【完結】銃と私、あるいは触手と暗殺   作:クリス

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書いていて思うこと、そろそろGLタグを入れるべきかと悩む今日この頃。でも恋愛じゃないしなあ。


六十五時間目 覚悟の時間

「言ったでしょ?銃も悪い奴も一人でどうにかできるって」

 

 そう言って笑いながら触手を見せつけるカエデ……いや、雪村あかりを見て、私は静かに涙を流した。

 

 12月の出来事だった。

 

 

 

 

 

 11月、殺せんせーと理事長の確執に一応の決着がついた日、冬の寒空の下で私は白い影に出会った。

 

「なんの用だ……」

 

 全神経を集中させ目の前の男の一挙手一投足に注意する。どこから何が来てもすぐに対応できるように身構える。

 

「下着泥棒は廃業したのか?」

 

 皮肉と共に睨みつける。乾いた空気が瞳を乾かす。常人なら後ずさりするような殺気を前にしても男は何処吹く風といった様子だ。

 

「怖い怖い、流石は本職って言ったところか」

 

 そう言ってシロはやれやれと肩を竦めた。イトナに触手を植え付けた男、殺せんせーの正体に関係のある男、そして私の一番嫌いな男。

 

「君のことは粗方調べた。その歳でその身体能力……正に化物だ」

 

 ある程度裏に通じていれば私のことを調べることなどそう難しいことではない。あれだけ邪魔されたのだ。私のことを知ろうとするのは当然だろう。

 

「……とっとと要件を言え」

 

 バックパックを降ろし身軽になる。こいつの言葉は一言たりとも信用してはならないからだ。素顔すらわからない頭巾の中から紫の怪しい瞳が私を睨みつける。

 

「せっかちだねぇ……近々協力するかもしれないから、挨拶をと思ってね」

「協力だと……」

 

 こいつが私に?自分で言うのもなんだが、こいつにはかなり嫌われているはずだ。一度目はプールで奴の計画を滅茶苦茶に、二度目は頭に回し蹴りを叩きこんだ。

 

 これで好きになる人間がいたらそいつはただの馬鹿だ。でも、そういうことではないのだろう。

 

「知っているよ。あの怪物と随分仲がいいそうじゃないか」

「……怪物?」

 

 聞き覚えのない単語に一瞬呆気にとられる。仲がいいか。私はあかりのことを思い浮かべた。怪物はあかりだとでも言いたいのか……

 

「なんだ、もしかして知らないで付き合っていたのか。これは傑作だ」

 

 奴は何が面白いのか、クスクスと笑った。どこまでも不愉快な男だ。だが、奴の言葉が耳から離れない。戯言と流すには私には思い当たる節がありすぎた。

 

「怪物と化物……随分とまあお似合いじゃないか」

 

 どうやら怪物はあかりで確定のようだ。殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、こんなことで事を荒立てるのは愚か者のやることだ。

 

「……雪村あかり」

「ッ!」

 

 奴が呟いた名前に私は驚愕した。あかり、私の友達で家族のように大事に思っている人の本当の名前も同じくあかりだった。偶然などではないだろう……

 

「知っているのか、あかりのことを……」

「知っているさ、知っているとも」

 

 その小馬鹿にしたような態度に思わず舌打ちする。ここは静まり返った住宅街、向こうにも当然聞こえているだろうが知ったことか。

 

「……これだから育ちの悪いガキは嫌いなんだ」

「悪かったな、躾けてくれるような人がいなかったんだ」

 

 前に会った時のような掴みどころのない態度を一変させ私に対する侮蔑を隠そうともしない。恐らくこれがこいつの本性なのだろう。

 

「まあいい、既に準備は始まっている。もし協力するのなら必要な物は用意してやる。本当はお前みたいなクソガキに手なんて貸したくないが、これはこれで面白い」

「さっきからなんの話だ!」

 

 話が全く見えてこない。明らかにお互いに前提が食い違っている。準備、必要な物?だからいったい何を話しているんだ。

 

「……本当に何も知らないんだな」

 

 心底呆れたような態度に私は我慢の限界に達した。

 

「教えろ!あかりとお前になんの関係があるんだ!」

 

 もし彼女に手を出すつもりなら容赦しない。殺傷武器は持ってないがいくらでもやりようはある。足を肩幅に開き身構える。

 

