【完結】銃と私、あるいは触手と暗殺   作:クリス

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書いていて思うこと、気が付いたらこの作品も一周年が経ってしまいました。


六十三時間目 悪党の時間

 他人から見た自分の評価ほど当てにならないものはない。君はこうだから良い人だ。お前はこんなことをしているから悪人だ。

 

 そんな言葉はどこまで行っても表面を見てわかったつもりになっているだけのレッテル貼りでしかない。

 

 例え表面上は善行としていたとしても、中身は真っ黒かもしれないではないか。逆にどれだけ悪逆非道に見えても、実は聖人君子のような人格を持っているのかもしれない。

 

 だからどれほど目の前の人間が化物のように見えたとしても、それは自分の目で見た範囲の、そんな狭い世界の認識でしかない。

 

 言うなれば本当の意味で人の価値を決められるのは、その人自身しかいないのだ。

 

 そしてその観点から鑑みて私という人間を判断するのなら、やはり悪人の二文字が相応しいのだろう。

 

 私はどうしようもない悪人だ。どうもしようがないほどに悪人なのだ。

 

 

 

 

 

「ねぇ、臼井って自分のことどう思ってんの?」

 

 対面上に座った速水が唐突にペンを動かす手を止めてそう言った。教室に差し込んだオレンジ色の西日が速水の人形のような顔を照らす。

 

「いきなりどうしたんだ?」

 

 もうすぐテストということもあり、訓練もいつもと比べて緩くなったこの時期、私達はたまたま一緒に勉強していた。いつもならカエデ達が横にいるところだが、今日は偶然先に帰ってしまった。

 

「この前ビッチ先生が攫われた時にあんたが言ってた言葉を思い出してさ……」

「あまり思い出させないで欲しいんだけど……」

 

 あの時の醜態を思い出し自然と羞恥心が込み上げてくる。いくら精神が不安定になっていたとはいえクラス全員の前でまるで子供のように泣き喚いたのだ。恥ずかしいというレベルではない。

 

「ごめん、でも思い出したら頭から離れなくて。臼井って泣くとほんとに子供みたいだよね」

「うぅ……やめてくれ……」

 

 耐えきれずに頭を抱えて机に顔を埋める。ノートが額に張り付く。そんな姿が面白いのか、珍しく速水が声をあげて笑った。

 

「ごめん、言い過ぎた」

「いいよ、どうせ本当はまだ中二だよ……」

 

 拗ねたような口調で突き放す。カエデや陽菜乃がいたら頭を撫でてくれるのかもしれないが、生憎と目の前にはツンデレスナイパーしかいない。

 

「ほら、飴あげるから拗ねないでよ」

「ほんと!?」

 

 顔を上げて反射的に速水を見ると、彼女は顔を俯かせて肩を震わせていた。口を手で押さえ必死に何かを堪えているようだ。

 

「い、今の反応はずるいでしょ……」

 

 というか思い切り吹き出しそうになっていた。多分私の目は子供のようにキラキラと輝いていたのだろう。

 

「なっ……」

 

 顔に熱が集まっていく。やってしまった。こんなまるで小学生のようなリアクションを目の前で取られたらそれは誰だって笑いもするだろう。

 

「い、今のはなしだ!わ、忘れろ!」

「ごめん、無理」

 

 慌てふためく私に、ツボに入ったのか更に笑う速水。この忘れろ忘れないのやり取りはしびれを切らした速水が飴を私に差し出すまで、延々と続いたのであった。

 

 

 

 

 

「そもそもなんでいきなりあの時の話なんてしようと思ったんだ?」

 

 ただのとりとめのないやり取りにしては話が唐突というか脈絡がなさすぎた。何か理由があったのではないか、と私は飴を口の中で転がしながら考えた。苺味だった。

 

「別に、ただ思い出しただけ」

 

 先ほどの楽しそうな様子が嘘のように速水は浮かない表情をしていた。

 

「あの時の臼井言ってたよね。私は悪人だって」

「そんなこと言っていたか?」

 

 私の問に彼女が首を縦に振った。あの時は感情に任せて喚き散らしていたので何を言ったのか正確には覚えていなかった。だが、思い返せば確かにそんなことを言ったような気がする。

 

「まだ、自分のことが許せないの?」

 

 速水はそう簡単に人の懐に入ろうとはしない性格なのに、今日の彼女はいつになく積極的だった。夕陽を見ると私は心が揺れ動くが、速水もそうなのだろうか。

 

