「あはは、大変だったね」
「笑い事じゃないよまったく」
学園祭初日、裏山の頂上でビッチ先生とカエデから逃げ延びた私は、桃花と客引きの仕事をこなしながら談笑に興じていた。正確には談笑というよりも私の一方的な愚痴といったほうが正しいか。
「けど、私としては祥子ちゃんが女の子らしくなるのは賛成だなあ」
「君もか。お洒落はともかく喋り方まで指図されてはかなわん」
ビッチ先生やカエデは私をどうしたいのだろうか。あの二人の目標がわからない。
「今の話し方もかっこいいと思うけどちょっともったいなあって思う時もあるかも」
「もったいない、か」
「ビッチ先生が教えてくれたけど、話し方って凄い大事なんだよね。同じ意味でも言葉遣いで伝わり方とか全然違うでしょ?」
頷きながら相づちを打つ。確かにその通りだ。意味が同じだからと言ってスラング塗れの汚い言葉で話せば伝わることも伝わらないだろう。
「私たちは祥子ちゃんのことよく知ってるから何も思わないけど、知らない人が聞いたらちょっとびっくりすると思う。私も初めての時はびっくりしたしね」
「確かに一理あるな……むむむ」
第一印象は重要だ。傭兵として生きていた時はなるべく強そうな自分を演出していたのでよくわかる。陽菜乃やカエデ(演技だが)は第一声だけで害のない人間だとわかった。そう考えると確かに私の話し方は随分と硬い印象を与えるだろう。
「変えるとしたら君はどうすればいいと思う?」
「うーん、まずはその君って言うのを止めて名前呼びにするとか?祥子ちゃんって人と話す時だいたい君って呼ぶじゃん」
言われてみれば私が人を呼ぶときは基本的に君だ。名前で呼ぶこともあるが、大抵の場合は君呼びだ。これは別に呼ぶのが恥ずかしいとかではく単純に癖である。
「あまり意識していなかったが、不味かったか?」
「ううん、全然大丈夫だけど……。でも、ちょっと寂しいかなー」
考えてみればわかることだった。桃花からすればせっかく名前で呼び合うようになったのに、肝心の相手はたまにしか名前を呼ばない。寂しいと思うのも無理はない。
「ごめん、気付かなかった。次から意識してみるよ、ありがとう桃花」
「そうそう!今みたいな話し方!そういうのでいいんだよ」
「そうか、いっそのことビッチ先生みたいに話してみるのもありかもしれないな」
「それは……絶対にやめたほうがいいと思う」
桃花が珍しく全力で否定した。ノリで言ってみたが、想像したら悪寒が走った。柔らかい話し方はともかく、あの人の高飛車な話し方は致命的に似合わない。
「てめぇらおしゃべりすんのもいいけどちゃんと仕事しろよ」
私達が他愛のない雑談に華を咲かせていると、送迎係の寺坂が呆れた様子で割り込んできた。彼の後ろにいる荷台を牽引した自転車にまたがって待機している吉田も同じような表情だった。
「ごめんごめん」
「ま、今んところ客になりそうな奴らも見えねえし、休んでたっていいだろ」
「まばらには来てるんだがな」
もうすぐ正午になるが、今さっき三人ほど旧校舎に向かって行ったきりでそれきり人は来ていない。興味さえ持ってくれれば桃花の話術で客になってくれるのだが、現実はそう上手くいかないものである。
「一応本校舎にもポスター貼ってるんだけどねー。やっぱりわざわざ山を登ってまで来てくれる人は少ないよ」
「やることはやってるけどなあ、今回は浅野達のほうが上手だわ」
吉田の言葉に私は本校舎の体育館のある方角に目を向けた。喧騒の向こうに微かではあるが歌声が聞こえる。話によれば浅野率いるA組は、学園祭のためだけに企業とのスポンサー契約まで交わしたらしい。
それだけでも凄いのだが、それに加えてプロの芸能人やアイドルグループまで起用している始末。予算はどこのクラスも同じなのでどういった手管で呼んだかは知らないが恐らく殆どボランティアだろう。
「さっきちらっと覗いてみたけどマジで半端なかったぜ。普通あそこまでやるかよ」
「浅野もそれだけ本気ということだろう」
「私達、勝てるかなぁ」
レベルの違いを目の当たりにし吉田と桃花がその顔を少しだけ暗くさせた。中間テストで酷い負け方をしただけあって今回は皆俄然張り切っている。故に今回も負けると考えると憂鬱になるのも理解できた。だが──
「別に勝たなくてもいいだろ」
今まで黙っていた寺坂の唐突な発言に私達が目を丸くした。今までの努力を全否定するような言葉だ。私達が驚くのも無理はなかった。
「おいおい、まだ始まったばかりだろ。んな弱気なこと言うなよ」
「そーだよ!せっかくこれだけ頑張ったんだから勝つまで頑張ろうよ」
二人の言うことはもっともだ。あれだけ頑張ったのにいきなり弱気な発言をしてしまえば勝てるものも勝てないだろう。
「勝ちゃいいのか?そうやって焦ってどうなったか覚えてんだろが。あの時のジイさんの二の舞は御免だっつうの」
あの事故は慢心と焦りによる必然だったと言える。もうあんな間違いは起こさないだろうが、焦るのはよくないと彼は言いたいのだろう。
「どうせ期末テストであいつらとはやりあうんだから、あんま勝負とか考えねえで気楽にいこうぜ。最後の学園祭だろ?」
彼の言う通りかもしれない。確かに学園祭もここでは勝負の一つだが、皆とこうして一緒に何かをやれる日はもう残り僅かなのだ。
「あ?んだよ二人して」
万年テスト最下位の寺坂らしかぬ理知的な言葉に矢田と吉田は口をポカンと開けて呆気に取られていた。もしこの場において精神年齢を測れるとしたら、きっと彼が断トツで一位だろう。
「なんか、今日の寺坂君すっごい大人っぽいね。何かあったの?」
「だよな、頭打ったんじゃじゃねえの?」