「嫌だね、少しは自分で考えてみろよ無能が。いつまで見ないふりするつもりだ?」

「……ッ!」

 

 頭巾越しにでもわかる軽蔑、そして暴言を叩きつけられて硬直する。いや、暴言を吐かれたことはどうでもいい。

 

 “いつまでも見ないふりをするな”シロの言葉が重く圧し掛かる。

 

「じゃあまた会おう、傭兵さん?」

 

 シロは影の中に消えていった。追いかける気にもならない。頭の中で奴の言葉がいつまでも反響し続けていた。

 

 

 

 

 

「やっぱこたついいなー」

「あぁ、温かいな……」

 

 シロとの邂逅があった日から数日後、私は久しぶりにカエデを家に呼んだ。つい最近届いたばかりのこたつに包まり二人でその温かさを堪能する。

 

「蜜柑もあるぞ」

「二つちょうだい」

 

 こたつから抜け出し台所行く。寒い、早く戻りたいから袋ごとでいいか。

 

「持ってきたよ」

「ありがと」

 

 蜜柑を手に取りもそもそと食べ始める。今日のカエデはいつになくだらけきっていた。

 

「あ、これ甘い」

「あぁ、確かに美味しいな」

 

 初めは薄皮付のまま食べることに少しだけ抵抗があったが、すぐにその手軽さと優しい味の虜になってしまい、今では家に常備するほどになった。

 

 結構な量を買っているはずなのに皆にあげたり自分で食べたりするせいですぐになくなってしまう。今度は箱ごと買うのもいいかもしれないな。

 

「買い置きのプリンがあるからそれも食──」

「プリン!?」

 

 返事を聞く必要はなさそうだ。本当にカエデはプリンが好きだなあ。

 

「じゃあ、紅茶でも淹れよう」

「……なんか祥子の家がどんどん快適になってる気がする……」

 

 すっかり所帯染みた部屋を見回してカエデが呟く。一応これでもまだ銃火器の備蓄はあるのだが、一見するとどこにでもある一般家庭のダイニングにしか見えなかった。

 

「もうすぐ石油ストーブも届くからもっと快適になるんじゃない?」

 

 カセットコンロを買って鍋をやるのもいいかもしれない。日本の冬は長い、ちゃんと準備しないと一年生の時のように寒い思いをしなければならない。

 

「いいなー、私も祥子の家に住みたーい!私の部屋寒いんだもん」

 

 こたつ台の上で腕をバタバタさせ自らの住宅問題について抗議する。そんな微笑ましい姿に私は思わず笑ってしまった。

 

「あ、笑った!祥子だってあそこで暮らしてみればいいじゃない!絶対そんなふうに笑えなくなるんだから」

 

 前に行った時は夏だから大丈夫だったが冬はそうでもないのだろう。確かにあの部屋のだと大きな暖房器具を置くスペースもなさそうだ。

 

「ごめんごめん、そんなに嫌ならいっそのことルームシェアでもするか?どうせ一部屋余ってるし」

 

 私は割と本気でそう言った。そもそも一人で住むには持て余し気味だったのだ。一人くらい増えたところで何も問題はない。他の人ならここまで言わないが、カエデは特別だ。

 

「え?いいの?」

「勿論家事は手伝ってもらうぞ」

「それはいいけど、そういうのじゃなくてさ」

 

 ここまでしてもらっていいのかと言いたいのだろう。別に純粋な親切心で言っているわけじゃない。

 

「大層な理由なんてない」

 

 背も性格も趣味もまるで似ていない私達だが、唯一似ている点がある。二人とも孤独だったということだ。

 

 私達に家族はいない。これから先も一人で生きていかなければならない。

 

「私はもう独りじゃない、それはわかっている。でもさ……」

 

 本当の意味で孤独ではない。だがどれだけ仲の良い親友が居たとしても家に帰ればまた独りになってしまう。

 

 それだけはどれだけ足掻いても変えることはできないのだ。

 

「家に帰っても誰もいないって、やっぱり寂しいんだよね……わかるだろ?」

「……うん、わかるよ」

 

 そんな同じような境遇を持つ者どうし寄り添って生きていく。それはそう悪いことではないはずだ。

 

「まあ、頭の片隅にでも入れといてくれ。と言ってもまずは片付けないと駄目だけど」

 

