【完結】銃と私、あるいは触手と暗殺   作:クリス

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書いていて思うこと、初めての共同作業

※まさかの二万字オーバー、猛烈に長いので注意。


五十九時間目 希望の時間

 酷く暗く何もない空間の中をただ一人漂い続ける。きっとこれは夢なのだろう。

 

 そうやって暗闇に身を任せていると自分の今までの人生が走馬灯のように目の前に映し出される。

 

 別に不幸自慢をするわけじゃないけれど、私の人生は間違いなく酷いものだった。撃たれ、刺され、殴られ、この世のありとあらゆる苦痛を与えられ、そしてそれ以上に与えてきた。

 

 私の世界は広いようでとても狭かった。世界中を渡り歩いてもやることはすべて同じ、奪い、殺す。

 

 不釣り合いな大きさの銃を手に、命を懸けるにはあまりにも安すぎる報酬を糧に、戦う。そしてその金で次の戦いに臨む。

 

 そんな永遠に続くかと思われたそれは唐突に終わりを迎えた。気まぐれで入った学校、そこで私の何もかもが変わってしまった。

 

 美味しい食事、楽しい勉強、頼れる教師、頼もしい仲間、そして友達……。心のどこかで切望し、けれど私には関係ないと思っていたそれが一瞬のうちに手に入った。

 

 首を絞められたことはあっても抱きしめられたことはなかったし、頭を殴られたことはあっても撫でられるのは初めてだった。

 

 差し出された膨大な優しさの前では兵士の鍍金はいとも簡単に剥げてしまった。まるで今までの人生を取り戻すかの如く、目の前のそれにがっついた。

 

 幸せだった。ただ幸せだった。けれど、そんな生活を壊そうとする者が現れた。奴は下卑た笑みを浮かべ私から全てを奪おうとした。向こう側の勝手なルールを押し付け、大切な恩人、大好きな友達を奪おうとする糞野郎。許せるわけがない。

 

 だから戦った。少しでも恩を返したかったというのもある。当然こんなことをすれば皆がどう思うのかなんてのはわかっている。でも今の私は暴力を振るう以外の生き方を知らない。

 

 現実は複雑だ。暴力で解決できることなんてほんの一握りのレアケース、戦場を渡り歩いていればそんなもの嫌でも思い知らされる。けれどそれでも暴力でしか解決できないことも確かにあるのだ。

 

 奴との戦いは常に向こうが上手だった。スキルも経験も何もかもが段違い。所詮少年兵崩れでしかない私では追いつくのがやっとだった。

 

 文字通り殺す気で戦った。あれだけ殺したくないと思っていたのに、状況が不利になるとすぐに掌を返す自分が嫌になる。だけど私にはこれしかない。だからこれでいいのだ。

 

 あれからどうなったのか何も思い出せない。勝ったのかそれとも負けたのか、奴は生きているのか、皆の安否、カエデのことも気になる。

 

 ならまだ戦いは終わっていない。こんなところで眠っている時間はない。意識が浮上していく。例え手足をもがれようとも、あいつだけは絶対に倒す。

 

 

 

 

 

「────ッ!!!」

 

 絶叫と共に視界が光に包まれる。ここは……どこだ?私は確か奴と戦って、馬乗りになってそれから……そうだ奴は何処だ!!

 

「死神ッ!!」

 

 朦朧とする意識のまま奴の名を叫び飛び上がろうとする。しかし私の身体は何か大きな力によって強引に押さえつけられる。

 

「よかった!みんな臼井さんが起きた!!」

 

 目眩が収まり視界に目じりに涙を浮かべた片岡の顔が見えた。その声に応じてまわりから聞き慣れた皆の安堵する声も聞こえてくる。どうやら全員揃っているようだ。だが今はそんなことはどうでもいい。

 

「片岡ッ!あいつはどこだ!!」

「臼井さん落ち着いて!!」

「ここはどこだ!ビッチ先生は!?カエデは!?」

 

 興奮に任せて喚き散らす。頭の中にあるのは二人の安否と敵のことだけ。

 

「ああ、もう!倉橋さん手伝って!」

 

 まるで野戦病院でショックで暴れる負傷兵を押えつける衛生兵のように肩や脚を押えつけられる。こんなことしている場合じゃないのに。

 

「離せぇ!死神!!まだ終わってないんだよ!!」

 

 もがくたびに手足が痛む。しかし、そんなことよりも大事なことがある。勝負はまだ終わっていない。戦いはまだ終わっていない。

 

「落ち着…………落ち着けって言ってんでしょが!!」

「いたっ!?」

 

 軽く頬を叩かれる。その頬に走る唐突な痛みに目を白黒させていると片岡に頭と顎を押えられた。近づく顔、強制的に目を合わせられる。彼女の瞳に私の焦燥しきった自分の顔が映る。

 

「臼井さん、私に合わせて深呼吸」

「あ、ああ」

 

 言われるがままに片岡のペースに合わせ呼吸を繰り返す。酸素と二酸化炭素の交換を続け爆発寸前だった心臓を落ち着かせていく。

 

 五回ほど深呼吸を繰り返すと、自分がパニックに陥っていたことに気が付き思考が徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

「臼井さん、もう大丈夫?落ち着いた?」

「……すまない、取り乱した」

 

 冷静になったことにより自分がどれだけ情けない姿を晒していたのかを思い出し顔に熱がこもる。負傷してパニックになるなんて新兵じゃあるまいし……

 

「寝たままでいいから聞いて、ここは死神の作った檻の中。私たちは全員捕まってて今さっき臼井さんが連れてこられたの」

「……カエデは無事なのか?」

 

 あそこに置き去りにしてしまったカエデのことを思いだし悔やむ。私のことを心配して涙まで流してくれたのに、その思いを踏みにじるような仕打ち……。ああするしかなかったとはいえ到底許されることではない。

 

「カエデちゃんならそばで眠っているよ。私達が捕まってすぐにビッチ先生が連れて来てくれたんだ。ほら」

 

 視界に映った陽菜乃が指をさす方向に顔を向けると壁の端に寄り添うように神崎と奥田に見守られながらカエデが眠っていた。だが私がここにいるということは、つまり──

 

「私は負けたのか……」

 

 大きな溜息をついた。多分馬乗りになった時にビッチ先生に眠らされたのだろう。そしてここに運ばれたというわけだ。

 

「寒い」

 

 どうやらインナーだけになっているようだ。手当てした時に脱がされたのだろう。負傷した箇所にガーゼや包帯の感触がする。

 

「手錠……」

 

 今気が付いたが腕に手錠がはめられている。私だけということはないはずだ。なら何故片岡達は両腕で私を押さえられたのだろうか。

 

「臼井さん連れてくるときにそっちで手当てしろって言って私と倉橋さんだけ解放してくれたのよ」

 

 そんな私の疑問に答えるように片岡が言った。裏切ったのは本当だったのだろう。悔しさや無力感、様々な感情が混ざり合い涙がでそうになる。

 

「いや……まだ終わってない……」

「え?」

 

 痛む身体に活を入れながら上半身を起こし手錠を観察する。まるで奴隷の手枷のような巨大な手錠。見た目は派手だが鍵の構造は単純そのもの。拘束の仕方も甘すぎる。

 

「ふん、大したセキュリティだ」

 