「てめぇら殴るぞ……」
二人のあんまりな物言いに、いつものように怒りに拳を震わせる。この気の短さ、大人っぽいことを言ってもやっぱり寺坂は寺坂だった。そんないつものやり取りに私は思わず笑うのであった。
「というかずっと思ってたけど寺坂君なんで祥子ちゃんのこと見ようとしないの?」
唐突に桃花が投げつけた質問に寺坂の顔色がまたもや豹変した。本当に表情の豊かな人間だな彼は。
「はっ!い、意味不明なこと言ってんじゃねえぞ!」
思い返せば先ほどから頑なに私のほうを見ようとはしなかった。ただの気のせいだと思っていたがこの反応を見る限りどうやら図星のようだ。
「どうせあれだろ?メイド服の臼井に照れ──」
「なんか言ったか!?」
「な、なんでもねぇ……」
ニヤついた吉田に容赦なく寺坂のヘッドロックが襲い掛かる。さっきの発言でせっかく上がった寺坂の株が再び下がるのを感じた。
「思い出した。寺坂君メイドさん好きなんだっけ?祥子ちゃん、よかったら一緒に写真撮ってあげたら?」
「おい矢田テメェ、変なこと言ってんじゃねえぞ!つか、メイドが好きなんて一言も言ってねえだろが!」
「え、でもこの前竹林君と一緒に駅前のメイド喫茶に──」
「なんで知ってんだよ!!」
言い合い、というよりも寺坂が一方的に弄られているというべきか、客がいないことをいいことに脇目も振らず言葉が飛び交う。
「そーだ!せっかくだからみんなで写真撮ろうよ!」
ビッチ先生直伝ということもあってか、桃花は勢いとコミュニケーション能力で完全に場の主導権を握っていた。こういうのは確かに見習うべきかもしれない。
「一番背が高いから寺坂君が撮ってくれない?」
「……ったく、わーったよ。ほらスマホ貸せ」
自分で楽しもうといった手前、強く出れないのか、寺坂は渋々と言った様子で桃花の携帯電話を借りた。背の高い男子二人の前に並ぶように私達が位置につく。
桃花と腕を組み最近意味を知ったばかりのピースサインでポーズを取る。後ろの二人はどんな顔をしているのだろうか。まあ多分笑顔だろう。
「じゃあ撮るぞ」
撮影したことを告げる電子音が鳴り響く。暗殺や地球の危機、私達を取り巻く環境は複雑怪奇だ。だが今この瞬間、私達は間違いなくただの中学三年生だった。
「じゃあな、嬢ちゃん達。美味かったぞ」
「ばいばい祥子」
「じゃあねーあねごー」
私は満足そうに去っていく松方さんとわかばパークの皆に手を振った。まさかわかばパークの皆が来てくれるとは思っていなかった。
メイド服を着ていることに関しては怪訝な目で見られたが、松方さんは相変わらず元気そうだったしさくらも子供たちも皆楽しそうで何よりだった。また遊びにこないかと言われたので、時間がある時にでも行こうと思う。
聞くところによると渚が定期的にさくらに勉強を教えに言っているようなので、ついでに同行させてもらおう。
「今ので何人目だっけ?」
「松方さん達でちょうど100人目だな」
松方さんたちを数として見たくはないが、今のでけっこうな人数が入ってくれた。しかしそれでも本校舎に入っていく人数と比べるとかなり見劣りしてしまう。
「もうすぐお昼になるしその時に入ってくれるといいんだけどね」
「もうそんな時間か……」
桃花の言葉に胃が空腹を訴えていたことを思い出してしまった。一度意識してしまうと余計に腹が空いてくる。
「……お腹空いたなあ」
「そう言われると私もお腹空いてきちゃった」
ここからでも漂ってくる本校舎の屋台のソースや肉の匂いが余計にそれを煽る。できることなら是非とも本校舎を巡って食べ歩きと行きたいが仕事を投げ出すわけにもいかない。
「あ、今メグから連絡きたんだけど、交代するからお昼にしてだってさ」
「よし来た」
思わず手を叩く。正直言うとかなり限界だった。だが、これで心起きなく食事に専念できる。心なしか寺坂と吉田も嬉しそうだった。皆腹が減っていたということだろう。
「私は上に戻るけど、祥子ちゃんはどうする?」
「私は本校舎で食べてくるよ。何か買ってきてほしいものあるか?」
どんぐりつけ麺も捨てがたいが、ここはあえて他のものにしよう。普段ならE組の私が本校舎に行くと目立つが、今日に限っては問題あるまい。
「うーん、今は別にいいかな。そっちの二人は?」
「んじゃタコ焼きあったら買ってきてくんね?寺坂は?」
「俺は別にいいわ」
吉田の注文を頭に焼き付けつまだ見ぬ未知の味に期待に胸を膨らませながら本校舎に向けて力強く足を踏み出す。今日は秋晴れ、絶好の食事日和だ。
「あ、祥子ちゃん!」
「なんだ?」
桃花に呼び止められ振り返る。視界の先にいる桃花は何とも言い難い表情を浮かべていた。
「もしかしてその服で行くの?」
首を下に向ける。白と黒のコントラストが私の目に飛び込んだ。
「…………着替えてくる」
力なく頷く。なんとも締まらなかった。
「ここらへんでいいか」
男、女、老人、子供、様々な人間の織りなす喧騒の中で、私は長椅子に腰を下ろした。ここは本校舎中庭に作られた喫食スペース。ちょうど昼時ということもあってか生徒や来場者関係なしに人で溢れかえっていた。
「まったく、私は出前じゃないんだがな」
目の前のテーブルに置いた物の詰まったビニール袋に目をやりながら自嘲染みた溜息を零す。あれから着替えるために一度旧校舎に戻ったのだが、皆に本校舎に行くと告げると、じゃあと言わんばかりに様々な物を買うように頼まれた。
「これで全部か?あとでちゃんと金貰わないとな」