 真っすぐと私を見つめる翠眼から目を逸らし夕陽を眺める。外では杉野達が野球をしていた。もうすぐテストなのにお気楽なものだ。まあ追い詰められるよりよほど健全だろう。

 

「もし、自分には価値がないなんて思ってるならそんな考えは捨てて」

 

 横に逸れていた思考が速水のいつになく真剣な言葉で戻される。

 

「別にそういうわけじゃないさ……」

 

 自分のことが許せないとか、私は死ぬべきだ、なんて下らない考えはもう捨てた。私が傷つけば私以上に傷つく人間がいることを知っている。

 

「けどな、自分をなんの罪もない子供だと思って生きていけるほど、私は厚かましくなれないんだよ」

 

 仕方がなかった、そうするしかなかった。そうやっていつも心の中で言い訳してきた。だが皆に兵士の仮面を剥がされて子供になってしまった私には、もうそんな言い訳は許されない。

 

 飴玉を噛み潰す。

 

「盗みに殺しに暴力に……凡そ悪いと言われることはなんでもやってきた。そんな悪党が今更取って付けたように良いことをしたって、それは泥の中に水を一滴垂らすようなものだろ」

 

 自嘲するわけでもなく端的に思っていることを告げる。こんな骨の髄まで真っ黒な人間が厚かましくも幸せになろうと言うのだ、悪党という称号が相応しいだろう。

 

「……それは!しか──」

「仕方がなかったではすまされない。それが許されるラインなどとうの昔に飛び越えてしまっている」

 

 私は一生この罪を背負って行く。償うことはできない。ただ背負うことしかできない。だって償う相手はもうこの世にはいないのだから。

 

「それに、どんな理由があろうと人を殺す奴は悪党に決まってる。不破に借りた漫画に書いてあったぞ」

「……馬鹿」

 

 そう言ってどこか悲しそうに眉を吊り上げる。いったい今速水はどんなことを考えているのだろうか。それを考えると銃創だらけの心が痛むような気がした。

 

「だよね……」

 

 これではカルマに馬鹿呼ばわりされたって文句は言えない。私はいつだって頑固で愚かで、極めつけの馬鹿なのだ。

 

「自分でもそう思う。もっと単純に生きられたらなと思う時もある」

 

 何も考えずにあの時は辛かったで済ませられたのなら、どれほど楽だっただろうか。どれほど生きやすかっただろうか。

 

「……でもそれができないから私なんだろうな」

 

 けど、これが心を手に入れた代償なら、私は喜んでそれを受け入れる。だって昔はこうして悩むことすらできなかったのだから。

 

 甘ったるい唾を飲みこむ。何故か無性にコーヒーが飲みたくなった。

 

 

 

 

 

「君、最近随分と無茶をしたようだね」

 

 年季を感じさせる店内、年代物のテーブルの上に置かれたコーヒーの湯気の向こうから、その人はそう言った。

 

「なんのことですか?」

 

 相も変わらず全てを見透かすかのような瞳、口元は笑顔だと言うのに、その目は1ミリたりとも笑ってなどいない。

 

「左手の甲の刺し傷、以前会った時にはそんな傷はなかった」

 

 私は反射的に自分の左手を覆った。確かに左手には隠しようのない傷跡が残っているが、それでも殆ど肌色に近く弱い照明の店内でそれを見つけるのははっきり言って至難の業だ。

 

「君達の体育教師は詳しくは言ってくれなかったが、君の名前を出した時の反応を見れば大よそ察しはついたよ」

「それで生徒である私に事情を聞きたいと?」

 

 私の問に頷きながらコーヒーを啜る目の前の人間は、以前聞いた化物という評価のわりに、随分と人間臭かった。

 

「そもそも何故ここに貴方が居るのですか」

 

 理事長先生、と私は目の前でコーヒーを飲む人間に言った。いつぞやの焼き増しのようなシチュエーション。別になんということはない。

 

 あの後なんとなくコーヒーが飲みたくなり、以前理事長と入ったこの店を思い出し店に着いたところ、カウンターに理事長が座っていた。ただそれだけの話である。

 

「特別コーヒーが好きというわけでないが、ここのコーヒーはお気に入りでね。たまにこうして寄らせてもらっているんだよ」

「まあ、そう言うことにしておきます」

 