 思わず皮肉を零す。両腕を背中に回されているのならともかく、前に来ているのなら後は簡単だ。ズボンのポケットにリボンと一緒に仕舞ったそれを取り出し鍵穴に差し込む。

 

「さっちゃんまだ起き上がっちゃ……あれ?」

 

 両腕が自由になった私を見て陽菜乃が目を丸くした。何も超能力を使ったのではない。ただズボンのポケットにしまった解錠ツールを使って解錠しただけだ。

 

「こういう時のために常に解錠道具は用意している。こんなのは朝飯前だ」

「そ、そうなんだ……私達あんなに苦労したのに……」

 

 あまりに用意周到な私に陽菜乃が心配するのを差し置いて困惑する。最後に何か呟いていたが聞き取れなかった。

 

 そんなどうでもいい思考を余所に追いやり立ち上がろうとする。しかし……

 

「クソ……身体が……」

 

 脚に全く力が入らない。当然と言えば当然だ。出血、打撲、裂傷、脱臼、至近距離での爆発に銃弾も何発も喰らった。意識を保っているだけでも奇跡だろう。

 

 モルヒネを打っているとはいえ、これはただの鎮痛剤でしかない。痛みは和らぐが無理して動いた分余計に体力を消耗する。

 

 だが……

 

「まだだ……」

 

 歯を食いしばり震える身体に鞭を打ち立ち上がる。皆の顔がもう止めてくれと言わんばかりに歪む。片岡や陽菜乃が何か言おうとするがそれを目で制す。

 

「おい、無茶すんなよ!」

「そうだよ!もういいよ臼井さん!」

 

 あまり会話しない岡野や前原までもが私を止めようと声を荒らげる。その言葉に皆もしきりに頷く。心配してくれるのは嬉しい、だが皆には悪いがその願いは聞けない。

 

「大丈夫だ。まだ戦える。あいつだって無傷じゃないはずだ。あと一撃、一撃でも入れれば私の勝ちなんだ……」

 

 どこから脱出すればいいか見当もつかないが、何もせずに諦めたくない。これで終わりだなんて認めない。そう思って一歩踏み出したその時だった。

 

「……前から馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど……まさかここまで馬鹿とは思わなかったわ」

「……え?」

 

 唐突に投げつけられた見知った人間の暴言に思わず立ち止まる。私の向こう側の壁に背をつけたカルマが私を睨みつけていた。

 

「大人しく寝てなよ。何まだ戦おうとしてんの?」

「か、カルマ君……?」

 

 ぼうっとしていた渚ですら彼の変化に戸惑いを隠せない様子だ。いつものように笑みは零さず。けれどその目には明確に怒りが宿っていた。普段見ない友人の一面に思わずたじろぐ。

 

「心配するな、まだ私は戦える……」

「戦えねえよ。脚震えてんじゃん馬鹿なの?」

「これ以上の怪我を負いながら戦ったことだってある。こんなもの傷のうちにも入らない」

 

 痛いのも辛いのも我慢すればいい。涙は後で幾らでも流せる。だが戦うのは今しかできない。こんなことをしてもなんの解決にもならないのかもしれない。だけど私にはこれしかできない。

 

「撃たれようが、殴られようが、刺されようが、拷問されようが、それでも私は生きている。生きてここに立っている。なら私は戦える。まだ私は戦える」

 

 例え手足をもがれようが生きてさえいればなんでもできる。あいつに野良犬の生き意地の汚さを思い知らせてやる。

 

「まだだ、まだ終わってない。こんな暗いコンクリートの上が私たちの最後だなんて絶対に認めない」

 

 そう言い切った私の見て、彼は深い深い溜息を吐き、そして呆れたようにこちらを見てきた。琥珀色の瞳が私を睨みつける。

 

「いい加減にしてくんないかな臼井さん」

「……なんだと」

 

 罵倒に次ぐ罵倒に私の心に怒りが沸き起こってくる。低くなる声。きっと相当な威圧感が出ているのだろう。皆の顔が引き攣っていた。

 

「なあ、あんたいつまで傭兵気取ってんの?」

 

 突如投げかけられた質問、その言葉に私は固まった。傭兵、気取りだと……。私の人生は気取りの一言で片づけられるようなものじゃない。好きでこんなことしてると思っているのか。

 

「今、なんて言った……」

 

 噴き出しそうになる怒りを押さえつけ、あくまで冷静に聞き返す。ここで怒ったところで何も生み出さないのはわかっているからだ。だから冷静に──

 

「ポンコツで頭幼稚園児の臼井さんはいつまで無敵の傭兵気取ってるのって聞いてるんだよ」

「……ッ!!」

 

 駄目だった。小馬鹿にしたような表情と共に叩きつけられた言葉に再び頭が沸騰する。痛む身体も無視しカルマに詰め寄る。

 

「取り消せ!今の言葉!」

 

 外れていた肩を強引に嵌めながら彼の胸倉をつかむ。だがそんな私のことなど意に介さずにカルマは言葉を続ける。

 

「俺前に言ったよな。このままでいられると思ってんのって。何これ、なんも変わってないじゃん。あの時泣きながら茅野ちゃんに言った言葉嘘だったの?」

 

 痛いところを突かれる。そんなのはわかっている。でもこれしかなかった。他に手段はなかった。降伏しても死、戦っても死、なら戦うしかない。

 

「……それは、わかっている……けれど!」

「わかってないからこっちは言ってんだよ。あんたいつもそうだよな、一人で納得して、一人で勝手に突っ走ってさ、犬だってそこまで馬鹿じゃなくね?」

 

 ここに来てから初めて経験する友人の本気の怒り。もっと怖い思いをたくさんしてきたはずなのに、口が思うように動かない。

 

「お、おいカルマ言い過ぎ──」

「後にしてくんない杉野。ここで言わなきゃこいつ一生このままだよ」

 

 そのあまりの言い口に思わず杉野が止めようとするが、彼の言葉に一蹴される。

 

「ずっと思ってたけどさ、臼井さんって実は俺らのこと見下してるよね」

 

 思ってもいなかったことを言われ絶句する。私が皆を見下しているだと?そんなことを考えたことは一度だってありはしない。暴力でしか何かを成すことができない私なんかよりも、皆のほうが余程立派だと思っている。

 

 そんな私の思いを余所にカルマは言葉を続ける。

 

「だってそうじゃん。どう見たって無理してんの丸わかりなのに口を開けば戦場がどうたら、傷がどうたら、いつまで一人で戦ってるつもりなの」

 

 そんなことは知っている。一人で戦っているつもりなんて微塵もない。けれど、今この場でまともに動けるのは私しかいない。なら私がやるしかない。

 

「ねえ、泣きながら血塗れのあんた手当てしてた倉橋さんとか寝言でずっとあんたの名前呼び続けてた茅野ちゃんのこと、一瞬でも考えたことあんの?」

「じゃあ、他にどうしろっていうんだよ!」

 

 そう、そんなことは痛いほどわかっているのだ。ハードラックに代わりはいても、臼井祥子に代わりはいない。私が傷つけば皆がどんな顔をするのかなんて百も承知だ。けれども私はこれしかやり方を知らない。

 

「今までもこれからも、こんな思いをするのは私だけでいい!悪人の私が役にたてることなんてこれくらいしかないんだよぉ!なんでわかってくれないんだよぉ!」

「それが馬鹿にしてるってなんでわかんないかな!」

 

