにあったさくらが私のことを呆れた目で見ていた。いや、私にもわからないんだが……

 

「「「あ、ね、ご!あ、ね、ご!」」」

 

 子供たちの姉御コールが虚しくわかばパークに木霊す。本当に、なんだこれ……




用語解説

超 絶 凄 腕 最 強 傭 兵
・1発で3キルは当たり前、1発で5キルも。
・祥子にとってヘッドショットはダブルタップの撃ち間違い。
・少年兵一人なら大丈夫だろうとジャングルに足を踏み入れた一個小隊が翌日死体の山になって発見された。
・テクニカルがあれば大丈夫だろうと思っていたら速攻で奪われてミンチにされた。
・1000人いれば見つかるだろうと山狩りをしたら痕跡すら見つけられずに逆に指揮官をやられた。
・IEDで吹き飛ばされたと思ったら次の日には元気に山を走り回っていた。
・地雷を踏んで身動きが出来ない状態で一個小隊を撃退した。
・手負いの状態で野犬の群れを撃退して鍋にして食った。
・脚でトラックに追いつく。
・素手で強化ガラスを粉砕する。
・今までも全盛期、これからも全盛期。

 盛りすぎだろ。これ、殆ど本編に書いてあることなんだぜ。

いてもうたれ
訳:誠に申し訳ございませんが、お亡くなりになっていただけないでしょうか。

私は君を地対空ミサイルに──
フルメタルパニック?ふもっふというアニメより、号令のおじさんことマデューカス中佐の台詞のパロディ。非常に面白いので是非見てください。

今回は主人公の正義感と責任の考え方を掘り下げてみました。後半は殆どギャグですが、どんなふうに善悪を考えているかの基準になるかと。そしていよいよ本格的にカエデとの共闘フラグが立ったもよう。

そして一向に進まない本編ェ……

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