 この人の言葉は額面通りに受け取るべきではないだろう。理事長が嫌いというわけではないがやはりどうにも苦手だ。

 

「話を戻そう。その傷、恐らく他にも傷はあるのだろう?君ほどの強さの人間が傷を負わなければならない状況なんて限られている。つまりはそれほどの危機があったということだ」

 

 脳裏に普久間島や地下施設での戦いの光景が蘇る。彼の推測は正しい。どの戦いも一歩間違えば死んでいた。

 

「政府との契約上、暗殺については口出ししないことになっている。だがこうもうちの生徒が日常的に命の危険に晒されているというのなら、話は変わってくる」

 

 だから話してくれるね、と半ば決定事項のように告げる。一見なんの変哲もない言葉なのに、その実異様なまでの威圧感を感じる。意思の弱い人間なら一瞬の抵抗すらできないだろう。

 

「…………」

 

 睨み合いが続く。いや、向こうは睨んでなどいない。ただじっと何を考えているかわからない薄ら笑みを浮かべているだけだ。しかし私にはそれが悪魔の微笑みにしか見えなかった。

 

 どうしようかと考えあぐねていたその瞬間、理事長から感じた威圧感が霧散した。

 

「……実を言うとこれは殆ど建前のようなものでね。本当はただ臼井さんと話をしたかっただけなんだ」

「……は?」

 

 あまりにも唐突なカミングアウトに呆気にとられる私を見ながら、理事長は悪戯の成功した子供のような笑みを浮かべた。その姿に私は怒りではなく、この人もこんな顔ができるのだという、漠然とした感想しか抱けなかった。

 

「前に会った時とは随分と雰囲気が変わったね。最早別人と言ってもいいくらいだ」

「本当によく言われます」

 

 学園際で出会った殺し屋連中も同じようなことを言っていた。こんな短期間でこうも変わる人間はそうはいないだろう。それだけあの教室での出会いは私にとって劇的な体験だったのだ。

 

「前に君は戦うだけが日常ではないと言ったが……君の言う日常は、あそこで勉強できたのかい?」

「えぇ……言葉には出来ませんけど、多分そうだと思います」

 

 日常……生きることをあそこで知ったのだ。笑うこと、泣くこと、怒ること、後は美味しい食べ物。私の人生になかった全てをあそこで貰った。この恩は一生返すことはできないと思う。

 

「本当に、あそこでは色々なことを教えてもらいました……」

 

 左手を握る力が強くなる。

 

「助けを求めてもいいって教えてくれました」

 

 私がそう言った瞬間、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ理事長の目が見開いた。決して見間違いなどではない。

 

「助け、か……」

 

 テーブルの上に肘を突き、私の言葉を反復する。何を思っているのだろうか。何を、想っているのだろうか。

 

「誰かに助けを求めてもいい、手を伸ばしてもいい、泣いて叫んで助けてくれと言ってもいい、私は助けを求めていい、私は助かってもいい。やっと、やっとそう思うことができたんです」

 

 自分には助けられる価値などないと決めつけ初めから諦めていた。誰も私のことなど見ていないと思い込んでいた。けれどそれは間違いだった。この世界は私が思っているよりもずっと優しかった。

 

「前に先生は私のことを強いと言ってくれましたが、私は決して強くなんてないですよ」

 

 人を撃てる。人を殴れる。人を刺せる。人を殺せる。それはある意味では強さだったのだろう。でも気が付いてしまった。それは強さでもなんでもなく、ただ諦めていただけなのだと。

 

「心を塞ぎ、諦めて流されることは強さなんて言いません」

 

 所詮それはどこまで行っても諦観でしかないのだ。諦めてしまえば前には進まない。進めない。私がいつまで経っても進めなかったのは、きっと諦めてしまったからだ。

 

「今は違うと言いたげだね」

「えぇ、少なくとも泣き喚いてみっともなく助けを求めてしまうくらいには、今の私は普通の人間ですよ」

 

 暗に私はもう貴方の望むような人間ではないと告げる。

 

 誰かに頼ることが弱さなら、私は間違いなく弱くなったのだろう。何も感じないことが強さなら、私は間違いなく弱くなったのだろう。なら私は弱いままでいい。

 

「それは……それは違うよ臼井さん」

 

 私の言葉を遮るように理事長が言葉を紡ぐ。表情も態度も何も変わらないのに私は何故か理事長が必死に見えた。

 

「君の境遇を考えれば、普通に学校に通えている、ただそれだけのことでも奇跡と言っていいんだ」

 