 私は自室のドアの隣にある巨大なダイヤル錠が取り付けられたドアを見て溜息を吐いた。あそこを片づけるには骨が折れそうだ。

 

「散らかってるなら一緒に掃除しよっか?」

「いや、それはいい……」

 

 首を横に振る。こればかりは人の手を借りるわけにはいかない。見せたくないというのもあるし、何よりも危険だからだ。

 

「今のところあの部屋は武器庫になってる……」

「……そうなんだ……」

 

 私の言葉にカエデはどこか悲しそうに目を伏せた。そう、今現在あの部屋は私の武器庫と化している。

 

 一見ただの何もない部屋だが各種銃火器及び弾薬、挙句の果てには爆薬まで隠してある始末。

 

 銃火器は弾を抜いているから百歩譲って問題ないが、爆薬類はそうもいかない。

 

「持ち出すたびに没収されて大分減ったがそれでもまだあるんだ。爆薬もある、不用意に触らせるわけにはいかない」

 

 数は確かに減った。もう増やす予定もない。だが決してゼロではない。確かに私は人殺しの武器を大量に持っている。

 

 いつか必ず捨てると約束した。だが、その約束は当分果たせそうにない。

 

「そっか……」

「ごめん……」

 

 カエデは私が武器を持つことに良い感情を持っていない。銃やナイフの話をすると決まって表情を曇らせる。

 

 その優しさに嬉しく思うの同時にこんな顔をさせてしまっている自分がもどかしく思う。

 

「いいよ、謝らなくても……でも、暗殺が終わったらちゃんと全部捨ててね」

「あぁ、そうだな」

 

 お互いに黙りこくって二つ目の蜜柑に同時に手を付ける。お茶が欲しいところだな。でも動きたくない。

 

「もうすぐ1年なんだ……」

「本当に色々なことがあったよなあ」

 

 もうすぐ本格的な冬がやってくる。まだ少し先だが、冬休みがやってきたらまた大規模な暗殺計画が始まるだろう。既にざっとではあるが雪山での暗殺計画を練っている途中だ。

 

「冬休みは趣向を変えた暗殺をやってみたいものだ」

「へぇ、例えば?」

「そうだな、エアボーンとか悪くないかもしれない」

 

 一人だけでは遅すぎて殺せんせーには通用しないだろうが、地上班と協力して数を揃えて降下すればいけるかもしれない。

 

「エアボーン?」

「スカイダイビングのことだ。烏間先生も自衛隊ではパラシュート部隊だったと聞いているぞ」

 

 どこの国でも空挺部隊はエリート兵科だ。あれだけ強いのなら空挺部隊でもさぞ優秀だったのだろう。

 

「も、もしかして祥子できるの?」

「ああ、と言ってもやったのは五回だけだ」

 

 カエデが口に手を当てて驚いた。

 

 初めて空を飛んだのは11歳の時だったか。敵部隊の偵察のために高度3000mから自由落下する羽目になった。

 

 墜落するヘリから降下したこともあったな。我ながらとんでもない無茶だ。

 

「五回でも十分すぎでしょ!」

「意外と怖くないぞ。今度一緒にやってみるか?」

「絶対やだ!」

 

 ぶんぶん首を振る、嫌らしい。絶対楽しいと思うのに。多分遊園地のジェットコースターなんかよりもよほどスリリングで面白いはずだ。

 

「祥子最近になってやっと女の子らしくなってきたけど、やっぱり趣味は男の子みたいだよね」

「仕方ないだろ。同年代と触れ合うことなんて滅多になかったんだから」

 

 周囲の環境によって人は作られる。仮に幼少期から同年代の女子と触れ合っていればもっと女らしくなっただろうが、生憎と記憶にはむさ苦しい男どもしかいない。

 

「でもまあ、本当に一年で色々なことがあったなあ」

「うん、そうだね……」

 

 楽しいこともあったし辛いこともあった。何度も笑って何度も泣いた。苦しいだけだった今までの人生に比べれば雲泥の差だ。

 

「あかり、私は君達に会えて本当に幸せだったよ……」

 

 彼女の本当の名前を呼ぶ。目の前の友達の表情がいつもの幼さを感じるものからどこか大人びたものに変わっていく。

 

「改めて言う。私と友達になってくれてありがとう」

 

 嘘偽りのない私の本心。私は他の誰よりも、今まで出会ってきたどの人間よりもこの人のことを慕っている。

 