安請け合いした私にも責任はあるが、皆も遠慮がなさすぎである。これでは使い走りではないか。これを持ってまた山を登るのと考えると憂鬱になるが、代わりに休み時間は多めに取っていいと言われたので我慢するとしよう。
「まあ、そんなことはどうでもいいんだ」
逸る気持ちを抑え自分用のビニール袋からパック詰めされた品を手元に置いていく。タコ焼き、焼きそば、お好み焼き、焼き鳥、イカ焼き。ものの見事に炭水化物と肉ばかりである。カエデにもっと栄養のあるものを食べろと怒られそうな品揃えだ。
「駄目だ、もう限界だ」
耐えきれず目の前のタコ焼きに手を伸ばす。パックを開き同封されている楊枝で一つ目のタコ焼きを突き刺し口に運ぶ。
美味い、ただそうとしか言えなかった。焼き上げられたサクサクだがふわりとした舌触りの生地としっかりと存在感を感じさせるタコの確かな歯ごたえ。それをソース、マヨネーズ、青のり、鰹節が彩る。
「美味しいー!」
あまりの美味さに思わず子供のような言葉で騒いでしまう。渚が椚ヶ丘の学園祭は気合の入れかたが違うと言っていたがそれは本当だったようだ。花火大会の時に同じものを食べたがあれよりも美味しいかもしれない。
あっという間に六つあったタコ焼きを食べつくす。次は肉にしよう。そう思って焼き鳥のパックに手を伸ばしたその時だった。
「見覚えのある顔が見えたと思ったら、誰かと思えば臼井さんじゃないか」
「ん?」
凄まじい喧騒の中で、明確に私に向けて掛けられた声。思わず顔を上げ前を見る。そこには見覚えのある茶髪の男がその溢れ出る自尊心を隠すことなく立っていた。
「浅野か久しぶりだな」
パックを開き焼き鳥を頬張りながら彼の名前を呼ぶ。こうして会うのは一学期の始業式以来だ。
「こいつ、E組の……」
「もしかして浅野君、彼女と知り合いなのかい?」
そんな彼の後ろから四人の男子達が私を訝し気な目で見ていた。この連中、どこかで見た記憶があるんだが……駄目だ思い出せない。というかこの焼き鳥も美味しいな。
「覚えてないか君達、ここにいるのは一年の時、『僕を投げ飛ばした』臼井さんだよ」
投げ飛ばしたのところだけ強調するな。というかまだ根に持っていたのか。いや、あれに関しては完全に私の落ち度だから仕方ないか。
「あっ!?お前あの時の女かよ!」
海藻類を連想させる長髪の男が目を見開き私に指を突きつける。他の三人も思い出したと言わんばかりに目を見開き騒ぎ出す。一応食事中なんだがな。まあいい、気にしないで食べ続けよう。
「言われてみれば確かに面影が……」
「二年の頃にいきなり行方不明になってどうなったかと思ったが、まさかE組に行っていたとはね。変わりすぎて全く気が付かなかった」
焼き鳥を食べ終えお好み焼きに手を付ける。うん、これも美味しい。
彼等の口ぶりから察するに今目の前にいる五人はどうやら私の元クラスメイトのようだ。だが、浅野のことすら忘れていた私が他のクラスメイトなど覚えているわけがなく、当然のようにさっぱりだった。
「絡んでいる僕たちが言うことじゃないが、もう少し緊張感を持ったらどうだ。さっきから食べてばかりじゃないか」
一応敵対しているクラスのそれも男子の集団に囲まれたとあれば女としては緊張するものなのだろう。だが、仮に彼らが一斉に飛びかかってきても無傷で制圧できると確信している身からすればこの程度怖くもなんともなかった。
「絡んでいる自覚はあるんだな。まあ、こんなもの
あの時は死ぬかと思った(まあ何度も死にかけているが)。麻薬戦争で名を上げた特殊部隊仕込みの戦闘能力は伊達ではなく、子供相手でも一切の躊躇がなかった。運が悪ければ死んでいただろう。多分烏間先生でも苦戦するんじゃないだろうか。
「GAFE?メキシコ陸軍特殊作戦群の旧称のことか……ふざけてるのか?まあいい、それにしても本校舎で優雅に昼食とは、随分と舐められたものだな。そんなので本当に勝てるのか?」
あまりに荒唐無稽すぎて馬鹿にされていると思われたようだ。眉を吊り上げ私を睨みつけてくる。全部本当のことなんだがな。というかよく今の少ないワードでわかったな。天才という肩書は伊達じゃないということか。
「勿論負けるつもりはないさ。けどな、君達は来年もあるだろうが、私にとって椚ヶ丘の学園祭は今年で最後なんだよ。少しくらい楽しんだって罰は当たらないはずだ」
浅野の言い分にも一理ある。先ほどの言葉で怒るということは、それだけ彼が本気でこの勝負に臨んでいることの裏返しだ。自分は本気なのに向こうは端から諦めているよう(に見える)では怒りが湧くのも無理はない。
しかし、彼には彼の考えがあるように、私には私の考えがあるのだ。どちらが正しいということではない。そういう考えもある、ただそれだけのことである。
「覚えてはいないが、君達は私の元クラスメイトなのだろう?まだ時間はある。今日はA組だE組だ関係なしに話でもしないか?」
腕時計を指で叩きながら彼等に話を持ちかける。私の世界はまだまだ狭い。これを機に少しでも見識を広げるのはそう悪いことではないはずだ。
「……いいだろう」
怒っているわけでもなく、かと言って不満そうでもなく、浅野は淡々と私の提案を承諾した。以前は感じていた突き刺さるような本校舎の生徒の視線も、ここ最近では弱まっている。それはA組とて例外ではないということなのだろう。
「僕は昼食を買ってくる。四人は好きにしてくれて構わない」
彼はそれだけ言うと足早に去っていった。彼等に買いに行かせるという発想はないようだ。部下であっても使い走りではないということか。ある意味今の私とは対極に位置するな。
「それで、大将はああ言っていたが、君達はどうする?」