 殺せんせーにも前に同じようなことを言われた。だが今の理事長の言葉には、それ以上の感情が込められているような気がした。何故なのかはわからない、でもこの人が強さに異常なまでの執念を抱いていることだけはわかった。

 

「僅か三年間の学校生活で自ら命を落としてしまう人間もいる。それを考えれば八年間、たった一人で周囲の悪意と戦い続けた君は間違いなく、誰がなんと言おうと強者なんだよ」

 

 この人がますますわからなくなる。人伝に聞く理事長の姿と、目の前にいるこんな優しい人が同じ人間だとはとてもじゃないが思えなかった。思えるわけがなかった。

 

「何故……何故貴方はそこまで私のことを気に掛けるのですか……?先生にとって私なんてただの落ちこぼれでしょう?」

 

 自惚れでも承知で言うのなら、私はこの人に明らかに特別扱いされている。この巨大な名門校の理事長が、E組ということを差し引いても、生徒個人にここまで親切にするだろうか。

 

「確かに君はE組にこそ在籍しているが、君は私の教育モデルの理想と言ってもいいくらいなんだ。ここだけの話、私は浅野君よりも君のことを評価している」

「なんの冗談ですか?」

 

 思わず聞き返す。浅野ならともかく、この私が理事長の理想などどんな悪夢だ。そそのかしているのかと思ったが、この顔を見る限り違うようだ。

 

「私が目指すのは絶対的な強者だ。確かに多くの点で君は浅野君に劣っている。これからも追いつくことはないだろう。だが、あれには臼井さんのように極限状況で生き残る強かさはない」

 

 そんなことはないと思うんだけどな。触れあった時間は短いが、彼は私なんかよりもずっと強い人間だった。私には、どう足掻いたところであそこまで自分を信じることはできない。

 

 私はこの人がわからない。何故強さに固執するのか、私は強くなったところで何も良いことなんてなかったのに。

 

「強くなければいけないんですか?何を犠牲にしてでも?」

 

 何もかも犠牲にして手に入れた強さ。その果てにあったのはどうしようもない虚無だった。

 

 強くなったところで何も良いことなんてなかった。本当は強くなんてなりたくなかった。

 

 だからわたしにはどうやってもこの人の言葉に頷くことはできない。でも──

 

「その通り、どう策を弄したところで弱者は駆逐される運命にある。それは君自身が一番よく理解しているはずだ」

 

 言い返せなかった。何よりも私自身がそれを理解しているからだ。この世界には私以上に悲惨な人間が山ほどいる。そんな彼ら、あるいは彼女らは私のように理不尽と戦うことができるのか?

 

「力がなければ何も手に入れることはできない。何も守ることはできない」

 

 恐らくは不可能だ。体力にも才能にも恵まれ敵を退ける権利を得た私と彼等とでは根本的に生き方が違う。力がなければ生きることさえ許されない。それはある意味ではこの世の真理なのだ。

 

「だから強くなれと?」

 

 理事長が頷く。この人は知っているのだろうか、強さの果てにあるものを、全てを犠牲にした強者の末路を。

 

「その先にあるのが地獄だったとしても?」

 

 何も求めず何も与えない。泣くこともなければ笑うことはおろか、怒ることすらないだろう。それはきっと、少なくとも本人にとっては幸せに違いない。だがそれを人はこう言うだろう。

 

 地獄だと。

 

「ならばその地獄も支配するのみだ」

 

 ただ自然に、さも当然のように言い切る。この人は本気だ。どこまでも本気なのだ。

 

 目の前の人間が変わっていく。鋭く、何を考えているかわからないが、どことなく優しさを感じる大人から、酷く冷たく恐ろしい怪物へ。

 

「これが最後の勧誘だ。臼井さん、A組に戻りたまえ。君はそちら側の住人ではないよ」

 

 確か椚ヶ丘のルールでは二学期の期末試験を最後に元のクラスへの編入はできなくなる。理事長にとっては文字通り最後のチャンスのつもりなのだろう。

 

「……申し訳ありませんが、そのお誘いを受けることはできません」

 

 いつか誘われた時よりも強く拒絶する。誰も寄せ付けない完璧な強さを持つ人間なんて、そんなものは人間とは呼ばない。そういうのはきっと化物と呼ぶのだ。

 

 そんな言葉は聞き飽きた。私は人間だ。化物なんかじゃない。

 