「ありがとう、私を子供に戻してくれて……」

 

 陽菜乃も渚も同じくらいに大好きだ。けど、私を戦いから解放してくれたのは他の誰でもない、目の前の人だ。

 

「大好きだよ、お姉ちゃん……」

 

 立ち上がる。鍵は掛けた。PCの電源は落としてある。盗聴器の心配もない。つまり今私の話を聞いているのはあかりただ一人。

 

「だから、今度は私の番だ」

 

 楽しいだけの時間はもう終わりだ。見ないふりもこれまでだ。今から何があっても、何を見ても、私はこの人の味方であり続ける。

 

「どうしたの祥子、そこ寒いでしょ?こたつ入ろ?」

 

 あかりはごまかすようにそう言った。これから私は酷いことをする。やっと自分のことを好きになってきたけど、今日だけは大嫌いだ。

 

 背を向けて台所のテーブルに置いた紙袋を取りあかりに手渡す。

 

「何これ」

 

 あかりが紙袋を開けて中身を取り出す。そこには温かそうな赤い毛編みのマフラーが入っていた。

 

「大分遅れてしまったが誕生日おめでとう。これからもよろしく」

「でも……なんで?」

 

 本当なら喜んで祝うべきなのに、私はちっとも嬉しく思えなかった。思えるわけがなかった。

 

「……雪村あかり」

 

 私が呟いた名前にあかりの動きが止まった。茅野カエデの誕生日は1月9日、そして雪村あかりの誕生日は11月9日……

 

「すまない、調べさせてもらった……」

 

 名前さえわかれば調べることは容易だった。いや、本当ならもっと早く知ることだってできたはずだった。それをしなかったのは私が優しさに甘えて目を背けていたから。

 

「君のことはもう知っている。磨瀬榛名と言う名の子役として活躍していたことも、E組の前担任の雪村あぐりが君の姉だということも……」

 

 あかりの暗い目が私を射抜く。もうここには私の知っている明るくて優しい姉のような人はいない。こんな目にしたのは私の責任だ……

 

「そして彼女が既に故人だということも……」

 

 沈黙、痛みすら感じる程の刺すような空気が私を包む。もっと、もっと早く聞くべきだった。全ては目の前の優しさに浸ってやるべきことを忘れていた私の責任……

 

「ふーん、調べちゃったんだ」

「すまない……」

 

 懺悔するように首を垂れる。今の私には氷のように冷たい声で話すあかりの顔を見る勇気がなかった。

 

「いいよ、怒ってないから。言わなかった私にも責任あるしね」

 

 彼女に責任なんてない。全ては優しさに甘えるだけで何もしようとしなかった私の罪だ。

 

「そんなこと──」

「あるよ、祥子が聞かないでくれたからそれに甘えちゃったんだ。本当はもっと前に言わなきゃいけなかったのにね」

 

 そんなことはないと言い返したい。だが、これ以上は押し問答になるだけだろう。

 

「でも、そっか……ばれちゃったんだ。じゃあもうシロには会ってるの?」

 

 頷く。やはりあかりは既にシロと接触しているらしい。

 

 何か危ないことをされていないかという不安と、何故私に言ってくれなかったのだというお門違いの怒りが同時に沸き起こる。

 

「大丈夫?変なことされなかった?」

「あぁ、それは大丈夫だ……」

 

 事実私は何もされていない。ただ会って話をしただけだ。けれど奴の今までの行動を鑑みればとてもじゃないが信用できる人種ではないのは共通認識だった。

 

「あいつ見ての通りいい加減な奴だから絶対に信用しちゃ駄目だよ」

「わかっている。今はそんなことはどうでもいいだろ……」

 

 大事なのはそこじゃない。私が知りたいのは真実だ。あかりが何を見てきたのか、そして何を隠しているのか……。私には知る義務がある。

 

 顔を上げる。

 

「初めに言っておく。私は何があっても君の味方だ……」

 

 暗い瞳が見つめ返す。酷い目だ。あかりのこんな目なんて見たくない。多分、私もあんな目をしていた時があったのだろう。今ならわかる。放っておけるわけがない。

 

「信じてくれとは言わない。だが、もし信じてくれるのなら……全部教えてくれ」

 

 彼女が何を考えているのか、それは私にはわからない。もしかしたら私を騙して陰で笑っていたのかもしれない。

 