お好み焼きを食べ終え新たに焼きそばに手を付けながら私は去っていく浅野を見ていた四人に声をかけた。
「彼が残るなら僕たちも残ろう。君達もそれでいいだろう?」
側頭部を刈りあげた軽薄そうな男が残りの三人にそう言うと渋々と言った様子で私の周りに座り出した。
私も入れて五人ということもあり、四人掛けのテーブルはあっという間に埋まり残りは隣の座席に座った。軽薄そうな男が当然のように私の隣に座ったが、それは別にどうでもいい。
「それにしてもお前本当にあの臼井なのかよ。変わりすぎだろ」
「あの臼井がどの臼井を指しているのかは知らないが、元A組の臼井と言いたいのならそれで合っている」
私の返答に信じられないと言いたげに彼が頭を押える。この豹変振りには驚くしかないだろう。
「マジかよ、本当に覚えてねえのか?俺だよ瀬尾智也」
瀬尾と男は名乗った男はどうやら私と面識があるらしい。勿論私は覚えていないので首を振る。正確には顔だけなら見覚えがあるような気がしなくもないが、浅野すら度忘れしていた私の残念な頭ではこれが限界だった。
「キシシシ!まさか年中雑草みたいに頭ボサボサだった奴がこんなリボン付けておめかししてるなんてな!」
「そ、そうだな……」
そう言って海藻のような頭をした男が私を笑った。瀬尾が困惑しているあたり皆同じことを思っているのだろう。人間自分のことはよく見えていないと言うが、全くその通りだと思う。
「どうせ覚えてないだろうから自己紹介してやろう。俺は小山夏彦、隣にいるのが荒木でお前の横にいるのが榊原だ。その残念な頭に刻み付けておくんだな」
てっきり敵愾心剥き出しかと思っていたが、予想以上に反応が柔らかくて拍子抜けする。元クラスメイトだからだろうか。
「久しぶりだね臼井さん、まさか君がこんなダイヤモンドの原石のような子だったなんて、それに気が付かない僕はなんて愚かだったんだ」
隣に座った軽薄そうな男改め榊原が気障ったらしいポーズと共に意味不明な言葉で私をそう表現した。
「悪いがダイヤには良い思い出がないんだ。その表現は止めてくれ」
巷では永遠の愛なんて言われているが、私からすればあんなものは金と利権に塗れた薄汚い血塗れの石ころでしかない。奴らが埃まみれのダイヤ鉱山を勝ち取るためだけにどれだけの血を流したか。
「それは失礼、お嬢さん。お詫びも兼ねてよかったら放課後僕の家でお茶でもどうだい?」
自然な動作で私の手を取ろうとしてくるが、意味が分からないので振り払う。なんだこいつもしかして口説いているのか?流石にここまで露骨だと私でも気が付くぞ。
「おい連、女と見たら手当たり次第に口説くのは止めてくれないか。ましてや彼女はE組だぞ」
見かねた荒木が呆れたような口ぶりで止めに入る。どうやら日常的にやっている行為らしい。世も末だな。前原とは気が合いそうだ。
「美しいものを美しいと言う。それの何が罪だと言うんだい?」
「……その、なんだ……ありがとう?」
だがこう真正面から褒められると悪い気はしない。言動はあれだが悪意も感じられないしそう悪い人間でもなさそうだ。
「つうかお前二年の二学期から突然行方不明になりやがって。どこ行ってたんだよ」
「確かにそれは気になるね。あの時は自殺したんじゃないかって皆心配してたんだぞ」
心配という言葉に頭を鈍器で殴られたかのような衝撃に襲われる。動揺を悟られないように必死に表情を取り繕う。
「し、仕事の都合で海外に居たんだ……」
いつぞやの使い回しの台詞でごまかす。後は勝手に親の仕事の都合だと勘違いしてくれるだろう。まさか傭兵の仕事で砂まみれになっていたとは言えない。
「学校に連絡の一つも入れないとは、君の保護者は随分と無責任なんだな」
いつの間にか戻ってきた浅野が横槍を入れてきた。私の対面に座ると買ってきたと思われる惣菜のパックを彼等に配り出した。意外と律儀なんだな。
「悪いが君達は席を外してくれないか?二人で話がしたい。それは僕からの奢りだ」
夢見がちな女子なら今の言葉に勘違いするのかもしれないが、生憎と私はそんなお目出度い頭をしていなかった。
「わかった。また後で浅野君」
荒木がそう言うと四人は席から立ち上がり人混みの中へ消えていった。去り際に榊原が私にウィンクをしたが、それは別にどうでもいい。
「どうだった。久しぶりの元クラスメイトとの会話は」
「思っていたよりも、反応が優しくて驚いた……」
皆の口から散々E組への酷い差別を聞いていたので予想外だった。まさか心配しているとまで言われるとは。
「当たり前だ。君は成績不良でE組に落ちたわけじゃない。臼井さんが常に学年でトップクラスだったのは周知の事実だ。君は知らないだろうが、君のことを一目置いている生徒はそれなりにいたよ」
「そう、なのか……」
私の知らない私のことを伝えられ困惑する。おぼろげだった記憶が蘇っていく。部活動に誘われたこともあった。遊びに誘われたこともあった。決して無視されてはいなかった。だが私はそれを全て跳ね除けた。
「私が二年の時に行方不明になって、皆……し、心配していたのか?」
「当然だ。例え碌に会話すらしたことのない人間だとしても、一年間共に勉強してきた仲間が突然消えれば心配するのが人というものじゃないのか?」
「そ、そうか……そうなのか……」
私のことなんて誰も見ていないと思ったが、決してそんなことはなかったのだ。動揺する心を押えるように額に手を当てる。
「僕も君のことを探しはしたんだ。だが君はまるで初めからいなかったかのように消えてしまった。僕は別に心配などしていなかったが、将来手駒になるかもしれない優秀な人間が手元から消えるのは看過できない」