「だろうね」

 

 理事長も私がこう言うことはわかっていたのだろう。

 

「……理由を聞いても?」

 

 焼きまわし染みたやり取り。だが、見た目は同じだとしても、その意味はまるで異なる。あの時の私はまだ迷っていた。だけど今はもう違う。

 

「私は、一生分の人間を蹴落としました。大勢の人間を生きるためだけに殺してきた。それはある意味では間違ってはいないと思います」

 

 戦うことは決して間違ってはいない。殴られたら殴り返していいし、殺されそうになったら殺したって罪には問えないだろう。

 

「でもそうやって誰かを犠牲にするような生き方はもう辞めにしようって約束しました」

 

 綺麗事なのは私が一番わかっている。でも私は約束してしまった。嘘をついてばかりで約束なんて殆ど守れてない私だけど、この約束だけは破りたくない。

 

「取り返しのつかないことをしてしまったけど、それでも生まれてきてよかったって言えるような人生にしたい」

 

 まだ本当の意味でそう思うことはできないけれど、いつか必ず生んでくれてありがとうと言えるような人生にしたい。

 

「随分と綺麗事を言うようになったね」

「そうです。綺麗事ですよ。でも、それでいいじゃないですか」

 

 決して楽な道ではないだろう。そんな生き方をするには私は汚い現実を知りすぎている。でも少なくとも端から諦めて夢を笑うような生き方よりは余程楽しい生き方だろう。

 

「貴方の希望に添えなくて申し訳ありませんが、これが今の私です」

 

 私は別にこの人が嫌いじゃない。だけど、この人の生き方は嫌いだ。まるで昔の自分を見ているような、そんな嫌な気持ちにさせられる。同族嫌悪とは違うのかもしれないが、似たようなものを感じるのだろう。

 

「そうか、それは残念だ……。本当に残念だ」

 

 席を立つ。財布から五千円札を抜きテーブルの上にそっと置く。いつぞやの意趣返しと行こう。

 

「お先に失礼します。代金は多めに支払っておくので、何か好きなものでも頼んだらどうですか?」

 

 そうやってニヤリと笑うと理事長の眉が少しだけ動いた。なんだ、やはり人間らしいところもあるじゃないか。決して教師に抱いていい感想ではないが、私はそう思わずにはいられなかった。

 

 理事長の眼光が強まる。顔は笑っているのに、目は全く笑っていなかった。

 

「臼井さん、教師をからかうのは感心しないな。内申に響いても知らないよ?」

 

 紙幣を突き返される。多分冗談なんだろうけど、この人が言うと本気でやりそうで怖い。とっと帰るとしよう。おっかなびっくり紙幣を回収し背を向けて一歩踏み出す。

 

 次に会うのはいつになるのだろうか。できればあまり会いたくないな。

 

「臼井さん、最後に一つだけいいかい?」

 

 振り返らずに背中越しに理事長の言葉に耳を傾ける。

 

「なんですか?」

 

 しばらくの沈黙、やがて意を決したように理事長が口を開いた。

 

「死んでいった人間を、どう思う?」

 

 何故この人はこんなことを聞くのだろうか。だが聞いたところで答えてくれることはないだろう。改めて彼の問いに思いを巡らせる。

 

 今まで多くの人間が私の前で死んでいった。直接手にかけた者もいれば、敵に殺された者、あるいは事故で死んだもの、とにかく数え切れない死を見てきた。思うことはある。

 

 けれど……

 

「死人は死人です。ただそれだけですよ」

 

 何を思ったところで死人は物でしかない。怒りも、悲しみも、憎悪も、何一つ抱きはしない。断罪はない、代わりに贖罪も許されない。

 

「……ただ背負って行くだけです」

 

 歩き出す。返事は聞かない。何故か無性にカエデと話がしたくなった。帰ったら電話で飛び切り下らなくてそれでいて楽しい話でもしようか。私は肌寒い風に身震いしながらそう思った。

 

 きっと今日も悪夢を見るだろう。

 

 

 

 

 

「そう言えば祥子覚えてる?A組の担任変わったの」

 

 皆と帰宅している途中そろそ本校舎の敷地にさしかかろうとしているその場所で、カエデが唐突にそう言った。

 

「なんだそれは、初耳だ」

 

 一学期の中間テストの時に理事長が直接教鞭を取ったことは覚えているが、まさか担任にまでなるとは。それだけ今回の期末テストに本気というわけか。

 