 けれどあの時私にだけ本当の名前を教えくれたことは決して嘘なんかじゃないと信じたい。

 

「祥子、目瞑って」

「わかった……」

 

 言われたとおりに俯き両目を固く閉じる。暗闇の中で髪を解く音とその音に混じって聞き慣れない、何かが動く音が聞こえた。

 

「いいよ」

 

 目を開ける。顔を上げれば私は本当の意味で後戻りできなくなる。真実にはいつだって痛みが伴う。

 

 このまま背を向けて何事もなかったように世間話をすればきっとあかりはカエデに戻るだろう。

 

「どうしたの?」

 

 そして二度と私のことを味方とは思ってくれなくなるのだ。

 

 真実を知るのは怖い。けれど、私には銃弾よりも拷問よりも目の前の人の信頼を裏切るほうがもっと怖かった。

 

 息を吸う。覚悟は決まった。

 

 顔を上げあかりの顔を見る。

 

「──ッ!!」

 

 目を見開く。声にならない悲鳴を上げる。

 

 あかりの首から触手が生えていた。

 

「言ったでしょ?銃も悪い奴も一人でどうにかできるって」

 

 うなじから生える二本の触手。私にはこの触手に見覚えがあった。いや、見覚えどころではない。何故なら私は毎日のようにこの触手を見ていたのだから。

 

「そ、それ……」

「そう、イトナ君と同じ触手」

 

 この瞬間、私は全てを理解した。ヒントならいくらでもあった。死神を倒せると言ったのも、麻酔弾の効き目が妙に短かったことも、異常なまでに甘いものが好きだったのも、全てはこの触手のせいだった。

 

 視界が滲んでいく。畜生……何が味方になるだ……

 

「なんで泣いてるの?」

「だって……だって……」

 

 イトナのことを思い出す。彼はほんの少しの動揺で発狂したように暴走していた。あれを見ればこの触手が人間にとってどれだけ害のある存在か嫌でもわかる。

 

 シロによって調整されていてなおそうだったのだ。それを、この人はいったい何時から耐えていたんだ。

 

「いつから、なんだ……」

「一学期が始まるちょっと前からだよ」

 

 絶句する。あかりの言葉が事実なら少なくとも八カ月以上もの間この人はずっと一人で触手の苦しみと戦っていたことになる。

 

「平気、なのか?」

 

 答えなんてわかりきっているのに、こんなことを聞く資格なんてないのに、私は聞かずにはいられなかった。

 

「イトナ君のこと見てたらわかるでしょ?平気なわけないじゃん。頭がおかしくなるくらい痛かったよ」

「そう、だよな……」

 

 馬鹿な質問をする自分が嫌になる。額に汗を滲ませ険しさで歪んた顔を見れば苦しいのなんてわかりっこなのに。

 

「ごめんなさい……」

「なんで謝るの?」

 

 足から力が抜け膝を突く。力が入らなかった。自らの罪の重さを改めて認識する。私には何もできない。ただ謝ることしかできない。

 

「謝っちゃ駄目。祥子は何も悪くないんだから」

「だって……だって!」

 

 私が甘えている間もこの人はずっと苦しんでいた。何も考えようとせず姉と慕って馬鹿みたいに笑っていた。そんな自分が許せない。

 

 何が味方だ。何一つ理解しようとしなかったくせに……

 

「大丈夫だよ、最近はあんまり痛くないんだ。多分祥子のお陰だと思う」

「でも!だったとしても!」

 

 そんなのなんの気休めにもならない。これほどまでに自分が憎いと思ったことはない。頭を掻きむしり声にならない慟哭が心を引き裂く。

 

「畜生……こんなのあんまりだ……」

 

 やっぱりこんな世界大嫌いだ。良い人はすぐに不幸になって、悪人だけが幸せになる。なんでこんな優しい人がこんな目に遭わなければいけないんだ……

 

「たった一人でこんな苦しんで……酷すぎる……」

 

 私のことなんてどうでもいい。ただ目の前の人が苦しんでいることが悲しかった。たった一人で発狂するような痛みに耐え続け、それを誰かに打ち明けることもできない。

 

 それはいったいどれだけの苦しみなのだろうか。一番泣きたいのはあかりなのに、いつも平気な顔して笑っていた。誰にも話せないことがどれだけ辛いことなのか、私が一番わかっていたはずなのに……