 初めて聞いた怒鳴り声に思わず胸倉から手を離す。拠り所を失った腕はだらりと垂れ下がった。そして膝を突きぺたりと座り込む。

 

「しょうがないだろ……だって……」

 

 脳裏に浮かぶのは今までの人生、戦って殺すだけの人形、破壊と殺戮という名の巨大な機械の中で擦り切れるだけの無能な歯車。

 

「これしか生き方知らないんだよぉ!!」

 

 俯き叫ぶ。視界が滲む。膝に置いた握りこめない左手に何滴もの水が染みを作る。

 

「私から銃を取ったら何が残るって言うんだよ!君みたいな賢さもない!陽菜乃みたいな明るさも、竹林のような知識も、片岡みたいなリーダーシップも、渚のような優しさも、神崎みたいな芯の強さも……。私には何もない!何もないんだよぉ!」

 

 一度理性が振り切れれば、まるで溜まって淀んでいた膿を吐き出すかのように脇目もふらずに喚き散らす。

 

「私が好きでこんなことやってるわけないだろ!撃たれて何も思わないとでも思ってるのか!ほんとだったら泣きたいくらい痛いよ!!」

「だったら!」

「でもこれしかやり方知らないんだよ……なんでそんなこと言うんだよ……」

 

 八つ当たり染みた言動を繰り返す。彼の言っていることはもっともだし、私が仮に逆の立場だったら同じように怒るだろう。だけど一度崩壊したダムは止まることを知らない。

 

 鍍金が剥がれる。押し込めていた本当の自分が剥き出しになる。兵士の鍍金が剥げて、暗殺者の鍍金すら剥げた後に残ったのは、9年前に置き去りにし、やっと取り戻した子供の心。

 

「無茶なのも無謀なのもわかってる……けど、もうあそこに戻りたくないだけなんだよぉ……やっと友達ができたのに、こんなのでお別れなんてやだぁ……私から友達をとらないでよぉ……私を独りにしないでよぉ……」

 

 私には家族がいない。文字通りE組だけが私に残された唯一の温かい人としての繋がり……。例え血を流そうとも、再び人を殺すことになろうとも、私はもうあそこに戻りたくない。

 

 屑を許せないとか、悪党のルールとか、皆を守りたいという気持ちも嘘じゃない。私を人間に戻してくれた皆のことは本気で守りたいと思っているし、己のためだけに無関係な人間を巻き込む奴は絶対に許せない。

 

 けれどそんなものは本心のほんの一部でしかなかった。私の本当の思い。ずっと隠し続けてきた思い、それは──

 

「もう独りはやなんだよぉ!」

 

 心の底から思いを叫ぶ。もう取り繕う気力すらなかった。威勢の良さや強気な言葉で着飾ろうとも私の願いは一つしかない。

 

 もう独りぼっちは嫌だ。隣に誰もいないのなんて耐えられない。あの笑顔が消えてなくなるのを想像するだけでも震えが止まらなくなる。

 

 そこから先は最早言語ですらなかった。まるで子供のように座り込み両目を掻きむしり泣きじゃくる。

 

 それでも必死に言葉を紡ごうとするが、嗚咽に塗れて言葉が出ない。そしてそれ以上にそもそも自分が何を考えているのかすら最早わからない。

 

「……あ、え、マジ……」

 

 子供みたいに泣き続けているせいで周りがどうなっているのかも、目の前にいるカルマがどんな顔をしているのかもわからない。ただひたすら童心に帰って泣き続ける。

 

 

 

 

 

「大丈夫だよ祥子、絶対に独りになんてしないから」

 

 背中に感じる温もり、嗅ぎなれた匂い、心臓の音、振り返らなくてもわかる。

 

「……お姉ちゃん?でも、なんで?」

 

 麻酔銃で眠らせてしまったのに、どうして起きているのだろうか……そんな私の疑問など余所にカエデは私のことを抱き締めた。痛みや混乱でぐちゃぐちゃになっていた心が落ち着きを取り戻していく。

 

「妹が泣いてたらどこにだって駆けつけるのがお姉ちゃんなんだよ」

 

 痛みと恐怖でボロボロだった心にこの言葉は優しすぎた。頭ではこんなことをしている時間ではないとわかっているのに身体が動かない。

 

「こんなに傷だらけになって……痛かったよね、怖かったよね」

「……うん」

 

 兵士の私ならどんな傷も痛みも我慢することができる。だが私はもう兵士じゃない。我慢していた痛みや苦しみが涙となって目から零れ落ちる。

 

「祥子はみんなのために頑張りたかっただけなんでしょ?でも、みんなの気持ちもわかるよね?」

「……うん、でも……」

「わかるよ、それでも助けたかったんでしょ?死んじゃったら……二度と会えないもんね……」

 

 ぐちゃぐちゃになった頭でもカエデの言葉に深い悲しみが含まれているのが理解できた。戦う前にカエデに言われた言葉を思い出す。

 

 もう独りぼっちは嫌だ……独りになることの怖さは痛いほど理解していたはずなのに、私はカエデにもう一度その恐怖を与えようとしたのだ。

 

「ごめん……なさい……」

「なんで謝るの?」

「だって……あんなに心配してくれたのに……また一人で無茶して……」

 

 進んだように見えて、結局は同じところをぐるぐると回っていただけだった。思い返せば他にやり方なんていくらでもあったはずなのに、私は目先の怒りに惑わされて一番大事なことを見落としていた。

 

「確かにまた無茶したのは怒ってる。言いたいことはたくさんあるよ。でも今はこれだけにしておく…………」

 

 長い沈黙、そして……

 

「祥子、生きててくれてありがとう」

 

 絞り出された一言。その言葉を耳にし、そして理解した瞬間、全てが崩壊した。

 

「その……その言葉は……ずるいよ……」

 

 ずっと私の命には価値がないと言われ続けてきた。そうじゃないとわかっていても脳裏に焼き付いた言葉は呪いとなって私を苦しめる。

 

 それでも忘れようとしていた矢先に現れた私の過去。殺意をぶつけられ、再び自分の命に価値がないと言われそれでも戦った。

 

 身体の痛みはいつかは引いていく。けれど、心の痛みは無視すればするだけ増していくものだ。カルマに鍍金を剥がされ、剥き出しとなった私の心にとって、彼女の言葉はあまりにも優しすぎた。

 

「ごめんね、こんなに悩んでたのに気づいてあげられなくて……」

 

 手錠のはめられた両腕で私の頭を撫でながら優しく語りかける。その度に戦いで傷ついた心が癒されるのがわかった。

 

「ねえ、誕生日に言ったこと覚えてる?生き方がわからないなら一緒に探す。もし見つからないなら見つかるまで一緒に探す。だからそんな悲しいこと言わないでよ……」

 

 そういえばそんなこと言ってたっけ……

 

「これが終わったら暗殺とか銃とか一旦忘れてどこかに行かない?ケーキ食べたり、お洋服買ったり、映画見たり、勉強したり……いっぱい遊んでいっぱい勉強していっぱい笑ったら、そのうちやりたいことだって絶対見つかるよ」

「……うん」

 

 立場はいつの間にか逆転してしまった。守るつもりだったのに、気が付いたら守られていた。こんなことばかりだ。

 

「お疲れ様祥子、後は私達に任せて」

 