「臼井その時爆睡してたもんな」

 

 淡々と事実を告げる千葉に私は曖昧に返事をした。多分悪夢でも見たのだろう。酷く眠りが浅く授業中こそ眠らなかったものの、最後のホームルームで耐えきれず眠ってしまった。

 

「起きたら皆が覚悟を決めたような顔になってたから一人だけ置いてきぼりにされた気分だったよ」

 

 殺せんせーが何か大事な話をしていたらしいが真相は夢の中だ。

 

「だって臼井さん揺すっても起きなかったじゃん。もう少し寝てたら顔に落書きでもしようかと思ってたのに」

「投げ飛ばされたいか」

 

 軽く睨みつける。カルマは紙パックの苺牛乳を飲みながら私の視線を軽く流した。彼だって色々成長しているはずなのにこう言うところだけは全く進歩していない。頭にたらいでも落ちればいいのに。

 

「臼井さんが居眠りってなんだか珍しいね」

「本当にそうだよ。一週間で四時間しか眠れなかったことがあるが、その時だって別段行動に支障はなかったのに」

 

 私の体験談に神崎が何とも言えない笑みを浮かべた。いつの時だったか忘れたが、あの時はしばらく目の下の隈が取れなかった。まああの時は薬物が抜けきってなかったはずなのでそれもあるのかもしれない。

 

「ちゃ、ちゃんと寝ようね?」

「神崎さんの言う通りだよ!ちゃんと寝ないと大きくなれないんだから」

「もう十分デカいだろ……」

 

 誰かがぼそりと呟いた。多分千葉あたりだと思う。その通りである。ただでさえ大きいのを気にしているのにこれ以上大きくなられても何も嬉しくない。

 

「でも居眠りできるくらいに安心してくれてるってことでいいんだよね?」

 

 少し前の私なら居眠りなんて恐ろしいことなどできなかった。自分でコントロールできない睡眠などナイフで足を刺してでも止めただろう。

 

「……そうかもな」

 

 照れ隠しにそっぽを向くと神崎とカエデは嬉しそうに笑った。まったく、ここはお人好しが多すぎる。

 

「まあ臼井さんの睡眠事情はさて置いてさ、理事長ってなんだか不思議な人よね」

 

 閑話休題。不破の言葉に私は昨日の理事長とのやり取りを思い出した。結局あの人は何がしたかったのだろうか。私に何を伝えたかったのだろうか。あの人なら私の目を見ればA組に戻らないことなどわかるはずなのに。

 

「なんでもできるのに、なんでもやらないっていうのかしら。その気になれば社長にだって政治家にだってなんだってなれるはずなのに、なんで普通に学校の先生やっているんだろうなって」

「……それってなんだか殺せんせーみたいだね」

 

 確かに、あの人も基本的になんでもできる。本人に聞けば知っていることしかできないと言いそうだが、少なくともあの人に質問をしてわからないと言われたことは一度もない。

 

 滲み出る風格は段違いだけど。どちらが上なのかは言うまでもない。

 

「できるからと言って、それをやりたいとは限らない。あの二人は単純にできることが極端に多いだけだろう」

 

 殺しの才能があろうが人を殺したいと思う人間は極僅かだろう。才能とやりたいことが重なることは幸運なことなのだ。そう考えると死神はある意味幸運な奴だったのかもしれない。あれはどうみても天職だった。

 

「ただまあ……そうだな、少なくともあの二人はやりたくて教師をやっているだろうさ」

「殺せんせーはなんとなくわかるけど……理事長も?」

 

 この中で理事長と直接顔を見て話したことのある人間は私を除いて一人もいない。カエデは転入生なので顔見せはしたかもしれないが、恐らく酷く事務的なやり取りだったはずだ。

 

「……別にただの勘だよ。でもそのほうが納得いかないか?」

「なるほど、確かにあれだけ万能だと好きでやってるって言われたほうがしっくりくるわね」

 

 仮に理事長が自分の利益を一番に考える人間ならまず教師などという面倒な仕事になど就かない。

 

 会社でも財団でも立ち上げて経済界を相手に好き勝手に暴れていただろう。あるいは政治家になり今頃は総理大臣にでもなっていたかもしれない。割と簡単に想像がつくから困る。

 