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 目を覆った掌からいつくもの涙が零れ落ちる。泣く資格なんてないのに、涙の止まらないこの眼が憎たらしい。ナイフで抉り出せたらどれだけ楽なことか。

 

「祥子は、私のために泣いてくれるんだね……」

「違う!そんなんじゃない……そんなんじゃないよ……」

 

 そんな大層なものじゃない。私は誰かのために涙を流せるような人間じゃない。いつだって自分のためにしか泣いてこなかった。

 

「畜生……私は最低だ……」

 

 わかっていたはずなのに、気付けたはずなのに、見ようとしなかった自分が堪らなく憎い。憎くて憎くて仕方がない。

 

「もう、祥子は本当に泣き虫なんだから……」

 

 触手で私の髪をかき上げ指で両目の涙を拭う。澄んだ瞳が私を見つめる。その顔はいつも私が見ている。私が大好きな優しい顔だった。

 

「祥子、聞いて」

 

 沈黙、やがてあかりはぽつぽつと自分のことを語り始めた。

 

「私、お母さんがいないんだよね。お父さんはいるんだけど、殆ど他人みたいな人で私はあの人を父親と思えなかった」

 

 実の父親を他人としか思えない。そういうあかりの顔は辛そうでも、悲しそうでもなく、ただ無表情だった。多分本当に他人としか思っていないのだろう。

 

「だから私にとって本当に家族って呼べるのはお姉ちゃんだけだったんだ。ちょっと抜けててシャツのセンスがおかしかったけど、綺麗で面倒見が良くて優しくて……」

 

 その言葉だけであかりが姉のことをどれだけ好いていたのかがよくわかった。本当に大好きな姉だったのだろう。

 

「大好きなお姉ちゃんだった……」

 

 だけど、もうその人はこの世にいない。死んでしまった人間は生き返らない。どう足掻いたところで死人は死人でしかないのだから。

 

 初めから何もなかった私には想像すらできない。きっと地獄のような苦しみだったのだろう。それこそ何もかもがどうでもよくなるくらいには。

 

「ねぇ、なんでお姉ちゃんは死ななきゃいけなかったのかな……って、祥子が答えられるわけないか」

「そう、だな……」

 

 ある意味私は運がよかったのだろう。何も覚えていなかったから、それが当たり前だったから、私は地獄のような環境でも耐えることができた。

 

 もし私が同じ立場だったら正気を保てるかわからない。いや、きっと無理だろう。やっぱりこの人は私なんかよりもずっと強い。

 

「本当に、殺せんせーが君の姉を殺したのか?」

 

 私は自分の不用意な発言に後悔した。今更そんなことを聞いてどうするつもりなんだ。とっくの昔に引き返すラインは越えているというのに。

 

「わからない……でもそうとしか思えないよ……」

 

 私はどうするべきなのだろうか……。復讐なんて間違っていると言えばいいのか?それとももっと自分を大事にしろと怒るべきか。

 

「私だってお姉ちゃんが復讐なんて望んでないことくらいわかってる。でも……」

 

 自分が間違っている選択をしていることなどあかりだってわかっているのだろう。

 

「あんなに優しかったお姉ちゃんが血塗れで襤褸雑巾みたいに放置されて……聞いても誰も何も答えくれなくて……何事もなかったみたいにいつもの日常が始まって……」

 

 顔を見ればわかる。必死に聞いたはずだ。だが誰も真実を教えてくれなかった。姉を慕う妹の願いは無慈悲に踏みつぶされた。

 

「許せない、許せるわけないじゃない……」

 

 私には何も言う資格はない。例えどれだけ身を案じていたとしても、何も知らない癖に上辺だけの知識で偉そうに説教するなど、それこそ彼女の覚悟、彼女の人生への侮辱だ。

 

「私は殺るよ。ここに来た時から、お姉ちゃんが死んだあの日から、決めたことだから。言ったでしょ、そうと決まれば一直線だって」

「そうか……」

 

 止めもせず、無意味な相づちを打つことしかできなかった。

 

 止められるわけがないのだ。ここであかりを否定するのは簡単だ。復讐なんて間違っていると、本当に殺したのは殺せんせーなのかと、こんなことをしたって姉は喜ばないと、言うことはできる。

 