彼はお世辞でこんなことを言うような人間ではない。だとすれば今の言葉は正真正銘浅野の本心なのだろう。決して追いつけないと思っている人間からの称賛。嬉しくないと言えば嘘になる。
「何故そこまで私のことなんて気にしてくれたんだ?どうせいてもいなくても同じだっただろう?」
私の中で浅野という人間のイメージが音を立てて変わっていく。
「自分が有象無象だと思っているのならその認識を改めろ。この僕を投げ飛ばした人間なんて、世界広しと言えども君だけなんだぞ」
もしかしたら、私は私が気が付いていないだけで、ずっと前から独りぼっちなどではなかったのかもしれない。臼井祥子という人間はとっくの昔に認められていたのかもしれない。
「その……心配かけてすまなかった……」
「心配などしていないと言っただろう」
彼の言うことは事実だろう。だが、そうだとしても彼は兵士じゃない、ただの臼井祥子を認めてくれていたのだ。その事実が嬉しくて仕方がない。
「ただ、迷惑をかけたと思っているのなら、理由くらい話すのが筋じゃないか?どうせ仕事の都合というのは嘘なんだろう?」
「嘘ではない……」
「そうか、では誰の仕事の都合だ?」
「ッ!?」
思わず目を見開く。今まで誰にも見破られなかった嘘なのに、目の前の男は当然のように私の嘘に気付きかけている。
「な、なんのことだ?」
「……まあいい、あの時何をしていたのかは知らないが、今はしていないのであれば僕から言うことは何もない。精々クラスメイトの足を引っ張らないようにするんだな」
「嘘だろ?脅迫したり集ったりしないのか」
「そんな心底驚いたような目で見るな。僕をなんだと思っているんだ……」
今までやってきたことから考えてE組を出し抜く絶好のチャンスだと思うんだがな。彼の頭脳を使えばあることないこと吹き込んでE組の評判を落とすことなどわけないと思うのだがな。
「真っ当な手段で勝たなければ、僕は君達との戦いに勝ったと言えない。仮にそれで勝ったとしてもそれは僕の望む勝利ではない」
「何を言っているんだ?勝ちは勝ちだろ」
浅野の言葉に反射的に反応してしまう。だってそうじゃないか。何を使おうと何があろうと、勝ちは勝ちで負けは負け、それ以上でもそれ以下でもない。
「目的のためなら手段は選ぶな。確か君主論だったか?もし君が本当の意味で勝つことを望んでいるのなら、目の前にある手札はなんであろうと使うべきだ。戦いにズルも卑怯も存在しない。あるのは勝ち負けだけだ」
勿論これが詭弁だということは百も承知だ。戦場での命のやり取りと、学校での競い合いは全くベクトルが違う。だが本質的には同じようなものだろう。
「君も、父さんと同じ様なことを言うんだな。どうりであの人が気に入るわけだ……」
彼の目に嫌悪の色が混じる。理事長はあれからどうしているのだろうか。気になることは色々ある。だが今はそれを考える時ではない。この話には続きがあるからだ。確かに戦いにルールは無用だ。でも戦いは本当に勝ち負けだけなのだろうか。
「けどな、私はそうやって勝ち続けてきたが、その先には何もなかったぞ」
私は知っている。全てを犠牲にしたところでそれで得た物にはなんの価値もないことに。今になってやっと気が付くことができたが、失ったものは計り知れない。
「そうやって何もかも犠牲にして勝ったところで、ただ流れる血と痛みで虚しいだけだったんだよ……」
兵士の仕事が決して殺すことではないように、勝つということはあくまで目的を達成するための一手段でしかない。大事なのはどうやって勝つかではなくて、何故勝たなければいけないのかだ。
「だから私は君の言っていることは間違っていないと思うよ。あくまで私の見解だがな」
「……ふん、言われるまでもない」
浅野という人間は他者に自分の信念を委ねるような人間じゃない。私がここで何を言ったところで、私が何をしたところで、彼の信念が揺らぐことなど微塵もないだろう。だからこそA組は彼についていくのだ。
だからこそふと思った。この天才は自分の父をどう思っているのかを。
「君は父をどう思っているんだ?」
「化物」
たった二文字で自分の父親の全てを言い表すこの男に、私は少しだけ理事長のことを哀れに思った。
実の息子にこんな風にしか思われていない事実に。もしかすればそれすら計算の内なのかもしれない。だが、それはあまりにも悲しすぎやしないだろうか。
「そして僕が越えるべき壁だ」
どうやら今思ったことは全て私の勘違いだったようだ。普通の親子の絆とは違うのかもしれないが、二人は決して背を向け合っているわけではない。理事長がどう思っているかはわからないが、目の前の男は確実に理事長の背中を追っている。
私は少しだけ浅野ことが羨ましくなった。私の親はどんな人間だったのだろうな。優しかったのだろうか、厳しかったのだろうか、今となってはわからず仕舞いだ。
「少し話し過ぎた。君もいい加減向こうに戻れ。こんなところで僕と話しているよりも他にやるべきことが山ほどあるだろう」
言外に彼はこう言っているのだ。やるなら本気でやれと。譲られた勝ちなんて意味はないと。本当に人は変わるものだな。それは天才とて例外ではないということか。
「そうだな、君の言う通りだ。食べ終わったら行くとするよ」
「まだ食うのか……太るぞ」
「うるさい、美味しいから問題ないのだ」
「…………」
焼きそばを食べ始めた私を浅野がなんとも言えない目で見る。確かに食べ過ぎはよくない。そうだ、私はまだ手を付けていないイカ焼きのパックを彼に差し出す。