 だが現実は違う。理事長は己の全てのリソースをこの学園に注いでいる。あれだけの才能があれば恐らくは様々な組織から勧誘の声が掛かっているはずだ。その中には今のポジションよりも旨味のあるものだって少なくないだろう。

 

 それを断るということは、つまりはそういうことなのだ。

 

「でもさ、そうなるとなんで殺せんせーは先生に──」

「あれ?もしかして……」

 

 カエデが何かを見つけたかのように立ち止まる。目の前にある山道の入り口、更にその奥に彼は一人立っていた。

 

「浅野君だよね」

 

 どこか苦虫を噛み潰したような表情で浅野が、まるで私達を待つかのようにフェンスに背中を預けていた。噂をすれば影と言うが、まさか本人ではなくその息子が現れるなんてな。

 

「何の用だよ?」

 

 前原が不信感を隠さずに訊ねる。その問いに浅野はただ一言こう言った、依頼がある、と。その言葉にどれだけの思いが込められているのか、それは彼の顔を見れば一目瞭然だった。

 

 そのことに関しては驚きはすれど意外には思わなかった。どんな人間だろうと、例えそれが天才だったとしても、生きていれば人に頼るからだ。

 

「単刀直入に言う。君達に父さんを……あの怪物を殺してほしい」

 

 たが、こんな奇妙な父殺しを頼む人間は、後にも先にも彼だけだろう。

 

 

 

 

 

「臼井さん、今日はこれくらいにしましょう。わからないところがあったら電話で呼んでください。マッハで駆けつけますので」

 

 殺せんせーの言葉に従いノートと教科書を片づける。窓から見える空は夕暮れを通り越し夕闇にさしかかっていた。残ろうとしたわけではない。放課後まで続いたテスト勉強の帰り、偶然ノートを忘れしまい取りに戻った先で殺せんせーに鉢合わせした。

 

 それならばと、先ほどの勉強会でわからないところを聞いているうちに、気が付いたら勉強会をすることになっていたという、ただそれだけのことである。

 

「先生は私達がA組に勝てると思っていますか?」

 

 先日浅野から依頼された父殺し。それはテストでA組を差し置いて私達が上位を独占することであった。そうすることで自分の父である理事長の教育方針を打倒することができるのだと彼は言っていた。

 

「勿論です。堂々と勝って堂々と卒業しましょう」

「……そうですね」

 

 たまにどうしようもなくこの人の信頼が眩しくなる時がある。何故この人はここまで私達を、私を信じてくれるのだろうか。この人に私はいったい何を見せたというんだ。

 

「何故、理事長はあそこまで強さに拘るんでしょうか」

 

 浅野が告白したA組の現状は、それはそれは酷いものだった。理事長の巧みな心理掌握術で生徒のE組への憎悪を徹底的に増幅させそれを糧に限界を超えさせる。

 

 浅野はそれが大嫌いでたまらないから、嫌いな私達にぶち壊してくれと、あのプライドの塊のような男が頭を下げてお願いしたのだ。

 

 浅野の証言は、本校舎を横切る際に飛んでくる異常なまでの殺気が証明していた。言葉一つでああなったのだという。最早それは話術というよりも魔術ではないか。

 

 理事長は地獄すら支配すると言っていたが、あれがそうなのだろうか。あんなのが強さの果てならば私は強くなくていい。

 

「私、二回あの人にA組に戻らないかと誘われたんですよ。夏と秋に」

「にゅや!そ、そそ、そんなことがあったんですか!?言いませんよね!今更戻るなんて言いませんよね!?」

 

 動揺しすぎだろ。さっきは私のことを信じてくれていると思ったが撤回だ。殺せんせーは理事長の勧誘が余程衝撃的だったのか、顔を青くさせぶるぶると、それはもう残像が出るレベルで震え出した。

 

「顔ですか!やっぱり顔がいけないんですか!?」

「いや、絶対戻りませんから。戻らないから気持ち悪いんで音速で震えるの止めてください」

 

 私の言葉に先生がやっとバイブレーションを止めた。いつも思うけどなんでこんなに小心者なんだろうか。まあいいや、今に始まったことじゃないし。

 

「その時理事長先生は言ってました。君は私の求める理想の強者だって……」

 

 その気になれば人一人簡単に殴り殺せる膂力、銃で撃たれても骨が身体から飛び出しても顔色一つ変えないで戦える精神力。正に化物だ。この強さを手に入れるためにいったいどれだけのものを犠牲にしてきた。いったい何人殺してきた。