 でもそうやって裏切ってしまえば彼女は今度こそ本当の意味で独りになってしまう。あの時の私のように、戦うことしかできなかった私のように。

 

 そんなの冗談じゃない。

 

「私も一緒に──」

「祥子は来ないで」

 

 私の覚悟はあかりによって拒絶された。何故だ、私では信用できないのか、そんな思いが頭の中を駆け巡る。

 

「言っただろ、絶対に味方だって。どうすれば信用してく──」

「だからだよ」

 

 だから?何がだからなんだ……。私の疑問を余所にあかりは私の頭を優しく撫でた。

 

「顔を見ればわかるよ。祥子は私が言ったら絶対についてきてくれる、一緒に戦ってくれる。でも、それがどういうことかわかってるでしょ?」

 

 言いたいことはわかっている。私が言おうとした言葉がどんな意味を持つかなんて、そんなのとっくの昔に理解している。

 

 あかりがもし触手を解放して殺せんせーを殺せば、E組にはもう二度と戻れないだろう。それに付き従えば私とてE組には戻れなくなる。あの大好きなE組にだ。

 

 それだけじゃない。触手は地球すら破壊できるかもしれないポテンシャルを秘めている。

 

 殺せんせーという後ろ盾がなくなれば、触手を利用しようとする組織や国、最悪の場合世界中から追われることになるかもしれない。

 

 恐らくもう二度と普通の生き方はできないだろう。

 

「大好きなんでしょ?みんなのこと。もう戻れないんだよ?みんなに会えなくなってもいいの?」

 

 その言葉に皆の顔が脳裏に浮かび上がる。陽菜乃に桃花、渚やカルマ、速水や寺坂……一度裏切ってしまえば二度と笑いあうことはできなくなる。

 

 また独りぼっちになる。それは私が一番恐れていたことだった。

 

「やっと戦わなくてよくなったのに、やっと普通の女の子になれたのに、自分から台無しにしちゃ駄目だよ」

「で、でも!それじゃあかりが!」

「いいの、私はもう祥子に十分貰ったから……」

 

 私が何をしたというんだ。ただ貰ってばかりで、守ってもらってばかりで、私は何もしてないじゃないか。何故そんなふうに笑えるんだ。理解できない。

 

「自分のやろうとしていることをよく考えて、もっと自分を大事にして」

 

 あかりが触手を仕舞い再び髪をツインテールに戻す。瞬く間に雪村あかりは茅野カエデに戻った。

 

 辛そうな表情も、絶望に暮れた瞳も全てなかったことにして、偽りの笑顔で押し隠しこの人はまた偽りの日常へ戻っていく。

 

「さようなら。今までありがとう、大好きだよ祥子」

 

 そう言って、雪村あかりはとびっきりの笑顔で去ろうとする。多分このまま見過ごせばつかの間の間、私の日常は戻ってくるだろう。

 

 それはきっと楽しいに違いない。きっと幸せに違いない。私がようやく手に入れた幸せ。それを選んで何が悪い。あかりだってそれを望んているのだろう。

 

 随分と、舐められたものだ。

 

「……待て、あかり」

 

 立ち上がり呼び止める。覚悟なんてとっくの昔に決まっている。

 

 名前を聞いたあの日から、リボンをくれたあの日から。私はこの人の味方であると決めたのだ。

 

「私は傭兵だ。対価がなければ動けない」

 

 例え誰を相手にしようとも、例え何を相手にしようとも。

 

「……報酬の分配は二対一でいいか?」

 

 あかりの肩が震えた。彼女の足元に水滴が零れる。誰が泣き虫だ。あかりだって人のこと言えないじゃないか……

 

「…………馬鹿だよ」

 

 目の前の家族を見捨てて利口な生き方をするくらいなら、見捨てろと言われて見捨てられるような薄情者になるくらいなら、私は馬鹿でいい。

 

「ああ、馬鹿だよ」

 

 あかりが振り返る。その顔はとても悲しそうで、それでいて、とても嬉しそうだった。

 

 

 

 

 

「なぁカルマ」

「うん?何臼井さん」

 

 喧騒、皆が演劇発表会とやらの題材で盛り上がっている中、私はいつものようにストローから苺牛乳を飲んでいるカルマに話を振った。

 

「カルマはもし大切な友達が取り返しのつかないようなことをしていたらどうする?」

「え、もしかして自虐?」

「違う!」

 