 思うところはいくらでもある。けれど今この瞬間はこの優しさに浸ろうと思う。状況は相変わらず最悪だしこれからどうなるかなんて予想がつかない。けれど皆なら、先生達ならなんとかできるんじゃないかと思うのもまた事実だった。

 

「……カエデ、少し離れてくれないか?」

「え、いいけど」

 

 一抹の名残惜しさを感じつつ立ち上がり超体育着のポケットに入れたリボンを手に取り解けた髪を結ぶ。

 

 そして後頭部で結んだ白いリボンを両手で触りその感触を楽しむ。頭の中のスイッチが完全に切り替わるのを感じた。

 

「大丈夫、祥子?」

「ああ……色々ごめん……」

 

 様々な思いをこめて謝る。置いていってしまったこと、無茶をしたこと、銃口を向けてしまったこと、きっと気にしてないというだろうが、それでも謝らずにはいられなかった。

 

「ううん、気にしないでいいよ。後でいっぱい怒るから」

「そうだな…………ん?」

 

 あれ、今変な言葉が聞こえたような……。そう思った瞬間、背後から途轍もない威圧感を感じた。私の後ろにいるのは一人しかいない。油の切れたようなぎこちなさで振り向く。

 

「ん?どうしたの祥子」

 

 そこには満面の笑みを浮かべたカエデがいた……。これ駄目なやつだ。私はいつぞやの説教を思い出し、身震いしたのであった。

 

 そんないつもの私達のやり取りに目の前にいたカルマも笑みを浮かべていた。その様子を見て私は本当に戻ってきたのだと実感した。

 

「あとカルマ君、ちゃんと祥子に謝ってね?」

 

 が、その気持ちはいきなり吹き飛んだのであった。

 

「え、なんで?というか茅野ちゃんなんか怖くね?」

「だって祥子が泣いてたのってカルマ君のせいでしょ?」

 

 なんかおかしな方向に向かいだしたんだが……今さっき感じた威圧感が今度はカルマに向かうのを感じる。というか普通に怖いんだが。いや、まて。

 

「大丈夫だ。悪いのは──」

「祥子は黙ってて」

「わかった」

「いや、そこ折れちゃ駄目でしょ?」

 

 割って入ろうとするがカエデに一蹴される。悪いがこうなったカエデに逆らうことはできないんだ。

 

「まあ、言いたいことはわかるけど……あれはないわな」

「大怪我してる女子ガチ泣きさせるとか普通に引くわ」

 

 前原と三村が便乗するように彼を批難する。善意で言ったのにこの言われようは可哀想な気がするが、普段いいようにからかわれているだけあってか、この状況は少しだけ気分がよかった。

 

「え、これ俺悪い的なやつ?」

 

 彼も珍しく額に汗をかいている。さしもの彼もこの状況ではいつのも余裕ぶった態度はできないようだ。ざまあみろと思ったのは内緒だ。

 

「……うわぁ」

「カルマ君、酷いです」

 

 普段は彼に悪ノリしてやりたい放題の中村やそれなりに仲がいいはずの奥田までカルマの批難に回る始末。ここまでくると普通に可哀想になってきたな。

 

「お、奥田さんまで…………」

 

 よく見るとうっすらと頬が赤くなっている。からかうことには慣れていても逆の立場は苦手なようだ。

 

 そう言えば一学期の期末テストの結果が返ってきた時も一人だけ姿を隠していた。こう見えて意外と恥ずかしがり屋なのかもしれない。

 

「ぅ…………ごめん」

 

 彼も皆の視線には耐えきれず顔を赤くしてぼそりと謝った。ここに来て初めてカルマを可哀想だと思ったのは墓まで持っていこうと思う。

 

「その……ご愁傷さま」

 

 今の私に言えるのはこれだけだった。何か、色々台無しになってしまったような気がするのは気のせいだと思いたい。

 

「……それで、これからどうするのかしら?」

 

 おかしくなった空気を切り替えるように不破が皆に問いかける。確かに状況はまだ悪いままなのだ。何かしようにもこうも拘束されてしまえばできることも限られてくる。

 

「つってもなー後は、殺せんせー待つしかねーだろ。ていうかイトナ本当にあれで大丈夫なのかよ」

「ああ、向こうにはばれてないはずだ」

 

 岡島とイトナが何か話しているがなんのことだかさっぱりわからない。というかさっきから思っていたが捕まっているわりに皆妙に冷静だな。

 

 いくら皆が非日常に慣れていても些か異常だ。普通捕まって殺されるかもしれない時にこうまで冷静になれるだろうか。

 

「みんな!モニター見て!」

 

 そんな疑問に頭を悩ませていると、鉄格子の側にいた原が喜びの混じった叫び声が耳に入った。その声に釣られてモニターを見る。

 

 そこには希望が映っていた。

 

「殺せんせーと烏間先生!」

 

 怪我の痛みも忘れて思わず檻に駆け寄る。私が有り得ないと一蹴した都合の良い未来がそこにはあった。

 

 流れは確かに変わった。しかしこうして拘束されている以上私達にできることはモニターに映る二人を見守ることくらい。

 

「ビッチ先生に、死神?」

 

 モニターに映る先生達と対峙する死神たちを見て矢田が首を傾げた。皆はあいつの顔が覆面だということを知らない。

 

 しかし、あれだけ殴ったはずなのにまだ立つか……。奴は私を化物と言ったがあいつのほうがよほど化物染みている気がしてならない。

 

「あいつ顔半分包帯塗れになってねえか?てか顔なくね?」

「あー、あれは私のせいだと思う」

 

 杉野の言葉に応えた私に皆がぎょっとしたようにこちらに振り向く。そんなにおかしなこと言ったか?いや、皆は為す術もなくやられたと聞くし驚くのも無理はないか。

 

「マジかよ……顔の皮剥がすとか怖すぎだろ!」

「そっちじゃないから!」

 

 思わず突っ込む。どいつもこいつも私をいったいなんだと思っているんだ。まあ、やろうと思ったらできるだろうけど……

 

「顔が包帯塗れのなのはマウントして血塗れになるまで殴り続けたからで、私達が見た顔は変装で元から顔の皮を剝いでいたようだ。変装してないのは目の前で自爆してやったからだろうな」

「どっちも怖えよ…………あれ?自爆?」

 

 何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。杉野だけじゃなくて皆の目が点になっていた。

 

「…………なんで生きてるの?」

 

 開口一番にそれとは速水も随分と失礼だな。まあ疑問に思うのも無理はないか。私は先ほどの攻防を思い出し皆に説明した。

 

「簡単な話だ。密閉空間ならともかく開けた場所でのコンカッションの威力なんて高が知れている。超体育着のフードを被って背中を向ければ大したダメージは受けない」

「………いや、説明になってないんだけど」

 

 速水の言葉に同意するように皆が勢いよく頷く。そんなにおかしいのだろうか。きっと烏間先生だって避けることができるだろう。あの人は私より強いしできるに違いない。

 

 そんなことを考えている矢先だった。背後に悪寒が走る。

 

「祥子……自爆って何?聞いてないんだけど」

 

 振り向けない。不味い、これは本気で怒ってる声だ。ただでさえ無茶して怒っているのにこれ以上火に油を注ぐようなことはしたくない。どう言い訳しよう……

 