「それ、あげるよ。昼はまだなんだろう?少し冷めているがそれなりに並んでいたし美味しいはずだ」
「…………君は本当に変な奴だな」
それはもう言われ慣れた。まあいい、食べ終わったら私も戻るとしよう。何をするべきかな。焼き鳥用の鳥を狩るのもいいかもしれない。
「そうだ、体育祭の時に呼んだフランス人から君に伝言がある」
「カミーユのことか。無事なのか」
理事長にやられたと聞いたが、伝言が言えるということは大丈夫そうだ。
「知っているのか。なら心配はいらない、もう回復したそうだ。それで伝言だが、『今度日本に来たら観光案内でもしてくれ』だそうだ」
「そうか……ふ、連絡先も知らないのにどうやって会う気なんだ?」
まあ、元気そうで何よりだ。広がっていく。私の世界が、人から人へ、物から物へ、紡いだ縁が私の世界を明るく彩っていく。
「確かに伝えたぞ」
「ああ、ありがとう」
それだけ言うと彼は人混みの中に消えていった。まるで初めから誰もいなかったかのように私だけが取り残される。けれど、無くなったイカ焼きのパックが彼等がそこに存在したことを確かに証明していた。
焼きそばをもう一度頬張る。ソースの酸味と旨味が口の中に広がった。
「……流石に飽きてきた」
欲を張りすぎた。私はソースのこびりついた口でそう呟いた。
「何かやけににぎわっているな」
本校舎を後にし旧校舎に戻った私を待っていたのは大量の明らかに堅気ではない連中だった。尋常じゃない目つきの男に明らかにライフルが入っているだろうケースを持ち歩いた男、エトセトラ……。どうみても殺し屋だ。
「臼井さんお帰り」
忙しそうに給仕をしていた片岡が待ってましたと言わんばかりに私に駆け寄ってくる。私がいない間に何があったと言うんだ。
「頼まれていたものを買ってきた」
パックの詰まったビニール袋を彼女に差し出す。これでようやく重さから解放される。10キロ近くある軽機関銃に比べれば軽いがそれでも重い物は重い。
「ありがと、ごめん皆して色々頼んじゃって」
「それはいい、後で金は貰うからな。それよりもこの連中はなんだ?どうみても堅気じゃないんだが」
「それね……殺せんせーが呼んだんだって。どうせ殺せないからって」
「相変わらず平常運転だな」
私は旧校舎の屋根で何故か金色の魚の像に扮した殺せんせーに目を向けた。いつもどおり笑顔だが、あの顔は舐め腐っている時の顔だ。
殺そうにも一般人もいるのでおいそれと手が出せないようだ。まあここで銃を出そうとしたら殺せんせーと烏間先生が黙っていないだろうけど。
「それとね、今臼井さんに会いたいって言う人が来てるんだけど……」
私に会いたい?E組以外で私の知り合いなんて殆どゼロなんだが。そう思って片岡にくその人間について訊ねようとしたその時であった。
「おーい!祥子ちゃーん!」
突然名前呼ばれる。どこかで聞き覚えのある声だ。どこで聞いた声だろうか、記憶を辿っているうちに声の主は私達の許までやってきてしまった。
「うぉ!やっぱ祥子ちゃんだ!久しぶり覚えてるか?俺だよ」
「……ユウジか?」
思い出した。普久間島のホテルで少しだけ行動を共にしたユウジじゃないか。どうしてここがわかったのだろうか。
「あちゃー気付いたか……」
「どうしたんだ?片岡」
「ううん、なんでもない。臼井さん、後お願い」
「あ、おい!」
まるで片岡は逃げるかのように給仕に戻っていった。後に残されたのは私とニヤケ面のユウジ二人だけ。私一人で相手にしろということだろうか。
「嬉しいなぁ!俺のこと覚えててくれたのか!」
「いや、まああんなことがあったしな……というか何故ここが?」
私が至極当然の質問を口にすると、彼は島の宿泊者の名前を調べて椚ヶ丘学園の名前を発見したらしい。そしてネットで調べたら学園際のことを知ったことを教えてくれた。そんな簡単に客のプライバシーを露呈させていいのか疑問に思う。
「ま、こんな立ちっぱなしもあれだし座って話そうぜ。色々話したいことあるしさ」
「そ、そうか……」
すると彼は問答無用で私の手を引っ張り奥の席へと私を連れて行った。私は先ほどの榊原とは違う意味でぐいぐい来る彼にどうすればいいのかわからず乾いた返事を返すことしかできなかった。
「お、これも美味そう。写真撮っとこ」
彼の携帯電話のカメラがテーブルの上に置かれたモンブランを撮影する。カエデもよくお菓子の写真を送ってくるので知り合いにでも見せるつもりなのだろう。
別にこちらから願い出たわけではないが本当に色々な品を頼んでくれた。金持ちというのは伊達ではないらしい。
「それにしても、久しぶりだな。まさかまた会うことになるなんて思わなかったよ。あれからどうなんだ?薬は止めたか?」
「も、もうやってねえよ。というかそっちもどうなんだ?その……まだ危ないこととかしてるのか?」
先ほどの軽薄な表情は消え去り替わりにどこか心配そうな顔でこちらを伺ってくる。そう言えば彼には完全武装の姿を見られていた。
「祥子ちゃんも女の子なんだし、戦いとかそういうのは止めたほうがいいんじゃねえの……俺君が怪我したりしたらすげえ嫌なんだけど……」
純粋に心配してくれているようだ。何故一度しか会っていない私を気に掛けるのかはわからないが、この気持ちは素直に嬉しい。
「俺にできることがあったら言ってくれれば力になる。つっても金くらいしか取り柄ないけど……」
自嘲するように頬を掻く。彼の申し出は嬉しいが、既に私は兵士を辞めている。危ないことをやっていないとは言えないが、もう自分から火中に飛び込むようなことはしないだろう。
「それだがな、もう辞めたよ。私は向いていなかった。今は普通に中学生として生活している」