 私の大きな声に教室が一瞬静まりかえる。駄目だ、こいつに聞いたのが間違いだった。不貞腐れたように私が頬づえをつくと彼はばつが悪そうに頭を掻いた。

 

「まぁ……そりゃ普通止めるでしょ」

「だよな……」

 

 常識的に考えてそう答えるのが普通だ。私だって違いない。誰が好き好んで友人が堕ちていくのを許容するだろうか。

 

「何もしないで見過ごすとか、それ逃げてるだけじゃん」

「ああ……」

 

 彼の言葉が突き刺さる。そうだ、そんなものは友人とは言わない。都合よく利用しているだけか、さもなくば依存しているだけだ。

 

 だが──

 

「なら、その友人が後戻りできない場所まで来ていたら?」

 

 気が付いた時には引き返せない所まで来てしまった、なんてことは現実にはいくらでもある。引き返せる。やり直せる。それはとても恵まれていることなのだ。

 

「どうしたの?今日の臼井さん、なんか変じゃね?」

 

 琥珀色の瞳が私を見つめる。こんな質問に意味はない。何故なら答えは既に決まっているからだ。

 

「別に、ただ最近見たドラマでそんなシーンがあってさ。それにもうすぐ演劇会だろ?」

 

 こういう時ばかり嘘が上手い自分に嫌気がさす。だが、それも覚悟の上だ。

 

「それに、演劇とは関係なかったとしてもこういうことを考えるのは大事じゃないかな」

 

 前を見る。見慣れた青髪と緑髪の友達が楽しそうに話していた。

 

 誰よりも泣きたいはずなのに、姿も身分も何もかも偽り、何事もなかったかのように笑っている。

 

 私はずっとあの人の嘘に甘えていた。知っていたのに見ないふりをした。そんなことはもう終わりだ。

 

「ふーん……」

 

 一瞬、私に訝し気な視線を送るが、やがて興味を失ったのか再び紙パックに差したストローを口に含んだ。

 

「ま、その時は一緒に行くんじゃない」

 

 喧騒がどこまでも続いていく。誰も私達には気が付いていない。目を背け続けとうとうこんなところまで来てしまった。もう後戻りはできない。

 

「……どうして?自分まで堕ちることになるぞ」

 

 きっと本気で言っているのだろう。理解できないわけじゃない。ただ、納得できなかった。

 

「見捨てたって誰も文句は言わない。所詮は他人だろう?」

 

 堕ちるのは個人の責任だ。何があろうと選択したのは自分自身の意思なのだから。肩入れして無意味な損失を被るのは賢い生き方ではない。

 

「だって友達見捨てて自分だけ良い子ちゃんって、それすっげーダサくね?」

 

 さも当たり前のように言い切る。カルマの瞳を見ればそれが本当だとわかった。間違っていたとしても、どこまでも自分の心に従う。どこまでも彼らしい言葉だった。

 

「そうか……ダサいか……」

 

 目の前の苦しんでいるだろう大事な人を見捨てて、隣の友人と何もなかったかのように楽しく笑う。それも一つの選択だろう。もとよりそれはあかりが望んでいたことだ。

 

 きっと楽に違いない。楽しいに違いない。辛いことも悲しいこともない、それはそれは幸せな生き方だろう。

 

 反吐が出る程に。

 

「確かにダサイよな……」

 

 目を瞑りゆっくりと息を吐く。心の中で何かがカチリとハマった。

 

 目を開ける。視界に映る全てがクリアに映り、心が晴れ渡る。

 

「カルマ、ありがとう」

 

 お陰で気兼ねなく君達に銃口を向けられる。

 

 

 

 

 

 夜中、静まりかえった部屋。ベッドに座りテーブルの上に置いた携帯電話を手に取る。

 

 かける相手は決まっている。しばらくして電話がつながった。

 

「私だ……用意してほしいものがある。もうすぐパーティーが始まるんだ」

 

 きっと生涯で最低のパーティーになるだろう。

 

「派手に踊りたい、最高のドレスを用意してくれ」

 

 どこまでも派手で、そして最低なパーティーにしよう。

 




用語解説

エアボーン
航空機からパラシュートを装備した兵士を降下させること。敵の背後などに大部隊を迅速に展開できる。日本では自衛隊の第一狂ってる団こと第一空挺団が有名。

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