「いや……その……そうだ!殺せんせー達はどうなった?」

「さっちゃーん?」

「臼井さん?」

 

 ごまかすのに失敗してしまった。近づいてくる怒った顔の陽菜乃、その後ろにいる矢田も心なしか怒っている気がする。というか絶対に怒っている。

 

「し、仕方ないだろ……銃もなかったし……かと言って格闘も負けてたし」

「それで自爆かよ、やっぱてめぇ馬鹿だろ」

 

 寺坂にすら馬鹿呼ばわりされた……。いや、普通は自爆なんてしないか。あの時は最善だと思ったんだがな……。まあいい、今はそれよりも先生達の動向のほうが大事だ。

 

「うるさい……それよりも、あいつどうするつもりなんだ?」

 

 殺せんせーが人質を取られたからといってあっさりと降伏するとは思えない。奴もダメージを負っているとはいえ超人的な能力は健在だろう。

 

「殺せんせー……頼む……」

 

 私にできることはただ祈ることくらいだった。しかし私は知っている。この世界には神なんていないことを。

 

 

 

 

 

「あ、落ちてきた」

 

 天井の落とし穴から殺せんせーが落ちてくる。小さなモニターではよくわからなかったが上から銃声が聞こえてきた。

 

 恐らくビッチ先生が殺せんせーに不意打ちしてその隙に檻の上に作っていた落とし穴を作動。這い上がろうとした殺せんせーの触手を短機関銃あたりで撃ち落としたのだろう。

 

 凄い技術だが落とし穴の内壁に浅い角度で弾かれた流れ弾が私たちのいるところまで飛んできたのには文句を言いたい。だが無駄弾を撃つあたりやはりダメージを負っているのだろう。

 

「皆さん……それに臼井さんその怪我は!」

 

 初めは自分が落とされたことに驚いていた殺せんせーも包帯とガーゼに包まれた私を見るなり血相を変えて私に近づいてきた。自分でいうのもあれだが私だけ酷い有様だな。

 

「戦ったんですけど、負けてしまいました……すいません……」

「そんなこと臼井さんが気にする必要なんてありません。君が無事ならそれだけで十分です」

 

 自身がピンチに陥っているのにも関わらず私達のことの身を案ずるのは流石と言うほかない。その気持ちは嬉しいが少しくらいは自分のことも案じてほしい。

 

「お別れの言葉は済んだかな殺せんせー」

 

 そうやって束の間の再会に喜んでいると、最早聞き慣れた奴の憎たらしい声が鉄格子の向こうから聞こえてきた。

 

 顔を向ければ檻の目の前にある扉から顔の左半分が包帯とガーゼ塗れになっている死神とビッチ先生、そしてその二人を追うように烏間先生が入ってきた。

 

「ビッチ先生……」

 

 私の呟きに先生は一度だけこちらを見てすぐに目を逸らした。本当に裏切ったのか……。怒りや戸惑い、そしてそれ以上に悲しみが押し寄せる。

 

「想定外のことはあったがこれで決まりだ。残念だったね野良犬ちゃん、君の頼みの綱もこの様だ」

「…………ッ」

 

 顔の皮膚が剥がれていたとしても奴が笑っているのが私にもわかった。怒りとそれ以上の悔しさが心を満たす。見ればわかる。足運びも呼吸も明らかに先ほどよりも乱れてる。本当にあと少しだったのに……

 

「殺せんせーも気になるだろうし答え合わせをしよう。野良犬ちゃんは見たから知っているだろうけど、この檻は国が作った洪水対策の地下放水路の中に作ってある」

「……ッまさかお前!!」

 

 烏間先生が血相を変え死神に詰め寄る。私も気が付いてしまった。私の予想はやはり正しかったのだ……。

 

「そう、操作室から指示を出せばたちどころに近くの川の水が放出され、その凄まじい質量によって標的は対先生物質で作られた鉄格子に押し付けられ潰される。いくら人外の力を持つ君でも200t近い濁流には勝てない」

「…………糞が」

 

 予想を遥かに上回る凄惨な計画に背筋が凍る。私達を生かして捕まえたのは全てはこれが目的か……。やり方は大雑把極まりないが考え方は非常に合理的だ。水流を利用するなど思いつきもしなかった。例え思いついたとしても普通はやらない。

 

「説明はこれくらいにして後は仕上げといこう。行くぞイリーナ、制御室を制圧しに行く」

 

 制圧、その言葉に息を呑む。制圧と言うからには奴の言う制御室には人間がいるということだ。私達のように気絶なんて手間のかかることなんてやらないだろう。

 

 これだけやってまだ殺し足りないのか。いったいどれだけ無関係な人間を巻き添えにすれば気が済むんだ。

 

「ッふざけるな!!」

「ちょ、祥子!」

 

 我慢できずに痛む身体を無視して奴に詰め寄るが鉄格子に阻まれ近づくことができない。やり場のない怒りを押し付けるように鉄格子を掴む。

 

「ふざけるなよこの屑が!これだけやってまだ殺し足りないか!!地獄に落ちろ、この糞野郎!!」

「もう首輪と手錠外したんだ……。だけどもう君にできることなんて何もない。礼を言っておくよ野良犬ちゃん。君のお陰で良い経験ができた。傷を付けられたのなんて久しぶりだよ。それじゃあね」

「──ッ!!」

 

 最早言葉にならない唸り声をあげながら鉄格子を揺らす。しかし興奮したせいか受けた傷が痛みだし思わず膝をつく。

 

 私にはもう何もできない。武器もない、自由もない、体力も既に限界を超えている。私が意識を保っているのは意地以外の何物でもない。

 

 だが、いくら意思が強くても動けなくては何もできない。悔しさで涙が溢れコンクリートに染みを作る。

 

「臼井さん……」

 

 烏間先生の気遣うような声が聞こえた。烏間先生の肩には地球の未来が乗っている。この人に助けを求めることはできない。だけど、それでも……

 

「……ください」

「臼井さん?」

「助けて……ください……」

 

 絞り出すように懇願する。自分から助けを求めるのはこれが生まれて初めてだ。都合のいいことを言っているのはわかっているが、そうだとしても助けを求めずにはいられない。

 

「無理なのはわかってます。でも、お願いします………こんなところで終わりたくないんです……まだ死にたくないんです……だから、お願いします……私達を助けてください……」

 

 烏間先生の目を見つめただひたすら懇願する。だけどそんな願いを踏みにじるかのように奴が烏間先生に語り掛ける。

 

「わかっているよね烏間先生、彼等の命と地球の未来、どちらが──」

「少し黙ってろ」

 

 鈍い音が響き渡る。私は吹き飛ぶ死神を見てそれが初めて人を殴った音だと気が付いた。その唐突な出来事に思わず唖然とする。

 

 吹き飛ぶ奴を一瞥し烏間先生はいつものように真剣な眼で私を見つめた。そうだ、私はこの眼が好きだった。

 

「初めてだな、君が助けを求めたのは……。ずっと君は俺達大人を頼ろうとはしなかった。信用できないのも無理はない、君の過去に起きたことは俺達大人の責任だからな」

 

 そうじゃないと言おうとして思いとどまる。子供だった私に銃を握らせ兵器として利用したのは大人だった。都合のいい戦力として利用したのも大人だった。

 

 もしかしたら私は心のどこかで大人を信用していなかったのかもしれない。殺せんせーは信用できても、大人としての烏間先生を私は心のどこかで信じてなかったのだろう。

 