「そ、そっか、よかった……」
そうやって安堵の溜息を吐く彼の顔はいつか見た松方さんの顔と同じ表情だった。
「わからないな、何故そこまで私を気に掛ける。もし同情しているというのなら止めてくれ」
殺せんせーやカエデ達のお陰で随分と改善されたものの、未だに同情されることは苦手だ。よく知らない相手からの同情ならなおさらだ。
「確かに同情もあるけどさ、それだけじゃねえよ。祥子ちゃんは俺の……お、恩人だからさ」
「恩人?私が?」
意外すぎる返答だった。てっきり女だから、子供だからという同情で言っているとばかり思っていた。
「俺さ、祥子ちゃんに言われてから色々自分にできることやってみたんだよ。女の子が必死になって友達のために戦っているのに、男の俺が言い訳ばっかしていじけてるのってかっこ悪いしよ」
普久間島で見た彼はもっと卑屈な人間だった。だが今どうだ。軽薄そうな雰囲気はそのままだが、どこか自信のある顔つきになっているではないか。己惚れを承知で言うのなら、私は彼にとってのカエデのような存在なのかもしれない。
「でさ、そうやって色々やってたら親父すげぇ喜んでたんだ。あの年中威張り腐ってセクハラしてる糞親父がだぜ?そしたら卑屈になってた俺が馬鹿みたいに思えてさ」
自分の父を糞親父と言う彼の顔はどことなく嬉しそうだった。自分を生んだ存在に認められるのは、やはり嬉しいことなのだろう。ふと死神のことを思い出した。奴ももしかしたら誰かに求めてほしかったのかもしれない。
「どれもこれも全部祥子ちゃんのお陰なんだぜ?ほんと色々ありがとな」
「……私は君に文句を言っただけだ。感謝されるようなことはしていない」
あの時何を言ったのかはよく覚えていない。所詮私にとってはその程度の言葉だったのだ。切欠にこそなれど、彼が前に進めたのは自分の力に他ならない。
「でも、そうだな。とりあえずどういたしましてとだけ言っておこう」
けどそれが彼の善意を否定するという理由になりはしない。ここに来て色々と成長したと自覚しているが、きっと何よりもの成長は、善意を善意として受け取ることができるようになったことだ。と、私は何故か顔を赤くするユウジを見ながら改めてそんなことを思うのであった。
「じゃあ俺帰るわ。またどっかで遊ぼうぜ」
「そうだな、その時は皆も誘っていいか?」
「え?あ、うん、いいけど別に……うん……はぁ……」
私の言葉にユウジは何故か困惑気味に溜息を吐いた。あれから一時間程私達は他愛のない雑談に興じた。育った環境が対照的だったせいか、お互いに意外と馬が合った。時折目を逸らしたり妙にモジモジしているのを除けば私達は良好な関係を築けたと言っていい。
その際にロヴロや普久間島の殺し屋連中との邂逅があったりしたが、それはまた別の機会に語るとしよう。
「さ、祥子ちゃん最後に一ついいかな?お、俺のことぶっちゃけどう思ってる?」
「決まっているだろ大事な友人だ」
「そ、そっか……友達か……友達か……」
彼は大きな、それは大きな溜息を吐くと、私に背を向けてトボトボという擬音が付きそうな足取りで去っていった。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。連絡先を教えてくれたので、後で謝っておこうか。
「で、二人はいつまで私を見ているんだ?」
山道に消えていく彼のことを見送りながら後ろを振り返る。視界の先には憐れみを感じさせる瞳のカエデと陽菜乃が茂みの向こうからこちらを見ていた。
「祥子に変なことしないか見てたけど……うん……」
「さっちゃん……あれは普通に可哀想だよ……」
「……?」
何はともあれ一日目の学園際はこうして何事もなく幕を閉じた。裏山の上という悪条件にしては中々の売り上げだったが、やはりというかA組の売り上げには及ばなかった。明日に期待するとしよう。
ちなみに謝罪の件をカエデ達に相談したら全力で止められた。追い打ちをかけるなとのことである。そしてそれから何故か説教された。相変わらず理不尽だ。
それからの事の顛末を語るとしよう。結果として、まあ予想通りではあったが、私達はA組に敗北した。あることのお陰で売り上げはA組に迫る勢いだったものの、その健闘虚しく私たちはA組に負けたのだ。
「あーあ、負けちゃったねー」
学園際二日目、オレンジ色に染まった旧校舎で陽菜乃が笑いながら呟いた。まだ学園際終了を告げる放送は流れていない。しかし既に食材は底を突き、獲りに行こうとするのなら裏山の奥まで足を運ばなければならいなだろう。
ここまで売れたのは偏に昨日再会したユウジのお陰に他ならない。私はその手のことに関しては疎いが、どうやら彼は有名なグルメブログを運営していたらしく、E組のことが記事に乗っていたのだ。お陰で今日は一日中働く破目になった。彼なりの意趣返しという奴なのかもしれない。
私も皆もここまで来たならと全力でやるべきだと思い更なる食材の調達に赴こうとしたが、それは殺せんせーの鶴の一声によって止められた。先生曰く、これ以上は山の生態系が崩れる、だそうである。
「多くの縁に恵まれているか……」
客のいなくなったテーブルを布巾で掃除しながら、殺せんせーが今さっき言った言葉を頭の中で反復する。奇しくも前に言われた他ならぬ殺せんせーに言われた言葉と同じ意味を持つそれに笑みを浮かべる。
殺すという平穏とは程遠い存在が紡いだ奇妙な縁。私の半生も、この縁に巡り合う切欠となったように、無駄なことなど一つもないのだろう。いや、そうではない、紡いだ縁を有意義なものにするか、それとも無意味なものにするか、それは私達が決めていくことなのだろう。