 

「強くなったところで、良いことなんて何一つありませんでしたよ……」

 

 そこまで言って一度考え直す。本当にそうだろうか。少なくとも一つは良いことがあったはずだ。諦めて死んでいたら絶対にここには来れなかったはずだ。

 

「すいません、訂正します。一つだけ良いことはありました」

 

 口に出さなくても言いたいことはわかるだろう。その証拠に柔らかい触手が私の頭を優しく撫でた。

 

「でも、理事長の言うこともわかるんですよ。強くなければ食い物にされてしまうのは当然だ。逃げるにしたって速さという強さがなければ逃げることすら許されない」

「そうですねぇ……」

 

 間違ってないとわかってしまうからこそ悩んでしまう。否定できるほど清廉な人生を送っていない。私のこれまでの人生は間違いなく理事長の言う強さの体現だったのだから。

 

「臼井さんの言う通りです。彼は正しい。正しすぎるくらいに正しい……。臼井さん、人が何故何かを教えようと思うかわかりますか?」

「導きたいからですか?」

「それも理由の一つです。細かな理由は人それぞれですが、本質的な理由は大きく分けて二つしかないんですよ」

 

 そう言って殺せんせーは触手を二本突き立てた。

 

「一つは自分の成功を伝えたい時、そしてもう一つは自分の失敗を伝えたい時。臼井さんは進路相談の時に教師を選びましたが、それはいったいどうしてですか?」

 

 私が先生になりたいと思った理由。決して渚に言われただけが理由じゃない。切っ掛けにこそなりはすれど、決してそれだけじゃない。

 

「……私が先生や皆に助けてもらったように、私も誰かに独りじゃないって言ってあげたいんです。でも先生の言葉を借りるのなら、きっと私みたいになってほしくないだけなんでしょうね……」

 

 私のように諦めてほしくない。価値がないと決めつけて自分を蔑ろにしてほしくない。悪党が人に教える権利があるのかわからないけど、悪党だからこそ教えられることもあるはずだ。

 

「浅野先生もきっと君と同じですよ。如何に怪物染みていても彼だって君達と同じ一人の人間なんですから」

 

 同じ人間か……。確かにその通りだな。私はあの人を特別視しすぎていて見誤っていたようだ。もし殺せんせーの言う通り、理事長が間違えた人間ならばあの発言も理解できる。痛いほど理解できた。

 

 きっと、あの人も何か大事なものを失ってしまったのだろう。

 

 答えは決まった。もう悩む時間は終わりだ。後は行動あるのみ。

 

「もう帰ります」

「よかったら送っていきましょうか?マッハですけど」

「え、遠慮しておきます……」

 

 フラッシュライトは持ち歩いているので夜の山道も特に危険はない。そもそも夜目が効くのでライトすらいらないだろう。まあ気を付けるには越したことはないがな。

 

「私達絶対勝ちますよ。だから先生は信じて待っててください」

 

 立ち上がり教室の扉に手を掛ける。テストまで残り時間も少なくなってきた。時間を無駄にするわけにはいかない。何を犠牲にしてでも勝つ必要はないけど、今回は絶対に負けちゃいけない勝負だと思う。

 

 確かに理事長は間違っていない。けれど、私はあの人のやり方が気に入らない。戦う理由はそれで十分だ。

 

「あ、臼井さん。一つ言い忘れていたことがあります」

「なんですか?」

「このクラスで一番の悪党は先生ですよ」

 

 何気なく告げられた言葉に身体が硬直した。いつか速水と交わしたやり取りを思い出す。もしかして聞いていたのだろうか。それとも速水が告げたのだろうか。

 

「ヌルフフフ……君のやってきたことなど世紀の大悪党の先生に比べれば塵もいいところです!なんせ地球を滅ぼしますからねぇ!」

 

 どう言い返せばいいのかわからない。ふざけるなと怒ればいいのか。何も知らない癖にと罵ればいいのか。頭の中で言葉がぐちゃぐちゃになる。

 

「…………ま、また明日……」

 

 言いたいことは山ほどあったはずなのに、辛うじて喉から絞り出した言葉はたったのそれだけだった。立ち去る。背後で殺せんせーのベタな悪役のような笑い声がいつまでも廊下に響いていた。

 

 もうすぐ冬がやってくる。これが学生としての私の最後の戦いになるのだろう。

 




Q.用語解説は?

A.ないんだなこれが(二回目)

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