「今は信じなくてもいい、だがこれだけは覚えておいてくれ、大人は子供を……いや、教師は生徒を助けるものだ!」

 

 力強く断言する。そこにいたのは日本政府のエージェントでも、暗殺の指導者でもない、教師としての烏間先生だった。闇に覆われていた私の心に再び光が差す。

 

「い、いきなり殴るなんて酷いじゃないか……烏間先生」

 

 倒れていた死神が起き上がり烏間先生に近づく。先生はゆっくりと上に続く扉の前に陣取り出口を塞いだ。覚悟は決まったということだろう。

 

「悪いな、俺はあまり口が上手くないんだ」

「日本政府のエージェントがそんなことしていいのかい?わかっているならそこを退いてほしいんだけど」

「お前、何か勘違いしているようだな」

 

 そう言って烏間先生はジャケットを脱ぎ捨て、その鍛え抜かれた身体をさらけ出した。ショルダーホルスターに差し込まれたシグザウアーP220が誇り高く輝く。

 

「よく覚えておけ骸骨野郎。28人の命は地球よりも重い。これが日本政府の見解だ」

 

 先生の言う通り私は心のどこかで烏間先生を信じていなかったのだろう。私は自分の浅はかな考えに怒りを抱いた。

「…………ッ」

 

 死神もこれには面食らったようだ。奴は両足を開きいつでも動けるように備えているが、出口は烏間先生に塞がれ通ることは叶わない。私が先ほど戦った放水路にも階段はあるが遠すぎる。

 

「イリーナ、お前にも言うことがある」

「……何よ」

 

 膠着状態の中、突然烏間先生がビッチ先生の名を呼んだ。烏間先生の存在感のせいで忘れていたが、ビッチ先生も今は敵なのだ……。どうして先生が裏切ったのかはわからない。でも、思っていたよりも怒りは湧かなかった。

 

「この前は悪かった。プロであることに拘りすぎて、お前が一人の人間だということを忘れてしまった。

 思い返してみれば俺はお前のことを何も知らない。今までどうやって生きてきたのかも、何故殺し屋になったのかも、どうしてE組にいるのかも、一方的に線を引いて何も知ろうとしなかった」

 

 私達に向ける優しさとは違うが、それでも先生なりの優しさがそこにはあった。殺せんせーが前に言っていたこと思い出す。生徒が成長するように、教師も成長する。きっとそういうことなのだろう。

 

「俺とお前は生まれた世界が違うかもしれないが、それでも今は同じ世界で生きている。悩みがあるなら相談にのる。食事でも酒でもなんでも付き合ってやる。だから戻ってきてくれ、俺にはお前が必要だ」

「お前が……必要……」

 

 今までの暗かった目はどこへやらビッチ先生の顔は端的に言うと猛烈に嬉しそうだった。頬を赤く染め両手を顎に当て何度も同じ言葉を呟く。あれ本当に裏切っているのか?

 

「いちゃついてるとこ悪いけど、もういいかな?」

「……?なんのことだ。とにかく、こういうことだ。お前には大人しく退場してもらおう。投降するなら多少は手加減してやるが、どうする?」

 

 烏間先生も両足を肩幅に開き臨戦態勢を整える。そうだった。まだ何も終わってはいないのだ。だけど私にできることは先生を見守るくらい。鉄格子を握る手に力が入る。

 

「烏間先生、僕がさっき言ったこと覚えてる?彼等の首には爆薬が取りつけてあるんだよ?そっちがあくまで邪魔するっていうなら僕もこうするしかないな」

「ッ待て!!」

 

 烏間先生が飛びつく前に死神が手にしたタブレット端末を操作する。その瞬間、私の背後で爆発音が鳴り響いた。

 

「っ!?」

 

 後ろを振り向けば檻の片隅で埃と煙が舞い宙に超体育着のジャケットが舞っていた。あれは私のジャケットか?しかもよくよく見ればジャケットは檻のコンクリートと同じ色をしていた。

 

「ッ首輪、いつの間に!?」

「おいおい、兄ちゃんよぉ、時間なら幾らでもあっただろうが」

 

 寺坂が手錠を外しながら、いや、彼だけじゃない、皆がやっとかと言わんばかりの顔で手錠を外していく。今までのは演技だったというのか。

 

「お前がデカ女に夢中になってる間に首輪と手錠は外した。次からはもう少しセキュリティに気を遣ったほうがいい」

「監視カメラとかな!魚眼は便利だけど細かい監視には向かないぜ」

 

 いつもどおり無表情のイトナとニヤリと笑った岡島が勝ち誇ったように言った。よくわからないが手錠以外にも爆薬を首に巻き付けていたのか。

 

「臼井言ってたでしょ、私は囮だって。ありがとう、お陰で助かったわ」

「あ、ああ……」

 

 今一つ状況が呑み込めないので速水の言葉に空返事を返すことしかできない。わかるとすれば私が戦っている間に皆が手錠と首輪を外したことだけ。

 

「クソ!こんなの聞いてないぞ!!」

 

 あまりに想定外の事態にさしもの死神も動揺を隠せないようだ。烏間先生のことも忘れ鉄格子に向き直る。

 

 しかし、不思議だ。手錠はともかく首輪となるとそう簡単に外せるものなのだろうか。誰か味方がいなければ……あっ

 

「お兄さん、俺らのこと気にするのもいいけど、後ろにも気を付けたがいいんじゃない?」

 

 カルマの言葉に死神が慌てて振り返る。だが時すでに遅し。奴の背後に影が迫る。

 

「まさか──ッ!!??」

 

 それはまるで絹を裂くような悲鳴だった。悲鳴の主は死神、理由は簡単。後ろから全力で股間を蹴りあげられたからだ。

 

「うわ、あれもろに入ったぞ……」

 

 強烈な痛みによって蹲る死神。蹴ったのは烏間先生ではない、この場で自由に動けるのは烏間先生とあと一人……

 

「流石のあんたもそこは鍛えられないのね」

「「「ビッチ先生ッ!!」」」

 

 皆と一緒に喜びの声をあげる。そこには蹲る死神をゴミを見るような目で蔑むビッチ先生が立っていた。

 

「ほんと、せいせいしたわ!」

「……どういうことだイリーナ、裏切ったのではなかったのか?」

 

 私と同じく状況が飲み込めない烏間先生が当然の疑問を口にする。

 

「敵を騙すにはまずは味方からって言うでしょ?あんた達が応援に来るまで騙されたふりしてあげてたのよ」

 

 烏間先生の疑問に勝ち誇ったように腰に手を当て答える。そういうことだったのか。私はやっと全ての状況を把握した。

 

「ば、馬鹿な!僕の心理掌握は完璧だったはず!」

 

 自分のスキルに相当な自信があったらしい。先ほどの態度はどこへやら、髪を振り乱し叫ぶ。

 

「ああ、あの薄っぺらいお涙頂戴話のこと?なんか安っぽいのよね、何もかもが。どうせ作り話か、誰かの受け売りでしょ?」

 

 ビッチ先生は一瞬だけ私を見て微笑んだ。それだけで十分だった。

 

「確かに私はビッチよ……でもね、あんたに同情されるほど安い人生送ってないのよ!!舐めんじゃないわ!!あんたに言われたことなんてとっくの昔に乗り越えてんのよ!!」

 