そしてその縁に惹き寄せられた人物がまた一人、ここにやってくる。
「祥子ちゃん、だったわよね」
振り返る。いつぞやに出会った渚の母がそこには立っていた。憂いを帯びた、しかしどことなく吹っ切れたような様相で彼女は私、いやその奥にいる自分の息子のことを見ていた。
まだ彼はそのことに気が付いていない。呼びに行くべきだろう。その思って彼女にその旨を伝えると引き止められた。
「あの子、変わったわね。あんな風に笑うなんて、私知らなかったわ」
「変わってなんていませんよ。ただ少しだけ多くのものを見れるようになっただけです」
多分そういうことなのだろう。人の本質はそう簡単には変わりはしない。変わってしまたらそれはもうその人とは言えない。変わったように見えるのなら、それはきっと見方が変わっただけなのだ。
「行かないんですか?」
「見た感じ、もう片付け始めてるみたいだし、あの子に迷惑かけるのもいけないから、このまま帰ることにするわ」
まだ彼は気が付いていない。このまま私が何もしなければきっとこの人は帰ってしまうだろう。家に帰ればいくらでも話す機会はあるだろうからここで見送ったとしてもなんの問題もない。けれど、なんとなく嫌だった。
「ねぇ、今度あの子のこと教えてくれないかしら。知らない間に随分と遠くに行っちゃってもうわからないのよ……」
その目には確かな愛情が感じられた。やはりこのまま行かせるわけにはいかない。
「……申し訳ありませんが、それは私にはできません」
「どうして?」
「貴方以上に彼のことを知っている人間なんて、この世のどこにもいませんので」
私が彼と触れ合った時間など、精々半年と一月だ。生まれた瞬間から、今日に至るまで、嫌なことも辛いことも、嬉しいことも楽しいことも、付きっ切りで面倒を見てきた母親という存在に何をどう説明するというのか。
「……それもそうね……」
遠くで渚の母さんと呼ぶ声がする。彼もこちらに気が付いたようだ。その声に彼女は優しく微笑んだ。
「行ってくるわ。背中を押してくれてありがとう」
「別に何もしてませんよ。私は思ったことを言っただけです」
「ふふ、貴方ってなんだか不思議な子ね」
「不本意ですが、よく言われます」
「ねぇ、今度どこかでお話でもしましょ?祥子ちゃんとは、学校とかそういうの抜きに話がしてみたいわ」
その言葉に頷く。再度渚が彼女を呼ぶ。もう私も自分の仕事に戻ろう。売れた分、片付けも面倒だからな。私の出番はこれで終わりだろう。後は、二人の時間だ。でも、一つだけ言いたいことがあった。
「すいません、広海さん、一つだけ、頼みごとを聞いてくれませんか?」
歩き出す彼女に背を向け語り掛ける。お互いに顔は見えない。だから、仮に私が泣きそうな顔をしていたとしても、それはこの人の与り知らぬことだ。
「何、かしら」
「どうか、彼のことを見捨てないでください」
私には物心ついた時から親がいない。だから子にとって親がどれだけ大切な存在なのか、わからない。
でも、だからこそ親と子はお互いに愛し合うべきだと思っている。そんなものはただの幻想なのはわかっている。でもそう願わずにはいられなかった。
「当たり前じゃない。私はあの子の母親よ」
だが、いつだって、どこだって、母という存在は強いのだ。
テーブルを布巾で拭きながら、去りゆく渚の母の姿をぼんやりと眺める。あの後二人が何を話したのか、それはわからない。けれど渚の笑顔が全てを物語っていた。
「どうしたの祥子」
箒を持ったカエデがやってくる。その姿にはっとなりサボっていた手を動かす。
「いや……家族っていいものだなって……」
私には家族がいない。例え友達や恩人に恵まれたとしても、それだけは変わらない。祖父母が生きているというが、会ってない以上他人も同然だ。つまり私には本当の意味で家族と呼べる人間はいないのだ。
寂しいとは思わない、悲しいとも思わない、妬ましいとも思わない、ただそれが虚しかった。ただただ虚しかった。
「なぁ、私はカエデのことを……いや、なんでもない……」
家族と言いかけたとこで言葉を切る。きっと聞いたら私の望む言葉を彼女は答えてくれるだろう。だけど私には聞く勇気がなかった。
「……私は祥子のこと家族みたい……ううん、家族だって思ってるよ?」
まるで私の心を見透かしたかのように、カエデは優しく言葉を紡いだ。この世の全ての事象に意味なんて存在しない。ただそこにあるだけだ。私はそう信じている。
「祥子?なんで背中向けるの?おーい!」
けれど、例えそうだったとしても、ここで、この場所で、この人に出会ったことは決して無意味ではない、私はそう信じたい。
テーブルの上の水汚れを布巾で拭き取る。拭いても拭いても取れやしない。11月、私の生まれて初めての学園際はそんな水汚れと共に幕を閉じた。
卒業まで残り四ヶ月、終わりの日は近い。
用語解説
GAFE(Grupo Aeromóvil de Fuerzas Especiales)
メキシコ陸軍の保有する特殊部隊、正式名称は空挺特殊作戦群、現在は特殊作戦群に名称を変更している。フランスやアメリカやイスラエルによって訓練を施され麻薬戦争でも大活躍したが、ちょくちょく買収されたり、そもそも部隊の隊長がカルテルの創始者になったり碌なことがない。流石修羅の国。
美味しいから問題ない
???「えー?美味しいから大丈夫だよ~♪」
また別の機会に語るとしよう
あまりにもテンポが悪くなったのでロヴロ達殺し屋とのシーンは番外編に投稿します。よかったら見てやってください(露骨な誘導x2)