 拳を握りしめながら烈火のごとく怒る。その通りだ。こんな殺しを楽しむような奴に同情されるほど、私達の人生は安くない。

 

「あんたたち悪かったわね、でもこうするしかなかったのよ」

 

 未だに蹲る死神に吐き捨てた後、ビッチ先生は少しだけ罪悪感の混じった顔で私達に向き直った。仕方なかったとはいえ傷つけたのは事実だ。気が引けるのだろう。

 

「ちょっとショックだったけど気にしてないよ。いきなりキスして口の中に鍵入れてきたときは驚いたけど」

「まあ、ビッチらしくていいんじゃないか?」

 

 矢田と竹林が笑いながら言う。というか気が付いてたなら私に言ってくれてもよかったのに……お陰で無駄に心配してしまったじゃないか。

 

「祥子、あんた大丈夫?」

「見てのとおりボロボロですよ。でも、先生が戻ってくれたならそれで十分です」

「もう、少しくらい気にしなさいよ……こんなに傷だらけになって……でもよく頑張ったわね」

 

 鉄格子越しに私の頭を撫でる。それだけで全てが報われた気がして思わず泣きそうになる。さっきから泣いてばかりだな……

 

「女の涙は本当に大事な時に取っておくものよ。さて、後は私達に任せてあんたはもう休んでなさい」

「……はい!」

 

 そう言いながら私の目じりから涙を拭いとったビッチ先生は再び死神に向き直った。どうやら相当強い力で蹴ったらしい。

 

 奴は既に立ち上がっていたが膝が震えてまともに歩くことすら難しそうだ。あれではいくらでもパンチを入れられるだろう。

 

「烏間、私右ね」

「なら俺は左だな」

 

 ゆっくりと死神に近づきながら拳を鳴らす二人。やはりE組にはあの二人がいないと物足りない。

 

「烏間、少し耳貸しなさい」

 

 ビッチ先生が烏間先生に耳打ちする。何を言っているかはわからないが、後ろから見える烏間先生のニヤリと笑った横顔にとてつもない頼もしさを感じる。

 

「私の妹分に随分と好き放題してくれたじゃない。ねえ色男さん」

「俺の大事な同僚と生徒に手を出したんだ。当然覚悟はできてるんだろうな?」

 

 最早死神はどうすることもできず一歩、また一歩と後ずさる。しかしそれでも諦めきれないのか地球がどうだとか僕以外にどうだの言い訳する始末、だがもう遅い。

 

「ま、待て──」

 

 二人が拳を振りかぶる。ビッチ先生の左腕と烏間先生の右腕が弧を描く。

 

「「笑えよ糞野郎!!」」

 

 同時に放たれた二つの拳。怒りを込めて飛びかかるそれは正確に死神の顔面をぶち抜いた。

 

 

 

 

 

「左手、動かしてみてください」

 

 殺せんせーに言われたとおりに左手の指を何度か動かす。先ほどまで薬指と小指しか動かなかったはずだが、今は全ての指がいつものように動かせる。隣にいたカエデと陽菜乃の顔が明るくなった。

 

「切れていた神経を繋ぎました。動きに異常はありませんか?」

「はい、問題ないです」

「「「よかったぁ……」」」

 

 私の言葉に皆が安堵の溜息をつく。

 

「よかったね陽菜ちゃん!」

「うん!!ありがとう殺せんせー!」

 

 矢田と陽菜乃にいたっては手を取り合って喜ぶ始末。その様子に自分がどれだけ皆に心配を掛けていたのかを思い知り後悔と少しばかりの喜びを感じる。

 

 あれから無事に死神を倒し檻から脱出した私を待ち受けていたのは烏間先生の無言の圧力だった。

 

 何をされたのかを正直に言えばどうなるかなどわかりきっている。しかしごまかせばどうなるかは身をもって知っている。というか隣にいたカエデの威圧感が凄すぎてそんなこと考える余裕すらなかった。

 

 怪我した箇所を言うたびに烏間先生の顔が曇っていくのは正直に言って猛烈に怖かった。そしてそれ以上に怖かったのは皆の反応だった。左手が握れないと言った時の様子などもう二度と思い出したくもない。

 

「まったく、無謀にもほどがある……」

「う、すみません……」

「烏間、それくらいにしてあげてちょうだい。その子凄く頑張ってたのよ。それよりも……」

「ああ、既に医者の手配は済んでいる。20分もしないうちに到着するだろう」

 

 そんなことしなくてもと言おうと思ったが、口を開こうとした瞬間に烏間先生から強烈な圧力を感じ取り閉口する。わかっているはずなのに、つい昔の癖で強がろうとしてしまう。

 

「それにしても、あいつ俺達が戦った時はめっちゃ強かったのに、最後呆気なかったよな」

「平気なふりしてただけで実はふらふらだったんでしょ。あの臼井さんにボコボコにされて立ってるだけでも凄いけどね」

 

 カルマの奴、人が弱っているからって言いたい放題言ってくれるな……。まあ私も奴の耐久力には驚いてはいるが。

 

「臼井さん、もうあんなことしないでね。遠くから銃声が聞こえてる時、私達本当に心配したんだから」

「ほんとにな、一応臼井も女子なんだしもう少し自分の身体大事にしようぜ」

「ちょっと、前原!臼井さんに失礼でしょ!」

 

 いつものように言い合いを始める岡野と前原を見て私が再び日常に戻ってきたことを悟った。やっぱり撃ち合いなんて糞くらえだ。

 

「ねえ、殺せんせー」

「はい、なんでしょう茅野さん」

 

 隣にいたカエデが私の頭を撫でながら殺せんせーを見つめる。その目は殺意すら感じられるほど真剣だった。

 

「今度祥子がこんな目にあったら、先生のこと絶対に許さないから」

 

 傷だらけになった私に思うところがあるのか、珍しく顔を歪ませて怒る。殆ど自業自得だと思うのだが、こうなったカエデに何を言っても無意味だろう。

 

「…………この触手に誓って、もう二度とこのようなことはさせません」

「絶対だよ、破ったら許さないから」

 

 カエデが殺せんせーにどんな感情を抱いているのかはわからない。けれど、こうして演技ではなく本心で頼むということは心の中で何かが変わってきているのかもしれない。それがどのような結果を迎えるかはわからないが、きっと悪いことではないはずだ。

 

「さて、もう全部終わったんだし、こんな陰気なところからはとっとと出ましょ」

「思ったんだけどビッチ先生さっきから仕切りすぎだろ」

「仕方ないじゃない!最近出番少なかったし……」

「出番言うなし」

 

 まあ、捕まってしばらくの間行方不明だったからこれくらい元気な姿を見せてくれたほうがいいとは思う。それにしてもビッチ先生が捕まったのは三日前だから、その時からずっと死神を騙し続けていたのか……

 

「それはそうと、烏間!」

 

 私がビッチ先生のプロとしての能力に感心していると、急に烏間先生に向き直り、顔を赤らめそわそわし始めた。

 

「どうしたんだ」

「その……さっき言ってた、お、お前が必要って……」

「ああ、お前がいなくなってから他の殺し屋と面接したんだが、はっきり言って碌でもない奴ばかりだった。やはり俺のクラスにはお前が必要だと……どうしたイリーナ」

 

 烏間先生が言葉を紡いでいくたびにビッチ先生のテンションが急降下していった。鈍い私でもそれはどうかと思う。皆も同じような顔をしていた。

 

「はぁ、どうせそんなことだろうと思ったわよ……もう帰るわ、寒いのよここ」

「……待ってくれ」

 

 立ち去ろうとするビッチ先生の肩にジャケットが掛けられた。振り向くビッチ先生に一輪の花が差し出される。差出人は烏間先生だ。

 

「少し遅いが誕生日プレゼントだ。今までありがとう。これからもよろしく頼む」

「……もう、調子いいんだから……」

 

 口ではそう言うが顔はこれ以上ないってくらいに綻んでいた。思いがけないサプライズに皆が色めき立つ。殺せんせーなんかは興奮してメモを取りまくっていた。

 

「でも、あんたらしくていいわ……ねえ、烏間」

「なんだイリッ!?」

 

 烏間先生の顔にビッチ先生の顔が重なる。時間が止まる。

 

「住む世界とか、あんたがどう思っているのとか、そんなのもうどうでもいいわ。私あんたのこと諦めないから」

「…………そうか」

 

 顔を離し、頬を赤らめ唇に手を当てながらビッチ先生は足早に去っていった。逃げたって出口で合流しなきゃいけないと思うんだけどなあ。後に残されたのは未だに唖然とする皆と涙目の陽菜乃、そして烏間先生。

 

 正直言って展開が速すぎて何がなんだかわからない。だが一つだけわかることがある。変わらないものは何もない。きっとそういうことなのだ。

 

「これで、全部元通りか……」

 

 逃げていくビッチ先生と追いかけるように遅れて騒ぎ出す皆の背中を見て呟く。そんな中一人佇む渚の背中が目に入る。

 

「どうした渚?」

「……えっ?な、なんでもないよ!それよりも本当に大丈夫?」

 

 さっきからずっと上の空といった感じだ。本人はこう言っているがきっと何かあったのだろう。無理に聞き出すつもりはないが少し心配だ。

 

「そうだよ祥子!人よりもまず自分の心配!」

「わかってるって……でも渚、何かあったら言うんだぞ」

「…………うん」

 

 私に何ができるのかなんてわからない。けれど、私は私にできることをやるしかないのだ。銃ではなく拳を握りしめ改めて決意する。

 

「殺せんせー、これで、全部元通りですよね……」

「ええ、皆さんよく頑張りました……」

 

 先生はそう言っていつものように触手で私たちの頭を撫でた。その瞬間、何かが切れるのを感じた。

 

「そうか、それは……よかっ……た……」

 

 出血と怪我によって私の身体はとっくの昔に限界を超えていた。今までは意地で立っていたけど、もう限界だった。

 

「祥子ッ!!」

「臼井さん!」

 

 前のめりに崩れ落ちる。薄れゆく意識の中で感じたのはコンクリートではなく、何か黄色くて柔らかい、そしてどこか優しい無数の何かだった。

 

 皆の声が聞こえる。周りがどうなっているのか、自分に何が起きたのか、何一つわからない。だけど一つだけわかることがある。

 

 私は戻ってきたのだ。

 

 

 

 

 

 次の日、気絶した私が目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。それから先は大変だ。身体検査が終わったかと思えば烏間先生による事情聴取の体を取った説教から始まり、それが終わったと思ったら今度は見舞いに来たカエデ達による説教が始まった。

 

 入れ替わり立ち代わりにくる皆に何度も同じような説教をされるのは中々に骨が折れた。まさか奥田に怒られる日が来るとはな、私も悪いとは思うがもう少し手加減をしてほしい。最後に狭間が来たときには既に灰になっていた。

 

 それだけじゃない、泣きっ面に蜂と言わんばかりに地下施設に置いてきた大量の武器はVP9を除いて全て没収されてしまった。当然渋ったがあれ以上ごねると家にある武器まで没収されかねなかったので大人しく従うことにした。順調に私の武装解除が進んでいる気がしなくもないが、これは違うと思う。

 

 烏間先生は今回の事件に思うところがあるらしく、防衛省にある要望を提出したらしい。あまり詳しくは知らないが少なくとも営利目的の人質を使った暗殺はできなくなったそうだ。

 

「リボンよしっと……」

 

 そして迎えた次の日、私は校舎の前に立っていた。身体中ガーゼと包帯だらけだが医者が言うには一カ月もあれば治るらしい。と言っても私は元々傷の治りが速いので二週間もあれば顔の傷は消えるだろう。

 

「傷、残るだろうな……」

 

 しかし掌と手足の傷は如何ともしがたい。今更傷が増えたところでどうとも思わないが少しだけ憂鬱な気分になる。それはきっと私が自分のことを大事に思えているからなのだろう。

 

 だが以前のように消毒と止血だけして放置ではなく適切な治療をしているのでそこまで酷くはならないはずだ。掌の傷も死神のナイフがよく研がれていたお陰で思っていたよりも規模は小さかった。これだけは奴のプロ意識に感謝しておこうと思う。

 

「おはよ、祥子」

 

 振り返る。そこにはビッチ先生が立っていた。いつものように勝気な表情はそのままに、しかしどことなく雰囲気が変わっていた。

 

「ビッチ先生おはようございます」

「傷は平気?」

「ええ、平気なんですけど、しばらくは激しい運動は止められてしまいました」

 

 もう体力も回復したので別段戦闘に支障はないのだが、烏間先生が許さないだろう。当分の間は大人しく勉強に集中することにする。

 

「ま、いいんじゃないの?あんたいつも張り切りすぎだがら少しくらい休んだって罰は当たらないわよ」

「そうですかね?」

「そうよ、あんたはもうただの子供なんだから……」

 

 そうだったな……私はもうただの子供だった。無敵の傭兵がまさかこんな子供に成り下がるとはな。まあ、これでいいのだろう。

 

「あ、そうだ。あんた今日放課後暇?」

「別に何も用事はありませんが?」

「ならよかったわ。あんたの髪随分伸びてるし切ってあげようかと思ったんだけど」

 

 道具は持っているしねと先生は付け加える。確かに前にセットしてもらった髪型は既に伸びて崩れかけている。もう一人で店に行っても大丈夫だと思うが、ここは先生の厚意に甘えるとしよう。

 

「じゃあ、お願いしてもいいですか?」

「任せなさい!私が完璧に仕上げてあげるわ」

 

 何気ない会話で盛り上がる。私が待ち望んでいたものがここにはあった。思わず目から涙が零れそうになるが、すんでのところで堪える。今は泣く時間じゃない。

 

「……はい!」

 

 私にできる最大限の笑顔で答える。秋晴れの空、身体は寒くても心は暖かかった。そんな私の笑みに先生は優しく微笑んだ。

 

「じゃあ行きましょう。私達の学校に」

 

 そして歩き出す。さあ、今日も一日頑張ろう。この退屈だが素晴らしい日常を。




用語解説

あるわけねえだろこのイカ焼き野郎!

※お知らせ
活動報告でも言ったのですが、次回の番外編の投稿あたりで番外編を分けようと考えています。なのである日突然番外編がごっそり消えるかもしれませんが、削除したわけではないのでご安心を。
移行した際には目次にURLを張っておくのでよかったら読んでやって下さい。ネタも随時募集してるのでそちらもお待ちしてます。

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